城壁登り
荒野に眩い光が発生する。ゼリアリス軍の上空から膨大な魔力が溢れ出し、極光となって敵軍を薙払わんと迫る。だがそれも最初の時と同様に、大地の壁によって防がれた。
「また……発動の直前まで極力魔力を発生させずにいたのですが、それも防ぎますか。フェイントを入れても悉く読み当てられ、既に四度。一体どうやって見極めているのでしょうね」
マイリエルは残った魔力の残滓を払い、若干苛立ったように爪を噛む。恐る恐るといった様子で側に控えていた兵士が声をかけた。
「姫、そろそろ日が落ちます。これ以上の戦闘の継続は不可能かと……」
「仕方ありませんね……全軍に帰還命令を。警戒は怠らずに。……それと、魔法部隊はゆっくりと休息を取って下さい。明日も隙があれば極大呪文を使用します」
「は、はい」
絶大な威力を誇る戦略級極大呪文にも弱点は多数存在する。その一つが、術者への相当な負荷である。一級の魔法使いでさえ一度放てば魔力は空になってしまう程の消費魔力、それに加え肉体へかかる反動もかなりのものだ。マイリエルのように平然としていられる方が可笑しいのである。
だからこそ、極大呪文は撃てて一日に一度が限界。そのため、いかに相手の隙をつくかがポイントとなってくる。だが、それも四日が経っていると言うにも関わらず、見出す事が出来ていなかった。
ならば直接の戦闘ではどうかと言えば、そちらもあまり芳しくない。セイレーシアンを始めとしたルイーナの精鋭達による防衛戦。ゼリアリス軍が弱いと言う訳ではないのだが、とにかく彼等は守りに関しては上手いのだ。柔軟に陣形を変え、猛攻を防ぎ切る。いざとなったら砦へ引いて篭城戦すら仕掛けて来るだろう。その守りを崩すための極大呪文だが、それも先に言った通り完全に防がれてしまっている。
この状況を打開しようと必死に知恵を絞るマイリエルだが、どうにも集中できずにいた。まるで霞みのようなものが思考を邪魔するような、気味の悪い感覚が彼女を襲っている。それでも不審に思えず、別の事によるせいだと無理やり思いこむ。
「そう、です……ユリトを、ユリトを傷つけたルイーナはこの手で……」
だれもいなくなった部屋で、虚ろな瞳をしたマイリエルがブツブツとなにかを呟く。それは奇しくも、ライゼス達と同じ、濁った光を宿した瞳だった。
ゼリアリスからの攻撃が止んだのを確認し、ルイーナ国側も一先ずの休息を取る事になった。奇襲をしてはどうかとの案は、初日に既に行い、失敗に終わっている。太陽姫という強大な魔力のテリトリーに入ってしまえば、即座に反応され失敗に終わるからだ。
水で濡らしたタオルで軽く体を拭き、しっとりと濡れた髪をかき上げる。それなりに引き締まった体に冷たいタオルが触れ、ピクリと体を震わせる。戦場の緊張から解放され、肺に溜まった空気を吐き出す。ふう、と色っぽい吐息が部屋に響いた。
「あぁ、今日も疲れた疲れた……アイズ隊長も、ご苦労様」
「はっ。殿下も見事な指揮でございました」
そこにはアランヤード・S・ルイーナが湿った肌を露出させていた。
濡れタオルを放り投げ、イソイソと上着を羽織る。残念ながらこの場にいるのは男が数人。色っぽさの欠片もない。
まあ、アランヤードは美形なためその手の人が見れば顔を赤くするかもしれないが。
ともあれ、極大呪文を唱えた後には見えない程に寛いだ姿のアランヤード。他の魔法使い達は青い顔をして食事に行ったというのに、むしろちょっと爽快、みたいな顔をしているのは納得できない。ゼリアリス側が殲滅魔法なのに比べ防御魔法である事も多少の理由にはなっているかもしれないが、彼もまたマイリエルと同様に規格外な一人なのであった。
ちなみに、防御魔法の方が殲滅魔法に比べ魔力消費は少なめではあるのだが、そこはやはり極大呪文。普通の魔法使いにはどちらにせよ相当な負荷となるはずである。
アランヤードが上着を着込み、その頃を見計らってフレンシボルが声を上げた。
「今日も、無事に守り切れましたな。これも殿下の御力のお陰です。あの太陽姫の一撃は、我々では防ぎようがありませんからな」
「ふっ、まあそのための私だからな。我が国のために戦ってくれる勇敢なる兵を理不尽な力から守る。王族としては中々に良いシチュエーションだと思わないかい?」
「確かに、英雄物語に載る英傑の王のようではありますな。ちなみにその後、王の行方を知るものはいないようですが」
「あっはっは、それをさせないためにもちゃんと守ってくれたまえよ、諸君」
フレンシボルの冗談に機嫌良く笑うアランヤード。冗談とはいえ、こうもキチンと褒めてもらえたのが余程嬉しかったのだろう。
何故なら――。
「……セレシアは真顔で酷い事言うからなぁ」
要は肉壁でしょ? とは親友の一人が宣った言葉である。ちょっぴり涙が出たのは内緒だ。
その呟きに苦笑するフレンシボルと、アランヤードを守る護衛の兵士たち。彼とセレシアが学生時代からの親友である事は周知の事実であり、割とキツイツッコミを入れる事も知れ渡っている。一部では少しやり過ぎではないかとの言葉もあるが、本人達は至って気にしていない。長年そういう関係だったために、今さら敬語などされては背中が痒くて仕方ないのだ。
「しかし王子、今日もセイレーシアンさんは絶好調でしたね。砦の上からでしたが、大暴れしているのを見ましたよ?」
護衛の一人、アーサー・ペンターが若干の尊敬が混じった声で言った。彼はセイレーシアンと同期であり、アランヤードと同年代の少年だが、自分よりも遥かに強いセイレーシアンには憧れのようなものを抱いているのだ。彼女の親友二人が聞けばなんと酔狂なと零したことだろう。
本日のセイレーシアンは、それはもう大活躍だった。アランヤードも見ていたのだが、剣を縦横無尽に振り、無数の炸裂音を響かせて戦場を練り歩いていた。常からセイレーシアンの暴力に晒されている身としては、正直ゾッとしない。
太陽姫に負けたとはいえ、普通から見れば間違いなく強者の位置づけに入る少女だ。それが今回の戦争によってさらに一皮剥けたように思える。腐ってもオルバール家の末娘、と言う事だろうか。
フレンシボルもアーサーの言葉に同意し、大きく頷いている。
「まったくですな。殿下との仲も良好ですし、どうですかな? 家柄も良いですし、妻に迎えてみては」
「はっ?」
しかも、そんな事を言うのだった。
一瞬脳内でそんな場面をシミュレートし、即座にないな、と判断を下した。アランヤードの好みはもっと大人しい子だし、なによりも彼女には既に心に決めた相手がいるのだ。それにどちらかと言えばそちらの方が彼としても……こほん。
「いやいや、アイズ隊長、それはないよ絶対に。彼女には既に結婚の約束をした人がいるからね」
「……えっ!?」
心底驚いた顔をするフレンシボル。そこへ、ノックの音が聞こえて来た。
『アランヤード殿下。ソラリューナでございます』
「ああ、ちょうど良い。入って下さい」
『失礼します』
扉を潜って現れたのは、赤い髪の女性だった。セイレーシアンと似た髪の色で、レンズの奥に見えるキツイ目つきが彼女と良く似ている。
彼女の名はソラリューナ・オルバール。正真正銘、セイレーシアンの実姉である。
彼女がここにいるのは、至極簡単な理由からだ。ずばり、太陽姫対策。
「ご苦労、オルバール博士。君たち研究所の人達のお陰で殲滅魔法はどうにか防御出来ているよ」
今回の戦いにおいて最も危惧していた極大呪文。それを察知するために、アランヤードは王立魔法研究所の力を借りることにした。彼等は魔法に対して鋭い感性を持ち、地脈を通じて極大呪文の発生の有無を調べ上げている。相手の手札を事前に見る事が出来れば、いかに太陽姫の魔法であろうと防ぐ事は容易なのだ。
「いえ、精度としてはまだまだです。資料ではもう数秒早く見極められるはずでしたので」
アランヤードからの称賛にも納得の色を見せない彼女の姿は、妹であるセイレーシアンと良く似ていた。苦笑する王子様をよそに、フレンシボルがようやく再起動してソラリューナへと声をかけた。
「オルバール殿、セイレーシアンに婚約者がいると言うのは本当なのか!?」
「……あ?」
「ひぃ!?」
質問が悪かったのか、ソラリューナの鋭い目つきがさらに険しくなり、漏れ出したドス黒い殺気が百戦錬磨の総隊長を威圧する。今年で二十八歳のソラリューナに対して結婚の話題は地雷なのだ。妹のオルフィエスが嫁ぎ、さらに十も年の離れた妹の浮いた話のせいで最近は過敏になっているところに無遠慮な質問を浴びせる方が悪い。
アランヤードは一歩その場から下がり、曖昧に微笑んだ。無論、彼等の間を取り成すつもりはない。オルバール家の厄介さは身に染みているため、静観が正しい選択だと理解しているのだ。
「で、なんの話でしたかしら? アイズ総隊長閣下? 妹が、なんですか?」
「い、いや……あのセイレーシアンのお相手がだれなのかを……」
止せば良いのにさらに話題を進めるフレンシボル。空気の読めなさ具合に部下達ですら呆れた眼差しを送っていた。
「そんなもの、私が知っている訳ないでしょう!? あの子がどこの馬の骨とも言えない男を誘惑しようが私には関係のないことですわ!」
実際には会った事はあるのだ。ただ、その時はアランヤードも加え、三人で挨拶を交わしただけなので、ユクレステの事は記憶に残っていなかったようだ。
アランヤードもセイレーシアンも美男美女であり、そこに少し顔立ちが整っただけのユクレステが入っただけでは特に印象に残らないのだろう。
「失礼するわよ……アラン、隊の調子なんだけど……げっ、ソラリア姉様」
ノックもせずに扉が開き、そこへ現れたのはちょうど話題になっているセイレーシアンその人。実の姉を視界に納め、あからさまに嫌そうに顔が引きつった。
「セーレーシーアー? 今の、げっ、とはどういう事かしら~? ちょぉ~っとお仕置きが必要のようね~?」
「ま、待って下さい、私がなにをしたと言うんですか!? アラン、どういう事!?」
「あー、ちょっと前まで君の恋人の話題で盛り上がっていました。以上」
それだけで事情を察したのか、顔を青くさせてソラリューナを見る。幽鬼のような表情でセイレーシアンを見つめ、ニタリとした笑みが張り付いている。
これは逃げられない。即座にその判断を下し、恨みがましくアランヤード達へと視線を向けた。
「貴方達、後で後悔させてやるわよ……!」
「さあいらっしゃいセレシア。お仕置きの時間よ~」
「ま、待ってソラリア姉様! 拷問は、拷問は嫌ぁ!」
一部隊を率いているとは思えない情けない声を残してフェードアウトするセイレーシアン。残された者達は合掌しつつ、後に彼女によって繰り広げられるであろう制裁に身を震わせるのだった。
翌日、戦況は未だ動かないでいた。守りに徹し、敵の攻撃を防ぐ事を第一に行動するルイーナ軍に対して、ゼリアリス軍はバカのなんとやら。突撃を繰り返していた。ここまで剣を交えていたセイレーシアンは昨晩のお仕置きの疲れも見せずに疑問の表情を浮かべていた。
「変ね……太陽姫は戦上手だって噂なんだけれど……」
それにしては愚直に過ぎる。正々堂々と言えば聞こえは良いが、要は真正面からのぶつかり合いしか行っていないのだ。魔法部隊もほとんどが極大呪文に回されているためか少ない。ルイーナ軍としては戦い易い戦闘なのでありがたいのだが。
専守防衛で相手取っているアランヤード達に対して、増援も少なく無意味に突撃を繰り返すゼリアリスは傍目から見れば異様にしか見えない。それでもここまで拮抗しているのには太陽姫の存在が大きい。と言うよりも、彼女の存在しか現状危険と判断出来るものがない。
「セイレーシアン・オルバール、覚悟ー!」
「……どうにも嫌な予感がするわね」
「ぐわぁ!?」
突き出された槍を左手で掴み、破砕で粉砕して斬り捨てる。頬に付いた赤い雫を手の甲で拭い、周囲を見渡して声を張り上げた。
「オルバール隊、一度引くわよ!」
戦場に出て以来さらに研ぎ澄まされるセイレーシアンの勘に引っかかるものがあるのか、一度引く事を選択する。彼女の部下たちは素早く反転した。
一方で、アランヤードもまた違和感を覚えていた。無駄な事を何度も繰り返す太陽姫云々は元より、敵軍の動きも疑問を覚えるものだった。突撃し、すぐに撤退する。専守防衛のルイーナ軍と同じように、まるで時間稼ぎをしているような動きだ。
「……なにかを狙っている? いや、それにしては……」
「殿下、ソラリューナ殿からの伝言です。極大呪文発動の兆しあり、と」
砦の上から見下ろせば、確かに戦場では動きがあった。敵軍が下がり始めている。
「連唱詠唱を開始。こちらも対応する」
「はっ。魔法部隊、連唱を開始します」
思考を切り、極大呪文へ意識を集中させる。片手間に唱えられる程、難易度の低い呪文ではないのだ。
「とにかくまずは、これを防がないとね」
戦端が開かれ、通算五度目の極光が戦場を駆け抜けた。
「あの子の檻を開きなさい」
「はっ」
極光が大地の壁に阻まれるのを視認するのと同時に、マイリエルは手近な者に指示を飛ばした。兵は即座に部隊後方に位置した檻の戸を開く。すると、押し退けるように檻は吹き飛び、一匹の翼竜がマイリエルの後ろに跪いた。
「それでは、行きます。貴方達も突撃を」
「はっ。ご武運を」
ひらりと飛び乗り、手綱を持つ手に力を入れる。それに反応するように、翼竜は高い嘶きと共に空へと飛び上がった。
極大呪文を防ぎ切った事に安堵し、迫りくる敵軍を迎え撃つように展開する。そんな時だった。砦の上にいたアランヤードが、一つの影を見つけた。
「あれは……」
とても大きな翼。自身の飛竜を飼っているアランヤードにはそれが翼竜だとすぐに気付いた。しかし、それにしては巨大だ。少なくとも、この辺りに住んでいるような種ではない事は確かだろう。それが凄い速さでこちらに向かって来ている。
「弓を構えろ! あれを撃ち落とせぇ!」
即座に指示を飛ばすフレンシボル。矢が空に向かって放たれるも、その翼竜は構わず突っ込んできた。
「なにっ!?」
恐ろしく固い鱗に覆われているのか、矢が当たっているにも関わらず速度は落ちない。そして、その背にだれかが乗っているのが見える。――瞬間。
「ディアシャーレス・ファランクス」
光の巨槍が砦に向かって放たれた。
ガラガラと瓦礫に埋もれる入り口を一瞥し、その人物は翼竜を操りアランヤードの前に姿を現した。
緊張と、あり得ない光景にアランヤードの喉がヒリヒリと乾いていく。掠れた声で、眼前の人物の名を告げた。
「……太陽姫、マイリエル・サン・ゼリアリス……。まさか、単身乗り込んで来るとは……」
「お久し振りですね、アランヤード殿下。本当に、梃子摺らせてくれますね」
怜悧な視線を向けたまま、マイリエルは翼竜の背から降り、優雅に頭を下げる。発せられる声は鈴の音のように美しく、どこまでも冷たい響きを含んでいた。
護衛の兵たちが慌てたように剣を抜き、油断なくマイリエルに向ける。そちらには興味が無いように、軽く片手を上げた。
「ゴォ――!」
側に控える翼竜が吠え、口腔に赤い炎が宿る。いち早くそれに気付いたアランヤードが叫んだ。
「伏せろー!」
赤い業炎が放たれ、アランヤード達を襲った。後ろのレンガの柱を溶かすその威力と勢いは、炎と言うよりは熱線だ。
翼竜も竜種ではあるが、低級のはず。炎を吐けるにしてもここまでの威力は出ない。その恐ろしく巨大な姿も判断材料になったのだろう。アランヤードはポツリと呟いた。
「……異常種、か」
「ええ。彼はデュマルアム。先代アーリッシュ王専用の飛竜です。彼が没してからはその凶暴性からだれも扱えなかった子なのですが……今はこうして私が乗らせて頂いています」
事も無げにそう言ったマイリエルに、フレンシボルは絶句する。デュマルアムの話題は過去にいくつか聞いた事があった。先代アーリッシュ王が従わせるまでに数十の冒険者が挑み、敗れ去ったという逸話が残る程にデュマルアムは強さを強調されて伝わっている。それを容易く従える彼女の力量に、剣を持つ手に汗が滲む。
「さて、それでマイリエル姫は一体こんな所になんのようだい? 大したもてなしは、出来そうにないよ?」
チラリと護衛の兵士たちを見る。顔は青いが、まだだれも剣を落としてはいない。その事を唯一の希望として、彼女に問うた。
「アランヤード殿下。不躾ではありますが、共に来て頂けませんか?」
「嫌だ、と言ったらどうなるのかな?」
「もちろん――」
マイリエルの手が下がる。それを待っていたように――
「ガァアアア――!!」
デュマルアムがフレンシボル達へと急襲した。
「アイズ隊長、アーサー!?」
「クッ、このっ!」
「お、王子! お逃げ下さい!」
翼竜の重たい一撃を三人がかりでなんとか防ぎ、巨大な翼での一撃が他の三人へと向けられる。都合六人の護衛兵士を威嚇するように大きく口を開け、そこへ赤い光りが宿る。
「ヤバい、あれが来るぞ!?」
フレンシボルの咄嗟の叫びに回避行動を取る兵士たち。刹那、熱線が砦の一部を焼き切った。
「――力尽くで」
呆然とするアランヤードに追い打ちをかけるように発する。マイリエルは剣を抜き放ち、淡い光りを纏いながら鋭い視線を向けていた。
「…………」
額から冷たい汗が流れ落ちる。現状、アランヤードに対抗する手段がない。これが魔法での撃ち合いならばまだ分からなかったが、推定五メートル。既にマイリエルにとって、一歩の距離だ。言葉を口にするより先に首が跳ねられる。
良くも悪くも魔法使いとして育てられてきたアランヤードでは、こういった状況に対応出来ないのだ。
(……ユ、ユクレの言う通りもう少し真面目に剣を習っておけば良かったかも……)
内心涙目で愛しの親友の姿を思い浮かべる。その姿を妄想してちょっと気が持ち直した。
護衛の兵士達は翼竜の異常種に阻まれこちらの援護は期待出来ない。絶望感溢れる相対の最中、アランヤードはその音を耳にした。
──空気が弾けるような、そんな音を。
次いで砦の外壁がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。下からなにかが迫って来る気配に、マイリエルの表情に疑問の色が浮かぶ。砦の入り口は既に潰したはずだ。別の場所から侵入したとしても、こうも早くやって来られるはずがない。
次の瞬間、何者かの影によって思考を中断させられた。
「そこまでにしてもらうわよ、太陽姫!!」
「来ましたか、セイレーシアン・オルバール!」
飛び上がるようにして現れたのは赤い髪の少女、セイレーシアン。剣を大上段に構え、マイリエルに振り下ろす。
剣と剣がぶつかり合い、二人の視線が交差する。
「暴発せよ振動──衝撃!」
「っ!?」
剣を倒し、僅かに開いた隙へ左腕を突き出した。掌がマイリエルの視界を埋め尽くす──刹那、爆裂音が空気を揺らした。
「……っ!」
自分の魔法に弾かれるようにセイレーシアンは宙を舞った。クルリと回転してアランヤードの近くへと着地する。
「アラン、生きてるわね? 最悪手足がもげていても良いわ」
「お陰様で五体満足さ。微妙に恐いことを言わないで欲しいんだけど。どうやってここまで?」
救援が来たのは素直に嬉しいが、前線にいるはずのセイレーシアンがなぜここにいるのか疑問する。
「嫌な予感がしたから戻って来たのよ。そしたら空に大きな翼竜はいるわ、門が破壊されて中に入れないわで……面倒くさいから壁を壊して落ちてくる瓦礫を踏み台に登って来たのよ」
アランヤードがいるこの場所まで、優に二十メートル以上あるのだが。崩れ落ちる壁を飛び移る姿を幻視して、苦笑気味に言った。
「さらりと言ってるけどそれ十分に人間業じゃないからね?」
「そうかしら?」
分かっていない様子のセイレーシアンにため息を送る。太陽姫ばかりが話題に上るが、彼女も割と有り得ない事を平気でするのだ。
アランヤードとの会話を切り、セイレーシアンは余剰魔力の煙に覆われた場所を三白眼で睨みつけ、油断せずに剣を握る。
「やったかな?」
「……今の一言で無傷が確定したわ。一応、強力な一撃を叩き込んでやったけどね」
ぶわりと光を伴った魔力が風を起こし、煙を吹き飛ばす。
「……やっぱりダメだったわね。結構自信はあったんだけど」
「無論です。この程度では私を下せませんよ」
そこには、少しの汚れもないマイリエルが佇んでいた。乱れのない無表情を貼り付け、濁った瞳がこちらを向いている。
その様子に眉を顰めた。
「貴方……本当にマイリエル姫なの?」
「……? なにを当然の事を……私がマイリエル・サン・ゼリアリス以外のなにに見えると言うのですか?」
「少なくとも、以前に会った時はそんなつまらない目をしてなかった気がするけれど?」
「つまらない……?」
分からない様子でマイリエルは首を傾げた。
「まあ、良いわ。ここで貴女を叩けば晴れてこのバカげた戦も終わりよ。力を過信した自分を恨みなさい」
「バカげた、ですか……ええ、そちらからすればバカげているかもしれませんね。ですが、私にとっては許す事の出来ないのですよ、貴方達は!」
本気の感情の発露に魔力が暴発する。荒れ狂う魔力を受けながら、アランヤードは首を傾げていた。
確かにゼリアリスで勝手に闘技大会を開き、経済に混乱を招いたのは、騙されていたとは言えルイーナの王族だ。だが、それだけであれだけの怒りの感情を露わにするだろうか。
思考に没頭するアランヤードは、一層暗く光る瞳の闇に気付かくことはなかった。
「一体なにをしたのよあのブタ親父……」
セイレーシアンも額に冷や汗を流しながら、引きつった表情を浮かべている。
「……それと、私は別に自分の力を過信した事などありませんよ? 貴女一人増えたところで、私に勝てると錯覚しましたか?」
「一人? なにを言ってるのかしら?」
ふん、と不敵な笑みを貼り付け、マイリエルの視線を受け止めた。えっ、と疑問を浮かべたのはアランヤードだ。
「セレシア? もしかして君の他に援軍がいるのかい?」
「当然よ。これでも私は小隊長なんだから、部下くらいいる……あら?」
キョロキョロと辺りを見渡すセイレーシアン。この場に居るのは太陽姫を含めて三人だけだ。少し遠くではフレンシボルが翼竜との激戦を繰り広げている。それ以外には、だれもいない。
「……可笑しいわね。ちゃんと手本を見せたはずなんだけど……」
「嫌な予感が……それってなんの手本だい?」
「えっ? だから、壁壊してからの城壁登り」
「そんなこと君くらいしか出来ないからね!?」
聞く限り、セイレーシアンの部下は来れそうにないだろう。すぐに諦め、ため息と共に剣を構え直した。
「まったく……今度訓練内容に加えようかしら?」
「どうでも良いけど城の壁を壊さないでくれよ……」
「では、そろそろ良いですか?」
漫才のような掛け合いに苛立っているのか、マイリエルはトントンと指を叩きながらセイレーシアン達へと視線を送る。冷たくも虚ろな瞳に若干気圧されるが、力を込めて睨み返す。
「ええ、問題ないわ。早く貴女を捕らえて、この戦を終わらせたいものね」
精一杯の強がりだ。それでもしない訳にはいかない。
セイレーシアンの言葉に、マイリエルの嘲笑が届いた。
「私を捕らえれば、ですか……本当に、貴女は浅慮なのですね」
「……どういう事かしら?」
「簡単な話です。私を倒したからと言ってこの戦争が収まると本気で思っているのですか? 本気で、この戦場で全てが決まると、そう思っているのですか? だとしたら、少々先が見えていないにも程がありますよ、セイレーシアン様?」
暗い微笑みがマイリエルから発せられ、ドクンと二人の心臓が音をあげた。
まさかと思う心に答えるように、太陽姫が答える。
「ここより北西……王都ルイーナから西にあるアロイ草原。確か、国境、でしたね? ――アーリッシュ国との」
「――っ!? まさ、か……!」
ルイーナ国と隣接する国は幾つかあり、南方にゼリアリス国、そして西方にはアーリッシュ国が位置している。ゼリアリス国とアーリッシュ国は仲が良い事で有名であり、もしかしたら――。
「そちらが時間を稼いでいる事は既に承知しています。大方、リーンセラ帝国に助力を願い出ているのでしょう? ですが、一手遅い。私たちの戦いもまた時間稼ぎ。本体である貴方達を足止めし、その間に西側から一気に叩く。言わば、私は陽動の駒なのですよ」
さらに、告げた。
「そして東にはブルートゥ号を始めとした二十隻の艦隊がダーゲシュテンを攻撃しています。恐らく、そこを拠点に王都へと攻め入る算段なのでしょう」
考えていた以上に最悪な情況に、言葉も出ない。マイリエルは濁った瞳を怪しく光らせ、これで終わりだと冷たく言い放った。
「……残念なことに、既に私たちの勝ちは決まっているのですよ。これ以上の血を流したくないのならば、今すぐに降服なさい」