精霊様の戯れ事
ゲームをしようと、その少女はコロコロと微笑みながら問いかけた。
「ゲーム、ですか?」
「ええ、ゲーム。知りません? 遊戯、娯楽、遊び。クソ生意気なあなた達にチャンスをあげるのですよ。ああ、それともこう言います? ……戯れ、と」
「び、微妙にニュアンスが悪くないですか?」
見下すようなその姿に、ユクレステを含むその場にいた人達は薄ら寒い感覚に体を震わせた。
外見から見れば、ただの少女だ。小柄で、十にも満たない小さな子供が、露出の高い服を着ているようにしか見えない。スリットの入った裾からは青白いスラリとした脚が伸び、肩をせはだけさせた水色の布を着ている。腰の大きなリボンを揺らしながら、中空に座り直す様に身動ぎした。
「そうです? 上位のモノが下位のモノに施しを与えてやるためのお遊び、戯れでも十分だと思いますよ?」
「それは一体、なにを?」
疑問の声に、またも微笑み。
「この街を氷漬けにしないでおいてやります」
そうあっさりと言ってのけた彼女の言葉には、冷たい怒りのようなものが含まれていた。笑みを浮かべ、それでもハッキリと本気だと分かる程の怒気を身に受けながらも、ユクレステは必死に平静を取り繕う。
そんな彼を押しのけるようにして、一人の人物が前へと出た。
「せ、精霊様! なにを仰っているのですか? この街を氷漬けにするなどとは!」
芸術家のマイアが興奮した様子で言葉を並べる。初めて見た精霊の姿に舞い上がっているのだろう。
「それよりも見て下さい精霊様、今年の私目の作品を! 昨年のものよりも良い出来であると自負しております」
そうして指差された悪魔のような精霊像。主精霊の笑みにピキ、と亀裂が入ったような音がした。
それに気付かず、さらにテンションをあげての過剰なボディランゲージを披露するマイア。
「去年と同じく私の作品を精霊様の元にお贈りすることが出来てなんて幸せ! ささ、どうぞ貴方様のご評価を頂きたく――」
「――――ね」
「はっ?」
ポツリと、小さな口が開かれた。掠れた声を再度言葉にするように、氷の主精霊は顔をあげた。
「――死ね、チョビヒゲ野郎」
「ほひゃい!?」
片手をマイアに向け、その指示に従うように氷の精霊像が腕を振り上げる。尻もちをつきながらも下がる彼を援護するように、ミュウが大剣を構えて威嚇する。うー、と犬歯を見せながら低く唸る姿に動きを止めた。
「えっと、アリスティア様?」
「…………」
笑みは消えていた。氷のような無表情で見下されながらも、なんとか言葉を発するユクレステ。まるで視界に入れてすらいないような感覚に、居心地の悪さを感じた。
マイアが人込みに消えるのを見届け、一転した笑みで冷たく言い放つ。
「問答は無用、疾く始めます。ルールは簡単、精霊の操る氷像を破壊出来ればおまえ達の勝ち。出来なければ氷漬け。簡単ですね?」
確かに簡単なルールだ。だが、それを行うのまで簡単とは言えない。現に目の前に映る四つの氷像からは強力な魔力を感じ取れる。その姿は先に戦ったものとは全くの別物だ。
「……分かりました。ですが、もう一つ特典を付けて頂けませんか?」
「ふぅん。人間如きが私になにを言うつもりです? 聞くだけは聞いてあげましょう」
「簡単な話です。俺はあなたと契約がしたい。そのための試練を受けさせてもらえませんか?」
戦闘は免れないと悟り、ならばとこの後のために条件を付け加えさせる算段だ。アリスティアはしばし顎に手を当て瞳を瞑る。やがて、なにを思いついたのか笑みを作って頷いた。
「ええ、良いですよ? どうやら雷もおまえの手にあるようですし」
「……ありがとうございます」
口約束ではあるがこちらの願いは受け入れられたようだ。ただ、それに関してあまり喜べないでいた。なぜなら、あの精霊。
「うっわ、今すんごく悪い顔してたよ」
「絶対碌でもないこと考えてる顔ッス! シャシャ、あーゆー顔した奴が身内にいるから知ってるんスよ!」
ユリトエス達の言う通り、とても黒い笑いだったのだ。きっとなにかしら嫌らしい事を考え付いたに違いない。
とは言え、それもこれも今のゲームをクリアしなければ意味がない。そしてあちらも、わざと負けるような相手ではないのだ。となれば、やる事は一つである。
ユクレステは腰のポーチを放り投げ、言った。
「シャシャ、ユゥミィは俺とここでこいつらの相手を! ミュウ達はユリトと一緒に街中を任せた!」
「あいよー、一応、ある程度の場所は分かってるから、そこそこ力にはなれるかな?」
「え、え? どういう、ことですか?」
「んー、取りあえずそれは走りながら話そっか?」
それを受け取り、素直に従うユリトエスを筆頭に、ミュウとディーラが続くように大広場を抜けて行った。彼らを見送りながら、ユクレステはふぅ、と白い息を吐き出す。
「主、今のはどういうことだ?」
「氷像の数は言っていない、この場にあるものだけとも言っていない。それなら、標的とするのはこの街にある氷像全て、と考えた方が良い」
「あ、だからミュウちゃん達を向こうにやったんスね?」
シャシャの言葉に頷き、アリスティアを見つめた。
「それじゃあ、始めましょうか? 精霊様のお戯れを」
ふてぶてしい笑いにカチンときたのか、アリスティアは苛立った顔を見せる。
「やっぱり、生意気ですよ。おまえ」
その言葉が合図となったのか、四体の氷像が一斉に動き出した。
精霊とは人の思いに力を貸すモノだ。その点で言えば、目の前の氷像達は特に相性の良いものだと言える。人の情熱や想いの塊、それが今目の前に存在しているのだ。その外見がどうであろうとも。
「とにかく厄介だよなー、特にあのオッサンのは」
「うむ、マイア殿の作品は凄まじいまでの熱意に溢れているからな。凡百な芸術家には出来ない芸当だ」
その結果があの少し人とは違った感性の作品なのだが。四体の中で異彩を放っている自称精霊像から滲み出る力に冷や汗を流しながら視線を動かす。その他には、怪獣ヒョジラに岩に座る人魚、拳程度の蝶の集合体が脇を固めている。
「よっ、と。それじゃあまずはどれからいくッスかねー?」
突き出された拳を刀で逸らしながら、シャシャは凶暴な笑みで敵を見据えた。こちらを囲うように広がった氷像の内、一体がその身を揺らす。
「――――」
ドシャ、と崩れ落ちた。
その音は、人魚を模した氷像が岩から転がり落ちる音だった。
「……ウィンド・スピア」
「えっと……剣気一刀――断撃」
「――――!?」
呆れたような声と共に人魚像の胸に風の槍が突き刺さり、申し訳なさそうにシャシャが両断した。
「……良し! まずは一体! この調子で行くぞー!」
「お、おおーッス!」
「う、うむ! 順調だな、主!」
どうやら、氷像とは言え人魚。陸上での戦闘は不得手だったらしい。氷の精霊が脚が無い事を忘れていたのかもしれない。
どちらにせよ、これで一体だ。萎えかけた気力を無理やり高揚させる。
それはあちらも同じだったようで、ヒョジラが雄叫びを上げながら口を開いた。
「守り手は暴風、緩やかにあれ――ストーム・ウォール!」
ユクレステ達を守るように現れた風の障壁によって霧散する氷のブレス。だが完全に防ぐ事は出来ないようで、髪の一部が凍りつく。
「クソ! 相性が今一だな……それなら、ユゥミィ!」
「おお!」
再度のブレスの予兆を見て、ユクレステは鎧姿のユゥミィを前面に押し出した。青い光線のようなブレスは鎧に当たりながらも、少しの変化も見せないでいる。
「ふふん、効かんぞー!」
ダークエルフの耐魔能力に加え、ユゥミィの鎧が持つ恐ろしい程の防御力の前には凍てつかせる息吹もそよ風でしかない。
「煌めく雷光よ、眼前の弱き地を打ち空にそびえしものを貫き焦がせ――」
悠々と彼女の後ろで詠唱するユクレステを狙い、氷で出来た蝶の群れが襲い掛かる。
「ユー兄さん! 剣気一刀――乱塵!」
守るようにして彼の前に出て、剣気によって加速した連激が繰り出された。
一、五、十……。
さらに素早くなる刀は寸分違わず手の平程度の蝶を斬り捨てていく。
「ユゥミィ引け! ――ヴォルテ・カノン!」
ヒョジラの光線を受けていたユゥミィが即座に横に跳び、その僅かな合間に雷の砲撃を見舞った。既に息切れをしていた光線は呆気なく消え去り、破壊の特性を持った雷は怪物の氷像を粉々に砕く。
「九十八、九十九……ひゃーく、ッス!」
同時に、彼らの背後での動きが止まった。襲い来る蝶の群れを完全に撃退したのだ。
「へぇ、シャシャ、あいつらの中心分かるようになったんだ?」
「なんとな~く変なとこを斬っただけなんスけどねー」
「あ、ああ、そうなんだ……」
こいつも天才か、となんの気なしに言うシャシャの言葉に毒づいてみたり。魔法に精通していないくせに、そう簡単に分かって堪りますかと。
まあ、周りに天才肌が多くいるためすぐに立ち直ったが。
「二人とも、気を抜くな。また終わっていないぞ!」
ユゥミィの叱責にハッと意識を戻す。まだ一番厄介なものが残っているのだ。ここで気を抜いたりなど出来ない。そうでなくとも、見ているだけで気力が殺されて行くようなものなのだから。
ユクレステ達はキッと氷で出来た精霊像を睨みつける。
「――――」
「――――」
…………。
①「――――」
②「――――」
見つめ合うユクレステ達と、二体の氷像。片方は裸婦であり、もう片方はなんだかウエディングドレス風の服を着ていた。
それを見て、悲鳴。
『増えてるー!?』
この一瞬だけで随分と体力を消耗したように感じた。
突如現れたもう一体の精霊像。例によって例の如くな外見をした氷の彫像にげんなりと表情を歪め、アリスティアに視線を向ける。
「あの、なんか増えたんですけど……」
「……追って来やがったです」
「へっ?」
ボソリと呟いた言葉はどこか恐怖の感情が込められていた。
「な、なんでもないです! ほら、まだ氷像は残っています。さっさと戦いなさい!」
「は、はぁ」
どこか焦りを含んだような声音に首を傾げながらも戦闘を続行する。
シャシャが跳び込むようにしてウエディングドレス姿の氷像へと間合いを詰める。こちらから攻撃出来る距離まで近づいた、瞬間、
「っぶないッス!」
ドラゴンのような尻尾が彼女を打ち据えた。瞬時に刀で防いだが、衝撃で後ずさる。そこに、もう一体からの追撃が掛かる。
「――ストーム・ランス!」
「ユー兄さん!」
大きな拳から守るように風の槍が突き刺さるが、まったくダメージは見受けられない。多少氷の欠片が落ちたようだが、すぐに再生してしまう。
「ならば、地を育む聖樹――」
「――サセナイワ」
「いっ――!?」
呪文の詠唱を開始するのを視認し、ドレス姿の氷像が手をかざす。周りの空気が一気に凍結を始め、数瞬後にはユゥミィの頭上に幾つもの氷の槍が出来上がった。それが落ちて来る。必死に避けるユゥミィだが、動きを制限された状態では完全に避けるのは難しい。鎧のお陰でダメージは少ないが、詠唱を中断せざるを得なかった。
「って言うか、今……」
「あ、ああ……」
相手は氷精霊。氷を操ること自体は不思議ではない。可笑しいのは一点。
「しゃべった……ッスよね?」
「寒さで耳が可笑しくなってなければ、俺もそう聞こえたな」
精霊の声など本来は聞くことすら叶わない。ユゥミィのように精霊と近しい種族や、魔法を極めた者でもなければ中級精霊クラスの声を聞くことなど出来ないはずだ。魔法に疎いシャシャ。上級精霊ならいざ知らず、中級精霊の声など聞けないユクレステがハッキリと聞いた声。それは、目の前の精霊像から聞こえて来た。それだけで、異質なものであることが伺える。
「なんなんだ、こいつ……」
ドシンドシンと四本の脚で地を踏み締めながら異様な笑みを張りつける氷像。グッと脚に力を入れ、彼女は跳んだ。
「えぇえええ――!?」
「ちょ、ユゥミィ!」
狙いは未だ尻もちをついているいるユゥミィ。あれだけの巨体だ。踏み潰されては、いかに頑丈な鎧だろうと危険だ。急ぎユゥミィの腕を掴み引っ張るものの、百キロを超える重量をそうそう簡単に引っ張り上げることなど出来ない。
「このっ――!」
咄嗟に杖を持つが、止められるとは思えない。せめて起動を逸らそうと魔法を展開する。
瞬間、なにかが彼らの視界を遮った。
「えっ?」
聞こえたのはユゥミィの声。それ以外には、澄んだ剣の音。太陽の下晒されたその姿は、ユクレステにとっても見慣れたものだった。
「こ、これって……」
「ユゥミィの作った、騎士像……?」
光を反射する氷の剣を携え、透明な視線をこちらに向ける騎士の姿がそこにあった。
ユクレステ達が死闘を繰り広げている頃、ユリトエスは背にディーラをおぶって風となっていた。
「ディーラちゃん! 次は!?」
「んー、あっちの方かな?」
「りょーかい!」
既にまともに動く事が出来なくなったディーラだが、この騒動を収めるためには彼女の力が必要不可欠なのだ。なにせユリトエスは戦力には数えられない。いかに現状、魔法を上手く発動出来ないディーラとは言え、彼よりは戦闘能力はある。それと言うのも、
「あ、いた。青き火の切っ先――ライトニング・スピア」
ユクレステが渡したポーチの中には多数の魔法薬が詰め込まれており、今のディーラでも難なく発動することが出来るのだ。
ちなみにユリトエスでは発動出来ても上手く当てる事が出来なかった。
「次は、えーっと……向こう、かな?」
「あっちだね! って言うかディーラちゃん眠そうだけど寝ちゃだめだからね! マジに凍死するよ!?」
「んー、分かってるー」
空になったビンを放り捨てながら、くっ付きそうになる目蓋に力を込める。それでも緩々と下がって行くのは、この状況のせいだろう。
辺り一面に溢れる氷の精霊の力。それが、ディーラにとって天敵となっているのだ。羽も尻尾も凍りつき、気を緩めれば全身が凍ってしまいそうになる。
「あー、なんだかこの振動も良い感じに眠気を誘う…………ぐぅ」
「わー!? 寝るなー!」
騒ぐユリトエスの声を遮るように、前方から轟音が聞こえた。見ればそちらには砕けた地面と、同様に砕けた氷像が散乱していた。
「あ、ミュウちゃん。そっちも順調そうだね」
「ユリトさん。はい、あまり強くなかったです」
『大広場のあれよりかは力込めてなかったみたいだからね。それよりディーラちゃん、大丈夫? あれだったら宿で休んでても良いんだよ?』
「……悪魔族として戦場を逃す訳には……ぐぅ」
「だから寝ちゃダメだってば!」
合流したミュウとマリンに現状の報告をし、再度二手に分かれる。あちこちからは氷像が暴れる音が聞こえ、街の人間達の悲鳴が聞こえていた。あまり悠長に事を構えてはいられないだろう。
焦る心を押さえながら、ユリトエスは駆け出した。
と、思ったユリトエス君は真っ当な思考をしていたと思う。
「…………」
目の前に広がる光景になんと言って良いのか分からず、結局黙り込むしかない。故郷ではバカ王子だのやることが突飛だのと言われ続けていたユリトエスだが、この光景を見ると割かし常識人だったんだなぁと再確認。
なにせ、彼ら。
「おーなんだこら? 活きの良い氷じゃねーべか。かき氷にして食うべ」
「そっだなー。おらはやっぱりメープルシロップだべ」
「それなら僕はオリーブオイル!」
「――――!?」
暴れ回る氷の彫像を捕まえてかき氷にしているのだ。悲鳴かと思われた先ほどの声は、どうやら歓喜の声だったようだ。もしくは今まさに体を削られている氷像達の声か。
「あ、あのー」
「ミュウちゃん?」
いつの間にか隣にいたミュウが、あらぬ方向を指差している。その先には一人の女性と、その女性に投げられ粉々に砕かれる氷像の姿が。
「あ、ミュウさん達。どうですか? 皆さんもご一緒にかき氷でも」
肩に大木のような氷を担ぎにこやかに言ってのけるギルドの受付嬢、エルーネ・シフォン。クマも投げ飛ばすと豪語する彼女にとって、これくらいの氷の塊は軽い物のようだ。
周りを見れば、何故か半裸の男たちが酒の入ったテンションで氷像を相手している。必死に抵抗しているものもいるが、この雪国で育った彼らには叶わずに倒されて行く。
「……なんか、僕達だけじゃない? 必死になってたのって」
『……みんな逞しいよねー。雪国の人ってみんなこうなのかな?』
さあ、と首を傾げるユリトエス。なんとなく、その答えは雪国の人に対して失礼なのではと思ってしまう。
「ま、まあとにかく。こっちは一件落着?」
そう。彼らは甘く見ていたのだ。お祭り好きと呼ばれる彼らの行動力を。そして知るのだ。その行動力の末に起きる、悲劇を。
「あら? あなたどうしたんですか? そんなに寒そうにして」
「そりゃ寒いから。……ってか眠い」
「ダメですよー。こんな所で寝たら風邪ひきますから」
「いや、風邪ひくレベルじゃ済まんでしょ?」
「そんな時はこれです! じゃーん、すーぴーりーたーすー! ささ、グイッと一気に!」
「それあかん! アルコール度数がバカ高い酒を一気なんかしたら――」
「…………(グイ)」
「いったぁああー!?」
悪魔が目覚めるまで、あと数分。