ユゥミィ
ガシガシと氷を削る音が耳に触れる。台座に座りながら慎重に、けれど素早くノミで氷を削る。もたれかかっていたために左手は常に氷に触れており、今ではもう感覚がなくなっていた。
一度体を離し、箱の台座から飛び降りて少し距離を取る。作りかけの氷の彫像の出来に首を傾げながらもう一度台座を踏む。
「ユゥミィ、そろそろ夕飯の時間だぞー。今日はスノウリザードのステーキだってさ。早く来ないとシャシャが全部食べちゃうぞ」
「なに!? それはダメだ! 私だって楽しみにしていたんだから!」
宿の窓から身を乗り出してそう声をあげる己の主の言葉に、台座を登ったばかりのユゥミィは慌てて降りようとする。その瞬間、箱を二つ乗せて作った台座がバランスを崩した。
「おっ? おぉう?」
前のめりに倒れる体に声をあげるが、どうすることも出来ずに雪の中へと落ちて行った。
「ぶっ――」
「あちゃー」
そんな彼女の様子を見ていたユクレステは、思わず顔を覆って吐息した。それから行儀悪く窓から外へと飛び出し、ユゥミィの側へとやってくる。
「大丈夫か? 随分と派手に転んだみたいだけど」
顔を上げ、差し出された手と主の顔を交互に眺める。少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、そっとその手を取った。
「うん、平気だ。ありがと」
照れた笑いを見せ、支えられながら立ち上がる。手を繋いだまま宿へと戻る二人。ふと、背後の作りかけの氷の彫像を盗み見て、次いで主の背中を見る。
「ふふっ」
「うん? どうした?」
「いや、なんでもない。ただ、もうちょっとで完成だな、と思ってな」
進捗率としたらもう八割は完成している。祭りの日まであと三日。余裕を持って間に合いそうだ。
「ふふん、出来たらイの一番に主に見せてあげるからな! 楽しみにしていてくれ!」
子供のようなユゥミィの姿に、クスリと微笑みユクレステ。
どんな像が出来るのか、ある程度の予想はついているにしても、楽しみなのだ。
「ああ、楽しみにしてるからな」
「任せておけ!」
扉を潜れば温かな空気が部屋を満たしている。食堂からは香ばしい食欲を刺激する匂いと、わいわいと楽しそうな仲間達の声が聞こえて来る。
残り二割を終わらせるために、今は楽しく夕食といこう。
ユクレステとユゥミィが席に着き、楽しい食事が始まった。
ユゥミィ・マクワイアはダークエルフである。ダークエルフと言えば浅黒い肌を持ったエルフの色違い、と世間では広まっていることだろう。しかしそんなエルフのおまけみたいに言われるのは心外である。確かに、彼らは良く似た種族だ。精霊との繋がりが強く、弓を得意とし、森の奥に住まう。パッと思いつくだけでこれだけの共通点がある。しかし、確かな違いがあるのもまた事実だ。
その内の一つが、性格である。厳粛で真面目なエルフと違い、ダークエルフは情熱的で大雑把な者達が多い。そのせいで過去に対立していた事もあったようだが、数十年前に和解が成功し、今ではエルフ族も少々ダークエルフ族に毒されているとかなんとか。
そんな種族の生まれであるユゥミィは、とある方向に対してとてつもない熱意を向けていた。それが、彼女の夢でもある、騎士になるという目標だった。
他種族と比べてやや筋力と体格が劣るダークエルフには向かない職である。それでもユゥミィは騎士となることを熱望していた。
それと言うのも、全ては彼女の家族に因るところが大きいのだろう。
十二年前。ダークエルフの里で。
「ちがーう!!」
里の隅にある広場にキンキンとした少女の声が響き渡った。通りすがりのエルフ族の女性がチラリとそちらに視線を向けるが、すぐに目を逸らして去って行く。そんなことを知るはずもなく、大声を出した少女がスゥと息を吸い込んだ。
「良いか! 手の角度は、こう! そして足は肩幅に開くんだ!」
彼女の周りには同じ年頃の少年少女が集まっており、少し違うところはその一人を覗いて全員が白い肌をしているということだろうか。
子供たちの中心にいる子こそがダークエルフの少女、ユゥミィ・マクワイアである。そして彼女以外の子供は、エルフ族なのであった。
「よーし、それじゃあ今からもう一回手本を見せるからな! よーく見てるんだぞ!」
ユゥミィは腰に手を当て、右手を左方向に向けて突き出した姿勢を取り、魔力を解き放ちながら声を張り上げた。
「変・身!」
彼女の一言によって光が生じ、一瞬後には彼女の着ているものが変化していた。数瞬前まではなんの変哲もない洋服だったはずが、葉っぱやら木の棒やらが装着されたゴテゴテの服に早変わりする。
エルフの子供達はその姿におー、と称賛の声をあげる。
「すごーい! ユゥミィちゃんかっこいいー!」
「ふふん、どうだどうだ! スゴイだろー!」
彼女が一番得意とする魔法を褒められ得意気なユゥミィ。真似をするように他の子供たちも変身の魔法を唱え、広場一帯に怪しい衣装の子供たちが出現した。
「ゆーみー! 今日はなにして遊ぶのー?」
子供たちのうち一人が質問する。
「もちろん、騎士ごっこだ!」
疑問の答えは決まっているとばかりに言い切る。だがそれに反対の子供たちがブーイングを鳴らした。
「えー、またー?」
「なっ、なんだ、嫌なのか?」
「だってー。騎士ごっこだとゆーみーが騎士の役譲らないんだもん」
不満顔の少年にむむ、と考え、ならばと妥協案を口にする。
「な、ならば騎士は皆でやろう! それなら私も騎士できるし!」
「結局ユゥミィちゃんは譲らないんだね……」
「ま、いっかー。しょーがないからそれで勘弁してあげるー」
「そ、そうか? それじゃあ騎士ごっこで決定!」
パッと嬉しそうに顔を輝かせるユゥミィ。余程騎士というものをやりたかったのだろう。例えそれがごっこ遊びと言えど、彼女にとっては譲れないものなのだ。
「じゃあー、ぼくはダークエルフの騎士のミデュア様ー!」
「違う! ミデュアの役は私だー!」
「ユゥミィちゃん横暴ー。この前もそのまた前もユゥミィちゃんがミデュア様だったじゃん」
「やだー! わたしがミデュア様やるのー!」
「あーもう、また泣くー。分かった、分かったよー。ゆーみーちゃんがミデュア様でいいからさー」
先ほどまでに態度はどこにいったのか、顔をくしゃりと歪めて涙を流す。その姿にため息を吐きながら、大人な対応で承諾する子供たちだった。
このダークエルフの里には一つの伝説がある。伝説とは言っても、三百年ほど前のことなので寿命が長いダークエルフにとってはちょっとした昔話に過ぎないのだが。
三百年前、まだダークエルフ族がエルフ族と敵対していた頃のことだ。当時荒れていたセントルイナ大陸に突如として現れた人物がいた。それが、聖霊使いである。
大陸を創造したとさえ言われた聖霊使いがまだ無名だった頃、一人のダークエルフが里を飛び出して聖霊使いの仲間になった。それがダークエルフの騎士と呼ばれ、その力とカリスマ性から後に王とさえ呼ばれた人物、騎士王ミデュアだった。
ダークエルフの里には彼に関する話や、彼が聖霊使いとの旅で手に入れた物が数多く伝わっている。ユゥミィの実家にある鎧もそうだ。
そんな伝説と呼ぶに相応しい人物の話を聞いて育ったユゥミィは、幼い頃からすっかりこの話の虜となっていた。将来は騎士になると豪語し、祖父と共に騎士になるための修行すら始める程だ。……まあ、その修行方法が弓の練習をサボる彼女に対しての方便ではあるのだが。
そんな思いを持つユゥミィにとって、騎士王ミデュアは誰にも渡したくない役どころなのだろう。
「それじゃあまたねー!」
「うん、また明日ー」
日も傾き、子供達が迎えに来た母親と帰宅していく。ユゥミィも同様に、祖父と手を繋いで自宅へと向かう。そんな帰り道、祖父との会話に花を咲かせた。
「ユゥミィや、今日はなにをして遊んだんじゃ?」
「騎士ごっこ! ミデュアの役をやったんだ!」
「またかい? やれやれ、本当にユゥミィは騎士が好きじゃのう。まったく、あの小童のなにが良いのか……」
「だって騎士って格好良いじゃん!」
それはなんとも子供らしい言葉だ。人を助け、だれかのために守る事を約束する。その生き方は子供にとって憧れるに相応しいものだ。特に単純なユゥミィにとっては。
「騎士王ミデュア様、一度で良いから会ってみたいなぁ」
「ふん、それは無理無理じゃよ。あの坊主はもう帰って来ない。あの小娘達と共に秘匿大陸に渡ってしまったからのぅ。家族である儂の断りもなく……本当にしょうのないやつじゃわい」
「でも爺さま、夢を目指すのは良いことだって言ってたじゃん。だからきっと、騎士王ミデュアも……私の兄さまも自分の夢を貫いたんだ。誇りに思わなきゃ」
「三百年も便りが無いのはどうかと思うがのぅ」
里に伝わっている名は騎士王ミデュア。本当の名は、ミデュア・マクワイア。ユゥミィの実の兄に当たる人物だった。
もちろん年若いユゥミィが彼と言葉を交わしたことはない。彼の活躍していた時代にユゥミィは影も形も存在していなかったのだから。それでも、家族からは良くその人となりを耳にしていた。決して弱い者を見捨てず、だれに対しても優しく手を差し伸べる。当時まだ敵対関係だったエルフ族であろうと構わず守り、その気高い意思を以て今も称えられている。
そんな人物こそがユゥミィの憧れの対象であり、彼女の目指すべき夢の到達点だった。
「ん……」
目蓋の裏に白い明りが見えた。自身の喉から出る声を吐き出しながら体を起こす。
広い四人部屋、その内の一つのベッドからむくりとユゥミィが這い出した。隣のベッドではディーラが布団を頭まで被って丸くなっている。呼吸は大丈夫なのだろうかと一瞬だけ心配が頭を過ぎるが、すぐにどうでもいいやと視線を外した。カーテンを開けた窓には大粒の白い雪が降っている。昨晩はまだ降っていなかったが、夜の間に降り始めたのだろう。
ベッドを下り、暖炉に火を付ける。その間に、夢の出来事を思い返していた。
(懐かしいな……騎士王、そして私の夢……兄、か)
そう言えばいつだかにユクレステにこの話をしようとしていたことがあった気がする。すっかり忘れていたが、教えた方が良いのだろうか。少なくとも、教えればあの主のことだ。泣いて喜ぶに違いない。
驚いた顔のユクレステを思い浮かべ、薄らと微笑んだ。
「ユゥミィ、さん? ふぁ……おはよう、ございます……」
ごそごそとやっていたためかミュウがむくりと起き出した。起してしまったことに苦笑し、立ち上がる。
「おはよう、ミュウ。すまないな、起してしまったか?」
「……いえ、朝の素振りがあるので、起してもらえてよかった……です」
あふ、欠伸を噛んだ音が聞こえた。
「そうか。だが今外は雪が降っているし、今日くらいは休んでも良いと思うぞ?」
「雪……ですか? 降ってる……むにゃ」
窓の外を確認するとパタリと倒れる。まだ眠り足りないようだ。確かに陽が昇ったばかりのようだし、もう少し眠っていてもだれも怒りはしないだろう。
「さて、最後の仕上げにでも行くか」
だがユゥミィにはやる事があった。二日後に迫った祭りに出展する作品を完成させなければならないのだ。手早く着替えを済ませ、一度窓を見る。
雪は降っているが、降った時には屋根の付いた小屋を借りられる。だから作業に問題はない。
「……………………んん?」
作業自体に問題は全然これっぽっちもない。それは確かだ。
「あれ? 昨日、作業が終わった時どうしたっけ?」
細かい作業が終わり、夕食を取った。それから氷像をどうしたのか思考し、それを妨げるように、ドドド、と屋根から雪が落ちる音が聞こえる。
そして気付いた。己の失態を。
「あ、あぁあああ――!?」
「にゃ、にゃんですか……?」
つい大きな声をだしてしまった。ミュウが飛び起き、シャシャが寝ぼけ眼で起き上がり、ディーラが亀のように布団から顔を出す。しかしそんなことを気にしている余裕の無いユゥミィは慌てて部屋を飛び出した。
「ユゥミィ? どうかしたか?」
隣の部屋で寝泊りをしているユクレステが扉から顔を出している。それにも気付かず、転がるように階段を下りていく。ドアを開き、宿を飛び出す音が聞こえた。
「んー? ユッキー、どうかしたの?」
「さあ? ……はぁ、仕方ない」
放っておくことなど出来るはずもなく、ユクレステはローブを羽織りユゥミィを追いかけるように階段を下りて行く。ボロボロのローブはあまり防寒という点では役に立ちそうもないが、それでもシャツ一枚よりはマシだろう。
外の風に当たり、白い息を吐き出し彼女の姿を探す。すぐに見つけたユゥミィの後ろ姿。その先には、
「ユゥミィ? それは……」
「主? あ、あはは……ちょっと、ドジっちゃったみたいだ」
屋根から落ちて来たと思しき大量の雪と、その下敷きになった氷の像があった。
「ほ、本当はもう少し格好良いお披露目をしたかったんだけど……ちょっとした手違いで、その……」
そこにあったのは、騎士だった。剣と盾を構えた全身鎧姿の騎士。ユゥミィの持っている鎧と同じ姿の氷像だ。
それが見事に砕けている。上半身と下半身で見事に分かれ、盾は砕け剣は真っ二つ。雪の重みに耐えきれず倒れ、岩肌にぶつかり破壊されたのだろう。
「え、えっとだから、あの……」
じんわりとユゥミィの双眸から涙が浮かんできた。混乱しているのか言葉も満足に出せずにいる。急いで出て来たのか足元は裸足で、両手は雪を掻き分けたのか赤くなっていた。
「わ、私……ホント、なんでこんなドジを……」
「……とにかくおいで。いつまでもそんな格好だと霜焼けになっちゃうぞ?」
「う、うん……」
呆然としていたユゥミィを背負って宿の中へと取って返す。心配そうに待っていたミュウにお湯とタオルを頼み、食堂のテーブルに腰掛けた。
「ご主人さま、お湯とタオルを貰って来ました」
「ん、ありがと。ほらユゥミィ、足出して」
「…………」
されるがままにタオルを手と足に当てられながら、ユゥミィは暗くため息を吐く。
「……なんで昨日キチンと片づけなかったんだろう」
「そりゃあおまえ……」
スノウリザードのステーキをたらふく食って満足して氷像のことをすっかり忘れてしまったのだ。いつものように自業自得、とは言えるのだが、今のユゥミィは本気で沈んでいるためにハッキリと言葉にしない。
あー、と目を泳がせ、ガシガシと頭を掻いてから彼女を見た。
「それで、ユゥミィ。これからどうするんだ? 直せるのか?」
「いや、無理だ。あれだけバラバラになってはもうどうすることも出来ない。マイア殿には申し訳ないが、諦めるしかないな」
ユクレステの問いに窓の外を眺め、力無くうな垂れる。
「そんな……」
「中々、自信作だったんだけどな……」
そうは言っても簡単に諦め切れないのだろう。彼女の瞳はユラユラと揺れていた。
「……様子は?」
「ダメ。死んだように寝てる」
部屋に戻ったユゥミィは朝食も取らずにベッドに倒れ込んでいるようだ。ディーラの報告に頷き、かき氷をパクついた。
「氷は美味しいけど、流石にかわいそうだったかなぁ」
「まあ、不注意はいつもの事だけど今回はねぇ?」
そう言いつつも食べるかき氷、原材料はユゥミィが削っていた氷の彫刻だ。ちゃっかり宿の女将さんが回収していたらしい。マリンとユリトエスも味わうように口に運び、なんとも言えない顔をつき合わせていた。
「ユゥミィらしいっちゃらしいんだよね。いつもミスしてるしさ。でも今回は少し間が悪かったね」
「そう、ですね……ユゥミィさん、凄くイキイキしてました」
あれだけ落ち込んでいるのは彼女が作成していた作品が騎士の氷像だったと言うことも理由の一つなのだろう。そしてそれをユクレステに見せることをとても楽しみにしていた。自身の理想を、夢を視覚化させたその姿を主に見せたい。そう思っていたのだ。それなのに、後少しというところで潰えてしまった。それも、自分のミスで。
ディーラの言う通り、間が悪かった。ただそれだけの話なのだ。
「ま、まあ、今回はしょうがないってことでさ。いざとなったら来年もあるし、また来れば良いじゃん!」
どんよりとした空気をなんとかしようとユリトエスが空元気気味に声を上げる。
「でもさぁ……うちの元気担当の一人があんな状態だとどうしたらいいのかってねぇ……」
「そ、そこはほら、もう一人の元気担当に任せてみるとかどうだろう?」
「うぇっ!? そこでシャシャに振るんスか? 無茶振りにも程があるッスよ!」
チラリとシャシャを見る。しかしもう一人の元気担当でもこの空気は辛いらしい。
「あぁもう! こういう時はどうすれば……ユッキーヘルプー! っていない!?」
残る頼みの綱は彼女達のリーダーであるユクレステしかいない。そう考え彼の座る席に目を向けるが、そこにはだれもいなかった。
キョロキョロと辺りを見渡していると、厨房の奥から探し人が現れた。
「ん? ユリト、今なんか言ったか?」
「いやだからさぁ……。はぁ、まあ良いや」
力無く椅子に座り直しシロップだけになった皿を傾ける。それが終わり、ユクレステが彼らのテーブルに近づくと、告げた。
「全員、これから山を登るぞ。支度をしてくれ」
『……はい?』
ガツン、と頭に重たい衝撃が走った。
「イっ――!?」
だれかに殴られたのだろう。浅い眠りに微睡んでいたユゥミィが痛みに飛び起きたのは昼を回った頃だった。一瞬お星様が見えて目の前が真っ白になり、自分の状況が理解出来ていなかった。少しずつハッキリとしていく視界が一番最初に捉えたのは、特徴的な尻尾と羽、そして燃えるような赤い髪だった。
その特徴から自分を殴った犯人がディーラだと確信したユゥミィは口を開きかけた。なにをするんだ、そう喉元まで出かかった言葉は呆気なく霧散する。
「……ディーラ? なぜそんなにびしょ濡れなんだ?」
「…………」
目の前に立つ悪魔の少女は頭からつま先まで見事に水に濡れていた。雪がどうとかではない。このクソ寒い中、水泳でもしたのかと見間違える程だ。
その返答がお気に召さなかったのか、ディーラは震える体でユゥミィを持ち上げ、バン、と窓を開けた。
「おっ? ディ、ディーラ? なにをしているのだ? や、待て待て! そんなに押し出すな! 落ちる落ちる! もうお尻がはみ出てる、はみ出てるから!」
出ているのは窓からであって、別にお尻が露出しているとかではない。
「うわぁあああー!?」
必死の哀願も届かず、結局ユゥミィは窓から落とされる形となった。
「よいしょ、と……大丈夫ですか? ユゥミィさん?」
「……あ? ミュ、ミュウか。助かった……」
ちょうどその下にいたミュウが難なくユゥミィを抱き上げ、怪我一つなく生還する。
それを見届け、ディーラは急ぎ浴室へと向かう。寒過ぎてまともに喋ることも出来ないのだ。ゆっくりと温まってから布団で眠ろう。心に決めたことを完遂するべく、ディーラは廊下を速足で移動していった。
しかし落とされた方は堪ったものではないだろう。落下中など走馬灯が見えたのだぞ。
「まったく、なんなんだ一体……」
憤慨するユゥミィ。ミュウの苦笑に反応する気力もなく、用意されたブーツを履いて振り返る。
「えっ……?」
その場所は今までユゥミィが作業をしていた場所だ。手の届く距離には氷像があり、自分は一心不乱にノミを振るっていた。それが、つい昨日の事。今日になってそれが壊れたはず、だった。
「やっと降りて来たッスね! それじゃあ早速作業開始するッスよ、ユゥミィ!」
「そうだな、後一日半……まあ、やってやれないことはないだろ? ユゥミィ先生?」
ユクレステとシャシャが笑みを浮かべながら待っていた。彼らの側には、三メートル程の氷塊が置かれている。精霊の氷とは違い、自然が形作った不揃いで不格好な氷の塊。それが挑戦するような威圧感を放ってユゥミィを見下ろしていた。
「え、あ……主? これは、一体……」
「祭りに提出する氷像はさ、別に氷精霊の氷で作らなきゃならない訳じゃないんだよ。だから、拾ってきた」
なんでもないように言ってのけ、ユクレステはニッ、と笑う。
「苦労したんだぞ? なんせこの街にはあんまり大きなのがなくてさ。最初は氷精霊の氷がないかと思って探したんだけど、もうみんなかき氷になってるって言うから山の上まで取りに行って。ディーラは滑って湖に落ちるし、持ち帰る時に落としたせいであちこち割れるし。まあ、それでも無事持って帰ってこれたけどな」
「そ、そう、なのか……」
なんて言ったら良いのか分からない。一瞬、だからディーラがびしょ濡れだったのかと納得したが、今言いたいことはそうではない。
一度は完全に諦めてしまったからなのか、もうノミを持つ気力もない。もう間に合わない、と泣き事を言ってお終いにしたかった。けれど――
「まさか出来ないって言う訳じゃないだろーな? 夢を作るんだろ? 目標なんだろ? だったら、やってみせろ」
「――ッ!!」
そうまで言われては、諦めると言う選択肢は残らないではないか。
「当然だ! わ、私は主の騎士だぞ! この程度の逆境、簡単に跳ね退けてくれる!」
胸を張ったその言葉にしっかりと頷き、ユクレステは笑う。
「ああ、その意気だ。俺もミュウも、皆がおまえを手伝うんだ。出来ないはずないだろう?」
その言葉にミュウも、シャシャも力強く頷いた。
「お手伝いと言っても、あんまり役に立たないかもしれませんけど……重たいものなら持てますから」
「シャシャは氷を斬るッス!」
「おーい、それよりもまずは昼食にしようよ! ご飯食べて力付けないとね」
『今日の献立はスノウリザードの辛味噌焼きとテールスープだよ。体の中から温まっていってね』
宿の窓からユリトエスとマリンが声を上げる。氷運びの役に立ちそうになかったため、彼らは朝から厨房を借りて料理をしていたのだ。
「み、皆……」
ぐしゅ、と鼻をすする。こぼれそうになる涙を必死に飲み込んだ。
仲間達がこれだけお膳立てしてくれた。諦めかけた心を繋いでくれた。
私の夢を、掴ませてくれる。
「主……」
「うん?」
「私は、やるぞ! 完成させて、皆に見せてやるんだ!」
彼らがいるだけで、こんなにも充実する。ならば後はやり遂げるだけだ。騎士になる、そう決めた幼い頃の自分のように、ひた向きに完成させる。
現魔物使い、次期聖霊使いの騎士として情けない終わりなんて見せてたまるか!
氷の彫刻や雪像作りなんてテレビくらいでしか見たことないので細かな描写が出来ませんでした。小説書くには色んな知識が必要なんだなぁ、と再確認しました。