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聖霊使いへの道  作者: 雪月葉
セントルイナ大陸編
22/132

あの頃の私たちは 1

 豪華な門を潜り、美麗な馬車が一つの屋敷に到着した。待ち構えていた初老の男性が馬車の戸を開けるのと同時に幾つかの人影が降りてくる。

 その中でも特に目立ったのが百八十を超える割に大きさをあまり感じさせない金髪の青年であった。顔立ちのよさも相まって、直視するのも恐れ多いと思えるほどだ。その後ろからはメイド服のような冒険者用の服を着込んだ少女、青い顔をして主に背負われたダークエルフの少女も続いた。

「お帰りなさいませ、アランヤード様。長い時間大変にご不便をおかけしました」

「なに、そこまで退屈じゃあなかったよ。久しぶりに親友と語らえたんだ。いい息抜きになったさ」

 執事であるセバスチャン(偽名)に微笑みかけながら後ろの友人たちへと振り返る。自身の屋敷を背後に立ち、恭しく礼をして言った。

「ようこそ、私の家へ。歓迎しよう、我が親友とその大切な仲間たち」

 様になった動作に彼の周りが輝いた気がした。



 アランヤードの屋敷は周りの貴族たちの屋敷と比べると少々小さ目である。それでも装飾は負けてはいないし、使用人の練度も高い。流石は王族が住む屋敷であると言えよう。

 本来ならばここらで歓迎の宴でも、と考えていたのだが、それはユクレステが辞退した。ただでさえ厄介になるのにこれ以上面倒を掛けるわけにはいかない、と言うのが理由だ。しかし本当の所は少し違うのだろう。


「さて、これが君の探していた『聖霊使いの手記』だ。今日から一週間だけ貸してもらえることになっているよ」

「これが……ありがとう、アラン」

 渡されたのは本……というには薄い、手帳のようなものだった。パラパラと開いて見ると中にはセントルイナでは見たこともない文字がビッシリと書かれている。

 聖霊言語。聖霊使いが使っていたとされる神聖な文字だ。

「だ、い、いちまく……うん、これならなんとか読めそうだ」

「そうか、それはよかった。聖霊言語を読めるのは限られているからね。この国では君と他に数名。それも最後まで読み解くことは出来なかったようだ。どうやら日記のようなものだと聞いているけど……」

「ま、それは読み解く時のお楽しみにさせてもらうよ。部屋貸してもらえる?」

「ああ、いつもの部屋を空けておくよ。食事は?」

「できれば部屋まで持ってきて欲しいな。駄目だったら気にしないでくれていいよ」

「分かった。それと、分かってるとは思うけどそれはうちの国の国宝だから大事に扱ってくれよ?」

「分かってる」

 そう言い残し、ユクレステは足早に屋敷の中へと消えていった。後に残されたミュウとユゥミィは首を傾げている。

「あの、ご主人様はどちらに……」

「ん? ああ、ずっと待っていたものが手に届いたから舞い上がってるんだね。自分の仲間を置いていくのは感心しないが……まあ、そこが可愛いところでもあるか」

 アランヤードがメイドの一人になにかを伝え、次いでミュウたちに向き直った。

「まだ体調が優れない子もいるだろうから、これから少しお茶会でもどうかな? 風の当たる所にいれば少しはよくなるだろうからね」

「お気遣い、感謝致します。おぇ……」

 青い顔のユゥミィが口を手で覆った。



 水を張ったプールの近くにテーブルやイスが設置され、メイドさんたちが次々にお菓子やカップを持ってくる。アランヤードは一度屋敷に引っ込み、代わりにセイレーシアンがミュウたちを案内した。彼女の手には青く輝く宝石があり、躊躇うことなくプールに投げ入れた。

「って、もう少し大事に扱ってくれないかな? これでも人魚族の至宝なんだけど?」

「それは悪かったわね。でも壊れてくれれば海に帰れるんだからいいんじゃない? 協力するわよ?」

「あははー、遠慮させてもらうよ。私はまだまだマスターから離れる気はないから」

「……そう」

 三白眼が余計に鋭くなった気がした。マリンはマリンで挑発するような笑みを浮かべているし、ミュウにとって居づらいことこの上ない。

「うん、うまいうまい」

 ユゥミィは普段と変わらずお菓子を一人で食べ始めていた。

 とにかくこうして始まったお茶会なのだが、ミュウはユクレステが気になってそれどころではない。

「あの、ご主人様はどうされたんですか?」

 プールで泳いでいるマリンに声をかける。

「あー、マスター? マスターは多分、一週間部屋から出て来ないと思うよー」

 なんでもないように言ってのけ、ざぶんと水辺から上がった。

「二人はさ、聖霊使いの手記って聞いたことある?」

 マリンの問いかけに首を傾げるミュウ。意外なことに、ユゥミィは首を縦に振った。

「確か件の聖霊使いが残した文書だったか。かつての聖霊使いがどう旅をしていたのかを解くための有用な手掛かりになっていると聞く」

「おっ、ユゥミィちゃんよく知ってるね。もしかしてダークエルフの里で教えてもらったの?」

「祖父にな。うちの里はかつて聖霊使いが寄った場所らしく、その類の話はいくつか残っているのだ。

 それでその聖霊使いの手記がどうかしたのか?」

 セイレーシアンが後の説明を引き受けた。

「現存している聖霊使いの手記を保有している国はあまりないわ。ルイーナで二つ、後はオズルワ国のリライラに一つ。他はどこにあるかは不明。そもそも全部で何冊あるのかも分かっていないわ。もちろん手記はその国の宝として奉られていて、そうそう簡単にお目にかかれないの。今回その一つを借りるのに王家アランヤードの力を借りても三年かかったわ」

「なるほど。それであのはしゃぎ様だったのか」

 納得顔で頷くユゥミィ。頭に浮かぶのは先ほどのユクレステだ。普段よりもわくわくとした子供のような表情を思い出し、つい笑ってしまう。

「主のあのような表情は初めて見たな。なんとも、普通の子供みたいだった」

「そう、ですね。いつもはご主人様、あんなに感情を表に出さないですから」

 感情を出さないとは、別にウォルフのように仏頂面、という訳ではなく、飄々としていた本心を隠すことが上手いという意味だ。そんな彼なのに、全身から喜びの感情を見せていたのには正直に言って驚いていた。

「へぇ……」

 セイレーシアンはそんな彼女たちを見ながら声を上げる。カチャリと静かな音が耳に触れた。

「貴方たち、ユクレのことをよく分かっているのね?」

「え、えと……」

「む、そう、なのだろうか?」

 分かっている、と言われてもあまり実感は湧かない。ミュウやユゥミィはまだユクレステと出会って間もないのだ。少し考え込んでしまうのも無理はない。

「あはは、それはそうだよ。なんたってマスターが仲間にした子たちだよ? マスターのことを分かって当然だよ」

「……前からそうだったけど、貴方はなんでそう自身満々なのかしらね?」

 はぁ、とため息。セイレーシアンは片手間に自分の髪を弄りながら二人の少女を見比べた。

 ミーナ族のくせに黒い髪のミュウ。こちらは昔ユクレステから聞いた異常種イレギュラーと呼ばれる存在なのだろう。おどおどしている割には潜在能力は高く、コルオネイラでの大会では風狼に追い縋っていたとか。

 もう一人はダークエルフの少女。確か名はユゥミィと言ったはず。ダークエルフにしては珍しく騎士になるのが夢なのだそうだ。先日からよく話を聞きに来ていたのは、セイレーシアンが騎士の中でも期待の新人だからだろう。

 ついでとばかりにプールサイドに座る魚介を一匹盗み見る。

 出会ったのは半年ばかり前、それから何度か話をしたり共闘したりしたこともあったが、その時に思ったことは今でも変わってはいない。

 腹黒。金髪の髪と美しい容姿とは裏腹に、性悪な人魚姫である。

 さよりと言う魚がおり、腹黒な人をそう呼ぶこともあるそうだが、まさしくこの魚はさよりなのだろう。腹を掻っ捌くと真っ黒に違いない。

「ちょいちょい、セレシアちゃんなんか目が怖いよ!?」

 まあとにかく。セイレーシアン・オルバールがなにを言いたいのかと言うと。

「まったくユクレは……女ばっかり引き連れて……」

 魔物が全て人外の姿をしている訳ではないのは知っていた。人魚やエルフなどは魔物であるにも関わらず人に近い肉体構造をしている。それでもそう数は多くはないはずであった。

 魔物といえば代表としてスライム、トカゲ、オオカミ系の魔物はセントルイナにも大勢住んでいる。そういった魔物が仲間ならばまだ安心できた。もしくは、ユクレステが魔物に対して可笑しな気を持つという異常性癖の変態でなければまだ許せた。しかしユクレステ・フォム・ダーゲシュテンは人間社会で言う変態に属する。本人が聞けば力いっぱい否定するだろうが、彼は間違いなく変態であった。以前コルオネイラにいた魔物大好きロイヤード閣下と同類、と言えば分りやすいかもしれない。

 この世界において魔物と言う言葉は人ではないという明確な違いの表れであり、いかに人と似通っていようとエルフや人魚に情欲を抱く人物は少ない。仮にそんな風に接している人がいれば即座に変態のレッテルを張られてしまう。そしてユクレステは既にそういった意味では変態なのである。


「それじゃあ私も見事に変態だって言ってるように聞こえるんだけどー?」

「実際そう言ってるのよ。他種族に恋愛感情持ち出すのは異常性癖者くらいなものよ」

「あ、あぅ……」

 ミュウが顔を赤くし、下を向いてしまっている。どうやらこのミーナ族も敵のようだ。

 セイレーシアンは念のためにもう一人を盗み見る。

「ははは、それは主も難儀な性癖を持ってるみたいだ。うん、お茶が美味い」

 こっちは大丈夫そうである。と言うか花より団子なのだろう。これはこれで心配ではあるが。

「あ、あの……セイレーシアン様はご主人様とのお付き合いが長いのですか?」

 居たたまれなくなったのか、必死に別の話題に変えようとするミュウ。あまりの必死っぷりにセイレーシアンも可愛そうになったのか乗ってあげることにした。

「そうね、少なくともここにいる人たちよりもずっと長い付き合いであるのは確かね。アランよりも少しだけ長かったはずだし」

「そう、なのですか?」

「ええ、初めて会ったのは……そうね、私がこの大っ嫌いな街ルイーナで学園に通い始めた頃だったかしら」

 そう言ってセイレーシアンはある方向を見つめる。ここからでは遠いがそれでも特徴的な屋根のおかげでなんとかその位置を把握できた。

 あれはまだ幼く、騎士になるなんて思いもしなかった。そんな時の話だ。




 セイレーシアン・オルバール。

 ルイーナ国でも有数の名門、オルバール家の末娘である。兄が一人、姉が二人おり、彼女は四番目の娘であった。オルバール家は魔法においての名門でもあり、兄は宮廷魔法使い、姉の一人は魔法研究所に勤めている。もう一人の姉は既に結婚しているが、魔術学園においては主席の実力を誇っていた。

 そんな兄妹がセイレーシアンにとっては自慢であり、誇りであり――大嫌いでもあった。


 ルイーナ国における魔術学園とは第七区画に建設されているエンテリスタ魔術学園のことを指す。質の良い教育が受けられ、卒業すればどこに出しても恥ずかしくない力量としてステータスになることが多い。そのため、貴族で少しでも魔法の才能がある者たちはこぞって入学してくるのである。

「…………」

 その入学式が四月期の始めに行われるのだが、セイレーシアンもまたエンテリスタ魔術学園に入学することとなっていた。魔力測定では問題ない数値が出ていたため入学の許可が下りたのだ。

 数えで十二、これから六年間世話になる校舎を見上げながらも、セイレーシアンの胸中は暗かった。

「つまらない……」

 入学式も終わり、ぞろぞろと校舎に向かうクラスメイトたちを後ろから睨んで付いていく。実際は見ているだけなのだが、生まれながらに持った目つきの悪さが睨んでいると取られるのだろう。クラスメイトたちはそそくさと逃げてしまっている。

 そのおかげで好きな場所に座れると思えば、まあ許せるのだが。

「皆さんこんにちは。今日から皆さんと一緒に勉強していくアルバ・カラークです。これからの六年間が皆さんにとって実りのある時間であることを祈ってますよ」

 どこか芝居がかった口調の男性が教壇の前で挨拶をしている。恐らく担任なのだろう。身なりは良いため、どこかの貴族なのかもしれない。学園で働けるということは有能な魔法使いではあるのだろう。

 その後も説明が続き、眠気に耐え切れなくなったクラスメイトたちが次々と脱落していった。アルバの話が終わる頃には、全体の三分の一が睡魔にやられていたそうだ。


 子供にとっての娯楽といえば、果たしてなにを思い浮かべるだろうか。駆けっこやカードゲームなどが一般的だろう。様々にあるとは思うが、大部分の共通点と言えば二人以上の人間が必要であることである。

 つまり、友達だ。


 初めての魔法実習の日、アルバ先生はこう言いました。

「それでは今日は二人組で授業を行います。近くの人と組んで下さい」

 かれこれ既に一週間が経った学園生活。寮での生活もあってか、友人ができるのは当然の流れ。クラスメイトたちは次々に声を掛け合い、着々と二人組を完成させていく。

「…………」

 一人、セイレーシアン以外は。

 もともとの性格故か、その目つきも原因なのだろうか。一週間、だれもセイレーシアンに近寄ってくることはなかった。オルバール家に近づきたくないからだろうと彼女は考えていたが、そんなことはありえない。彼女の姉たちは確か友人が沢山いたはずだ。ではこの差はなんだろうか。目か? そんなに目つきが悪いのだろうか。

「おや? オルバールさんがまだ組めてませんね? 可笑しいですねぇ」

 なんだそれは。可笑しいのは私の現状か。笑えるのか。

 目つきが三割増しで怖くなった。

「うちのクラスは偶数だから余るはずはないのですが……」

 それでも残るやつはいるんだよ、と。一人ハブられる子はいるんだよ、と。

 声を大にして言ってやりたかったが、ガンを飛ばすだけで勘弁しておいた。

 目つきが五割増しでさらに怖くなった。

 ちょうどそんな時、クラスの扉が勢いよく開かれ、転がり込むようにして一人の少年が入ってきた。

「すみません! 遅れました!」

 入ってきたのはブラウンの髪の少年だった。年相応の小さな体を弾ませ、汗だくになっている。

「ダーゲシュテン君、また遅刻ですか。駄目ですよ、遅れたりしちゃあ」

「ご、ごめんなさい。これには訳がありまして……」

「ほう、そうですか。ではその訳がちゃんとした理由ならば減点はなしにしてあげましょう」

 アルバの言葉にパッと顔を上げた少年は、元気よく理由を述べた。

「優雅に朝シャンしてたら朝食を取る時間がなく……」

「ふむふむ、朝食を抜いて来たんだね?」

「いえ、朝から三回お代わりしてきました!」

「うん、アウト」

 杖でポカリと頭を小突かれて終了。残念ながら少年の遅刻は認められなかったようだ。

「それよりも君はオルバールさんと組んで下さい。これから外に言って実習訓練を行いますから」

「はーい」

 アルバが指差した先のセイレーシアンがビクリと肩を震わせた。少年は彼女の元に来て、元気に手を上げて挨拶をする。

「よろしく、オルバールさん。あ、俺ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。よろしくな」

「……そう」

 ギロリと睨みつけた。

 元々こいつが遅刻したのが原因だと判断したのだろう。その目つきはいつもの八割増しで怖かった。



 そんな初遭遇を経ての授業。簡単な魔法理論を教わり、それでは試しにと初級の無属性魔法、破砕ブラストを唱えることになった。二人一組で先生のもとに行き、地面に置かれたボールに当てるといったものだ。破砕ブラストは簡単な魔法であり、殺傷力はほぼ無いに等しいが役に立つ魔法だ。そのため魔術学園でもまず最初に教えることになっている。

「さて、その理由はなにか。分かるかい?」

 全員を見渡してアルバが問う。それに答えられる子がいないのか、ちらちらと周りの子たちと目配せをしていた。

「はい」

「ダーゲシュテン君」

 パッと隣の少年が手を上げたのを見て一瞬ドキリとする。セイレーシアンがそちらに目を向けると、ユクレステは気負った様子もなくスラスラと言葉を繋げた。

「魔法理論において特異な属性だからです。他の四属性とは違い、独立したものであるため他と比べるために早めに覚えるのが好ましいからです」

「うん、よろしい」

 噛み砕いて言ってしまえば、魔法に対しての慣れと、違いを理解する上で必要なのだ。

 容易く言ってのけたユクレステはやり切った感満載の顔で一息入れ、ふとセイレーシアンの方を向き、

「ご、ごめんなさい……でしゃばりました……」

 小動物のように震えまくっていた。

 どうやら先ほどの睨みが余程恐かったと見える。ヘタレである。

 別に睨んでいた訳ではなかったのだが、まあいいやと気持ちを切り替える。今は魔法の実践練習の場だ。集中して杖を握りしめた。

「ではまずはダーゲシュテン君。どうぞ」

「はい。……破砕ブラスト!」

 瞬間、空気が爆ぜた。パァン、と小気味良い音と共にボールの近くの空気が振動し、跳ねさせる。さらにそちらに杖を向け、再度一言。

破砕ブラスト!」

 ボールの進行方向にあった空気が振動し、今跳ねた場所とは反対に飛ばされる。ボールはアルバの頭上に跳ね、見事に彼の腕の中に収まった。

「うん、見事だね。一年生にしては上出来だ」

「はい! ありがとうございます!」

 クラスメイトたちもオー、と声を上げている。セイレーシアンも多少は驚いてはいたが、兄達の使う魔法を知っているため口には出さない。

 次は私だと、深呼吸をする。

「ではオルバールさん。どうぞ」

 アルバの開始を告げる声が聞こえた。セイレーシアンは杖を高らかに上げ、ボールに照準を合わせる。

 自分はオルバール家の人間だ。魔法においては至上とも言われたその末娘。この程度できて当然の家系。

「……っ、破砕ブラスト!」


 けれど、違う。

 オルバール家は確かに名門だ。兄は、姉たちは確かに魔法使いとして一流だ。父も母も、叔父も、叔母も。最近生まれた甥も既にその片鱗を見せていると聞く。ただの例外もない――いや、なかった。

 けれど、私は違う。


 シーンと静まり返るクラスメイトたち。先生であるアルバも同様だ。隣で見ていたはずのユクレステも顎に手を当てて黙っている。

 ボールには少しの動きも、ない。


 オルバール家において魔法が使えないという者はいなかった。これが一般の平民であれば魔法が使えない者も少なくはないだろう。だが魔法の名門であるオルバールからは今まで長い歴史をひも解いても魔法が使えないものなど一人としていなかった。

 魔力はあるのだ。だから現にこうして魔術学園に入学できた。だが、それ以上を成功させたことが今まで一度としてなかった。オルバール家の得意とする火属性の魔法も、だれでも出来ると称された無属性魔法でさえも、これまでの練習で一度もできた試しがない。

 父からは家の練習で出来なかっただけだ、学園で学べば使えるようになると言われた。

 そんな耳触りの良い言葉に隠れた裏側をセイレーシアンは分かっていた。

 諦めたのだ。彼は。

 セイレーシアンが魔法を使えないことが分からないから、これ以上なにをしても無駄だと悟った父は諦め、匙を投げた。全てを学園側に丸投げして。

 それに気づいた時は腹が立ったし、憎みもした。けれど、同時に仕方がないかと納得もしていた。


 だってセイレーシアン・オルバールは。

 名門、オルバール家の落ち零れなのだから。



 結局、セイレーシアンは授業を途中で抜け出してきた。気分が悪いと嘘を吐き、早々に女子寮へと帰っていた。途中聞こえたひそひそ声が痛かった。

 曰く、オルバール家なのに。

 曰く、だれでも出来る魔法なのに。

 部屋に入るなり、セイレーシアンはベッドに体を埋めた。清潔に洗われたシーツからは不快な臭いが一切せず、目を閉じればそのまま眠れそうだ。

 けれど今のセイレーシアンにはそれが出来なかった。閉じた瞳の奥から熱い涙があふれ出し、シーツを濡らしていく。今日あった出来事を忘れようにも、この胸の痛みと涙の熱さが忘れさせてくれそうにないだろう。




「ん……」

 あれからどれだけの時間が経ったのだろう。いつの間にか眠ってしまい、気付いたら辺りは薄暗かった。カーテンを開けっぱなしにして寝ていたため、うっすらと陽が昇る所が見えた。

 どうやら半日以上寝てしまったようだ。

「……えっ?」

 流石に寝過ぎだろうと自分でツッコミを入れておいた。


 くしゃくしゃになった制服を脱ぎ捨て、運動着に着替えたセイレーシアンは寮のエントランスに来ていた。シャンデリアには魔法の光が灯りその下では幾人かのミーナ族がせっせと働いているのが見える。

 その中の一人が声を掛けてきた。

「オルバール様、こんな朝早くにどうなされたのですか?」

「寮長さん……。なんでもないわ。ちょっと、目が覚めたから出てきただけよ。ああそうだ、私の部屋に制服があるんだけど、綺麗にしておいてくれる?」

 そう寮長である女性に頼んでおいた。

 彼女はアズと言う名のミーナ族で、エンテリスタ魔術学園でも古株となる人物の一人だ。質素なメイド服に身を包み、儚げな笑みを浮かべている。

「かしこまりました。それと、オルバール様にはこちらが届いておられました」

 渡されたのは封筒だった。蝋で閉じられ、オルバール家の紋章が描かれている。恐らく彼女の実家から送られたものなのだろう。

「……ありがとう」

 少しためらいながらも受け取り、寮の外へと出た。扉から少し離れた場所で封筒の中身を取り出す。そこには美しい父の字が羅列していた。

「――――っ!」

 半分までは読めた。だがそれ以上はもう無理だった。激情のままに手紙を破り捨て、堪らず駆け出す。

 なにが諦めるな、だ。オルバール家の誇りを忘れるな、だ。そんなものが理解できない年はとうに過ぎた。

 相も変わらずな父の言に怒りを覚え、また己の無力さに憎しみが込み上げる。それを忘れるために走って走って、下を向いて我武者羅に駆けた。そんなことをしても無駄だと言うのに。

「っ、はぁ、はぁ……なにやってるのよ、私は……」

 息を乱しながら、己をバカにする。それで気が晴れることなどなく、ただ空しさだけが漂っていた。

「ここは?」

 ふと顔を上げたセイレーシアンの眼に入ったのは広場だった。彼女の記憶が正しければエンテリスタ魔術学園の敷地の端にある公園だったはずだ。

 朝も早いためか、人っ子一人……いた。

「あれは……」

 まだ陽も完全に昇っていないという時間のはずなのに、一人の少年がセイレーシアンより先に公園の主になっていた。その少年はブラウンの髪を揺らし、手には木剣を持ち、必死になってそれを振っていた。

 セイレーシアンは剣を習っていた訳ではない。それでも、その剣の振り方が綺麗だということは分かった。それが果たして正しい評価なのかは不明だが、それ以外の言葉は幼い彼女の頭には浮かんでこなかった。

 だが首を傾げもした。基本的に魔法使いである彼がなぜ剣を振っているのかと疑問する。

 セイレーシアンは一瞬考えてすぐに放棄した。疑問を解決するために一歩、クラスメイトである少年に近づいた。同じクラスで、昨日の授業を共に受けた、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンに向かって。

「……。おはよう」

 一瞬なんと声を掛けてよいものかと逡巡したセイレーシアンだったが、普通でいいかと挨拶をする。

「へっ? え、あ……オルバールさん?」

 ユクレステはポカンと彼女のことを視界に止め、驚いたのか剣を振るのを止めた。

「おはよう、オルバールさん。早いんだね、朝」

「そうでもないわよ。今日は特別なの。それよりなにやってるの?」

 首を傾げながら剣を指差す。質問の意図に気付いたのか、ユクレステは照れたように笑いながら木剣を背中に隠した。

「あはは、ちょっと剣士の真似事を……ああいや、ほら、こう散歩してたらこれが落ちてたから興味本位で振ってみただけだし……」

「嘘はいいわよ。結構様になってたし、昨日今日やり始めたって感じでもないし」

「え、えっと……いや、これは別に魔法使いをバカにしている訳でなく……」

 尻すぼみになっていくユクレステの声。なにをそんなに必死になって隠しているのかと考え、この場所のことを思い出す。

 エンテリスタ魔術学園。ルイーナ国における魔法使いの巣窟だ。そんな場所で剣を振るということは、魔法そのものを侮辱しているに他ならない。多くはないが魔法使いが剣士をバカにするという風潮がないではないのだ。

 魔法とは持って生まれた才能であり、それが出来ないものを下に見ると言うのは、まま良くある話である。

 しかも目の前にいるのが魔法の名門であり、オルバールの名を持つセイレーシアンならば尚更だ。

「別に私は剣をバカになんてしてないわよ。貴方の剣の振り方が綺麗だったから気になっただけだもの」

「えっ、そうなの?」

 キョトンと目を丸くしたユクレステは、ホッと一安心と背中の木剣を持ち直した。

「よかった。魔術学園で剣を振ると友達が出来なくなるって話聞いててさ、ちょっと心配してたんだよ」

「へぇ、凄い話ね」

 まあ魔法使いを志す者たちからは反感を買うだろうし、概ね間違いではないのだろう。

「それで、なにやってるの?」

「ん? ああ、ちょっと剣の練習。こういうのは出来るだけやっておいた方が鈍らないからね」

「魔法使いなのに?」

「俺の師匠がさ、剣もまともに振れない男にはなるなって言うんだよ。まあ体を鍛えるって意味でも必要だからやってるんだけどね。魔法使いって言ったって常に後ろの方で安全に詠唱出来る保障なんてないんだから」

 セイレーシアンはなるほど、と頷いた。家の人たちは剣なんて必要ないと口を揃えて言っていたが、考えとしてはユクレステの方が納得は出来る。魔法の研究家ならいざ知らず、王宮の魔法使いだろうと冒険者だろうと、なにがあるのか分からないのだ。鍛えておいて損はないだろう。

「ねえ、貴方。それ、私にもやらせてくれない?」

「えっ? 剣を?」

「ええ。魔法が使えない落ち零れでも剣なら振れるでしょ?」

 自虐の笑みを浮かべ、ユクレステの持っている剣に手を伸ばす。

「んー、別に構わないけど……二つくらいお願いしてもいい?」

「お願い?」

 少し考えた後、ユクレステは片手を上げてお願いを口にした。

「一つは、オルバールさんのこと名前で呼んでいい? 家名で呼ぶのって苦手でさ。ついでに俺のこともユクレステって呼んでいいから」

「ユクレステ……呼び難いわね」

「失敬な!」

「まあ、いいわよ。別にそれくらいなら。それだけ?」

「あと一つなんだけど、この後時間取れる? ちょっと付き合ってもらいたいんだけど」

 付き合って。そう聞いて少しドキリとしたが、前後の文脈からなにか買い物でもするのだろうか。まあそれくらいなら別にいいか、と頷く。

「少しだけなら構わないわよ」

「うん、なら交渉成立。はい、どうぞ」

 ユクレステから木剣を手渡され、ズシリとした重みに驚いた。先ほどヒュンヒュンと振っていたからもっと軽いものだと思っていたのだ。

「結構、重いのね」

「あー、そうかも。練習用だからね。わざと重たくしてあるんだと思う」

「思う、って。これ貴方……ユクレステのでしょう?」

 呆れた目を向けられ曖昧に笑うしか出来ない。確かに所有者はユクレステだが、元々それを渡したのは彼の師匠にあたる人物だ。彼女がなにを考えていたなど彼にとってはあずかり知らぬ場所にある。

「剣を振る時はこうやって右手を前にして……そうそう、結構様になってるね。それでぐーっと上げて……」

 ユクレステの手がセイレーシアンに振れ、構えから振り上げを丁寧に指示していく。

「で、振り下ろす。その時にこう手を締めるようにしてピタリと止めるんだ。さ、やってみなよ」

 コクリと頷き、上がった両腕に力を込め。

 振り――下ろす。

「っ!!」

 瞬間、まるで電気が走ったようにセイレーシアンの体は震えた。

 そうであるのが当たり前なように、剣の動きがスッと己の中に入って来る。

 面白い。純粋そうに思った。

「おお、上手い上手い!」

 ユクレステの称賛の声が聞こえる。セイレーシアンは再度振ってみる。

「っ、はっ!」

 振る、振る、振る。

 剣が動く度に彼女の中で面白いという思いが浮かび上がって来る。

 剣を振るのは面白い、こうして体を動かすのはなぜだかとても楽しい。

 いつの間にか彼女の額に汗が流れている。それでも止まらず、一心不乱に振りまわしていた。


「大丈夫?」

「はっ、はっ――へ、平気よ」

 剣を振って百を超えた辺りでようやく動きが止まった。面白かったため振りまくっていたのだが、よく考えればあれだけ重たい物を振り回して疲れないはずがない。セイレーシアンは息を整えながら草むらに横になっていた。

 仰向けに寝転がり、顔を腕で覆いながら息を荒くし、それ以上に充実した気持ちで休んでいる。

「いきなり動いたから体がビックリしてるみたいだな。水、飲む?」

「え、ええ……頂くわ」

 体を起こし、水筒の水を一気に呷る。冷たい液体が口を喉を湿らせて体内に落ちていく。その感覚が気持よく、もう一度飲む。

「ふぅ。ありがとう、美味しかったわ。それに、剣も楽しかった」

「そっか。よかった、元気になったみたいで」

 ユクレステの言葉にハテ、と首を傾げる。

 それではまるで元気がなかったように聞こえるのだが。

「昨日のことで元気なかったんだろ?」

「……そう言えば、そうだったわね」

 そこまで言われてようやく思いだした。セイレーシアンは先ほどまでこれでもかとばかりに落ち込んでいたのだ。剣を振っていてすっかり忘れていた。

「不思議ね。剣を振ったら悩みが飛んでったみたい」

「あはは、セイレーシアンって案外剣士に向いてるかもね。剣を振るのに邪念がないみたいだし」

 笑いながらの言葉に、それもいいかもしれないと思ってしまう。少なくとも、今のままで魔法使いとしては大成しないだろう。ならばいっそのこと……そこまで考え、ユクレステが声を掛けてきた。

「それじゃあ約束通り、少し付き合ってもらっていいかな?」

 二つ目のお願いをここで発動する。セイレーシアンは思考を一度区切り、ユクレステの方に顔を向けた。彼は立ち上がり、尻に付いた草を払っているところだった。

「いいけど、どこに行く気なの?」

 当然の疑問を口にしながら立ち上がる。汗でへばり付いた草を摘み取っていると、ユクレステは剣と水筒を肩にかけて悪戯っぽく笑った。

「うん、ちょっと俺の部屋に来てよ」

「……えっ!?」


今回から数回に分けて回想話となります。

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