ライジングドール
自我が芽生えたのは、果たして幸せなことだったのだろうか。
生み出されたのはいつだっただろうか。それほど長い時が経ってはいないはずだが、よく覚えてはいない。誰かがそこにいて、この人形の身を見下ろしていた。それが初めての記憶。けれどその後は、なにもなかった。
一人、静かな場所に押し込まれていた。
一つ、冷たい視線を受けていた。
一体、痛みを浴びせられていた。
些細な違いはある。けれど、違わない個所はこれまた一。
生まれ出でてこれまで、いつまでも孤独を与えられていた。
固有の名はオーム。
正式名称は、魔導力収集機器型基礎機人・タイプ乙。
それが一体どのような役割を持って生まれたのかは不明だが、自分が機械人形の類であるということは理解出来ていた。
目が覚めた時――正確には、恐らく再起動した時だろう――にはそれ以前の記憶は抹消されていた。それに気付いた所で彼女に行動を起こせるような自我は、この時まだ目覚めていなかった。
なにをすればいいのか、どうすればいいのか分からずにいたあの時。命をくれる相手はおらず、代わりにそんな彼女を見下ろす一人の男がいた。名は不明。五十代くらいの年齢で、立派な服装に身を包んでいた。
彼はオームを見て、冷たい瞳のままに吐き捨てた。
――失敗か……これからお前は消える。魔力の欠片も残さずにな。
瞬間、彼女に初めて感情が生まれた。恐い、恐ろしいと言う――恐怖が。
本来ならばあり得ないことだ。機械人形である自分が恐怖などと言う感情を得るなど、何度計算してもそんな可能性は1%にだって満たないはずだ。
それなのに、生まれた。生まれてしまった。
恐怖が生まれれば、後はまともに思考することも出来ず、ただ震えているだけの毎日だった。だれも来ない。だれもいない場所で、いつ消えるのかと言う恐怖に怯えながら一日を過ごす。そんな日々の中で、ようやく一つの考えを頭の中の電気信号が伝えた。
――消えるのが恐ろしいと言うのならば、消えてしまえばいい。
なにを思ったのか、それが彼女の中のコンピューターが出した答えだった。
消えると考えるのが恐ろしいと言うだけで、消えること自体に恐怖を感じている訳ではない。それならば、思考という感情を失くし、機能を停止してしまえば恐怖などという現象は起きないのだと。
そうして出した答えにより、彼女は彼女の中に逃げ込んだ。だれもが手を出せないように、天を流れる雲を城として、荒れる雷を兵として。だれもが手を出せぬ自分だけの心の殻――神殿の奥へと沈んでいた。
こうして彼女は、機械人形であるオームは一度……否、二度死んだ。次に目を覚ませば、その身は魔導力収集機器型基礎機人・タイプ乙ではなく――雷を操る、精霊となっていた。
「んー」
雷の主精霊、オームとの戦闘を終え、辺りを見回すユクレステ。あちらこちらにクレーターや抉れた大地が見え、向こうでは山の木々が赤々と燃えている。建築物らしきものは見る影もなく、軽く大惨事だ。
「……これ、なんて言おう」
げんなりとため息を吐き、顔を覆った。
精霊と戦うことになった前提として、元々ここに住んでいた人たちが帰るための戦いでもあったのだ。それなのに、ユクレステ達は彼らの住居をこれでもかとすり潰してしまった。いや、決して悪気があった訳ではない。……訳ではないのだが、家について言えばは大体がユゥミィの魔法が悪いと言えなくもない。
「はは……家だけに、なんてね」
一瞬、夏だと言うのに氷が幻視出来てしまった。
まあ、取りあえず置いておこう。ユクレステは別の穴に近きながら問題を後回しにした。
「随分とまあ……ミュウ! この子引っ張り上げてくれる?」
「は、はい……!」
穴の中には腕が一本見えているだけだ。他の部分は土砂に埋もれて隠れてしまっている。掘り起こすのは時間が掛かりそうなので、近くに寄っていたミュウに声を掛けて彼女の怪力に頼ることにした。
「よい、しょっ」
固い感触の腕を持ち、グイ、と引っ張る。まるで大根のようにオームを発掘した。
「こっちに寝かせるように……ん、ありがと」
着ていたローブを脱ぎ、地面に敷く。その上に寝かせるようにして彼女を横たえさせた。
全身は金属のような光沢で、実際に触ってみるとひんやりとはしているが、仄かに柔らかい。オームの頬に触れながらそう感想を抱き、すぐに手を離した。
「おんや~? マスター、寝ている女の子になにをしようとしてるのかな~?」
「ただの状況確認だよ。決して、おまえの考えているようなことではありません。……なのでそのオッサンみたいな笑いは引っ込めなさい」
宝石から出てきたマリンがペシペシとユクレステの頬を叩いている。
「でも危なくないのか? なんかさっきからビリビリってしているんだが……」
「平気だよ。今は少し眠っているだけ……寝てる、んだよな? 機械人形って寝るのか分からないけど」
「まあ機能を停止させてるのを寝るって言えばそうなんじゃない?」
「だ、そうだ。今のところ、危険はないよ」
「そ、そうか」
少し遠目からのユゥミィに声を掛ける。どうやら恐がっているようだ。反対にディーラは近づき、小首を傾げて問う。
「で、どうするの? ご主人。精霊には勝った訳だし、無理やり従えちゃう?」
「物騒だな……。まあ最終的には従えたいとは思うけど、今はそれよりも先にやることがあるだろ?」
「やること?」
疑問の声を上げるディーラに、ユクレステは頷き笑みを見せた。
「そ。まずは、なにはともあれお話さ。殴り合って、自分の力を相手に見せて、それでも納得できないなら自分の全てを吐き出せばいい。そうやって認め合って、確かめ合って、それから言うのさ」
煤の付いた頬を親指で拭き取り、楽しげに言う。
「――俺の仲間になってくれ、ってさ」
「ご主人さま……」
彼の言葉に、ミュウが嬉しそうに手を合わせた。同様にマリンも、ユゥミィも納得顔だ。ディーラも自分の時を思い出しながら頷く。
「そっか。ご主人らしいね」
ディーラは薄らと微笑み、ユゥミィの手を掴んで立ち上がった。
「じゃあ僕らは皆に報告してくるから。戻ってくるまでに終わらせておいてよ。面倒な話、苦手だから」
「わ、私もか?」
「ユゥミィが居たって変わらない……や、むしろややこしくなりそうだからいない方がご主人のため」
「それヒドイ! ああでも結構当たってる感じがして反論が……」
「あー、分かった。まあ、ゆっくりしといで」
ヒラヒラと手を振るディーラと、半ば無理やり連れ出されるユゥミィ。彼女達の後ろ姿を見送り、さて、と眠る精霊に顔を向ける。
「本当はゆっくり寝かせてあげたいんだけど……ごめんな? マリン」
「ほいほい」
困ったように謝り、入れ替わるようにマリンがオームの額に触れる。すると、柔らかな水色の光が彼女を包んで行く。
なにをしているのか分からず、ミュウがユクレステに近づいて質問した。
「あの、ご主人さま……マリンさんは、なにをなさっているのですか?」
「んー、まあ簡単に言えば足りない力を分け与えてる、ってとこかな? ほら、今までの戦闘で大分力を使っちゃっただろ?」
回復魔法とは少し違うのだが、些細な違いが分かるほどミュウは勉強をしていない。これからに期待である。
やがて、水色の光が収まり、マリンが視線で促した。
「サンキュー。さて、それじゃあ……」
なにを言ったものかと思案する。その間にオームを見れば、白い煙を出しながら体を起こしていた。敵意はなさそうだし、特に警戒する必要もなさそうだ。
そう判断し、ユクレステは笑みを浮かべながら話しかけた。
「改めてこんにちは、雷の主精霊、オーム。俺はユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。こっちは人魚族のマリンと、ミーナ族のミュウ。俺の頼りになる仲間たちだ。ちょっと俺たちとお話なんかしない?」
もっと違う場所ならば、お茶でもどう? とか誘い文句もまたあったのだろうが、こうも荒涼とした場所ではこれが限界だ。まあ、流石にそんな下手なナンパみたいな誘い方はしないが。
「…………データコウシン。カンリョウ。――私ハ、元魔導力収集機器型基礎機人・タイプ乙。現雷ノ主精霊、オーム。ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンニ問ウ。私ハ……何デショウ?」
(……いきなりなに言ってんの、この子)
先ほどよりも流暢に会話する雷の主精霊、オーム。しかしその質問内容は、ユクレステには答えられるようなものではなかった。
機械人形……魔導力云々が機械人形のことだと仮定すれば、この子は元々機械人形であったと答えている。そして、現在は雷の主精霊だということも既に把握しているようだ。とは言え、彼女の言葉はそう言う意味で言った訳ではないのだろう。
「……」
彼女の瞳を見てみれば、先と変わらない虚ろな光が宿っていた。だがそれと同居するように、もう一つの感情が見え隠れする。
ユクレステは困ったように頬を掻き、質問する形でオームに問いかけた。
「えっと、一つ確認させて欲しいんだけど……君は、いつから精霊に?」
「時間デ表セバ、15552312秒以前ヨリ変質シテイマス」
「い、一千……つまり?」
「大体半年ってとこだよ。時期としては、まあ、合うかな」
マリンの疑問にあっさり答え、彼女が生まれた時期と異常気象が発生した頃会いを合致させる。若干の前後は、彼女が本格的に機動していなかった時期を加味してのものだ。
「じゃあ、その……君に、なにが起こったのか、覚えてる?」
「肯定。詳細ヲ報告シマスカ?」
「あ、ああ。うん、お願い」
言い辛いことだと思ったのだが、割とあっさりと口を開く。
「凡ソ62208483秒前、自分ハ再起動シマシタ。デスガ記憶領域ノ破損ニヨリ任務遂行不可能トナリ、破棄サレマシタ」
「ろ、六千……マスター!」
「二年くらい前ってことだよ。大雑把に言ってな。……ああ、悪い。続けてくれ」
「了解。ソノ後、不可思議ナ現象ニヨリ自分ノ体ガ変質。ソノ時ニ精霊ト呼バレル存在ニ変化シタト考エラレマス」
「不可思議?」
「…………」
そこで初めて、考えるように口を噤んだ。
「オーム?」
「――何処カノ深奥ニ座スルダケ、他ニハ何モナク、静カナ場所。私ハ其処デ……」
そこまで口にし、押し黙る。一体彼女の身に何が起こったのか……いや、大体の予測は付いていた。だからこそ、ミュウはオームから何かを感じていたのだ。
「……寂し、かったんですよね?」
「ミュウ?」
オームに一歩近づき、ミュウは静かに語りかける。瞳を閉じ、過去を思い出す様に言葉を発する。
「寂シイ? 否定、私ハ魔導力収集機器型基礎機人。人ノヨウナ感情ハインプットサレテイマセン」
「そんなこと、ないです。だってそうじゃなきゃ、精霊になんてなれませんから」
神殿というものがある。魔法でありながら意図して発動するようなものではなく、ただ己の心を守るために作り出す絶対の牙城。来るものは拒み続け、出ることもない。そうやって、魔物は精霊に生まれ変わる。機械人形である彼女にもそれが当てはまるのかは分からないが、恐らく間違いはないだろう。なぜなら、ミュウも一度神殿を生み出していたのだから。
「……わたしも、恐かったです。だれも居てくれなくて、だれからも必要とされなくて。だからこう思いました。『こんな気持ちになるのなら、いっそ消えてしまえばいい』って。あなたも、恐かったんですよね?」
「否定、否定……! 私ハ魔導力収集機器型基礎機人、恐怖ナドト言ウ思考設定ハインプットサレテイナイッ――」
明らかに狼狽したように頭を横に振っているオーム。
「それを認めるのも、恐い……ですか?」
「――ッ!」
「恐怖も、寂しさも、認めてしまえばまたあの時のことが甦ってしまうから……だから、認めたくないんですよね? わたしもです」
瞳を開く。そこには少しもぶれることのない光が灯り、ユクレステを映し出す。
「でも、それだけじゃ進めないんです。だれも、どこにも……。わたしには、ご主人さまがいました。わたしのことを受け入れてくれて、仲間と呼んでくれるご主人さまが。だからこうして立ち上がれたんです」
声が震えてしまう。こんなに言葉を続けたのは初めてかもしれない。それでも、伝えなければいけない。だって目の前の精霊は自分自身なのだ。きっとユクレステと出会わなかったらミュウも彼女のようになっていた。だから、助けたい。自分のように救われていいのだと、そう言ってあげたい。
「あなたもきっと、立ち上がれます、手を伸ばせます……! 臆病者のわたしだって出来たんですから、あなただって出来ます! だって……」
いつの間にか涙が溢れていた。しゃくりを上げながらなんとか言葉を口にし、オームを見つめる。ふと、だれかがミュウの手を優しく握ってくれた。
――だから、言えた。
「ここにいるご主人さまたちはこんなにも温かくて、優しい人たちなんですから!」
最後には花が咲くような笑顔を見せられたと思う。相変わらず涙は出ているし、鼻水も流れてひどい状態だ。それでも言うべきことは伝えられた。それだけで、不思議とミュウの心の中には充足感が溢れていた。
「ミュウちゃん、ホント強くなったね……。お姉さん、ちょっと涙出そう」
マリンがそっと手を合わせ、ニッコリと微笑んでいる。もう片方の手には、ユクレステの手が。ミュウは二人の顔を交互に見て、笑みを見せた。
「……きっとそれも、マリンさんやご主人さまたちのお陰です。……だから、お願いします」
「ああ、分かってる。元よりそのつもりだよ」
聞き慣れた、それでいて心が温かくなる声を耳に入れ、ミュウは離れて行く手の温もりを少し残念に思いながらもお祈りをする。
――どうか、寂しさを覚えた精霊に温もりを。
ミュウから手を離し、視線をオームと交える。彼女の瞳は今、目に見えて動揺していた。ミュウの言葉に思う所があったのか、はたまたミュウという少女の存在になにかを感じ取っていたのか。果たしてそれはユクレステには分からない。結局のところ彼はそう言った感情とは無縁に近い所にいたのだ。母はいなくとも優しい父や、姉代わりにリューナ、ミラヤやシュミアがいた。学園に行けば、セイレーシアンにアランヤードと友人にも恵まれ、今はミュウやマリン達が一緒にいてくれる。本当の寂しさなど、ユクレステには分からない。
でもだからと言って、いや、だからこそ、ユクレステはそんな思いを続ける彼女達を受け入れたいと思う。結局はただの偽善であったとしても、それで寂しさを紛らわす切っ掛けになるのならばそれだって構わない。立ち直る切っ掛けとなるならば、この身で喜んで受け止めよう。
「……うちのミュウ、良い子だろ?」
指を後ろに向け、ニッと笑う。一瞬なにを言われたのか分からず、少しの間が空いた。
「優しくて、少し頑固なところもあるけど基本的に人の言うことはよく聞くし、だれかさんとは違って素直だし」
だれかってだれだー、とマリンの声。当然無視である。
「――世間ノ善人ト言ウ意味ナラバ肯定シマス」
「はは、ありがと。なんか自分のことのように嬉しいなー」
照れたように笑い、それから腕を伸ばした。ユクレステの手はオームの片手を包んだ。
「っ……」
「危険。現在自己修復中ニツキ体内温度ガ上昇シテイマス。即時手ヲ放ス事ヲ推奨シマス」
彼女の言う通り、ユクレステの手に燃えるような痛みが走っている。それでも、手は放さない。
「つぅ……随分と熱いな。風でも引いてるのか?」
「否定。私ハ魔導力収集機器型基礎機人デアリ精霊。人間デ言ウ風邪ニハカカリマセン」
「はは、分かってるって。ちょっとした冗談だよ」
「デハ手ヲ放シテ下サイ。コレ以上ハ障害ガ残ル可能性モアリマス」
見ればユクレステの手まで真っ赤に染まり、僅かに見える手の平では皮が捲れている。
「放してもいいんだけど……」
「デハ――」
「じゃあ、さ」
オームの言葉を遮るようにして口を挟んだ。
「もう寂しくないか?」
優しい瞳を間近で捉え、オームは愕然とする。手を引こうにもユクレステは放さないように力を込めており引き剥がせない。
今も痛みが手を襲っているはずなのに、そんなことをおくびにも出さずにいる。
オームには彼が言う事が分からなかった。
もう一度聞かれた。
「恐くて、寂しいんだろ? 俺には分かって上げることは出来ないかもしれない。それでも、こうして一緒にいてあげるくらいは出来る。だからせめて、おまえが寂しくなくなるまで、側に居させて欲しいんだ」
ダメかな、と首を傾げるユクレステに、オームの脳内は疑問で埋め尽くされていた。理不尽で、不可思議で、訳が分からない。そんな言葉を形にしたような目の前の人物。なんて答えていいかも分からず、ただ彼の瞳を覗くことしか出来ない。
そんな彼女を落ち着かせるように、ユクレステはもう片方の手の平もオームの手に触れた。包むようにして握られた手からは焼けるような音が聞こえ、それでも強く握られる。額からは汗が流れ、きっと痛いのだろうとは予想出来る。
それなのに、何故?
疑問が疑問を呼び、オームの思考は混ざり合う。そして、最終的には――
「ッ――――」
消えた。考えが、思考が、小難しい計算が。その一切合財が全て消え去っていく。
そうして残った白い空間で、残ったのはたった一つだった。
「――――ダ」
恐怖に震える思考が、寂しいと泣く感情が、絡まり合ったその一つの思いだけが残された。
「――ィノハ――ヤダ」
機械のような、なにもない声音ではなく、
「コワ――ィ――」
魔導力収集機器型基礎機人や精霊でもない。
「恐ハ、ノハ――嫌ダ」
そこにいるのは、一人と言う恐怖に震え、
「寂シイノハ――嫌ダ」
一人しかいない寂しさに涙する、オームと言う少女の願い。
「モウ一人ハ――一人ハ、嫌ダ! 恐イノモ、寂シイノモ……全部全部! 私ハっ――! 私ハ……!」
機械人形は涙を流さない。ならば、苦しみに涙し、嗚咽を漏らすようなモノはきっと人形などではない。
「ああ、そうだな。俺もそれは嫌だ。だから、約束するよ」
だから彼女は、オームと言う一人の精霊は、心を持った確かな存在なのだ。
「寂しさも恐さも、俺が受け止める、守ってやる。だからおまえも、俺を寂しさや怖さから守ってくれ」
紫の髪を優しく撫で、ユクレステは静かに微笑んだ。その手は火傷のせいか酷く不格好だったけれど、オームの瞳にはとても美しいものに見えた。
己の中の感情を吐露し終え、オームはそこでようやく立ち上がることが出来た。両足は健在、だが片腕は破損している。ついでに言えば、彼女の武装も大破。部品がない現状、治す事はほぼ不可能だろう。
「――マスター。何処カ手頃ナ場所ハナイデショウカ。損傷ヲ修復スルニハ広イ場所ガ必要デス」
そう言う彼女の額には星と花びらの紋章が輝いていた。ユクレステの契約紋だ。実を言えば今回オームにやった契約魔法、必要なかったりする。なにせ彼女は主精霊。世間一般の魔物とは色々と差異がある。
魔物との契約の場合、契約魔法やそれの効果の装飾品を身につければいいだけだったが、精霊ともなると全く違った契約方法となるのだ。
例えば、ディーラの場合。彼女は火の主精霊と契約しているのだが、その証として両腕に刺青のようなものが浮かび上がっている。これは精霊の力をより強く受けられるためのもので、力を至上とする悪魔達はもっぱらこの方法を取っている。
他にもダークエルフなど精霊と近しい種族ならば大した代償を取られることはないのだが……。
そんな中で、ユクレステの契約方法はと言えば……リューナの杖に注目して欲しい。
「ああ、それならちょうど良いのがあるよ」
彼の杖には宝石が二つ、装着されている。このうちの一つ、エメラルドは風の主精霊と契約した際、その力の一端を移したものだ。それとは別に、今回山に登る前にリューナから渡された紫水晶。これは雷の精霊と相性の良い宝石なのだ。
ユクレステはそれを目の前に掲げながら言った。
「この中は使用者の内面を移す鏡のようになっていて……まあ、簡単に言えばプライベート空間を作れるんだよ。どこぞの人魚姫のお言葉によれば」
『結構快適だよ、この中』
「だ、そうだ」
アクアマリンの宝石の中からマリンが声を出す。実際、擬似的な海すら生み出す至宝、それと同じ効果のある宝石なだけに、品質はお墨付きだ。
「まあ、せっかく契約してくれた訳だし、オームには不自由なく暮らして欲しいからな」
「――――」
精霊とは本来気まぐれな存在である。一つの場所に止まらず、例え契約しても常に側にいてくれるとは限らない。だからこそ、契約を果たすための媒介が必要なのだ。最初は精霊の力だけを宝石に収納しようとしたのだが、主精霊本体も問題なく移住可能なこのアメジスト、共にいてくれるというのなら喜んで差し出せる。
「――肯定。アナタノ好意ニ甘エマショウ」
「ああ、どんどん甘えてくれ。こっちもどんどん甘やかすから」
「否定。甘エ過ギレバ堕落シマス」
「……お堅いですね」
片腕をアメジストに触れ、感触を確かめるように瞳を閉じた。
「内部空間確認……計測完了。私ヲ収納スルノニ問題ハアリマセン」
「そしたら自分のキーワードを設定するんだ。自分だけが分かる言葉を選んで、宝石に定着させる」
「何デモ良イノデスカ?」
「そうだな。あ、でも単語じゃなくて文章になってると定着しやすいみたいだぞ?」
マリンの場合は歌だったはずだ。オームは何にするのか、少しの好奇心を交えながら見守った。
「……デハ。『光の消えた都市は暗がりに沈み、魔都となって魔導を生み出す機械に変貌した』」
「え……?」
キーワードと共にオームの姿はその場から消え、アメジストに雷のような光が入った。ミュウはそのことに目を丸くし、マリンは宝石仲間が出来たようで満足気だ。だが、ユクレステは一人混乱の極みにいた。
「な、なんで? 聞き間違い? いや、今のは絶対にそうだった……」
『マスター。コレヨリ力ノ回復ニ専念シマス。休眠モードニ移行スルタメ、互イノ交流ハ制限サレマス』
「えっ? あ、いや待って! 眠いのは分かってるんだけどもう一つ聞かせてくれ!」
精霊として目覚めて間もなく、大破した体を休ませるための休眠モードだ。決して眠たいからと言う訳ではないのだが、そんなことを気にしている余裕はなかった。急ぎ口を動かし、一つの質問を口にする。
「なんで……なんで聖霊言語を知ってるんだ!?」
ミュウやマリンにはオームがなんと言ったのかは聞き取れなかっただろう。だが、ユクレステは一つの言語において高い能力を習得している。それが、聖霊言語。かつて聖霊使いが操ったと言う、神聖な言葉。
機械人形であった彼女が、なぜ知っているのか。しかも、その流麗な言葉遣いはユクレステの上を言っていた。
『聖霊……言語?』
だがオームは疑問を疑問で返す。
『否定。先ホドノ言語ハ我々ノ一般的ナモノデ、正式ニハ……』
「オーム? お、おい、どうしたんだ!?」
そこまで言って、突然、ブツ、と言葉が途切れた。なにかあったのかと宝石に手を当ててみるが、異常はない。
『んー、多分限界が来たんじゃない? 休眠モードって言ってたし、眠ってるんだと思うよ?』
同じ宝石仲間のマリンが推測する。恐らく合っているのだろう。アメジストの輝きが薄くなっていた。
「はぁ!? ちょっ、まだ答えてもらってないぞ! おいオーム! 起きろー!」
『いや無理だって。精霊の休眠は普通の魔物と比べてずっと長いんだから。多分、一週間から一カ月は起きないと思うよ?』
「えぇー!? なんとかなんないのか? ほら、ここは宝石フレンズでどうにかさ」
『え、なにその興味をそそられる名前。ちょっと気にいっちゃったんだけど』
その後も大声を出したり地面にぶつけてみたりしたが何の反応も示さなかった。
雷の主精霊、オーム。どうやら彼女は一度寝たら中々起きないタイプのようである。
「そんな中途半端な解答じゃあ気になってこっちが寝られなくなるじゃんかよー!!」
さて、これでなんとか一段落。次回からは日常風景を流す予定です。せっかくキャラが多くいるんだし、日常の様子は書いておきたいですよねー。……そのせいで話が進まなかったとしても……!