ヴィルフォルマ
今より十七年前。アークス国における有力貴族、ジルオーズ伯爵家に新たな命が誕生した。父と同じ白い髪を持ち、少しばかり目つきが悪いことを除けば普通の男の子。子供の名は、ヴィルフォルマ・フォア・ジルオーズ。
ジルオーズ家の次男として、シンイストの風に祝福された子供である。
しかし、ヴィルフォルマが年を重ねる毎に段々と家族からの風当たりが強くなっていく。理由としては、ジルオーズ家は力を重視する家系であり、分かりやすい力の形として魔力の高さを尊重すると言うのが理由の一つだ。分家の方ではあまり重要視されないその項目が、本家ジルオーズでは絶対的な力の象徴として見られるのである。
そして、ヴィルフォルマの魔力は過去から現在まで見ても未だにいなかった、魔力ゼロ。少ない、と言う者ならば少数ながらもいたのだが、魔力の魔の字もないというのは初めてだった。
屋敷の庭でヴィルフォルマはいつものように木の棒を振っていた。周りには人影はなく、たった一人で素振りを続けている。魔法が使えないと宣告されてから三年間、欠かさずに行っている日課だ。魔力がないのならば、分家のように剣で戦えるようにと幼い少年は考えたのだ。
「ッ、ハァ!」
素振りを一通り終え、次いで流れるような剣舞を開始する。縦横無尽に振るわれる剣戟は、見る人が見れば感嘆の声を零すほどだ。ただ生憎と、彼を見てくれる人物がいないためにそう言った事にはならないのだが。
なにせ、ヴィルフォルマには剣の師というものが存在しないのだ。時折出会う分家ジルオーズの戦闘や稽古を見るくらいで、実際にだれかに師事を受けたと言う事がなかった。だから、彼が今行っているのはその目で見た事をなぞって行っているに過ぎない。
「剣気一刀――刺撃」
鋭い突きが繰り出され、腕が伸びた状態でピタリと止まる。剣の周囲に風が渦を巻き、ヴィルフォルマの吐息によって霧散する。見よう見まねでの技を終え、納得していないのか首を傾げた。
「んー、どうにも重いな……もうちょっと速かったような……」
子供らしい高い声で疑問視ながら、再度構え直す。中段に構えられた剣先は、空想の対戦相手の喉元を向いている。スゥ、と息を吸い、グッ、と身を沈めながら回転し、遠心力で強化された斬撃が空を斬った。
「――ん、こんなもんか」
納得したのか棒を下ろす。
驚くべきは、その技の完成度。そして、それを成したのがだれかに師事した訳でもない、七歳の少年だと言う事だろう。
無論、分家ジルオーズで剣を教える人物からすれば遠く及ばないが、一端の剣術家にならば迫る冴えであった。それをほぼ我流で習得したこの少年は、間違いなく才のある者と言える。
「おいおいおい、見てみろよあいつ! 天下の本家ジルオーズの屋敷で棒切れなんか振ってる奴がいるぞ!?」
「…………」
だが、生憎とその才能を正しく読み取ることの出来る者は彼の近くにはいなかった。
遠くから指を差し、せせら笑っている白い髪の男がいる。周りには三人の少年少女がおり、彼らもまた嫌な笑みを浮かべている。
ヴィルフォルマはまたか、と言った表情を一つ作り、憮然とした態度で対応した。
「なにか御用ですか? 兄上」
自身よりも六つ年上の兄、ヴァセリア・フォア・ジルオーズをジロリと睨みつけるが、少しの堪えた様子もなくニヤリと口角をつり上げる。嫌らしい笑みは深く顔面に刻まれ、ヴァセリアは杖を取り出した。
ハッとした時には遅かった。
「なーに、ちょっと的当てでもしようかな、ってな? ウィンド・ショット!」
「クッ――!?」
「よーし、おまえらもやろうじゃないか! 頭は十点、胴体は五点、他は一点だ! 先に百点になった奴が勝ちだ! ヴィル、精々逃げてみろ?」
兄の凄絶な笑みの前には、止めてくれ、と言うのは無駄だろう。例えどれだけ懇願しようと、この兄はヴィルフォルマを助けてはくれない。それは経験からの確信。なにせ彼らのする遊びは、今までも幾度となく続けられて来た事なのだから。
結局、それから三十分程逃げ回り、飽きたヴァセリアが去るまで一方的な狩りごっこは続いた。顔を守るように蹲っていたヴィルフォルマは、よろよろと立ち上がる。顔には痣ができ、風の魔弾によって撃たれた両手足が痛む。
「つぅ……いつもいつもやり過ぎだ、あのバカ」
「あら? ヴィルフォルマ、ここでなにをしているのかしら? なにか汚らしい言葉が聞こえた気がしたけれど……気のせいかしら?」
「……気のせいではないですか? 姉上?」
今度はこいつか、と疲れた表情で新たに現れた人物へと視線を向けた。冷たい瞳のままこちらを見下しているヴェリーシェ・フォア・ジルオーズには嫌悪の表情が浮かんでいる。
ヴィルフォルマは自身の姿は省みて、急ぎ埃を払うよう服を叩いた。
「みっともない……あなたは由緒あるジルオーズ家に生まれてなおそのような薄汚い姿なのね? どうせまた兄上に苛められたのでしょう? 男の癖にやられっぱなしなんて。せめてやり返すくらいしなさいな」
「……ですが、兄上に手を出せば余計に……」
「ああ情けない! あなたはそれでジルオーズの一員なのかしら? まだ分家の子達の方がジルオーズらしいですわよ?」
大袈裟に空を仰ぎ見るヴェリーシェに辟易とした表情を見せるヴィルフォルマ。幸い、見られていなかったようで特にお咎めはなかった。
「とにかく、あなたも男なんですからどうにかしなさい。これ以上情けない姿は見せないで欲しいですわ」
言うだけ言って去って行く姉は、昔から台風みたいな人物だった。兄ほど乱暴ではないのでまだ家族として接する分には許容できるが、もしあんな友人がいたら大変なんだろうなぁ、と一人考えていた。
「にーさまー!」
それからしばらくして、本日の訓練を終えることにしたヴィルフォルマの前に笑顔を見せながら近寄る少女がいた。
「ヴィルにいさまー、訓練、終わりましたか?」
「ああ、終わったよ、フィル」
「じゃあ一緒に帰りましょー」
にぱっ、と笑みを見せて笑う少女の姿に、先ほどまでの二人の来訪者の事など一気に隅へと追いやられる。
「にいさま、今日もお怪我してます。訓練、大変なのですかあ?」
「まあ、少しね。でもオレは強いから、こんなの屁でもないんだよ?」
「本当ですか? 流石です、にいさまー!」
女の子に微笑みかけ、手を繋いで屋敷への道を歩いて行く。実際は兄にやられた体が多少痛むが、まだ三歳の少女に言うべきではないと判断して曖昧に誤魔化した。自分にとってヴァセリアは嫌な兄でしかないが、この少女にとってはヴィルフォルマと同じく大切な兄であることに変わりはないのである。
小さな妹のフィルマの手を取りながら、内心でのため息を押し隠した。
数日の後、ヴィルフォルマの訓練は木の棒から真新しい刀の素振りに変わっていた。シンイストの街にある、分家ジルオーズのお得意先の鍛冶屋で無理を言って作ってもらった品だ。子供のヴィルフォルマには少々大きい代物だが、彼の剣筋は少しもブレずにいる。それを見れば、やはり惜しいと思う。彼がもう少し他人に対して寛容ならば、もう少し彼の親族が彼に優しければ、また違ったのかもしれないが。今となっては、後の祭りであるのだが。
その日もヴィルフォルマは腰に刀を下げ、庭の隅で剣を振り続けていた。黙々と同じ動作を繰り返し、分家の人たちが行っていた技を頭の中で反芻しながら実際に動作として行ってみる。一段落し、息を整えた。
パチパチ、と手を叩く音が聞こえて来た。丁度二人分のそれに、ふと顔を上げてそちらを見る。そこには予想した通りの影がこちらを向いていた。
「にいさまカッコいいー!」
「……」
ニコニコと笑って手を叩いている妹のフィルマと、その母親であるソフィアだ。
フィルマとヴィルフォルマは半分しか血が繋がっていない。今から四年ほど前に、商家の娘であるソフィアを、彼らの父であるヴァイオル・フォア・ジルオーズが見染めて第二夫人としてジルオーズ家へと招いたのだ。
腹違い、とは言っても兄や姉達との仲はそう悪くはないもので、幼いながらも聡明で、かつ内包する魔力の高さからフィルマはすんなりと家族の一員として見られていた。良くも悪くも、ジルオーズは力を至上とするためだ。この件だけを見れば、ヴィルフォルマはジルオーズに生まれて良かったと思っている。自分はともかく、妹が受け入れられているからだ。
「お久し振りです、ソフィア母様」
「ええ、久し振り、ヴィル君。でも、もう少し愛想よくしてくれても良いと思うんだけどな?」
「……」
「ほら、すぐ黙るんだから」
コロコロと気持ちの良い笑みを見せるソフィアは、つい先日二十になったばかりだ。大人の女性と言うよりはまだまだ少女のような性格で、ヴィルフォルマからすれば少々苦手としている人物だ。明朗な女性であり、元は一般の生まれであるためヴィルフォルマに対しても分け隔てなく接してくれる。ただ、そう言った関わりをしてきていない彼にとっては、気味の悪い人物にも見えていた。
クスクスと微笑むソフィアから視線を外し、チョコチョコと近寄るフィルマの手を掴む。
「にいさま、明日はお留守番なの?」
たしか、明日は一族総出で天上への草原に行く事になっていたはずだ。分家のジルオーズも連れ立ち、年に数回の見回りがある。だが、その予定にヴィルフォルマは入っていなかった。
理由は、予想出来る。本家の人間であるヴィルフォルマが魔法を使えないからだ。本家の威信を保つために、彼はいないものとして扱う事になっている。
「明日……? ああ、多分そうなると思うけど……」
「ほんと!? じゃあフィルと一緒だね? 明日は一杯あそぼー?」
別段、今さらそんなことを悲しいとは思わないのでどうでもいいのだが。フィルマと遊ぶ時間を確保出来るので、むしろのけ者にされるのに感謝さえする。
「あら、それならママも一緒に遊んでも良い?」
「うん、もちろんだよ!」
「……はい」
「ヴィル君、今悩んだでしょ?」
ブンブンと首を横に振って否定。実際はあまり嬉しくない表情を浮かべていたのだが、あっさりと許してくれた。その代わりに、女性にしては大きな体でヴィルフォルマにダイブする。
「わっぷ! ソ、ソフィア母様!?」
「おーしーおーきー。てややー!」
「あー! ママずるいー!」
「じゃあほら、フィルちゃんも一緒に」
「うん! てやー!」
ガバッと抱きつくもう一つ。小さな衝撃と、髪から香るハーブの匂いに埋もれながらヴィルフォルマは顔を赤くして呻いている。ソフィアに抱きしめられ、苦しがっているのかもしれない。
「なにをやってるんだ!」
そんな時、怒声が響いた。ビクリと身を震わす二人とは違い、ヴィルフォルマはまたか、と言った態度で悠然とそちらを見る。
「出来損ない、随分と楽しそうじゃないか? ええ?」
そこには予想通り、兄であるヴァセリアがいた。顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべ、親の仇でも見るかのように鋭い視線がヴィルフォルマを貫いている。
「出来損ないのおまえが、ソフィア母上達になにをしている!?」
「ヴァッセ君? 違うのよ、これはただのスキンシップなんだから。ほら、ヴァッセ君もしてあげようか?」
「ななな、なにを仰っているのですか!」
「ヴァセリアにいさま顔まっかっかー」
人懐っこい笑みを見せるソフィアに、ヴァセリアをしどろもどろに後ずさる。その様子を冷たい瞳で眺めながら、二人の親子から一歩距離を取った。
ヴァセリアがソフィア親子に甘いのは知っている。甘い、というか、彼はソフィアに憧れているのだ。十三の年頃の男と言えばそろそろ異性に関心が出て来る頃だろう。そんな彼にソフィアは実の姉のように接していた。
要は、ヴァセリアにとってソフィアは初恋の相手なのだ。そんな女性が自分が嫌っている少年に抱きついているのを見て、嫉妬心を燃やしているのである。
「仕置きが必要みたいだな、ヴィル」
「…………」
手の中で杖を弄びながら、苛々とした瞳を向けた。
「待って待って! 君たちは兄弟なんだから、そんなことで喧嘩しないの! それに勝手に抱きついたのは私なんだから。ほら、仲直りしようよ。ね?」
「…………」
「チッ。まあ良いだろう。今回は許してやるよ」
慌ててソフィアが間に入り、笑いながら二人を取り成す。憧れの相手がそう言っている以上、ヴァセリアは引くしかない。マントを翻して去って行く少年を眺めながら、ソフィアはホッと息を吐いた。
「もう、ヴァッセ君ったら怒りっぽいんだから。なんでかしらね?」
それをオレに聞きますか。げんなりとしたヴィルフォルマからはそう読み取れる。
鈍感な母に呆れながら、頭を下げた。
「ありがとうございました、ソフィア母様」
「ん? えっと、私なにかやったっけ? ……でもヴィル君素直で良い子だからどうでも良いや! もっかいギュウ!」
「あー、ママずるいー!」
先ほどの焼き直しのような光景にため息を吐き、暴れるのも忘れて親子二人にされるがままにされていた。
ソフィアとフィルマの二人と分かれ、ヴィルフォルマは先ほどの場所からもう一つ奥への道を進んだ。そこは木々に囲まれた広場で、その中央に立った。
「っ――」
瞬間、彼の頭になにかがぶつかる音がした。パン、と風が弾ける音が聞こえ、次いで体に痛みが走る。痛む体を無視し、キッと三白眼を広場の奥へと向ける。
「仕置きの時間だな、出来損ない」
「兄上……」
ニタニタと嫌らしい笑みのヴァセリア。手には杖が握られており、初めから許す気などなかったのだ。ただ、あそこで引かなければソフィアに叱られるから一旦引いたに過ぎない。それが分かっていたから、ヴィルフォルマもここに来たのだ。
痛いのは嫌だし、一方的に嬲られるのは腹が立つ。しかし、そうしなければ実の兄はもっと酷く陰険な方法で追い詰める。ただ暴力を振るうだけならば、まだどうにか我慢出来るのだ。
「ははは! やっぱりおまえは出来損ないだなヴィル! しょせんおまえは魔法の的なんだよ! く、ははははは!」
狂ったように杖を振るうヴァセリア。腕で顔を隠し、必死に耐えながら彼の癇癪が収まるのを待つ。
「…………」
どれだけ魔法を受けようとも威力の低い下級呪文だ。これくらいならばまだ耐えられるだろう。しかしそこで、ヴァセリアは流れを変えた。
「そうだ、この前中級魔法を教わったんだったな。ちょっと的になれよ?」
そう言って詠唱を開始するヴァセリア。慌てたのはヴィルフォルマだ。中級魔法と言えば、使い方次第では人間を殺す事ができる。今までは威力の低い魔法だったから甘んじて受けていたが、中級魔法となれば話は別だ。
逃げなければ、と体を動かすが、痛みのせいで上手く体を動かせない。そうこうしている内に詠唱は完成し、ヴァセリアの手に風の槍が出来上がる。
「喰らえ、出来損ない! ストーム・ランス!」
風の槍がヴィルフォルマ目掛けて飛んで来る。避ける動作も出来ず、咄嗟に目を閉じて衝撃に備えた。
「…………!」
だが、それはいつまで経ってもやって来なかった。失敗したのだろうか? そう思い、そっと片目を開く。
「――え?」
そこには、亜麻色の髪と、見慣れた女性の顔があった。
「ソ、ソフィア……かぁ、さま?」
「ヴィル君、平気? 怪我とか、してない……?」
ニコリと優しげな微笑みを浮かべ、のしかかる様にヴィルフォルマへと体重をかける。慌ててその体を抱き止めるが、八歳の少年ではそれも叶わず、草の上に倒れ伏した。
「うん、大丈夫、そうだね? よか、った……」
カクリと首の力が抜け、ソフィアの意識は闇に落ちていった。呼吸はしているが、それを確認する事さえ忘れたヴィルフォルマは呆然と辺りを見渡す。
ソフィアの腹に突き刺さった風の槍は既に消え去り、赤い液体が地面の雑草を染め上げている。
その場には、ハーブと血の生臭い臭いが混じり合った香りが漂っていた。
「あ、あ、あぁ……」
自身の内からなにかが込み上げる。初めての感覚に戸惑いながらも、本能に従って涙を流そうとする。しかし、それも目の前の人物を見て、引っ込んでしまった。
「ち、違う……僕じゃない、僕が悪いんじゃない! そうだ、おまえだ! おまえが悪いんだ、この出来損ない!!」
「…………」
悲しみが引っ込み、次に出て来たのは怒りの感情。どこまでも冷めた瞳がヴァセリアを射抜く。
「おまえが悪いんだぁあああー!」
杖がヴィルフォルマへと向き、魔力が練られる。だがそれよりも早く、
「剣気一刀――刺撃」
「ぐぁあああっ!?」
神速の突きがヴァセリアの肩を貫いていた。痛みに喘ぐ兄の姿を見下ろし、ヴィルフォルマは容赦なく傷ついた肩を踏みつけた。
「……雑魚が」
「ひぃ!?」
本気の殺気を受け、思わず情けない悲鳴が喉から漏れる。だがその時には既にヴィルフォルマは駆け出していた。この惨状を、急ぎ他の人間に伝えるために。
その翌日。ヴィルフォルマの名はジルオーズ家から抹消された。
遅くなりました~。
割と初期から設定は決まっていたウォルフ君でしたが、実は名前は結構後まで思いつかなかったので少し苦労しました。