忍び寄る凶鐘
ライゼス・ドルクは英雄とさえ呼ばれる人物だった。彼とその仲間達の事を十英雄と呼び、アーリッシュ国では無類の人気を誇っている。そんな彼が山賊に身をやつしていたと知る者は少なく、また彼が太陽姫に敗れたと知る者は、民衆の知る所ではなかった。
そんな彼が目を覚ました時、痛む頭と霜焼けの体、泥とトリモチに塗れていると言う自分の状態以上に訳の分からない状況が目の前にあった。
「あっ、ズルイッス! 最後の一人はシャシャにやらしてくれる約束だったはずッスよ!」
「別に良いだろう、お前は既に二人やってるんだ。最後の一人はオレにやらせろ。それなら二、二でちょうど良い」
「えー、でもシャシャだってまだコツを掴んでないんスよ?」
「それを言えばオレなど教えて貰ってさえいないんだ。だから良いだろう?」
目の前の白髪の男が、どこかウキウキとした表情で灰色の髪の少女を諭す。不承不承ながら頷いた少女から視線を外し、男はライゼスに向き直り、流れるような動作で手にした刀を振る――――ガキン。
「………………」
ダラダラと冷や汗が流れる。咄嗟に歯で刀を止める事に成功したライゼスは、なにがどうなっているのか分からない状況で行動を起こした。
「な、なんじゃこりゃあああああ――!?」
「ありゃ? なんか自力で正気に戻ったみたいッスね」
「チッ……。せっかく、霊斬りの練習が出来ると思ったのに」
心底残念そうな男の後ろに、見慣れた戦友が倒れているのを見ながら力の限り叫ぶのであった。
襲撃から数日が経ち、ユクレステは改めて目の前の人物と言葉を交わした。
「とまあ、そう言う次第です。街に侵入した賊は彼らで最後でしょうから、もう安全かと。……狙っていた物を手に入れたみたいですし、この街に留まる理由はないでしょう」
会話の内容は、事の発端と現状。それらを聞きながら、相手は困ったように首を傾げた。
白髪で、整った顔立ちのジルオーズ家の当主……ではなく、亜麻色の髪の女性、ソフィアだ。ヴァイオルはこの場にはいない。それでいいのかと言いたくもなるが、ジルオーズの仕事は以前からも病気のソフィアとヴェリーシェで回していたようなので、特に問題ないようだ。
「まあ、みんな無事だったから良かったじゃない。だから君もそう自分を責めないで」
「……そうですね」
悔しそうに唇を噛むユクレステは、口ではそう言いながらも晴れない表情をしていた。
理由は簡単だ。色々と事前準備をしていたにも関わらず、結局最後には出し抜かれ、天上への草原の鍵を奪われてしまった。負けに等しい失態だ。
とは言えいつまでも考え込んでいる訳にもいかないので、一旦思考を横に置いて状況の整理をする事にした。
まずライゼス達だが、あの後すぐに正気を取り戻した。と言うより、ウォルフとシャシャが霊斬りの練習に四人を斬っていたのだが。どうやら彼等は今までの記憶が無く、操られていたと証言している。深々と謝罪をした過去の英雄の姿に、困ったような空気になったのは記憶に新しい。
そして街の被害状況だが、一番の被害を受けたのは街外れの魔術学園だ。見事に焼け落ち、グラウンドは爆発によって穴だらけ。修復するには、長い時間が掛かりそうである。そちらはヴァセリアとその部下二名が必死に修繕作業を行っているはずだ。一応、ディーラとロウが監視の意味も込めてそちらに赴いている。かなり無茶なペースで追い立てられているが、自業自得と言う事で諦めて貰おう。
市街の方もいくつかの民家が破壊され、あちらこちらに穴が掘られていたりと割と惨状になっていた。その半分以上がユクレステの指示によるものなのだが、そんなことおくびにも出さずに賊が悪いと断定。結果ライゼス達が全部悪い、で押し通してしまった。反論しようにも、当時の記憶がない彼らはなにも言えず、穴埋めの作業に奔走していた。
そんなこんなで、現在この場に居るのはユクレステパーティからミュウ、ユゥミィ、マリン。ジルオーズからソフィア、ウォルフ、ヒュウとフウ。そしてフィルマだ。当主であるヴァイオルは鍵について調べると言って書斎に籠もってしまった。
「……フィルマ」
イスに座るウォルフが躊躇いがちに妹へと声をかける。十年振りに再会した妹は、ウォルフの記憶よりもずっと大きく、可愛らしく成長していた。彼女は人懐っこい表情をウォルフへと向けた。
「なんでしょう? お兄様」
「いや……重いのだが……」
「そうですか……でも降りませんから」
「…………」
そして過去のそれよりも膝に乗る重量を増している。
ウォルフの膝に座るフィルマがニコリと微笑み、あっさりと応える。元来甘えん坊な気質の少女が見せる我がままに、為す術もなく流される彼の姿は、正しく兄であった。
ここにシャシャが居れば便乗してきそうなものだが、現在シャシャとシャロンは分家の方へと帰っているため、そちらの心配はない。ユクレステは胸の内で、ほっと安堵していた。
和気藹々とした空気の中、屋敷の居間の扉が開かれる。入って来たのは、ガッシリとした大柄な男。アーリッシュの勇将、ライゼス・ドルクだ。
「悪いな、少し遅れた」
彼が入って来た事により、若干室内の気温が上がる。それに嫌な顔をしたユクレステは、作り笑顔で迎えた。
「うわむさ……いえ、構いませんよ。ささ、そこらにでも座って下さい。あ、ちょっと窓開けますね。他意はないですから」
「……おい、このガキ失礼じゃないか? オレが一体なにをしたってんだ?」
「いや、こいつは元からこういう性格だろう?」
「そんな事ないぞ、普段の主はもっとマイルドだ。多分、ミュウを襲ったのが未だに許せないのだろう」
「あれは仕方ないだろう、操られてたんだからよ。……まあ、悪かったな譲ちゃん」
ライゼスが真面目な顔をして頭を下げる。しかしその様子にビクリと肩を震わせたミュウは、さっとユクレステの後ろへと隠れてしまった。
「あ、いえ……」
「……あ、かき氷とか食べます? 穴一杯」
「待て! なんだか嫌な予感しかしないからその手を杖から放せ!」
どうやら覚えてはいないにしても、雪に埋められた事は体が覚えているらしい。ぶるりと体を震わせた。
コホン、と進行役であるソフィアが咳払いをして皆の視線を集めさせる。
「それじゃあ、ライゼス様。あなたのお話をお聞きしましょう。なぜあなた方は操られていたのでしょう?」
「あ、ああ……」
無理やり話題を戻し、ライゼスを呼んだ当初の目的を問うた。
「と言っても、あんまり覚えてはいなんだがな……。そうだな、オレが山賊をやっていたのは話したな?」
彼の言葉にユクレステ達が頷く。
「一月ほど前の事だ。突然オレ達が根城にしている山中に正規の軍がやって来た。アーリッシュの兵達だ。まあ、それは今までも良くあった事だから然して気にはしていなかったんだがな。いつもと同じように山に足を踏み入れた者を排除する、そう思っていた。……奴が来るまではな」
当時の事を思い出しながら、苦渋の表情で続けた。
「……太陽姫」
「っ!?」
囁かれた名前には、ユクレステも縁があった。ドクンと鳴った心臓の音を無理やり鎮め、続く言葉を待つ。
「あの太陽姫が現れてから戦況は引っくり返った。戦略は悉く潰され、個人の武ですら奴には届かなかった。数人がかりで襲い掛かっても容易くあしらわれ、蹴散らされ、気付けばオレ達はレイサス王の前にいた」
「……英雄でも、か?」
愕然とした表情で問うウォルフに、ライゼスはフンと自嘲的な笑みを浮かべた。
「英雄など、過去の遺物に過ぎん。ここにいるのは、小娘に一太刀も与えられなかったお山の大将だけだ」
「さて、その後の事だったな」
静まり返った部屋の空気を変えるために次の顛末を思い出す。頭に過ぎる優しげな双眸のレイサス王。彼と出会い、その直後だった。
「急に頭に靄のようなものが現れた。次に目を覚ましたら、ここにいたと言う訳だ」
簡潔な話しだ。そして同時に、簡単な話でもある。
「つまり、レイサス王になにかされたってことか」
「恐らくな」
ユクレステの独り言に律儀に答え、沈黙する。
「……なにかとは、なんだ?」
『んー、分かりやすいものだと人の心を操る、とか? でもそんなのって……』
「そうだな、高位の魔法使いでも難しい。相応の秘薬を扱えばなんとか……いや、待てよ……確かアーリッシュ国は遺跡が多く眠っているはず。なんらかの聖具、もしくは魔道具を使ったのか……んー」
ユゥミィとマリンの会話に入り込み、勝手に思考に沈んで行くユクレステ。しかし少しも考えが浮かばず、このままでは埒が明かないと判断したのか、ハァ、と吐息して窓の外へと視線を向けた。
「おまえはどう思う? ――シルフィード」
「そうねぇ……大体合ってると思うわよぉ」
「えっ、どちら様?」
突然現れたこの世のものとは思えない美貌を持った女性の登場に、ソフィアは呆気に取られる。彼女の正体を知っている者は皆警戒の色を濃くした。それだけ彼女は厄介な性格なのだ。
「……だれだ、この別嬪さんは。人間じゃあなさそうだが……」
「初めまして、アーリッシュの英雄様。私はシルフィード、風を司る精霊よ。よろしくぅ」
「はぇ?」
ライゼスの問いに応えたシルフィードが、変な声をあげるフィルマを見て可笑しそうにクスクスと笑う。そしてすぐにユクレステへと顔を向けると、両手を頭上にあげた。
「パンパカパーン! おめでとう、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンくん。貴方は無事私の試練を突破しました、約束通り本契約をしてあげるぅ」
「はいはいありがとさん。で、さっきの話に戻るけど……」
「あん、イケずぅ。くふふ、ま、どうでも良いんだけどねぇ」
「どうでも良いんかい」
含み笑いを残し、シルフィードはふわりと宙に寝そべった。形の良い胸が重力に引かれて形を崩し、わざとらしく服の裾をはだけさせる。冷めた目のユクレステは、面倒臭そうにツッコミを入れた。
「さて、それはともかく、鍵は守れなかったようねぇ。ざぁんねぇん。でもまあ、あそこに行くためには盗まれた方が都合が良かったかもしれないわねぇ」
「どう言う意味だ?」
茶化すような言葉に苛立ちを感じ、ウォルフは唸るように威嚇する。心の弱い人間ならばそれだけで泣き出してしまいそうだが、そこは腐っても精霊。クスクスと笑いながら流し眼を送っている。
「必要だもの。鍵は扉を開くためのもの。あれは最後の鍵、最初の鍵は既に彼等の手の中にあって、二つが揃えば中途の鍵は必要じゃなくなるの。この意味、分かるかしらぁ?」
謎かけをするように、シルフィードはユクレステに視線を向ける。彼女の楽しげな様子に、彼は知らずのうちに拳を握りしめていた。
「まさ、か……」
「そう、そのまさかよぉ。三百年前に開いた扉が、長い時を経てようやく開こうとしているの。そこに必要なものは、意思と鍵と、精霊の力。彼等はねぇ、秘匿大陸への扉を開こうとしているのよぉ?」
目指したものが、すぐそこに存在している。ユクレステは逸る気持ちを抑えつけ、シルフィードを凝視した。
ここですぐに飛び付けば、それこそ彼女の術中だ。ユクレステは知っているのだ。あの主精霊が、わざわざ善意で物事を教えるなどあり得ないと。
アーリッシュの国王、英雄達。そして、遺跡群。それらが繋がるものとして、一つの懸念が浮かび上がる。
「ちょっとちょっと! 大変よ大変! 緊急事態!」
雑音によって思考が中断される。乱暴に開かれた扉からはアミルとヴェリーシェがなだれ込み、焦った表情でユクレステ達へと突っ込んで来た。
「なんだ騒々しい。……姉上、どうしたのですか?」
「あ、ああ、あ姉上って……ヴィルが姉上って……私、嫌われてませんのよね? そうですわよね?」
「……アミル」
初めはうるさいアミルではなくヴェリーシェに問いかけたのだが、なぜかトリップしてしまったので仕方なく喧しい方へと顔を向ける。
アミルは焦りの表情のまま、大事件だと声を張り上げた。
「だから大変なのよ! 今ギルド経由で連絡が来たんだけど――」
中断された思考が再開される。
アーリッシュの英雄達を捕らえたのはだれだったのか。
元々、遺跡の探索ではどこの国が主流となっていたのか。
そして、アーリッシュ国は一体どの国と交流が盛んだったのかを。
「ゼリアリスがルイーナに宣戦布告をしたんですって!」
驚愕に眼を見開く暇さえ貰えず、ユクレステは瞑目したまま顔を伏せた。
「戦争が始まるわよ!?」
始まりは、本当に唐突だった。風が起こるよりも、雷が走るよりも早かったかもしれない。それだけ急転直下な事態に、時代に流される者はただただ驚愕するしかない。
平和な時代に生まれたセントルイナの人々が、これからの時代を進む上で避けられない選択を突き付けられていた。それが時代を変える最初の一歩である事を、理解するものは未だ一人としていない。
「……ゼリアリス、か」
その渦中に飛び込むように、少年は一人、瞳を開く。
今回は短めとなっております。だから一日で更新出来たんですけどね。
これにてジルオーズ編は終了です。次回の外伝を投稿した後、新章突入です。やっとここまで来れました……長かった、なんと今回でちょうど八十部なんですよ。十か月以上掛かりました……。さて、もう一踏ん張りですね! がんばります!
これからも応援よろしくお願いします!