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聖霊使いへの道  作者: 雪月葉
セントルイナ大陸編
30/132

これからの私たちは 後編

「やっぱりセレシアじゃない! もう、家にも帰らずこんな所でなにをしているの? 私も母様も、ソラリア姉さまも心配していたのよ?」

 オルフィエス・ルフリア。オルバール家の次女で、現在はルフリア家に嫁いでいる。セイレーシアンの姉であり、やや天然気味な性格の女性である。

 そんな彼女だが魔法使いとしての腕は一級品で、彼女自身もたまにルフリア家の魔法訓練で教鞭を取る程の人材だ。

 セイレーシアンにとっては優しい姉で、一番上のソラリューナ・オルバールよりも好意的な人である。

「お久しぶりです、オリエス姉さま。……実家に帰っていたのですね?」

「ええ、お父様がお怪我をなさったようですからね」

 そう言ったオルフィエスの瞳には非難の色が浮かんでいた。それもそうだろう、オルバール公爵を全治一カ月の怪我を負わせたのがこのセイレーシアン・オルバールなのだから。

「あれはそもそもお父様が言い出したことです。騎士になるなら実力で勝ち取れ、と」

 それで実の父親をタコ殴りにしたのだからこの少女は恐ろしい。ユクレステは身震いしながら彼女の顔を眺めていた。

「まったく貴女は昔からお転婆なんですから……」

 そしてそれをお転婆で済ませるオルフィエス。どうやら少し可笑しいのはセイレーシアンという人物だけでなく、オルバールの人間全てが可笑しいのだろう。

 オルフィエスはそこでようやくユクレステに視線を向けた。

「あら? 貴方は? セレシアのお友達かしら?」

「っと、はい。セイレーシアンさんとは学園時代の友人です。申し遅れました、私はユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。辺境の地、ダーゲシュテンより世界を学ぶために旅をしている者です」

「あらあら、もしかして貴方がダーゲシュテン様のご子息? お噂はかねがね。姉のソラリューナも貴方の論文を大いに評価していましたよ? 特に聖霊言語の翻訳については研究所でも役に立っているとか」

「魔法研究所の若き鬼才に名前を覚えて頂き光栄にございます。私程度の知識で少しでも役に立てるのならば、ご随意にお使い下さい」

「まあまあ、うふふ」

 礼儀正しく一礼する姿に気を良くしたのか、今度はセイレーシアンの格好を見る。普段からは見たこともないようなその服装に、これはただごとではないと感じ取ったのかオルフィエスはセイレーシアンを引っ張って行く。

「オ、オリエス姉さま?」

「少しごめんなさいね? この子、借りて行きますわ」

「えっ? あ、はい」

 少し離れた所まで来て手を放し、顔を寄せて耳打ちをした。

「セレシア、あの子、貴方の彼氏かしら?」

「なっ!?」

 ボーっと突っ立ったユクレステを指差しながら言われたその言葉に、セイレーシアンは一瞬にして顔を赤く染めた。反論しようにもそれを許さない眼光がオルフィエスの瞳に宿っている。

「いい、セレシア。恋は炎よ? オルバールの人間なら例えどんな障害があっても恋の炎を燃え上がらせなさい。見ていて思ったのだけど、貴女、このままでいいとか思っているんじゃないでしょうね?」

「えっ? なんでそれを……」

「笑止よセレシア。そんな生半可な心で恋を成就出来ると思っているんじゃないでしょうね? あまいわ、大あまよ。そんなものオルバール家の恥知らずよ」

 段々と目が据わってくる姉の姿に恐怖しながら、そう言えば、とオルフィエスの学園時代の逸話を思い出す。現在のルフリア家の当主である彼女の夫とオルフィエスは学園時代の先輩後輩の間柄だったのだが、その当時彼は凄くモテていたらしい。それを振り向かせるためにオリエスはたゆまぬ努力をし、時には実力を持って正妻の地位を自分のモノにしたそうだ。

 当時を知る者は一様にオルフィエスに恐怖し、一つの渾名が付けられた。それが、

愛の炎術士(ラブ・フレイマー)……」

「セレシア、聞いていますか?」

「は、はい! もちろん聞いていますオリエス姉さま!」

 如何に騎士隊期待の新人と言えど、この姉に勝てる気がしない。セイレーシアンは素直に首を縦に振った。

 オルフィエスはその動作に満足したのか一つ頷き、優しく諭すように言葉を積み重ねる。

「セレシア、貴女は少し臆病な子です。それは優しいとも言えますが、それだけでは恋愛は勝ち取れません。貴女がなにを思っているのか私には分かりませんが、これだけは分かります。……セレシア、貴女は彼が好きなのですね?」

 真っ直ぐに見詰められた視線は外すことを許さない強さと、どんな言葉も受け入れる優しさを含んでいた。

 少し悩んだ末、セイレーシアンはコクリと、頷いた。

「なら、なにをすべきか分かっていますね?」

「……は、はい」

 カー、と赤くなる彼女の頬をオルフィエスが両手で包み、コツンと額を合わせる。

「頑張ってね、セレシア。私も精一杯応援させてもらうから。じゃないと、ソラリア姉さまみたいに行かずになってしまいますよ」

 身体を放し、少し悪戯っぽく笑みを零す姉を見て、セイレーシアンはなるほどと頷いた。それは決して一番上の姉がいつまでも結婚できないからではなく、オルフィエスが今もまだ恋を続けているのだろうと、そう言った意味での納得だ。

「それではダーゲシュテン様、私はこれで。不出来な妹ではありますが、よろしくお願いします」

「えっ、いえ、こちらこそ。セレシアにはいつも助けてもらっていますから」

 深々と頭を下げられ、ユクレステは焦ってこちらも頭を下げた。ここまで礼を尽くされるようなことはしていないので少々戸惑い気味だ。

「……そう、か。私も、恋をしてるのね」

 去って行く彼女の姿を見て、セイレーシアンも覚悟を決めた。先ほどにはない光を瞳に浮かべ、勇気を出してユクレステに言った。

「ねえ、ユクレ。これからちょっと付き合って欲しいところがあるのだけど……」



 さて彼らを覗く三人組。ユクレステたちが移動するのを見て、彼らも移動を開始した。

 中央区を抜けた先には、エンテリスタ魔術学園がある第七区画。歩を進めながら、こらから彼らが向かう場所に当たりをつける。

「この先は……なるほど、セレシアはあそこでケリを付けるつもりだね」

「あら? あそこ、とはどこなのでしょう?」

「この先には公園があるんです。かなりの広さで、よくユクレやセレシアはそこで互いに腕を磨いてきました。言ってみれば二人の大切な場所、ですね」

「まあまあ! それは確かに告白には打って付けですわね。ふふ、あの子も以外に考えているのですね」

 三人組の後ろからにこやかな声がかけられる。

 …………。

『ってだれ!?』

 いつの間にか増えていた四人目の姿に、ミュウとユゥミィは思わず声を上げてしまった。

「お久しぶりです、アランヤード殿下。それから可愛い魔物さん?」

「ええ、ルフリア夫人。先月振りですね。今日は……妹さんが気になりましたか?」

「ふふ、その通りですわ。あの子は奥手ですもの」

 そこにいたのはつい先ほどまでユクレステたちと話していたオルフィエスその人だった。マリンとアランヤードは元々気付いていたのかあまり驚いていないようだ。

 そんな彼女の姿も元いた三人と同じような格好だった。サングラスは着けておらず、おもちゃのパイプを口に咥えているが。

『あっ、見失っちゃうよ! 早く行こう!』

「そうだね。では行きましょう」

「うふふ、セレシアもようやく覚悟を決めたようでなによりですわ」

 嬉々としてストーカーを再開する三人の姿に、ミュウとユゥミィは苦笑を浮かべていた。



 第七区画、エンテリスタ魔術学園の外れにある公園でユクレステは一人立ち尽くしていた。一緒に来たはずのセイレーシアンは彼を残してどこかに行ってしまった。すぐに戻ると言っていたので特に心配していないが、一人で落ち行く夕日を見るのは少しばかり寂しく思う。

 思えば、こうして一人夕日を見るのも随分と久しぶりに感じた。いつもはマリンがいたし、少し前からはミュウやユゥミィもいた。

 そんなちょっとのマイナス思考を振り払い、数か月前まで住んでいた寮へと視線を向ける。そこから小走りで駆けてくるセイレーシアンを見つけ、柔らかに微笑んだ。

「ユクレっ! ごめんなさい、ちょっと待たせちゃったわね」

「こんなの待ったうちにも入らないよ」

 実際十分と待っていないので当然である。

 ユクレステは夕日に染まった草原くさはらを見渡し、セイレーシアンに疑問した。

「それで、なんでこんなところに?」

「懐かしかったから、かしら。ここは、私が貴方に救われた場所だから」

 もし彼と出会わなければきっと潰れていた。家の期待と、周りの侮蔑できっと心が持たなかった。それを救ったのがユクレステだった。セイレーシアンに新しい道を示し、諦めていた魔法という力を使えるようにしてくれた。

 きっとそれが始まり。

 ユクレステと、自分。それにアランヤードも。彼もまたこの場所から始まった。セイレーシアンにとって、この場所はどんな聖域よりも神聖で、大切な場所なのだ。

 だから、もう一度始めるならこの場所でしかあり得ない。それ以外の場所で彼と新しい関係になれるはずがない。

 スウ、と息を吸い込む。それだけで覚悟が固まるのが分かる。でも、まだ足りない。自分が臆病者なのは知っている。それを吹き飛ばすためにはもう少しの覚悟の形が欲しかった。

「……ユクレ」

「ん?」

 セイレーシアンは片手に持っていたものを放った。それは寸分違わずユクレステの元へと行き、彼の右手に収まる。

 剣だ。

 木で出来た、練習用の木剣。六年間、ここで懸命に振り回していた相棒。

「一手、手合わせ願えるかしら?」

 結局自分は臆病で不器用な人間だ。本能に従ってマリンのようにただ愛する人の側にはいけない。

 なら、ここで決別しよう。過去の弱い私を討ってこれからの私を見出してみせよう。

 それがどちらに思いを運ぶのかは分からないけれど、今のセイレーシアンにはこれしか考え付かなかった。ユクレステのように聡くない、アランヤードのように機転に富んでいる訳ではない。結局自分には、これしかないのだ。

「……俺じゃあセレシアの相手にもならないと思うけどな」

「それでもいいわ。私は、私と貴方、その先を見たいだけだから」

 セイレーシアンの覚悟を読み取ったのか、ユクレステは深く息を吐き出した。それからポケットに忍ばせていた小さな杖を取り出し、遠くへと投げる。

「勝負は……剣だけだろ?」

「……ええ」

 察してくれた。それだけでセイレーシアンは喜びに顔がにやけそうになる。それでもなんとか我慢し、間合いを取るために少し後ろに移動する。

 ざあ、と流れる風にワンピースがはためく。鬱陶しそうにそれを見て、セイレーシアンは一度木剣を地面に突き刺した。

「よい、しょっと」

 パタパタとたなびくワンピースの裾を持ち、力を込めて両に割く。ビリビリ、と絹の割く音が聞こえ、ドレスのような衣服に大きなスリットが出来上がった。次に履いていた靴を脱ぎ捨て、裸足になって草を踏む。

「あーあ、勿体ない。せっかく似合ってたのに」

「いいのよ。あれじゃあ剣が振りにくいもの。私は貴方を過小評価しないわよ?」

「そいつはありがた過ぎて涙が出るよ。まったく、目の毒なのはこっちだってのに」

 ぶつぶつとなにか言っているようだが、今のセイレーシアンには聞こえていない。ただ戦い、勝つことだけを考える。

「それじゃあ、準備はいい?」

「……はあ。いつでも」

 ユクレステは言葉の通りに正眼に剣を構え、鋭く視線をセイレーシアンに送る。その姿に、安堵しながら剣を向ける。

「…………」

「…………」

 合図はない。それでも、この場で何十何百とやってきたことを再現するように、二人はどちらともから動く。


「ハァアアア!!」

「セェエエイ!!」

 深く、鋭く飛来する横からの剣にユクレステは己の剣を差し出して交差させる。互いにぶつかり合った瞬間に剣は離れ、力強く振り落とされる。

「シッ!」

 振り下ろされた剣をいなし、セイレーシアンはくるりと素早く回転しながら横からの攻撃に合わせて距離を取る。そして追撃するように鋭い突きがユクレステへと見舞われた。

「こ、の――」

 剣の腹で突きを逸らし、左足を前に出し振りぬくように逆袈裟に切り上げた。瞬時に首を傾け、木剣がセイレーシアンの頬を掠めていく。攻撃を外しても焦らずそのままぶつかるように肩を押し出し、衝撃と共にセイレーシアンが後方に下がる。その隙を狙い、上段から剣を振り下ろした。

「……」

 カン、と木剣のぶつかり合う音が聞こえ、見るとユクレステの剣とセイレーシアンの剣が交差していた。

「やっぱり、防がれちゃうか」

 割と本気の一撃を軽く防がれてしまい少しばかり凹む。けれどこれも想定内、ユクレステはすぐさま動いた。

「やっ、それ!」

 セイレーシアンが素早い動きで下がり、即座に前へと反転する。それを見越して剣を構え、動きの固まった所へと薙いだ。

「っ!」

 だがそれも空を切る。徐々にスピードが上がって行くセイレーシアンがユクレステの予想の上を行っているのだ。今まで戦ってきたどんな時よりも早く、今まで見てきたものよりも力強い。

 どれだけ剣を振ろうとも当たらず、どれだけ打ち込んでもいなされる。

(あ、これは勝てない)

 今までの彼女を知るが故に、ユクレステはそう結論付けた。今までのセイレーシアンならば五回に一回は勝てた。それはもちろん、彼女の癖を知り尽くしているからの勝利に他ならない。だが今のセイレーシアンは始めてみるセイレーシアンだ。計算し、予測するだけのユクレステに勝てる道理はありはしない。

 攻撃を防がれ、今度はこちらが守勢に回る。その瞬間、ユクレステに勝機はなくなっていた。縦横無尽に振るわれる剣戟に、まるで消えたかのような速度。ただ守るだけで手一杯なのだ。

 このままでは一方的にこちらの負けだろう。

(けど、さ)

 でもそれは出来ない。あれだけの覚悟を持って相対した少女。きっと並々ならぬ覚悟で持って剣を握っているのだろう。ならば、それに報いなければウソになる。

「オ、ォオオオオ――!」

 防御姿勢を無理やり攻撃のそれへと変化させる。突然の無理な動きにユクレステの身体は悲鳴を上げる。それでも止まらず、振るわれる剣を弾いて前に出た。

「これ、でぇええ!!」

 その攻撃はセイレーシアンにとっても予想外のことだったようで、一瞬の隙が生まれた。それを逃さず、彼女へと木剣が向かう――

「――ありがとう」

「あ……」

 だがそれもあっさりと弾かれてしまった。剣を弾かれ、空いた胸元。今度はそこに、セイレーシアンの木剣が吸い込まれて行った。

 直後、凄まじい衝撃とともにユクレステは吹き飛ばされた。

 僅かな浮遊感に、手から離れた木剣が飛んでいる。地面に叩きつけられた時には既に勝敗は決していた。



「あ、気付いた?」

 目を覚ましてユクレステはようやく己が気を失っていたことを理解した。

 目の前にはなぜかセイレーシアンの顔。頭には柔らかな感触がしている。どうやら彼女の膝をマクラとしているのだろう。

「てて……セレシア、手加減なさすぎ」

「言ったでしょう? 私は貴方を過小評価しないって」

「過大評価もしないでいただきたいものですけどね」

 少し拗ねたように言うユクレステに、セイレーシアンは笑いかけた。その笑顔がとても清々しくて、怒る気も失せる。

 だからせめて、意地悪だとは思うがこう問うた。

「セレシア、さ。なんかあった?」

「……どうして?」

「なんとなく。なにか合ったのかなって。長い付き合いだしな、俺たち」

「……そうね」

 自分の中の思いを噛みしめるように言葉を一つ一つ思い浮かべ、セイレーシアンは目を閉じながら言葉を出す。

「私と、貴方。始まりはきっと小さなことの積み重ねだったのよね。貴方と出会って、剣を教えてもらって、魔法も使えるようになって……それから六年、貴方とたくさんの事を共有したわ」

「……」

 彼女の思いに応えるように、ユクレステもまた目を閉じて彼女の言葉を頭に入れる。

「いつまでもこのままがいいと思っても、結局私たちは卒業して、別々の道を行くことになった。私は騎士で、貴方は……今でも目指しているんでしょう? 聖霊使いを」

「ああ。それだけは絶対に変えられない目標だからな」

 なんとも強い言葉だ。それ故に憎らしくも思う。

 もし彼が王宮で働けば、いや、せめてルイーナや彼の故郷にずっといてくれれば自分はこんなにも悩まなかったのに。ああいや、結局悩んだかもしれない。自分は特別臆病なのだから。

「私は貴方の足枷になりたくない。貴方は色んな世界に飛び立つことを望んでいるんだもの。そこに私なんかがいたら、迷惑だものね」

「セレシア……」

「分かってるわよ、こんなの自意識過剰だってことは。でもね、不安なの、私は。貴方の邪魔だけはしたくないから」

 だから足踏みした。前に進めなくてもいい、ずっと彼を追いかけるだけの存在でいたいと。

「でも、今は違う。貴方のことを理解している今は、きっと違う」

 セイレーシアンの赤い瞳から涙が零れ、ユクレステの頬を濡らした。それでも目は開けず、彼女の言葉を聞き続ける。

「ユクレ。いえ、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン様。私は、貴方を愛しています。きっと、だれよりも強く愛したい。それは、足枷になりますか? 邪魔になりますか?」

 愛の告白、なのだろう。彼女の強い思いがヒシヒシと感じられる。

 けれどユクレステは答えられない。そんなこと、()()()()()()()()彼には答えられるはずもないのだ。

「……ふふ、ごめんなさい。ちょっと意地悪だったわね。でも最初に意地悪したのは貴方なんだし、お相子よ?」

 涙を拭き、ぺロと舌を出して微笑んだ。無言の肯定をしたというのに、彼女はそれでも微笑んでいた。

 だから訝しみ、ユクレステは瞳を開く。

「セレシア、君はどう思ってる? 俺なんかを好きになって、後悔したんじゃないか? いや、俺と出会って、後悔したか?」

「……はぁ、ユクレって時々凄いバカよね? 頭は良いはずなのに、本当、バカ」

 ぺし、とユクレステの額を手の平で叩いた。パチクリと目を瞬かせる彼を無視して、セイレーシアンは笑顔で持って彼の問いに答えた。

「後悔する訳ないじゃない。私は貴方を好いて、出会えて、この世に生まれた幸運を全部使い果たしたと思ってるくらいなんだから。だからいい? そんなバカなこと、今後一切言わないで。今度言ったらその口縫い合わせるわよ?」

「りょ、了解」

 半目で睨んでくる彼女の顔はかなり本気だった。

 膝枕から立ち上がり、ユクレステは夕日に照らされるセイレーシアンを見る。地平線に沈みかけた赤い光が、オルバールの赤毛をルビーのように輝かせていた。

「ユクレ」

 そんな一つの宝石が、再度ユクレステへと声をかけた。その声は極自然で、そしてなによりも強い力が込められている。

「もう一度言わせて? 私は、ユクレが好き。優しくて、冷たくて、嫉妬深くて、そして私たちのことを真剣に考えてくれる貴方が大好き。きっとこれ以上の感情はこの先見つからないと思う」

「……そう、か」

 どう答えればいいのかユクレステには分からなかった。彼女の心は分かっていたはずなのに、いざこうして口に出されると戸惑いばかりでなにも言えずにいる。

 彼女は自分を臆病者と称したが、それはウソだ。こんなにしっかりと口に出せる彼女が臆病なはずがないではないか。

 カラカラの喉を必死に動かし、声を出す――それより早く、セイレーシアンがうたうように発した。

「でもね、私じゃあユクレには付いていけない。貴方の夢を一緒に追えないと思う。だから――」

 うただ。これは言葉ではない、ただ己の心を表現するだけのうた。一方的で最後の言葉を聞くまで返答を許さない、ズルい言葉遊び。反して返事を欲するズルい願い歌。

 心で決めた詩を歌う。自分の心に決めた願いを歌う。


 私の心が彼に届きますように。


「私が貴方の帰りを待つ家になっていいですか? どれだけ遠くに行っても良い、どれだけ時間をかけても構わない。だから、貴方が帰ってきた時、一番に貴方の胸に飛び込んでも、良いですか?」

 頬が紅潮する。あまりの緊張に震えが止まらない。瞳からは涙が零れ落ちる。

 それでも言い切った。言ってやった。ズルい詩を紡いでやった。

「……ユクレ」

 潤んだ目で彼を見る。返歌を望み、ただ見つめる。


 そんな彼女の姿が赤に染まり、そして夜の闇に染まって行く。その変化を見終え、ユクレステは観念したように心の中で息を吐いた。

 赤い髪と同じように頬まで赤くした少女の言葉に響かない男はいないだろう。少なくとも、ユクレステはこの瞬間、完全に落ちていた。

 自分は二の次でいい、貴方の夢を終えて、帰ってきたのならイの一番に胸を貸して欲しいのだと。バカみたいに自分を優先してくれる女性に、どうして拒絶出来ようか。

(ホント、セレシアってバカだよな。ま、それは俺もなんだろうけどさ)

 直情バカというか、なんにでも一直線な心根。こんな風に言われては、よりバカな自分は答えずにはいられないじゃないか。

「セレシア」

「……っ!」

 ユクレステの言葉に震える。

「なんて言うかさ、セレシアって…………バカだよな?」

 言う言葉が見つからずつい心の中の言葉を口にしてしまう。それでも怒ることせず、セイレーシアンはジッと彼の言葉を待っていた。

「あー、違う違う、そうじゃなくて! まったく俺って奴は……。あのさ、セレシア。俺の夢って途方もないバカが目指す夢だと思うんだ。聖霊使いになって、秘匿大陸に渡る。それが俺の夢」

 学生時代に何度も聞いたユクレステの夢。周りの人間はその夢をバカにしていた。けれど、セイレーシアンにはそんなことは出来なかった。

「知ってるわ。ユクレはずっと、そのためだけに努力してきたもの」

 魔法を覚えたのも聖霊について知るため。ここ(ルイーナ)に来たのも、聖霊言語を学ぶため。そんな昔から努力を続けるユクレステをバカになど出来るはずがなかった。

 セイレーシアンの言葉に嬉しそうにはにかんだ。

「……ありがとな。で、さ。そんな俺だからあちこち旅して、()に帰るのはきっと遅くなるだろうし、もしかしたら帰れない日もあるかもしれない」

「うん」

 真剣な表情のユクレステに、セイレーシアンは頷き返す。彼女の行動を瞳に入れ、ユクレステは意を決して言葉を吐き出した。

「それでも、もし……」

 全く以て、恐れ入る。

 ただ一言発するだけで心臓が破裂しそうだ。それを先に言い切った彼女に心からの称賛を送りたい。

 セイレーシアンをまっすぐ見つめ、緊張した笑みのままで言葉を喉の奥から必死に押し出した。


「もし、俺の帰りを待つ家でいてくれるなら……俺は絶対に家に帰れると思う。だってそうだろ? 胸に抱く人がそこに居てくれるんだから」

「――っ!!」

 セイレーシアンが手で口元を覆う。なんて言えばいいのか分からず、ただひたすらに震える体に激を入れる。

「だから、セイレーシアン・オルバール。君は俺の家に……枷になってくれるか? もしそうなら……えぇと、凄く嬉しい、かな」

 最後の方は尻すぼみになっていってしまったが、ユクレステの言葉は確かにセイレーシアンに届いていた。それは、彼女の表情を見れば明らかだろう。

「ユク……レ……わ、私……」

 ポロポロポロポロと流れる涙は止まらず、声も思うように出てこない。返歌の返事をしたい。けれど、声にならない。焦る彼女を受け入れるように、ユクレステが彼女の元へと一歩踏み出した。

「まずは、その……最初の一番」

 その勢いのまま、彼女を自分の胸元へと引き寄せた。背が同じくらいなため胸元というよりは普通に抱きしめた感じになってしまったが、それでも構わないのだろう。セイレーシアンは涙を隠すことなくユクレステを抱きしめた。

「ありがとう、セレシア」

「う、あ……ゆくれぇ……!」

 そうして、夜の帳が下りた公園で二人の男女が抱き合っていた。


「ご、ごめんなさい……」

「ん、別に謝るようなことはしてないだろ? むしろこっちの我がままに突き合わせることになる訳だし、こっちが謝るべきかなと思うんだど」

 しばらく泣きじゃくっていたセイレーシアンが泣き止み、照れたようにユクレステを見つめていた。

「ふふ、そんなことはないわよ。本当は諦めようと思ってたんだもの。受け入れてもらえて、これ以上ないくらい幸せよ?」

「……そっか。やっぱりセレシアはバカだよな。探せば俺よりいい男なんてたくさんいるだろうに」

「あら、そう思う貴方の方がバカよ。貴方以上に私が望む人がいるはずないでしょう?」

「……さいですか」

 セイレーシアンの言葉に顔を赤くして答えるユクレステ。からかおうとして逆にからかわれた結果になり、若干悔しそうだ。

「それじゃあ帰ろうか。明後日にはルイーナを発つし、少し休みたいしな」

「随分早いのね? まあいいわ。少し寂しいけど、貴方の帰る場所を作るのが私の仕事だもの。ふふん、あの腹黒人魚の言うとおりにはならなかったわ。ざまぁ見なさい」

 相変わらず仲の悪い二人に苦笑し、ユクレステはチラリと木の影を見る。そして声を上げた。

「だってさ。このことについてマリン、なにかコメントを」

「えっ!?」

 だれかに向けられた言葉は木の裏にまで浸透し、数秒経ってなにかの動く気配がした。次いで少女の声が聞こえてくる。

『えっとー、まあメスにはならなかったみたいだけど落とせたみたいだし私的にはまあオーケー? みたいな?』

 最初に出てきたミュウが恐々と青い宝石をセイレーシアンに手渡した。それに続くように三人の姿が現れる。

「アラン、それにオリエス姉さままで。……一体なにをしていたのかしら?」

「い、いや別になにも……! き、奇遇じゃないか! 私たちはちょっと彼らの案内をだね……」

「セレシア、違うのよ? 私は偶々、そう偶々ここに立ち寄っただけであって、貴女の恋の炎が燃え上がるのを見に来た訳じゃないの! 信じてマイシスター!」

 地獄の底から響くような声に姉であるオルフィエスまでもが震えている。ミュウとユゥミィはユクレステによって避難が完了しており、彼の隣で涙目になって事の成り行きを見守っていた。

「そう、奇遇で、偶々なの。そうなの」

『そ、そうとも! ホント偶然だよねー!』

「…………」

『ちょっ、待って待って! この宝石うちの家宝だから! 人魚族にとって至宝だから壊さないでー!』

 宝石を握り潰そうと力を込めるセイレーシアン。マリンが涙目で制止するが止まる気配は無い。その隙をついてソロリソロリとその場を抜け出そうとするアランヤードとオルフィエスだが、

「どこへ、行こうと言うのですか? アランヤード王子、オルフィエス姉さま?」

「ひぃ!? い、いや別に逃げようなどとは……」

「あ、私帰ってあの人にご飯を作ってあげないと……」

 残念ながら、今のセイレーシアンからは逃げられない。木剣に剣気が注がれるのを見て、ユクレステはミュウたちと一緒に彼女たちから顔を背けた。

「二人とも、聞いてた通り明後日にはここを発つから。そのつもりでね」

「は、はい……。あの、これ」

「あ、俺の杖。拾ってくれたんだ。サンキュー」

「それにしても主、先ほどの戦闘は凄かったぞ。あのセレシア殿とあれだけ打ち合えるとは、正直驚いた」

「そう? でもまあ結局手も足もでなかったけどな。ユゥミィだって鍛えれば俺くらいにはなれるんだし、頑張ろうな」

 阿鼻叫喚な背後の音声を完全にシャットダウンし、ユクレステはミュウたちとおしゃべりに花を咲かせるのだった。


「逃がさないわよ? お父様よりもボコボコにしてあげるから、覚悟なさい!」

『ふ、振り回さないでぇええぇえぇえええ!?』

「セレシア落ちつくんだ! 仮にも私は王子、手を上げるのはいかがなものかとぉおおお!」

「あら、セレシアどうしたの? 可愛いお洋服きて人形遊び? ふふ、そうよね? 私の妹は剣なんか握らないか弱い女の子だものね、お転婆さんなんかじゃないわよね。うふふふふふふふふふ」

 後ろで聞こえる叫び声が激しさを増した気がするが、そういうのもひっくるめて、無視しておくとしよう。



 それから二日後。第八区画にある川港にユクレステたちの姿があった。すっかり旅支度を終え、荷物を背に船着き場でアランヤードたちと話しこんでいる。

「それじゃあ、色々とありがとな。アラン、それにセレシア」

「はは、構わないよ。君たちといた一週間、私からしても忘れられない時間を過ごせた。礼を言うのは、こっちの方さ」

「そう言ってくれると、助かるよ」

「あの、ありがとうございました。楽しかった、です」

「うむ、セレシア殿には稽古をつけて頂けて助かった。いずれ本物の騎士となってまた剣を交えることが出来るように精進するつもりだ」

「そう、楽しみにしているわ。貴方たちが強くなることを、ね?」

 ユクレステ両隣にいるミュウとユゥミィも思い思いに感謝を述べている。

 ガシャンと重たい荷物を軽々持つミュウが先に船に乗り込み、新しく剣を貰ったユゥミィが意気揚々と続いて行く。そんな中、久しぶりにユクレステの首に下げられた宝石が光を放ちマリンの言葉を吐き出した。

『……セレシアちゃん、ありがと』

「……うわ、今鳥肌立ったんだけど。どう責任取ってくれるわけ?」

『ヒドイ! 素直に感謝したらとんでもなく貶された! これはギルティだよ!』

「冗談に決まってるでしょう? うるさいわね、さえずらないで」

『ムキー!』

 この二人も相変わらず仲が悪いままだが、なにか思う所があるのか時折こうして話す姿が見かけられる。まあ、大半は口喧嘩をしているのだが。

 二人の言い争いをバックに、ユクレステは親友へと向き直った。

「やれやれ……。それで、行き先はダーゲシュテンだったっけ? 久し振りの実家だね。ゆっくり休養を取るといい」

「はは、そうなれば良いんだけどさ。帰れば帰ったでリューナもいるし、一日中のんびり出来ることってないと思うんだよ。またあの地獄の特訓が始まるかと思うと……ぶるる」

「は、はは……まあ、頑張りたまえ。影ながら応援しているからさ」

「……あんがと」

 疲れたような顔でアランヤードと握手をする。と、そこで女性の声が響いた。

『間もなくダーゲシュテン行きの船が出港します。お乗りの方はお急ぎ下さるよう、お願い致します。繰り返します――』

「っと、そろそろみたいだな。アラン、セレシア、本当にありがとう。また合える日を楽しみにしているよ」

「ふふ、それは私も同じさ。君との語らい、どんな蜜月よりも楽しかったよ」

 ニッコリと微笑むアランヤードの笑顔は同性でも見とれるくらいに美しかった。

 そしてもう一人の少女も微笑みながら別れの挨拶を口にする。

「ユクレ、行ってらっしゃい。私、待ってるから。貴方がまた戻ってきてくれることを」

「当たり前だよ。なんたって、セレシアは俺の帰るべき家、なんだろ?」

「う、うん!」

 少し恥ずかしそうに頬を染めながら、嬉しそうに頷いた。

 彼らに背を向け、船に乗ろうと歩を進める。その時、

「ユクレ!」

「えっ?」

 後ろから掛けられた少女の声に振り向いた。


「ん――」

「むっ――!?」


 眼前いっぱいにセイレーシアンの顔が迫っていた。腕をユクレステの背に回し、ガッシリと抱きしめ、自分の唇をユクレステのそれへと押し当てていた。

 ただ触れるだけの不器用なキス。口の端から甘い吐息が漏れ、驚きに固まっているユクレステにはどうすることも出来ない。

 後ろではミュウが顔を真っ赤に染め、ユゥミィが興味深そうに眺めている。胸元からはマリンの感心したような声が聞こえるが、今のユクレステに気付けと言う方が酷だろう。


 数秒だけのはずが永遠とも思え、唇を放した時にはユクレステの頭は上手く機能していなかった。

 その間にセイレーシアンがユクレステを押して船に乗せ、自分は急いで港に戻る。そして、

「行ってらっしゃい! ユクレ!」

 弾けんばかりの笑みで見送ってくれた。

 その笑顔を見てようやく意識を取り戻したユクレステは、真っ赤な顔のまま大きく手を振ってそれに応えた。

「ああ! 行ってくるよ、セレシア!」


 遠ざかる中二人は大きく手を振り続け、互いの姿が見えなくなるとどちらもそっと自分の唇に指で触れた。


「頑張りなさいよ、ユクレ」

「頑張るとも、セレシア」


 その言葉が交わされるまでの少しの間、二人は別の道を行くのだ。

 お約束通り近々更新出来ました!

 いえ、こんなに長くなると思ってなくて前編含めて八割完成していたんですよね、ええ。まさか分ける羽目になるとは……。

 とにかくこれにてルイーナ国編は終了。次の舞台はユクレステの故郷、海と山の街ダーゲシュテン。いやー、ようやく久しぶりにとあるキャラとかも出せそうです。楽しみです!

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