ルイーナの王族
右に左に人垣が見える。ステージを取り囲むように私服の男たちが手に槍や剣を持っている。
恐らく彼らは元々ロイヤードの私兵だったのだろう。やたら観客の入りが良かったのも納得である。
ユクレステはため息を吐きながら特別席に立つロイヤード閣下を見た。
「生憎とこの子を手放す気はありません。彼女は仲間、そうそう簡単に人に渡すなど出来るはずがございません」
一応下手に出ておく。下手にへそを曲げられても厄介だからだ。
そんな内心を理解するはずもなく、ロイヤードはでっぷりとしたお腹を揺らしながら愉快そうに笑った。
「ふははは、なにを言っておる。強い魔物はわしが貰うに相応しいだろう?」
「……おい、話が通じてないぞ? 大丈夫か、あいつ」
「ははは……」
ウォルフの呆れた声がユクレステの心中を代弁している。
ロイヤード・アレイシャークティアラ・モーディナリディアナ・ルイーナ十二世(自称)。
ルイーナ国の王族に名を連ねる者であり、王弟であるにも関わらず基本的に影の薄い人物である。毒にも薬にもならない人物と銘打たれ、日々奔放に生きているのがこの男だ。
基本、害はないのだが、彼の趣味のおかげかユクレステと出会う機会は少なくなかった。
「ああっ! それにしてもなんと美しい魔物たちだ! わしのところに来れば最高級な品を持って迎え入れるぞよ! なんだったらわしの騎士隊に入れてやっても良い!」
ミュウとヒュウを見て身体をくねくねと捩っている。その気持ち悪さにユクレステとウォルフは吐き気をもよおした。
彼の趣味、それはずばり、魔物マニア。
どこかのだれかと似た趣味だが、言うと機嫌が悪くなるので注意。ユクレステとしても、ロイヤードと同じに思われるのは嫌なのだろう。
まあ、魔物マニアと言ってもロイヤードの場合、強い魔物を自分の配下にするのが好きなようだが。そのくせ世話は自分の手ずからキチンとするため、魔物受けはいいようだ。
「基本的に悪い人じゃあないんだよ。ただ、魔物に対して見境がないというか……」
「なるほど、おまえみたいな奴ということだろう?」
「……そうだな、強い魔物大好きって、おまえとそっくりじゃない?」
「…………」
「…………」
ガン睨みあい。
「……止めようか」
「……そうだな」
お互い嫌なら言わなければいいのに。
ともかくウォルフにとってもロイヤードは敵であると判断した。少なくとも、ヒュウたちを横から掻っ攫われる訳にはいかない。
「で、どうしようか? なんかいい案ないか?」
『話しかけないで……私がいるってバレちゃうじゃん……」
演説を繰り返すロイヤードを無視して首元の宝石に話しかける。しかし頑なに拒絶の反応を取るマリン。
「……? どうしたんですか、マリンさん」
「あー、こいつ一回あのおっさんに連れてかれた事があってなぁ」
それがトラウマになっているそうだ。
ユクレステとロイヤードが衝突した時の話なのだろう。ミュウは聞かない方がいいのだろうと口を噤んだ。
『……丁寧なブラッシング……細やかな気配り……体調管理を万全にした食事……規則正しい生活。
ああダメ! もうあんなの耐えられない!? 夜更かしさせて! ジャンクフード万歳!!』
「マリンマリン、静かにしないと気付かれるぞ?」
一体何があったのだろう? 首を傾げるミュウをスルーして宝石がポケットにしまわれて行った。
「とりあえず、どうすっかなー」
「強引に突破する、というのもいい作戦だとは思うが?」
ギロリと周りを睨みつけるウォルフ。青ざめる兵たちだが、ヒュウたちが必死になって彼を宥めているようだ。もうどちらが魔物か分からない。
ウォルフの言うように強引に突破すること自体は可能だろう。ヒュウたちやミュウ、いざとなったらマリンもいる。だれか忘れているような気もするが、それはそれとして。
だが仮にも王族。手を挙げてしまえば少しばかり厄介なことになるだろう。平穏無事をモットーに生きるユクレステには取れない選択だ。
「まあ、少し時間を稼げればなんとかなるんだけど……」
「――と、そういう訳でその魔物はわしが頂こう!」
「ああ、終わっちゃったか」
彼の長い演説で時間稼ぎでも、と思った矢先に切りあげられてしまった。普段ならばもう二、三十分は話し続けると思ったのだが、余程ヒュウやミュウを欲しがっているのだろう。
ちょうどそんな時だった。
「待てぃ!!」
コロッセオに高い声が響いた。少女のものであろう声、その発生源はステージに集う兵士たちの頭上から聞こえてきた。
ステージの四隅に立った柱、本来は四つ立っているはずだが、今は先の戦闘で三つが破壊され、残りは一つしかない。その最後の一つの柱のてっ辺にそいつはいた。
「クッ、何奴!」
ノリの良い兵士さんが声を上げ、そちらを睨みつける。つられるように皆が視線を動かし、ユクレステ以外が上を向いている。
「あ、あいつ……静かだと思ったら……」
対してユクレステは下を向き、痛む頭を押さえていた。
「力を使い果たした者に数で掛かるなど悪党のすることだ! 恥を知れ!?」
ビシッ、と伸ばされた細い指が特別席に座るロイヤードを指す。なにかを言おうとする彼の言葉を遮るようにさらに口上。
「口を開くな! 今この場において貴様は悪だ! 悪はこの私、正義に燃える聖霊使いの騎士が相手をしてやろう! 変身!!」
そう言ってダークエルフの少女はポーズをつけて彼女得意の魔法を唱えた。ユゥミィの身体に一瞬で鎧が装着され、折れた剣を頭上に掲げる。
どうでもいいが、聖霊使いの騎士というフレーズを気にいったのだろうか。いやまあ、気にいらなければなんども使わないとは思うが。
とにかくユゥミィ、覚悟、などと言いながら柱を跳躍した。
「……ん? あ、しまった! 鎧が重くて上手く体が――」
ズシャ、とそのまま落下。落ちた際にかなり重たそうな音がしたのだが、無事だろうか。
「おい、あいつ今頭から落ちたぞ」
「知らない知らない。投身自殺の現場なんて俺の眼にはなにも映らなかった」
耳を塞ぎイヤイヤと首を振る。数メートルはある柱からの落下。しかも頭からだ。普通ならば首の骨を折っていても不思議ではないのだろうが……。
「い、いだい……うぅ、ミスった……先に降りてから変身するつもりだったのに……。人の多さにテンパってしまった……」
仮にもダークエルフ。一般人とは頑丈さが違う。鎧の効果もあったのかもしれないが、とにかく大した怪我はなさそうだ。
「うむ、確かそのダークエルフも中々の強さだったか。おい」
「ん? なんだ貴様ら? あ、分かったぞ。サインだな? サインだろ? 私のファンなんだな? やれやれ仕方ないな。騎士としてそういうことは慎まなければならないのだがファンを無碍にする訳にもいかないな。うん。さあ任せろ、里にいた時に考えたサイン百選から選ばれた渾身の一筆を――あれ? なんで手を縛る? これではサインが出来ない……あ、ちょ、足も!? これではこんな時のために練習した秘技、足でサイン書きが出来ないじゃないか! あ、こら縛るな縛るな! これじゃあ口でペンを持たなければならなくなったじゃないか! まあ、それも練習しているこの私に隙などなかったがな!?」
隙だらけだよバカヤロウ。
もし声を大にして言える場面ならばそう言っていただろう。
縄でグルグル巻きにされながらも、器用に兜の間にペンを挟んで兵士のシャツに嬉々としてサインを書きまくるダークエルフはこの際無視するとして。兵士が微妙な顔をしているが、これも無視するとして。
「なんかもーメンドい。この鬱憤全部叩きつけちゃってもいいかな? 具体的にはコロッセオ諸共ふっ飛ばしたい」
「賛成だな。このカオスが貴様の魔物のせいというのはこの際無視するとして、そろそろウザったくなってきた」
「ははっ、じゃあそれでいっとく?」
「いっとくか」
ユクレステとウォルフの瞳に怪しい色が宿る。必死に彼らを宥めるヒュウ達ワンコと、ミュウ。
「はいはいそんな物騒止めて下さーい。一応この施設市民の税金で出来てるんだからマジ勘弁してってばさ」
それを止めたのは全身鎧を身に着けた人物、この大会の審判だった。彼らだけ暴れたとしてどれだけの被害が起こるのかは不明だが、いざ争うとなると先ほどの二匹の魔物も牙を向くことになる。そうなれば彼らの言うとおり、このコロッセオそのものが消えて無くなりそうで怖い。出来れば是非とも穏便に事を運んで頂きたい。
そんな思惑もあって声を掛けたのだが。
「そんなの知らなーい。俺コルオネイラ市民じゃないし」
「同じく」
「まああれだ、俺のミュウに手を出そうとしたのが悪いってことで」
「ヒュウを奪おうなどと余計なことを考えるのが悪い」
だから諦めてね、とにこやか+睨みつけて言われてしまった。
「あ、いや、それはそうなんだけどあの人うちの国の人じゃないし……」
内心かなり怯えながらも反論。
「おいいつまで話しているつもりだ! 早くその魔物ちゃん達を私に引き渡せ。そこの審判、早くしろ!」
「……あのデブ、話がこじれるからマジで黙ってろ……」
審判は心労で痛む胃を撫でながら、はぁ、と息を吐いた。それから口を開こうとして、止めた。
『皆、武器を下ろせ』
空から声が降って来る。
審判は声を出そうとして止めたのではなかった。ステージに影が掛かり、空からだれかが降りて来たのを見て、固まったのだろう。
『この場は私が預かる。皆、武器を下ろすのだ』
魔法によって声を拡張しているのもあるのだろうが、それを抜きにしてもよく通る声でこの場の支配権を一瞬にして自分のものにしてしまった。
バサバサと飛竜の翼をはためかせる音が聞こえ、次いで凛とした声が響き渡った。
『もう一度言う。ルイーナ国第一王位継承者であるこのアランヤード・S・ルイーナの命に従い武器を下ろせ』
金色の煌めく髪と、整った顔立ちの少年が飛竜の背から地に立つ者たちへと命令を下した。
逆らうことの出来ない重圧に兵士は次々に剣を槍を取り落として行く。シンと静まりかえる中、ルイーナ国の王子はロイヤードの側に立った。
「叔父上、もうよろしいでしょう?」
「ぐっ、アラン……な、なんのことだ!」
「それが分からないほど、貴方は耄碌したのですか? それとも、私の口から言わせたいのですか? 己の国の恥を」
呆れたように頭を振り、肩に掛けた三つ編み払って後ろに垂らす。そのまま白い手袋に包まれた人差し指をロイヤードの鼻先に突き付けた。
「他国でわざわざこのような大会を催したことになにか理由があるとは思いましたが、まさか魔物欲しさにここまでやるとは思いませんでしたよ、叔父上」
「ななな、なんのことだ?」
「魔物の生活、信条、絆を保護しているルイーナとは違い、ここゼリアリスは魔物に対する法整備はそれほど進んでいません。今回のようにマスターから魔物を引き離す行為はルイーナであれば違法てすがゼリアリスではそうではありません。叔父上はそれを知って、あえてここで大会を開いた。違いますか?」
「むぐぅ……」
言い詰められ言葉に窮するロイヤード。反論のないのを確認し、彼の甥であるアランヤードはにこりと笑って言った。
「今回の件は父上には報告しないでおきましょう。叔父上の趣味も理解できない訳ではありませんからね」
「な、ならば――!」
「ですが」
語気が緩んだと思ったロイヤードはそれならば、と声を上げるも即座に切って捨てられる。
「彼らは既に絆で結ばれた者同士。それを引き裂くようなバカなことを言わなければ、ですがね。――それで、なんでしょうか? ロイヤード・アレイシャークティアラ・モーディナリディアナ・ルイーナ十二世閣下?」
「な、なんでもないです……」
見下すような冷たい視線に言い返す気力も削られた気がした。
アランヤードは手を軽く上げ、彼の後に続いていた飛竜隊に指示を出す。
「叔父上はお帰りだ。丁重に送って差し上げろ」
「はっ!」
綺麗な敬礼をして二人の騎士が先導するようにロイヤードを連れて行く。されるがままについて行く彼の姿は、ドナドナされる豚のようだった、とは王子の胸の内にだけ。
アランヤードは事態の沈静を終え、安堵の息を吐き出した。
ルイーナとゼリアリスは友好国であり、ゼリアリス王の人柄もよく知っている。大概のことならば笑って許してもらえるだろう。だが、それでも他国に来て無理やりな態度を取れば気分の良いものではない。今回被害にあいそうだったのは二人ともゼリアリスの人間ではなかったためまだ問題ないが、現地住民だったのならば民衆間でいらない確執が生まれていたかもしれない。
戦争のない平和な時代だからこそ、立ち回りを気に掛けて欲しいのだが……。
「あの叔父上に言っても無駄か。良い意味でも悪い意味でも奔放な方だからな」
アランヤードとて叔父が嫌いな訳ではない。むしろ子供の頃から色々と世話になっている分、好意的に見てはいる。それでも、物事には優先順位というものが存在しているのだ。
「…………」
特別席から見下ろす形でステージを眺める。ロイヤードの兵たちはだらけながら帰って行き、ステージの端で放置されている鎧が一個、三匹の狼とそれを撫でる目つきの鋭い少年。そして、ペタリと座り込んでいる少女を気遣っている少年。
その光景を見ながらもう一度安堵の息を吐いた。
魔物と、そのマスターの絆を守れたことによる吐息だ。
「王子、ロイヤード様は問題なく帰路に着きました。王子もご準備を――」
騎士の一人がそう言っている。確か、アーサーと言っただろうか。剣の腕、魔法の実力、生真面目な性格など、騎士の代表みたいな男だ。まだ飛竜隊に入って間もないが、彼の力は既に何度も見させてもらった。
と、そうではないと頭を振る。今大事なのは……そうだ。
ロイヤードも既に馬車の中、邪魔をするものはもはやいないだろう。
「ふむ、アーサー。ここまでの強行軍で皆疲れているであろう。王都に帰るのは明日にした方がいい。私も少し疲れているからね」
王都ルイーナからコルオネイラまで馬車で一週間の距離がある。しかしアランヤード含む飛竜隊はその半分の行程でたどり着いていた。いくら飛竜が速いとは言え、疲れが溜まるのは当然だ。
だから一日の休息を提案する。うん、当然の流れだ。
「はあ、分かりました。では皆にそう伝えてきます」
「ああ、頼む」
アーサーが去って行くのを見て、よしと頷いた。どこか呆れ顔だったのはきっと疲れていたからに違いない。
アランヤードはゆっくりとステージに目を落とし、手すりに触れ、
「ふふ」
よっ、とかけ声一つ体の重心を前に移動させた。もちろんそのままでは手すりに阻まれるので、片足は大きく上げる。毎食お酢を飲んでいるので体の柔らかさは自身があった。
「ふふ、うふふふ」
手すりに乗った右足に力を込め、ふわりと一瞬の浮遊感。
「ふふはははははは」
そのまま勢いを着け跳躍。五メートルはある眼下に向けて飛び降りた。
「あははははは! 親友よ! 今行くぞー!!」
しゅた、と華麗に着地。少しの痺れもなく、流れるような動作で体を前に倒しその一瞬でトップギアまで加速。視線の先の少年が焦った顔をしているが、そんなことアランヤードには関係なかった。むしろ可愛い、みたいな感情しか浮かばない。
距離はそう長くはないため、十秒もしないうちにたどり着くだろう。アランヤードはその時にはどう行動しようかと二十三通りの言動を想像して、止めた。そんな無粋なことをしなくても心の赴くままに抱き締めればいいのだ。それ以外は終わってから考えよう。
そんなこんなでもう数歩の距離だ。両足を蹴り、ジャンプして腕を前に突き出す。
抱きつきにいった。
「あーははははは! 我が愛しの親友よ! 会いたかったぞ――ガペっ!?」
が、それは即座に叩き伏せられた。
「こんのバカ王子が! なにやってるのよ!」
ミュウの目は点になっていた。空からたくさんの飛竜が降りてきて、知らない間にロイヤードが連れて行かれ、兵士たちも撤収。目まぐるしく変わって行く状況で、今度はさらに訳のわからない事態に進展していた。
なぜか金髪碧眼の理想の王子様、みたいな人物が降りてきて、すごい速さでこっちに走ってきている。それだけならまだしも、ユクレステに飛び掛かった瞬間空から鎧を着込んだ人物が降ってきてその王子様っぽい人を踏みつけたのだ。
背骨とか折れてそうな音がしたのは気のせいなのでしょうか?
「うあっちゃー、やっぱこうなったかー」
額に手を置き、ユクレステが唸るようにして言った。突然の事態にウォルフや三狼ですら目を白黒させているのに、彼だけはなにが起きたのかを理解し、その事態の収拾に動いていた。
「あー、流石に王子だろうとその一撃はマズイって。どいてあげなよ、セレシア」
「チッ、仕方ないわね。ユクレの頼みとあらば聞かない訳にはいかないわよね」
降り際に一発横っ腹を蹴っ飛ばすのを忘れず、鎧姿の少女はアランヤードから降りた。
少女の昔と変わらない言動に苦笑しながら、久しぶりに会った人物たちと挨拶を交わした。
「お久しぶりです、セイレーシアン様。アランヤード王子。そろそろ二か月ぶり、でしたっけ?」
この後色々あったのだが、割愛しておこう。
あえて言うのならば……ユクレステの言葉にまず反応したのは、ステージにめり込んだアランヤードだった。
アランヤード・S・ルイーナにセイレーシアン・オルバール。
片やルイーナ国の王族にして次期王、片やルイーナ国最大の貴族であるオルバール家のご令嬢。なにも知らないウォルフからしてみれば雲の上の人物であり、一応地方貴族であるユクレステから見ても月とスッポンである。
そんな彼らとユクレステの関係はと言うと……なんてことはない。ただのクラスメイトだ。単語の前に元、が付くのだが。
ユクレステが通っていたルイーナ魔術学院。彼らとは六年前にそこで知り合い、友人となった。長い学生生活の中で互いに実力を高め合いながら、時には喧嘩もしたけれど共に過ごしてきたのだ。
そんな学生生活も二か月前に終えている。春の花が散り、これから暑くなってくる頃にユクレステとその友人は学院を卒業し、自分達の道を歩み始めた。本来ならばもう二カ月前に卒業していたのだろうが、補習やらなんやらで伸びてしまったのはご愛敬である。
ともかくそんな学院の友人との再会である訳だが、ウォルフからの視線は変わらず痛い。
「貴様、王族と知り合いだったのか?」
「あー、うんまあ、そんな感じ?」
睨まれて恐いのだが、とは口に出せない。
確かに次期国王であるアランヤードとは友人ではあるが、そもそも王家の人間だと知ったのは友人になってからのこと。そんな睨まれるいわれはないのだ。
ズズ、とカップの縁に口を着け、ハーブティーを行儀悪く啜る。
カチャリとソーサーにカップを置き、一呼吸。そこで一度周りを見渡した。
「…………」
右を見る。壊れたステージが綺麗に修復されている。
左を見る。ステージの左半分がまるでプールのように水で満たされている。
「あ、マスター。私にもお菓子ちょーだい」
水とステージの境に座り、お菓子を催促しているマリン。スコーンを放り投げてやる。その側では三匹の狼が寛いでいた。
前方には丸テーブルが用意され、ユクレステを含めた人型の六人が豪華なイスに座っていた。右隣にはミュウが座り、左隣には先ほど再会を果たしたセイレーシアンが座っている。
ついでに言うと、ミュウのさらに隣にはウォルフが。セイレーシアンの隣にはユゥミィが座っており、ユクレステの真正面にはアランヤードがいた。にこにこと微笑みながら、ユクレステが茶を飲む仕草から菓子を食べる仕草を楽しそうに観察している。
今更なので特になにも思わないけれど。
「あー、と。アランヤード王子?」
「ははは、なにを言う親友。私達の仲じゃないか、今までのように気軽に接してくれ」
「……セイレーシアン様?」
「……………………」
そんな呼び方じゃあ応えてやらない、とばかりに睨まれる。はぁ、と一つため息を吐いた。
「アラン、セレシア。なんで俺たちこんな所で優雅にお茶会なんかしてるんだ?」
こんな所、というのは外でもない。コルオネイラ自慢のコロッセオ、そのステージのど真ん中だ。
アランヤードが手を叩くと、先に準備していました、とばかりに机や椅子が持ち込まれ、お茶やお菓子が運び込まれ、果てには魔法による修復舞台がステージを完璧に直してしまった。その際、アランヤードがステージの左側をプールにするという気配り。王としての才覚が見事に発揮されていた。
「ユクレ、零してるわよ?」
「え、マジ?」
「マジ。ほら、こんなとこにもお菓子屑が」
セイレーシアンが手を振りパッパッと菓子屑を払い、
「あと口元にも。ほら、こっち見なさい」
「ん、サンキュ。セレシア」
口元を優しく拭う。まるで恋人のような動作に一瞬場が凍る。ミュウは顔を赤くし、マリンはニコニコ笑いながら、ユゥミィは気にせずお菓子をパクついている。一番ショックを受けているのは、他でもないアランヤードだろう。顔はヒクつき瞳には嫉妬の炎が宿っている。どちらに対してかは、言うに及ばず。
「は、は、は。う、うん、それは色々と事情があるのさ。叔父上が主催とは言え、なんの報奨もないのは寂しいだろう? だからまあ、ちょっとした褒美というのが――」
「お腹空いたからよ」
「――うんまあ、そういうことなんだよ。親友」
セイレーシアンの言葉が本音なのだろう。先ほどからパクパクと焼き菓子を頬張っている。
「それならオレは参加しなくてもいいんじゃないのか? ……いや、ですか?」
「いやいや、君にも少し興味が湧いてね。それに、少し聞きたいこともあったし」
「聞きたいこと? なんだそれは……なんですか、それは?」
たどたどしく敬語を使いながらアランヤードに問う。彼は鷹揚に頷きながら、真剣な表情で口を開いた。
「君は親友……ユクレとはどういうかんけゴホッ!?」
「気にしないでいいわよ。このバカの言葉は九割聞き流していいから」
「あ、ああ」
言葉の途中でセイレーシアンの投げたクッキーがアランヤードの口にカップイン。喉の奥に衝撃を与えられ、思わずむせ込んだ。
どこか納得いかない表情のウォルフには悪いが、諦めてもらう他ないだろう。
「ふむ、取りあえず主のご学友だということは理解したのだが……」
今まで黙々と菓子を食べていたユゥミィが声を上げる。腹が膨れて満足したのだろう。
「お二人はなぜこちらに?」
首を傾げながら尋ねるユゥミィにアランヤードは微笑みながら答える。
「うん、叔父上のやろうとしていたことには感づいてはいたんだ。なにせ彼は時折発作のように魔物を欲しがる時期があってね。そろそろなにかしでかすだろうとは思っていたんだけど、なにを、どこでやるのかが分からなかった」
「あれであのおっさん曲者なのよ。特に自分の趣味が関わってるとホント別人じゃないかってくらいにね」
「そんな時に手紙が届いたのさ。叔父上がなにかやろうとしてるぞ、っていう手紙がね」
「ああなるほど、それがマスターの出したお手紙ってこと?」
マリンが笑いかけて来るのを受け流しながらミュウの口元を拭ってやる。少し気恥ずかしいというのもあるのだろう。
「主の? では主は……」
「こうなると予想していたのか?」
ユゥミィの言葉を引き継いでウォルフが言う。彼の瞳からは、ならなぜ先に言わなかったと責めるような視線を感じる。
「一応あの人には会ったことがあったからな。でもまさかこんな直接的に来るとは思わなかったんだよ」
「まあそうだねー。あの人って力づくって言葉は全然似合わないし、確かにこんな方法で来るとは思わなかったかも」
ハーブティーに口を付けながら首を傾げるマリン。その言葉に同調するようにアランヤードとセイレーシアンも頷いた。
「うん、それは私も思ったわ。あのヘタレジジイがこんなことまでするとは予想外もいい所よね」
「失礼だとは思うけど、私も同意見だ。叔父上はああいった手段を嫌う人だから」
ロイヤードを知る三人が首を捻る。それを見ていて、ふとウォルフが声を上げた。
「そう言えば……」
「ん? どうかしたか?」
「いや、少し前に聞いた話なんだが、ルイーナからコルオネイラに来る馬車の数が少なかった時期があってな。その時、所属不明の兵士がルイーナ~コルオネイラ間の道に多数配備されていたことがあったそうだ。表向きは逃げた盗賊がルイーナに向かわないようにしていたと聞いたが……」
よくよく考えれば変な話だ。ルイーナへの道はしっかりと舗装され、行き交う人たちが多く逃げる道として選ぶには不向きだ。それならばここから東に伸びる山道を警戒すべきだろう。
「そう言えば、そうだったね。検問とかで馬車が止められているのを飛竜の背中から見たな」
「検問なら一度止められたら半日は足止めを喰らうはずだな。それを何か所もとなると……」
「もし私達が馬車に乗っていたら、来る頃には大会は終わっていただろうね」
ふむ、と考え込むアランヤード。ユクレステも同様に頭を巡らせ、結果としてロイヤードに繋げることが出来なかった。
「やっぱあのおっさんとは思えないほど手が込んでるな……」
「そだねー。もしかしてこれってさ」
「他の誰かがやった、んでしょうか?」
「ふむ。なんというか、まだるっこしいやり方だな。騎士らしくない」
魔物たちと一緒に考え込むユクレステだが、答えは出そうにない。
パクリパクリとお菓子を食べながら気味の悪さに渋い顔をした。
カツンカツンと靴を踏み鳴らし、自身の着替えを手にしながら更衣室を出る。先ほどまでの暑苦しい服装と比べて薄手で、なお且つ半袖である。これこそ夏の服装だろう。間違っても全身鎧なんてファッションには入らない。
「ふー、これでようやくプチサウナから脱出できるよ。いやー、よきかなよきかな」
カラカラと笑いながら少年の声が廊下に響く。少し湿った黒髪を掻き上げ、サッパリした顔でふてぶてしく笑う。
少し前まで大会の審判を務めていた少年は一人歩きながら昼飯とばかりにパンにかぶり付く。甘ったるい蜜の味とチョコレート、砂糖の味が舌を蕩かせる。
美味い、と思うのは果たして何人いるだろうか。
「あーあ、にしても残念だったなー」
一転して残念そうな顔になる。思い出されるのは先ほどの乱闘未遂の現場。あの王子様がもう少し来るのが遅ければ、それはそれは面白いものが見れたのに。
「だから空も気にしとけって言ったのに、人の話を最後まで聞かない大人ってこれだから……」
鎧を元あった場所に戻し、これで帰る準備は出来た。色々と不満の残る結果ではあったが、そこそこに楽しめたのは事実である。少年はほくそ笑みながら出口へと向かう。
受付などのある正門とは別の、関係者以外立ち入り禁止である裏口。その扉を開き外にでる。それは公園の林部分に繋がっており、視界いっぱいに木々の緑が顔を出した。
「ようやく見つけましたよ」
同時に映える、金色。まるで太陽のように明るい色が、少年の黒い瞳に飛び込んできた。
「あっれー? もう帰って来てたの? 早いじゃん」
突然現れた色であるにも関わらず、少年は普段と変わらず話しかけた。
「白々しい。どれだけ白々しいかと言えば、貴方のわざとらしい司会くらい白々しいですね」
「あ、見ててくれたんだ。晴れ舞台」
「なにが晴れ舞台ですか。寒過ぎて引きましたよ」
気にせず目の前にいる太陽のような少女に笑いかけた。
腰にまで届く金色に光り輝いた髪、絶世の美女と言っても過言ではないであろう容姿。それはきっと、ゼリアリスに住む八割が思っていることに違いない。
そんなことを考えていると、少女は腰に差した剣を引き抜いた。と、その時には既に刃は少年の喉元数センチで止まっている。
「えーっと、流石にこれ生きた心地がしないんだけど。剣を引いてくれると嬉しい、かな~?」
「黙りなさい」
「ちょっ、今刺さった! チクっとだけど刺さったよ!? ああここで死ぬのか! こんな所で通り魔に刺されて死んじゃうのかー!?」
「二度は言いませんよ?」
「はい、ごめんなさい」
クスクスと笑いながらも騒ぐことを止めた。それに満足したのか、少女は少しだけ剣を離す。それから責めるような視線で少年を射抜いた。
「あなたは自分がなにをしたのか分かっているんですか?」
「なにをって……大会の審判役を買って出ただけじゃん。あ、プラスで司会とその他雑務を。いやー、働くのって嫌いだけどこういうお祭りはまた別だよねー」
「そういうことではありません!」
ヒュウ、と銀色の刃先が数本の髪を切り裂いた。それを受けてもなお、笑みは崩さない。
「えー、じゃあなんのこと? もしかしてあれ? 勉強サボって今流行りのカードゲーム買ってきたこと? でもあれって限定品だから直接頼まないとダメだったし」
「…………」
「え、えーとそれなら……ロイヤードさんに色々相談して上げたこと、な訳はないし……」
「なぜそれがないと思えるんですか!?」
爆発。
少女の怒気を受け、流石の少年も冷や汗を流す。
「え、いやだって……あれ別に自分がやった訳じゃないし。って言うかあのオジサンが勝手にやったんだし……」
「唆したのは貴方でしょう!?」
「ま、まーそんな気も無きにしもあらず?」
「全て事実です! 私がそれに気付いて戻って来なければ一体どうなっていたことか……」
「あはは、そんな大変なことにはならんでしょ? 精々流通が滞ってちょっぴり経済が混乱するってだけの話で……」
「十分大変なことです! ただでさえ今この国は忙しいと言うのに……これ以上余計な労力を使わせないで下さい!!」
なるほど、どうやら本気で怒っているらしい。少年としてはこれ以上彼女を怒らせるのは本意ではない。それ以上にこれ以上やると本気で斬られかねないので。
軽く両手を上げ、降参のポーズを取った。
「分かったよ、もう余計なことはしません。約束します。それでも足りないなら謹慎でもなんでも受け入れます。全部余が悪かったから。機嫌直してよ、マイリエル・サン・ゼリアリス?」
「私の機嫌は、貴方がもう少し真面目にこの国に貢献して頂ければそれだけで天上にまで届くのですが? ユリトエス・ルナ・ゼリアリス?」
そう言って、ゼリアリス国の姫と王子の二人は笑った。お互いをバカにしたような、冷たい笑みを。
「マイリエル様、こちらにいらっしゃいましたか。それに……ユリトエス様!?」
その時ガサガサと草をかき分け数人の人影が現れた。数は五人、その全員が見事な騎士甲冑に身を包んだ女性だ。
「ハロゥー、お仕事真面目にガンバってるみたいだねー。いやー、流石はマイリご自慢の神剣騎士団。格好いいねー、惚れちゃうねー」
「……ユリト、それはバカにしているようにしか聞こえませんよ? それより皆さんご苦労様です。私達はこれより城に帰還します。馬車の用意は?」
「は、はっ! 既に完了しております」
「そうですか。それでは戻りましょう。ああ、それと城に手紙を出しておいて下さい。バカを見つけたので縄で首を絞めてでも連れて帰る、と」
割とぞっとしない。とは言え口を挟んだら本当に首を絞められそうなので黙っている。
「それでは帰りますよ、ユリト。十分遊んだでしょう?」
「いや、うん。まあ多少はね」
剣を鞘に収め、ようやく自由になったユリトエスはマイリエルに付いて行く。
公園を中ほどまで進んだ所で、そう言えばと話を振った。
「マイリ、大会見てたんだよね?」
「決勝だけですけれど。それがどうかしましたか?」
「別に大したことじゃないんだけどさー」
頭の中で先ほどの決勝戦を思い出しながら、尋ねる。
「もしマイリが出場したらどうなってたかな、って。勝てたと思う?」
それはただの純粋な疑問。武に疎いユリトエスが何気なく言った問いかけ。
「ユリト」
だがその問いかけは、
「もしかしてそれは、私があれに勝てないのではと言っているのですか?」
太陽姫、マイリエル・サン・ゼリアリスにとっては侮辱にも等しい言葉だった。
振り向いた彼女から溢れ出る剣気、魔力、殺気。その全てが融合しながら見る者全てを圧倒する。近くにいた騎士の一人がヒッ、と恐怖に塗れた声を出す。
情けないと言ってはいけない。普通の人間ならば見ただけで失神ものなのだ。この程度で済んでいるのは流石近衛騎士と言ったところか。
「そうじゃないって。純粋な興味だよ」
だがユリトエスはそんな力に晒されながらもなんの変哲もなく笑っている。騎士からすれば、失神レベルの力に当てられ笑っていられるこちらも、気味が悪い。
「……ならば言っておきます。私が、あの程度の魔物風情に遅れを取るなんてことはあり得ない。もしあの場に私がいて、あの二匹を同時に相手にしたとしましょう」
暴風のような剣気を収め、何もなかったように会話を続ける。
言うのは仮定(if)の話。それでも確実に見える未来(if)。
「私なら……十秒で叩き潰していますよ」
なんの気負いもなく、慢心もなく、当然のように言ってのける。それに対するユリトエスも、そんなとこだろうなと納得している。
彼らにとって、大会の優勝者など所詮その程度にしか見えなかったのだ。
「そんなことより早く帰りましょう。お父様がお待ちです」
「うぇ、また説教かー。……ねえマイリ?」
「逃げたら斬りますよ?」
「まだなんにも言ってないじゃん!」
熱い戦いを繰り広げていたコロッセオを振りかえることなく、二人の姫と王子は去って行った。
少し長めになりました。
二つに分けようかとも思ったのですが、短いよりは長い方がいいかな、と放置してみました。