次の目的は
ユリトエスが遊びに来て六日目。それは同時に、ユクレステが故郷に帰って来て六日が経ったという事でもあった。夏も大半が過ぎ、もう一週間程で八月期が終わり、夏も終わる。それでも暑さは衰えることなく続いていた。
ユクレステは一つの荷物袋に魔法薬などを放り込むと、慌ただしく自室の扉を開いた。
「えーっと、後は……」
「お坊っちゃま。皆さんは既に食堂の方でお待ちしております」
「あ、サンキュー。すぐ行くからー」
シュミアとすれ違い、一瞬顔をそちらに向ける。
「お坊っちゃま、廊下は走らず、前を向いて……」
「おっ? わ、とっ、おぉおおお!?」
忠告を言い切る前にバランスを崩したユクレステが、二階の階段から体を浮かせる。数瞬の後、ドスンと大きな音が屋敷中に響き、次いで苦悶の叫びが聞こえてきた。
「……はぁ」
それを眺めていたシュミアの呆れたため息だけがその場に残されるのだった。
「と、言う訳でこれからどうするかについて話し合いをしたいと思います」
ダーゲシュテン邸の食堂でユクレステの声が聞こえる。その場にいるのは彼の仲間である、マリン、ミュウ、ユゥミィ、ディーラだ。リューナやユリトエスはこの場にはいない。
はーい、と元気な声が響く中、ユクレステは口を開いた。
「一応言っておくけど、現在の俺の目標は秘匿大陸に渡ることだ。そして、そのために今までは聖霊使いの手記を目当てに旅をする予定だった」
一冊の手帳を見せる。そこに書かれているのはセントルイナでは使われていない文字、聖霊言語。内容は、神話の出来事だったはずだ。秘匿大陸への渡り方は載っていなかった。そのため、他に確認されている聖霊使いの手記を調べるつもりだったのだ。
それが変わったのは、つい昨日の事。
揺れる馬車の中、ユリトエスは不敵に笑いながら言った。
「実はさ、ゼリアリスにも聖霊使いの手記が残されていたんだ」
「ホントか? でもそんなの聞いたこともないけど……」
「ま、そうだろうね。うちの王様、結構喰えない人だから多分内緒にしてるんだと思うよ」
トントンと人差し指でカードの入った箱を叩きながら言葉を続ける。
「それでつい最近、ユッキーが聖霊言語についての論文発表したっしょ? そのおかげである程度読めるようになって、ちょーっと拝借して解読してみたんだ。ま、そこまで詳しくは出来なかったんだけどね。……書かれていた内容、なんだと思う?」
「……それが、秘匿大陸への行き方ってことか?」
緊張しているのか口の中がカサカサになっている。ユクレステはジッと相手を見つめ、続く言葉を待つ。その答えは、もちろん――イエス。
「その通り。秘匿大陸に行くにはいくつかルートがあったみたいなんだけど、そのどれもが海を渡るという方法ではなかったんだ。それは、知ってるんじゃないかな?」
刹那、母の姿が思い浮かんだ。
「……ああ」
ユクレステの母、ユイン・フォム・ダーゲシュテンは秘匿大陸について調べる学者だった。その過程で聖霊言語を学び、聖霊使いに関係する遺跡に何度も赴いていた。そんな折、ルイーナ国からの要請で秘匿大陸への調査が行われることになる。船で秘匿大陸へと直接向かって行く母の姿。けれど、結局彼が見た母の姿はそれが最後となるのだった。
秘匿大陸周辺に展開する超巨大魔術障壁、《星のカーテン》。海中から天空にまでそそり立つ謎の巨壁。それに阻まれ、母の乗る船は海の藻屑と消えたのだ。
結局、ルイーナ国が主導になって動いていた秘匿大陸への調査は、その件もあって取り止めとなった。
「それなら……それならどうやって行けばいいんだ? 海もダメ、空もダメ。あと残るルートは……」
「それは余も分からない。言ったっしょ? 余が知ってるのは行き方であって道を知っている訳じゃない。知っているのは、たった一つ。――秘匿大陸に渡るためには、精霊の力を借りなければいけないってことだけ。あ、精霊って言うのは神様の方じゃなくてつい先日ユッキーが仲間にしたオームちゃん達のことね?」
チラリと杖に嵌められたアメジストを見る。今もまだ休眠中の精霊を思い浮かべ、疑問に首を傾けた。
「でも別にオームはなにか知ってるって感じじゃなかったぞ? むしろ謎が増えたと言うか……」
今でも謎な精霊、オーム。いや、この場合謎なのは精霊である彼女と言うよりも機械人形である彼女、と言った方が正しいのだろうが。
考え込むユクレステに苦笑し、ユリトエスは言う。
「そりゃそうだよ。必要なのは彼女達の知識じゃない。本当に必要なのは、その精霊としての力なんだから」
「精霊としての力?」
「そう、それも主精霊クラスのものじゃなきゃダメ。本当に欲しいのは、扉を開くための、純粋なエネルギーだからね」
「とまあ、そう言う事らしい」
昨日の事を思い出しながら皆に向かって話すユクレステ。その説明に疑問するように、マリンが手を上げ声を発した。
「色々思う所はあるんだけどさ……まず信憑性は?」
「正直なとこ、分からないだ。確認する手段もなにもないからな」
「海路以外のルートが複数あるようにも聞こえるけど、ルートは?」
「これまた不明。まあ、それも本当かどうかは分からないんだけどな。要は、本当か嘘か、ハッキリとしたことはなにも分ってないってのが現状だ」
ウソを吐いてあちらになんの得があるかは分からないが、まるっきりの出鱈目という訳でもないとは思っている。その証拠が、彼の言う聖霊使いの手記の話だ。
今まで見た聖霊使いの手記には、その全てにA・Yというイニシャルが残されていた。それが聖霊使いのものなのかは分からないが、ユクレステが見てきたものと全く同じものが確認されている。あちらにその情報があるという時点で、全てを疑うことも出来ないのだ。
「うーん、実物を見にゼリアリスに行くって手もあるけど……そう簡単に見せてもらえるかっていうのも微妙だし。みんなはどう思う?」
一人で考えるのも限界がある。マリンはチラリと他の三人へと視線を送った。
「良くは分からないが、ユリトがそこまで言うなら本当のことなんじゃないのか?」
まずはユゥミィがお気楽な答えを返す。まあ、彼女の反応は予想通りだ。人を疑う事を知らない彼女ならば、そう応えるだろう。
「わたしも、その……大丈夫だと思います。ユリトさん、ご主人さまのこと好きだと思いますから」
「えっ? そうかぁ?」
「はい……!」
ニコリと微笑んで頷くミュウに、少し居づらそうに頬を掻く。
「……ようは主精霊と戦えるってこと? なら、僕が反対する理由は特にないけど」
戦闘前提に考えているディーラの応えもある程度は予想通りだ。別に戦わなければならないと決まった訳ではないのだが、静かにやる気を出している彼女の気を削ぐのもなんなので黙っていることにした。
「結局のところ、俺たちにはなんの情報もない訳だからな。ウソだとしても、それに乗らなきゃいけない訳だ」
「そうなっちゃうよねぇ」
はあ、と嘆息し、マリンも頷き返す。そこにディーラが尋ねてきた。
「じゃあマリンはどう? ご主人は? 二人は一体、どうしたい?」
ニッ、と首の端を僅かに持ち上げる。その分かっているぞと言わんばかりの表情がユクレステ達に向き、二人の答えを待つ。
ミュウもユゥミィもジッとこちらを向き、ユクレステはマリンと顔を見合わせた。
「どうって、そりゃあ、なあ?」
「そうだよねー。そんなの初めっから決まってるようなもんだよね?」
少しの逡巡もなく、二人はディーラへと向き直り、
『もちろん乗るに決まってるじゃん!』
楽しそうな笑顔でそう答えた。
「大体俺は聖霊使いを目指してるんだぞ? 精霊を仲間にするのなんて遅いか早いかの違いしかないっての! それで結局近道になればよし、ならなくても精霊使いにはなれるんだから乗らない訳ないじゃんか!」
「だよねだよね! それに精霊と出会うためには旅をするのは前提なんだから、ついでに手記の方も探せばいいだけだもん。乗るしかないよ、このビッグウェーブ!」
似たような笑顔の二人を見て、プッ、と笑いが込み上げる。見ればユゥミィとミュウも同じのようで、クスクスと笑いながら二人を眺めていた。
「ほらね、二人ならこう言うと思った。一番付き合い短い僕でも分かるんだから、分かりやすいよね、この二人」
「うん、まったく。それでわざわざ聞いてくる辺り性格悪いのも似ているな」
「そんなこと、ないですよ。ちょっとイタズラ好きなだけ、だと思いますよ」
流石はユクレステパーティーの一員だ。ご主人様のことを良く分かってくれている。
皆を見渡し、地図を机の上に乗せ、高らかに宣言する。
「それじゃあこれから精霊に会いに行く、それが第一目標だ! まずは居場所のハッキリとしている氷の主精霊、アリスティアに会いに行く!」
「アリスティア……氷、かぁ。僕、寒いとこ苦手なんだけどなぁ。どこにいるの?」
「あ、私知ってる。確かリーンセラだっけ?」
「ああ。北の帝国とも呼ばれる大国だ。ルイーナ国と同等の国土に、軍事力。後は、お祭り好きな人が多いことで有名だな。街を丸々テーマパーク化してるのが一つ二つじゃないんだ」
学生時代にアランヤードに連れられて行ったことを思い出す。
「で、アリスティアがいるのは確か……ここ。リーンセラ東部、レンベルク領にある万年氷河の洞窟、アリティア」
示された場所はルイーナ国よりも遥かに北にある一帯。海に面したレンベルク領の最南端に位置する場所だ。山々に囲まれ、若干ダーゲシュテンに似たような場所にある。
「うぇ、名前だけでも寒そう……」
「実際寒いぞ? なんたって一年中氷が張ってるような場所だからな。洞窟以外はそうでもないんだが、精霊の力のおかげかアリティアには夏が来ないとか言われてる。まあ、防寒具は必須だな。特にディーラ、その格好で行ったら凍死するぞ?」
上半身は二つの金属製のベルト、下半身は右足が太ももを見せている。悪魔がどれだけ寒さに耐性があるのかは知らないが、彼女自身苦手だと明言しているため、その格好は止めた方が無難だろう。
「あの、他の精霊の居場所は、分からないんですか?」
ミュウが手を上げて質問した。
「ザラマンダーの居場所なら分かるよ。魔界だけど」
「私は上級精霊経由での契約だったからユグディアがどこにいるかまでは分からないな」
「シルフィードは……一カ所に止まるような奴じゃなくてなぁ。探し当てるのは正直しんどい」
「水の主精霊は今のところまだ生まれてないからダメじゃない?」
と、言う訳らしい。
とにかくこれで目的地は決まった。出発も急ではあるが明日にすることにして、旅の準備をするために本日は解散となった。ユゥミィは鎧を取りにリューナの家へと駆けて行き、ディーラはロイン達の元へと向かう。マリンは宝石に戻り、ユクレステも食堂を後にしようとして――
「あの、ご主人さま……!」
「ミュウ?」
顔を真っ赤にしたミュウに呼びとめられた。
タタ、と小走りでユクレステの前まで駆け寄り、キョロキョロと視線を泳がせる。どうやら緊張しているようで、今にもどこかに隠れてしまいそうだ。
「えっと、どうかしたのか? なんかあるなら聞くけど……」
「は、はい……!」
スーハースーハーと呼吸を繰り返し、覚悟が出来たのか震えた声を吐き出した。
「あ、あのっ……あと、後でご主人さまのお部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか!?」
思わぬ申し出に、はっ? と言葉が出そうになった。しかしここでそれをしてしまえばミュウが走って逃げ出すのは目に見えているため、寸でのところで飲み込み、ジッと彼女の姿を見つめる。
顔はこれ以上ないまでに真っ赤で、少し尖った耳の先まで染まっている。両手でスカートをギュッと握り、上目遣いでこちらを見上げていた。
「別に構わないけど……ここじゃあ話せない用事?」
「で、出来れば二人でお願い、したいです……」
チラチラと宝石を盗み見るミュウの姿に、一層疑問が生じる。だが、彼女がそう言うのであれば無碍にする訳にもいかないだろう。なにせ彼女は、ユクレステの大切な仲間なのだから。
「オーケー。それじゃあ後で……えーと、これからやることもあるし……うん、寝る前にでも来てくれよ。その頃には準備も終わってると思うし」
「わ、分かりました……! そ、それではまた……」
「ああ、またな」
もう一度しっかりと頷き、時間の指定も終えると逃げるように去って行った。
それを宝石の中から見ていたマリンは、ポツリと声を漏らす。
『ウソ……ミュウちゃんに先を越された?』
「なんのだ、なんの」
恐らく碌でもないことを考えているであろうマリンにツッコミを入れる。
『そりゃもちろん、大人の階段登る~、的な?』
「はあ? なに言ってんのおまえ?」
『いやだって! あのミュウちゃんが夜のお誘いだよ!? これはもうあはーんうふーんなイベントに決まってるじゃん!』
「はいはいあり得んあり得ん」
マリンの慟哭を無視し、やれやれとため息を吐く。
「それこそあのミュウだ。そんな訳あるはずがないだろう? そんなこと気にしてないで、おまえも準備しなさい」
『いや私じゃあ準備もなにもないんですけど。って言うか、そんなことじゃないじゃーん! なんでご主人はそんな落ちついていられるのさー! あのミュウちゃんが顔真っ赤にして男の人の部屋に行くって言ってるんだよ? これで興奮しなきゃ男じゃないじゃん!』
「それ言ったら世のノーマルな人は男じゃないってことになるが?」
喚き続ける宝石を手に食堂を後にし、開いた玄関の扉を視界に入れる。どうやらミュウが出て行った時に閉め忘れたのだろう。パタリとドアを閉じ、苦笑しながら思う。
確かに、あの子も成長してるんだな。
ユクレステ達が話し合いをしている頃、リューナの家ではユリトエスとマツノが修羅場っていた。
「その言い方はきっと語弊があるんですが――ってそれよりマツノちゃん、お願いだから泣かないで、ね?」
「うぅ、ぐすん……ユリトさん、ヒドイです……」
「だから、そゆこと言うとまるで余が苛めてるみたいじゃん! 違いますよ! これは別にマツノちゃんにイタズラしたとかじゃないですからね! だからそっと出て行かないでリューナさん!」
「ははは、分かっておるよ。若気の至り、若さ故の暴走、それもまた青春じゃ。お主も一国の王子なのだし、女子を囲いたくなるのは仕様のないことじゃからな。儂は見て見ぬ振りをするから気にせずにの」
「だから違うんですってー!」
……修羅場である。
まあ、実際にはリューナもこの状況をある程度予測していた。なぜなら明日、ユリトエスはゼリアリスに帰るのだ。それを知ってマツノが泣いているのだろう。
「あの、それ分かってたんならなんで逃げようとしたんですか?」
「その方が面白いじゃろう?」
「うわぁ、この人ユッキーにそっくり。流石師弟……」
ふと、このままマツノを任せて良いのだろうかと不安が過ぎる。とは言えユリトエスにどうすることも出来ないのでなにも言わずにいるのだが。
「これマツノ、あまりそう困らせてはならんぞ。これでもユリトは王子。いつまでもここにいる訳にはいかんのじゃ。聡いお主ならば分かるじゃろう?」
「これでもって……まあ特別反論なんてないですけど……」
「わ、分かっては、います……これでユリトさんが偉い人だって。でも、会えなくなるかもしれないって思ったら……」
「マツノちゃんも? そこまで余って威厳ないかな?」
あるとは思えないのだが。
ツッコミを入れるべきかと思案するが、涙を流すマツノを見て少し思いとどまる。それからやれやれとため息を吐き、彼女の顔を覗き込んだ。
「あのさ、マツノちゃん」
「う……はい?」
「余はこういうのって苦手です。だから一言だけしか言えないけど……」
困ったようなユリトエスの顔と目が合う。
「一人前になったらうちに来るといいよ。そしたら、余の一番の臣下にしてあげよう!」
「えっ……?」
「いや、余って個人の部下みたいのがいないからさ。もしマツノちゃんがよければ、って。今はまだ一緒にはいられないけど、一人前の魔法使いになったら雇ってあげるとも。ええそりゃもう高額で!」
なははー、と笑顔のユリトエス。しばらく黙っていたマツノだったが、やがて泣き止み服の袖で涙を拭った。
「分かり、ました」
パッと顔を上げ、先ほどまで泣いていたとは思えないほどしっかりとした表情を向ける。
「私、立派な魔法使いになります! リューナさんやユクレステさんにだって認められるくらい、一人前の魔法使いになります! だから、待ってて下さい! ユリトさんの一番の部下になってみせますから!」
元気になった彼女の姿にホッと息を吐き、にへらと笑いながら頷いた。
「うん、楽しみに待ってるよ。マツノちゃん」
そんな彼らを眺めながら、呆れたような視線を向けているリューナ。ポツリと呟かれた言葉はだれに聞かれることもなく消えていった。
「やれやれ、随分と安上がりじゃのう。それを言うならば嫁にするの一つも言えんのか……。ゆーとはまた別方向で厄介じゃのう」
それよりもだ。
「これユリト。お主には少し言いたいことがあるのじゃが、良いか?」
「はい? なんすか?」
「それとマツノ。少し取って来て欲しいものがあるので行ってきてくれるかや? ミラヤかシュミア辺りに聞けば渡してくれるじゃろう」
「はいっ、分かりました!」
小首を傾げる動作をするユリトエス。マツノはリューナの言う通り本邸へと向かっていき、チラリと見送りながら不満顔で言った。
「一体ゆーになにを吹きこんだのじゃ? 先ほど精霊のいる場所を確認して欲しいと言ってきたぞ? どうも、次の旅の目的が精霊に会うことになったようじゃが……」
「あー、秘匿大陸への行き方を教えたんだけど……その様子じゃあ本当に行くみたいですね」
「それはそうじゃろう。それがゆーの夢なのじゃからな。で、聞きたいことはそうではない。……お主、なにを考えておる」
「なにを、とは?」
はて、と首を傾げるユリトエスに、厳しい声が届く。
「惚けるでない。お主がなんの見返りもなくものを教えるとは考え辛い。なにか考えがあるのではないか?」
鋭い視線でユリトエスを突き刺し、僅かに空気が重たいものとなった。その重圧の中、困ったように笑う。
「うぅん、別にそんな大層なことを考えたことはないんですけど……ただまあ、ちょっとした打算はありますね」
「それは?」
重圧を弱め、ホッとした表情のユリトエスを眺める。観察するようなリューナの視線に居心地の悪さを覚えながらも口を動かした。
「余の願いもまた、同じなだけですよ」
ニコリと微笑みを残し、ユリトエスは口を閉ざした。それが全てだと言い切ったような笑みに、リューナは短く息を吐いた。
「なるほど、分かった。となると、あれは本当のことなのじゃな?」
「ええ、もちろん。神様マツノ様に誓って、嘘偽りはありません」
「ならばそれで良い。ゆーに不都合があると言う訳でもなさそうじゃしな」
立ち上がるリューナの姿を視界に収めたまま、ユリトエスは首を傾げる。
「そう言えばリューナさんは一緒に行かないんですか? ユッキーの性格上、精霊と戦闘になるだろうし、リューナさんがいっしょなら楽になりそうなもんですけど」
「良いんじゃよ。共に行けばあれは儂を頼る。一人の男として、立派に育って欲しいという親心じゃ。それに、学校の子供たちを放っておくこともできんしな」
なるほど、と頷いた。なんだかんだでユクレステがリューナを頼っているのは明白だ。それを察し、距離を置くのもまた彼女の愛情なのだろう。
不器用なものだ、と苦笑する。
そこにユゥミィの大声が聞こえてきた。
「リューナリューナ! リューナー!!」
「はぁ……また喧しいのが来よったか。ユゥミィ、お主はもう少し静かに出来んのか?」
「そんなことよりリューナ、私の鎧はどこにあるのだ? これから旅の準備をしなければならないのだ!」
「そんなこと……はぁ、少し待っておれ。今取りに行かせた」
耳を押さえながらいつもの二割増し騒がしいユゥミィを眺めるリューナ。やがて、扉を開く音と共にマツノが戻って来た。
「リューナさん、持って来ましたけど……」
「それかぁあああ!」
「きゃあああああ!?」
「これユゥミィ! マツノを驚かせるでない!」
凶暴になったユゥミィがマツノからなにかを奪い取る。リューナに叱られ、ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、手元にあるものを見て首を捻った。
「うん? なんだこれは?」
その様子をクスクスと笑いながら眺め、戸惑うユゥミィに声を掛ける。
「なにを言っておる? それがお主の探していた物じゃろう?」
「…………はい?」
「なるほど、リーンセラに。それはまた、随分遠い場所に行くんだね。お父さん、心配だよ」
「そんな大袈裟な。俺だってもういい大人なんだし、あんまり心配し過ぎるとまたリューナに親バカだってからかわれるぞ?」
苦笑を浮かべ父であるフォレスに声をかけた。
「そうは言ってもね。……ああそうだ、ちゃんと防寒具の用意はしていきなよ? あっちは来月になったら雪も降り出すから」
「だからそういうのが……まったく。いい加減子離れしなよ、父さん」
思えばエンテリスタ魔術学園に入学する時もこんな感じだっただろうか。いや、幼かった分今よりも心配そうにしていただろうか。
「……父さんには、悪かったと思ってる。本当なら家を継がなきゃいけないのに勝手をしてばっかりで。でも……」
ユクレステの口上を止めるように手を上げ、フォレスは首を横に振る。そこに浮かべられた優しげな笑みは、ユクレステと良く似ていた。
「分かってるさ。君が夢を諦められない性格なのはね。彼女もそうだったよ」
懐かしむように口元を緩め、妻である者の名前を口にする。
「あれもまた知的好奇心が服を着てるような人だったよ。どんな時でも真っ直ぐで、自分に素直な女性。まあ、そこに惚れたんだけどね」
「そっか、母さんが……」
記憶にある母の姿はあまり鮮明ではない。それでも覚えているのは、どこまでも真っ直ぐな目線だった。あの頃の彼女と同じとは自分では思えないが、ユクレステにとって憧れの一つになっているのは確かだ。
お互いに彼女の姿を思い出し、どちらともなくクスリと笑う。
「まあでも、確かにユーは心配ないかもしれないね。頼りになる仲間もいることだし」
「それは自信持って言えるよ」
この一週間で何度か話をした息子の仲間達。そのだれもがユクレステを信頼し、またユクレステも彼女達を信頼していた。
もし一人だったならばどう言われようとも止めていた。しかし、今はこうして力強い仲間がいるのだ。止める必要などないだろう。
だから、旅立つ息子にはこの一言で十分伝わるはずだ。
「ユー。風邪ひかないようにね」
「うん、分かった」
笑いあう親子の顔は、よく似たものだった。
明日で国に帰るユリトエスのお別れ会も終わり、各々が自分の寝床へと戻って行った。
そんな中、ユクレステは明日の準備を終わらせ、のんびりとした時間を過ごしていた。手元に精霊使いの手記を翻訳したメモ帳を眺めながら、その中に書かれた文字を読んでいく。ふと目を離し、これから向かう場所に思いを馳せた。
この中に書かれてはいないが、秘匿大陸に渡るのに必要な情報。精霊と契約することが重要だとあの王子は言っていた。それが本当だとして、ではどうやって秘匿大陸へと渡るのだろうか。疑問に思ったユクレステは、メモ帳になにか手がかりはないかと先ほどからこうして眺めているのだ。しかし何度見直しても秘匿大陸についての描写は見つからない。
やはりゼリアリスにある聖霊使いの手記にのみ書かれているのだろうか。
『あ、あの……ご主人、さま……ミュウ、です……』
考え事をしていたユクレステの耳に、消え入るような声が扉の外から投げかけられた。
「あ、はーい」
そう言えばミュウと約束していたな、と顔を上げる。扉の前に立ち、取っ手に手を掛けて自室の扉を開いた。
「あっ……」
そこにいたのはやはりミュウで、おどおどとした表情がこちらを向いていた。
その姿を視界にいれて、一瞬くらりと目眩がするのを感じる。
「す、少しお時間よろしいでしょうか……?」
そこにいたミュウは、ピンク色の可愛らしいネグリジェを着て、中心に大きくYesと書かれたマクラを両手に抱いて立っていた。
新しい旅立ちってワクワクしません? と言う訳でようやく次回旅立ちます! 新章突入は次々回でしょうか? その前に外伝を書くかもしれません。いや、番外編もやりたいなぁ……書きたいことが一杯あって悩みますね。だから中々話が進まないんでしょうけど。
それでは次回までお待ち頂けると幸いです。あ、感想や評価もお待ちしています!