芸術の街
皆と楽しいはずの道のりがサバイバルな二人旅となって三日。本来ならば整備された道を歩くだけの旅だったはずが、けもの道を歩いたりロッククライミングをしたり川を超えたりと、本当に苦労の絶えないものとなっていた。
その間、魔物に襲われたのも一度や二度ではない。その度に撃退し、時には仲良くなったりと、それはもう濃い三日間であった。
その後なんとか普通の道に戻り、近くの小屋で休息を取る。
さらに二日後。
「あ~る~じ~!?」
「うわぁああ!?」
小屋の前でのんびりと日光浴をしていたユクレステに、鼻水を垂らしたユゥミィが抱きついて来た。思わぬ攻撃に怯み、べったりとした鼻水がローブに付着する。
「ちょ、汚い汚い! ただでさえ泥水に塗れてるのにこれ以上汚さないでくれよ!?」
ここまで来る時に増水した川に呑みこまれ、彼の着るローブは所々破れていた。そこそこの値段の一張羅だったのだが、流石にもう買い替え時なのだろうか。ユクレステは一人息を吐く。
ユゥミィの後ろからは小走りでミュウが近寄り、なにかを言いたそうにしている。それから一拍置き、柔らかに微笑んだ。
「ご無事で、よかったです……ご主人さま」
「はは、当然だろ? あんなので死ぬはずないって」
「いやだから、普通死ぬと思うんですけどねー」
『まだ言ってるの? マスターなんだから大丈夫なんだって』
続いてユリトエスと彼の胸元に光るアクアマリン。さらに後ろからはディーラが身を縮こませて歩いている。前者はユクレステを前に止まったのだが、下を向いて歩いているディーラは見えていないためかズンズンと進んで行く。
「おーい、ディーラ? 生きてるかー?」
「…………?」
結局、ユクレステの胸に当たるまで歩き続けていた。
「…………ご主人?」
「おう。ご主人さまですよー、と」
ジィ、と凝視し、眼の端にじんわりと涙が浮かぶ。ディーラは突然の事に慌てるユクレステの胸に飛び込んだ。
「ご主人……!」
「ディ、ディーラさん?」
「さ、寒い……!」
よほど寒かったのか、ぎゅう、とユクレステを抱きしめて必死に暖を取っている。どうしたのか、と視線でミュウに尋ねた。
「えっと……。あれからも何度か羽が凍ってしまって……大変だったんです」
この五日間の内、丸一日くらいの時間は羽が凍っていたと思う。尻尾や腕などは幸いにもなんともなかったのだが、なぜか羽だけが見事に凍ってしまっていた。自分では解かすことは出来ないのでミュウやユゥミィに頼むのだが、ミュウでは力が強くもげそうになり、ユゥミィは加減を知らないのか擦り過ぎで羽がボロボロに。最終的にユリトエスに頼んだのだが、どうやら凍結そのものが魔力的要因のせいもあってか魔力が極端に低いユリトエスではかなりの時間を有してしまう。
「ちなみに今も……」
「うわっ、また凍ってるよ……。ちょっと待ってろよ、今解かすからな?」
ディーラの羽を優しく擦る事十数秒。無事に解凍した羽を撫でるディーラの姿があったそうだ。
「にしても、やっぱりなにか理由がありそうだな、それ」
「んー、一応少しは分かってきたよ?」
急ぎ退避した山小屋で火を熾しながら、幸せそうな表情でディーラが言った。
「多分だけど、氷の精霊が活発化してるのが原因。ほら、僕って火の主精霊と契約してるでしょ? 氷の主精霊は火の主精霊が嫌いだそうだから、そのせいかも」
「……主精霊同士にも好き嫌いってあるんだ」
「そうみたい。魔界でザラマンダーと会った時に世間話をしてね。その時に。なんか、寒い時は鍋が最高だって言うザラマンダーと、寒いからこそアイスを食べるべきだ、って言うアリスティアとの意見の違いが原因なんだって」
精霊でもしょうもないことで喧嘩するんだなぁ、と納得してみる。
それはそうと、ユクレステはたき火の前で幾つかの小ビンを傾けながら杖を振っていた。彼の前にある小ビンの一つはイグニー・テント。それと合わせるように雪解け水を注ぎ、風の装甲魔法と雷の装甲魔法の魔法陣を解かし込む。
ポン、と軽い破裂音と煙が上がり、出来上がったのか良し、と頷いた。
「それはなに?」
ディーラの問いに、ユクレステは自身満々に胸を張った。
「ふっふっふっ、まあ見てなさいって。これを湯に混ぜて、このタオルをちょっと浸してー」
鼻歌交じりにテキパキと作業を終え、よく絞ったタオルを取り出す。そしてディーラを手招きして呼び寄せた。
「ディーラ、ちょっと羽を見せて貰っても良いか?」
「……? 別に良いけど……」
「どれどれ? ……うん、やっぱり羽には魔力の通りが薄いのか?」
「ひゃん!?」
訝しみながら後ろを向いてローブから羽を取り出す。ユクレステはジッと観察しながら優しく触れた。いきなりの行為に思わず変な声が漏れる。
「尻尾の方は……ふむ、一応大丈夫そうだけど……少し心配ではあるかな」
「ちょっ、ごしゅじ――尻尾はさわ、るなぁ!」
「あ、悪い。そんじゃ、早速」
怒られたことに悪びれもなく再度尻尾をタオルで拭う。次いで彼の手は上に伸び、羽も丹念に拭き始めた。
「ひあ……な、なんなのさぁ」
こそばゆさに身を捩りながらもその行動を受け入れて数分。とろんとした瞳には最初ほど嫌がる素振りは見せていなかった。
彼が作成した魔法薬の効力は至って簡単なものだ。氷精霊がディーラを凍らせようとしているのだから、それから守るようにすればいいだけ。ついでに少しでも快適になるようにしてみた。
そうして出来た魔法薬を丹念に彼女の羽と尻尾に染み込ませることによって、効果時間を伸ばしているのだ。
「んんっ……!」
ただ少しの誤差もあった。必要な魔法としては火と風、そして雷。そこに氷精霊の恩恵とも言える雪解け水を加えたことにより、肌に振れれば一瞬のひんやり感、次いで来るピリッとした感覚。最後に人肌のような温もりが襲うのである。
つまるところ、気持ちが良いのだ。
「はっ……なん、か……ぼんやり、してきた……」
くた、と顔を脱力させて体を横にし、そこにユクレステがマッサージのように羽を撫で繰り回している。
ミュウ達が水を汲みに行っていて良かった。そこでは現在、少々他人には見せられない光景が広がっていた。
「……っ、はぁ。やっぱり空は良いなぁ」
翌日、ディーラは嬉しそうに空を飛んでいた。眠たげな瞳を楽しそうに細め、ローブから出した羽を羽ばたかせている。どうやら、昨日の薬が効いているようだ。
「へー、じゃあユッキーのおかげって訳なんだ。やっぱり便利だよね、魔法って」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるユリトエス。その表情の意味は分からないが、多分昨日の光景を見てしまった事と関係があるのだろう。ピクピクと赤い顔をして横たわるディーラ。その横で一心不乱に羽と尻尾を弄るマスター。誤解を生むには十分過ぎた。
嫌らしい笑いのユリトエスから顔を逸らし、頭上のディーラに声をかける。
「おーい、そろそろ出発するぞー!」
ユクレステの声はディーラだけではなく、近くにいたミュウ達へも向けられていた。一日の休憩を終え、残る道程は一日ほど。今日中に着いてしまいたいと考えているのだろう。
空からディーラが降りて来たのを確認し、ほい、と軽めの荷物を手渡した。
「後は、ミュウお願いな?」
「はいっ」
気軽に応えて掛け声もなしに傍らに置かれた荷物を持ち上げる。普通ならば大人の男性が持っても一苦労するだろう荷物を簡単に肩に担ぎ上げた。最早この光景も見慣れたもの。ユクレステ一行は意気揚々と出発するのだった。
氷雪の街、クリスト。一年のほとんどが雪と氷に覆われた街だ。レンベルク領の南に位置する場所にあり、この街から三時間ほど行った場所に氷の主精霊のいる万年氷河の洞窟が存在する。
ユクレステ達の目的はこの洞窟であり、そのすぐ近くのクリストに寄ると言う事はなんら不思議でもない。ただ、少しの不安材料もあった。旅の途中で出会った氷の精霊。彼らは明らかにこちらに向けて敵意を持って現れた。精霊がああも敵意を剥き出しにする事は少なく、あるとすれば、十中八九その精霊達の親玉が関係してくるはずである。
この場合、彼らが出会わなければならない氷の主精霊、アリスティアのことだ。
もしかしたらまたなにか、オームの時のような厄介事が起きているのかもしれない。そう考えると、余計に気を引き締めなければならないだろう。
ユクレステはキッと眼前を凝視する。
「…………で、なにこれ?」
「さ、さあ? なんでしょう……?」
射殺すような視線を透き通った瞳で見つめ返されている気がした。
旅路の区切りを終えた彼らを待っていたのは、とてもとても不細工な氷の像であった。
目的地と目的と、これからの不安事を脳内が勝手に流して数秒。思わず変な方向へと向かってしまった思考を必死に繋ぎ止め、同じく頭にはてなマークを浮かべているミュウと顔を見合わせる。彼らの目の前にあるのは、街に入るための入り口と、その横に立つ巨大な氷像である。もちろん氷精霊の仕業ではない。彼らはもっとスタイリッシュかつ美しかった。少なくとも、こんなブタの出来そこないのような顔ではなかった。
鼻はひん曲がり、目玉と思しき物体が飛び出て、胴体より下はドラゴンのように大きな四本足。それでも恐らくモデルは女性なのだろう。その溢れんばかりの胸は、逆にバカにしているとしか思えない。
そんな代物が違うポージングで二体、街の入り口に配置されていた。
「ど、どうしよう……これ……どうしよう?」
「どうするッスか……この、えぇと……化け物は」
必死になにかを言おうとしたようだが、ユリトエス達でも言葉に窮していた。仮にも王族で、芸術にはそこそこ精通しているはずの彼でも。貴族の娘で、この辺りの文化に明るいはずのシャシャでもだ。
ただ一人、ユゥミィがふーむ、と唸っている。
「……愛を感じる」
『はぁ?』
思わず声をあげるユクレステとユリトエス。ミュウも困惑顔だ。
既にこの氷像から顔を逸らしているディーラが彼らを代表して尋ねる。
「……一応聞くけど、なにが?」
「ディーラには分からないのか? この氷像、とても良い出来ではないか」
「……もう一回」
「うむ、良く出来ている。情熱的で、一身の愛を注いだ良い作品だ」
……。
「えっと、このブタ鼻で顔がひしゃげた像が?」
「美しさを表現しようとしたのだろう。良い作品だな」
良い作品……らしい。
「こ、この明らかに馬? いや、ドラゴンの足をした像が?」
「強さと逞しさを内包させようとしているのだ。良い作品ではないか」
良い作品なのだそうだ。
「あ、あの……明らかに顔の……と言うより胴体よりも大きな胸の像がですか?」
「そこに秘められた神秘を永遠に追い求めているのだろう。良い作品だ」
やはり良い作品であるようだ。
「あの頭から突き立った角、明らかに全体のバランス崩してると思うんスけど? この像」
「空に向かう意思、そんなようなものが感じ取れるな。良い作品としか思えない」
どこまで行っても良い作品である。
うっとりとした表情のユゥミィの言葉はどれも本物だ。これには質問者の四人も驚愕している。
「流石はユゥミィ、感性が他と違う……」
『ま、まあほら、ユゥミィちゃんって結構芸術家肌なところあるし……き、きっと私たちとは見えているものが違うんだよ。……そゆことに、しておこう?』
「……そだね。むしろこれ以上考えるのはメンドイ。や、シンドイ」
ディーラとマリンがボソリと言葉を交わし、未だ固まる三人に声をかけた。
『ほら、みんな! 早く街に入ろうよ。いつまでもこんなとこいたら風邪引いちゃうからさ』
「そうそう、中に入れば気にならないだろうし。早く視界から無くそう。うん、それが一番」
背を押されるように街に入って行くユクレステ達。その表情は胡乱気で、自分の中の価値観となにかがせめぎ合っているようだった。
ただ一人、名残惜しそうな表情のユゥミィを除いて。
そんな氷像の門を抜け、街に入ると既に地面には真っ白な雪が降り積もっていた。以前、関所の兵士から聞いた通りの光景だ。子供が作ったような雪像や雪だるまが家の近くに置かれていたりと、雪国ならではの光景が広がっている。
それだけではなかった。
「おおぅ、これまた……雪国ってすげー」
「いやいやいや、あり得ないだろ」
驚嘆の声を上げるユリトエス。確かにゼリアリスは雪もあまり降らないため、雪に塗れた家々を見るのは初めてだろう。だが、そういうレベルではなかった。
地面から天高くそびえる氷の柱。それが、至る所に発生していたのだ。
「なに、これ? 近頃の北国って凄いんだ」
「や、流石にこんな光景初めて見るッスよ。ってか、なんなんスか、これ?」
ポツリとディーラが呟いた。
街を流れる川は見事に凍りつき、美しくも寒々しい氷の大輪が咲き誇っている。見渡せば家と同じくらい巨大な氷塊があり、つるはしを持った男性が懸命に打ち付けていた。
「シャシャ、これって雪国だと普通なのか?」
「んな訳ないッス。クリストには初めて来たッスけど、こんなとんでもな街だとは聞いたこともなかったッスよ?」
「だよな。……あ、すみません」
考えても分からないので、ユクレステは近くでつるはしを振っていた男性に声をかける。
「おや? 君たちは……ああ、旅の人か。そうだね、もう少しでお祭りの時期だからなぁ。あ、宿は真っ直ぐ行った突き当りの所だよ」
「これはご親切にどうも。えっと、この氷は一体どうしたんですか?」
なんでもないように言う男性。彼の態度から、この状況は然して緊急の事態ではないのだろうか。
「あぁ、これ? いやぁ、なんか半年くらい前から街中に氷が大量発生してね。今年の夏は快適だったよ」
ハッハッハッ、と朗らかな笑み。
「ああ、なんだ、そうだったんですかー……って、異常事態じゃないですか!?」
危うく能天気な笑みに騙されかけた。ユクレステの驚きの声を気にもせず、つるはしを動かしながら口も動かす。
「まあ、そうみたいだけど別に困ってはいないからね。それにほら、この氷が凄く美味しくてかき氷には持って来いなのさ」
「こんな寒いのに?」
「寒いからこそだろう? ほら、アリスティア様もこう仰られているし。『パンが無いならアイスを食べれば良いじゃない』。蓋し名言である!」
オッサンキャラ変わってるよ、とディーラ。
とにかく男性はそう言い残し、砕いた氷をソリに乗せて去って行った。最後まで朗らかかつ爽やかな笑みであった。
彼を見送り、呆気に取られたユクレステがもう一度周囲を見渡す。
「なんか、異常事態なはずなのに街の人たちは別段慌ててないんだよな」
『むしろ喜んでるっぽいよね。あ、マスター。かき氷のシロップが完売してるよ』
「これがリーンセラの人たちか……逞しいのは、お国柄なのかなぁ」
ユリトエスが苦笑気味に言う。リーンセラと言う国が元々お祭り好きな国であるためか、そこ済む人々もかなり個性的な人が多そうである。
はぁ、とため息を吐いているとユゥミィの声が聞こえてきた。
「おぉ! これまた良い作品だな!」
その言葉に嫌な予感を感じながら、振り向いた――即刻後悔する。
「こ、これは……はふぅ」
「ミュウ? ミュウ、気をしっかり持って。ご主人、ミュウが危険で大変だ」
「お、おぅ……」
正直ミュウだけではなくユクレステも持って行かれそうになっていた。
目の前にあるのは氷像。そしてその作者は、恐らく街の入り口に設置してあった氷像と同一だと予想する。だって全く同じ像だったのだから。違うとしたらポーズくらいか。
急に視界に入った事により心構えが出来ていなかったミュウがクラリと崩れ落ちる。ディーラの支えによって怪我はないが、心の傷は増えたかもしれない。それほどまでに凶悪なポーズをしていたのだ。
「ふふ、これは中々セクシーな像だな」
「セクシー? セクシーってなんだっけ? 余には獲物を喰らい尽くそうとしている悪魔の像にしか見えないんだけど」
「悪魔としてはその例えの撤回を求める。こんな醜悪な悪魔、魔界にだってそうそういないよ」
あまりの事に王子であった時の一人称が顔を覗かせている。
「……シャシャ?」
「――はっ!? い、意識を持って行かれてたッス……旅は恐ろしいッス」
焦点の合わない瞳で必死に地を踏むシャシャ。その様子は今にも倒れそうであった。
これ以上はマズイ。そう感じたユクレステは早々に宿での休憩を提案する。一も二も無く頷くユゥミィ以外。ミュウを背負い、一歩を踏み出した。
「なっ――!?」
だが移動した視線の先には、またも醜悪な氷像が所狭しと並んでいた。広場、家と家の隙間、井戸の上、家の屋根にも。まるで魔除けのように周囲に溶け込んでいる。なるほど、確かにあれならば悪魔でさえこの街に寄るのは躊躇するだろう。現に、ディーラは既に真っ青だ。
「おおっ! この街はスゴイな、主!」
キラキラと子供のような顔をして視線を動かすユゥミィに、最早なにも言えなかった。
ただ一つ、言いたい事がある。
「……この街は一体、なんなんだぁあああー!!」
氷雪の街、クリスト。
積雪が多い地域で、冬になると巨大な雪像を作り出来を競う祭りが行われる。そこに住む者はリーンセラ国の中でも変わり者が多く、特に自称芸術家な人物が好んで住むという。
リーンセラ国内では氷雪の街よりも、こちらの方が良く使われていた。即ち――
芸術の街、クリスト。
じわじわとお気に入りが増えていて感動しきりの作者です。これからもよろしくお願いします!