旅は道連れ
ウォルフの話を聞き終え、ユクレステは神妙な面持ちで頷いた。
「なるほどね。対外的に長男を罰するよりも、一族の異端であるおまえを首謀者として処分したのか」
「そうなんだろうな。それも、天上への草原に捨てると言う念の入れようだ。大分前から奴らのことなど見限っていたが、あそこまでやるとは思わなかった」
「いやー。良く生きてるな、おまえ」
若干の呆れ顔に気を悪くすることなく、ふん、と鼻を鳴らして答えた。
「ヒュウ達と出会わなければ、間違いなく死んでいたな。なにを思ったのかオレの傷を癒し、飯を与え、血の匂いに誘われて襲ってくる魔物達から守ってくれた。あいつらは、恩人なんだよ」
優しげな光が瞳に浮かぶ。
その様子を見て、なるほどと納得する。他人を寄せ付けないウォルフが、なぜあの風狼達に心を開いているのか理解した。
「異常種ってのはさ、大体が群から離されるんだよ」
「……なんだ、突然」
唐突に違う話題になったことに訝しみ、疑問の表情でユクレステを睨む。苦笑してそれを受け、まあまあと手の平を向けて言葉を続ける。
「その理由は色々ある。けど、本人からしたら堪ったもんじゃないよな? 他と違うからって勝手に群から排除されて、一匹で生きていかなきゃならない。だから、彼らは身内意識が非常に強い。自分が既に捨てられているから、そんなことさせたくないんだろうな」
ウォルフと共にいる三匹の風狼。彼女達も群から離された三匹……いや、一匹だった。一匹の孤独に耐えきれず己を三分割して心の平穏を保ちはしたが、それでも過去のトラウマからは逃げられない。そんな時に、捨てられた者を見ればどう映るのか。
「つまりさ、あの子達はおまえを見た瞬間、仲間だと思ったんじゃないか? 悲しみと憎しみで染まった瞳を見て過去の自分達を思い出して、おまえにはそんな風になって欲しくないって、そう思ったんだと思う」
確かにそうなのかもしれない。ウォルフを見る風狼達の瞳は常に慈愛に満ちており、まさに家族に向けるそれだ。ウォルフも、その事に関してはなんとなくではあるが勘付いていた。
「……だが、それでは……」
しかし、ふと思う。それならば、ヒュウ達と同じ異常種の少女との出会いはどうなのか、と。
疑問するような視線がユクレステに向く。
「そうだな……結局は、あの子らにとって一番に優先することはウォルフの事なんだよ。おまえは強くなる事を目標に冒険者として大陸を周っているだろう? だから、ヒュウ達はミュウを切り捨てた。あの頃のミュウは、色々と絶望していたからな。ウォルフが強くなるには、邪魔とは言わないまでもパーティーに組み込めなかったんだと思う」
無言での肯定をするウォルフに、ため息を一つ。
「はぁ……。おまえはさ、力を得る理由はなんなんだ?」
「……貴様には関係ない」
「ま、言わなくても分かるさ。実家への復讐だろ?」
「…………」
さらに黙り込むウォルフ。クールを気取っている割に分かりやすいなぁ、と内心で笑いながら言う。
「それなら、ちょうど今が時期だと思わないか?」
「……なに?」
「今ジルオーズ家はごたごたに巻き込まれている……いや、厳密にはまだなのかもしれないが、すぐになにかが起こる状況だ。おまえは知らないかもしれないが、さっき襲って来た連中、どうやらジルオーズが狙いらしいんだ。如何なる手段を使ってでもある物を奪い取りたいんだと」
「…………つまり、なんだ? それがどうかしたのか?」
「いや、だからさ……」
本気で分かっていない彼の姿にガクリと姿勢を崩しながら、子供に説明するよう細かに話していく。幼少時に他人から疎まれ、あまり他人と関わってこなかったせいもあってか、ウォルフは見た目よりもずっと幼い印象を覚える。捨てられた後もまともに接していたのは風狼の三匹だけだろうし、こうなるのは必然なのかもしれない。
頭が悪い訳ではないのだが……きっと世のお姉さま方はこう言う所に保護欲を感じてしまうのだろう。それに対して自分は汚れてるよなぁと自己分析。
「……コホン。 つまりさ、この機に乗じて親父さんや兄貴をボッコボコにしても、賊のせいに出来るだろう? それに、会いたい人もいるんじゃないか?」
「……だが……」
言いたいことは分かるのだろう。暗い顔で思案するウォルフの声はいつも以上に低かった。
力はついた。今ならば兄には間違いなく負けない。父にだって、勝ってみせる。それなのに、どうにも気が乗らないでいる。
極端な事を言ってしまえば、復讐ならば十年前にできたのだ。風狼の異常種を仲間にした瞬間に、あの気位だけは一人前の兄に復讐することは可能だった。それでも、一歩が踏み出せなかったのには理由がある。
(フィルマ……ソフィア母様……)
自分のせいで傷つけてしまった血の繋がらない母と、妹。彼女達と会おうとすると、どうしても躊躇してしまう。自責の念か、それとも今の自分の姿を見せたくないからか、定かではないが。
押し黙るウォルフから視線を逸らし、ユクレステがポツリと囁いた。
「そう言えばさ、シャシャが言ってたんだけど――あ、シャシャって分かるか? 壁ぶち破ってダイナミック入店してきた奴なんだけど――あいつ、ジルオーズが嫌いで出て来たんだけどさ、一人だけ仲の良い本家の女の子がいるんだって」
「…………」
「シャシャはその子から捨てられた兄の話を良く聞いたらしい。それで、その子のためにジルオーズから捨てられたヴィルフォルマ君を探しているそうです」
俺の妾になってまで、とは心の中での言葉である。無論、それを許可した覚えはないが。
「なにが、言いたい?」
「他人事じゃあないんだよ、俺も」
ユクレステにとってはシャシャの従妹の話は重要ではない。その子が目の前の人物を探しているからと言って、ウォルフを捕まえて連れて行く理由にはならない。しかし、
「シャシャもあれで、腹括ってんだ。一緒に旅をした仲間として、一方的ではあるけど好意向けられた相手の手助けはしたいんだよ」
だからこれはシャシャのためである。顔も知らない少女の願いではなく、少女の願いを叶えたいと言ったシャシャのために、ユクレステはウォルフに深く頭を下げた。
「一緒に来てくれ、ウォルフ。それとも、ヴィルフォルマって呼ぼうか?」
「――ふん、オレはウォルフだ。そんな名前の奴は、知らん」
すぐに上げた顔にはふてぶてしいまでの笑みが張り付いている。ウォルフは機嫌を悪そうに、吐き捨てた。
「……十年か。確かに、節目かもしれないな。それに、フィルマもまだオレを覚えていたのか……」
優しげな兄としての顔を覗かせ――――決めた。
「ただいまー! って言うかあんたなんでこっちに――ひゃあああ!?」
「ノックをしろと、なんど言えば分かる?」
「ご、ごめんなさいー!!」
突然扉が開き、瞬間ギラリと刃が振るわれた。寸での所で躱したアミルが涙ながらに謝り、その後ろから続々とユクレステ一行が入って来た。
『マスター、お話終わったー?』
「ああ、ちょうど今終わる所だよ。――で、どうする?」
「……やれやれ。初めてお前と出会った時はここまで性格が悪いとは思わなかったな」
『まあ確かにマスターの性格はひん曲がってるよね!』
「どこぞの人魚姫よかマシだっての」
宝石に指を突き付けるユクレステを睨む。
「分かり切った事を聞くな。バカが」
そう言ってふい、と顔を横に向けるウォルフ。その一言にユクレステは嬉しそうに破顔すると、ウォルフの手を取って思いっ切り上下に振った。
「そっか! なら、短い間だとは思うけどよろしく頼むぞ、ウォルフ! それと、アミルも!」
「おい、良いから離せ」
「え、へ? 一体なんの話よ?」
殺意の込められた瞳と訳も分からず混乱した瞳を覗き込み、気にせず受け流す。ユクレステはなんだなんだと顔をこちらに向ける仲間達に振り向くと、やり切った表情でウォルフ達を指差した。
「喜べみんな! 旅の仲間が増えたぞ!」
最初こそ皆が、え、と驚いた顔をしていたが、すぐにユクレステパーティーは納得の表情を浮かべる。
「ウォルフ様と、旅をするのですか?」
「む? 良く分からないが、分かったぞ!」
「……ま、ご主人もなにか考えがあるんだろうね。了解了解」
『なんとなくこうなるんじゃないかとは思ってたけどね、私』
若干呆れの声も聞こえるが、気にせず灰色の髪の少女達を振り向いた。その瞬間、ウォルフの第六感が警告を発した。
「お、おい待――」
「あ、それとシャシャ。こいつ、おまえの探してるジルオーズ本家の子供だから」
「――て」
だが数瞬秒遅かったようだ。ハッキリクッキリ、五メートルと離れていない場所に居る少女達に聞こえる声だった。
『……えっ?』
きっかり二人分の声。ジルオーズに属するシャシャとシャロンが呆けたように声を上げ、バッとウォルフへと向き直る。
「へっ? ジルオーズって……この辺りの貴族様でしょ? え、って事はウォルフって……」
呆気に取られながらそう言うのはアミルだった。ポカンと口を開けっ放しで視線を向け、一拍置いて他の二人と一緒になって大声で叫んだ。
『えぇええええええー!?』
早まったかもしれない。キンキンと痛む耳を押さえながら、ウォルフはユクレステの口車に乗せられた事を後悔した。
明けて翌日。三人の少年少女がシンイストの街の通りを歩いていた。
「いやー、まさか本当に見つかるとは思わなかったッス。それもこれも、ユー兄さんのお陰ッスよー」
ニコニコと嬉しそうな表情でシャシャは鍛冶屋の扉を潜った。それに続く様にした一人の少年が、憮然とした顔のまま吐き捨てる。
「チッ、勝手に人の正体バラしやがって……いつか殺す」
「え、えっと……ご主人さまも、悪気があってやった訳では……」
そんな少年にオロオロとフォローをするミュウ。だが生憎とそれだけで許すことは出来ないようだ。愛用の刀を受け取った後に取りあえず斬ろうと決めているウォルフに、果たしてどれだけの効果があったのだろうか。
「やはり性格最悪だな、あいつは」
「あははー。そう言わないであげて欲しいッス。多分あれも、シャシャやシャロ姉を落ち着かせるためにしたことだと思うッスから」
「ふん、どうだか。お前たちの驚く顔が見たかっただけじゃないのか?」
「……は、反論できません」
頭の中に浮かんだ主の良い笑顔に、ミュウはタラリと一筋の汗を流した。結構悪戯好きな主なので、彼の言い分も大いにあり得そうなのだ。
「お? なんだ、おまえ達か。ってか、昨日なんで来なかったんだよ!」
「あ、サイトーさん。やー、ちょっとあの後色々あって後回しにしてたッス。もう出来てるッスよね?」
彼らの話し声が聞こえたのか、工房の奥からこの店の主人であるサイトーが顔を出す。
「当たり前だろうが。――おい、い‐12と13持って来い! それと……」
チラリとウォルフの顔を見て、次いでシャシャ達を見る。それだけでなにかを悟ったのか、もう一度声を張り上げた。
「ついでに14もだ! 早くしろよ!」
ふう、と息を吐き、静かな声をウォルフへと向ける。
「……知ってんのかい?」
「昨日、バラされた。だが……気にはしていない」
「腹ぁ決めたのか?」
「少し遅かったとは、思ってる」
それっきり黙り込む二人。居心地が悪そうに身動ぎをするシャシャが、ハッと気づいて声を上げた。
「サイトーさん知ってたんスか!?」
「ああん? それはこいつがジルオーズのガキだって事がか? 気付いたのは昨日だからてめぇらと大して変わらねぇよ。なにせこいつの刀を打ったのは俺だぜ? 分からねぇはずがねぇや」
実際、昨日は驚いたのだ。死んだと噂されていた男が自分の作った刀を携えてやって来たのだ。柄にも無く驚いてしまった。
マコトはどこか納得していない顔のシャシャを無視し、弟子らしき小僧から二振りの刀を受け取る。一本をシャシャの前に。もう片方をウォルフへと差し出した。
「糞餓鬼の方は言う事はねぇ。格が一つ上がったような輝きだ、伊達に精霊は斬ってねぇな。んで、餓鬼。もう少し大事に使えよ? 鉄でも斬ったのか? 少し刃が歪んでたぜ?」
「色々あってな。だが、もう大丈夫だ。鉄を斬るコツは掴んだ」
「……そうかよ。相変わらず、良い才能だよ。それ故に惜しいな」
「…………」
「昔思った事だ。おまえが本家じゃなくて糞餓鬼んとこのジルオーズに生まれてりゃあ、もう少し違ったんだろうに。大体、鉄を斬る秘奥なんかは師が教えてくれたはずだぜ。なあ?」
言葉シャシャへと飛んで行き、コクリと頷く。
「そッスね。シャシャもお爺さまから教わったッス。最も、斬れるようになるまで大分かかったッスけど」
「それをだれにも教わらず二十年もかけずにやってのけた。こんな商売やってっから分かるけどよ、天才だよ、てめぇは」
だからこそ惜しい、と唸った。我流ではやはり成長に遅れが生じる。もしだれかの師事を得られれば、彼はもっと高みへと上る事が出来るとマコトは言い切った。
「もしかしたら、彼の有名な太陽姫に迫れるかもしれねぇ。もしくは東域国の刀王にだってな。だから、良いか餓鬼。強くなりたければそれ相応の師を持て。そこの糞餓鬼の爺でも良いし、いざとなったら俺が紹介してやっても良い。てめぇ次第だ」
「……考えておく」
ウォルフとて未だに成長期だ。強くありたいという気持ちはもちろんある。しかし今は、どうやらそれほど余裕がある訳ではないらしい。逸る気持ちが、一足先に生家へと向いている。
それを察してか、マコトは一旦話を止めて最後の剣を持ち出した。と言っても小僧が二人掛かりで運んで来た物を差し出しただけだが。
「そんでだ、ちびっ子。グリップの真ん中にリングが嵌め込まれてるのが分かるな?」
「は、はいっ!」
「こいつを右回しすれば一回りで倍に、もう一回りで元の重さの三倍。それから一回り毎に四倍、五倍の重さになる。最大は十倍まで上がるから、ちょうど良い重さで使うと良いだろう。あと、ついでに研いでおいたが……そっちはサービスだ。面白い仕事をさせてもらったからな」
「あ、ありがとうございます!」
ペコリと頭を下げ、試しに二倍の重さにしてみた。百キロの重さを腕に感じ、うんうんと頷いている。
「なーんか、ミュウちゃんには優しいッスね。やっぱりロリ――」
「ぶっ飛ばすぞ糞餓鬼」
茶々を入れて怒られているシャシャ。ウォルフは人知れずため息を吐くのだった。
ウォルフ達が鍛冶屋へと行った後に宿を出たユクレステは、シャロンとユゥミィを連れて街の入り口へと来ていた。荷物も持ち、後は他の面々が来ればすぐにでも旅立てるだろう。
ボーっとしながら待っていると、そっと隣から小さな声が掛けられた。
「ユクレステ様? 少々よろしいでしょうか?」
「ん? どうかしたか?」
もしかしたら奴らが、とも思ったが、今のところ動きは無さそうだ。警戒を解いてシャロンへと向き直る。
「その、申し訳ありません……我々ジルオーズの問題に巻き込んでしまい……」
昨日とは打って変わって、しゅんとした態度のシャロンに気味の悪さを感じる。
「それはシャロンの事? それとも、ヴィルフォルマの?」
「どちらかと言えば、後者です。前者ならば、ユクレステ様は私に手を貸して下さるでしょう?」
「……や、なんで?」
なにを当たり前な、という態度のシャロンにげんなりとした表情で見つめる。助けて当然、とまで言うその態度に首を傾げてしまう。
「だって、お話を聞く限りユクレステ様は天上への草原を目指しているのでしょう? ならば、嫌でも関わる事になりますもの」
「あー、まあ確かに」
ユクレステが関わらなければならない問題上に、偶然シャロンがいる。ついでに拾い上げる程度ならばするつもりだった。
考えを言い当てられ少々面食らうユクレステ。すぐに思考を切り替え、頭を振った。
「まあ、良いさ。今回の件も、ウォルフの事も、俺の目的のついでで面倒見るさ。だから気にすんな……いや、やっぱり気にした方が良いか。人間謙虚に生きよう」
「過ぎた謙虚よりも自分勝手な傲慢を選びますので、私」
「……問題児の巣窟か、ジルオーズ!」
こうなるとシャシャがとても可愛く見える。外見の話ではなく、内面的な意味で。
静かなユゥミィをチラリと見ると、可愛らしく鼻ちょうちんを作っているところだった。そっと視線を外し、見なかった事にする。
「そうそう、シャシャと言えば、だ。おまえたちの所の教育ってどうなってるんだ?」
「と、言いますと?」
「出会ってすぐに嫁宣言された」
「まあ」
「許婚がいるって言ったら妾宣言された」
「まあまあ」
「もうちょっとこう、貴族らしい振る舞いでも学ばせたらどうなんだ?」
外見でもおまえみたいな、と視線で伝える。シャロンも中身はともかく、外面は確かに貴族のそれだ。シャシャも顔立ちは整っているため、そう言った振る舞いを教えれば妾だなんだと言わずに済むだろう。それこそ、貴族の正妻だって夢ではない。
だがシャロンは首を横に振り、楽しそうにほほ笑んだ。
「ダメですわ」
「……なんで?」
「だってそれでは面白くないじゃないですか」
「…………」
うふふ、うふふふ、と笑い始めたシャロン。口元にはニヤニヤとした笑みが張り付き、影の掛かった瞳を見開いている。
「あの子ってば純粋で本当に可愛らしいから、ついつい苛めたくなっちゃうじゃないですか? 私もお母さまも、あの子の普通な人生なんて望んでないんですから。どこか人とはズレていて、それでもなお真っ直ぐで健気なシャシャ。ああ、私の可愛いシャシャがどこの馬の骨とも分からない男のモノになると考えると……! ……ふぅ。あ、それでなんでしたっけ?」
「……ナンデモナイデス」
ああ、うん。なるほどなるほど。
ユクレステはどこかツヤツヤとした肌のシャロンから目を逸らし、脂汗を流しながら心の中で慟哭する。
(ジルオーズ家やべぇえええー!?)
感じた事のない怖気に、本気で恐怖した。
こんな家族を持って真っ直ぐに育ったシャシャに涙しながら、再度シャロンを見る。
「あ、ですが思っていたよりもまともな人で残念……もとい安心しましたわ。私とお母さまの予想ではピザデブでバーコードでドSなクズ男を掴まえると思ったんですけど……! ……ふぅ。ユクレステ様に出会えてあの子も幸せでしたわね」
「…………」
ガクガクブルブル。
心の中の舌打ちが聞こえた気がして一歩距離を取る。本当にもう、ジルオーズ家と関わりたくなくなってきた。
「――っ、さて、と」
人の気配を感じ、深呼吸で高鳴った心臓を落ち着かせる。主に恐怖によるそれだが、なんとか沈静化に成功する。
「ユゥミィ、起きろ。お客さんだ」
「ふわぃ!?」
パチン、と鼻ちょうちんが割れ、涎を腕で拭き取る。バッチィと思いながらハンカチを差し出した。
「さて、色々言いたい事はありますが、なにはともあれ一つ」
チラリとシャロンを見て、一歩を促す。草原の草を踏みながら前に出たシャロンは、流れる動作のままに頭を下げた。
「先日は申し訳ありません。木から落ちてしまい、突然の事に驚いてあなた方の大切な物を取ってしまって。ですがあれは偶然、偶々、ハプニングだったんです。悪気なんてある訳ない、きっと神様が悪いのです」
必死に自分は悪くないと言うシャロンだが、事実彼女が奪い取ったのは事実なので悪気ありまくりである。
「ですので、これはお返し致します。申し訳――ありませんでしたー!」
ポーンと放り投げた灰色の石。瞬時に現れた人物が空中でそれをキャッチし、チラリと確認する。
「…………」
無言で睨みつける男に笑いかけながら、ユクレステはグイ、とシャロンの頭を押さえつけた。
「あなた方のお怒りも最もですが、今回はこれで勘弁してあげて貰えないでしょうか? ちゃんと言って聞かせますので。まったく、人様の物を盗むなんて最低なんだぞー」
「わー、申し訳ありませんでしたわー」
とっても棒読みである。しかし目の前の男は虚ろな瞳のまま背を向け、駆けて行った。脚の速さはかなりのもので、既に視界から消えている。
これ以上時間をかけたくなかったのか、それとも別の理由があったのかは定かではないが、この場は見逃してくれたようだ。ホッと息を吐きながらシャロンの頭から手を放す。
「……行ったみたいだな。はぁ、良かった。この場で戦闘にならなくて」
かなりの実力を有しているであろう男、それが三人もいては、この面子だけでは勝つのは難しい。もしユクレステ達全員がいれば掴まえることは出来るかもしれないが、それをしてしまってはジルオーズでの混乱を見込めない。ウォルフの復讐を唆した身としては、彼らには予定通り事を起こしてもらわなければならないのだ。
ついでに言ってしまえば、上手くいけば天上への草原に入るための鍵とやらも借りられるかもしれないと言った邪心もあった。
「主ぃ~」
シャロンに気付かせないように内心を隠していると、ユゥミィが涙ながらにユクレステを見つめてくる。うるうるとした瞳には自らの主が映り、彼女が言わんとしている事を理解している事だろう。
「大丈夫だって。そのために先に行ってもらったんだからさ」
「ほ、本当に? 本当に無事返って来る?」
「あー、もちろんだとも!」
多分、と心の中で付け加える。無論、そんな内情を知る訳もないユゥミィは、ホッと一安心して男が去って行った方を見る。
「よ、よし! なら速く行こう! うちの家宝が乱雑に扱われては大変だ!」
「いや、生半可な衝撃じゃ傷一つ付かないんだから大丈夫だろ。……ま、なんにしても」
ユクレステは首元に手を突っ込み、グイと一つのペンダントを取り出した。そこには、ユゥミィの非晶流体金属の鎧……と同じような灰色の結晶が握られている。
「あいつらの言う所の鍵はここにあるから繋がりは切れない。あの様子じゃあバレる心配も無さそうだし、こっちはゆっくりと包囲させてもらうさ」
そう言ってニヤリと笑う。
先ほど男が持って行ったのは、鍵などではなくユゥミィの鎧。本物は、今まさにユクレステの手の中にあった。
「鍵を奪うのに鍵が必要……って事なのかな? それとも確認するための代物なのか……どっちみち、まだしばらくの猶予はある訳だ。そして……」
チラリと東の空を見上げる。既に太陽は昇っており、明るい空のずっと先にいる仲間に語り掛ける。
「ディーラ、マリン。それに、わんこ達。そっちは任せたぞ」
グッと拳を握って腕を突き出す。彼の表情には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「…………なんでしょう、この胸の高鳴りは……あぁ、無理やり頭を押さえつけられるのって……快感……ふぅ」
すぐ隣で悦楽に顔を歪ませている者がいる事を、ユクレステは知らない。
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