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聖霊使いへの道  作者: 雪月葉
セントルイナ大陸編
79/132

親子喧嘩

 駆けたウォルフは速度をそのままに、一息に斬り込んだ。風を斬る音が耳に入り、ヴァイオルは薄い笑みを引っ込めて軽やかに後ろへと下がる。目の前を刃が通り過ぎたのを確認し、彼は人差し指をウォルフへと向けた。そのまま一言。

「ストーム・バレット」

「――っ、チィ!?」

 身を屈めながら下がり、四つの風の弾丸を避ける。全てがあらぬ方向へと飛んで行ったのを確認し、即座に攻勢に躍り出る。

「剣気一刀――回刃!」

 クルリとその場で回転し、遠心力を得た斬撃を見舞う。

 ヴァイオルは冷たい眼差しで刃を見据え、グッ、と姿勢を低くし、迫る刀の腹に己の肘を下から打ちつけて逸らす。

「なにっ!?」

「中々良い速度だ。だが――オーバーレイ・ストーム」

「ガっ――!」

 ポツリと囁かれた魔法によってヴァイオルの腕に風の装甲が付けられた。そのままウォルフを殴り飛ばす。

「速いだけの剣士など、分家連中で見飽きたぞ?」

 悠然とその場で手招きをするヴァイオルの姿を視界に納め、ウォルフはようやく地面に足をつけた。まるで大型の魔物に殴られたような衝撃に、思わず足元がふらつく。風の装甲魔法を纏っているとは言え、これほどまでの威力とは思わなかった。

 そもそも、ウォルフは思い違いをしていたのだ。

 ジルオーズ本家は魔法に秀でた家系であり、そこの当主であるヴァイオルも魔法一辺倒の相手なのだと、勝手に思い込んでいたのだ。しかしそんな事はなかった。刀こそ持ってはいないが、先ほどのは分家ジルオーズの動きだった。

 良く考えれば分かることだ。ジルオーズ家は力を重視する。特に、あの父は殊更力に執着してた。そんな彼が、分家に伝わる体術を会得していたとしても当然のことだと言えよう。

 周りにいる魔法使い連中を思い出しても、程度の差はあれ魔法だけを習得しているものはいないのだ。ユクレステは幼い頃から剣を振っていたし、アミルもシーフとして短剣術を会得している。ヴァイオルが武術を習得していたとしてもなんら不思議ではない。

 ウォルフは体に走る痛みに集中し、己の失態を体に覚え込ませる。相手は恐らく彼が今まで戦った中でも最強の部類に入る。それならば、先入観は捨て全力で当たるべきだ。

「……良し」

「ほう……」

 スッと視線を細め、刀を握る手に力を込める。雰囲気の変わったウォルフに感心したように声を漏らすヴァイオル。同時に、そっと右手の指輪型の魔力媒体に触れた。

「炸裂せし風雨の意思、侵攻多くを奏でよ精霊の華、新たなる風を刻み込め――」

「シッ!」

「ゼグ・エクスプ・シルフィード」

 現れた六つの風玉に構わず突貫する。ビー玉程度の大きさの魔力球が炸裂し、爆音と共に暴風を巻き起こす。ウォルフは身を低くして、一気に駆け抜ける。暴風が押し潰そうと迫るのを滑るように横に跳び、次の攻撃が来る前にさらに前進する。

「ストーム・カノン」

 向かって来るウォルフに人差し指を突き付け、風の砲撃を発射する。地面を穿つ魔法を跳躍して躱し、勢いをつけて刀を突き出した。

「剣気一刀――刺撃!」

「ストーム・バインド」

 風の鎖が刀を捕らえるが、それだけでは勢いは止まらない。ヴァイオルの肩を浅く斬り付け、ジワリと服に血が滲む。

「ふん、傷をつけたか。中々、やる」

「っ!」

 風を纏った掌打がウォルフの胸に衝撃を与える。体がふらつくのを見逃さず、ヴァイオルはさらに両腕を突き出した。

「クッ、この――」

 刀でヴァイオルの攻撃を防ぎ、一旦後退する。刀を腰に構え直し、剣気と共に振り抜いた。

「剣気一刀――列空!」

 斬撃がくうを飛び、ヴァイオルを斬りつける。頬に一筋の赤を作りながらも、構わず詠唱した。

「風光明媚にして威なる風の精霊、気高き杯を満たす優しさの根源、全てを断切し、今解き放て――シルフィード・ソードバスター」

 その魔法を見てゾクリと背に走る悪寒。先ほどの砲撃よりもさらに巨大な風の奔流がウォルフの眼前に現れた。即座に横に跳ぶ。だが、その全てを避け切ることが叶わずに左足が風に巻き込まれた。

「ぐぁ……!」

 見れば、ズタボロになった服の残骸が脚にへばり付いている。足に力が入らず、膝をついてヴァイオルを睨みつけた。

「良い動きだ。だが、その足では最早今までの動きは出来ないだろうな」

 赤く草を染めるウォルフの足は、まるで刃物で切り裂かれたように血に塗れている。それでもなお、彼は立ちあがった。

「く、はぁ……それでも貴様を斬るくらいは出来る。違うか?」

「……いや、その通りだ」

 まともに立ち上がる事さえ難しい中、それでもウォルフは戦意の衰えない瞳で射抜いている。その様子にヴァイオルは愉快そうに顔を歪めた。


 とても似ていると感じた。ヴィルフォルマ・フォア・ジルオーズ。彼のその力にかける執念と、決して諦めずに喰らいついて来る獣のような姿が、自分と重なって見えた。

 ジルオーズのために力を求め続けた父と、ジルオーズに復讐するために力を求め続けた子。そのあり様が、同じなのだと笑みを作る。

「子は親に似たか。ならば、超えてみろ」

 そう言ってヴァイオルは両手に嵌められた指輪に触れ、腕を交差させて魔力を練り上げた。

「逆巻け大気の円環よ、暴風の精霊を従え飛べ、刹那の流れに消えよ、無用の調べと共に――シルフィード・サイクロン」

 詠唱が終わるのと同時に、ジルオーズの屋敷に巨大な竜巻が巻き起こった。



 穴を塞ぐように蓋をした屋台に座りながら、ユクレステは神妙な面持ちで街の中心に発生した竜巻を眺めていた。その隣でミュウがオロオロと心配そうな顔をしている。

 ピリピリと肌に触れる魔力を感じながら、無意識に杖を持つ手に力を入れた。

「……ご主人さま。ウォルフさまは、大丈夫でしょうか?」

「ん、そうだな……やっぱり、心配?」

「……はい」

 ミュウは僅かに逡巡した後に、コクリと頷く。かつての主が戦っているのだと、巨大な魔力が教えてくれる。その魔力たるや、ユゥミィやディーラに近いものがあるのだ。人の身でそれほどまでに強力な魔法を使えるとは、驚きの感情しか現れない。

 ユクレステはミュウの頭に手を置き、考えるように顎に手を添えた。

「そっか。んー、ここから感じるだけでも強さはかなりのものだな。魔法の威力だけならディーラにも負けてない。魔法使いとして戦えば、俺やユゥミィじゃあ勝つのは難しい相手だろうな」

 ディーラならば真正面から撃ち合えるかもしれないが、そもそも悪魔族の中でも高位のロード種を相手にまともに撃ち合える事自体可笑しいのだ。

 それを為せるジルオーズ家の当主、ヴァイオル・フォア・ジルオーズ。正しく規格外な人物だ。

「それでは……」

「…………ま、それでも勝つさ」

「えっ?」

 あっけらかんと言ってのけるユクレステに、ミュウは思わず聞き返した。

「だってそうだろう? 今この時、ウォルフは勝と決めたんだ。なら、勝つ以外に考える事なんて一つもないだろう?」

「そう、ですよね……」

 信頼しているようなその言葉に、ミュウは暗い顔のまま頷いた。納得していない彼女の姿に苦笑し、ユクレステはそれならばと言葉を続ける。

「もし負けたんなら、その時はこっちでなんとかするさ。そうだな、取りあえずウォルフを救出して、一緒に旅をしようか。それで力をつけて再チャレンジ。その時には俺が騒ぎを起こす係にでもなろうかね」

「えっ……ウォルフさまとも、旅をするのですか?」

「ああ。唆した手前、なんとしても勝たせなきゃいけないからな。もちろんあいつ自身の力で。だから、それまで一緒に武者修行の旅でもつき合わせるさ」

 笑いながら言うユクレステに、流石に冗談だと気付いたのかミュウはクスクスと笑みを浮かべた。

「そう、ですね。それなら、リューナさんに頼んでみたらどうでしょうか?」

「おっ、それ良いな。リューナなら東域国の剣技には明るいだろうし、ちょうど良いかも。……でもそうなると確実に俺も巻き込まれるんだろうなぁ」

 修行の日々を夢想し、辟易とした表情でうな垂れる。

 そんな想像の日々でしかない事はさておいて、ユクレステ達は再度空を見上げた。風が怒り狂う、ジストの街の空を。




 ヴェリーシェが杖を振り、それに倣うようにアミルも新品の杖を掲げる。魔法薬から放たれた雷の槍が風に愛された女性へと向かい、片手間に腕を振るい風を生み出して防御する。その様子にチッ、と舌打ちをしてアミルは腰から下げた投擲用のダガーを投げた。

「甘いですわ! その程度、風に流されるだけで消えてしまいなさい!」

「ああっ! あたしのお気にが! なんて事すんのよこのツンデレお譲!」

「だれがツンデレですかがさつ女!」

「んなっ!? あたしのどこががさつなのよ! 炊事洗濯サバイバル、なんでも御座れの有能冒険者アミルちゃんを舐めんじゃないわよ!」

「りょ、料理などシェフにやらせれば良いだけですわ! ふぅ、これだから庶民は!」

「こ、このアマ……!」

 突風に吹き飛ばされ消えて行くダガー。舌戦を繰り広げ、明確な殺意を瞳に宿したアミルはポケットから魔法薬の入った小ビンを取り出し、蓋を開く。

「いーわよ、もう怒ったんだからね! こうなったら奥の手見せてやるんだから!」

「上等ですわ! 私の力で、完膚なきまでに叩き潰してやりますわ!」

 スッと細められた視線の先、ヴェリーシェを標的に入れ、アミルはゆっくりと魔法薬を地面に染み込ませる。ユクレステからタダでもらった一つの小ビン。その内側から透明な雫が注がれた。

「遅いですわよ! 風の巨槍――シルフィード・ファランクス!」

 風を編み込み作り上げた翠の巨槍を放ち、ヴェリーシェは注意深く観察する。アミルの瞳は巨槍を映しておらず、ただ真っ直ぐとヴェリーシェを向いていた。

 そしてその表情は――笑っている。

「イグニー・ブリザー」

 囁かれた言葉に反応し、地面に浸透した魔法薬は発動する。白い煙が彼女を基点に発生し、辺り一面を埋め尽くした。

「え、煙幕?」

 ユクレステから貰った魔法薬。それは、氷と炎を同時に展開し、蒸気を急速に発生させるという単なる目くらましの魔法だった。だが、使いどころによってはかなり有用な手段となり得るのだ。

「クッ、邪魔ですわ!」

 払うように腕を振り、風で蒸気を吹き飛ばす。しかし、

「い、いない!?」

 つい先ほどまでアミルが居た場所には、彼女が持っていた杖だけが地面に突き刺さっている。もうもうと煙が地面から発生しているのは、あの杖が原因なのだろう。そこまで思考し、すぐにいなくなったアミルを探す。その刹那、

「悪いわね、こいつでお終いよ」

 ヴェリーシェの首筋にチクリと鋭い痛みが走った。振り返るとそこにはアミルがナイフを持って立っており、その刃先で僅かに傷つけられたのが分かる。

「何時の間に! ですが、このくらい……えっ!?」

 急激に体の力が抜け、ヴェリーシェはふらりと尻もちをついてしまった。良く見れば、ナイフからは僅かに水滴が滴っており、なんらかの薬品が付着しているのだと気付く。

「即効性の麻痺毒でね。効果時間が短い代わりに良く効くでしょ?」

「ま、麻痺毒? ひ、ひきょう、もの……」

 毒によるためか、上手く舌が回らない。それでも彼女の言いたい事を理解したのか、アミルはニヤリと悪い笑みを浮かべた。

「卑怯? なに言ってんのよ、あたしは魔法使い兼シーフなのよ? 虚を突いて、忍び寄って、戦闘不能にする。それがあたしの戦い方。ご丁寧に魔法だけで戦うはずないでしょ?」

 ふん、と胸を張って、元生徒会長に不良生徒が言う。

「魔法学園中退を舐めんじゃないわよ」

 全くもって、胸を張るような事ではないのだが。


「って、うわっ!?」

 気分良く勝ちどきを上げたアミル。そんな彼女がゴウ、と突然吹いて来た風に押され前のめりに倒れてしまった。

「あーもう、なによ今、の……って、えっ?」

 目線を上げれば、そこに映ったのは、巨大な竜巻。

「な、なによこれー!?」

 呆気に取られ、間抜け面を晒すアミルとは別に、ヴェリーシェは呆然と呟いた。

「ヴィル……?」



 眼前に迫る風の壁を見上げ、魔法と言う圧倒的な力の前にウォルフは苦笑する。

 昔から、常々思って来た事だが今さらながらに思い出す。魔法とは、なんと理不尽なものなのだろう。魔力や才能というものが絶対的に必要だが、その分力と言う点では群を抜いている。本当に強力な魔法使いならば、目の前の事象のように災害を呼び起こすことさえ可能なのだ。

 そんな相手を、刀一本で越えるとは、やはり不可能なのだろうか。

「――ハッ、そんなもの、今さらだ」

 刀を地面に突き刺し杖のようにして立ち上がる。顔には喜色が浮かび、風の向こうでこちらを見据えているヴァイオルを睨みつけた。

 ジルオーズ家の頂点。天上への草原に捨てられ、一番に恨みを抱いた人物。けれど、過去にウォルフが憧れた相手。

 なぜ捨てたのかと、問いたかった。

 幼いウォルフも、出て行けと言われれば言う通りにしただろう。それはジルオーズとしての矜持だ。力を求める事を兄弟の中のだれよりも理解していたウォルフだからこそ、一族の考えには納得していた。それなのに、捨てられた。いずれ出るかもしれない力の芽を、なぜ自ら捨てたのかと。

 だがそれも、ようやくではあるが真相を聞き出せた。

「そうだな、これがジルオーズか。まったく、理解出来過ぎて反吐が出る!」

 母との確執が原因であったのか。了承はしたが、父はあまり関わっていないと見るべきだろう。なぜなら、ヴァイオルは自身が強くなる事以外にはとんと無関心だからだ。それは、常に目標として来たウォルフがだれよりも知っていた。そしてそれは、今も変わってはいないようだ。

「良いだろう、魔法使い。オレは、貴様らを全て斬り伏せる」

 ヴァイオルに、ヴァセリアに、ともすれば、ユクレステに。ウォルフは全ての魔法使いと呼ばれる人物へ、宣戦布告した。

 それはつまり、今までのジルオーズを越えると言う事。

「ふぅぅぅ……」

 刀を地面から引き抜き、力を抜いてダラリと剣先を下げる。視線は下に、己の剣気も捨てる。

 迫る風を一身に受け、瞳を開いた。

「行くぞ、クソ親父。いつまでもオレの上にいられると思うな!」

 気合を吐き出し、ウォルフはダッ、と地面を蹴った。

「なにをする気だ? 気でも狂ったか?」

「そんなものは、とうに狂っている!」

 風が刃となってウォルフの身に降りかかる、吹き飛ばされそうな体を必死に繋ぎ止め、獣の瞳を滾らせ前へ前へと突き進む。体中が悲鳴を上げ、バラバラになりそうだ。

「ォ、ォオオオオオ!!」

「っ!?」

 ウォルフはそれを、斬り捨てた。

 袈裟一薙ぎ、返す刀で真一文字に斬り上げる。――――瞬間、空が割れた。

「バカなっ……クッ!」

 風の渦が斬り捨てられ、後に残るそよ風がウォルフの白い髪を揺らす。戸惑いに反応が一瞬遅れたヴァイオルに向かって、一歩。

「ハァアアア――!!」

 雄叫びと共に振り切られた刀が、赤く染まった。

 袈裟掛けに斬られたヴァイオルが、その場で膝を着く。

「ガ、ハ――まさ、か……みたま斬り、だと?」

 ドクドクと血が流れる胸を押さえながら、今起こった現象に驚愕を示した。

 ウォルフが放ったのは、間違いなくみたま斬りだった。分家の中でも出来る者など僅かしかいない、秘奥の一つをだれにも師事していない少年が披露してみせたのだ。驚くなと言う方が無理というもの。

 しかし、当の本人は、荒い息を整えた後首を傾げる。

「霊斬り? なんだ、それは? オレは斬れると思ったから斬っただけだ。そんな技、見た事なかったぞ」

「斬れると思ったから……か。ク、ハハハ。なるほど、面白い」

「なんだ、突然」

 驚愕を今度は唖然にし、ヴァイオルは痛む体を忘れて笑い出した。それがお気に召さなかったのか、ウォルフは憮然としながら刀を鞘に納める。その姿に、疑問を一つ。

「斬らないのか?」

「もう斬った。オレはお前を倒した。ジルオーズで一番の強さを持ったお前をな。だから、オレの……ジルオーズへの復讐はこれで終わりだ」

「……そうか」

 それきり黙り込むヴァイオルから視線を外し、それを見る。竜巻が消えたジストの空。久し振りに見る故郷の空は、どこまでも高く、澄んで見えた。



「ヴィル君やっほー! てややー!」

「ぐっはぁ!?」

 そんな油断し切った所へ腰から下を狙った見事なタックルに、ウォルフは地面に叩きつけられる。怒りゲージが溜まるよりも先に、どこか懐かしい光景に呆けてしまう。むくりと上半身を起こしてそちらを見れば、亜麻色の髪の女性が子供っぽい表情で見つめている。

「……はぁ。お久し振りです。……ソフィア母様」

「ええ、久し振り。本当に、久し振りね……」

 良く見れば、彼女の瞳が潤んでいるのが分かる。ギュッとウォルフの頭を抱きしめ、昔にやっていたようにボサボサの髪を何度も何度も撫でつけた。

「ソフィア母様、少し、恥ずかしいのですが……」

「そう? ……そう、ね。もうヴィル君も、こんなに大きくなったんだものね」

 昔は胸に抱いていた少年が、今やソフィアをスッポリと抱きしめられるくらいに成長したのだ。嬉しいが、少し寂しいとも思う。

 まあもちろん、ウォルフにそんな事が出来ようはずもないのだが。ここにマリンかユクレステでも居ればからかいの一つは飛んで来たことだろう。

「ヒュウ、ありがとう。ソフィア母様を守っていてくれて」

「……ワン!」

 彼女の後ろから着いて来ていた風狼のヒュウがどこか疲れた表情で吠えた。どうやら、ソフィアの話相手は余程疲れるようだ。

 ヒュウが来た事によりようやくウォルフから離れたソフィアは、今度はヴァイオルへと近寄った。流れる血や傷の様子を観察し、うん、と頷く。

「ヴァイオル様、大丈夫ですか?」

「そう見えるか?」

「ええ。あなたなら平気でしょう? 死ぬ事はないと思いますけれど?」

 冷たい、と言う訳ではないのだが、どこか怒ったような声がヴァイオルに向けられる。その怒りの理由はもちろん、ウォルフのことだ。

「ヴァイオル様、私たちが初めて会った時の事を覚えていますか?」

「ああ、良く覚えている。後にも先にも、私に対して無言で平手打ちをした女はお前だけだからな」

「ええそうでしょうとも。あなたを殴るような人はいませんでしたからね。ジルオーズだかなんだか知りませんけど、力にばかり固執して家族を顧みない方は殴られなければ分からないんです。それは今も昔もちっとも変わらない。正直、幻滅ですよ幻滅。元々それほど良い印象はありませんでしたけど」

「クク、相変わらずキツイ女だな。だからこそ興味深くはあるのだが」

 ふい、と顔を逸らしながらソフィアは言った。

「本当ならもっと早く殴りに行くべきだったんですけどね。体が弱っていたのが口惜しいです。まあ、今ならばなぜか体が軽いので平手打ちと言わずグーで殴れますけど」

 グッ、と拳を握る動作をしてヴァイオルを眺め、ため息を零しながら手を解いた。

「まあ、今回はヴィル君に直接やられた訳なのでなにも言いませんけどね。でも、これに懲りたらちゃんと家族の事も見てあげて下さいよ? じゃなきゃ、今度こそ私が黄金の左を使って殴りますから」

「……難しい事を言うな。今更私に、父親面など出来るはずがないだろう? 元々、人の親になどなるような柄ではないのだ」

「……すぐ逃げる。あーもう、とにかく! 今はこの大騒ぎをなんとかして下さい! さっきから街の人が苦情言ってきて大変なんですから」

 街での大騒ぎ、学園での破壊活動に加え、ジルオーズの屋敷での巨大な竜巻。街の方々がどう思うのかは想像に難くない。

 それでも彼等は、ああまたジルオーズね、と軽く受け止めているようだが。良くも悪くも、ジルオーズと言う名はアークス国では有名なのだ。

「ハァ、まったく……一体だれがこんな事をしたんでしょうね?」

 疲れたようなソフィアの呟きに、ウォルフの頭には真っ先にユクレステの顔が浮かぶ。そこでようやく襲撃されている事を思い出す。

「……そうだ。おい、ヴァイオル。天上への草原に行くための鍵とやらはどこだ?」

「なんだ、唐突に」

「賊がそれを狙ってここに来ているそうだ」

「……なるほどな。それでか」

 ウォルフの言葉を聞き、ヴァイオルは首からさげた灰色の石を取り出した。

「これがそうだ。だが、なぜこんなものを欲しがる。わざわざジルオーズを敵に回してまで必要とする理由が分からない」

「それこそ知るか、だ。そんなものは賊から直接聞け」

「あ、あのー」

 吐き捨てるように言うウォルフの声を遮って、ソフィアが静かに声をあげた。どうしたのかとそちらへと顔を向けると、

「ヴィル君、ヴァイオル様。助けて?」

「……鍵を寄越せ」

「………………なっ!?」

 剣を首元に当てられ、涙目になっているソフィアがそこにいた。


 見た事もない男だ。軽装の剣士といった装備で、切れ長の瞳の奥には濁った光が宿っている。すぐにそれが賊の一人だと理解し、ウォルフは刀に手を伸ばした。

「動くな」

「……チッ」

 男の鋭い声にピタリと手を止める。速攻で斬り捨てるべきか逡巡していると、ヴァイオルが声で遮った。

「ヴィルフォルマ。侮るな。強いぞ」

「グルル……」

 油断していたとは言え、実力者である二人に気付かれずに接近し、ヒュウの隙をついてソフィアを人質にしたのだ。余程の実力者でなければ出来ない芸当だ。

「鍵を寄越せ。そうすればこの女は返す」

 完全に固まってしまったソフィアを無視して、再度の警告。

 ウォルフはチラリとヴァイオルを盗み見る。普段と変わらぬ無表情で、鍵に手をかけていた。

「……良いのか?」

「……別に構わん。鍵が無くとも天上への草原に入る事は出来る。だが、ソフィアがいなくなればお前達は私を許さんだろう? ……ソフィアには情もある」

 ポイと放った鍵を受け取った男は、ソフィアの背中を蹴飛ばした。

「きゃあ!?」

「くっ!」

 倒れるソフィアを抱き止め、同時に刀を抜く。だがその時には既に男の姿はなかった。

「ヴァイオル」

「逃げられた。この傷だから、では言い訳にはならんかもしれんが……恐ろしく速かったな。回復してもあれには追いつけん」

 ヴァイオルのスピードだって遅くはない。直接対峙したウォルフにはそれが分かっているため、余計に驚愕する。

「しかしあの男……もしや」

「……知っているのか?」

 驚くウォルフをよそに考え込んでいたヴァイオルは、予想の名を口にした。

「マルシア・ギニア。かつて神速と呼ばれた、アーリッシュの英雄の一人だ」

「神速、マルシア……」

 ウォルフでさえ聞いた事のある名に、愕然とする。高まる心臓の音は、強者に出会えた喜びに満ちていた。



「う、うーん……ヴィル君がもふもふに、もふもふのペロペロにぃいいい」

 一方、ソフィアはウォルフの胸に顔を埋め、なにやら訳の分からない事を呟いていた。ヒュウが彼女の足元を舐めていたのが原因ではないかと考えられる。

次回でジルオーズ編はラストになりそうです。

場面転換が難しい……。

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