鍵を導く者
その日、小さな街に大きな影が差しかかった。雲でも流れたのかと思って空を見上げれば、そこには雲一つない空が晴れ渡っている。人々は気のせいかと視線を戻し、元の生活に戻って行く。しかし、彼等の目は間違っていなかった。その日、その街から遠く離れたアーリッシュ城において、魂持たぬ巨人が目を覚ましていたのだ。
ゼリアリス国から帰還したユリトエスは、動き回る機械人形達を眺めながら玉座の間へとやってきた。
入るなり憎悪の感情を視線が向けられる。それを放つ一人の老騎士を視界に止め、ユリトエスはニコニコと微笑みながら声をかけた。
「やあエイゼン、昨日振り。元気してた?」
「黙れ痴れ者が!」
「うわっ、こわ~」
悪意に満ちた罵声にもカラカラと笑って答え、エイゼンから視線を外す。そして向けられた先には、普段と変わらず透明な笑みを見せているレイサスがいた。
「やあ、ユリトエス王子。いや、国王陛下と呼べば良いのかな?」
「レイサス様! こ奴にそのような……」
エイゼンは縛られているため目と言葉でしか反撃出来ないでいる。対してレイサスはなんの拘束もされていないが、脱力仕切っており抵抗しようともしない。ユリトエスはつまらなそうにその様子を眺め、口を開いた。
「あれから本当に動いてなかったんですね、レイサス様。どうせエイゼンから色々唆されただろうに」
「そうだね。君を殺すためになんとかしろと言われたよ」
「レイサス様!?」
「あはは、大丈夫だよエイゼン。そんな事で君を殺すような真似はしないよ。仮にもマイリが今日まで世話になっていた人だからね」
ただし、と視線をレイサスへと向ける。やはり無気力な表情。それが無性に癪に障った。
「レイサス様は後で絶対に殺しますから。覚悟しておいて下さいね?」
「やれやれ……出来れば楽に殺して欲しいものだよ」
レイサスの表情は、諦め。それは、ユリトエスに敗北した時から変化がなかった。
始まりは、昨日の出来事だった。
レイサスにより監禁され数日。外ではゼリアリスとルイーナの戦争が本格的に始動している頃だろう。
「あー、暇だー。監禁するならもっとこうさー、娯楽が欲しいんですけど」
そんな最中でも、ユリトエスは普段と変わらない時間を過ごしていた。若干暇ではあるが、基本的に怠け者である彼にとってこの状況に大きな不満はないようだ。
ベッドで横になりながら本を開き、大きく欠伸をした。
「ユリトエス王子、レイサス様がお呼びです。すぐにご準備を」
そこへ老人のしゃがれた声が聞こえて来る。扉越しにでも分かる彼の声を聞き、だらけながら声を上げた。
「面倒だなー。エイゼンが代わりに行って来てよ」
「王子!」
「はいはーい、分かってますって。行けば良いんでしょ、行けば」
かったるそうに呟き、最低限の身だしなみを整えてドアを開く。扉の前に立っていた老騎士を視界に収め、へらへらとした笑みを浮かべた。
「そんじゃ行こっか」
「王子、せめて髪くらい整えてから来て下さい。……まったく、マイリエル姫ならば……」
「いやいや、女の子のやたら長いお化粧と一緒にしないでよ」
ぶつぶつと呟くエイゼンに苦笑を向けながら、ユリトエスは言い訳がましく言葉を残す。
「仕方ありませんな。王子、少しお待ちを」
そう言ってエイゼンは櫛を取り出し、ユリトエスの髪をとかし始めた。抵抗しようにも思いのほかガッシリと押さえつけれているようで、諦めてされるがままにされた。
そう言えば、彼にも言う事があったのだと思い至る。
「エイゼン、今までご苦労様」
「なんの話ですかな?」
分かっていない老騎士の表情に苦笑し、ユリトエスは囁くように告げた。
「なにって、ほら。今まで余を必死に暗殺しようとガンバってたでしょ? それ」
当然のように言ってのけられた言葉に、絶句し怯えた目を向ける。
そんな恐がらなくても、とは思うのだ。どの道今は籠の鳥であり、さらに言えば武力と言うものを持たないユリトエスだ。名誉騎士とまで呼ばれるエイゼンには、逆立ちしたって勝てる道理はない。
それはエイゼンにも分かっているのだが、どうにも気圧されている気がしてならない。気味の悪い感覚に身を震わせ、ゴクリと唾を呑む。
「い、一体……」
「懐かしいね。初めて襲われた時はホントに恐かったものだよ。君が余の後ろに立つ度にゾクリと寒気がした。……今ではそんな事もないけどね」
櫛を動かす手が止まり、ユリトエスは鬱陶しそうに払いのけて一歩前に出る。クルリとエイゼンへと向き直り見ほれるような笑みを見せた。
「さあ、行こうか。これ以上レイサス様を待たせる訳にはいかないからね」
「……はっ」
恐ろしい。そう再認識せざるを得なかった。マイリエルとはまた違った底知れなさを持つ少年。初めて会った時から、彼はエイゼンの心に暗い影を落としていた。ほぼ勘のようなものではあったが、直感したのだ。彼を生かしておいてはゼリアリスに不利益となると。
だからエイゼンは、これまでに何度もユリトエスに刺客を送っていた。
「……ベリゼルス王よ、あの王子は今すぐにでも殺しておくべきではないのですか?」
疑問に溢れ、既に自分の中では決まりきった問いを続けるのだった。
玉座の間に連れられて来たユリトエスを出迎えたのは、過剰過ぎるだろうと思えるほどの戦力だった。
アーリッシュ国の各部隊の隊長達に、英雄とまで謳われた元宮廷魔導士、シムイ・デイワーカー他三名が濁った瞳で控えている。
その全てから睨みを利かされ、若干気圧される。
そして、玉座からこちらを眺める、アーリッシュ国の王。レイサス・エア・アーリッシュ。
「やあレイサス様、余を呼んでるみたいだけどどうし──わっ!?」
気軽に話しかけ、即座に四方から槍が突きつけられる。
「お、おぉぅ……」
ギラリと鈍く輝く穂先ん、顔が青く染まる。
その間もレイサスは変わらぬ笑みで微笑んでいた。
「すまないね、ユリトエス。彼らは私のことになると少し過剰になってしまってね。全員、武器を下げるんだ」
「そ、それでも、しまえじゃないんですね……」
「なにせ臆病者でね。こうでもしていないと心の平穏なんてとてもとても……まあ、世間話はこのくらいにしておこうか。早く本題へ移さないと、怒られてしまうからね」
見惚れる程の微笑みに、どこからかため息まで流れる始末。なんとなく面白くないユリトエスである。
「で、余になんの用なのさ。余だって暇じゃないんだけどなー」
どの口がそう言うのかと。
気にした風もなくレイサスはあるものを取り出した。それを視界に入れ、ユリトエスはピクリと反応する。
「君なら分かると思うけど、鍵だ。ジルオーズの持っていた、オメガ・キー。ちょっと予定とは違ったけど、回収には成功したよ」
「予定と違うって?」
質問にやれやれと肩を竦めるレイサス。次の言葉を聞いて、思わずユリトエスは吹き出してしまった。
「どうも、旅の魔法使いにデルタ・キーを奪われてしまったみたいでね。しかもライゼス達四人が意識を取り戻して、試作型の超重量級征戦車、ギーゴイルが偶々居合わせた悪魔族に破壊されてしまったようだ」
「ぶっ!?」
断片的な情報だけですぐに分かった。
(悪魔族って絶対ディーラちゃんだろ! って言うかユッキーなにやってんのさ!? どうせライゼスってのもユッキー達がなにかやったんだろうなー)
「どうしたんだい? そんなにニヤニヤして」
「んー、なんでもないよ。君らの失敗が面白いだけさ」
誤魔化しながら笑い、相変わらずな一行に思いを馳せる。
刺客をジルオーズに向かわせたと聞いた時点で、どうせ巻き込まれるだろうとは思っていたが、想像以上に渦中にいたらしい。その場にいられなかったのを残念に思いながら、スッキリした表情で顔を上げた。
「うん、つまりあれでしょ? それが本当に本物か、調べて欲しいんだ?」
「その通りなんだけど……なんだか気持ち悪いな」
ひどい言われようだ、とは思ったが、ニヤニヤとした笑みを見せていればその評価も当然かと納得しておく。
レイサスの側に控えていた騎士が恭しく鍵を受け取り、ユトリトエスに差し出した。
「……ふーん」
おざなりに引ったくったユリトエスを凄い形相で睨みつけているが、集中しているため気付いてすらいない。上下左右、若干鋭くなった目つきで鍵を観察する。
「どうだい?」
「本物だね。間違いなく。百パーセント、本物のオメガ・キーだよ」
問うレイサスと、答えるユトリトエス。周りではおお、と歓喜の声が聞こえている。だがその時──
「はは、本物だ。確かに紛うことなく完全無欠に本物だよ、レイサス王!」
それを掻き消す程の笑い声が玉座の間に響き渡った。
「……そんなに嬉しかったのかい? だがその鍵はベリゼルス王のものでね。返してもらえるかい?」
レイサスが片手を上げた瞬間、その場にいる者達が武器に手をかけた。扉は閉じられ、槍は首元に、剣は腹に、魔法の照準はユリトエスへ。
笑う事を止め、それでもニヤニヤとした顔のまま大仰に肩を竦めてみせた。
「レイサス様、流石にこれは生きた心地がしないんで止めて欲しいんですけど。……ダメですか?」
「オメガ・キーを渡してくれれば、いつでも」
薄く笑むレイサス。
オメガ・キーを奪われ、逃亡を許せば事だとベリゼルスは言った。過剰ではないかと思える程の兵の配置も、ベリゼルスの指示を受けての事だ。戦場に赴いている英雄、マルシア、ゲインツを除いた残る四人も投入し、まさにネズミ一匹抜け出る隙などありはしない。
「渡せ、ねぇ」
だからこそ、その余裕な表情が不思議でならない。
クスクスと笑い、突きつけられたら槍に指を這わせる。プツリと薄く皮が裂け、一筋の血が流れ出た。
血が流れる指で鍵を撫で、ユリトエスが視線を合わせた。
そして、
「足りない、足りなさ過ぎるぞレイサス・エア・アーリッシュ!」
嘲笑するように吠える。
なにを、と口にするより早くユリトエスが笑い始めた。
「ハハ、ハハハハ! あまりにもあんまりだよ、レイサス様! 足りない足りない、全くもって足りなさすぎる! これで一国の王だと言うんだから良い笑い話だ!」
「……なにが足りないのかな?」
「なにが? 全てに決まっているだろう!? 良いことを教えて上げるよ、レイサス様。あんた、王に向いてないよ」
「相変わらず良く分からない子だね、君は。仕方ない。一度痛い目を見てもらおう」
クツクツと笑うユリトエスを不気味に思ったのか、レイサスは兵達に指示を出す。魔法の光が零れ、魔力が具現化する。それを見て、さらに言い放った。
「だから言ってるだろ、足りないって。そこは余を殺すつもりでやれ!」
魔法の槍が迫るのを見ながら、ユリトエスは鍵を掲げる。するとどういう訳か魔法が霧散した。
「なっ!?」
驚きにようやく表情が変化する。それを見れただけで割と満足だ。
「さっきの続きだよ、レイサス様。なにが足りないって言ったよね? それじゃあ懇切丁寧に教えてあげるよ。えーっと、まずは危機管理、言葉、兵の数、自立心」
ニッと笑みを深め、指折り足りない部分を口にしていく。
「特に足りないのは想像力。そう言ったものが足りないからバカ正直に鍵を余に渡すんだ。伯父上もだけど、ちょっと想像力が足りないよ」
「……どういう事だい」
「ハハッ、ここまで言ってまだ分からないんだ。やっぱり君はその程度だ、レイサス様。良いかい? 鍵が扉を解き放つだけだなんてだれが言った? 足りない脳みそ引っ掻き回してよーく考えなよ! 古代の遺跡を開く鍵、つまり──」
刹那、槍を持った兵士が吹き飛ばされる。同時にシムイ達英雄が強大な魔力の奔流に巻き込まれ意識を失った。
「──鍵そのものが聖具を超える喪神具なんだよ!」
ユリトエスの叫びと共に鍵は形を崩した。霧のように一斉に広がったそれは、瞬時に肉体を再構築して顕現する。
「……なんだ、これは……」
だれかの呟きに対してユリトエスは勝ち誇ったように笑みを見せる。事実、勝ったのだ。終わりの鍵とも呼べるオメガ・キーを手にした、その瞬間に。
「機械人形……正確には、違うかな。聖具すらこの喪神具を超えるものは作れていないみたいだしね。それも当然か。こんな巨大な機械人形、見た事もないよ」
高さは優に八メートルを超えている。白く光沢のある金属の肉体には、赤と黒で幾何学的な文様が全身に描かれていた。鎧を着込んだような姿で、其処に在る。
「せっかくだから名前つけて上げないとね。余ってぬいぐるみには名前をつける主義だからさ。えーっと……」
的を威圧するような鋭い目を見つめ、うん、と頷いて名を与えた。
「鍵を導く者。君の名前は今日からキートゥだ。長い長い眠りから覚めたばかりだけど、とりあえずよろしくね」
怯えの色を見せる兵士たちをぐるりと見渡し、ユリトエスは告げた。
「さて、今からこの城は余のものになります。それを受け入れられない者は、一歩前にどうぞ。この子の性能を見せてあげよう」
それだけで、アーリッシュは落ちた。
「あれから一日だけどさぁ、結構あっさりしてるよね。皆」
あ、エイゼンは除外、と脳内で弾く。彼だけは未だにユリトエスを敵視し続けている。他の者などはキートゥの力を見せた瞬間に抵抗をしなくなったと言うのに。
思い出す。巨人に怯えることなく剣を向ける彼の姿を。ボロボロになりながらなおも戦意を失わない強さを。
『ユリトエス・ルナ! やはり貴様は殺しておくべきだった! ゼリアリスを蝕む毒め!」
『ははっ、なにを今さら! 分かっていたならさっきにでも殺しておくべきだったんだ! あんたもまだまだ足りないんだよ!』
結局は巨人に手も足も出ずにやられる事になったが、それでもユリトエスは彼を弱い人間だとは思わない。彼我の戦力差を鑑みて、それでもなおも突き進む意地は好ましくさえ思っていた。
「まあ、安心しなよ。多分、近々マイリエルがやって来るだろうからさ。それまでちょっと不自由するかもしれないけど、我慢してよね。エイゼンもさ、いつまでも頭に血が上ってると血管切れて死んじゃうよー」
「死ぬのならば、貴様を殺してでも……」
「はいはい、そう言うのはマジでいらないです。暗いお話とか、余は苦手分野なので。……さて、レイサス様はなにか言いたい事でもありますか? 死に方くらいなら聞いてあげますけど」
軽い調子で死と言うユリトエスの姿に、エイゼンは恐怖する。だがレイサスは変わらずの笑みで問う。
「そうだね……なら一つ尋ねておこうか」
「うん、どうぞ?」
崩れた柱に腰掛け、オメガ・キーを弄りながら笑う。
「君はなぜ、術が効かないんだい?」
片手をあげ、指に嵌められた指輪を見せながら言った。ユリトエスは、ああ、と頷きながら彼の問いに答えるために言葉を紡ぐ。
「そうだね、気になるよね、レイサス様は。なにせそれでアーリッシュの英雄達を操って、さらにはあのマイリまで操れた代物だもんね、その混迷の指輪は」
マイリエルに向けられたと言う事実が若干の苛立ちを生み、言葉に含まれてしまったのをユリトエス自身気付いていなかった。嘲笑うようにレイサスを見下し、言う。
「でもね、それは混迷……心の迷いをつくだけのつまらない手品だ。マイリになんて言ったのかは知らないけど……まあ、大体予想はつくよ? 大方、余が死んだとかそんなことでしょ? ああうん、それだけであんたを許せなくなったね。しかもマイリには十年以上に渡って精神に干渉してたよね? やっぱ死んでも仕方ないんじゃないかな?」
にこやかな笑みのまま殺気を放つユリトエス。そんな事初耳だったのか、エイゼンも驚いたようにレイサスを見ていた。
とは言え、本題はそこではない。彼が効きたいのは、ユリトエスになぜ効かないのかと言う事。そしてその答えは、簡単に用意できる。
「――だって余は迷ってなんていないから。心なんて揺れていないから、そんなちゃちな手品には掛からない。余がすべき事は一つ。余の目的は一つ。余が夢見て来た事も、一つ。過去のあの時から、父さんが願い、余が思った時から一つの夢しか追っていない。国? 戦争? 平和? そんなもの余には関係ないね。勝手にやってて下さい、ってなもんだ」
ただまあ、マイリエルには幸せになって欲しいとは願っていた訳だが、それを阻む諸悪の根源が目の前にいるのでこれを排除すれば取りあえずは良くなるだろう。
心配が無くなった今、後は突き進めば良いだけだ。
「余の願い、それは秘匿大陸へ行く事。ただそれだけ。それだけを願って生きて来た。それだけに縋ってここまで来た。それを達成できるのなら、この命くらいあげたって構わない」
ベリゼルスよりも、ユクレステよりも。だれよりも強く強く願い続けた目的。それが後もう一歩の所まで来ているのだ。失敗する事は許されない。そのために、全てを切り捨てる覚悟でいるのだから。
「余の心を操りたければ、全世界を支配下における程度には強い意志を身に付けることだね。そんなスッカスカな心で余を邪魔しようなんて、なめんじゃねーよ」
爛々とした強い光りが瞳に映り、陰りを瞬時に駆逐する。例え太陽の光と言えど、この瞳の輝きには叶わないと豪語する。
「……だからマイリ、早く来て。そうすれば、余は辿り着けるから……」
太陽が昇る方角を眺め、ユリトエスは決意を胸に、最後の準備に取りかかった。
ロボだこれー!?
えぇと、そんな回でした。