これからの私たちは 前編
「お、終わった……」
薄暗い部屋で照灯の灯りが机の上を照らす中、そこに座る少年はやり切ったように呻いた。
ユクレステがルイーナのアランヤード邸に招かれて一週間。寝る間も惜しんで解読を続け、陽も明けきらぬ明け方にようやく聖霊使いの手記の解読に成功したのだ。体力並びに気力を使い果たしたユクレステは憔悴した表情で怪しく笑い、倒れるようにイスから身を投げた。
イスの倒れる音が室内に響き、次いで聞こえる小さな寝息。それを確認するようにして、部屋の扉が開かれた。
「……まったく、ユクレは昔からちっとも変わらないんだから」
呆れたような声で愛おしげに吐息し、ユクレステの部屋に入ってきたセイレーシアンは音もなく彼に近寄った。やり切った顔で寝入る彼の顔を見つめ、顔に掛かる髪をなでる。その姿を見て、セイレーシアンはふふ、と笑みを浮かべた。
「おめでとう。よく頑張ったわね、ユクレ?」
軽々とユクレステを持ち上げ、ベッドに寝かせ、散らばった机を片付けて行く。それを終えると、セイレーシアンは意気揚々と部屋を出た。
部屋の前で一度立ち止まり、少しの間思考する。
「私は……どうなりたいのかしら」
小さなか声で囁かれた言葉。その意味を解するのは自分と、癪ではあるがあの腹黒な人魚姫しかいないだろう。だが残念なことに……幸いなことに、とも言えるかもしれないが……件の人魚は現在ルイーナには不在である。彼女の問いに応えてくれる者は、生憎といない。
首を振って思考を中断し、着替えるために自分に宛がわれた部屋へと戻るために歩きだす。悶々とした心を落ち着かせるため、身体を動かそう。そう思い、この場を後にした。
この一週間、ユクレステは前述した通り部屋に引きこもっていた訳だが、彼の仲間は有意義な休暇を過ごしていた。
アランヤードに連れられルイーナ観光をしたり、城の見学も行わせてもらった。そしてなにより、ミュウとユゥミィは現職騎士であるセイレーシアンから稽古をつけて貰っていた。
稽古は明朝から始まり、まずは体力づくりに走り込み、筋トレ、素振りを主に行う。これは彼女が過去にユクレステと共にやっていたことであり、全ての基本でもある。そのためまずは地味ながらもこれを行うのは彼女の日課と化していた。
それに少しの反発を示したのはユゥミィだ。彼女の騎士像がどこか歪んでいるようで、とにかく目立って格好良い修行方法を望んだのである。もちろんそんなものがあるはずもなく、容赦なく現実を突きつけられることによって彼女の理想も粉々に砕かれることになった。それからは黙々と彼女の言うとおりの訓練を行っている。
なにせユゥミィはあまりに非力なのだ。体力は森で暮らしていたためかある方なのだが、筋力が絶望的なまでに劣っている。剣を振ることに慣れていないためか、素振りをやらせると百回やる前にギブアップするのだ。これでは剣どころの話ではない。
逆に、ミュウは体力、筋力は既に化け物級だ。特に筋力はバカみたいに高く、セイレーシアンが剣気を用いても受ければ腕が痺れるほどだ。剣の扱いもそこそこ出来ており、所々にユクレステの教えの跡が見える。
そんな彼女たちに剣を教えるセイレーシアン。今日は機嫌がいいのか練習用の木剣ではなく、自分の得意な長剣を持って彼女たちの剣の冴えを見極めていた。
「やぁああ!」
力任せに振るわれるミュウの一撃。彼女の持つ大剣と合わせて、まともに食らえば並の剣士ならば潰されてしまうだろう。しかしセイレーシアンは剣で大剣の軌道を逸らし、苦もなくミュウの首元に剣を突き付ける。
「力任せがダメとは言わないけど、しっかりと後を考えなさい」
「は、はい!」
剣を引き、頷くミュウを見て口元を和らげる。そして次の挑戦者に視線を送った。
「よろしくお願いします!」
「ええ、来なさい」
ユゥミィが礼儀正しく一礼をして前に出る。彼女は今までの大剣を止め、一般の騎士が標準に装備しているショートソードを使っていた。本来盾と一緒に使用するショートソードを両手で扱い、セイレーシアンに肉薄する。
「ハッ! てぇえい!」
ユゥミィの剣はまだまだ雑で、お世辞にも良いとは言えない。しかし彼女の気質によるものか、思い切りが良く攻撃時には体が伸びる。そのため少し驚くような場面もあった。
討ち込んできたところに足を引っ掛け転ばせてミュウ同様に剣を突き付け、この日のセイレーシアンによる二人(匹)のための朝訓練は終わりを告げた。
さて、明朝の訓練が終わり、朝食の時だった。今日は外で食事をしようと相成り、アランヤード含め四人で朝食を取っていた。
セイレーシアンは思う。これが悪かったんだろうな、と。
「デートしようよ!」
「はっ?」
開口一番、プールから出てきたマリンがそう言った。前後の脈絡とかなしに、本当に突然の宣言。セイレーシアンたちはフルーツを摘まんでおり、なにがどうなってその結論に至ったのかが理解出来ずにいた。
そんな微妙な雰囲気の中、プールサイドに上ったマリンはミュウからイチゴを食べさせてもらい、ご満悦だ。
「ええと、それはだれに言ってるのかしら? アラン? それなら勝手に行って来ればいいんじゃない?」
「やだなー、私にはマスターがいるんだからアランくんとデートなんてする訳ないじゃん」
「それもそうね」
「君たち……そういうのは私のいない所でやってくれないかな?」
笑顔をヒクつかせながら二人を睨み、無視されたのでため息を吐いた。
「それで、デートとは一体どういうことだい? 突然過ぎてだれも分からないんだけど?」
「そうかな? ミュウちゃんたちは分かるよねー?」
「いや、だから分かるはずないだろう?」
マリンが二人に視線を送り、流石にそれは無茶ぶりだろうとアランが苦言を呈す。だがミュウはおずおずと手を上げて口にした。
「セレシアさんと、ご主人さま、ですよね?」
「今ので分かるのかい!?」
ユゥミィですらうんうんと頷いている様子に、自分が理解力に乏しいのかとセイレーシアンを見る。
「な、なにを突然……っていうかなんで今ので分かるのよ!」
「あ、よかった。君も分かってなかったんだね」
ホッと一安心、しかしすぐにハッと我に返った。
「って、どうしてセレシアと親友がで、で、デートなんてしなきゃならないんだい! デートならば私がしたいとも!」
どちらと、とは問うてはならない。
テンパるアランヤードを見て幾分か落ち着いたのか、セイレーシアンは魔物三人娘と向き直る。知らずの内に目が尖っていたのか、ミュウの身体がビクリと震える。
「で、どういうことよ、腹黒人魚」
「つまりこういうことだよクーツンデレデレ騎士様。ね、ユゥミィちゃん?」
「む……? 私か?」
マリンの指名にユゥミィは食べる手を止め、思案気に顎に手をやる。そしてやおら顔を上げ、
「いい加減うっとうしいので好きなら好きと言えばいいんじゃないのか?」
「グハッ!?」
あっさりとそう言い捨てた。いやまあ、流石にバッサリし過ぎな気はするが、マリンの言いたいことは似たようなものだ。タラリと一筋の汗を垂らし、苦笑気味にセイレーシアンへと向く。
「えーっと、大丈夫?」
「ふ、ふふ……素晴らしい切れ味だったわよ……成長したわね、ユゥミィ」
彼女には大きなダメージだったようだが、なんとかその意図は伝わったのだろう。
「あの、ユゥミィさん……あまり直接的過ぎるのでは?」
「うん? そうなのか? すまない、恋愛事にはとんと縁がなかったから少し乱雑な言葉になってしまったやもしれない」
ミュウに諌められ、すまなそうに頭を下げる。真摯な態度に頷こうとして、
「ただ、他人から見ても分かり切った好意なんだからさっさと告白をした方が傷は浅いうちに済むと言いたかったのだ。こちらから動かなければあの主のことだ、気付かずにフェードアウトしていくのが目に見えているぞ? 女たるもの、度胸と行動力が無ければ男を落とせないようだからな」
「……げふっ」
「……ユゥミィちゃんさぁ、そういうのだれから聞いたの?」
「祖母だ。昔はかなりやんちゃさんだったそうで、祖父を射止めるのに森の一角を更地にしたという。なるほど、恋愛には弓の腕が関係してくるのか?」
「いや、うーん……まあ、ユゥミィちゃんはそれでいいかなぁ」
明らかに他人からの受け売りを胸を張って言い切るユゥミィ。かわいそうに止めをさされたセイレーシアンは膝から崩れ落ちて地面に身を突っ伏していた。
「あの、セレシア、さん?」
心配そうに声をかけるミュウ。だが返事はなく、やがてなにかを決意したのかスク、と立ち上がった。その顔には、覚悟を決めた女の顔がある。
「……決めた」
「え、えと?」
小声を拾ったミュウは、なぜか身体に震えが走った。なんというか、心の底からの吐露にまだ幼いミュウの心が拒絶しているようだ。
「決めたわ。私、デートする」
キッと言い放った言葉に、マリンはにんまりと笑みを見せた。
「おおっ! やるんだねセレシアちゃん!」
「ええ、やるわ! 今日ユクレとデートして、それで告白してみせるわ!」
「その意気だよセレシアちゃん! 女は行動力、なんでもやってみるものさ!」
「そうよね! いつまでも友達止まりなんて私も嫌だし! でもあんたの言うとおりにはならないわよ? 私は私の意思でユクレに告白する! 間違ってもメスの一人になるつもりはないんだからね!」
「ふふん、やってみるがいいさ! ま、それでも私たちがマスターの所有物であることには変わりないしね。変わるのは、セレシアちゃん。キミの居場所だよ?」
ジッと青い瞳がセイレーシアンに突き刺さる。挑むようなその視線に返すように三白眼で睨めつける。
「上等よ。これからの私を見せてやるわ!」
「いや、あのねセレシア。君がデートがどうこうはこの際どうでもいいとして、ユクレがそもそも一緒に遊びに行くかも不明だし。って言うか多分昼過ぎまで起きないよ、彼。ねえ聞いてる?」
不敵に笑う二人の女性に、半ば居ないものとされているアランヤード王子。彼の言葉を聞くものはこの場にミュウしかいなかった。ユゥミィはフルーツにかぶりつくのに集中しているので彼の声が耳に入ってすらいない。
「そうと決まれば、まずは服装選びだね。そんな野暮ったい騎士服じゃあマスターの心は動かないよ!」
「えっ!? い、いや、これじゃあダメなの? 私はあんまり可愛い服とか持ってないし……」
「無問題だよ。アランヤード邸所属のメイドのみなさーん!」
マリンが高らかに指を鳴らすと即座にこの屋敷で働いているメイド達が集まってきた。
「さあ皆さん、この化粧っ気の欠片もない素材美人をこれでもかと言うくらい仕立て上げちゃって!」
『かしこまりました、マリン様』
「え、え? 貴方、いつの間にこの子たちと仲良くなってたのよ!?」
マリンの後ろに控える十名のメイドがキラキラとした瞳をセイレーシアンに向けている。いかに将来有望な近衛騎士と言えど、その異常な光景には恐怖が湧いてくるようで、秀麗な表情を引きつらせている。
「はっはっはー! 細かいことは気にしないんだよ、さあ皆さん、連れて行っちゃって!」
「ちょ、待って……ってなんでこんなに力強いの、貴女たち!!」
二人のメイドに両脇を掴まれ連行されて行くこの国の騎士の姿。次期国王として見てはならないものを見てしまった気もする。アランヤードは連れられて行く親友のボーっと眺めることしか出来なかった。
後に残されたミュウ、ユゥミィもポカンとした表情で彼女たちを見送り、心配そうにこちらを見てくる。
「やれやれ、いつもながら元気だなぁ。君たちもそう心配しなくていい。あれもまあ、結構あることだからね」
「そう、なんですか」
「ああ。……それにしても」
ホッと一安心のミュウから目を放し、第七区画へと視線を向けた。特徴的な屋根の建物が遠目に見え、かつての学び舎での生活が頭に浮かぶ。
「やっと一歩前進か……ここまで来るのに六年。いささか長過ぎやしないかい? ねぇ、セレシア。ユクレ」
優しげな笑みが自然と浮かび、既に冷めた紅茶を口に含む。温くなってしまった甘い茶の香りに、アランヤードは嬉しそうに目を細めるのだった。
ルイーナの街、その中央には大きな噴水が設置されている。さらさらと流れる水の流れを眺めながら、噴水の縁に腰を下ろして欠伸を一つ。
「ふぁ~あ……眠いんですけど……」
だらしのない表情でボーっと眼前の王城を見上げている少年、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。眠くて堪らないのだが、なぜかこんな所で待ち合わせをしていた。
寝ているところを叩き起こされ、しかもその叩き起こした人物がミュウだったことに二度驚いた。これがユゥミィだったならばいつものことかと二度寝に入るのだが、彼女が自分を起こすのだからなにか訳があるのだろうと目を覚ました。それで彼女に理由を聞けば、セイレーシアンと出かけて欲しいとよく分からないことをお願いされた。
その後、いつもの魔法使いスタイルで出かけようとしたらマリンから待ったを掛けられ、メイドから身だしなみを整えられ、さらにアランヤードから服を着せられた。ローブ姿ではない自分の姿を水面に映し、若干居心地悪そうに周囲に目を泳がせた。
セイレーシアンはまだ時間が掛かるからと先に屋敷を放り出され、待ち合わせにこの場所を指定されたのもその時だ。
正直さっぱり分からない状況に頭がついていっていない。
「……って言うか、なぜに今更セレシアと? ミュウたちとならともかく、あいつと出かけろって言われてもなぁ」
なにせルイーナには六年間住んでいたのだ。隅々、とは言わないが、それなりに探索しつくした感はある。もちろん、セイレーシアンとも何度もこうして一緒に街に繰り出したことは多々あった。
「んー、でもまさか……ねぇ?」
ふと思い出した過去の光景に頭を振り、吐息した。
「ユ、ユクレ! その、待たせたわね……」
しばらくして聞きなれた言葉が聞こえてきた。半分寝ていた意識を覚醒させ、ユクレステは顔を上げ、
「っと、セレシア、来たんだ? 随分時間かかったね……え?」
そのまま動きを止めてしまった。
固まった視線がマジマジと彼女を見つめ、セイレーシアンは恥ずかしそうに顔を赤らめてフイと顔を背ける。
「な、なによ……? そんな化けて出たみたいな顔しないでくれる? 少し……傷つくわ」
「あ、えっと……ごめん」
その仕草につられるように彼女の赤く長い髪が揺れた。すると柑橘系の香りがふわりと漂い、ユクレステは思わず視線を向けてしまう。
赤い髪は普段のツインテールを解き腰までのストレートになっており、一房を白のリボンで纏めている。そのせいか、普段よりも女性的な魅力が際立っている。また、服装も年頃の女性が着るような白のワンピースを着ており、普通の物より若干丈が長いためか、ちょっとしたドレスのように見える。薄いピンクの上着も、彼女らしからぬチョイスだ。
普段、セイレーシアン・オルバールはキッチリとした騎士服の姿をしている。休日の時には動きやすいような短いスカートや、ズボンを着用しているのだが、そんな彼女を知っているためかこのような彼女はすごく新鮮だ。
「そういう服着てるのって初めて見るからさ、ちょっと驚いた。うん、似合ってるよ。普段からそれくらいお洒落すればいいのに」
「そ、そう? ありがと……。本当はいつものにしようと思ってたんだけど、押しの強さに負けちゃったのよ……」
疲れたような表情のセイレーシアンを見てなんとなく状況を把握する。なにせ、先ほど自分も通った道なのだし。
とにかく待ち人が来たのでユクレステは立ち上がった。ヒールを履いているためか、少し背を抜かれているのが気になる。
「さて、それじゃあ行きますか。六区でいい?」
「え、ええ。構わないわ。……でもごめんなさい。もう少し寝ていたかったでしょう?」
申し訳なさそうな表情を浮かべるセイレーシアン。
「そう言えばそうなんだけどさ。なんか、セレシア見て眠気が吹っ飛んだよ」
「私を見て……?」
その言い回しがよく分からなかったのか小首を傾げる。ユクレステは照れたように頬を掻きながら、
「いや、綺麗だったからさ。ビックリして眠気が吹っ飛んだ」
「――っ!?」
そんなことを言うのだった。
さて、そんな彼らが第六区画、通称商業区画へと向かうその後ろ姿を見つめる一団があった。
『流石はマスター、ああも簡単に言ってのけるのには脱帽するよ』
「ふふ、それが親友の魅力さ。ユクレは思ったことは素直に口に出来る良い子だからね」
「むぅ、あのセレシア殿がああも簡単に隙を見せるとは……今度私もやってみるか……少しは隙が出来るかもしれない!」
『いやいや、それ無理だって。あれはマスターだから出来るんであって、ユゥミィちゃんが言ってもバカにされて終わるだけだから」
その場にいるのは三人。周りからは見えないが、本来はもう一人が宝石の中から覗いている。
その三人組は一様に同じ格好をして、物陰から身を隠しながら状況を窺っていた。
ちなみにその姿とはインバネスコートを着て鹿撃ち帽を被り、なぜかサングラスを着用した探偵風のスタイル。三人がそんな格好をしているせいか余計に目立っているのだが、気にした様子はない。
「あ、あの……」
「おや? どうかしたのかい?」
三人組のうちの一人がおずおずと手を上げ、控えめに声を出した。
「これってご主人さまとセレシアさんの、デートなんです、よね? 邪魔をしたらダメなのでは……」
黒髪でメイド服に似た意匠の服に身を包んだ少女、ミュウはサングラスをずり落としながらそう言う。しかしそれを殊勝に聞くような人物はこの場にはいない。彼女の胸元に光る宝石からマリンの声が聞こえる。
『あまいよミュウちゃん!』
「え、えっ?」
宝石の中にいるくせに外の三人と同じ格好の人魚は緩む笑みを隠そうともせずに胸を張った。
『あの鈍感マスターとヘタレ騎士様がただデートしただけで想いを告げられる訳ないじゃん! マスターに至ってはあのメスの顔をしたセレシアちゃんを見てもデートとすら思ってないみたいだし』
「は、はぁ……」
『だから私たちはあの人たちの背中を押してあげなくちゃいけないんだよ! そう、決して面白そうだからって理由で尾行している訳じゃあないんだよ!?』
「む、主が見えなくなるぞ?」
『それは大変だ! さあ早く行こう! 見失う前に!』
ミュウの制止などなんのその、マリンに急かされるように怪しい一行は移動を開始した。
「わたしは、止めようとしました……ご主人さま、申し訳ありません」
小さな呟きはだれに聞かれることもなく、人々の雑踏に掻き消されるのだった。
外に出たのが昼前だったこともあり、ユクレステたちは一先ず昼食を取ろうと相成った。そうして足を運んだのは《星々の館亭》。学生時代、ユクレステがよく通った店である。
「ここに来るのも二カ月振りだな。よくお世話になったな、ここも」
「そうね。なにかあれば二人でよく来たものね」
少しだけ昔のことを思い出し、セイレーシアンの表情が綻んだ。彼らの指定席とも言える窓際の席に着くと店の主がメニューを持って現れる。
「やあユクレステくん、セイレーシアンさん。久しぶりだね」
「お久しぶりです、店長さん」
既に彼とも顔なじみだ。ニコニコとした笑みも彼らにはよく見知ったそれである。
店長はメニューを渡し、二人の姿を交互に眺めて言った。
「今日は、デートかな? セイレーシアンさんがそんな格好しているのは初めて見るし……今日は本気なんだね?」
「て、店長!?」
「ああいや、なにも言わなくていいよ。昔から君たちにはやきもきさせられてきたんだ! 時には背中を押すようなことをしたのにちっとも進展しないし……。けどそれも今日までってことだね! ようやく六年の苦労が実を結ぶんだ!」
ヒートアップしている店長。どうやら彼も二人の交流を温かく見守っていたうちの一人なのだろう。自分の子供の晴れ舞台、みたいな感覚なのかもしれない。
「ならば私にお任せ下さい! 最高のディナーをお届けします! ハーハッハッハッ!」
高らかに笑って去って行った。それを眺め、ユクレステがポツリ。
「今ってランチなんだけど……」
「そ、そうね……」
合っているようで合っていないツッコミに、セイレーシアンはため息を吐くのだった。
で、そんな彼らを眺める以下略。
彼らは先に《星々の館亭》に潜入し、ユクレステの死角となる位置で観察を続けていた。
「むむっ! この肉料理も美味い! 流石は主が贔屓にする店だ!」
「君ホントによく食べるね」
約一名、一心不乱に料理を頬張っているのだが。どうもこの少女、やたらと燃費が悪いようで、本当によく食べる。先ほども屋台で売っていた肉串を食べていたはずだ。無論、その代金はアランヤード持ちである。
『それにしてもあの店長さんも応援してくれてるんだ。せっかくマリンちゃん特製応援プラン(お昼ごはんヴァージョン)を用意してきたのに無駄になっちゃったね』
「それがどんなものか気になるけど……まあ、多分君が思っていることは商業区にいる人たちが勝手にやってくれると思うよ。なにせ、あの二人はこの街では有名人だからね」
ホットミルクを飲んでいるミュウの胸元からの声に、アランヤードは笑いながら答える。カップを置いたミュウが首を傾げながら聞いてきた。
「どういうこと、ですか?」
「あの二人の関係は六年前と今とで何一つ変わっていなくてね、それをじれったく思う人が結構いるのさ」
なまじ彼女がオルバール家ということで有名な分、人々の視線を集めるのは容易だった。ユクレステにしても魔術学園では割と有名な人間だっただけに余計に。
『ちぇー、せっかく色々考えてきたのにー』
「参考までにどんなものを?」
『んー、とりあえず女体盛りは外せないかなーって』
「……それがなんなのかは分からないけど字面からして嫌な予感しかしないので止めておきなさい」
疲れたように言うアランヤードが印象的だった。
「……ご主人さまたちは、愛されているのですね」
自然と笑みを零し、ミュウはホットミルクに口をつけるのだった。
昼からあんなに食えるか、というくらいの料理を腹に収め、ユクレステとセイレーシアンは店を後にした。若干腹が重い気はするが、それも店長の奢りとなったので文句は言うまい。
商業区の中心街へと足を伸ばしたユクレステたちは、自然市が集まる広場へとやってきていた。様々な人が色々な品物を持ち合い売りに出している、いわゆるフリーマーケットが開かれている場所だ。古着だったり、自分で作ったものを売っていたり、たまに掘り出し物を手にする機会もあるためユクレステは学生時代よく遊びに来ていた。
今も可愛らしいぬいぐるみを売っている出店の前で商品を眺めていた。
「よく出来てるなー、このスライム人形。うわっ、本物みたいに弾力がある!?」
「弾力って……それ人形って言うの? わっ、本当にぶよぶよしてる!」
緑色のゲル状のぬいぐるみを恐々と触りながら訝しげな視線を向ける。本物と見間違いそうなぬいぐるみのクオリティに戦慄を覚えながら別の人形に視線を動かす。
「あ、これ可愛い……」
そっと手を伸ばした先にあったのは人の形をしたぬいぐるみだった。恐らく魔法使いなのだろう、フード付きのローブを着て、長い杖を持った茶色い髪の魔法使い。どこかで見たことのあるようなぬいぐるみを手に持ち、チラリとユクレステを盗み見る。
……似ている。どこがとは言わないが、よく似ていた。強いて言えば全体的に、だろうか。
「セレシア? それ気にいったのか?」
「えっ? あ、えっと……ええ」
気にいったというか気になったというか。
この人形ユクレに似てるわね、とは流石に言えず、素直にコクリと頷く。するとユクレステはそのぬいぐるみを手に取り、店の奥へと声をかけた。
「すみませーん、これ一つ下さい」
「ちょ、ユクレ!? 別に買って欲しいとかじゃ……」
いきなりの行動にセイレーシアンは止めることも出来ずにあわあわと慌てたようにしている。
「ま、たまにはこれくらいさせてくれよ。今までセレシアには世話になってたし、人形一つでチャラに出来るとは思ってないけどさ」
苦笑しながら慌てるセイレーシアンの頭に手を乗せる。
「あ、あぅ……」
顔を真っ赤に染め、湯気が出るんじゃないかと言うくらいに思考が沸騰している。その隙にユクレステは店の人にぬいぐるみを渡す。
「ありがとうございます、お題は貴方のハートを頂きます」
「いやいや、なに言ってるんだよ……」
「だって許せないもの。私の会心のぬいぐるみを貴方が他の女に渡すなんて……。私以外の人間に愛を振りまくなんて」
「いや、だからそういうのじゃないってば」
右目を隠す様に黒い眼帯を付け、ゴスロリ服に身を包んだ可愛らしい少女からの熱い視線に、ユクレステは疲れたようにため息を吐く。
清算を終え、ぬいぐるみを受け取るとすぐにそれをセイレーシアンに手渡した。
「はい、セレシア」
「え、ええ。ありがと……」
まだ赤い顔で礼を述べ、潤んだ目で見つめてくる。彼女らしからぬその仕草に、思わずユクレステも赤面してしまう。
「あ、えーっと、それじゃあ他のところも見て行こうか! あっちにも面白そうなのがあったし」
急かすように指差し、そこに向かって慌てて向かう。セイレーシアンも続こうとして、
「ちょっといいですか?」
ぬいぐるみ屋の少女に呼び止められた。
「なにかしら? 私急いでいるのだけど」
先ほどまでユクレステとこの少女は仲よさそうに会話をしていた。恐らく知り合いなのだろう。少女は桃色の髪を揺らして身を乗り出し、耳打ちするようにこう言った。
「その人形、私の憧れの人を元にデザインしたの。それに惹かれたってことは、貴方も彼を好きなんでしょう?」
「――っ!?」
意味あり気に向けられた視線はユクレステに向かい、次いでなにがしかの感情がこもった瞳がセイレーシアンを射る。
「私はアリィ。言っておくけど、貴方より私の方が彼を好きなんだから」
なにを言われたのか分からずその場で固まってしまうセイレーシアン。だが数秒して再起動し、喉から掠れた声が出る。
「わ、私だって……」
「おーいセレシア! こっち来てみろよ! 面白いのあるぞー!」
「っ、今行くわ」
だが最後まで言うことなくユクレステの声に阻まれた。強い瞳に射られながらなにかを言おうとして、結局セイレーシアンはなにも言えずにその場を後にした。逃げるているようで癪に障るが、今の彼女には言い返す言葉を持ち合せていなかった。
そんな彼らを以下略な三人組。セイレーシアンが去って行ったのを確認し、ぬいぐるみ屋へと近寄った。
その姿を察知したのかぬいぐるみを並べる手を止め、アリィはポソリと言う。
「今のでオーケー?」
『オッケオッケ! ナイス迫真の演技! セレシアちゃんの焦りを利用してて良い感じだったよ!』
宝石の中でマリンは満足そうに頷いた。
つまり、先ほどの言葉の応酬はマリンが仕掛けたものだったのだ。未だ悩むセイレーシアンに危機感を覚えさせ、逃げ場を失くすという作戦。
「えげつないね、ホント」
冷や汗を垂らし、アランヤードは女性の恐さに改めて背を震わせた。
「それにしてもこれは本当に主に良く似ているのだな。む、ミュウもこれを欲しいのか?」
「えっと、その……はい」
「お友達価格でいいわよ。マリンと彼の仲間みたいだしね」
「ふむ、それは太っ腹だな。では私もついでに」
「君たちね……結局それの代金も私が出すんだろう?」
『当然だね』
遠慮のないマリンとユゥミィの言葉にアランヤードはガックリと項垂れる。ぬいぐるみを手にし、嬉しそうなミュウを見ると少しは癒されるのだが。
アランヤードは改めてそのぬいぐるみを手に取り、感心したように吐息した。
「むぅ、確かに親友の特徴を見事に捉えているね。ここまで上手に出来るとは、随分と腕が良いみたいだ」
「腕だけじゃないわ。これも一重に愛のおかげよ」
「えー……」
熱い吐息の少女の姿に、思わずアランヤードは声を漏らしていた。内心、また面倒そうなのが増えた、とか思っていたり。その最たる人物が言うな、とは思うのだが。
『アリィちゃんはマスターが好きなんだってさ。なんか、五年くらい前に出会って一目ぼれしたとかなんとか。いやー、なんかこの子私と馬が合ってさー。いつの間にか仲良くなっちゃったんだ』
「ええ、マリンとは親友よ。貴方の恋愛観、まさに目から鱗だったわ。人魚だけに」
『あっはっはっ、いやー上手いね! クッション一枚!』
どこら辺が上手かったのかアランヤードには理解出来なかったようだ。頭を抱え、朗らか笑っている少女を見る。いや、笑っているのだが、どこか影を含んでいるような笑みだった。
「私も早くユクレさんと……うふ、うふふ……押し倒し……で……突かれ……クフフ」
「こ、この子はヤバい……なにがどうヤバいのかはさておいて、とにかくヤバい」
『いやー、アリィちゃんは相変わらず純愛だなー』
「純愛かな!? 絶対この子病んでる方の純愛だよね!?」
『ちなみにこの子、性別上アランくんと同じ性別だから』
「しかも男の娘!?」
驚愕二連発に叫ぶ王子様。
余談だが、ミュウとユゥミィには彼らがなにを話しているのかさっぱりと理解出来なかったようだ。願わくば、これからも彼女たちは純粋なままでいられますように。
しばらく経った頃、ユクレステたちは中央区の噴水前に戻っていた。陽も傾き、そろそろ空も赤くなる時間だろう。
「ふう、久しぶりに王都に来たけど、あんまり変わってなかったかな」
「それはそうでしょう? 貴方が王都を出てまだ二カ月も経ってないんだから。そんなにすぐに街は変わらないわ」
噴水の縁に腰を下ろし、冷たいアイスクリームを舐めながら談笑していた。行き交う人々を横目に、セイレーシアンは楽しそうに笑っている。
「…………」
その裏側で、ずっと考えていた。先ほどぬいぐるみ屋の少女(本当は少年なのだが)と交わした会話を。
(私は……私だって、ユクレのことを……)
「セレシア?」
「えっ? どうかした?」
「いや、なんか考え込んでるからどうしたのかって思ってさ」
「……なんでもないわ」
そこまで考えて強制的に思考を打ち切る。ユクレステの言葉に反応したのもあるが、結局は彼女がそれを考えることから逃げているのだろう。本人も分かってはいるのだ。けれど、最後の踏ん切りがつかないでいた。
(今までの関係だって悪いものじゃなかった。無理なんかしなくても、私はそれで……)
とにかくそう結論付けた。無理に先に進まなくても、足踏みしたって彼との絆が途切れる訳ではないのならば、それなら、と。
だからセイレーシアンは笑みを貼り付け、ユクレステに言った。
「……ねえユクレ?」
「ん?」
「これからも私たちは……」
なんと言いたかったのだろうか。友達? 親友? それとも、恋人?
よく分からない。結局それは、言う機会を逃してしまったのだから。
「あら? もしかして、セレシア?」
行き交う人々の中から、一人の女性が話しかけてきたのだ。その人物の顔を見て、セイレーシアンは彼女の名前を口にした。
「オリエス姉さま?」
アリィ
ぬいぐるみ作りが趣味な男の娘。ゴスロリ服に身を包み、桃色の髪、青と赤のオッドアイを隠すために右目に眼帯を付けている。
その容姿は美少女もかくやというほどで幼い頃から自分を女だと思って育つ。容姿もあってかイジメを受けていた所をユクレステが偶然助け、一目惚れしてしまう。言動はヤンデレだが、本人から責められると弱く、顔を真っ赤にして俯いてしまう。いずれユクレステと結婚することを夢見る十四歳。
男の娘、特別好きっていうわけではないのですが、はぴねすの準ちゃんにはかなり衝撃を受けた記憶があります。
後編は近々更新します。