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聖霊使いへの道  作者: 雪月葉
セントルイナ大陸編
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人魚入浴中

 ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンは魔物使いを自称する少年だ。年齢は数えで十八。つい先日、王立エンテリスタ魔術学園を卒業し、冒険者として身を立てるために冒険者の町と名高いゼリアリスへと訪れていた。特別面倒な作業をこなすでもなく、冒険者ギルドの受付と二、三の問答を繰り返してつつがなく冒険者の証とも言うべき冒険者カードを手に入れた。なにせ身元は保証されており、魔術学園を卒業出来るだけの実力を持っているので、入会試験などは全てパスだ。時間なんて三十分も掛からない。手始めになにか仕事クエストなんかを受けようかな、というとき、他の冒険者たちの会話が耳に入ってきた。

「おい、聞いたか? 迷いの森の奥に神殿が現れたんだってよ」

「神殿? なんだそりゃ?」

「おまえ、そんなもんも知らないのかよ! 神殿ってのは、あれだ。えーっと……えーと……あれなんだよ!」

「おまえも知らないんじゃないかよ」

「ち、ちげーし! 知ってるし! ちょっとばっか忘れてるだけだし! と、とにかく迷いの森に行かない方がいいらしいぜ?」

「いや、別に用事もないし。だれがあんなとこに好き好んで行くかっての」

「そりゃそっかー」

 なにやら頭の悪そうな顔の二人が頭の悪そうな会話をしていた。結局どういうわけなのか今一要領を得ないが、分かったのは二つ。

 神殿が現れたということと、それが迷いの森にあるということだ。それを聞き、ニヤリと笑みを深めるユクレステ。

「なあなあ、聞いたか? 神殿だってよ」

 彼の周囲には人はおらず、一体だれに対して言葉を放ったのか疑問する。

『聞こえたけどさ……あんまり人前で話さない方がいいよ? 独り言してるかわいそうな子って思われちゃうだろうし』

 どこからか澄んだ少女の声が響いてきた。声の出所は、ユクレステの首から下げられた水色の宝石。そこから聞こえてきたように思える。

 その声が言っていることを気にせず、宝石を顔の前に持ち上げた。窓から入ってきた光を受けてキラキラと輝く宝石。その中で、僅かに影が揺れた。

「大丈夫だって、別に悪いことしてる訳じゃないし。それにほら、俺の仲間と話すのにコソコソするのって嫌じゃん?」

『そう言ってくれるのは嬉しいんだけどねぇ……』

 若干照れた声に聞こえるのは気のせいではないのだろう。嬉しさで震える声を必死に抑えつけ、声はそれよりもと話の続きを促す。

『で、どうするの? 私としては無難に普通のお仕事をこなして旅費を貯めるのが正解な気がするけど? 今日の宿代だって危ないんでしょう?』

「うっ、痛いところを……」

 現状、ユクレステは一文無しなのだ。

 宝石からの声は危ないと言っているが、実際は完全にアウト、今日の寝床どころか食べ物を購入する金すらない。旅に出る際に実家から貰った金銭も、僅か一週間の道程で綺麗に消え去ってしまったのだ。

「で、でもそれはほら、俺のせいじゃないし……」

『いやいやいや、あれは一から十まで全部マスターのせいじゃん』

「むぐぅ……」

 怒り顔の人魚の姿を思い浮かべながら、ユクレステは沈黙する。

 確かに、少しは自分に非があったのかもしれないとは思っている。途中に寄った町で宿を取り、金銭の入った袋を置いて外に出たのは失敗だったかなとは思うさ。

「でもさ、ちゃんと鍵だって掛けてたんだぞ? それなのに帰ってきてみれば無くなってるなんておかしいじゃんか!?」

『だからさ、絶対にあれって宿の人が盗んだんだって。鍵持ってるのはあの主人しかいないんだから』

「うぐぅ……」

 話に出ている通り、ほんの少しの時間外に行っている間に荷物が消えていた。それはもう見事に、全部。金に始まり、魔法使いが使用する杖、魔術の媒体の薬品。それから護身用のロングソードまでものの見事に全部だ。

 慌てて宿の主人を呼び、一緒になって探してもらったが結果は散々だった。金の入っていた袋が近くのゴミ箱に捨てられ、それ以外は影も形も見当たらない。魔法を使っての探知サーチだって試したのだが、村の中にはなにもなかった。結局、その日は前払いしてあったおかげで一泊できたのだが、それから三日間は野宿を余儀なくされていた。

 ちなみに、村人の話では近くの盗賊が盗んでいったのではないかと言うことだ。その時は納得してしまったが、言われてみれば宿の主人、それどころか村人全員がどこか可笑しかった。

「変だと思ったんだよ、見ず知らずの俺にただでご飯を奢ってくれたり、きっとあれ、足止めしようとしてたんだろうな」

『もっと早く気付きなよ、マスター」

 決して子供に好かれる方ではないユクレステに、子供が遊んで遊んでせがんで来た時点で気付くべきだったのだ。なるほど、あれが噂の盗賊村なのだろう。

「と、とにかく今はそれどころじゃないんだよ! 神殿だぞ、神殿! 神殿があるってことは、それを創れるくらいに力のある魔物がいるってことだろ? これって勧誘のチャンスじゃないか?」

 そろそろ周りからの目が痛くなってきたところで一つクエストを申請し、そそくさと冒険者ギルドから脱出し、歩きながら宝石の中にいる人魚姫、マリンに話しかける。彼女は少し唸った後で、確認のため声を上げた。

『本気? 神殿創ってるってことは、それだけ他人を拒絶してるってことだよ? それなのにわざわざ関わりに行くの?』

 神殿を創ることが出来る魔物は少ない。一定以上の力と、他者を拒む心。両方を以て初めて神殿という、己の心の闇を創り出すことが出来る。そんな相手に対して、他人が近付けばどうなるかなど、考えなくたって分かる。きっと高レベルの冒険者だって近づかない。

 それでもユクレステは頷いた。

「当たり前だろ? 俺は魔物使いなんだから」

 またこれだ。マリンはハァ、とため息を吐いた。彼女の存在するアクアマリンの宝石の中で、擬似的な海が息の分だけ揺れ動く。

「やっぱさ、魔物使いなんだからもっとたくさんの仲間が必要だと思うんだよ。や、別にマリンが不満ってわけじゃないんだぞ? ただ使役してる魔物が一人だけだとどうしても箔がつかないっていうかなんというか……ほら、伝説の聖霊使いなんて千匹の魔物を操り、百の精霊を使役したとか書いてあるしやっぱ聖霊使いを目指すんだから仲間を増やすのって必要だと思うんだよな、うん」

 聖霊使い、魔物使いのこととなると彼の話は思いの外長くなる。普段はそこまで饒舌な方ではないのだが、やはり好きなこととなると口が軽くなるのだろうか。痛む頭を押さえながらマリンは再度息を吐いた。


 ところで。魔物使い、とユクレステは言っているのだが、実際にはそんな職業はない。いかに冒険者であろうとも、堂々と魔物使いであると宣伝するような人物はいないのだ。事実、ユクレステ本人も職業欄には魔物使いではなく魔法使いと記入している。あれだけ魔物使いを神聖視しているくせに、とは思うが、それも仕方ないことなのだ。

 そもそも、魔物使いとはなろうと思えばだれにでもなれるものだ。早い話、村の近くにいる最低級モンスターを縄でグルグル巻きにして引きずって帰れば、それは確かに魔物使いとなるのだ。流石に極端な例になってしまったが、ユクレステの通っていた低級魔術学校では魔法使いの授業の一環として魔物を捕獲して契約させるといった授業もあったほどだ。

 術による拘束だろうと、力による屈服だろうと一度従えてしまえば魔物使い。そんなものが職として成り立つということは、いかに簡単な世の中でも起こり得なかったようである。


 閑話休題


 結局、マリンはユクレステの話が一区切りを迎えるまで黙り、落ち着いた瞬間を狙って声を上げた。

『とりあえず分かった。神殿には行くんだね? それならそれでちゃんと支度をしないとダメだよ。神殿なんて相手のホームみたいなもんなんだから、手ぶらで行ったら一発でやられちゃうよ』

「分かってる。だからちゃんと初めてのお使いも決めてあるし、任せとけって」

 ニッと笑うユクレステ。しかしなぜだろうか。その笑顔が、とても頼りなく見えるのは。

 まあ、なにが起こっても宝石の中にいる自分には大した被害はないだろうと高を括るマリンであった。




『ぜっっったいイヤ! 死んでもイヤ! むしろマスターを殺して私も死ぬ!』

「えー、そんなに嫌がらなくても……ちょっと行って取ってくるだけだからさ、な?」

『な? じゃないよ! なに言ってんの!?』

 眩しいほどに照りつける太陽の下、ゼリアリス城の前で二つの声が言い争いをしている。だがそこに目を向けても一人の人物しかおらず、通りすがった人ではもう一つの声の正体が分からないだろう。そんなもう一つの声の主は、宝石の中から顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。

「あんまり我がまま言うなって。これも仕事だって割り切れば大丈夫だろ?」

『ハァ!? 嫌に決まってるじゃん! なんでこんなクエスト選んできたのさ!』

「いや、これが一番楽だったし。それにほら、割と支払いよかったからさ、このクエスト」

 お城の前の堀の側。そんな場所での押し問答が続いている。事の発端はユクレステが持ってきたクエストによるものだ。以来内容は簡単で、失くした結婚指輪を拾ってきて欲しいというもの。なんてことない、ただの探し物クエストなのだが、落とした場所が問題なのだ。

『だからって……だからってこんな汚い水に潜れって言うの!?』

 どうもその落とした場所というのがこの堀の底だというのだ。なぜそんな場所に、と思わなくもないが、そこそこ深い堀の底に加え、どこに沈んでいるかも分からないので自分では取りに行けない。だからクエストとして申請したらしい。

 それを目聡く見つけて来たユクレステは、自身の探査魔法サーチで指輪の在り処を発見し、そこにマリンを向かわせようとしたのである。しかし、一つ誤算があった。人魚族は水の清濁にとても敏感で綺麗な水でなければ生きられないのだ。目の前の堀に溜まった水はそこまで汚いようには見えないのだが、高貴な人魚族であるマリンには耐えられないようだ。どれほど頼んでも首を縦に振ってくれない。

『絶対にイヤ! どうしてもって言うならマスターが行って来ればいいじゃん! 場所分かるんでしょ!?』

「や、確かに場所は分かるけどさ……でもほら、今俺って杖持ってないじゃん? 水中行動の魔法、発動できないんだよ、それだと」

『むぅうううう!』

 先日盗まれた愛用の杖。魔法使いにとって杖とは剣士にとっての剣のようなものだ。いや、もっと重要なものかもしれない。なにせ、魔法には杖がなければ発動出来ないような魔法もあるのだ。探査魔法(サーチ)など無属性で低級の魔法ならば杖を使わなくても唱えられるが、火属性などの各属性魔法には杖が魔力媒体である杖やそれに類似するものが必要不可欠なのである。極僅かに杖を必要としないほどの才能を持った魔法使いもいるのだが、生憎とユクレステはそんな有能な魔法使いではない。無論、無能でもないのだが。

 水中での呼吸や、水圧に耐えるための魔法に杖は必要であるのだが、現在手元に杖がない。購入しようにも金がないため、仕事をクリアするしかない。堂々巡りだ。

「そんなわけで、頼むよマリン。ほらこの通り!」

 両手を合わせて頭を下げる。流石に主のその姿を見て思うところがあるのか、不機嫌ながらも声を絞り出した。

『お風呂……』

「へ?」

『お風呂のある宿にしてよね! それで、私のことちゃんと綺麗にして! じゃなきゃ潜らない!』

「あ、ああ、うん。分かった! それでお願いします!」

『ホントにもー』

 ぶつぶつと不満を口にするマリンが魔力の込められた声を発し、宝石から光が溢れユクレステの隣に人魚の少女が現れる。周りの人たちに見られる前に素早く堀へと飛び込んだ。

「うぇええ、私、汚されちゃった……」

「や、その言い方はどうかと……」

 潜って行くマリンを見送りながら、ユクレステは考える。

 ゼリアリスは小さな国ながら、冒険者ギルド発祥の地。自然にも恵まれ、一年を通して水には困らない国だ。そして、魔法機器に関しても進んで技術を取り入れているはず。

 つまりなにが言いたいかと言うと……。

「風呂付きの宿って、そんなに掛からないよな?」

 これから入るであろう収入と、出て行くであろう宿代を頭の中で計算し、ため息を吐くのだった。



 ゼリアリスの中心街から少し離れた場所にある宿、猫々亭。名物は上質な魚の乾物を削り、米に乗せて食べるネコ飯ねこまんまだ。そこにだし汁を掛けようものなら、国一番の食通ですら認める一品になる。しかし残念ながら、ユクレステは食事をするより先にしなければならないことがあった。

「お湯加減はいかがですか、お姫様?」

「んー、最高……やっぱりお風呂っていいよねー。人間が発明した中で一番素晴らしいよ」

 ぐてーと体を弛緩させながら、んー、と伸びをする。部屋に併設された個人用の浴場で、大人二人が寝転んでも大丈夫そうな浴槽にぷかぷかと体を浮かべ、マリンは幸せそうに呟いた。

 普段ポニーテールに纏めている髪が湯船いっぱいに広がり、ボリュームのある胸に引っかかる。

「それじゃ、お願いしようかな? マスター?」

「はいはい、分かりましたよ」

 浴槽の縁に腰を下ろし、尾びれを湯から引き上げる。そのタイミングで浴室の戸が開き、半裸の少年が入ってきた。上半身は裸で、魔法使いの割に鍛え上げられた体が現れる。下半身にはトランクスを着用しており、最低限の防御は忘れてはいない。

 ユクレステは浴室に籠もる熱気のせいか、はたまた別の要因のせいか顔を赤くし、タオルを片手にマリンへと近寄った。

「じゃあマスター? 汚れちゃった私を綺麗にしてね?」

「だから言い方……まったくもう……」

 クスクスとからかいの色を出しながら微笑むマリンから視線を外し、軽々と抱き上げて浴室の床へと優しく下ろす。

 つい先ほど購入したハーブの香りがする石鹸を泡立てる。高価ではないにしても、そこそこ値が張るものなのであまり大量に使いたくはないのだが、これもマリンへのご褒美だ。仕方ないと割り切っておこう。

「んじゃ、背中から洗いますよっと」

「はーい、お願いしまーす」

 長い金色の髪を前へと垂らし、露わになった背中。猫背で丸まった小さな背には水滴がつき、ツツ、と下へ下へと落ちていく。それを思考の外へと追い出すと、少し強めに背中を洗っていった。

「あいたた、ちょっと強くない?」

「体洗ってるんだから当たり前だろ? 決して。決して恥ずかしいのを紛らわせるために強くしているわけじゃないぞ?」

「あー、うん。ソーデスネー」

 片言で答える人魚にイラッとした。

 それでも綺麗にしてやり、背中はこれで完了だ。では次に……。

「はい、じゃあこっちもよろしくね? 丹念に、キレイキレイに。あ、あと優しくしてね?」

「……おう」

 そう言ってユクレステの前にデン、と自身の下半身を差し出した。綺麗な翡翠色の鱗に、二股に分かれた虹色の尾びれ。間近で見ればその美しさに頭がクラクラしてくる。なんというか、このままいけないことをしたくなるような、そんなことを助長するような効果でもあるのだろうか。

 だがしかし。そんなことで魔物使いはやっていられないのです。

「とりゃー!」

「ひゃわっ!」

 先ほどよりもずっと力を込め、力任せに鱗を擦る。質感的には確かに固いが、どこか艶めかしい感触が理性への毒だ。ガッシガッシと下半身を泡まみれにしていく。

「ちょっ、優しくって言った……んぁああ! ん、んん! だ、ダメだってばぁ!」

 なにかを我慢するように、声を噛み殺していた。口元を手で覆い、必死に声を漏らさないようにしている。リズミカルに体が上下に揺れ、それに合わせて息と共に甘い声が漏れ出す。

「ん、ダメ……激し――!」

 浴室の床に倒れこんでしまい、目の端に涙が浮かぶ。それは決して嫌だからとかではないのだろう。なにせ、敬愛すべきマスターが自分のために体を綺麗にしてくれているのだ。どこか、恍惚としているようにも見える。

 そんな幸せな時間もすぐに終わりを迎えた。

「はい、終わりっと!」

「――っ!? ひゃぅううううん!」

 バシャ、と乱雑にお湯を浴びせ、下半身を覆っていた白い泡を流していく。急にお湯を掛けられ、割と敏感になっていたマリンの頭が真っ白になった。

「あ、熱いよぅ……」

 ぼーっとした表情で呟く。心ここにあらず、といった表情だが、ユクレステは冷めた目で見下ろしていた。

「そりゃそうだろ。お風呂のお湯なんだから」

 やれやれ、といった感じで肩を竦め、綺麗に洗ったマリンを抱き上げて湯船に放る。恍惚とした表情のまま沈んで行くが、まあ人魚だし。問題ないだろう。

「それじゃあちょっと情報収集してくるから、茹で上がらないうちに早く出とけよー。流石に晩飯に人魚とか食べたくないぞ」

 割と怖いことを仰っているが、言われた本人の耳には入っていなかった。



猫々亭を抜け出し、ユクレステはとある建物の前にやって来ていた。兵士詰め所と書かれた看板を確認し、木製の扉をノックする。

「ごめんください。冒険者ギルドの者ですが」

「おーう、ちょっと待ってろー!」

声を掛けて数秒、大柄な男が扉を開いて現れた。身長は190は超えていそうだ。扉に頭をぶつけないように少しかがんでいる。

「よお兄ちゃん、待ってたぜ。ほれ、こいつでいいかい?」

 丸太のような太い腕 がぬっと差し出され、その手に掴んでいた棒状のものを見せる。

「はい、アストンさん。助かります」

 アストンから手渡されたのはユクレステにとってなじみ深いものだった。

 杖。使い古されたかのようにあちこちの色が剥げているが、魔法を使用する上では問題なさそうだ。長さは30㎝程度と短いものだ。

 そもそも、なぜこの筋骨隆々の男性から魔法使いの命でもある杖を貰っているのだろうか。理由はとても簡単である。


 先ほど請けたクエストの依頼主がこの兵士長、アストン・ミラー氏だった。彼は婚約指輪を失くしてしまい、妻にバレる前に探し当てたユクレステに大層感謝した。なにか他に礼をしたいと申し出た彼に、ユクレステがお古でもなんでもいいので杖をくれと懇願。どうやらこのクエストだけでは杖を用立てるほどの金額に届かなかったようだ。アストンは兵士詰め所の奥に埃をかぶった杖があるのを思い出し、わざわざ探してくれたというのだ。

 杖を持たない魔法使いなど大した役に立たないのはユクレステが一番理解している。杖を貰い受け、一安心とばかりに吐息する。

「本当にありがとうございます! 杖がなくなってどうしようかと思ってたところで……アストンさんは命の恩人ですよ!」

「おいおい、そんな大袈裟な。まあ、魔法使いの杖がどれだけ大事かはオレには分からねぇけど、どうしてそんなもん失くしたんだ?」

「そ、それは……」

 首をかしげるアストンの質問に言葉が詰まった。自分の失態を人に話すのが躊躇われる。

 結局愚痴混じりに話してしまうのだが。

「そいつはまた……災難だったなぁ」

「うぅ、そうなんです、そうなんですよ……そりゃ、ちょっと油断はしてましたけど、なにも全部盗んでいかなくてもいいじゃないかと……!」

「盗賊村の連中はなぁ、全然尻尾を出さないせいで上手くかわされちまうんだよ。被害があったって聞いて行ってみても、明確な証拠なんてないし。近くに盗賊のアジトがあると思うんだが、とんと見つからねぇ。……悪いな、なんか」

「い、いえ、こうして杖も頂きましたし。いくら古いものとはいえまだ使えますし、杖は高価なものですから」

 一般的に見て、杖は剣や鎧に比べて値が張る。もちろん、剣も杖も素材によってピンキリだが、その中でも特に杖は頭一つ抜けている。なにせ、杖の中枢と呼ばれる魔力媒体のために高位の魔物の素材がたっぷりと使われているため、それ代だけでもかなりのものになるのだ。最低級である子供用の練習杖でさえ中級クラスの魔物が十体分は素材として必要なのだ。高い物になればそれこそ天井知らずの値段になるだろう。

 今回ユクレステが盗まれた杖は、外部分の木の素材はそこまで高価な物ではないが、軸とされている魔力媒体がかなり高価なものなのだ。その価値が如何ほどかと言えば、それ一つで豪邸が二、三軒買えるほど。別に金を出して購入した訳ではないのだが、盗まれるにしては少々額が大き過ぎる。出来れば取り返したいのだが……アストンの様子から見るに難しそうである。

「それにこの杖、結構いい素材使ってますよ? 外部分は変える必要がありそうですけど、魔力触媒が中々……多分、ドラゴンの素材を使ってますね」

「そうなのか? オレにはよく分からねぇが、そういうのって分かるもんなのか?」

 杖を軽く振りながら感触を確かめるユクレステに、疑問の声が投げかけられる。

「んー、俺の場合昔使ってた杖にドラゴンの素材が使われていたので、近い感覚からそうじゃないかな、と」

「へぇ、ドラゴンの素材ねぇ」

 ユクレステの杖にはドラゴンの素材がふんだんに使われていた。毛、髭、爪、血、涙、唾液。

 ドラゴンの素材は高価であるが故に、魔力触媒としては最高の力を発揮する。以前の杖ほどではないが、この杖も安い杖とは比べ物にならないだろう。

「まあなんにしても、これで素手でクエストに挑まなくて済みそうです。ありがとうございました」

「ああ、構わねぇよ」

 杖をベルトに差し、ローブで隠すように収める。これで外見からは分からないだろう。

 アストンに頭を下げ、別れようとした時。

「ああ、そうだ。いくら仕事だからって迷いの森には入らないようにしとけよ?」

「はい?」

 思いだしたように忠告を受ける。もっともそれは……

「なんか、迷いの森の湖に神殿が創られたみたいで――」


 ――ガシ。


 腕にだれかが触れた。太い腕のせいで片手では掴み切れず、両手を使ってガッシリと掴んでいる。訝しんだアストンは、行動に出ている少年に視線を向けた。

「…………その話、詳しくお願いします!」

 なにやらとっても目が輝いていた。

更新です。

一週間を目安に更新していくことになるかと思います。

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