家の妖精は穿いてない
「――――と、これでよし。どうかな?」
魔法を唱えるための集中を切り、一息吐く。右手に握った杖の先を確認する。
「え、と……少し、熱いです」
「魔力が籠もってるからな。まあ、一時間もしないうちに収まると思うから、そんなに心配しなくてもいいよ」
ミュウは右手の甲を擦りながら現れた紋章をまじまじと見つめる。星と花びらの紋章が浮き上がり、光を放っている。今はユクレステの魔力が残っているため熱を帯びているが、しばらくすればそれも収まるだろう。
「よしよし、使いなれない杖でちょっと不安だったけど、上手くいってよかった。水中行動の魔法も普通に使えてたし、結構いい貰いものしちゃったかも」
30㎝程の杖を目の高さに持っていき、ニヤニヤと笑みを作る。無料でこれだけのものが貰えたと思えば、あのクエストは実にいい仕事だったと言える。
ユクレステは杖を腰のベルトに差しこみ、ローブを羽織って立ち上がった。
「それじゃあ一先ず町に戻ろうか。ミュウを仲間にするっていう第一目標は達成した訳だし、依頼の薬草も無事採取出来たしな」
迷いの森にだけ自生する薬草なため、クエストの報酬としては安からず高からずといったところだったはずだ。美味しい食事にありつくには十分過ぎる。
それと、と心の中で呟いた。
「……しょ」
掛け声を上げて立ち上がるミーナ族の少女の姿。
ふわふわロングヘアーの黒髪が緩やかに舞う。こうして並んでみると身長は低いようで、140㎝程度。それに比例してか、バストを表す音はツルーン、もしくはぺターン。まあつまり、そういうことだ。そして一番の問題点は、彼女が着ている服……のような布。
「えっと、ミュウ? その服って、どうしたの?」
「えっ? これ、ですか? 初めてご契約下さった屋敷で支給された服ですが……」
なにか可笑しいですか、と小首を傾げる。なるほど、それを服と称するとは中々性根の腐った雇い主だったに違いない。少なくともユクレステには、彼女が着ているものが服とは思えなかった。服、というよりは、一枚の大きな布を体に巻きつけているようにしか見えない。風呂上がりの女性が胸元までタオルを巻いているような、そんな服装。肌は過剰に露出し、とても動き辛そうだ。靴も履いていない、このまま森の中を歩くのは危険だ。
「最初は普通の服だったのですが、私はその……役立たずだったので……」
つまり、追い出される時にでも剥ぎ取られたのだろう。その後の契約主たちは服を与えなかったのだろうか。
彼女の過去の契約主たちに対して小さくない怒りを覚える。
「あの、ご主人さま?」
なにか不備でもあったのかと、心配そうにユクレステを見上げる。上目づかいになったその視線を受け止め、表情に出ていたであろう怒りの感情を引っ込めた。
「あ、あー、そうだな。流石にその格好で森を歩くのは危ないし、俺の予備でいいから着替えてくれる?」
「そ、そんな……ご主人さまのものをわたしが着るなんて、いけません!」
「いやいや、俺の服って言ってもそんな大したもんじゃないから大丈夫だよ。セール品で大分安いやつだし、むしろこっちが申し訳ない」
なおも反対するミュウをやんわりと宥め、最終的に予備の服を与えることに成功する。
正直、ここで着替えてもらわなければ少し危険なのだ。いや別に、防御力がどうこう言う訳ではなく、その、視覚的に。
(だってなにかの弾みで見えそうなんだもんなー、色々と)
例えば、大きくジャンプしたり、走ったりなどすればあんな布切れ一枚で、色々と守れるはずがない。しかも彼女、穿いていないのだ。……いや、神殿で出会った時ちらと見えただけなのですが。
ミュウが服を着ることは、ユクレステの視界を守る上で絶対に必要なことなのである。
「とか言ってー、本当は見たいくせにー」
「おい人魚姫、おまえ最近オヤジくさいぞ! ったくもう……」
ぷいと顔を横に逸らしマリンから視線を外す。向けた顔の先には、予備の服を手渡したミュウがいた。
一糸纏わぬ姿で。
「……へっ?」
「おや?」
少しの汚れのない肌が惜しげもなく晒され、彼女の足元には先ほどミュウが着ていた布が落ちている。今はズボンを穿こうと片足を上げて奮闘しており、それを真正面から視界に収めるユクレステ。
「ちょ、ちょ、ちょっとミュウさん? あなたなにしてはるん!?」
「えっ? その、着替えを……なにか、いけませんでしたか?」
「え、いやそれはとてもよいものを見せて頂きましたというか……って違う! なに言ってんだ俺!?」
思わず叫んでしまい、ミュウはビックリしたのか目を丸くさせ体を硬直させた。なにがいけないのか分からずおろおろと視線を泳がせる。
そこに助け船を出したのはマリンだった。
「まあミュウちゃん魔物だし、人間相手に羞恥心なんて持ち合わせてないよね、普通。ほらマスター、まじまじと見ない。訴えちゃうよ?」
「申し訳ありませんでしたー!」
慌てて背中を見せるユクレステ。そのまま脚に力を溜め、迷いの森へと駆け出した。
「あの、今のは……」
それを呆然と見ていたミュウは、一体なにがどうなったのかとマリンへと尋ねる。
「んー、まあマスターがヘタレだって言うのが一番の理由なんだろうけど……ミュウちゃんの体が綺麗だったから恥ずかしかったんじゃないのかな?」
「わたしが……? でも、わたしは、魔物ですよ?」
「普通わねー」
いかにミーナ族が人の形に限りなく近かったとしても、種族はあくまで魔物、人間ではないのだ。普通の人間ならば魔物の肉体に情欲を抱くはずもない。だからミュウはユクレステが目の前にいるにも関わらず、自身の裸体を晒してみせた。それは別段おかしなことではなく、忠誠を示すために行ったようなものだ。犬が飼い主に腹をみせるように、主人に対して歯向かわないことを表しているに過ぎない。
故に、この世界で今のユクレステのような態度を取る人間は、極少数派なのだ。
「気を付けなよ? あのマスター、魔物でも変わらず人間扱いするから、今みたいに目の前で服とか脱ぐと逃げるよ。基本ヘタレだから」
「え、と……気をつけます」
まだ襲ってくれた方がいいのに、と内心では考えているが、どうみても幼い少女に言う言葉ではないと自制する。マリンだって相手を選ぶことは出来るのだ。
着替えを再開したミュウを手伝い、逃げたマスターに声を掛けるのには幾らかの時間が必要だった。
取りあえず、と言った形で着替えを終え、ミュウは自分の体を見る。
飾り気のないシャツに、布地がしっかりとしたズボンを穿き、ユクレステが愛用しているローブを借り受け羽織っている。足にはサンダルが用意され、裸足で森の中をさ迷うという事態は免れた。男物の服なため、全体的に簡素な仕上がりだが、彼女自身がかわいらしい容姿をしているため特に気になる点はない。
「あの……」
「な、なんでせうか? なにか御不満な点がおありですか?」
先ほどのことがまだ尾を引いているのか、ギクシャクと変な動きのユクレステ。ミュウはもじもじと手を合わせながら顔を赤らめ、俯いた。
「服を貸してくださり、ありがとうございます」
小さな声だが、ユクレステの耳にはちゃんと届いていた。ふ、と表情を和らげ優しい声で言う。
「どういたしまして」
その一言にまたもカーッと顔が赤くなった。
「ちなみにマスター、分かってると思うけど……」
「な、なんだよ突然?」
唐突に口を開いたマリンは真剣な表情でユクレステへ視線を送り、ジッと見つめ合う。
「一応、今はマスターの服をミュウちゃんに着せてる訳だけど、流石に下着を貸してあげる訳にはいかなかったんだ。だから今のミュウちゃんはズボンにノーパンなんだけど、これって結構フェチあいたー!」
「急になにを言い出すのかと言えばまたオヤジ発言か!」
不穏当な発言をする人魚には軽く叩いて黙らせておく。これ以上放っておくのはミュウの教育上よろしくない。
「本当なら下着を貸してあげたかったのに……今はこの魚な下半身が憎い!」
「まあ人魚だし、下着なんか必要ないよなぁ」
「上はあるんだけど、正直必要なかったよ……」
胸を強調するように抱き上げ、チラとユクレステへと視線を向ける。そのような行為は日常茶飯事なため、大して反応を見せない。
「とにかく、もう帰るからな」
「分かってるよー」
マリンは首に掛けたネックレスを首から外し、ポイと放る。危なげなくそれを受け取り、鎖の先に取り付けられたアクアマリンの宝石を手のひらの上に乗せた。
「……? ご主人さま、それはなんですか?」
宝石に違和感を感じたのか、ミュウはユクレステの手のひらに乗った物をジッと見つめる。
「お、よく気付いたな」
違和感とは言っても、ほんの僅かなものでしかない。魔法に精通している者でもなければ気付くのは難しいだろう。それを簡単に見破った彼女の眼力に、素直に関心した。
「この宝石には魔法が掛けられてるんだ。元々宝石って言うのは魔力を通しやすいんだけど、このアクアマリンはまた特別でね。特にこれは人魚の里で宝物として納められていたんだよ」
「まあぶっちゃけ私が住んでた所の秘宝とか呼ばれてたんだけど、色々あって盗んできたんだ」
「盗んだ、んですか?」
補足説明とばかりにマリンが会話に入ってくる。その言葉の中に不穏な単語が含まれていたのをミュウは聞き逃さなかった。
「んー、あれは盗んだってより盗ませてもらった感じだったよな?」
「そうだねー、所有者が目の前にいる中で盗んだ訳だし、貰ったって解釈でいいんじゃないかな?」
「はあ……?」
聞いてもよく分からない。だが、どうやら悪事を働いた訳ではなさそうなので取りあえず置いておいた。
ミュウの訝しげな表情に気付かずに、それじゃあ、とユクレステがアクアマリンを人魚の少女の眼前に掲げる。
「――――。――――!」
マリンの口から声が発せられる。いや、『声』と言うよりは『音』と言った方が正しいだろうか。力強く放たれた音が宝石を輝かせ、青い光となってマリンを包み込んだ。
「えっ?」
瞬きするほんの瞬間の後、先ほどまでそこにいたマリンは消えていた。
「あ、あの……マリンさんは?」
「んーと……はい、どうぞ」
「え、あの……」
おろおろと慌てているミュウを見て苦笑し、宝石を手渡す。ひんやりとした宝石がころんと手のひらに転がり、水色の煌めきが僅かに揺れた。次いで飛び出す、一つの声。
『ミュウちゃん、私ならここにいるから大丈夫だよー』
突然の呼びかけにビクッ、と体を揺らす。思わず宝石を落としそうになるが、危ない手つきながらしっかりと握りしめた。
「つまりね、ミュウ。うちの人魚姫、普段はその宝石の中にいるんだよ」
「ほ、宝石の中に、ですか?」
秘宝、『海宝玉アクアマリン』。宝石の内部に擬似的な海を形成する至宝だ。使用用途は主に人魚の陸地運搬に使っている。宝石内部に侵入することが出来るのは人魚族だけで、『人魚の声』に反応して入出が可能なのだ。ちなみにアクアマリンの中にはマリン専用のプライベートルームも完備され、服や娯楽用品すら持ちこみ可能なのだとか。それを聞いてユクレステは羨ましいと思ったり。
『ほら、私ってマスターの仲間だけど陸に上がっちゃうとなんにも出来ないんだよ。自分で歩くことすらできないし、付いて行きたくても普通の方法じゃあ無理。だから、これを使って一緒にいるってわけ。一応外の様子も見えるし、こうして会話も出来るから旅してるーって気にはなるよ』
「体力使ってるのは俺ですがね」
実際問題、この宝石にはとても助かっている。マリンを仲間にしたはいいが、陸地では彼女と旅が出来ない。抱えて運べばどうかと考えたことはあったが、彼女の全長は2メートルを優に超え、体重も一般女性とは比べ物にならない。魚拓に取って家に飾りたくなるくらい立派なのだ。
そんな時この宝石のことを聞き、これ幸いとばかりに拝借したのである。
「そう、なんですか。すごいんですね……」
『ふふん、そうなんだよー』
得意気に語るマリンだが、ミュウがそれを理解するには少しお勉強が足りないようだ。取りあえず、コクコクと首を動かすことに専念するのだった。
迷いの森とは、磁場も方角も魔力で狂わされた場所である。そのため、ある程度魔力に触れていたり、抗魔力の高い存在にとってはそれほど脅威な場所ではない。確かに、全員魔法が使えない脳筋パーティーだったりすれば全滅の危険性が出て来るだろうが、一人でも魔法使いを仲間に入れていれば比較的容易に攻略できる。そんなような場所が、ここ魔法の森だ。
それはユクレステレベルの魔法使いでも、脱出不能な迷宮から踏破可能なダンジョンにランクダウンする。では一つ疑問なのだが、ミュウは一体どうやって迷い込んだの森、その最奥にある湖へとやって来れたのだろうか。
「偶然って線が絶対ないとは言えないけど、可能性は低いよ。ここまで来るのはかなり複雑だったし、無意識で来れるような場所じゃないし」
現役魔法使いの声があがる。
『でもミュウちゃんって魔法使える? や、神殿創ってたし私と戦った時にバンバン使ってはいたけどさ』
「あの、その時のこと覚えてなくて……でも魔法は使ったこと、ないです」
ふむ、と顎に手をやって思考を促す。彼女が嘘を吐いているとは思えない。けれど実際にあの時の光景を覚えている彼らからすれば、自ずと結論は導かれる。即ち、彼女、ミュウには魔法の才能があるのだ。それも、天才的とすら呼べるレベルのものが。それは、魔力に馴染んでいなかった時点ですら迷いの森を突破したことを見れば明らかだ。
木の枝を折りながら道を進み、後から付いて来るミュウが歩きやすいようにする。現在彼女の首にはアクアマリンのついたネックレスがかけられており、マリンの声はそこから発せられている。
「あ、ご主人さま……」
先を行くユクレステを呼び止め、ミュウは控えめに手を伸ばす。服の裾を掴まれ、彼女がなにを言いたいのかを察した。
「ん? ああ、よく気がついたね」
魔力の流れが唐突にそこで途切れていたのだ。その違和感に声を上げてみたものの、主であるユクレステはジッとなにかを考えている。
「この不自然な感じ、明らかに人為的なものだよなぁ。なんだろう、嫌な予感しかしない」
よくよく見れば、頭上の木の枝にはなにやら赤い布が巻かれていたり、岩に刃物で出来た傷が残っていたりと何者かがこの場所に痕跡を残している。岩の傷は暗号だろうか。
「もしかしてここって……」
「ご主人さま?」
『マスター?』
「……うん、ごめん。なんでもないよ。とにかくまずは町に戻ろうか」
二人の声にようやく我に返り、軽く首を振って笑みを作る。この先になにがあるのかの見当は付くのだが、危険なことには極力関わりたくないと思うのが人情だ。決してヘタレなどではないと心の中で自己弁。あからさまに怪しいその場所を放っておく選択を取った。
「よーし、さあ帰ろうか。少し急いで厄介事が来ないうちに小走りで帰ろうか!」
「あ、ご主人さま」
しかしまあ、
「いやー、今日は中々儲けられましたね、兄貴!」
「兄貴のずる賢さはまさに天下一品だすよー」
「うん、うん」
「ハッハッハッ、いやそんなに褒めんじゃねぇよ子分ども! そりゃ確かにオレ様ってば天才じゃねぇかとは今までに何べんも思ったことはあったけどよぉ!」
世の中そう上手く事が運ぶとは限らないようで。
今まさに振り返ったところに怪しい四人組の集団が現れ、バッチリと目が合ってしまった。
「…………どうも、こんにちは」
「…………おう」
四人のうちリーダーらしき人物と互いに頭を下げ、挨拶を交わす。
中肉中背の男で、年齢的には二十代の後半辺りだろうか。革製の鎧を身に纏い、腰には一振りのロングソードが下げられている。普通の冒険者と言えばそこまでだが、少々他とは違っていた。特に、後ろの三人。
「おおぅ? あんだーテメー?」
「珍しいだすなー。冒険者だすかー?」
片方はネズミのような顔で、猫背の男だ。チンピラのようなしゃべり方で威嚇している。ミュウが怖がってユクレステの後ろから出てこない原因その一。
もう一人はやたら恰幅のいい筋肉マッチョの男。上半身はなぜか裸で、厳つい顔でこちらを見ている。ミュウが以下略その二。
この二人の放つ雰囲気が、どうにも悪党っぽいのだ。いや、小悪党がせいぜいか。
そんな彼らのさらに後ろ。全身をローブで覆い、前もキッチリ閉じてフードも目深に被っている。大きなマスクで口元も隠している。
なんとも怪しい集団だ。
「えっと、冒険者の方ですか? いやー俺たちもそうなんですよ、わざわざここまで薬草なんか取りに来たりしてね。貴方たちもそんなようなクエストですか?」
「お、おう! まあ、そんな感じだな! 若いのに冒険者たぁ、やるじゃねぇか!」
「いやっはっはっ、そう言ってもらえると嬉しいですようわっはっはっ」
お互いの乾いた笑いが魔法の森に響く。出来るだけ関わり合いたくない。恐らくあちらのリーダーも、ユクレステと同じ気持ちなのだろう。
「それじゃあ頑張って下さいね。俺たちは一足先に町に戻りますから」
「ああ、道中気ぃつけてな」
二、三話して円滑にその場を離れることに成功する。心の中でガッツポーズをしながらくるりとUターン。後は彼らがいなくなるまでどこかに避難していれば厄介事にはならないだろう。
「あ、あの……」
「大丈夫、取りあえずこの場から逃げよう(ナイスだ俺! あいつらの正体なんてもう考えるまでもないけど、そのせいでいらん事になるのは火を見るより明らか。なら無視を決め込むのが正解ルート……)」
先ほどの言葉を再度言おう。
『マスター危ない!』
「ブレイズ・エッジ」
世の中そう上手くいかないものである。
マリンの声に反応し、ミュウを抱き寄せて地面に伏せた。同時に、今まで頭のあった場所に赤い軌跡が閃いた。
「――っぶな!」
ベルトから杖を引き抜き、振り向き様に相手の集団に付きつける。
「声? そっちの子?」
マスク越しのくぐもった声がローブを着た人物から発せられる。予想通り、今の魔法は彼(彼女?)からのものだったらしい。仲間たちは困惑した表情を浮かべており、命令されたのではないのだろう。
「いきなり、なにするんですか?」
出来るだけ低い声で威圧するように問いかける。しかし相手は全く意に介さず、抑揚の無い声で答えた。
「キミ、分かってる。僕たちの正体」
「ぁんだってぇー!?」
ネズミ顔の男が驚きに目を見開いているが、正直そちらはどうでもいい。今注意しなければならないのは、ローブを着た人物だ。
「おまえ、その杖……」
「これ? いいでしょ、貰った」
子供がおもちゃを自慢するように、自分の背丈と同じくらいの杖を持ち上げた。
魔法を銃弾だとすれば、それを撃ち出す銃は杖だ。杖が強ければ、放たれる魔法は比例して強くなる。そして彼は魔法使いとしてのレベルも低くはない。先ほどの魔法を見れば分かるほどに。あの杖は、そんな彼の実力を十二分に発揮させてくれるだろう。なにせ――
「貰ったって、んな訳ねーだろって……」
「……?」
その杖の元々の持ち主はユクレステなのだから。
「おい坊主、テメェ俺たちの正体知っちまったみてぇだな?」
「…………」
驚いたように言っているが、分からない方が可笑しい。こんな場所を根城として、さらに盗まれたはずの杖を我が者顔で使っている奴がいる。そうだと考えるに至ったのは、むしろ必然だ。
見れば後ろの二人も得物に手を掛け、既に臨戦態勢だ。ここでとぼけてもなんにもならないと判断する。そうすると、残る手はいくつあるだろうか。
「……さて、どうですかね? 少なくとも、あなた方のアジトがこの先にあると言うことは既に把握済みですけど?」
「っ! へぇ、なるほどなぁ」
凶悪に歪む盗賊の顔。正直泣きそうなくらい恐い。それでも踏みとどまっていられるのは、彼女たちのおかげだろう。
「ご主人さま……」
不安気に瞳を震わせる少女。ユクレステは大丈夫だと優しく微笑み、守るように彼女の前に立つ。
「マリン、分かってるな?」
『ん、大丈夫。ミュウちゃん、私の言うとおりに動いてね?』
「え、あの……っ、分かり、ました」
なにも言わずともマリンは彼の言うことを理解する。それと同時に、ユクレステは彼女たちから離れ一歩前に出た。
「まあ、あれです。被害が出ているのに討伐に向かえない兵士さんたちに、魔法の森で感じる人工的な通り道、そしてなにより、あんたの腰に差してる剣を見ればすぐに分かりましたよ」
「あぁ? オレの剣だと?」
「ええ。なにせその剣、俺のですからね」
以前に杖と一緒に盗まれたユクレステの剣。別段普通のロングソードと変わり映えしないように見えるそれは、実は彼にだけ分かる目印が描かれているのだ。
「目印。魔法印の魔法?」
「正解。ほら、この通り」
杖を軽く振るうと剣の掴に紋章が浮かび上がる。星と花びらを模した、ユクレステだけの紋章。
ローブの人物がおおー、と手を叩き、なぜか驚いた顔をしている。魔法印の魔法は魔法学校の初等部で習う無属性で低位の魔法、探査と同じ部類の魔法で習得は容易だ。学校では、自分の持ち物に名前を書く際に用いられることが多い。それを珍しい物を見るようにしているその姿は若干不自然だ。
だがそれを疑問するより先に、盗賊のリーダーの動きを注視する。
「チッ、ミスったぜ。まさか持ち主が目の前に現れるとはなぁ。だが、幸い他の奴にはバレてねぇ。なら、事を収めるのは簡単だぜ」
嫌な予感がする。双方が納得する条件を互いに出して平和的に解決する……ということには、どうしたってなりそうもない。
「テメェらをここでぶっ殺せば万事解決ってなもんだぜ!」
「やっぱりかよ!」
鞘から剣を抜き、お決まりのセリフを言い放つ。予想していた言葉と一言一句変わらぬ言葉に苦笑すら浮かんでしまう。
場の空気が動き出す直前、淡々とした声がそれを遮った。
「リーダー。僕あの子とやりたい」
「あぁ? んな面倒なことしないで一気にぶっ叩けばいいじゃねぇかよ」
「やりたい」
声の主はローブの人物。大きな杖をユクレステに向け、爛々と瞳が輝いている。
「おいおいディー、兄貴の言うことを聞けないって言うのか?」
「……殺りたい」
「わ、分かった。分かったからそんな目で見んじゃねーよマジすんません!」
その眼光でネズミ男を黙らせる。と言うか弱いぞネズミ。他二人も冷や汗を掻いているところを見ると、この中で一番の実力者なのは彼なのだろうか。
「と、とにかくそれでいくぞ、ナッツ、ドビン。いいなぁ!」
「りょ、了解っす兄貴!」
「オーケーだす!」
「……ふふ」
向こうの作戦は決まったようだ。膠着状態が解けるまでにかなりの時間が掛かったが、それはこちらにとっては有利に働いた。なにせ、作戦など当に決まっており、四人の気が逸れていたのだ。その間に、準備は既に完了している。
「……、『フリーズ・ブレス』!」
小声での詠唱を終え、杖の先から放たれる魔力は冷気の波となって前方の植物を凍結させていく。
「ぬおぉお! 冷てぇええ!?」
だが人体を凍らせるには至らず、彼らの着ている服が僅かに凍る程度だ。それでも一瞬の気は逸らせた。
「戦略的撤退!」
『ほらミュウちゃん、逃げて逃げて!』
「は、はい……!」
盗賊四人組から背を向け、脱兎の勢いで逃走する。ミュウを先行させ、ユクレステは背後を警戒しながら走る、つもりだった。
「逃がさない。『ブレイズ・ウォール』」
「ってなにぃいいいい!」
「ご主人さま!?」
突如現れた炎の壁がユクレステとミュウの距離を分けた。厚い炎の壁が二人の間を遮り、逃げ出すことのできない空間が出来上がる。
「え、詠唱破棄? ミュウ! とりあえず今は――」
「わ、分かりました……!」
一瞬ためらいを見せたミュウだったが、ユクレステの顔を見てそれを振り払う。そのまま踵を返し、駆け出した。
「って逃げられてるじゃねぇかよ! なにやってんだディー!」
「別にあっちはどうでもいい。僕はこっちとやりたい」
「いいからあの炎を止めろってんだ!」
「あの子、足速いだすなー。羨ましいだすー」
またもやローブ君の独断らしい。炎は消えたが、逃がしてくれそうにはない。特に、あの魔法使い。
「手、出さないでね。やるのは僕」
「ちっ、わぁったよ。坊主、テメェも運がなかったな。オレたちの中で一番厄介な奴に目ぇ付けられちまってよ」
「マジすか……」
盗賊のリーダーが本気で憐れんでいるような視線を送ってくる。それほど厄介な奴に好かれるようなことはしていないはずだが、一体全体どうしてこうなった。小一時間ほど問い詰めたい衝動に駆られる。
「ガンバレよ、超ガンバレ」
「原型が残ってるといいだすねー」
「恐いこと言わないで下さいよ!?」
ユクレステの脇を三人の男たちが通り過ぎるが、先ほどの詠唱破棄が気になって下手に動くことが出来ない。特に可笑しな行動は取っていないが、得体の知れなさが余計に不安を掻きたてる。
「これで二人。ふふ……」
「な、なんかとっても恐いんですけど……」
「恐くないよ。楽しいよ。ちょっと痛いかもだけど」
愉快そうに言うローブの人物。なんの気負いもなく、杖を片手にユクレステと相対する。
「じゃあ、殺ろうか。『ブレイズ・エッジ』」
「また詠唱破棄!?」
赤い軌跡が閃くと同時に、魔法使い同士の戦いが幕を開けた。
夏休みなので割と速いペースで投稿出来てます。