家の妖精
ミーナ族。
中央大陸、『セントルイナ』に数多く生息する魔物の一種である。多くは森などに済み、一部ではエルフの近似種ではないかと言われている。しかしその全てが森に暮らしているわけではなく、人間のいる町や村で生活を営んでいるミーナ族も多い。
そんな彼らの仕事は、基本的に家事手伝い。彼らは真面目で、よく働き、さらに手先も器用なため、簡単な家事から、王侯貴族の従者も務めていた。
『最も人間と友好的な魔物』
それが、彼らミーナ族の通称でもあった。
『ったく、マジで使えねぇ! 珍しいミーナ族だから買ったってのに、まともに家事すら出来ねーのかよ!』
『ご、ごめんなさい! ごめんなさい!』
怒鳴り散らす己の主の言葉に、少女は尖った耳まで震えさせて何度も何度も頭を下げた。ボサボサの黒髪はあちらこちらに跳ね、買い与えられたボロ布の服の裾をギュッと握りしめる。
『あーもう、いいやオマエ。出てけよ。クビ、解雇。二度とうちの敷居を跨ぐな』
『そ、そんな……ここを出て行ったらわたし、どうすればいいのか……』
『ああ? 知るかよそんなん! 無駄飯食らいはいらねーんだよ! 好事家に売っ払われないだけありがたく思えや!』
『お願いします! 次は失敗しません、だから! だからどうか捨てないで下さい!』
『あー鬱陶しい! 汚い手で触んな!』
罵声を浴びせ続ける主に向かって必死に懇願する。しかし伸ばされた手はいとも容易く払われる。
『なんだ、異常種だって言っても所詮はミーナ族か。対して強くもなんともないんだな』
『…………申し訳、ありません』
『ああいいよもう。何回その言葉を聞いたことやら。まったく、魔物を捕まえたのはいいが、大して使えないし、どうしようか』
何度目かの主に対して、少女は諦めに瞳を閉じていた。今までにも何度かこのようなやり取りはあったのだ。その結果は、
『……もういいか。お前、どっか行っていいぞ。戦いにも使えない、家事も出来ないミーナ族じゃあ価値なんかない。森にでも帰ればいいんじゃないか?』
捨てる。
分かっていたことだ。こうなることは、既に予測済み。
去って行く元主。それに付き従う三匹の風狼。
思う。なぜ、自分は普通とは違うのか。なぜ、捨てると分かって自分と契約するのか。
それはきっと、この黒髪のせいなのだろう。他のミーナ族とは違う、黒い髪。そのせいで、生まれた里でも奇異の目で見られてきたのだ。
そして今回、一つの単語を耳にした。『異常種』。きっとこれが、自分を不幸にしている原因なのだろう。
だがそれを知ってどうだと言うのだ。生まれ持ったものは変えられない。容姿などは特にそれが顕著だ。いっそ髪を切ってしまおうかとも思った。流石に止めたが。
結局、理由は分かっても解決策などあるはずもない。
『…………』
当てもなく足を動かし、ようやく止まる。ふと顔を上げれば彼女の眼前には広大な湖が広がっていた。
『……綺麗』
ちゃぷ、と音がする。知らずのうちに湖に足を入れていたようだ。擦り切れた靴を脱ぎ捨て、奥へ奥へと足を動かす。
『気持ち、いい……』
太ももまで沈み、腰まで沈み、胸まで沈み。ついに頭のてっ辺が湖に沈んだ。それでも彼女は呼吸を繰り返す。魔法によるものなのだろうが、このような使い方を習った覚えはない。恐らく、天性の才があったのだろう。
けれどそんなこと、今の彼女には少しの慰めにもならない。
脚を折りたたみ、猫が布団に包まるように体を丸め、漂う。水が導くように、彼女の道を作っていく。
静かな湖の中で、一層孤独を強く感じる。そこではたと、気付いた。
『だれもがわたしを必要としないのなら、全てを拒絶して消えてしまえばいいのではないか』
不思議とそれが最善なのだと思考する。そしてそれを行うだけの力が彼女には、異常種である彼女にはあった。
後は、簡単。
まずは心を守るための玉座を作った。玉座と言っても、彼女にとっての玉座は無愛想なほどに広い四角い部屋。どこからも入れないように、入口を持たない部屋。
次に迷路のような回廊を張り巡らせた。長く、短く、広く、狭く。それは決して玉座にたどり着くことが出来ないように、必死に考えて作り出した。
最後に侵入出来ないように建物の周りに罠を作った。彼女の知識では立派な罠は作れなかったが、それでも所狭しと設置された罠を掻い潜って侵入することは容易ではないだろう。
『…………』
それらを作り出し、少女は玉座に鎮座する。脚を抱え、丸まって瞳を閉じる。なにもない四角い空間で、自分の呼吸の音しか聞こえない。
それは、なんて――
『……しず、か』
少女はそれで満足した。この世界には自分しかいなく、自分を否定するような存在はいない。これからも入ってくることはないだろう。
そう考えると、少女は嬉しくなって僅かに口元を緩めた。
後は、眠ろう。自分が消えてなくなるその時まで、ゆっくり静かに、眠ってしまおう。
『……おやすみ、なさい』
そうして少女の意識が消える頃、迷いの森の湖にて、一つの壮大な神殿が創り上げられた。
******
意識が浮上する。今まで水の中にいたのだから浮上という言葉は比喩とかでもないんだろうな、とぼーっとする頭で思考した。
「……。――っ!?」
そこまで考え、急激に頭の中がクリアになる。今自分はどうなっているのかを考え、目を開く。横になっていた自分の体を起こし、視界の端に自身の黒い髪が舞っているのを見つけた。それから周囲を見渡す。
だれもいない。場所は湖がすぐ側にあることから、大して場所は移動していないのだろう。
次に頭に浮かんだのは、意識が落ちるより前の出来事。
あれは確か湖に潜って……いや、そうではなかった。その後、なにかがあったのではなかったか。
少女は混乱した頭で必死に思い出す。
「あ、起きたんだ?」
「ひゃ!」
思考に没頭していたため周囲への気配りが疎かになっていたようだ。湖水面から顔を出している少女が一人。綺麗な金色の髪を後ろで結い、胸には布生地が巻かれている。
「や、おはよう。元気?」
笑いながら話しかけ、よっと軽い声を上げて岩の上へと飛び乗った。
「に、人魚?」
陽の光に照らされ、その少女の全身が姿を見せた。腰より上は先ほど述べた通りだが、それより下は大よそ人間という種ではありえない姿をしている。翡翠色の鱗を持った、魚の半身。人魚と呼ばれる魔物の姿。おとぎ話では常連になっている魔物が目の前に姿を見せていた。
驚いた表情の少女を尻目に、マリンは苦笑しながら森の奥へと視線を向けた。
(うーん、この子起きちゃったけど、マスターどこ行った? ま、十中八九迷ってるんだとは思うけど)
ミーナ族の少女との戦闘から、既に二時間は経っている。その間、彼女を仲間にしたいと言っていたユクレステはなにか食べ物を取って来ると言って森へと入って行ったのだ。この場所がなんと呼ばれているか、それすらも忘れて。
とは言え、あれでユクレステも魔法使いだ。こういった五感を惑わすような場所は、得意とは言わずも一般の人よりは慣れているはずだ。もう少しすれば戻って来るだろう。
「うん、噂をすればなんとやら……」
「え?」
「あ、なんでもないよー」
ポソリと言った言葉が耳に届いたようだ。伊達に耳が尖っている訳ではないのだろうか。
マリンは曖昧に微笑みながら、再度森を見た。少女もつられてそちらに視線を移す。
「や、やっと帰って来れたー!」
そこには、着ている服がボロボロになった自称魔物使いの少年が、大量の果物を抱えて立っていた。
「ひっ!」
その姿に驚いたのか、はたまた恐怖を感じたのか、ミーナ族の少女は息を飲む。
「お? あ、起きてたのか。大丈夫だよー俺怖くないよー」
「ひゃい!?」
「ストップストップ! 流石にそんなグールみたいな顔色で迫られれば普通に怖いから、取りあえずマスターこっち来て」
はたと自分の姿を省みる。長時間迷い、魔物の襲来に逃げていた自身の体は、お世辞にも綺麗とは言えない。さらにげっそりと頬のこけた顔はゾンビも裸足で逃げ出しそうだ。こんな幽鬼が手招きしているような姿は流石に恐怖の対象に見えるだろう。マリンの言葉に従い、水辺に近づく。
「んじゃ、まずは綺麗にするよ? ほいっと」
人差し指を軽く振り、水を操って大きな球状にする。それをユクレステの頭上に持っていき、操作を切った。
「ごぼばっ!?」
そうすると当然のように形が崩れ、滝のように降り注いだ。
落ち切った水は湖へと流れ込み、ユクレステも同様に引き込まれる。必死に両腕を動かして岸辺に這い上がり、睨みつけるようにマリンへと視線を向けた。
「こ、殺す気ですかよ!?」
「あはは、綺麗にしてあげただけじゃーん」
実行犯は軽く笑いながら逃げるように水中へと消えて行く。
「ったくもう、あいつは本当に……」
ぶつぶつ文句を言いながら落ちている果物を拾い上げ、こちらを恐々と眺めている少女へと近寄った。
「おはよう、起きたみたいで安心したよ。あいつはあれで手加減とか苦手だからさ。まったく困ったもんだ。あ、そうだ。お腹空いてない? 果物でよければどうぞ」
赤く熟れたリンゴの実を無理やり押し付け、自分はもう一つの果物を口へと運ぶ。シャリ、と一口。甘酸っぱい味が口の中に広がり、今までの苦労が報われた気がした。
「いやー参ったよ。迷いの森だってことすっかり忘れててさ、もー迷いに迷っちゃうし間違って魔物の縄張りに踏み込んじゃうし。そのせいで一時間以上も追いかけっこする羽目になっちゃってさ」
けらけらと笑いながら言うユクレステ。それでも警戒心が解けることはなく、少女は睨むように見つめながら僅かに距離を取った。
「あ、えーっと……別に変なことしないよ? いやまあ、無理やり引きずり出したのを変なことと言われると困っちゃうけど」
警戒されているのは分かるが、こうもあからさまな態度に若干落ち込んでしまう。
少しの沈黙の後、少女は静かに口を開く。疑問は他にもたくさんあったが、咄嗟に出てきたのは、一つの問いかけだけだった。
「あなたは、なんですか?」
質問の意図は分かる。おまえは一体何者で、どういった理由でここにいるのか。彼女の知りたいことはきっとこの辺りなのだろう。なにせユクレステは彼女とは初対面であり、話したこともなければ彼女の今までを知っている訳ではない。そんな相手に対して名と正体を聞くというのはなにも可笑しなことではない。
だからこそ、どう答えようか迷ってしまう。
(素直に答えるべきか、それとも当たり障りなく答えるか……少なくとも、神殿創るくらいに他人嫌いなわけだし……)
彼女がどういった人生(魔生?)を過ごしてきたかは分からないが、きっと辛いことの連続だったのだろう。異常種である以上、腫れもののように扱われただろうし、見世物同然に見られたかもしれない。魔物使いと契約し、捨てられたのだとすれば今ここで魔物使いを名乗るのは地雷ではないだろうか。
もちろん、魔物使いを公言するものはほとんどいないが、魔物を仲間にしている人は少なからず存在する。そんな人物に出会い、契約し、そして捨てられた過去があるとしたら、今ここで彼女はユクレステを敵と見なすことも十分に有り得る。
「えっと、俺は――」
だが、だからと言って偽ればすぐに嘘が露呈する。それが彼女にとって致命的な嘘であれば、もはや彼女を仲間になど出来ようはずがない。
故に――
「俺はユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。ダーゲシュテン領出身で職業は魔法使い兼魔物使いだ」
自身が可能な限りの情報を提示する。
キッパリと言い放った外見とは裏腹に、内心はドッキドキであった。
「魔物使い……」
悠然と放ったとある言葉に反応し、その言葉を反芻するように呟く。同時に、彼女の表情に一つの感情が貼りついた。
それはユクレステが危惧したような、怒りの感情でも、哀しみの感情でもなかった。言葉に表すならば、諦観。諦めと言う言葉が、一番相応しいと思えた。
「わたしと、契約するんですか?」
「えっと、一応出来たらいいなぁ、なんて思ってるんだけど……」
どうにも思った反応と違う。やり難さからか、しどろもどろに言葉を続ける。
「あ、いやどうしてもって訳じゃないし、嫌なら嫌で構わないし、すぐに返事を下さいとかそういうのもないから少し考えてからでも……あ、せっかくだしお試し的に一度契約してみたりする? ほら、うちの環境知ってもらうって言うか、お金は……そんなに持ってないけどクエストで幾らか稼いでるし迷いの森に生えてる薬草を持ってけば今登録してるクエスト完了するし少しくらい奮発してご飯なんかどう?」
「うわぁ、またマスターがヘタレた。それはそれとして私おいしいスイーツのお店知ってるんだけど?」
うっさいのですよ、不良人魚。一人で歩いて行け。歩けるもんならな!
とりあえず落ち着こう、と一呼吸いれる。
「というわけで、どうかな?」
なにがどうなのか、第三者的には1㎜も理解できないのだが。それでも言ったったぞ、と言わんばかりのしたり顔に、某人魚さんは少しイラッとした。
沈黙が一秒二秒。
「あ、えっと……取りあえず果物でも食べ――」
「分かりました」
「ようか、って……え?」
またもヘタレるその前に、ジッと見つめる瞳で少女は頷いた。黒い瞳はどす黒く濁っており、少女らしからぬ深い闇に背筋に冷たいものが走る。
彼女の言葉の意味を理解し、思わず落としてしまったリンゴに目もくれず、ユクレステはズイと詰め寄った。
「え、え? いいの? 俺の仲間になってくれるって、マジで?」
「別に、いいです。どうせあなたも、ただの物珍しさから言ってるのでしょう?」
その言葉に、今度は別の意味で固まった。
「ミーナ族とは違う色だ、珍しい、だから攫う。ミーナ族とは違う色だ、珍しい、だから買う。ミーナ族とは違う、異常種だ、だから契約する。
みんなそう言っていました。最後に言う言葉も同じです。使えない、だから――捨てる」
深い瞳から怒りは感じない。憎しみも、感じない。彼女の瞳からは、諦めしか感じることが出来ない。
「もう慣れました。使えないと罵倒されるのも、捨てられて、一人で森を彷徨うのも。それでも、少しすれば物珍しさからわたしを捕まえるんです。そして最後には、また捨てられる」
ツ、と彼女と視線が絡まった。
「あなたは、わたしの、どこを見てますか? 異常種だからですか? それとも――」
「簡単だよ、そんなん」
「わたしが……え?」
自虐的に嗤う少女を真っ向から見据え、瞳から目を逸らさず、答える。
「俺がおまえを仲間にしたいと思ったからだ。言わばこう……フィーリングってやつだな」
ユクレステにとって、異常種とは別に深い意味を持たない。珍しい、とは思うがそこまでだ。彼にとってみればまだまだ知らない魔物なんて指が百あっても数え切れないだろう。それなのに一々、普通とは少し違うからと言って驚いていたらキリがない。
「おまえの噂を聞いたんだ。神殿を創る魔物がいるって。そんなの聞いたら会ってみたいと思うだろ? 仲間にしたいって思うだろ?」
「……えっ? あの、それだけ? 噂で聞いて……それだけ? もしわたしがなんの変哲もないミーナ族だったら、どうしてたの?」
「えっ? 普通に仲間に勧誘してたけど?」
なんでもないように言い放ち、小首をかしげる。
「大体、俺は聖霊使いになる男だぞ? そんな小さなことを一々気にしてられるかって」
ふんぞり返るように胸をはり、ニヤリと笑う。
「聖霊、使い?」
物語として聞いたことのある言葉だ。魔物を従え、精霊を従え、神すらも従えた、伝説の存在。そんな、有り得ないような存在だ。目の前の少年は、それになると豪語する。
「ああ! 今はしょぼい仲間が一人しかいないけど、いずれは精霊だって契約してみせる。そのためには、仲間が必要なんだ。おまえみたいに強いやつがさ!」
「マスター今なんつった?」
「だからほら、仲間になろうぜ!?」
マリンの冷たい視線を必死に無視しながら、キラリと歯を光らせサムズアップ。額に脂汗が流れているのは恐怖故だろうか。怖いならわざわざ言わなければいいと思うのだが、うっかり口が滑ってしまうのがユクレステの悪い癖だ。
「わ、わたしは……わたしは強くないですよ? 不器用で、家事だってまともに出来ないし……きっと、あなたもわたしを捨てますよ?」
「いーや、それは絶対にあり得ない」
弱い拒絶を払いのけ、ユクレステは少女の不安を一蹴する。
「俺ってば結構独占欲強くてさ。一度仲間にした奴はなにがあっても手放す気ないんだよね」
「あーそうだね、マスターってば確かにそういう人だよねー」
出会った頃を思い出したのか、マリンは懐かしそうに瞳を細めた。
唖然とするミーナ族の少女をよそに、ユクレステは言った。
「弱ければ俺が強くする。家事だって、俺も苦手だから一緒に上手くなればいい。その代わり――」
言葉を区切る。僅かに出来た間に、喉を鳴らす音が聞こえた。
「おまえは俺と一緒に聖霊使いを目指してくれ。そうすれば、異常種だってことが興味の対象から失せるさ。なにせ、おまえは聖霊使いの仲間って肩書きになるんだから」
「聖霊使いの、仲間……」
確かに、そんな肩書きを得ることが出来たならば――
これがただの夢想だとは理解している。けれど、少しくらい夢を見てもいいのではないか。そう思ってしまう。
「…………分かり、ました」
震える息を吐き出し、瞑目する。
覚悟を決めた。目を、開く。
「自身は、ないです。いらなければ、切り捨てて下さい。それでよければ、わたしを……仲間と思ってくれますか?」
少なくとも、彼女の目から見てこの少年の覚悟は本物だった。本気で聖霊使いを目指すと言葉にした。自分を受け入れるかはまだ分からないが、契約を行うことに拒絶する心は浮かばない。
ならば、もう一度試してみてもいいのではないだろうか。
それが果たして彼に対してなのか、自分に対してなのかは分からないが。
「ああ、当然だろ!」
悶々とした思考を払ってくれるように、ユクレステは大きく了承の言葉で返した。
「それじゃあ一応、契約しようと思うんだけど……契約ってしたことある?」
「はい、一応は。首輪を着けました」
「あー、そっちかー」
魔物との契約方法はいくつかの方法がある。最も簡単なものは、契約魔法が掛けられた品物を魔物に身に着けさせるというものだ。獣型の魔物(魔獣)に着けさせる首輪からアクセサリーのようなものまである。彼女の言う首輪というのも、恐らくその魔獣用のものが余っていたのだろう。まあ、中には人型の魔物に好んで首輪を着けさせるような人種もいるにはいるのだが、それは当人の健全な趣味の領域なのでとやかくは言わないでおこう。
「俺はほら、魔法使いだから物を使っての契約はしないんだよ。契約魔法を直に使ってするんだ」
「はあ……あの、なにが違うのですか?」
もう一つの契約方法。それは、先の契約魔法を直接魔物にかけることだ。この際、二つに大した違いはない。強いて言えば、物を身に着けなくても別に構わないことと、契約した際に紋章が魔物の体に刻まれるということだろうか。
「刺青みたいになるんだけど、そんなに目立つようなものじゃないし……こういうのは直接見た方がいいか。おーい、マリン」
「はいよー」
「悪いんだけどおまえの紋章、見せてやってくれないか?」
「ん、いいよー」
ぷかぷかと漂っていたマリンを呼び寄せ、彼女に施した契約魔法の紋章を見せてもらうことにした。マリンは腕を組むようにして豊満な胸を押し上げる。
「ひっ!」
その凄まじい戦力差に、少女は思わず慄いた。彼我の戦力差は倍以上。発育に少々難のある彼女では、圧倒的な質量のマリンに立ち向かうことさえ出来ないだろう。なんとも恐ろしい。
「いやいや、その反応はすっごく傷つくんだけど……」
「いや、流石になにも知らない相手にそんな風に迫ればそうなるって……あー、見て欲しいのはここなんだよ」
呆れた顔のマスターが魔物の右胸を指で差す。球の若干外よりの場所に、刺青のような跡がある。
「え……あ、これですか?」
「そうそう、それがマスターの契約紋章」
コホン、と気を取り直して紋章を見せる。3㎝程の紋章で、星と花びらが合わさったような形をしている。
「場所は別にどこでもいいんだ。大きさは大体これくらい。半年に一度、契約魔法のかけ直しをするからその時に場所を変えることも出来るな」
物の場合、一流の魔法使いが契約魔法を付与しているため、買い替え時期はもっと遅く、大体十年に一度買い替えればいいだろう。しかし直接となるとそれは契約魔法を使用する魔法使いの力量に左右されるため、ユクレステの場合は半年が限度なのだ。特に、今回の場合は使いなれたMy杖ではないため、それよりももう少し早いかもしれない。面倒この上ないため、魔法使いであろうと物を買い込むのが普通である。ではなぜそうしないかと言えば……。
「なぜなのですか?」
「あー、勿体ないから」
生来の貧乏性が一番の原因なのだろう。
まあ、自分で魔法をかけるのだからその分魔物との交流も多くなり、よりよい関係になる場合もあるため一概に悪いとは言えないのだが。
とにかく、そういうことで契約魔法は直接行うという話で進む。
「で、まあそういう訳で契約魔法の方は分かってもらえたと思うんだけど……紋章をどこに刻もうか?」
「えっと、見えない場所の方がいいのでしょうか?」
「んー、別にどうでもいいと思うぞ。見えてればだれかと契約しているって分かる、くらいなもんだし」
ちなみにマリンの場合、とある事情から自分はユクレステと契約してることを表すためにわざと見やすい位置に紋章を刻んでもらっている。
「それなら、あの……ここに、お願いします」
差し出したのは右手。その甲を反対の手で指差しながら俯いた。
「そうだな、そこなら分かりやすいし、いざとなったら手袋で隠せるしちょうどいいかな」
「えー、もっと際どいとこのがいいと思うけどなー。た・と・え・ばー……その可愛らしいお尻とか?」
「ひぅ!?」
「マリンちょっと黙ってろ!」
発言がちょっぴり怪しい人魚は無視して、次の段階へ進む。
「あと必要なのはー、相手の名前。って、そういえばまだ聞いてなかったじゃん!」
「あー、そうだね。一人で勝手に自分だけの自己紹介はしてたけど。私に至っては名前すらちゃんと言ってないし。あ、私はマリン。覚えておいてねー」
「何度かおまえの名前を呼んでたけどな」
自分の犯した失態に思わず叫ぶ。ずっと『おまえ』で通していたのを思い出し、自分のあまりの礼を失する行動に頭を抱えた。もしこれが親やあいつにバレたらと思うと自然と体が震えだす。
「なんか、順番が前後して悪いんだけど、名前教えてもらってもいいかな? おま……や、君のことを知る上で一番重要なことだから、是非とも」
「一番重要なことを忘れるなよ、とか思っちゃいけないよ?」
「じゃあ口にだすなよお願いします!」
土下座なる謝罪方法を人魚に披露するユクレステ。
ミーナ族の少女はどうしたものかと逡巡する。今までの契約で名前を尋ねられたことなどなかったのだ。いや、家事手伝いとして買われた時に名乗りはしたが、名前で呼ばれたことはなかった。だから、少しだけ怖かった。もし名乗っても、名を呼ばれなかったらどうしようか、と。
「あれだよね、マスターってテストとかでケアレスミス連発して赤点になってそう。もしくは名前を書き忘れたとか、答えの欄を一つ間違えちゃうとかやっちゃう系」
「まるで見て来たかのように!? おまえあれだろ? 人魚とか言ってるけど本当はサトリとかそんな感じの魔物じゃないんですかマリンさん!」
「あっはっはー、なに言ってるのさ。私はカワイイカワイイ人魚姫だよ? そうでしょ、マ・ス・ター?」
「その通りでございます! マリン様は太陽のように美しい人魚の中の人魚です!」
けれど目の前のやり取りを首を振った。少なくとも、この二人は自分の名を呼んでくれる。なんの根拠もないが、なぜかそう確信してしまう。
「ミュウ……」
「へ?」
小さな声だ。不安でか細い、少女の声。
「わたしは、ミュウです。ミーナ族のミュウ。その、よろしくお願い、します」
ユクレステはマリンと顔を合わせる。二人ともニッと笑みを浮かべていた。
名を聞いて、こう答えられた。ならば次にどう答えればいいかなど、分かって当然。
『これからよろしく、ミュウ!』
二人の温かな言葉に、ミュウは静かにはにかむのだった。
ようやくヒロイン参戦?
割と早めに書けましたー。