ダーゲシュテン
港町が徐々に朝陽に晒されていく。すると港に多くの人が集まり、朝早くの仕事が始まった。
ダーゲシュテンにはおおまかに分けて二つの港が存在している。王都への定期船によって人が集う北港。そして、漁業関係の船が泊められている南港だ。
今の時間は南港に人が集中しており、何隻かの船が海へと出ていた。港町であるため特産品は海産物が多く、日々の糧とダーゲシュテンの財政に一役買っている漁師の皆さまである。
そんな彼らを眺める高台に建つ小さな屋敷。そこがユクレステの生家である。
「さて、改めてようこそ。ここがダーゲシュテン邸、ゆーの実家じゃな。そして、これからはお主らの家でもある。まあ、あまり堅く考えずくつろぐと良いじゃろう」
「は、はい……。お邪魔します」
屋敷の門を抜け、すぐの扉を押してリューナはミュウたちを招き入れた。ミュウの後ろからユゥミィが続き、屋敷の内部を見てほう、と息を吐く。
アランヤード邸のような豪勢さはないが、木造で造られた温かな邸内は、ユゥミィにとって懐かしく感じる場所だった。それは森に住んでいたミュウも同様で、自然と肩の力が抜ける。
「……良いお家ですね」
「うむ、確かに」
『そだねー。なんか温かみがあるや』
「ふふ、そうじゃろう? ここダーゲシュテンの数少ない自慢がこの屋敷じゃ。存分に堪能するが良いじゃろう」
柔らかに微笑むリューナが玄関に置かれていたベルを鳴らす。その音が聞こえたのか、パタパタと足音が向かってきた。
「いらっしゃいませ。あら、リューナ様? そちらの方は……」
「うん、ゆーの仲間じゃ」
「まあっ……お坊っちゃんにもついにリューナ様以外のお仲間が……うぅ……」
「まったく、なにを泣いておるか……」
「いえ……あのお坊っちゃんも立派になったんだな、と」
現れたのはメイド服を着た少女だった。金色のショートヘアーで、髪の間からは小さく尖った耳が覗いている。エルフよりも短いその耳に、ミュウはハッと気がついた。
「ミーナ族……」
手先が器用で、家事を得意とする大陸最弱の魔物。家の妖精と称されるミーナ族だ。本来は森に住む種族だが、家事手伝いとして人間の街に進出する者は多い。恐らく、彼女もそうなのだろう。
ふと、ミーナ族の少女がミュウを見つけ、あら、と口元に手をやった。
「っ!?」
「うわっと?!」
視線が合うのと同時にユゥミィの後ろに隠れてしまう。一応ミュウも彼女同様ミーナ族なのだが、異常種として生まれたため良く思われたことはないのだ。そのため、怯えの色を濃くして顔に張り付けてしまっている。
手ぶらの両手でユゥミィの服を掴み、恐る恐る顔を覗かせる。
「……?」
だがそちらにはリューナしかいない。ミーナ族の少女はどこにも……
「あなたは……同族様ですか?」
「ひゃぅ!?」
いや、いた。ユゥミィの後ろのミュウのさらに後ろに移動し、無遠慮に耳を触っている。ふわふわの黒髪の匂いを嗅がれ、キュッ、ともう片方の耳を掴まれる。突然のことに思考が追いつかず、顔を真っ赤にして動きを停止する。
「これ。止めぬか馬鹿者」
「あいた」
流石に見かねたリューナにより止められ、叩かれたであろう頭を押さえてミュウたちの前に立つ。
「申し遅れました。わたくし、ダーゲシュテン様の元で馬車馬のごとく働かされている可哀そうなメイドのミラヤと申しまう。……いえ、噛んでなどございません」
「ば、馬車馬?」
「ええ。それはもう、とても可哀そうな労働条件でして……朝は四時に起こされ朝から晩まで屋敷内を清掃し、三百人もの人数の朝食昼食夕食の準備、そして夜には特殊な性癖のご主人さまにここでは言えないようなことを……」
「なにを馬鹿な冗談を言っておるか! 日がな一日サボって趣味の家庭菜園に勤しみ、休日には街で買い食いしまくっておるダメイドがなにを抜かす!」
「……ね? 可哀そうですよね、わたくし」
無表情で泣き真似なんてするのでどうにも胡散臭い。一瞬騙されかけたユゥミィだが、リューナの様子にウソだと分かったのだろう。ホッと息を吐いてミュウに振り返る。
「ミュウ、どうやら彼女は安全のようだ。そう恐がることはないだろう」
「それは……その、そうなのですが……」
「大丈夫だ。そもそもここは主の実家なのだぞ? 異常種だということくらいで可笑しな目はされないだろう」
彼女にしては珍しいミュウを気遣った発言にホッと息を吐く。ミュウはちらりとミラヤを見て、小さく会釈した。
『ユ、ユゥミィちゃんがフォローした……!? なんだろう、目から汗が噴き出て止まらないんだけど……』
宝石の中でマリンが感動に涙していたことを二人は知らない。
「まったくこのサボり常習犯めが……」
「まあまあリューナ様。あまり興奮すると婚期を逃しますよ。ただでさえリューナ様、街の人から恐がられてるんですから」
「喰らってやろうか?」
「リューナ様リューナ様、それメッチャ痛いので止めて痛い痛い痛い」
端正な顔立ちを鬼のように変化させ、リューナはミラヤの頭にアイアンクローをかます。
苦笑を浮かべるしか出来ないミュウは、そこで後ろから扉の開く音を聞いた。
「や、やっと着いた……」
「ご主人さま……!」
現れたのはこの場にいなかったダーゲシュテン家の御曹司、ユクレステだった。疲弊し切った顔で大量の汗を流しながら、背負っていたものを床に落とす。ガランガランと大きな音が屋敷内に響き、折檻中だった二人もそちらに視線を移した。
「なんじゃ、その程度で音を上げおって! 鍛練が足りん!」
「いえね? リューナさん。これ全部で何キロになると思ってんですか? 人間一人……魔法使い一人で運べる重量を簡単にオーバーしてると思うんですけど?」
「あー! 主ヒドイ! 私の家の家宝をそんなぞんざいに扱うなんて!」
「ユゥミィだって今まで結構雑な扱いしてきてたと思うんだけど!?」
なにせ今ユクレステが背負っていたのは総重量百キロを超える全身鎧と、五十キロを超えるアダマン鉱石で出来た大剣なのだ。都合百五十キロ。鍛えに鍛えた筋肉マンならばともかく、基本非力な魔法使いであるユクレステには軽々と持つことなど出来はしない。友人二人ならば割と出来そうなため若干勢いを失くしての反論となってしまったが。
「ったく、だれだよこんなところに家建てた奴は……」
『多分マスターのご先祖様だと思うよ』
冷めたツッコミを受け流しつつ、深呼吸してから顔を上げる。
「お帰りなさいませ、お坊っちゃん」
と、突然目の前が真っ暗になる。だれかが目隠しをしたのだろう。ついでに耳元に息を吹きかけられてゾクっとした。
「うわぁああああ!? なに、なに!?」
「おや、お坊っちゃんは相変わらず耳の裏が弱いのですね」
「ミラヤ!? ちょ、放してって!?」
凄い勢いで遠ざかるユクレステ。やり切ったような表情のミラヤが印象的だ。
「それではもう一度。お帰りなさいませ、お坊っちゃん。このミラヤ(〇〇歳、独身、好きなタイプ・イジメがい……いえ、可愛らしい方。好きな食べ物・肉全般。嫌いな食べ物・魚全般)一日千秋の思いでお待ちしておりました」
深々と頭を下げるメイドさん。パッと見、有能そうな人物に見えないこともないだろう。ただ、本性を知っている身としては同意できないのだが。
「えっと……色々言いたいこととかあるんだけどさ、どっからツッコミ入れた方がいい?」
「ほう、ツッコムのですか。お坊っちゃんが、わたくしに。一体ナニを突っ込まれるのでしょうか?」
「変な言い方止めてくれる!?」
ポッ、と口で言うミラヤはきっと全て分かった上でからかっているのだろう。
ユクレステとしては色々とツッコミ所満載なため、なんで()をわざわざ口で言うのか、とか、おまえ港町で魚嫌いってどういうことだよ、とか、そもそも魚大好物じゃん、とか追及したかったのだが、どうにもペースを乱されて言えず仕舞いだ。
仕方なく、リューナに助けを求めるように視線を向けた。
「……ねえ、なんでこいつがいるわけ? 二年前に暇をやったんじゃなかったの?」
記憶では二年ほど前、結婚がどうのとかで森に帰ったはずだ。魔術学園の長期休暇で帰省していたユクレステが王都まで一緒について行ったので間違いないはずである。
「うーむ、まあ何と言うか……逃げられたと言うか……」
「違います、逃げたんです。タイプじゃなかったので」
バッサリと言ってのけるミラヤにしばし唖然とする。昔一度会ったことのある相手なので、ユクレステもいくらかの情報は知っていた。ミーナ族の集落の族長の息子で、人望があり、性格も悪くはなかったはずだ。ミラヤとの仲も良かったはずで、それがなぜ別れたのだろうか。
まあ、流石にそんなことは聞けないのだが。
「そ、そっか。それは残念だった――」
「まあ、全部お坊っちゃんのせいですけどね」
「――ね、って俺関係ねぇじゃん!?」
流そうとしたのにわざわざ言ってくるとは。しかもそれがユクレステのせいにしてくる。流石はユクレステの実家である。色々と。
「ほれ、いつまでもこんな所で話しているでない。少し早いが、朝食にしようかの。ミラヤ」
「かしこまりました。それでは皆様、こちらでございます」
「うぅ、俺なんかしたっけかなぁ?」
『流石マスター、結婚前で幸せそうな仲を引き裂くなんて……いよっ、鬼畜だねぇ!』
「いやマジでおれ知らないんだって!」
姿勢を正し一団の先頭に立って食堂へと案内を開始する。それに続くようにユクレステ、ミュウ、ユゥミィが続き、リューナは荷物を整理し始めた。
「ふむ、中々良い剣じゃな。それに、この鎧は……くく、後で少し見てみるか。それまでは取りあえず物置にでも押し込んでおくかの」
人差し指ピッと荷物を向ける。すると独りでに荷物は動き始め、玄関近くの物置へと自分から入って行った。
それを確認し、リューナは外へと向かう。
「後は……ふむ、外観をもう少し綺麗にせんとな。……やれやれ、他国の王子だが知らないが、わざわざこんな時に来なくても良いじゃろうに……」
恨めしげに一声呻いてから庭の奥へと消えて行った。
食堂に案内されたユクレステ達。目の前には簡単な朝食が用意されていた。中には新鮮な魚のムニエルもあり、これもユゥミィに好評だった。
パンにかぶり付いているユゥミィをよそに、そう言えばとミラヤに問うた。
「父さんはどうしてるんだ? この時間ならもう起きてると思うんだけど……」
『おおっ! お義父さま! 会えるの!?』
なんとなくニュアンスが違ったような気がした。無論、無視の方向で。
「……なるほど、お坊っちゃんは根っからの変態さんのようで。このミラヤ、嬉しゅうございます」
「なにが!?」
そっとハンカチで目元を拭うメイド。涙など出ておらず、ただの格好だ。
「ご主人さまのお父さま……どんな方なのですか?」
気になるのかミュウがミルクを手に尋ねてくる。ユゥミィも気になるのか、食事を続けたまま聞き耳を立てていた。
「どんなって言われても……普通の人だよ? 基本的に優しいし、至って真面目な人。少なくとも領民には好かれる程度には善人かな」
『やっぱりお義父さまも魔法使いなの?』
「いや、父さんはあんまり魔法得意じゃなかったから。俺はどっちかと言えば母さん似だし」
ユクレステの魔法の才能は母、ユイン・フォム・ダーゲシュテンによる所が大きいだろう。なにせ低級とは言え魔術学校を開ける程には知識も力もあったのだから。
顔立ちなんかは父と似ていると良く言われる。女顔、というほどではないのだが、優しげな雰囲気が似ているのだとか。
まあ、つまりユクレステの父がどんな人物かと言うと、
「呆れ果てるほどの善人なただのひょろいオッサンでございます」
「……一応雇い主なんだからもうちょっと言いようってのがあるんじゃないか? って言うかミラヤはよく首にならないよな」
「それはもちろん、わたくしが優秀だからに違いありませんね。ええ」
シレっとのたまうミラヤにため息を吐く。羨ましい性格だとは常々思っていたが、ここまで来ると感心してしまう。
紅茶を飲みながらそんなことを考えるユクレステに、ミュウが再度聞いてきた。
「では、ご主人さまのお母さまと言うのは……?」
「…………」
その一瞬、表情が固まったような気がした。
ミラヤは静かに瞑目して佇んでおり、なにも発しない。
『マスター?』
その空気を察したのかマリンが問いかける。
「……ん、ああ悪い。母さんは、うん。なんか凄い人だったのは覚えてるかな?」
「えっ? だった……」
「まあ、ね。俺の母さん、結構前に亡くなってるからさ、あんまり覚えてないんだよなぁ」
「っ!? あ、す、すみません……!」
『っ!?』
「…………」
自分の発言の失敗に気付いたのか、ミュウが慌てて頭を下げた。けれどユクレステからすれば別にそんなことで怒るきはないし、そもそも今まで話してなかった自分のミスだ。彼女を責めるつもりなど毛頭ない。
「ははは、そんな気にしなくていいよ。話してなかったこっちが悪かった訳だし、そうかしこまるなって」
ポンポンとミュウの頭を軽くなで、苦笑気味に微笑んだ。
「で、俺の母さんなんだけど、かなり優秀な魔法使いだったんだって。それに加えて研究者としても有名で、聖霊言語の解読にあたっていたのも母さんだったんだ」
「では主が聖霊言語を読み解けるのも……」
「そ。母さんの研究の下地があったからだよ。まあ、俺だってがんばった訳だし全部が母さんのおかげって訳じゃないけどね」
少し自慢げに胸を逸らすユクレステ。それに合わせてミラヤがパチパチと手を叩いた。
「お坊っちゃんのがんばりは遠く離れたこの地まで轟いておりました。流石はわたくしのお坊っちゃんでございます。このミラヤ、とても感動しております」
「うん、別に俺ミラヤのものでもなんでもないけどね。まあ、とりあえずありがとうって言っておけばいい?」
「いえ、愛してる、と。そう囁いて頂ければ勘弁して差し上げなくもないですが?」
「なんでそうなる……」
ガックリと肩を落とすユクレステの表情に暗い影はない。ミュウはようやく気持ちを持ち直す。
と、その時食堂の扉が開き、だれかが入ってきた。
「ん?」
『はっ、まさかお義父さま!?』
ユクレステが振り向き、マリンがハッと意識を扉へと向ける。そこにはユクレステの父が、
「お坊っちゃま、ご挨拶に遅れてしまい申し訳ありません。シュミアに御座います」
いなかった。見るからに女性で、しかもメイド服を着ている。
「この度はご卒業おめでとうございます。例え王立魔術学園であろうとお坊っちゃまならば必ず卒業なさると信じておりました。そしてお帰りなさいませ。こここそがお坊っちゃまの帰る場所、貴方様が帰られるのをお待ち申しておりました」
「ああ、うん。相変わらずバカ丁寧だね、シュミアは。もう少し砕けてもいいんだぞ?」
「そうですよ。わたくしのように適度にサボ……いえ、力を抜くのもメイドの務めですから」
「おまえはもう少し真面目に働け」
ミラヤに言い捨て、もう一人のメイドの堅物っぷりに苦笑する。色々な意味でミラヤと正反対なメイド、シュミアはかなり古くからダーゲシュテンで働いてくれているメイドの一人だ。ユクレステが生まれる前から使えているということを聞いたことがある。
彼女もミーナ族で、腰まである金色の髪を纏めている。ミラヤよりも身長は高く、小柄なミーナ族の中では長身の部類に入るだろう。年齢は不詳、外見的には十代後半から二十代前半。だが魔物であるミーナ族は人間よりも長命で、外見通りの年齢はしていないだろう。十代中頃にしか見えないミラヤも、本当の年齢は二十を超えているらしいのだし。
「……お坊っちゃん」
「なに? って、痛い痛い! なんで首つねる!?」
「いえ、なんとなくです。お構いなく」
……。
長年ダーゲシュテン家を支えているだけあってメイドとしてはかなり有能で、よくサボるミラヤの穴を埋めるために日々奔走している。
「それで、なにかあったのか?」
「と、申しますと?」
リューナもいなくなり、ミラヤに聞くのもどうかと思っていたことを尋ねる。
「いや、なんかリューナたちが慌ただしいからさ。それに屋敷も綺麗になってるし。年末の大掃除はまだ時期じゃないだろ?」
少し普段と違う屋敷の様子に疑問していたのだ。メイド頭である彼女ならば何か知っているかもしれないので、聞いてみる。
ちなみに、この屋敷のメイドはシュミアとミラヤの二人だけ。忙しい時などはリューナも手伝ったりもする。ついでに言うと、館の主もたまに掃除に駆り出されることがあるとか。
「……流石はお坊っちゃまでございますね。その辺りの事も含め、旦那様がお話になりたいと仰っております」
「父さんが?」
「はい。先ほど起床されましたので、部屋に通すように言われております」
父からの呼び出しに少し首を傾げる。
「それならこっちに来ればいいのに。なにかやってるのか?」
「そうですね……恐らく、筋肉痛で動けないのだと思われます。昨日は書庫の整理を一人で行っていたので」
「ああ、うん」
ダーゲシュテン家の地下には地下書庫がある。蔵書はかなり多く、それを一人で片づけていたのならば疲れるのも分かる。が、流石に筋肉痛になるまで掃除していたとは思わなかった。ミラヤが言っていたように、基本的にひょろいもやしな父である。
「それじゃあ仕方ないか。みんなはちょっと待ってて。もう少ししたらリューナが来ると思うから、彼女に案内してもらって」
『えー。私たちはお義父さまと会えないのー?』
「悪いな。また後で紹介するからさ」
ぶー、と不満の声を漏らすマリンに謝り、シュミアに連れられて食堂を出た。
階段を上り、奥の一室へと辿り着く。コンコンとドアをノックし、シュミアが声をかけた。
「旦那様。お坊っちゃまをお連れしました」
『ああ、どうぞ』
壁越しに優しげな男性の声が聞こえた。扉を開け、部屋へと入る。
「…………」
ベッドに腰掛けたままの姿勢で、一人の男性が静かに目を閉じていた。オレンジがかったブラウンの髪で、だらしなく服を着崩している。
張りつめたような空気に驚きながら、ユクレステは急ぎ彼に近寄り口元に手を当てた。
「……ハッ! 息を、していない……!?」
「いやしてるよ!? 勝手に殺さないでマイ息子!」
「なんだ、動かないからてっきり……。変に雰囲気出されてもこっちが困る」
よろよろと立ち上がる父、フォレス・フォム・ダーゲシュテン。線の細さと、穏やかな表情の男性だが、全体的に若く見える。童顔であるのもあってか、ユクレステの兄と言われた方がしっくりくることだろう。
立ち上がると同時に顔を引きつらせ、腕を擦る。
「うぅ、息子が冷たい……あと筋肉痛で体中が痛い……あ、でも待てよ? 一日遅れて筋肉痛が来てないってことはまだ私は若いってことだな? うん、それなら納得」
「父さん? おーい、そろそろいい?」
変わらぬ父の姿に苦笑した。
「よく帰って来たね」
「はい。ただいま帰りました」
こほんと咳払い一つして、フォレスはキリッと表情を改めてユクレステの帰郷を歓迎した。それに倣うようにしっかしとした答えを放つ。
「……なんてね。お帰り、ユー。卒業おめでとう」
「うん、ありがとう、父さん」
示し合せたような二人は、どちらともなく表情を崩した。
「君が帰って来ない間大変だったよ。主に、リューナとミラヤが」
「リューナはともかくミラヤも? なんで?」
「婚約破棄して戻ってきて、なんでか知らないけどユーのことばっかり愚痴っててさ。なにやったの?」
「さっきもそんなこと言われたんだけどまったく分からないんですが」
親子の再開は他愛ない話から始まった。砕けた様子で話す二人。学校での出来事や卒業後に出会った仲間たちのこと。そして、先日のセイレーシアンとの出来事まで。
セイレーシアンの話をした時は驚いたようだったが、なぜか納得されてしまった。
「さて、それじゃあちょっと今の厄介事について話そうか」
そして話は現在の状況へと移動する。
「多分ユーならもう気付いていると思うけど、うちは今大清掃中なんだ」
「だれか来客でもあるの?」
「まあ、近いかな」
困ったように微笑む父の姿に、それだけ面倒な人物が訪れるのだと理解する。それこそ、アランヤードでも来るのかと思ってしまう。だが彼とは先日別れたばかり。特になにも言っていなかったし、客人としてダーゲシュテンへ訪れるようなことはないだろう。
ではだれが来るのかと思考している途中で、フォレスは口を開いた。
「来るのは今日、ゼリアリス国のガレオス港から船が来てね。ゼリアリス国王子、ユリトエス・ルナ・ゼリアリス殿下がいらっしゃるんだよ。そのせいで急遽大掃除に大わらわさ」
「……へ?」
予想だにしていなかった名前に思わず間の抜けた声が零れる。
「しかもうちに来る理由が、究極の魚料理を探求するため、とかなんとか。別にうちじゃなくてもいいと思うんだけど、どうも当の王子様がここがいいって我がまま言ってるみたなんだよ。太陽姫直々にお願いされたら流石に断れなくてね」
「はぇ?」
さらによく分からない理由に再度可笑しな声が出た。
「まあ、そんな訳だから……ユー。本当に良い時に帰ってきてくれたよ」
ポンポンと肩を叩かれ、なにかのメモが書かれた紙を渡される。中に書かれているのは、この街でもよく聞く海産物の名前。
「お使い、行ってきて?」
「…………」
三度目には言葉も出なかった。