竜虎相搏つ!
「わー、ここがダーゲシュテン……ユー兄さんの住んでいる街っすね。同じ港町でもあっちとは全然雰囲気が違うッスね。こっちの方がのんびりとしてると言うか」
船から降りて来た一人の少女が、周りを物珍しそうに眺めている。ゆったりとした雰囲気が気に入ったのか、クスクスと笑いながら歩き出す。と、その時、
「うん? なんかあの船……」
出港したばかりの船から女性の悲鳴が聞こえて来る。それに疑問を感じたのか、ジッとそちらへと耳を澄ませた。
『動くんじゃねえ! さっさと金目の物を出しな!』
『キャアア! だれか助けてー!?』
声から察するに、何者かが船を占拠しているのだろう。周りに気付いた人はまだいない。少し考え、それならと腰の刀に手を触れた。
船は港から少し離れた位置にあり、少々遠い。だが少女は構わず海の方に駆け出した。
「ちょっと通るッスよー」
「お、おいお嬢ちゃん!?」
おじさんの声を無視して、一気に跳躍する。十数メートルの距離を跳んだ少女は、ダンと船の手すりを踏みつけた。
「……は?」
見えたのは、男が四人と女性が一人。女性は男に掴まっており、ナイフを突き付けられている。ならば犯人はあの四人だろうと判断し、即座に刀を引き抜いた。
「ガッ――!?」
「刺激――」
女性を捕らえている男の肩を貫き、蹴って距離を取る。着地と同時に駆け出し、振り抜いた。
「――ついでの、二刃。最後に――巌」
「ひ、ひぃ!? ――ゲッ!?」
残る一人に一足で詰め寄り、柄頭を顎に打ち据えて意識を刈り取った。
僅か五秒でこの場を収めた少女の登場に、唖然とする乗客と乗組員。少女はそんな彼等の視線に気づき、あ、と照れたように言った。
「えっと、出来れば港に戻ってくれると嬉しいッス」
「そ、それは良いんだが……君は一体……」
刀を収めるその少女に、一人の船員が呆然としながら尋ねる。彼女は忘れていたと顔を上げ、笑いながら言った。
「シャシャはシャシャッス。未来の旦那様に会いに来たッスよ」
船員は知らない。彼女がアークス国でも有名なジルオーズ家に名を連ねる者の一人である事を。
十一月期の六日。セイレーシアンは朝食を終えた後にミュウを連れ立って市場へと買い物に来ていた。彼女がダーゲシュテンへ来てから三日が経ち、ミュウとの朝の買い物も慣れたものだった。
元々力のある彼女に対して手伝いなど必要ではなかったかもしれないが、個人的に気に入っているミュウを一人で行かせるのは、過保護なセイレーシアンには許せなかったらしい。
「あら? なにかしらね、あれは」
「えっ? ……だれか縄で縛られてますけど……」
買い物を終え、食材が入った買い物袋を二つに分けて持っているセイレーシアンが向こうに人だかりを発見した。つられるようにミュウも目を向け、だれかが連れていかれるのを目撃する。
「……なにかあったんでしょうか?」
「どうかしら? ちょっと行ってみましょうか?」
「あ、セレシアさん!」
言うが早いか歩き出したセイレーシアンを追ってミュウも小走りに付いて行く。好奇心旺盛と言うか、どこか自分の主に似ているなと苦笑しながら思う。
「ちょっとごめんなさい、通してくれるかしら?」
人混みを押し退けて最前列へと移動すると、だれかに殴られたのか頬に傷を負った男が少女に向かって頭を下げている所だった。
「本当にありがとうございます! あなたがいなければ今頃どうなっていたか……どうか、受け取って下さい」
「え、いや困るッス! 別にそんなつもりはなかったんスから。それより無事で良かったッスね」
それだけを見てもさっぱり分からないセイレーシアンは、近くの男に声をかけた。
「ねえ、あれは一体なにがあったの?」
「えっ? ああ、なんでも船に乗っていた強盗共をあの女の子が一人で撃退したみたいなんだよ。四人もいたらしいんだけどあっという間だったらしいぜ?」
その話にへえ、と感心したような声をあげる。強盗の強さがどうかは分からないが、普通、武器を持った男四人に少女が一人で立ち向かうのは難しい。よほど自分の腕に自信があるのだろう。
腰に差した刀に目を向け騎士としてのセイレーシアンが冷静に分析する。
「せ、セレシアさん早いです……って、あれ?」
「おぉ?」
しかしその途中で人混みを掻きわけ、やっと追い付いたミュウが声をあげた。どうしたのかと尋ねるより早く、目の前の刀を持った少女が大声を上げて駆け寄って来る。
「ミュウちゃんじゃないッスか! 久し振りッス!!」
「シャシャちゃん? シャシャちゃん、来てたんですか?」
「着いたのはついさっきッスよ。いやー、結構長かったッス。一人で船旅ってあんまり面白くないッスね!」
「そうだったんですか……。でも嬉しいです、シャシャちゃんが来てくれて」
突然仲よさそうに話し始める二人の少女。基本的に人見知りのミュウがあれだけ懐いたように話しているのだから、ただの知り合い、と言うだけではなさそうだが……。
「取りあえずミュウ、ここにいると邪魔だから場所を移さない?」
「えっ、あ、はい! シャシャちゃん、ついて来てくれますか?」
「もちろんッスよ! しょーじきここまで来たは良いけどユー兄さんの家って分からないからどうしようかと思ってたッス」
ザワザワと周りがうるさくなってきたので、場所を移す事にした。頭を下げ続ける船員を無理やりどかし、シャシャを連れてこの場を離脱する。好奇の視線を受けながら、セイレーシアン達は港を後にするのだった。
場所をテラス席のカフェに変え、朝食がまだだと言うシャシャが魚のフライと野菜を挟んだバゲットを頼んだ。バクバクと勢い良く食べる彼女を見ながら、セイレーシアンがミュウへと問いかける。
「それで、この子はなんなの? 見た感じ、中々腕が立ちそうだけど……」
「えと、この子はシャシャちゃんです。前に私たちと一緒に旅をしたんです」
「あ、やっぱりそうなのね」
先ほどの様子からなんとなく察していたセイレーシアン。もう一度少女のことをジッと観察する。
灰色の髪と灰色の瞳、髪は包帯で二つに分けられており、この季節だと言うのに短いスカートとニ―ソックス。寒くないのだろうか。
そして一番目に着くのが、今は腰から外して立て掛けてある、一本の刀。鞘越しではあるが、恐らくかなりの業物だろう。よく使いこまれた武器であり、それが彼女の実力を裏付けている。
「……一応聞いておきたいのだけど、人間よね?」
「……? はい、シャシャちゃんは人間ですよ?」
魔物キラーなどと冗談めかして言われるユクレステだが、ついにその矛先が同じ人間に向かったのかと戦慄する。
そんな彼女の心が分かるはずもなく、シャシャは口いっぱいのバゲットを飲み込み、笑顔で名乗った。
「初めましてッス。シャシャはシャシャ、シャシャ・フォア・ジルオーズッス! ミュウちゃん達とは一月ちょい一緒に旅した仲間ッス!」
「え、ええ。私は……って、えっ! ジルオーズ!?」
とんでもない名前の登場に、セイレーシアンは思わず大声を上げてしまう。ジルオーズと言えば、アークス国は元より、セントルイナ大陸全土から見ても力のある家柄の一つで、ルイーナのオルバール家と同等の力を持つと言われている一族だ。権力や魔力、合わせての最大がオルバール家だとすれば、暴力一つに特化したのがジルオーズだとすら言われている。
「あ、貴女ジルオーズなの? 本当に?」
「そッスよ。あ、と言ってもシャシャは分家の味噌っかすッスけど。それでええと、お姉さんはどちら様ッスか?」
そんな家の少女が、なぜユクレステと共にいたのだろうか。セイレーシアンは自分の自己紹介も忘れてしまった。
いけないいけないと心を落ち着かせ、年上の余裕を持って少女へと返す。
「私はセイレーシアン・オルバールよ。今はダーゲシュテンのお屋敷にお世話になっているの」
「セイレーシアン・オルバール……ああ!」
大方、彼女もオルバールの名に反応したのだろう。そう思ったセイレーシアンだが、
「ユー兄さんのお嫁さんッスね!? シャシャもユー兄さんのお嫁さんなんスよ! 一緒ッスね?」
ビシリと、笑顔に亀裂が走った。
その日ユクレステはリューナの手伝いとして魔法学校の講師として呼ばれていた。最初の授業が始まる中、ユクレステは不意に背筋を走る寒気に身を震わせた。
「どうしたんだーおまえ。風邪でも引いたか?」
「いや、なんか寒気が……って言うかだな、仮にもおまえ達の臨時講師である先生様に向かってその口の利き方はどうなんだマイク。成績表にE判定乗せるのぞこの野郎」
「おーぼーだ! こくそもじさないぞ!?」
「そう言う言葉は一体どこで覚えて来るんだよ……」
やれやれと持っていたプリントで軽く頭を叩く。教壇に戻って、授業を再開する――
「ユクレ!! ちょっと良いかしら!?」
「えっ? セレシア? なんのよ――うぉおお!?」
戸を壊さんばかりの勢いで開き、入って来たのはセイレーシアンだった。彼女は疑問の言葉を述べるユクレステに詰め寄り、右手で胸倉を掴み上げ左手を彼の頭に添えた。
「ちょっ、セレシアさん!? 恐い恐い! おまえの左手ホントに恐いんだって! 破砕でも半日は気絶する自信あるぞ!?」
「へぇ、気絶で済めば良いわね? とにかく、私の質問に答えなさい。良いわね?」
「だ、だからちょっと待てって! なにがなんだか分からないし今授業中で……」
「まず一つ!」
「聞けよ!?」
凄い剣幕で怒鳴るセイレーシアンには反論も効果はないようだ。子供たちが若干怯えているのだが、今の彼女には気付けと言うのも無理な話。なぜなら、
「あ、ここにいたッス。おぉ! ユー兄さんも!」
「あの子とは一体どういう関係なの!?」
ビシリと指差す先にはシャシャがいた。ユクレステを見つけ、喜色満面に手を振っている少女。そんな彼女の突然の来訪に、思わずえっ、と呟いた。
「シャシャ? なんでここに……ぃいい!?」
「だ、か、ら! 貴方はあの子とどういう関係なのよ!?」
ガックンガックンと揺さぶられては返答出来るはずもないだろう。シャシャはそんなユクレステに変わって答えた。
「さっきも言ったじゃないッスか。シャシャはユー兄さんのお嫁さんッス」
その一言に、教室中から黄色い悲鳴が響き渡る。大体は女の子によるもので、男の子からは若干の恨みの念が感じられる。
「わー、ユクレ先生浮気してるー。まだ結婚もしてないのにー」
「って言うかこれ知ってるよ! しゅらばって言うんだって! お母さんが教えてくれたの!」
「こういう時っていしゃりょーが貰えるんだってよ? なきねいりはダメだってお祖母ちゃんが言ってた!」
なんとも生々しいお話が家庭で流れている事で。
「君たちのご家族は一体なにを教えてるのか近々家庭訪問してやろうか? って、待て待て待て! 良いから落ち着けセレシア! シャシャとはそういうのじゃなくてだな……」
「あ、間違えたッス。シャシャは妾さんだったッス。えへへ、失敗しちゃったッスね」
「ユ~ク~レ~?」
「シャシャお願いだからちょっと黙っててくれー!!」
ガッシリとセイレーシアンの左手がユクレステの側頭部を掴む。魔法を使わずとも彼女の握力は相当なもので、メリメリと音が聞こえていた。
「喧しい! 授業中になにを騒いでおる!!」
そこへ新たな声が届いた。青い着物に身を包んだ、このクラスの担任であるリューナだ。彼女の一喝によってセイレーシアンの動きが止まり、シャシャも驚いたようにリューナを見ている。その様子だけで何事かを察したのか、一つ頷いて行動を起こした。
「ゆー、セレシア。痴話喧嘩ならば外でやれい!」
「うわぁあああ!?」
「きゃあっ!?」
ガラリと窓を開け、二人の首根っこを引っ掴む。それから大した動作もなく、無造作に放り投げた。そうは言っても龍の膂力である。かなりの距離を飛んで行き、校庭の端まで行って落ちた。
「そこのお主。ここは部外者立ち入り厳禁じゃ。早う出ていけ」
「りょ、りょーかいッス!」
ギロリと睨まれ、流石のシャシャもそそくさと退散する。ため息を一つ吐き、リューナが小さく呟いた。
「やれやれ……」
結局、授業は普段通りリューナが行う事になったのだった。
痛む体になぜか懐かしさを感じてしまう。昔も良くこうやってリューナに投げ飛ばされていたっけ。
「ててっ、なんで俺まで……」
「ユ、ユクレ……なんでそんなすぐに回復してるの……」
背中から落ちたのか、セイレーシアンは苦しそうに悶えている。一方で頭から落ちたユクレステはもう立ち直っていた。
なんでと言われても、慣れとしか言いようがないのだが。昔からなにかとリューナにお仕置きされていたため、頑丈に育ったのだ。
「大丈夫ッスかー?」
「ああ、俺はな。って、それよりなんでおまえがここにいるんだよ? 実家に帰ったんじゃなかったのか?」
駆け寄って来るシャシャに疑問の声をかける。
「一旦は帰ったんスけど、家族が鬱陶しかったからすぐに飛び出して来たッス。お金はあるし、ちょっとした一人旅みたいなもんッスね」
いつも通りと言えばいつも通りのシャシャの姿に、ユクレステは苦笑してしまう。
ユリトエスの事は知っているのかと問えば、彼女は困った表情で頷いた。
「なんとなーく、そういう予感はしてたッスから。あの時、あの人の顔を見て。あ、これは死ぬ事を躊躇わない表情だ、って」
「そっか……。そういうの、俺には良く分からなかったな」
「それで良いと思うッスよ? 分かってもどうしようもないって言うのが本音ッスから」
「そういうもんか」
ほんの少し悲しそうに表情を動かす彼女の姿を見て、ユクレステも小さく頷いた。
「あ、でも意外だったのはヴィル……えぇと、ウォルフ兄さんがユリトの事を知ってたんスよ」
「えっ? ウォルフが? って言うか、まだジルオーズの屋敷にいるのか?」
「そうみたいッスよ? なんでも、風の主精霊様がソフィアおばさまの体を治すにはウォルフ兄さん……と言うよりも、風狼さん達が必要なんだそうッス」
果たしてそれが嘘か真かは分からないが、ソフィアの体調不良は過去に未熟な風の魔法をその身に受けてしまったのが原因らしい。それを正すために、風の魔物としても上位の風狼が側にいる必要があるのだとか。
精霊であるために知識は相当なものなはずだが、どうしてかシルフィードを信用できないユクレステがいる。むしろ警戒して然るべきだと。その様子を見たシャシャが、パタパタと手を振りながら大丈夫だと言った。
「なんかその時異様に機嫌良かったッスから、多分ウソじゃないと思うッスよ?」
なんで機嫌が良かったのかは分からないッスけど、と言うシャシャ。ユクレステにはなんとなくその理由が分かるため、微妙な表情だ。
「そんなに俺が塞ぎこんでるのが面白かったってか……分かってたけど、性格悪過ぎだろ」
「ユー兄さん?」
「あ、いや、なんでもないぞ、うん」
どうせすぐに先日までの様子は伝わるのだろうが、自分から言い触らすような事でもない。ユクレステはボカしながら話を続けた。
「で、ウォルフがユリトと知り合いってのはどういう事だ?」
「なんか、ちょっと前に依頼でゼリアリスに行ったらしいんスよ。その時の依頼人がユリトで、迷いの森にある遺跡の調査の護衛を頼まれたとか」
時期的にコルオネイラでの大会が終わってすぐの辺りだそうだ。
「へぇ、意外な繋がり……でもないのか。ウォルフの実力や性格はあの時に知った訳だし、周りの連中を頼りにするよりもずっと安全だもんな。あいつの性格上、だれかを罠に嵌めるとかはありえないし」
良くも悪くも強さに執着している彼である。だれかの思惑とかにはまったく興味がないだろう。
うん、と頷いて納得し。ジッとシャシャを見る。
「……ん? どうかしたッスか?」
で、結局彼女はどうしてここにいるのだろうか。家出をしてきた、と言う事でいいのだろうか。
「……そ、それで、貴女はわざわざこんな遠い所までなにをしに来たのかしら?」
「あ、セレシア大丈夫か? さっきまでコヒューコヒュー言ってたけど」
「全然全くこれっぽちも問題ないわ。嫁姑戦争が勃発しても生き抜いて見せるくらいには問題ないわ。……あ、やっぱり無理。オルバール家じゃなくてリューナさんが一番の障害だったなんて……」
「だ、大丈夫だろ。リューナ、セレシアの事気に入ってるから」
若干未来に影を見たのか、セイレーシアンが絶望した表情をしている。ユクレステの言葉に安心したのか、コホンと咳払いをしてシャシャへと向き直った。
「で、なにしに来たの?」
「それはもちろん! いつかは嫁ぐ先なんスから見に来たッス!」
ビシリ、と。
セイレーシアンの雰囲気に気付く事なく、ユクレステは首を傾げて言った。
「嫁ぐって……どこに?」
「そりゃもう、ユー兄さんの所しかないじゃないッスか!」
「……えっ!?」
「もー、ずっと言ってたじゃないッスか! あ、そうッス! ちゃんと両親からはオーケーもらってるッスよ?」
「……えぇえええ!?」
いつの間にそこまで進んでいたのだろうか。常々妾がどうのとは言っていたが、そんな一週間足らずで娘の結婚を決めてしまっていいのか分家ジルオーズ。
「りょりょりょ、両親からのオーケー!? なんでそこまで話が進んでるんだよ!?」
「や、なんかシャロ姉がやたら張り切ってて……シャシャがお母様達に話を持って行った時には既に嫁入り道具を持たされそうになったッス」
「あ、あいつか……」
どうやら主犯はシャシャの姉でもあるシャロン・フォア・ジルオーズだったらしい。どこか歪んだ少女にそこまで気に入られているとは思ってもいなかった。そして彼女の行動力も甘く見ていた。こうまでトントン拍子で話を進めるとは、まさに脱帽である。
セイレーシアンなど理解出来ずに固まっている。
「なんか、涎垂らしながらブツブツ言っててキモかったッスよ。略奪愛がどうの、平和な家庭に私参入とか。どろぐちょな新婚生活万歳、って」
「あー、良い感じに……いや、悪い感じで歪んでるなぁ、相変わらず」
「実の姉ながら気持ち悪かったッス」
ちなみに両親などはそれを笑顔でゴーサイン出したりと、やはり可笑しいジルオーズ家であった。
「ユ、ユユユ……!?」
「わっ、なんか壊れた感じになっちゃったッスけど大丈夫なんスか、この人」
「分かるなぁ、自分の理解出来ない感じの人種に会うとこうなるよな。うんうん」
「懐かしんでる場合じゃないと思うッスよ!? なんか恐いくらいの魔力が!?」
固く握り締められたセイレーシアンの左拳。グルグル目でキッと睨みつけ、構わずその手でユクレステ達へと振った。
「ユクレのバカー!?」
空気を殴りつけるように拳を振るい、その瞬間に凄まじい炸裂音が轟く。咄嗟に後ろに下がったシャシャとユクレステ。その視線の先には第ニ撃を放とうとしているセイレーシアンが映った。
「あー分かる分かる。混乱極まると取りあえず魔力暴発させるよな。俺も良くやったなー」
「だからユー兄さん!? もしかしてユー兄さんも混乱してるんじゃないッスか!?」
「まさか、この俺を混乱状態にさせたきゃシャロン二十人連れて来いってなもんですよ?」
「あ、これダメッス。見事に混乱中ッスね。シャシャ、そんなに変な事言ったッスかね?」
セイレーシアンの拳が迫る中、爽やかな笑顔のユクレステを即座に見捨ててシャシャは再度後方にバックステップ。
瞬間、炸裂。ユクレステが高く空へと舞い上がった。
「え、えと……これは一体、どういう事でしょうか?」
ミュウが辿り着いた時、校庭には穴が無数に穿たれ、それを直す様にスコップを片手に走り回るユクレステと、地面に正座して涙目の二人の少女がいた。どちらも服はボロボロで、頭には大きなタンコブが出来ている。その彼女達の前に、一人の女性が怒り顔で立っていた。
「あっ、ミュウも来たんだ」
「ご主人さま……はい、荷物をお屋敷に置いてから来たので皆さんより遅れてしまって。……あの、これは一体……」
近くに寄って来たユクレステへと質問すると、彼はあー、と困ったような表情を浮かべて呟いた。
「簡単に言っちゃうと……セレシアが混乱してシャシャの血が騒いで大激突した挙句リューナの鉄拳制裁って感じ」
「え、えと……」
良く分からなかった。そうだよなぁと頷き、ユクレステは詳しい説明を開始した。
「シャシャ、だったわね? 私と勝負するわよ!!」
「はっ?」
ユクレステがセイレーシアンの一撃から意識を取り戻すと、そこにはそんな事をのたまう嫁がいた。
気を失っていた時間は数秒で済んだのか、事態は先ほどとあまり変わっていない。
どこから持ち出したのか剣をシャシャに突き付けたセイレーシアン。そして、そんな彼女に対して――
「えっ? いいんスか!?」
シャシャはウキウキとした楽しそうに食い付いていた。
元々、シャシャ・フォア・ジルオーズとはそういう子だ。強者と戦うのが好きで好きで堪らない、いわゆる戦闘狂。あのディーラやウォルフと同じ人種の人間なのだ。
そんな彼女も、ユクレステと旅をしてその凶暴性は少しばかり大人しくなった。無闇矢鱈と刀を振り回さず、ちゃんと合意の上で襲い掛かる。……果たしてそれで大人しいと言えるのかは不明だが、初めて会った時に比べれば随分とマシになった方だろう。なにせ、彼女との初遭遇で一番最初に見えたのが刃の切っ先だったのだから、それと比べれば。
そんな彼女が、セイレーシアンと言う強者を前に我慢していたのには理由があった。
一つは、ここがダーゲシュテンで、ユクレステの故郷だと言う事。これから暮らしていくかもしれない場所で厄介事を起こさないようにと考えたのだろう。
そしてもう一つは、セイレーシアンがユクレステの正妻(予定)だからだ。シャシャは少し歪な教育をなされてきたため、妾である自分は正妻であるセイレーシアンを前に波風を立てるなと彼女の母から口を酸っぱくして言われて来たのだ。そのため、今にも刀を抜きたい衝動を必死に抑えていた。
それが、向こうから剣を抜けと言って来たのだ。
「いやー、初めて会った時からずっとやりたいと思ってたんスよー。流石はユー兄さんの奥さんッスね。豪気さが素敵ッス!」
今までうずうずとしていた心を解放し、シャシャは特別良い笑顔で刀を引き抜いた。
瞬間――一歩。
「――刺激!」
「っ!?」
神速の突きを反射的に弾き、セイレーシアンは薙ぐようにして剣を振った。それに対応するべくシャシャは体を傾け、斬り上げる。
「剣気一刀――二刃!」
「っ、なめるなっ!! 剣気――地零崩!」
二度の白刃を一度の剛剣で吹き飛ばす。距離を取る様に後ろに下がったシャシャは、それでも勢いが殺せずに地面に手をついて止まった。
「おおっ! 思った通り強いッス! 楽しくなってきたッス!」
キラキラと輝く笑顔に対してセイレーシアンの表情は暗い。なにを考えているのかと言えば――。
(な、なんでこんな事になっているの……!?)
いやまあ、言い出したのは確かにセイレーシアンだ。だが、その時の彼女は少々混乱していた。まさか本当に斬り合いに発展するとは思わなかったのだ。それにあの表情。戦う事が楽しくて仕方が無いといった様子である。セイレーシアンは呆れたように呟いた。
「まったく、戦闘狂はこれだから……」
「や、一応言っとくけどセレシアも大概だぞ?」
聞こえない聞こえない。例えセイレーシアンが口より先に手が出るとは言ってもあそこまで戦うのを楽しんでいる訳ではないのだ。だからこそ、ディーラのなにかを求める視線にだって今日まで無視を決め込んでいた。
「と、とにかくシャシャ? 私は別に……」
「分かってるッスよ」
「あ、そう?」
ニコリと微笑み頷くシャシャを見て、意外に話が分かるではないか――
「妾になるには力を見せろ、そう言う事ッスよね?」
「あ、ダメね。これはもうなに言ってもダメなパターンだわ」
――そう思った自分は悪くない。セイレーシアンは脱力しながら自己弁護。
ユクレステを見れば、諦めろと視線が語っている。きっと彼も似たような状況に陥った事があるのではないだろうか。あくまでセイレーシアンの想像でしかないが。
「……仕方ないわね。言っておくけど、手加減はしないわよ?」
「上等ッス!」
正確には出来ない、だが。彼女の剣捌きを一度見て、年齢に会わないその実力に舌を巻いた。剣に関してだけならば、セイレーシアンと同等、もしくは上だ。そんな相手を前に、手を抜いて戦うなどあり得ない。
全力で来るのならば全力で以て相手をする。それが、セイレーシアンだ。スッと構えられた剣にシャシャがニヤリと凶暴な笑みを覗かせ、刀を隠す様に構えて腰を落とした。
「……行くわよ?」
「――ッ!」
セイレーシアンが動き、それに合わせてシャシャが踏み込んだ。溜めた力を解き放つように、シャシャは刀を振り抜く。
「剣気一刀――列空!」
斬激が飛ぶ。それを見越したように、セイレーシアンは左手に魔力を通わせ装甲魔法を纏った。淡く光る左手を差し出し、飛ぶ斬激を弾く。そして一歩を踏み出した。
「ハァ!!」
「――おもっ!?」
片手で振るわれた長剣、それでも小柄なシャシャでは彼女の一撃をまともに受けるのも難しい。
「女性に重たいとは、ちょっと躾がなってないんじゃないかしら?」
「それは申し訳ないッス。うちはちょっとばかり躾には難ありッスから――ねっ!!」
返すように刀を振るい、それをセイレーシアンは僅かに体をズらすだけで避けていく。
「剣ばかりに集中してる所悪いけど、こっちも試してはどうかしら? ガン・ファイア!」
左の人差し指をシャシャへと向け、バスケットボール大の火の玉が射出される。一瞬目を見開くが、すぐに呼吸を整え火球に向けて刀で薙いだ。
「へぇ」
「……霊斬り。咄嗟にだったけど出来て良かったッス」
火の玉を切り裂き、冷や汗を流しながらのシャシャに向けて素直に感嘆の吐息を漏らした。
魔法を斬る妙技があると言う事は聞いてはいたが、それを直に見たのは初めてだった。神経を集中させなければ出来ないはずの技を、あの一瞬で繰り出したのは驚嘆に値する。
ならば、これはどうか。
「次行くわよ? 破砕!」
「そんなの――ヘブッ!?」
再度魔法を斬ろうと刀を振るがそれより早く衝撃がシャシャを襲った。顔を押さえ、涙目になっている彼女に向けてセイレーシアンはさらに放つ。
「破砕、破砕、破砕!」
「ちょちょちょ、ちょっと待つッスー!?」
いかに魔法を斬ろうとも、破砕は空気の振動でしかないのだ。魔力が発動するのは空気を揺らすほんの一瞬。加えて言えば、不可視のものでしかない魔力を寸分違わずに斬るなど人間に出来るものではない。
空気が弾ける炸裂音が校庭に響き渡り、そろそろ終わらせようと剣を握る手に力を込める。これで最後だと左手の魔力を放った。
「破砕!」
一足でシャシャへと近寄り、至近距離からの破砕。
「――ここッス!」
それを薙ぐようにして切り裂いた。
「ウソ……」
細かく動かした刀の刃が空気を揺らす直前の魔力を断ち切り、緩やかな風が起こる。驚きながらも剣を一閃し、シャシャを弾き飛ばした。
「……貴女、本当に人間?」
「おおぅ? なんかヒドイ言われようッス! シャシャは完全無欠に普通の人間に決まってるッス!」
いやぁどうだろう、とは遠くで見ていたユクレステの反応である。不可視の、それもほんの一瞬の小さな点に寸分のズレもなく斬りつける事が出来るなんて、普通の人間では出来ないのではないだろうか。
そうは言っても、シャシャにだって言い分はあるのだ。
「いやぁ、あれだけ近寄ってもらえれば割と分かると思うッスよ?」
「貴女ねぇ……」
果たしてそれだけで瞬時に対応出来る者がどれだけいることか。それなりの修練を積めばセイレーシアンでも出来るだろう。だが、少し前に見たものにいきなり対応出来るかと言われれば無理だと首を振る。それだけの事をしてのけたにも関わらず、この少女は飄々とした態度でいるのだ。
「……ふぅん」
剣を持つ手に力が入る。セイレーシアンの瞳が僅かに変化した。
――少し、面白くなってきた。
「いいわ。今度は本気で相手をして……あげ……る……」
やる気が出たと思った瞬間、一気にそれは萎んで行く。原因は、
「およ? どうかしたッスか?」
「…………」
「へ? 後ろッスか? あ……」
「随分と楽しそうじゃのう、そこの二人共?」
間違いなく、怒りの笑顔を湛えたリューナ先生。
「先ほどからドンパチと……お主らはあれかや? そんなに儂の授業を邪魔したいのかの?」
「え、や、あのその……」
「リュ、リューナさん? いえ、違うの。私は別に授業妨害なんて……」
ゴゴゴ、と地鳴りと共にリューナの背後に燃えあがるような魔力が溢れている。ヘビに睨まれたカエルのように、セイレーシアン達は恐怖で動けない。
「くはは、気にせんでよいとも。そうじゃな、看取り稽古も必要じゃろうし、ここは儂が相手をしてやろうではないか」
「リューナさん今ニュアンスが可笑しかったですよ? それだと私たち死にますよね?」
「あのー、この人って強いんスか?」
「見れば分かるでしょ!?」
コソコソと会話を交わす二人を良しと見たのか、リューナは右腕を持ち上げ、ゴキリと骨を鳴らす。
そして――
「さぁて……二人纏めて、かかって来ると良い」
蹂躙が始まった。
「と、まあそんな事があってな」
スコップで空いた穴を埋めていくユクレステ。この校庭に空いた無数の穴。実質これを作り上げたのはリューナ一人である。他二人は必死に逃げ回っていた。
「そ、そうなんですか……」
ユクレステの手伝いをしながら呆れたような笑みを作るミュウ。やっぱり、と呟いている事から、なんとなく察していたのだろう。
のんびりと穴を埋めていく二人はチラリとリューナ達へと視線を向けた。
「まったく、お主らはもう少し慎みと言うものを持たぬか。妾だ正妻だの言っている前に己を高める努力をせんか」
「はい……」
「ご尤もッス……」
地面の上に正座をしてうな垂れる二人の少女。頭から怒鳴りつけるリューナの言葉にしゅんとしている。
「ふむ、そうじゃな」
そしてなにを思いついたのかリューナがポンと手を合わせ、憔悴している二人に言った。
「良し、今日よりお主らは儂とシュミアで鍛えてやろう。戦闘から炊事洗濯。まあ、言ってみれば花嫁修業じゃな」
『えっ――!?』
「覚悟するのじゃぞ? 生半可な修行で済ませるつもりは毛頭ないのでな。なぁに、昔ゆーがやってた修行程度じゃ、かるいかるい」
それはきっと軽くない。顔を青くして震えているユクレステを見て直感した二人の少女は、必死に首を横に振った。
「い、いやいや、リューナさん別に私花嫁修行とか……ほ、ほら私お仕事もあるし……」
「シャシャも! シャシャもちょっと観光に来ただけッスから! ホントすぐに帰るッスから!?」
「くく、なに、一カ月もあれば十分じゃ。そう遠慮せんで良い。さて、そうと決まればまずはシュミアに報告せんとな。ゆー、後の授業は任せたぞ?」
心なしかウキウキとした様子のリューナ。恐らく、気兼ねなく鍛え上げられる人材に出会って彼女としても嬉しいのだろう。
ガッシリと二人の首根っこを掴まえて引きずって行く姿を見ると、売られて行く子牛を想起させる。
「強く生きろよ、二人とも」
「え、えと……ご愁傷様、です」
「……ミュウ、それだれに習ったんだ?」
「リューナさんです」
合掌しているミュウに合わせ、ユクレステも同じように手を合わせる。遠くでは、二人の美少女の叫び声が聞こえていた。
『いぃーやぁー!!』
本物の龍には勝てなかったようです。