次の目的地は?
二人と人魚は武器屋を後にし、兵士詰め所に向かっていた。迷いの森のアジトを見つけたことをアストンに報告した所、後ほど謝礼が貰えるということなので訪ねることにしたのだ。
ちなみに現在、ミュウの大剣は革の鞘に入れ、剣を斜めにしてベルトを通し、リュックのように背負っている。街行く人々はその異様な光景にギョッと目を丸くさせていた。そんな大剣を背負いながらも、全くと言っていいほどに疲れを見せないミュウはなぜ人々の視線がこちらに向いているのか分からず、恥ずかしそうに顔を伏せてユクレステの後を追っていた。
「ミュウ、大丈夫? 重くない?」
「えっと、大丈夫、です……」
買っておいてなんだが、ユクレステも思わず聞いてしまうほどにその光景は異様だった。まあいずれ慣れるだろうと結論付け、ようやくたどり着いた兵士詰め所を視界に入れた。
「ちょっとアンタ! まだしらばっくれるってのかい!?」
「ひぃ!? ち、違うんだ! ほ、本当に失くしてなんてなくて……」
「あっ? だったらなんだい! ギルドにクエストを出してたあの姿は見間違いだとでも言うんかい!?」
「な、なんで知って……ハッ!?」
「やっぱりそうなじゃないかい! このダメ亭主がー!」
「ご、ごめんなさガッハァ!?」
苦悶の声を上げ大柄なアストンが軽々と宙に浮いた。それを行ったのはキツそうな顔の女性で、腰の入ったパンチを繰り出していた。
「アンタ、今日の晩飯はなしだからね!?」
そう言ってアストンに向かって唾を吐き、肩を怒らせて去って行った。突然の猛攻に唖然としている中、殴られた男は苦しそうに起き上がる。
「いたたた……」
「だ、大丈夫ですか?」
「お? お、おお、君か。いや、お恥ずかしいところを見られてしまったな」
照れたように笑いながらユクレステへと顔を上げ、服についた砂を払った。
「どうかしたんですか? あの人、なんかすごく怒ってましたけど」
「いや、大したことじゃないんだ。ただ結婚指輪を失くしてしまったことがバレてな。折檻されただけだから」
「はぁ、それはなんとも……ご愁傷さまです」
話の内容から結婚指輪とは以前ユクレステが受けたクエストで拾ったあれのことだと推測できる。結局バレてしまい、なんとも重たいお仕置きを受けてしまったようだ。若干同情するような瞳になってしまった。
そんなことよりと気を入れ直し、わざわざここまで来た理由を切り出した。
「今日は謝礼が貰えるとかで寄らせて頂きました。なんでも、金一封貰えるとか?」
「そうそう、そうだったな。と言っても、大した額じゃあなくて悪いけど」
小さな布袋に入った金を見せ、ほら、と放り投げる。それをキャッチし、重さから中身を推測する。チャリンチャリンと金のぶつかり合う音が聞こえ、大銀貨五枚程度だろうか。
大銀貨は一枚で一万エルなため、大体五万エル前後の謝礼となる。まあ、アジトを報告したというだけなので大体このくらいが精々だろう。盗賊たちと戦闘をしたなんて言ってもその証拠(盗賊の捕獲)がないため、これ以上の増額は見込めない。
しかしユクレステは盗賊たちの残した品物を貰い、既にその十数倍の儲けを得ているため、特に文句を言うようなことはしない。
「ありがとうございます」
「ああ、どう致しまして。こっちこそ盗賊共のアジト発見お疲れさん。おかげで盗賊村も大人しくなるだろう」
「あー、そうだといいですね」
あの盗賊たちがどこに逃げたかは分からないが、ゼリアリス国からは既に逃亡したとみていいだろう。元締めであった盗賊がいなくなったことにより、盗賊村で荷物を全て盗まれたユクレステのような人は減ることだろう。
当時を思い出し、顔を引きつらせて笑った。
「そう言えばそこのお嬢ちゃん、お仲間か?」
チラ、とユクレステの側に控えるミュウを盗み見て、一滴の汗を流す。彼女が背負った大剣にも目が引かれているのだろう。
「はい。新しい旅の仲間ですよ」
「ミュウ、です……よろしくお願いします」
「あ、ああ。よろしくな」
ペコリと頭を下げるミュウ。どデカイ剣が露わになり、アストンさんの笑みがさらに引きつった。
買い物と用事を終え、ユクレステたちは宿泊中の宿、猫の尻尾亭へと戻ってきていた。食事は部屋で取ることにし、ミュウとマリンは現在入浴中だ。
『よーし、ミュウちゃんの背中は私が洗ったげるねー』
『あ、あの……お願い、します……』
そんなすぐ近くで嬉し恥ずかしイベントが起こっている中、ユクレステは一人寂しく机に地図を広げて思考していた。顔が若干赤いのは、少し前に入浴を終えたばかりであって、風呂場に響くガールズトークに気恥ずかしさを覚えているわけではない。……恐らく。
「……えっと、次の目的地はどうするかなー」
一人空しく声を出し、地図に指をあてがった。
世界の中央に位置する大陸、セントルイナ。現在彼らがいるのは、その大陸の中で南方に位置する森林地帯だ。そして次なる目的地は、既にいくつかの候補があった。
「さ、て。どうするべきか」
ここでユクレステの目的を確認しよう。彼の望みは聖霊使いになること。しかし現在、その伝説の存在になるためにどうすればいいか、と言う方法は謎に包まれている。そもそもが聖霊使いが存在していたのは数百年前、具体的には三百~四百年もの昔の話。それを知る者は極僅かなのだ。
では、どうするのか。
「目指すべき場所は、書の都、リライラ。もしくは王都ルイーナ。そして、ダーゲシュテン。このどれかだな」
ユクレステはペンを取り出し、今言った地名を円で囲んで行く。大陸北西の山脈地帯のリライラ、大陸中央の平原地帯にあるルイーナ。そして、大陸南東に位置する、港の街ダーゲシュテン。今いる場所が大体大陸の南西のため、一番の近場はダーゲシュテンだろうか。中央のルイーナも近目だ。
「……そうだよなー。まだ学園卒業してから一回も帰ってないからな。一度帰省しといた方がいいよなー」
ぶつぶつと呟くユクレステの言葉で分かるかもしれないが、ダーゲシュテンは彼の生家がある場所なのだ。一応彼は貴族であり、ダーゲシュテン領の領主の息子。そう、貴族の家の子である。
……まあ、貴族という単語の前に貧乏という言葉がつくのだが。
「一応その前にルイーナに行っておくか。『アレ』が借りられるかもしれないし」
そう言って服の内側から一冊の手帳を取り出した。中にはユクレステの字でびっしりと文字が描かれており、よくよく見れば大陸で使われている字とは違うのが分かる。
聖霊言語。かつて、聖霊使いが使用したという暗号の一種だ。これに書かれているのは、ユクレステの実家、ダーゲシュテン家で見つかったメモ帳の中身を書き写したものだった。そのメモ帳は『聖霊使いの手記』と呼ばれ、世界のあちこちに保存されているらしい。
今の彼の目的は、この聖霊使いの手記を探すことにあった。先ほど述べた三つの街には、手記があることが確認されている。ダーゲシュテンは後回しとしても、是非ともルイーナ、リライラには足を運びたい。
「…………」
ジッと地図を見つめ、思考を働かせる。と、そこへ扉をノックする音が聞こえてきた。
「お客様? お食事の方をお持ち致しました」
「あ、はーい。今開けます」
机に広げていた地図を片づけ、ドアを開けて招き入れる。香ばしい匂いの食事が運ばれ、すぐに机の上は一杯になった。
「それでは、また後ほど」
「はい、ご苦労様です」
宿の女将さんが出て行ったのを確認し、ユクレステは風呂場に向かって声をかけた。
一人で旅をしている訳ではないのだ。ゆっくりとご飯でも食べながら、仲間たちと一緒に行き先を決めるとしよう。
そう考えながら。
「二人共、もう飯だからさっさと上がって来いよー」
『はーい』
『わ、わかりました……』
人魚族は元々食事を必要としない種族だ。彼らは大気中に満ちる魔力の源、魔素を取りこみ、生命活動の原動力としている。そのため、わざわざ食事というものを取らずとも生活を営めるのだ。
言ってしまえば、食事を取るような人魚族は変わり者という訳である。
「んまっ! この食べ物すっごい美味しい! これなんて食べ物なの!?」
「えーっと、確か猫飯、だったかな。それってそんなに美味しいのか?」
「うん! おいっすぃよ! マスターも食べる? はいあーん」
スプーンをユクレステへと向け、早く早くと突き出す。苦笑しながらそれにパクリと食いつき、ゆっくりと咀嚼する。
米の甘い味と、魚の乾物の味が見事に合わさって絶妙なハーモニーを奏でている。
「おおっ、美味いなこれ!」
「でしょ? うーん、これは凄いなー。魚ってこんな食べられ方もあったんだね」
笑いながらパクついている半分魚の少女。ユクレステは気にせず肉のサラダを摘んでいる。この程度ではツッコミは入らないらしい。
ミュウはコップに入ったオレンジジュースをコクコクと飲み干し、イモとナンデーの煮物を食べている。
「ミュウ、それ美味しいか?」
「あ、はい。おイモは、昔里でよく食べてて……なんだか懐かしいなって」
「そっか。少し貰っていいか?」
「はい。どうぞ……」
イモをスプーンに乗せ、先ほどマリンがやって見せたようにユクレステへと突き出す。気にせずパクリと一口で口に含み、ゴックンと飲み込んだ。
「うん、美味いな、これ」
「あ……はい!」
こうして三人で食事を取るのは、実は初めてだったりする。盗賊たちのアジトの検分のためについて行ったり、剣の注文や杖の修繕などのために街に出ていたユクレステとは違い、ミュウはずっと宿の部屋で過ごしていた。一応マリンもいたが、ユクレステが帰って来るのが遅かったり、兵士たちに連れられて食事を済ませたりで中々一緒の食卓に着くことが出来なかったのだ。
「おおっ! マスターマスター! これこのスープ入れるともっと美味しくなったよ! ほら!」
「ちょっ! こぼれてる、こぼれてるから! ってギャー! 目にスープがぁああああ!」
「……ふふ」
少し騒がしいが、ミュウに取って初めての光景に、自然と笑みが零れていた。
食事も一段落し、デザートが運ばれて来た。フルーツの盛り合わせと、ケーキが数種類。宿の女将が出て行ったのを確認し、アクアマリンの宝石からマリンが現れた。
「うっはー、美味しそー! 私って甘いもの大好きなんだよねー。あ、ミュウちゃんどれがいい? 私としてはこのイチゴの奴がオススメ」
「あ、じゃあ、それをお願いします……」
「オッケー」
女の子たちのやり取りを見ながら、ユクレステは地図を取り出していた。ケーキを端に寄せ、フルーツの盛った皿を空いている椅子へと移動する。
「さて、食べながらでいいので聞いてください」
自分もイチゴをポイと自分の口に放り、飲み込むと説明を開始した。
「――と言う訳で、まずはルイーナに行こうと思う。いいかな?」
「私は構わないよ。どこだろうと、マスターに付いて行くことに変わらないし」
「わ、私も……いい、です」
デザートがすっかり無くなる頃、目的と次に目指す場所を二人に告げ、ユクレステは次なる目的地を決定した。
結局ルイーナを目指すことに決め、地図に色々と書き込んでいる。
「んで、まずはルイーナへの寄り合い馬車が出てるコルオネイラに行きます。そこから馬車に乗ってルイーナまで一本だから、歩きで向かうよりは早いだろうな」
「コルオネイラ……ああ、闘技の街だっけ。そだね、馬車があるなら、それが一番いいかもね」
コルオネイラはゼリアリスの街の東に位置する街だ。ゼリアリス国の中でも大きな街で、一番の目玉は大きな闘技場、コロッセオの存在だ。年に数度、闘技大会が開かれ、腕に自信のある者たちが力を競い合っている。
同時に、各地方への寄り合い馬車の停留所でもあり、それを旅人たちはそれを目当てにやって来る。
「まあ、徒歩で二、三日は歩くことになるかもしれないけど。ミュウは大丈夫か?」
「は、はい。歩くのは、その……得意、ですから」
体力には自信あり、と頷くミュウ。確かにあの大剣を担げる力もあるし、体力の方も相当あるのだろう。
よし、と一つ頷き、
「次の目的地は闘技の街コルオネイラ! ガンバって行くぞー!」
「おー!」
「お、おー?」
拳を上に付き上げるのだった。
就寝時。マリンはアクアマリンの中に自分だけのスペースがあるため関係ないが、ユクレステとミュウには寝床が必要である。今まではユクレステが床に寝たり、そもそも帰って来なかったりしたのでミュウがベッドで寝ていたのだが、流石に旅立つ前日に自分の主を床に寝かせる訳にはいかない。わたしに構わず柔らかな寝床を使ってくれ。野宿は日常茶飯事だったので、床で寝ることに抵抗はないから。と、ベッドを進める彼に、怯えながらも一生懸命にそう伝えた。だからと言って、パッと見で子供のようなミュウを固い床に寝かせるという選択肢は彼にはない。どうしたものかと逡巡している中で、とある人魚が天啓を授けた。
――汝ら、もう一緒に寝ちゃえよ
と。
「ぁぅぁぅ……」
そんな訳で現在ユクレステ君。一つのベッドで女の子と一緒に寝所を共にしています。
元々割高な宿の一室。ベッド自体は一つだが、わりかし広いベッドのおかげで二人で寝てもまだ余裕はあった。
こういった事に慣れていないミュウは、顔を真っ赤にしてユクレステの反対側を向いている。
「枕ないけど平気か?」
あまり恥ずかしがった様子のないユクレステは心配そうにミュウの顔を覗き込む。一瞬顔をそちらに向け、視線が合ってしまったのかパッと顔を伏せてしまった。
「へ、平気、でぅ……」
噛んでしまった。尻すぼみになる言葉が僅かな明かりに照らされた部屋に消えて行く。
こんなことを提案した当のマリンは、既に欠伸をしながら宝石へと戻って行った。今頃ぷかぷか浮いて眠っていることだろう。
「んじゃ、明かり消すぞー」
「ひゃぃ……」
灯りを落とし、部屋内が真っ暗闇に包まれる。ベッドが僅かに軋み、ミュウの隣にユクレステが横になった。
「じゃ、お休みー」
「……!」
少し離れた場所にいるはずなのに、ピッタリと寄り添っているような感覚にミュウは顔を赤く染めている。ギュッと目をつむり、早く寝てしまおうと頑張っていた。
カチコチと時計の針の音が煩く思えてしまう。横になって数十分は経っているのだが、中々睡魔がやってこない。仕方なくミュウは一度仰向けになり、目を開いた。
暗い部屋に変わりはなく、しばらくして暗い場所に目が慣れたのか、ぼんやりと輪郭が見えてきた。
「…………」
横を向き、ユクレステが寝ているのを確認すると、ふぅ、と小さく息を吐いた。
ドキドキと高鳴った心臓を落ちつけ、目を閉じながらこの数日のことを振り返る。
人間に捨てられて、絶望して、あの湖で一人きりになってしまった。拒絶して、もうだれも信じられないとさえ思った。けれど、そんなことは関係ないとばかりに二人の人物に手を差し伸ばされ、半ば強引に心の底から連れ出された。それが嫌だった訳ではない。むしろ彼らの気持ちに触れて、彼らの思いを感じて、自分を必要としてもらえてとても嬉しかったのだ。きっとそれは、今まで生きてきて初めての気持ちだったのかもしれない。
チラリと彼の横顔を眺めた。明るい色の髪が暗い中でも分かる。規則正しく上下する彼の胸元が動くたびに、ドキリと胸をなにかが打つ。
「……」
きっとそれは、初めてのことだからだと思う。厳しく叱咤され、切り捨てられることしかなかった彼女の生の中で、優しくされ、必要だと言われたのは初めてのことだった。
だから、きっとそれは優しくされたことへの不安だったのだろう。
「……ご主人さま」
捨てられたくない、必要ないなんて、思われたくない。優しくされたからこそ得られたその感情を、ミュウは苦しみながらも肯定した。
「わたしは、一緒にいても……いいのでしょうか?」
答えはない。意識はここにはないのだろう。
だから、もう一言だけ。
「ご主人さま……」
ユクレステの横顔を見て、心の不安を吐き出すように口にする。小さな声は闇に溶け、消えて行った。
「ん……ミュウ? どうかしたのか?」
だが消え去る寸前、ユクレステがその言葉を拾い上げた。
「え、あ、その……申し訳、ありません」
どうやら起こしてしまったらしい。ミュウは慌てて反対を向き、顔を伏せてしまった。
「ん、んー?」
頭が働いていないユクレステは、ボーっとしながら離れた彼女を抱き寄せた。腕をミュウの頭の下に滑り込ませ、枕にする。
「ご主人……さま?」
「寝る時は枕が必要だからなー。ぐう」
そう言って再度沈黙した。
どうしたものかと思案し、腰に手を回されているため無理に抜け出せば、今度こそ起こしてしまうだろう。ミュウは諦めてユクレステの腕に顔を埋めてみた。
「あ……」
気持ちがいい。
枕代わりの彼の腕は、ミュウにとって丁度良かった。先ほどまで緊張で眠れなかった彼女に、今は睡魔が訪れている。それを不快に思わず、流されるように目を閉じた。
「……ん」
深く深く意識が沈んで行った。耳には主の寝息と、優しい鼓動。そして自分の胸の音は、驚くほど穏やかなものだった。
やがて夜の闇が広がる一室に、緩やかな沈黙が訪れた。