救援と帰還
──ゴビー荒野にてマイリエルが突撃を仕掛けた頃、西部国境付近。
鎧を着た兵士が槍を持ちながら、ソワソワと身動ぎをしていた。相方の兵士が呆れたように言う。
「おい、落ち着けよ。気になるのは分かるけど、鬱陶しいぞ」
「あ、ああ、悪い。……だけどよ、やっぱり気になるだろ?」
「そりゃあ、まあな? アランヤード王子も戦場に行ってるらしいし、気にならないとは言えないけどよ……でも俺達になにが出来る? こんな離れた場所にいるんだぜ」
やれやれと肩を竦める兵士の一人。落ち着きのない兵士はそれもそうかと無理やり納得し、眼下の草原へと視線を向ける。
アロイ草原。ルイーナ国とアーリッシュ国に連なる草原地帯で、国境の関所が置かれた場所だ。
そこに配備された兵士がなんの気無しに遠くを眺める。遠くまで見渡せる草の絨毯。そこに、ずんぐりとした物体が目に付いた。
「ん? なんだあれ?」
「どうした?」
「いや、あそこになにかが……なんだ、あれ?」
目を細めて見れば、なにやら金属で作られた馬車のようにも見える。特徴的なのは、長く伸びた筒上のなにか。それが――砲身がこちらを向き、火を噴いた。
「な、なんだぁ!?」
「て、敵襲だー!?」
砲弾が地面をえぐり、炎と爆発がアロイの関所を襲った。
──同時刻、ダーゲシュテンの港。
「お、おい! あそこ見てみろよ、マーシュ!」
「んー、なにさ?」
「ほらほらあそこ!」
子供達がなにかを見つけたのか、なにやら騒いでいる。彼らの声が聞こえたのか、漁師の一人が小さな指の先を眺めた。
「あれって前に来たブルーなんちゃら号だろ!?」
「あ、ホントだー」
喜色満面の子供達とは反対に、漁師は顔を真っ青にさせた。
「そこまでやるとはね……ベリゼルス王……一度お会いした時は気さくな面白い方だと思ったんだけど、随分と無茶をする」
現状を理解し、アランヤードは低く呻く。
「……お父様は、恐ろしい方ですよ。娘の私が言うのもなんですが、使える者は全て使う。勝つためには手段を選ばない。それはきっと、娘の私にもそうなのでしょう」
「まあそうよね。実の娘を囮に使う様な人だもの。大体の性格は分かるわ。――でもね、どうしてダーゲシュテンを攻撃するのかしら?」
セイレーシアンの瞳には怒りの色が浮かんでいた。
「あそこは別に軍事拠点でもなければ重要な施設もない、ただ静かな港街よ? 確かに港はあるけど、あんな小さな港に艦隊なんて収容できる訳でもない。なぜ罪もない一般市民を襲うような真似をするのかしら?」
「……全ては父が決めた事です。私が知ることはなにもありません」
素気無くそう言い、僅かに瞳を揺らして答えた。
「――それに、ダーゲシュテンの者は報いを受けなければなりませんからね。……ユリトを、傷つけた報いを」
小さな声は風に溶けて消え、セイレーシアンの耳に入る事はなかった。それでも揺れた心になにかを感じたのか、ジッとマイリエルを見つめる。
そしてどちらともなく、戦闘態勢へと移った。
「アラン、戦える? 全力で」
「流石に全力は無理。極大呪文を撃ったばっかりで頭が痛い」
「なら下がってなさい。……守りながら戦える相手じゃないわ」
「……分かった。気をつけて」
そうは言っても後ろには翼竜の異常種、デュマルアムが熱線を繰り出している。少し後ずさるだけに止め、アランヤードは視線を二人の騎士へと向けた。
「なんだかんだ言って、マイリエル姫を捕らえればこの場での戦は終わるのよね。ならここで貴女を降し、さっさと他の場所に行くまでよ」
「なるほど、道理です。ですが、出来ますか? 貴女が、私に勝つ事が」
「出来るわよ。するのよ、私が。どこかのだれかが言っていたけれど、勝たなきゃいけない場面で勝つ、私はそれを為すだけ」
スゥ、と息を吸い込み、気合を高めていく。そして、発する。
「行くわよ――マイリエル姫!」
赤い闘気がマイリエルを打つ。ヒシヒシと感じるその気を受け、返す様に剣を払い、金色の闘気を発した。
「迎え撃ちましょう。そして、ルイーナの者は全てこの手で討ちます」
その金色に、僅かな黒が混ざっていた事をだれも知らない。
剣が風を切って動く。それに対抗するのも、また身の丈程もある長剣。セイレーシアンの騎士剣を長剣で受け流し、即座に斬り結んだ。流れる赤い髪と金色の髪が見る者を見惚れさせる。しかしそれを見ている者はアランヤードただ一人なため、あまり効果は発揮できていない。
だって美女二人よりも親友の方が好きだし。
「……なんか、腹が立つわ」
「同感です。なにやら女としての尊厳を著しく傷つけられたと言いますか……なんでしょうね、この気持ち」
鍔迫り合いの最中にそんな雑談を交わしていた事などアランヤードは知らない。
セイレーシアンがバッと距離を取り、左手をマイリエルへと向ける。
「ファイア・スピア!」
唱えたのは低級呪文。しかし放たれたのは、上級魔法に勝るとも劣らない強力な炎の槍だった。
「くっ、なんですかそれは!? ハァ!」
剣気を増幅して炎の槍を打ち、頭上へと逸らす。三メートルも移動しないうちに槍は消え去り、赤い魔力の残滓だけが宙を漂った。
「今のは……」
「それ、あんまり遠くまで飛ばないのよ。逆に言えば、この距離なら速攻で今みたいな魔法を撃ち放題ってことになるんだけどね。ガン・ファイア!」
バスケットボール大の炎の塊が即座にマイリエルへと飛んで行く。体を倒す事によってそれを避け、魔法はすぐに消え去った。
「なるほど、随分と変わった魔法をお使いになるんですね。以前の模擬戦では使っていませんでしたが?」
「しょうがないでしょ? これ、強力過ぎて……確実に大怪我させちゃうんだから」
澄ました顔で言ってのけるセイレーシアン。恐らく彼女の言葉はウソではないのだろう。詠唱破棄での低級魔法であの威力。ちょっと詠唱して魔法を唱えれば、威力はさらに上がる。
マイリエルは、その光景を思い浮かべてゾッとした。
「出し惜しみは、出来そうもありませんね。では、本気で参りましょう」
「させる気は、さらさらないわよ!? 剣気――地零崩」
スッと手を差し出す様に上に向け、魔力を体に循環させる。その隙を逃さず、セイレーシアンは無防備な体に打ち込んだ。
「天成の双腕」
「なっ――!?」
ガキィ、と音が響き、騎士剣は豪奢な長剣に防がれていた。それも、剣気を纏った攻撃にも関わらず片手で。
見れば、光が纏うようにマイリエルの両腕を包んでいた。
「チッ」
すぐさま飛び退き、最大限に警戒して流れる汗を拭う。
「強化系……それも聖蜜クラスの強化魔法? ちょっと欲張り過ぎじゃないかしら?」
「これくらい出来ないと最強とは名乗らせてもらえませんので。貴女ならば出来ると思うのですが?」
「……訳ありなのよ、私は。強化は剣気だけで精いっぱい」
普段セイレーシアンが行うのは剣気を用いた身体能力の向上だ。魔法使いならば魔力で同じ事が出来るのだが、セイレーシアンに限って言えばそれが出来ない。魔力行使は左手からしか出来ないのが彼女の体質で、それは強化魔法に関しても言える事だ。
今マイリエルが使用している聖蜜と言う名の強化魔法。強化魔法の中でも特に能力の高い魔法で、限定された部位のみだが飛躍的に高めることが出来るのだ。現在は双腕。つまりは両腕に対してプラス効果が発生している状態だ。素の能力の高いマイリエルが使えば、能力の上昇値はさらに脅威的なものとなる。
打ち合えばどうなるのか、この時点で目に見えていた。
「まあ、ちょっと別の強化なら出来るんだけどね。――強装甲・無属性」
ならばと、セイレーシアンも奥の手を切った。
「装甲魔法、ですか。それが貴女の強化ですか?」
「ええ。ただの装甲魔法だと思っていると、怪我するから気をつけなさい!」
裂帛の気合と共に駆け出す。剣を片手で操りマイリエルに斬りかかる。それを強化した腕で容易く弾き、視認する事も難しい速さで突きを放った。
「無駄よ!」
喉へと吸い込まれるように向けられた剣を左手で防御。腕力と切れ味による突きも、セイレーシアンの装甲魔法の前には意味をなさない。彼女の操るそれは、なにものも通さない絶対的な防御力を与える魔法なのだ。
「ディアシャーレス・ブレード!」
長剣を弾かれ、即座に片手を空け魔法の光を収束させる。光り輝く魔法剣を振り切るが、それすらセイレーシアンは防ぎ切った。
さらに、左手を眼前に掲げる。
「破砕、破砕、破砕ォオ――!」
「くっ、これは……!」
続けざまに三連。無属性の低級魔法が凄まじい衝撃を生み出した。先ほどの衝撃よりも大きな振動に、マイリエルの体がふらつく。
セイレーシアンが編み出した、装甲魔法、無の型。無属性魔法は純粋な魔力の塊であり、各属性に対して高い防御効果を生み出している。これにより、魔法に対して強く、さらに装甲魔法による絶対的な防御力が加わり、彼女の左手は限定的ではあるがどんな攻撃も通さない盾になるのだ。
「…………」
「逃がさない!」
一度離れようとするマイリエル。それをさせじと追い縋った。
近接戦闘においては今のところセイレーシアンが勝っている。この好機を逃がさないように、一気に畳みかけた。
「……ディアシャーレス・サンクチュアリ」
その時周囲の空気が変貌した。
酔ってしまいそうな程に濃い魔力。一瞬クラリと頭が揺れるが、ハッと意識を戻す。その時には、マイリエルは指をこちらへ向けていた。
「ツヴィ・ディアシャーレス・バスター」
「っ、破砕!」
放たれたのは二筋の光。光の砲撃魔法がマイリエルの指先から二重に放たれ、セイレーシアンを襲う。片方を左手で防ぎ、残りを破砕の魔法で弾いた。
だが、そこで終わらない。
「流石ですね。では、次は避けれますか? フィブ・ディアシャーレス・バスター」
「このっ――!」
五つ。それも、放たれる方向は別々だ。彼女を囲うように展開された砲撃魔法。それが一斉に、放たれる。
前方へと走り、すり抜けるようにして二つを回避。上空から襲うのを左手で殴りつけるようにして払う。反転し、呪文を唱えた。
「暴発せよ振動――衝撃!」
振動で逸らした砲撃魔法が体を掠めて行く。そしてラスト。
「やばっ――!?」
少しの時間を置いてからの、眼前。目を見開き、体を硬直させる。反射的に右手を掲げてしまったが、そちらには装甲魔法はかかっていない。己の失敗にコンマ一秒で後悔する。
「……終わりです」
太陽姫の疲れた吐息が聞こえてきた。
「させんぞ! 解錠、変身、さらにリンクタワー!」
どこかで聞いた事のある声に、思わず、はっ? と声を上げてしまった。頭上から頑丈そうな鎧と、華奢な少女が一緒になって降って来て、一瞬で鎧を装着。さらに両腕に盾を装備してセイレーシアンを守る様に立ち塞がる。
光の砲撃魔法が鎧姿の少女の盾に触れ、呆気なく霧散する。いつの間にか被っていた兜が消え、薄緑色の髪がサラサラと流れた。
「貴女……ユゥミィ?」
「うん、危機一髪だな! それに登場の仕方とか騎士っぽい!」
「いや、普通騎士は降って来ないわよ?」
壁を登って来るものでもないのだが、自分は棚においてそんなことを言うセイレーシアン。
さらにドン、と言う大きな音に振り返ると、そこには黒い髪の少女が大剣を持ってデュマルアムを踏み潰していた。
怒り狂う翼竜の異常種に、ミーナ族の異常種は軽やかに後方へと退避。その両脚に黒い魔力を身に纏い、熱線を危なげなく回避する。デュマルアムの巨体に脚での連激を加え、クルリと曲芸師のように空中で姿勢を正す。そこへ飛来するもう一つの影。
「ミュウ、いくよ」
「はいっ! 混濁の、双腕!」
覚悟の瞳で呟かれた言葉の力によって、黒い魔力が脚ではなく両腕へと移行する。大剣の重量を五倍へと増大させ、
「紅蓮腕――飛んでけー」
「やぁあああー!」
「ガァアアア――!?」
巨大な焔の腕の一撃と重なってデュマルアムは吹き飛んで行った。
それを為した二人の少女を呆然と眺めるフレンシボル達六人の兵士。ついでに、アランヤードも。ただ、彼は少し安心したような表情をしていた。
「……まさか本当に来てくれるとは思わなかったよ」
その瞬間、光に満たされていた場が唐突に掻き消された。マイリエル程の力を持った者のフィールドを書き換える事が出来る者などそう多くはない。だが、消すだけならばもう一人、候補者が挙げられる。
「よう、親友。生きてるか? 両手両足千切れ飛んでたりしないよな?」
「君までそう言う……やれやれ、本当に君たち二人はお似合いだよ。もちろん、良い意味で」
軽口を言い合う二人の姿に、セイレーシアンは視界が滲むのが分かった。慌てて涙を拭き、空から飛竜の背に乗る人物へと声を向ける。
「ちょっと散らかってて申し訳ないんだけど……。とりあえずお帰りなさい、ユクレ」
「あー、大丈夫大丈夫。ほら、俺って割と汚い部屋でも快適に過ごせるからさ。だから――ただいま、セレシア」
愛しい人からの砕けた言葉に、セイレーシアンの表情は緩く綻ぶのだった。
喜色を浮かべるルイーナ側とは反対に、マイリエルの瞳には憎悪の感情が浮かび上がった。ギロリと睨みつけ、怨嗟の声を絞り出す。
「現れましたか、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン」
「お、お久し振りですね。……な、なんか怖い」
なぜこれ程までに睨まれているのか分からず、ぶるりと背を震わせる。むしろ斬り捨てられたこちらが怒りを向ける場面だと思うのだが。
ユクレステの胸中など知る由もないマイリエルは、怒りに支配された言葉を紡いだ。
「ユリトを傷つけておいて、良くもそのような態度が取れますね?」
「……はい?」
なにを言っているのか分からない。ユリト、と言うのは間違いなく共に旅した仲間、ユリトエス・ルナ・ゼリアリスの事だろう。彼を、傷つけた? まったく身に覚えのない話に、本気で疑問の声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 俺がユリトを傷つけた? なにかの間違いでしょう? っていうか、首に縄つけて持って帰ったのあなたでしょう!?」
「なにを、言っているのですか? ダーゲシュテンに遊びに行ったユリトを無理やり連れ出し、傷つけたのは貴方ではないですか。今さら言い逃れ出来るとお思いで?」
「む、無理やりて……あれはユリトが強引について来ただけじゃん。それに傷つけた記憶は……ないはずだぞ?」
いくらか強めのツッコミを入れた覚えはあるが、怪我をさせるようなことはしていないはずだ。しかしマイリエルは本気で言っているようであり、こちらを敵視する瞳は変わらない。
「……どういう事だ?」
「ユクレ、君はユリトエス王子と面識が?」
「まあ、ちょっとした縁があってな。でも間違っても彼女の言う様なことをした覚えはないぞ?」
「分かっているさ。君がそんな事をするような子じゃないのは百も承知だよ」
飛竜から降りたユクレステに話しかけるアランヤード。彼は考えるように顎に手を添え、チラリとマイリエルを盗み見た。
「どうもさっきから様子が可笑しいんだ。言ってる事が若干ズレていて、とても強い憎しみだけで動いているように見える」
「私もそう思う。特にあの目が。昔見たマイリエル姫の目はもっと真っ直ぐだったのに、なんだか濁った感じで……気味が悪い」
アランヤードとセイレーシアンの言葉に、思い出す現象が一つ。
「ライゼスさん達と同じ、か……。でもこっちはちゃんと意思があるように見えるけど……」
操られていたアーリッシュの英雄達。彼等は確かレイサス王に面会してからの記憶がないと言った。もし彼が人の意思を操るような魔道具なりを所持しているとすると、彼と交流が深いマイリエルも同じような状態にあるのかもしれない。
「一つ、聞きたいんですが……今ユリトはどこに?」
「……白々しい。ユリトは現在、アーリッシュ城にて療養中です。私がそこまで送り届けたので間違いありません。まったく、帰り際にユリトの口車に乗って郷土料理を食べに……」
そこまで口にし、ピタリと言葉が止まる。瞳が虚ろに濁り、すぐに元の光に戻った。
「……そう、とにかく貴方のせいです。だから私は、貴方も、貴方が住むこの国も許さない」
「ああ、確定だな。あのお姫様、だれかに操られてる。多分、アーリッシュ王だ」
平坦な彼女の声に確信を得る。意外な人物の名に、アランヤードが声を上げた。
「あのレイサス王が、彼女を? しかし、婚約者のはずだろう?」
「そこまでは分からない。でも、その王様に操られた人達を見た事がある。彼等はアーリッシュ王に面会してからの記憶を失くして、俺達と戦った。多分、今回も一緒だ。あの薄気味悪い瞳は、確かにあの時のものだ」
術の解き方は、ユクレステの知る限り二つ。精神そのものを斬る業、霊斬りで心に巣食う呪縛を斬り捨てる事。だがこの場にはそれを会得した人物はいない。だから、もう一つ。
「気絶するくらいまで追い詰めて、後は彼女が自分で心を解き放つ事に賭ける。それしかないかな」
ライゼスはその方法で自分から呪縛を断ち切った。彼を降す程の実力者であるマイリエルならば、それも可能かもしれない。そう考え、ユクレステは指示を飛ばす。
「ディーラ、ミュウ、ユゥミィ! 再戦だ、今度こそ勝つぞ!」
「了解」
「はいっ……!」
「おおっ!」
やる気十分の三人がユクレステの隣に立つ。
「アラン、セレシアは下がっててくれ! ここは俺達でやる!」
「冗談。今は私が戦ってたのよ? 横入りするつもりなら、私も加えてくれないと」
ユクレステの言葉に、セイレーシアンは鼻で笑って答えた。
えっ、と少し困ったように彼女を見るユクレステ。確かに、シャシャがいない今セイレーシアンが加わればとても心強いだろう。きっと普段ならばそうしている。だが、今ユクレステの頭にはシルフィードの言葉が残っているのだ。
――貴方の大切なお友達が、この世から消える事になるわぁ。
セイレーシアンと、アランヤード。この戦争に関わる友人と言えば、まず真っ先に彼等の名が思い出された。だから出来るだけ彼らには安全な場所に居て欲しいと考えたのだ。
しかし、セイレーシアンの表情からそれが不可能だと理解する。そもそも、彼女を言葉一つで納得させられる気がしないのだ。頑固で、いじっぱり。そしていつでも前を向いた自慢の友人たち。
仕方ないと、ユクレステは腹を括った。
「……了解。でもアラン、おまえは下がっててくれよ? かなり魔力が下がってる。極大呪文でも使ったんだろ?」
「お見通しか……残念。久し振りに三人揃って戦えると思ったんだけど、今回は相手が相手だからね。素直に身を引いておくよ」
自分の状態を把握しているアランヤードからすれば彼がそう言うのは分かっていた事だ。素直にフレンシボル達の所へと下がる。
「ユクレ、出来るだけ早く片をつけてくれ。どうにも、戦場はここだけじゃないようだ」
「えっ? どういう事だ?」
アランヤードに問うた答えは前方から返って来た。
「当然、でしょう。この国はユリトを傷つけた……あの街は、ユリトを奪った。だから、報いを受けなければ、ならないのです」
段々と瞳から光が失われて行く。ここに来て、急激に支配が進んでいるのだろう。幾度もの極大呪文に加え、セイレーシアンとの戦闘で大量に魔力を消耗したために抵抗力が弱まっているのだろうか。
「アロイ関所方面とダーゲシュテン、そこが今狙われてるらしいの。アロイ方面ならまだ持ち堪えられると思うけど、ダーゲシュテンなんて街の自警団くらいしかないでしょう? 早く救援に向かわないとマズイわ」
若干焦ったようなセイレーシアンの表情に、それが本当なのだと理解する。
「ふーん……驚いた」
「えっ?」
故郷の危機だと言うのにまったく焦っていない姿のユクレステ。どちらかと言うと苦笑気味な表情だ。
「ふふん、どうだディーラ! 私の言った通りじゃないか!」
「あーはいはい、凄い凄い」
そしてなぜか、胸を張っているダークエルフと、セイレーシアンとは初対面である悪魔族の少女。なにがなにやらと首を傾げる彼女に、ユクレステが落ち着かせるように言った。
「大丈夫だよ。その両方に援軍を送ってるから」
「……えっ?」
「それにほら、うちには鬼も裸足で逃げ出す守り龍がいるからさ。そっちは全然心配してないよ」
――アロイ草原。
「ク、クソッたれ! なんなんだよあのデカ物は! 固い上になんて攻撃してきやがる!」
ヴァセリアが開発した物よりも小型化された征戦車が戦場を蹂躙している。小型化されたために火力や防御力はかなり落ちてしまったが、それでも剣の一振り矢の一発程度ではビクともしない。砲弾も威力や飛距離は落ちるが、弓よりも遠くから攻撃してくるため近付いての攻撃しか破壊する方法がない。しかしそれも、アーリッシュ軍によって阻まれる。
「このぉ! ――グアッ!?」
「…………」
やけくそ気味に払った剣を容易く避け、ルイーナの兵を斬り捨てる。その一撃はあまりに速く、一体どれだけの者が視認出来ただろうか。
「なんであんた達がこんな所にいるんだよ! 軍は辞めたんじゃなかったのか!?」
半狂乱に叫ぶ兵士の眼前には、片刃の剣を振り抜く男の姿があった。神速マルシア。アーリッシュの英雄の一人であり、その剣は音速を超えるとも言われている。
さらにもう一人、この場を仕切る、《チェス打ち》と呼ばれた軍師。ゲインツ・ホリック。彼の頭脳の前には生半可な奇襲も意味を為さないでいた。
敗色濃厚。既に心も折れかけた。神速の剣が迫る中、兵士は武器を手放す――
「神速か、面白い――その剣、オレが越えてやる」
瞬間、鉄のぶつかり合う音が草原に響いた。
呆けたように情けない顔をしている兵士には目もくれず、白い髪を揺らした少年は刀を煌めかせる。
「シッ――!」
「……!?」
神速の剣が幾度も連激を繰り出す。それに対抗するために少年の刀は風を切った。何度も、何度も。
ぶつかり合う度に甲高い音が鳴り響き、笑みが深まる。
「流石は神速、操られているとは言え面白い……だが、この程度でオレを倒せると思うな! 剣気一刀――回刃!」
パッと一旦その場を離れ、力強い攻撃を加える。押し切られる形で後方へと飛び退り、マルシアの瞳に僅かな動揺が生まれた。
「あーっ! ウォルフさんずるいッス! シャシャもその人とやり合いたかったんスよ!?」
「ふふん、速い者勝ちだ。お前は別の奴の相手をしていろ」
「ぶー。それならー」
小柄な灰色の髪の少女がチラリと征戦車の一台を横目で眺め、ニッ、と笑みを深めて腰の刀に手を伸ばす。
「そのおっきくて固くて長い棒の奴をちょん斬るッス! 剣気一刀――」
グン、と一気に加速して征戦車に詰め寄るシャシャ。そんな彼女に危機感を抱いたのか、砲弾が勢い良く彼女へと飛んで行く。それを軽やかな動きで避け、勢いをそのままに跳躍する。
「――断撃!」
大上段に構えた刀から繰り出された剛剣の一撃に砲身が縦に割かれた。次弾を装填していた征戦車は内側から爆発し、崩れ落ちる。
その光景に驚く兵士達の下に、さらに別の男の声が聞こえた。野太く、威厳に溢れた、戦士の声。
「いくぞ野郎ども! 今この時、ようやくオレ達の悲願が達成される! 今も変わらずオレ達を陥れたアーリッシュ王家のクソ共に、今度こそ引導を渡してやれ! 総員、突撃ー!」
『オォオオー!』
巨大な戦斧を振りかざした男の後ろからは、明らかに軍隊とは違った出で立ちの者達が百人超集結していた。身なりは山賊のような者が多い。
「あれは……まさか、ライゼス・ドルクか!? な、なぜこちらを援護するんだ?」
なにがなんだか分からないと言った様子の兵士の一人が、男の正体に気付き声を上げた。ライゼスはその兵士に気付き、近寄って声をかけた。
「おいあんた、オレ達も手を貸す。速いとこ部隊を立て直せ。こっちもそう長くはもたん」
「あ、ああ……だが、なぜ俺達に……」
「深くは考えるな。今はただ、おまえの国を守る事を考えな。あのアーリッシュ王家だ。よその国を奪ってなにを企んでいるのかなんて、だれにも分かりゃしないんだからよ。ほら、良いから行け!」
「……分かった。恩に着る!」
去って行った兵士からすぐに視線を外し、戦場へと向き直る。そこへ仲間である銀騎士アレンシー・ノージェルが傍らに立った。
「まさか、このような形でアーリッシュへと帰還する事になるとは思いませんでしたよ。あの時、太陽姫に襲撃されて、我らの戦いは潰えたとばかり思ったのですが」
「確かにな。まさか、これだけオレ達に付いて来てくれるとは思わなかったぜ」
この百人の戦力は、元々はライゼスの部下だった者達だ。アーリッシュ軍に襲撃され、散り散りになった仲間たちが、他の同胞達を募ってライゼスの帰りを待っていたらしい。その事を知ったライゼスはすぐに手紙を送り、一週間足らずで纏め上げたのだ。
元々彼は一軍を任せられる程の猛将。上に立ち、戦に臨む事に気負いはない。
「行くぞ。まずはゲインツをぶん殴って連れ戻す。ついて来いよ」
「御意」
勇将と銀騎士が戦線に突入した。
――ダーゲシュテン沖合
二十隻の艦隊の最前列に、ひと際異様な戦艦が存在していた。名をブルートゥ号。聖具を動力に持つ、世界最大の海上戦闘艦である。
それが今、なんの変哲もない港町、ダーゲシュテンに睨みを利かせていた。
「うーむ、さてどうしたものかのぅ」
なぜ艦隊に動きがないのかと言えば、それはたった一人の女性が原因だった。
リューナ・ミソライ。ユクレステの初めての仲間にして、師でもある女性。彼女は現在、空中に腰掛けながらダーゲシュテンの港からゼリアリス軍を眺めていた。もちろん、ただ眺めているだけではない。
「つまらん事をする。まったく、男ならば真正面から攻めてこんか。馬鹿馬鹿しい」
そう零す彼女の言葉に反応して、ではないが、ブルートゥ号を含めた艦隊から砲弾が飛んで来る。それはリューナへの攻撃ではなく、ダーゲシュテンの街を狙った砲撃だった。彼女が苛立っている原因は、まさにこれだ。遠くから、しかも反撃すら出来ない一般市民への攻撃。つまらないと評するより他はないだろう。
リューナは片手に魔力を押し固め、無造作に上空へと放った。空へと昇った魔力球は一定の高度まで行くと動きを止め、破裂する。雨のようにその身を分け、飛んで来る砲弾を誘爆させた。
「喝っ!!」
口を大きく開き、咆哮と共に衝撃波を吐き出す。龍種の咆哮攻撃。人の身で放てば全盛の力には及ばないまでも、船を一隻鎮める事は容易のはずだ。だがそれも、ブルートゥ号が展開する防護障壁には容易く弾かれてしまう。
「厄介じゃな、あれは。星のカーテンには遠く及ばないまでも、儂の攻撃を防ぐか。全力でやれば分からんが……こんな所で元の姿に戻れば、幾らか街に被害が出そうじゃな」
実際は幾らかで済めば御の字だ。龍としての本性を表せば、その余波だけで家が数件倒壊する。出来れば穏便にお願いしますと泣いて頼むダーゲシュテン領領主の顔を思い浮かべ、ハァ、とため息を吐いた。
「どうしたものかのぅ」
このまま千日手を続けるようならば、街に被害は来ずに済むかもしれない。しかし、それでは街の生活に支障が出てしまう。特に、彼女が教鞭を取っている魔法学校が休校になる事は、リューナにとっては我慢出来ない問題だ。
むー、と悩んでいると、突然海から何かが顔を出した。
「そんな時はマリンちゃんにおっまかせー!」
現れたのはユクレステの仲間である、人魚族のマリン。にぱっ、とした笑みでこちらを見る彼女に、呆れたような口調で言う。
「なんじゃマリン、帰っておったのか。ゆーはどうしたのかや?」
「マスターはセレシアちゃん達の所ー。私はほら、陸地じゃあ活躍出来ないからこっち来たんだ。久し振りの活躍チャーンス! ……ほんと、人魚は辛いんだよねー。出番的に」
「切実じゃのぅ」
コホンと仕切り直し。
「そんな時はマリンちゃんにおっまかせー!」
「そこからか。まあ良いわ。で、なにがお任せなんじゃ?」
「ふふん、まあちょっと待っててー。あ、もう少し前に出ておいた方が良いかも」
「ふむ?」
片手間に砲弾を処理しながら、マリンへと視線を向ける。ニコニコと満面の笑みで海に潜り、先ほど描いていた魔法陣を起動させる。
「さぁ、て……海の城塞」
海面にて起動させた巨大な魔法陣。それは海の水を持ち上げ、まるで壁のようにダーゲシュテンの街を包み込んだ。
「これで大砲くらいなら楽に防げるよん」
「ほほう、これはまた面白い事をするものじゃな。人魚族の魔法はこういう面白いものが多いから儂は好きじゃ」
「えへへ、そんなに褒められたら照れちゃうよ」
好奇心の強いリューナの瞳に覗かれ、若干照れたように頭を掻く。そして、二人の視線は艦隊へと向けられる。
「さて、それでは無粋者に罰を与えねばな。中々に堅い壁を有しておるようじゃが……」
「大丈夫大丈夫、そこもマリンにおまかせ。いくら外敵に対して高い防御効果を持つ魔法障壁だったとしても、自然の力には勝てないよ。実際、そんな事を王子様が言ってたしね」
「ああ、ユリトがか。そう言えばそんな事を言っていた気がするの。……では、儂も少し手を貸そう」
「へっ? リューナさんが?」
「海の方はおぬしがやるじゃろう? なら、儂は空を操ってやろう。なに、これでも龍種。雨風を降らせるくらい造作もない」
「へー、流石リューナさん。私なんて精々大津波を作るくらいが精々なのになー」
普通の魔物からすればそれでも十分に化け物クラスなのだが、彼女の笑みにはそんな気負いは一切感じられない。ただ素直に頷くばかりだ。
「それじゃあまあ、そっちはよろしくね、リューナさん」
「うむ、任された。この街は儂の子らが多く住む地。争いを持ちこむような躾のなっておらぬ若造らには、少々灸を据えてやらねばな」
笑みで分かれた二人。その数分後、あれだけ快晴だった空は厚い雲に覆われ、海は怒り狂うように暴れ出した。
それに驚いたのはゼリアリス側の人間だ。訳の分からない現象に恐れ戦き、幻覚まで見たと言う者が続出した。
一人は、雲の中に長い体の龍を見たと言い。
一人は、海を凄まじい速さで泳ぐ化け物が居たと言う。
そしてさらには、どこからか美しい歌のようなものが聞こえたと言う者までいた。
その歌と言うのが、三十年ほど前に世間を騒がせた歌だと言う事から、恐怖に震える兵士の一人はこう叫んだ。
「う、海の魔女……海の魔女が現れたんだ!」
歌の名前は、特になく。作者が誰かも分かっていない。ただ、その歌を聞いた者は海の底へと誘われるのだと、噂だけが独り歩きしていた。その歌を知る者は、歌が流れる地名の名を取ってこう呼んだ。
――クローディー島の悲恋歌
かつて、クローディーと言う小さな島を海に沈めた魔女が歌う、悲しい恋の歌である。
闇夜の海に降りた吟遊詩人 貴方は私を求めて此処に来た 私もあなたを思い此処にいる けれど貴方はもう来ない 闇夜の城門が二人を分かつ いつか出会える そう信じて
再戦までいかなかった……次回こそはリベンジマッチです!
ゲインツのふたつ名を変更しました。将棋指し(チェスプレイヤー)では某小説の炎使いですからね。多分、彼の名前が頭の片隅にずっと残ってたんですねー。