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聖霊使いへの道  作者: 雪月葉
セントルイナ大陸編
41/132

ミラヤとミュウ

 ミラヤに連れられてやって来たのは、なんの変哲もない漁港だった。漁船が港に停泊し、近くの市場からは活気に満ちた声が聞こえてくる。

 用事というのはつまり、お使いのことなのだろう。

「えーっと、ようは荷物持ちってこと?」

「そうとも言います。……まあ、他にもお話したいことはあるのですが。今はそちらは良いでしょう。まずは買い物が先決ですので」

 メイド服を翻し、ミラヤは朝陽に映える金髪をなびかせて店の前に移動する。その後ろ姿を眺め、やれやれと吐息した。


 市場で買ったものは主に小魚などで、美味しいのだが形が悪くあまり売り物にならないような魚がメインだった。後は大量に野菜を買い込み、それら全てをユクレステが持つことになった。

「お、重い……ミラヤ、ちょっと重いんだけど……」

「まあ、わたくしを思って下さるなんて……お坊っちゃん、わたくし、嬉しく思います」

「ち、違くて……重いんだって……一人の人間がこんな大荷物持てる訳ないだろ……!」

「ですがわたくしはミーナ族なので、人間よりも力は貧弱です。生憎とわたくし一人ではその荷物は少々厳しゅうございます」

「な、なにも全部持てなんて言ってないだろ? 少しでいいから持ってよ……お願いっ」

「なるほど、道理でございますね。このミラヤ、考えが至らなかったようです。申し訳ありません」

「い、良いから早く……」

 息も絶え絶えに懇願するユクレステの姿を見てようやく満足したのか、それでは、と魚の入った袋を持つ。多少とは言え軽くなったお陰で若干の余裕が出来たのか、ユクレステは隣を歩くミラヤに質問する。

「それで、今度はどこに連れてかれるんだ? こっちは屋敷の方角じゃないけど……」

 その問いに対し、ミラヤは当然とばかりに頷いた。

「はい、お坊っちゃんは既に忘れているかもしれませんが、こちらは魔術学校への道です。六年ほど通われていたのですが……まさかもうお忘れに? これはいけません、まさかお坊っちゃんが若年性健忘症とは。これはこのミラヤ、様々な点でご奉仕しなければなりませんね。さあお坊っちゃん、トイレの仕方ならばわたくしがご教授して差し上げます」

「勝手に人をボケ扱いしないで下さいませんかねぇ? あと流石にそこまで忘れねーよ!」

 大体、六年間通っていたとしてもそれと同じ年数赴いていなかったのだし、忘れてても仕方ないのだ。道のことなどすっかり頭から抜け落ちているユクレステはそう思う事にした。

 とにかく行き先は分かった。そして、そこは現在修理工事中、手元には大量の食材。そこまで考えれば、彼女がなにをしようとしているのか推測できる。

「ああ、皆の昼食を作るのか」

「ええ、その通りでございます。普段はシュミアに任せていますが、わたくしとてミーナ族の端くれ。料理ならば一流シェフにだって引けは取りません」

 元来ミーナ族は家事全般を得意としている。もちろん炊事に関しても同様だ。普段からダーゲシュテンの厨房で働くシュミアは元より、サボり常習犯のミラヤだって料理は得意分野なのである。

「はは、そうだな。ミラヤの作るポトフは絶品だもんな。滅多に食べられないけど」

「その方がレア感がして普通よりも美味しく思えますでしょう? 空腹は調味料スパイス、レア度もまた然り、でございます」

 そういうものなのだろうか。疑問に首を傾げながら、もう一人のミーナ族について思い出した。

「そう言えばミュウは料理が苦手って言ってたっけ。あ、いや、家事全般ダメダメだって言ってたかな」

「……そう、ですか」

「ミラヤ?」

 今まで上機嫌だったミラヤの表情が、ミュウの名が出た瞬間暗いものに変わった。

「えっと、どうかした?」

「……いえ。お坊っちゃん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「別に構わないけど……」

「それでは……家事の出来ないミーナ族を、どうお思いですか?」

 彼女らしからぬ真剣な表情で質問してくる。

「特になにも。俺だって料理は大したものは作れないし、掃除は苦手だし。だれにだって苦手なものくらいあるだろ?」

 確かに家事下手なのはミーナ族にしては珍しいが、ユクレステは別に気にしたことはなかった。だれにだって得手不得手はあるので、それをわざわざ指摘するのも可笑しな話だと割り切っている。

 けれど、そうは思わないのが種族というもの。特徴、特性、姿形。それらが他と違えば、それは差別の要因になり得るのだ。

「……そうですか。もう一つ。あの子は……ミュウ様は今までどこかのお屋敷で働いていたことはお有りですか?」

「何度かあったみたいだけど……それが?」

「いえ、少し思う所がありまして……。きっとあの子は、今まで辛い思いをしてきたのですね」

 現にミュウはそのせいで何度も主を変えていた。異常種イレギュラーという、他とは違う特性を持つ者であるというだけで、同じ種族から離れて暮らして来たのだ。

 なにか思うところがあるのか、ミラヤは暗い顔をユクレステに向け、意を決するように言葉を発した。

「お坊っちゃん。どうか、わたくしの懺悔を聞いて頂けますか? 本日の用事は、それだけですので」

 悔むような表情が、一転して決意した顔に変わる。これほど真剣な彼女の姿は見たことがない。

「……分かった」

 こくりと頷き、近くの広場のベンチまで移動する。

 少し長くなりますと前置きをして、ミラヤはポツポツと話し始めた。



 ミラヤには姉がいた。ミーナ族の中でも特別愛らしく、優しい女性だった。そんな姉をミラヤは心の底から尊敬していた。


「わたくしがこちらに奉公させて頂いたのが十五年ほど昔のことでしたね。あの頃はお坊っちゃんも可愛らしくて素直でした」

「そうだな。素直過ぎておまえの悪戯に何度も引っ掛かって、そのせいでこんなに捻くれた性格になったんだろうな」

「……まあ、それはともかく」


 彼女がダーゲシュテンに来て二年が経った頃、姉が結婚したという話を聞いた。一度里に帰ろうとしたミラヤだったが、ちょうどその頃ユクレステの母が亡くなってしまっていたこともあり、帰省を取り止めたのだ。そのせいもあってか、帰る機会を失い、結局それから十年も里に帰らず仕舞いとなってしまった。

 その間に姉がお腹に子供を授かり、自分に婚約者が出来たりと色々とあったのだが、ついに二年前、婚約者の誘いでようやく里に帰ることが出来たのだ。


「ああ、覚えてる。ちょうど俺が学園に帰る時だったよな。一緒に船に乗ったし、覚えてるぞ」

「そうですか。勿論わたくしも覚えております。あの時船に酔ったわたくしを介抱して下さりましたね。その優しさにこのミラヤ、心奪われてしまいました」

「はいはい、冗談はいらんですよ」

「……別に冗談では。まあ、良いでしょう」


 問題はその後だ。ミラヤの故郷はルイーナ国西部にあるヌルド森林という場所にあり、里には少ないながらも同族が暮らしていた。十五年振りの帰郷に胸を躍らせ、久し振りにあった両親と姉夫婦に迎えられ、初めの一日は幸せだった。

 だが翌日になって、里に漂う異様な雰囲気に首を傾げることになる。


「なんと言いますか、重たいのです。空気と言うか、雰囲気と言うか、そんな感じのものが。里全体が隠し事をしている、そんな気配がしました。そして、その時になってようやく違和感を感じたのです」

「違和感?」

「はい。前日、私の帰郷を祝って下さった家族は父と母、それから姉夫婦に婚約者の男性でした。その時に、気付いておくべきだったのです」

「……子供か?」

「……はい」


 姉夫婦には子供が生まれた、そのはずだった。流産とは聞いてはいなかったし、死んだと言う話も聞いていない。居るはずの姉の子供が、そこにはいなかったのだ。

 その事に気が付いたミラヤは、姉に聞きに行った。生まれた子供はどうしているのか、と。


「……大変でした。あの優しかった姉が突然豹変したように騒ぎ、悲鳴を上げ、手当たり次第に物を投げだしたのです。慌てて義兄が抑えつけ、わたくしは父にぶん殴られました。まあ、やり返してやりましたが」


 それから可笑しな雰囲気はよりハッキリと感じることが出来た。両親も、姉も、婚約者も口を閉ざし、なにも教えようとしない。ならばと思い、ミラヤは独自に調査を開始した。里の人間から情報を聞くことは出来ないため、森の外にある人間の村で聞き込みをしたり、里の中を探索したりもした。

 その結果、一つの答えが見えてきた。

 村の外れにあるボロ屋。子供のころは秘密基地にして遊んだその場所に、毎日一回、食べ物が運ばれていたのだ。そこにだれかが居るのは明白で、恐らくそれが姉の子供なのだろう。唯一分からないのは、なぜそこまで忌諱されているのかということ。ミラヤはだれにも見つからないようにその場所に忍び込み、中にいる何者かを月明かりの下、ハッキリと見てしまった。


 そこにいたのは、ミーナ族では有り得ない黒い髪と黒い瞳を持った、ミーナ族と同じ耳の十歳くらいの少女だった。


「…………」

「ミラヤ? 大丈夫か?」

「は、い……。これは、懺悔ですから、苦しいのは当然ですね。申し訳ありません、続けます」


 少女を見てしまったことはすぐに村中にバレ、厳重注意を喰らった。そして、だれにも言わないことを約束させられたのだ。だがミラヤにはそれは容認出来るようなものではなかった。少女をたった一人で監禁し、それを当然のようにしている里の仲間達が、堪らなく汚れて見えたのだ。

 気持ちが悪い。こんな場所に居たくないと、そう思った。だから彼女はすぐに婚約を破棄し、止める間もなく里を飛び出した。行く当てのなかったミラヤは、結局先日まで働いていたダーゲシュテンへと戻ることになった。フォレスはそれを聞き、快く再契約を結んだそうだ。


 一段落を話終え、苦しそうに顔を歪ませてさらに言葉を続ける。

「でも、結局は同じなのですよね。あの子を見つけて、なにもしなかったわたくしも……見なかった事にして逃げ出した、このミラヤも……姉達と同罪なのです」

 ギュッと拳を握り、爪が手の平に食い込むのも構わずに己の中の泥を吐き出し続ける。

「この二年、ずっとずっと、後悔ばかりしていました。あの時のことを思い出しては嘔吐し、自分の汚さに身が蝕まれているように感じて……そして、半年ほど前に元婚約者がやってきました。もう大丈夫だから、里に戻ろう。そう言って」

「…………」

「それがどういう意味なのかを、聞いて……そし、て……彼は……」

 その言い回しから、なんとなく察してしまったユクレステは奥歯を噛みしめミラヤの言葉を待った。これは彼女の懺悔。それなら最後まで吐き出させるのが筋だろう。

「彼は、嬉しそうにして言ったのです。あの化け物は里を追い出した、だからもう平気だよ、と。そう、とてもとても嬉しそうに、笑顔で言い放ったのです!」

 目を閉じる。そうでなければ、今ユクレステは人には見せられないような顔をしてしまっているだろうから。

「あの時、リューナ様がいなければわたくしは……この手を汚していたかもしれません……」

「リューナが?」

「はい。それはもう、盛大に吹き飛ばされていました」

 どうやら彼女も怒りを覚えていたのだろう。子供に優しい彼女ならば、むしろ当然の流れだ。その時のことを思い出して僅かに溜飲が下がったのか、心無し表情が和らいでいる。

 それからしばらく黙った後、ミラヤはユクレステを見つめた。

「お坊っちゃんなら、もうお分かりかもしれませんね」

「……ん、まあな」

 どう反応して良いのか分からず、頬を掻きながら曖昧に頷いた。

「ですから、先日は本当に驚きました。お坊っちゃんの隣にあの子が立っていたのですから」

 ミラヤはユクレステをジッ見つめ、そして勢いよく頭を下げる。万感の思いを込めて、自分の中の罪を語った口で、彼女の救いに感謝する。

「あの子を……ミュウちゃんを、救って下さり、ありがとうございます。本当に、本当に感謝しています」

 頭を下げた状態なため表情は見えないが、涙が落ちて地面に染みを作っているのは見えた。その声と感情は、心の底から虐げられていた少女の救いに感謝していた。今のミュウを見ていればすぐに分かる。幸せそうにほほ笑み、嬉しそうにユクレステに従っている。孤独に支配されたあの時の面影は少しも感じられなかった。

 一度見捨ててしまった存在が、こうして幸せを掴めている。それを知れただけで、自分勝手だとは思うが嬉しかった。

「……そっか。ミラヤの告白、聞かせてもらったよ。その上で言うけどさ」

 ミラヤの懺悔を聞き、深く息を吐いて告げた。

「正直、ここで俺がどうこう言ってもミラヤの救いにはならないと思う。だから、直接見に行こう」

「え……」

 荷物を持ち直し、ユクレステは立ち上がり顔を道の先へと向ける。石畳が続くその道の先からはトントンと釘を打つ音が聞こえてくる。

「さあ、ほら。皆の食事も作らなきゃいけないんだろ? 急いだ急いだ」

「え、あの……お坊っちゃん?」

 顔を上げたミラヤを見つめ、悪戯っぽく微笑んで彼女を促した。




 辿り着いた場所は低級魔術学校。その敷地内にあるグラウンドだ。そこでは十数個のテントが並び、山に住んでいた者達の仮の住居となっている。併設された調理場に荷物を下ろすと、ユクレステはミラヤを連れて校舎へと近寄った。三階建ての建築物のはずだが、二階のあたりが崩れ、今はそこを修復中だ。

 思ったより壊していたことに若干の罪悪感を浮かべ、振り払うように一人の少女に目を向けた。

 その少女は自分の五倍はあろうかという木材をひょいと担ぎ、校舎を直している男達に手渡している。一人の少女から男三人に木材が渡され、取り損なったのか落下する。

「危なっ――」

 ミラヤが思わず声を上げるが、その言葉は最後まで告げられることなく霧散した。

 落ちてきた木材を、これまた簡単に救いあげたのだ。細身で小さな一人の少女が。

 もちろんそんな芸当が出来るのは一人しかおらず、ユクレステは苦笑して自分の仲間であるミュウを眺めた。

「あの、すみません……ちゃんと渡せなくて」

「い、いやいやいや! ミュウちゃんは悪くないぞ! 悪いの受け取れなかったオジサン達だからね? おらテメェら! シャンとしやがれ!」

 親方っぽい男が残りの二人をボカリと殴る。そして再度木材を受け取り、作業に戻って行った。

「……お坊っちゃん、今のは」

「そう言えばミラヤってミュウのことあんまり知らないんだっけ? あの子、うちの中で一番の怪力だぞ? あのくらい余裕で受け止められるし」

「…………」

 開いた口が塞がらないとは今の彼女のことを言うのだろう。呆気に取られたミラヤを余所にユクレステはミュウへと声をかけた。

「おーい、ミュウ!」

「ご主人様?」

 その声が届いたのかパッと振り返ると小走りで駆け寄ってきた。その胸元にはアクアマリンの宝石もある。

「どうなさったんですか? このような所に来て。……あの、もしかしてなにか粗相をしてしまったのでしょうか?」

「んなわきゃーないよ。俺もちょっとお手伝いをな。ミュウと一緒だ」

「ご主人様と……はいっ」

 照れによるものなのか頬を赤く染めて頷いた。その表情には控え目でが確かに笑みがこぼれている。出会った当初では考えられないほどの進歩だ。

 その笑顔を見せてやりたい相手はと言うと、

「ほら、ミラヤ。なに人の背中に隠れてるんだよ」

「い、いえ、隠れてなどございません。わたくしはただ息を整えているのです。ひっひっふー、ひっひっひっひっひっふー。あ、過呼吸で死にそう」

「落ち着け、落ち着いてまずはゆっくり息を吐こう。それから顔を出せ」

 ユクレステの背中に張り付いていた。気恥ずかしいと言う感情がこの子にもあったことにまず驚いた。

 そんな彼女の姿に、ミュウが不思議そうに首を傾げている。

「ご主人さま、ミラヤさんはどうか、なさったのですか?」

「ああいや、なんでもないよ、っと」

 背中に回り込んで隠れているミラヤを引きずり出し、背中を押しながら言う。

「これからみんなの昼食を作るんだけどさ、これだけの人がいると量も作らなきゃいけないし、ミュウも手伝ってくれないかな?」

「いやちょっ――モガ!」

 こちらに振り向き、キッと睨みつけようとするミラヤの口を塞ぐ。

「お料理、ですか……? あの、わたしお料理は……」

「大丈夫、分からないところは百戦錬磨のメイドさんが教えてくれるからさ」

「ぷはっ、お坊っちゃん、一体なにを……」

『わーほんとー。ミラヤおねーさん今日のごはんはなぁにー』

 こちらの意図を察したのか、マリンが乗っかってくる。いつもながら勘の良い子だ。

「人数も多いので鍋などを……って、マリン様までなにを……」

「野郎共! 今日の昼飯はミュウちゃんが作ってくれるってよ! 食いたきゃ死ぬ気で働け!」

『了解っす!』

 ミラヤの意思を無視してドンドンと状況が進んでいく。気づいた頃にはもう遅く、すっかり周りは囲まれ逃げることも不可能のようだ。それに巻き込まれた形となってしまったミュウも、不安気に表情を変えている。

 そんな顔を見てしまっては、引くに引けないではないか。

「――分かりました。それではミュウ様、お手伝い願えますか? ご安心下さい。このミラヤ、分かりやすく説明させて頂きます」

「は、はい……。あの――」

 しどろもどろに口を開き、それからギュッと手を握って頭を下げた。

「よろしく……お願いしますっ」

 ミュウの精一杯の勇気になにも言えず、ミラヤは曖昧に微笑んだ。

「ふふん、計画通り。さーて、それじゃあ俺は散歩にでも……」

「お待ちください、お坊っちゃん」

 それを眺めるユクレステは、良い仕事をしたとばかりに頷き、その場を去ろうとする。無論、それを許すはずもなし。ミラヤは音もなく彼の背後に回り込み、手首をガッシリと掴んだ。小柄な体のどこにそんな力があるのか、彼女の腕はビクともしない。ハイライトの消えた瞳を真っ直ぐにユクレステへと向け、抑揚のない声を出す。

「せっかくですので、お坊っちゃんにも料理のなんたるかを叩き込んで差し上げましょう。この先旅を続けられるのなら、料理の一つくらい出来なくてはなりませんからね。ああ、初めに申しておきますが、乾燥肉と乾燥野菜を湯に入れ塩を振って食べるのは料理とは言いませんので。悪しからず」

「俺の得意料理がダメだしされた!?」

 ミュウはそこそこ反応良かったのだが。まあ、今までが悪かったからかもしれないが、それにしてもあんまりだ。そう思い、マリンの宝石に訴えかける。

『いや、ミラヤちゃんの言うとおりだから。食後の甘味がなかったら私耐えられなかったと思うよ?」

 どうやら、高貴な人魚姫のお口には合わなかったようだ。



 目の前にそそりたつイモの壁。その一つを手に取り、刃物を這わせて皮を剥いていく。綺麗な白い実が現れるとなんとなく気持ちが良くなってくる。剥き終わったら手ごろな大きさに切り、巨大な鍋へと放り込む。

 それをすること、百と四つ。

「……正直、飽きた」

「私は腕が痛いよ……。あと暑くて死にそう。干物になって一品追加されちゃいそう」

 屋根があるとは言え、季節は真夏の空の下。水生生物が陸上で行動するには少々酷な気温である。赤くなったマリンの顔に死相が浮かんでいるように見えた。

「後は俺がやるから休んでな。キツイんだろ?」

「そりゃあ死にそうだけど……へへ、こんなの全然平気さふふふ」

「いいから戻りなさい。なんか目が怖いぞ」

 若干引かれて言われ、渋々宝石の中に帰っていくマリン。宝石は現在、ミュウの胸元から移動してユクレステの首に下げられている。

『あー、生き返るー』

「なんかおっさん臭いよな、おまえって。まあ、今に始まったことじゃないかもしれないけど」

 包丁の動きを再開し、ユクレステはチラリと横を盗み見る。少し離れた場所で、ミラヤがミュウと魚を捌いていた。その動きはぎこちなく、人見知りなミュウと、どう接していいのか分からないミラヤ。お互いに距離を測りかねているのだろう。なんとかしてあげたいとは思ってはいるのだが……。

「まずはこの壁を乗り越えねば……。マリンが居なくなったからもう少しペースを上げるか」

 体力の配分と疲労の配分を計算し、ショリショリと変わらぬリズムでイモを剥いていく。それは、知らない問題を解く時の感覚と良く似ていた。

 ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。料理は苦手だが、こういう作業は割かし好きな貴族の少年であった。



 ユクレステが自分の世界に没頭している頃、ミラヤは包丁を使って小魚の鱗を取り、腹を裂いて内臓を取り出していた。隣ではミュウが真剣な表情でそれを見つめている。

「と、こんなところです。ミュウ様もどうぞやってみて下さい」

「は、はい……!」

 緊張して頷き、ギラリと光る包丁を手に持つ。震える手を押さえつけ、ミュウは小魚に向かって――


「……ええと、お上手です、ミュウ様。ええ」

「あうぅ……ごめん、なさい……」

「い、いえ、謝らないでください。大丈夫です、結局は食べられればいいのですから、そういうやり方もありです。問題ありません」

 ここでミュウのやり方を見てみよう。

 目の前のまな板には十五センチくらいの魚がいる。包丁を使って鱗を取り、水で汚れを取り――包丁を置く。

 次に頭を持ち軽く捻る。ブチ、と音を立てて頭と胴体が分かれた。さらに魚の腹に指を当て……ズブ、と押し込む。ミチ、と腹を開く。ズル、と内臓を取り出す。

 こうして見事魚の解体に成功だ。

 なんてことはない、ただの手開きではないか。至って普通の調理法だ。見た目がちょっとショッキングなだけで、極々真っ当な方法じゃないか。

 ……いや、最初は包丁を使っていたのだが、上手く扱えなかったのだ。どうも刃物を持つと力の加減が出来ないらしく、それに気が付くのにまな板が三枚犠牲になった。

 その後、冗談で教えた手開きを意図も容易くマスターするとは、恐るべし。

 ちなみにさらに恐ろしいのはこのやり方で大きい魚も解体出来てしまったことだ。港から差し入れられた六十センチ大の魚も、同じような方法で解体していた。頭を取る時に聞こえたブチブチ音は、しばらく頭から離れそうにない。

「さて、取りあえずこちらは終わりましたので、後は野菜待ちですね。料理はここから、味付けが肝心です。このミラヤ特性の隠し味をお教えします」

「はい……あの、ミラヤさん」

「なんでしょうか?」

「聞いても、いいでしょうか?」

 どこか怖がっているような声でミュウが声を上げた。

「えぇと、なにをです?」

「ミラヤさんは、わたしが怖くないですか? 気持ち悪く、ないんですか? わたしは、異常種イレギュラー……他と、違いますから」

 その瞬間、呼吸が止まった。怯えを含むその表情が、かつて盗み見た少女のものとそっくりだったのだ。本来安らぎを得るはずである同族を、恐怖の対象として見てしまっている。それも当然だろう。幼い頃から監禁され、親に愛されることもなく育った。その上、売られるようにして里を追い出されたのだ。

 ミュウは人間や他の魔物よりも、同族であるミーナ族を恐れていた。

「ミュウ様は、ご自身の母親を憎んでいますか?」

「えっ?」

 尋ねられたのは自分のはずなのに、ミラヤはそう問わずにはいられなかった。自分で言って、失敗したと内心で罵声を上げる。そんなもの、決まっているじゃないか。

「……はい。多分、恨んでます」

 当たり前だ。あれだけのことをされて恨まない者など、憎まないものなどいるはずがない。愛されることなく、侮蔑に塗れた場所に居たのだ。それは当然の答えだろう。だが、

「……でも、思うんです。恨めてよかったって」

「えっ?」

 ミラヤにとっても突き刺さる言葉の刃は、振られることなく地に落ちた。

 ほんの僅かに表情を歪め、それでも微笑んでいる。ミュウはミラヤを正面から見据え、ずっと考えていたことを口にした。

「だって、だれかを恨めるのは、その人と繋がりがあるからこそ、出来ることじゃないですか。抱き締めてくれたことはなかったけど、お母さんはちゃんといてくれました。好きだって言ってはくれませんでしたけど、嫌いとも言いませんでした。だから、今はお母さんを恨めることを、よかったって思うんです」

 恨むことで母を思う。それはとても辛いことなのではないだろうか。少なくとも、ミラヤには無理だ。現実に憎しみを得れば、その人物には逆に居なくなって欲しいとすら思ってしまう。でも、ミュウは違う。恨みも寂しさも、母との繋がりにしている。そんなこと、普通ならば出来ないだろうに。

 一人だったならばそれも不可能だった。あの神殿の奥底で消える時には恨みも憎しみもなく、ただ空虚な心しか存在しなかった。それを知っているからこそ、ミュウは感情を向けられる人がいることを嬉しく思うのだろう。

 ミュウの穏やかな微笑みを前に、ミラヤは胸を撃たれる思いだった。

「……先ほどの問いに答えさせて頂きます。ミュウ様」

「えっ……?」

 自然と伸びた腕は黒髪に触れ、気付いた時には抱きしめていた。怯えていた彼女はもうおらず、驚いたように目を見開いている。

「気持ち悪いなどと言うはずがないではないですか。貴方のような方がお坊っちゃんの仲間で良かった、お坊っちゃんが貴方と出会えて、本当に良かった。他者と違うなど些細なことです。ミュウ様がミュウ様である限り、このミラヤ。貴方と出会えて、これ以上ないほどに――嬉しく思っておりますよ」

「あ、あの……」

 姉の代わりではないが、少しでもこの子に安らぎを与える事が出来るのなら……いや、それも心配するようなことではないのかもしれない。

「あー、と……野菜、切り終わったんだけど」

「おや、お坊っちゃん。少しは空気を読みましょう。ミラヤは空気の読めないお坊っちゃんの将来が心配でなりません」

「それは流石にひどくね?」

「あ、ご主人さま……!」

「おー、お疲れさん。ミュウも大分手慣れて……え、なんか引き千切った感があるんですけど、この魚」

 ミュウを離すと嬉しそうにしてユクレステへと近付く。ああも頼られる彼の姿に少し嫉妬してしまう。ミラヤは苦笑しながらそう思った。

 と、そこで二人の視線が合った。ミュウを撫でながら、なにかを思いついたようにニヤリと笑う。

「そう言えばミラヤ、ミュウのこと様づけなんだな」

「は? それはそうでしょう? ミュウ様はダーゲシュテンのお客様なのですから」

 タラリと汗が流れる。なにを言おうとしているのか分からないが、楽しげに言うユクレステの姿に嫌な予感しかしない。

「いやぁ、そうは言ってもねぇ? なあミュウ、様づけってなんか嫌じゃないか? ほら、背中がむず痒くなったりしてさ」

「え、えと……少し」

「だよな! だからさ、ミラヤ。ミュウのこと、ミュウちゃんって呼んでやってくれないか?」

「っ――!?」

 やられた。昔から聡い子ではあったが、こうまで自分の心の内を読まれるとは思ってもみなかった。ポーカーフェイスには自身があったが、ユクレステは見事にミラヤの心の中心を見極めていた。

 ああそうだ。本当はそう呼んであげたかった。他人行儀なものではなく、可愛い姪のための言葉で。だが一人では無理だ。そんなキャラじゃない。それを突き崩せたのは、彼がミラヤの仕えるダーゲシュテンの子だから出来たのだ。

「……ああ、本当に」

 ポツリと声が漏れる。それはだれにも聞かせることなく消えて行き、その続きも言葉にすることなく消える。

 ――本当に、参ってしまう。

「分かりました。不肖このミラヤ、精一杯の愛情を込めて呼んで差し上げましょう」

 これはただのポーズだ。ポーカーフェイスに淡々と自分の心を押し隠して。その裏では、今すぐに優しく言葉を出したくて堪らない。

「それじゃあ呼んでみよう! ほらミュウ、ミラヤお姉ちゃんって言ってみな」

「えっと、その……」

 ミュウをいざなうようにミラヤの前に立たせ、頷く。その動作を見て、ミュウは彼女と目を合わせた。

「あの……ミラヤ、お姉ちゃん?」

 呼ばれた。それだけで、今までの重荷が消え去って行くようだ。

 温かくなっていく心を掻き抱き、今度はこちらからとミュウを見据える。寂しさは一切ない。ただ、穏やかな黒色が漂っている。

「はい、なんですか? ――ミュウちゃん?」

 返した言葉は、思うよりもずっと優しいものになっていた。

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