ジルオーズの猛犬
アークス国の北東部にシンイストと呼ばれる地が存在する。ジルオーズとは実質的にそこを支配する、強大な力を持った者達の名であった。
ジルオーズ家はルイーナにおけるオルバール家と同じく、武力に優れた家系である。その力を用いて、シンイスト領の十分の一を占める超危険区域に指定された土地……《天上への草原》を管理しているのだ。
そんなジルオーズ家だが、本家と分家によって戦い方が異なっていた。
本家は生まれながらにして授かった膨大な魔力を用い、魔法使いよりの戦いを得意とする。対して分家のジルオーズは、東域国から伝わった刀を使っての近接戦闘がメインとなる。これは、本家の人間ほど多くの魔力を有しないからだと言われている。
少女、シャシャ・フォア・ジルオーズはこのジルオーズ家の分家に位置する者であり、六人兄妹の末っ子である。そのため、かなり自由に育てられて来たのであった。
「うん、それは分かったから。それでなんでいきなり嫁だの結婚だのって話になってんだよ!?」
ユクレステは胸元に張り付くシャシャを引き剥がそうとしながらも、ユリトエスにツッコミを入れていた。
「いや、流石にそんなの僕が分かる訳ないでしょーって」
それを受けて困るのはユリトエスだ。正直そんなこと本人にしか分からない。
と言う訳で、聞いてみた。
「とっとと家を出るためッス!」
グイーと引っ張られながらも元気な声は忘れない。
ディーラ達に助けを求めているユクレステだが、彼女は敵意がないと分かると興味を失ったように机に突っ伏していた。他の面々もどこから持って来たのかお菓子とお茶なんかを頂いている。
「ジルオーズ家を? なんでまた」
離れろー、と唸るユクレステを無視し、ユリトエスの質問は続く。
「そりゃもちろん、ジルオーズ家が嫌いだからッス。早くジルオーズの名を捨てたいんスよ」
「うん?」
「ほら、それなら嫁に行けば早いじゃないッスか? でも折角嫁に行くなら自分より強い相手のところに行きたいって思うんスよ。あと出来ればアークス国からも出たいッス」
「だから、旅人相手に喧嘩吹っかけてたのか? 自分より強い相手を探して?」
「そッス!」
はい、と元気よく手を挙げるシャシャ。その隙をついて彼女の手を引き剥がし、距離を取る。あー、と悲しそうにしているが、知った事ではない。
「いくらなんでもそりゃ無茶ってもんだろ? 実家の意向もあるだろうし」
「あ、それなら大丈夫ッス。シャシャは味噌っかすッスから。むしろ早く家を出てくれた方が楽って思われてるくらいッスよ」
「随分荒んだ家族関係だねぇ」
少し離れた場所からマリンがそう声をかけて来た。最初は幾らか敵視していたマリンだったが、ユクレステの嫁になる発言の後急に態度が軟化したのだ。なにを考えているのか、分かりたくないところである。
「あー、まあそうかも。ジルオーズ家ってのはかなり実力主義的なところがあってな。強いことが本家にいることの第一条件らしい」
「ふぅん、なんかちょっと親近感」
ディーラとしてはジルオーズ家の考えに共感出来るところがあるのか、うんうんと頷いている。
「というか、良く知っているな、主は」
ユゥミィの感心したような言葉に、苦笑して答えた。
「ジルオーズ家の人が昔うちの魔術学園に留学して来てな。俺の三年上なんだけど、生徒会長までやってたから嫌でも記憶に残るんだよ。話したことはないけど」
「あ、それは多分本家の人ッスね。首席卒業したって話があったのを覚えてるッス」
それはそれとして、だ。
「とにかく嫁には貰わんからとっとと家に帰れ」
「なんでッスか!? シャシャは花も恥じらう十四歳ッスよ! ピチピチなんスよ! お姉さまからも『お前は黙ってれば可愛いのに』って言われてるくらいなんスよ!?」
「それってつまり……いや、やめとく」
「おいディーラ、今なぜこっちを見た? 私だって爺さまからは評判だぞ? 『黙って置物のように座っていればお人形さんみたい』と。な、なんだその憐れんだ視線は!」
騒がしくなってきた二人を放置し、ため息を吐きながらシャシャと向き合う。灰色の瞳が真剣な色でこちらを向いている。
「俺達はこれから主精霊に会いに行くんだ。下手をしたら戦闘になるかもしれない。そんな場所に連れてける訳ないだろ?」
如何にこの旅が危険なのかを説明して帰ってもらおうと言うのがユクレステの考えだ。普通の人間ならば精霊と一戦交えるかもしれないと知れば、自分から離れていくはずだ。
「せ、精霊と……?」
「あ、ご主人それマズイ」
「へっ?」
だが生憎と、
「な、なんて……なんて楽しそうなんスか!」
この少女。世間一般から見て普通とは言い辛い性格をしていた。いち早く彼女の心情に気付いていたディーラが声を上げるも間に合わず、シャシャはキラキラと目を輝かせて詰め寄る。
「うんうん! そうッスよね、やっぱり旅と言ったら強敵との戦いッスよね!? シャシャは一回で良いから精霊と戦ってみたいと思ってたんスよ!」
「クソッ、そういう奴か!」
オーバーリアクション気味に両手を上げているシャシャの姿に、チラリとディーラやウォルフの影が映る。ようは彼女もまた、戦う事が大好きな人種なのだ。
「是非とも、是非ともシャシャもお供させて下さいッス! これでも《猛犬》と呼ばれるくらいには腕に自信があるッス!」
それがどの程度かは分からないが、確かな実力であったのは確かだ。梃子でも動きそうにない姿勢に、困ったようにユリトエスを見る。
「どうしよう?」
「どうするって言っても……まあ、良いんじゃないかな? 精霊とやり合うなら人手が多いのに越したことはないし……ほら、僕は非戦闘員だから」
「ホントッスか!?」
「う、うん……でも一応このパーティーのリーダーはユッキーだから、決定権はあっち」
ググイと詰め寄るシャシャに、ユリトエスは苦笑しながら頷いた。
「うぅ……」
期待に満ちた表情がユクレステを正面から見据えている。どうしたものかと考えていると、ユリトエスが部屋の隅でチョイチョイと手招きをしていた。
「ユッキー、多分ここでノーって言う選択肢はないと思うよ。ほら、無限ループって怖いじゃん? 素直に了承しちゃった方が後々楽だよ」
「んなこと言ってもだな……一緒に来ること自体は別に良いんだよ、ミュウも気に入ってるみたいだし。問題は俺の嫁になるとか言ってる方であって……」
「あー、そっちかぁ……。うーん、それならこういうのはどうかな?」
「大丈夫か? それ」
「まあ、ものは試しにってことで」
部屋の隅での相談事も終わり、ユクレステがシャシャに向けて言った。
「えっと、シャシャ? おまえの気持ちは……まあ、嬉しいよ? でもな、ちょっと結婚は無理なんだよ」
「な、なんでッスか!? 旦那さま!」
「旦那さま言うな! ……コホン。実はな、俺には婚約者がいるんだ」
「えっ……」
実際には口約束で、両家の承認など得ていないが、それでも帰るべき家となってくれた人がいるのは事実だ。相手がいると知れば彼女も引き下がるかもしれない、というユリトエスの作戦だ。
そのことをなぜ彼が知っているのかはさて置くとして。
「ルイーナ国の貴族、オルバール家の末妹、セイレーシアン・オルバール。彼女が俺の、その……こ、婚約者なんだ」
婚約者という言葉を口にするのが恥ずかしいのか若干どもってしまった。しかしその仕草が余計に真実味を表していた。
「本当……なんスか?」
顔を俯かせ、ショックを受けたのか震える声が部屋に響く。
「あ、ああ。セレシアとは、将来を約束した仲だ。俺はあの子を裏切れない。だから、君との結婚は――」
「それじゃあシャシャは妾で良いッス!」
「――無理……って、え?」
……今何か可笑しな言葉が聞こえた気がした。
「……なんて?」
「大丈夫ッス! シャシャ、お母さまに教わったッス! 妾の心得!」
「なに教わってんの!?」
「『おまえみたいな子が正式に嫁入り出来る訳ないから、せめて妾でも良いから貰えるように』って言われてるッス!」
「……なんか、やけにおまえに対する風当たり強くないか?」
果たして分かっているのかいないのか、シャシャは変わらず元気な声を出している。もしかしたら無理に元気を装っているのかとも思ったが、どうにも違うらしい。
「まあ確かにお母さまやお父様や二人の兄と三人の姉からは嫌われてるっぽいッスけど、シャシャもクソ嫌いだからお相子ッス。イーブンッス!」
詳しくは分からないが、これがジルオーズ家を嫌う理由の一つになっているのは間違いないのだろう。綺麗な笑みで吐かれた言葉とは思えない棘のある言葉だった。
「これは流石に……想定外です」
「……ああ、うん。仕方ないよな、これは」
シャシャも仲間に加える、でもそれ以上の関係になるかは別である。
取りあえず、押し問答の末にそういう取り決めとなった。
「さあさあこっちッスよ、あ・な・た? わー! 恥ずかしいッス!」
「なら言うな! 頼むから普通に名前で呼んでくれ、変に思われたらどーする」
「シャシャは別に構わないんスけど……わ、分かったッス。分かったッスからその杖を下ろして欲しいッス……」
やれやれとため息を吐き出し、右手に振りかぶった杖を下ろした。自分の左手を掴んで先行しているシャシャの背中を眺める。
あの後シャシャが一緒に旅をすることを了承したユクレステは、彼女の荷物を取りに冒険者ギルドに向かっていた。どうやら彼女の知り合いがギルドにいるようで、しばらく厄介になっていたのだそうだ。それなら一人で取りに行け、とも言ったのだが、どうしてもついて来て欲しいと言って聞かなかったのである。
「えへへ~。初めてのデートッス」
とても積極的なシャシャだが、正直ユクレステは然して心配はしていなかった。先ほどは少し焦っていたから分からなかったのだが、どうにも彼女の好意は憧れのような感情と類似しているのだ。自分を倒した、自分より強い相手に憧れるだけの子供の恋愛。言ってみれば、ままごと遊びのようなものだ。きっといずれは熱も冷めるだろうと予想していた。
色々と考え事をしている内に目の前には見なれた看板が現れていた。
「着いたッス! さっ、ユー兄さんも入るッスよ」
「なぁ、その兄さんってなに?」
「だって旦那さまもあなたもダメだったッス。なら兄さんしか残って無いじゃないッスか。昔うちの愚兄の一人が言ったッス。『妹ならば! 兄さん(はーと)、じゃなければ認めん!』って」
「うわぁ……ジルオーズ家、碌な奴がいない……。ま、まあ本家の人はまともなんだろ、きっと」
「ちなみにその日からそいつのことは愚兄と呼んでいたッス。なんかビクンビクンしててキモかったッス」
「……そう」
名家の裏側を垣間見てしまった。
ゲッソリと疲れ切った状態のユクレステを引きずってギルドの扉を開く。中にはザワザワとした喧騒と、活気に満ちた声が聞こえている。
「おっ、だれか入って……ゲェ! 犬が来たぞー!」
「な、なんだと! 今日はもう夜まで帰って来ないんじゃなかったのか!?」
「と、とにかく逃げろ! 斬り殺されるぞ!」
しかしそれもシャシャを見つけた瞬間悲鳴にすり替わった。手近のものを引っ掴み、窓や二階のテラスから逃げ出す冒険者たち。
「えっ、えっ?」
なにがどうなっているのか分からず、周囲の成り行きを見守ることしか出来ないでいた。ものの一分であれだけ賑わっていた冒険者ギルドからは職員を覗いてだれもいなくなってしまった。
「ありゃ? みんな今日も元気ッスねー」
「いやいやいや、どう見てもおまえを見て逃げてっただけだろ!?」
「あはは、そんなことある訳ないッスよ。別にシャシャはなにもしてないッスから」
「そ、そうなのか?」
確かにシャシャの名前が出た訳では無かったので、決めつけるのは良くないかもしれないが。
「ただちょっと冒険者さん達に勝負吹っかけて斬ってただけッスよ」
「どう考えてもそれが原因だろ!!」
前言撤回、やはりこの子の凶行が原因だったようだ。冒険者ギルドならば強い旅人も多いだろうから、とは彼女の弁である。そんなことで襲い掛かられる方としては堪ったものではない。こうして恐れられるようになったのは、当然と言えよう。
「……ちなみに犬ってのは?」
「多分シャシャの事ッス。シャシャ、これでもジルオーズの猛犬って呼ばれるくらいには名前が売れてるッスから」
自慢げに言っている姿を見れば年相応な少女の仕草だが、やっている事がやっている事だけにどう反応していいのか分からない。絶賛混乱中のユクレステをよそに、シャシャは受付の老人に声を掛けた。
「お爺さま、ただいまッス」
「む、むむぅ……」
腕を組んで難しそうに唸っている老人。その雰囲気はとても重たく、歴戦の戦士を思わせた。
ギルドの受付は荒事も回避出来るように過去に冒険者だった者がなることもあるそうで、この老人もかつては名を馳せた冒険者だったのかもしれない。自然と緊張による汗が一滴額に浮かび、次の彼の行動に注意を向ける。
「……ぐぅ」
「お爺さままた寝てるッスね。まったく、しょうがない人ッス」
「おい」
寝ていただけだった。思わず声を上げるが老人は眠ったまま。シャシャに肩を揺すられてようやく片目を開いた。
「む、むー? おお? シャシャか? なんじゃ、もう帰って来たのか?」
「そッスよ。ちょっと荷物を取りに来たんス」
「荷物のう……まあ良い。それで、なんでまた荷物なんかを? ようやっと家に帰る気になったんか?」
腰に手を当てたまま立ち上がる老人。彼の言葉から察するに、どうやらシャシャは家出中なのだろう。
「シャシャ、この人ってもしかしておまえの……」
「あ、そうだったッス。この人はここのギルドマスターでシャシャのお爺さまでもあるッス」
先ほどからお爺さまと言っていたのでそうではないかと思ったが、彼がシャシャの実の祖父のようだ。家族を嫌いだと言っていたシャシャだが、彼はまた別なのだろう。
「んむ? そこの坊主は……どなたかの? シャシャの友人か?」
眠たそうなままの言葉に頷く。
「え、ええ、まあ。俺はユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。彼女とは……」
「ユー兄さんはシャシャのお婿さんッス!」
「ちょっ――!?」
知り合いですと続く言葉を完全に遮られ、なお且つ一番ダメな解答が出されてしまった。
「あ、間違えたッス。シャシャがユー兄さんの妾だったっス」
「おまっ――!」
いや、先ほどのは二番目にダメな答えだったようだ。一番ダメなのはこれ。
老人の眠たそうな瞳が一瞬にして獲物を狩るそれに変わり、近くに置いてあった掃除用のブラシに手が伸びる。
「そんな訳でお爺さま、シャシャはこれからユー兄さんと旅に出るッス。で、もうジルオーズには顔を出さないって伝えに来たんス。お母さま達に地獄に堕ちろって伝えて置いて欲しいッス」
とても心温まる別れのシーンである。例えそれが、家族に対して呪いの言葉であろうと、離れられて清々するとドデカく顔に書かれていたとしても。
しかし老人にはそれも見えないし聞こえないのだろう。今彼の中に渦巻いている感情はたった一つ。
「きさーん! 可愛い孫娘になんばしよるかー!」
目に入れても痛くない存在を奪われた怒り。
「今時の若者めが! どうやってシャシャちゃんを落としたー!」
「むしろ俺が落とされたんですが!?」
物理的に。二階の窓から。
そう言えばその際に払わされた窓の修理費、このジジイに請求することって出来るのでは。
そんな考えが過ぎっている間にシャシャはさっさと置くの部屋に向かい、荷物らしきものを抱えて戻って来た。
「それじゃあお爺さま、また縁があったら会うッス。あ、って言っても出発は明日ッスからそれまではここに居るんスけどね。お小遣いなら喜んで受け取るッスよ?」
「ちゃっかりしてるな、おまえ」
「お、おまえだとー! 何時式を挙げたこのふしだらもんがー!」
「うーわ、このジイさん目がイっちゃってるんですが」
扉を背にしてモップを構える老人。その構えは中々堂に入ったもので、老人とは思えない威圧感を放っている。
「ここから先に行きたくば、わしを倒しゃー!」
いくらなんでも老人に対して魔法を使うことも出来ず、どうしようかと思案していると、
「しょーがないジジイッスねー」
「えっ? ちょ、シャシャ?」
一度荷物を下ろしたシャシャが、一足を踏み込んでいた。
「剣気一刀――刺撃(鞘有り)!」
「グッハァ!!」
刀での刺突が老人の喉に突き刺さり、その衝撃で扉ごと吹き飛ばす。道の真ん中まで吹き飛ばされた老人は、当然のことのように気を失っており、外から眺めていた冒険者たちが急ぎ介抱に向かった。
「……やり過ぎじゃないか?」
「平気ッスよ。ちゃんと鞘してたッスから」
「そういう意味じゃなくてな?」
例え刃がなくとも鉄の塊であることには変わりはない訳で。それにも関らず容赦なく振るわれた一撃に呆れの声が出る。
「あはは、そんなことよりお腹空いたッス。皆になにか買っていってあげるッスよ」
「…………」
無邪気さも一歩誤れば凶器になる。それが身に染みた一日であった。
今回はちょっと短めです。
休日だから速かった更新スピードも今日で終わり……次回は少し遅れるかもしれません。