三風の獣
三メートルを超える巨体に地獄の番犬に似た三つの頭。白銀の毛並みは逆立ち、長い尾は鞭のようにしなる。
先ほどとは比べ物にならないほどの威圧感を放ちながら、三つ首の風狼は低く唸りを上げている。
この姿こそがウォルフに仕えし三匹の獣の本当の姿。異常種という、異能にして異端な力。
「異常種……私と、同じ……」
己の主からその存在の話は聞いていた。元の種族とは違う外見だったり、本来の種族では持ち得ないほどの力を持った異端児。
『お、おおっと! なんとヒュウ選手、突然変身しましたがこれは……ユクレステ選手、これは一体どういうことでしょうか!?』
「そこで俺に振るのかよ! あっちに聞けよあっちに!」
『いやだってあっちの人声掛けにくいし……』
分からないでもないけれど……。
マイクを受け取りながら、ミュウへのアドバイスを織り込めて解説する。
『恐らくあのワンコたちは元々あの姿が本来の姿だったんだろうね。でもどうやってかは分からないけど、自分の身体を三つに分けることによって風狼という種の姿に戻っていたんだろう。もちろん、身体を三つに分けるなんてことをすれば力は減少するだろうし……今の姿だと、単純にさっきよりも三倍以上の能力を持っていると見るべきだな』
『なるほど! となるとこの試合に特にルール違反というのは見当たらない、と。では試合続行でいきましょう!』
正直に答えずにいれば反則勝ちになったのだろうか。いや、流石にそれではお互い納得しないだろうし、これでいいのだと信じよう。
今問題にすべきは、あの風狼が一体どれだけの力を持っているのかということだ。
『ねえマスター、これって結構ピンチなんじゃない?』
ミーナ族という弱い種であるはずのミュウですら、あれだけの力を有しているのだ。元から強力な魔物の異常種ともなれば、一体どれだけの強さを持っているのか。
「ミュウ、気をつけろよ。多分さっきとは比べ物にならないくらい、強いぞ!」
「はい……!」
剣を取り、注意深く相手を観察しながら息を吐く。相手の放つ威圧感のせいか、呼吸をするのも難しい。それでも体勢を整え、飛び出した。
「はぁああ!」
グン、と加速しその勢いのままに剣を振り下ろす。数十キロの重さを持つ大剣がミュウの腕力を加えて三つ首の風狼へと迫る。
「グゥウウ――」
だがそれを太い腕で受けとめ、六つの眼がミュウへと向いた。
「――っ!?」
言い知れぬ悪寒が背を駆け、ミュウは刹那の判断で横へと飛び込んだ。同時に、
「――ォオオオオン!!」
「きゃあっ!?」
咆哮と共にステージの一角が吹き飛んだ。
その遠吠えは先ほど見せた時とは比べ物にならないほどの威力だった。地面は抉れ、衝撃でミュウは弾き飛ばされ、転がりながら地面に叩きつけられる。それでもすぐに立ちあがったのはこれまでの特訓の賜物か。その姿を視界に収めたヒュウはゆらりと立ち上がり前傾姿勢で低く唸る。
狼が狩りを開始する合図だ。
「――――――――」
風の吹く音が鼓膜に振れ、その時には既にヒュウの姿は消えていた。嵐のように風が流れ、一瞬遅れてそこをヒュウが通り過ぎたのだろうと予測する。直線的な動きではない、流れるような流麗な動きがミュウの周囲を駆け巡っている。
耳を澄ませ、集中する。それを嘲笑うかのように一陣の風がミュウを背後から強襲した。
「あっ――!」
一瞬の悪寒がミュウを救った。太い腕がステージを割り、破片を撒き散らす。前のめりに倒れながらも、なんとか姿勢を戻して剣を振るう。
しかしそこには既に彼らの姿はない。ただひゅう、と風の音が耳横を通過。
「こ、の――!」
瞬時に反転、ほぼ勘に頼った剣戟が何かと重なった。
「見つけ、ました!」
鋭い爪と剣が重なり合って出来た不協和音。鳴り止まぬうちにミュウが地を蹴り飛び上がる。
「突進せよ清廉なる水、その清き切っ先にて敵を貫け――リバーズ・ランス!」
剣を引き、水槍を放つ。だがそれも風狼の風によって撃ち落された。しかしそれも既に予想していたことだ。ミュウは空中で体勢を戻し、剣を大上段に振りかぶって、
「せ、えぇえ――!」
淡い剣気が軌跡を辿り帯を作って真下に振り下ろされる。一瞬の判断で風狼は後方に退避、県は地面へと衝突した。瞬間、ステージが破砕した。
剣技――地崩。
ミュウが初めて戦った相手、大剣使いのドビンが見せた剣技であり、ミュウが初めて覚えた剣技でもある。
剣気を乗せた斬撃を地面目がけて放ち、その衝撃波を走らせる技だ。
剣自体は避けることが出来たヒュウだが、衝撃波それ自体を見落としていたようだ。その巨体に一瞬の動揺が浮かんだ。
「行き、ます……!」
「ォオオオオッ!」
左足に力を込め、飛ぶように一足。
着地点目がけての風の咆哮が迫るが、ミュウは右足が地面に着いた瞬間に体を捻ってそのままさらに真っ直ぐ一足。瞬間的に動きの制限を超え、左斜め前への移動により咆哮はミュウの髪を揺らし、彼女が一瞬前にいた場所を削る。
左足による着地。その勢いを殺しながら新たに力が込められる。
眼前には風狼の爪が振り下ろされている。
「はっ……!」
寸前、力が解き放たれる。一足の動きが再び加えられ、頭上を過ぎる爪と風の音を聞きながら両手で剣を握りしめる。ヒュウの間合いに跳び、刹那の浮遊感がミュウを昂揚させる。
大剣が奏でるガリガリという地面を滑る音。
「――――ッ!?」
ヒュウの足元へと辿り着き、ミュウはキッと上を向く。驚いたような三つの頭がこちらを向き、彼らの右腕はステージに突き立ってお手をさせられているような姿だ。
一瞥してそこまでを把握し、剣気がミュウの大剣に収束する。
「は、あぁあああ!!」
先にも見せたミュウの一撃。それが風狼の巨体に吸い込まれ、瞬間、爆発する。
「――――ガッ!」
あの巨体が一気に吹き飛ばされた。
四方の柱、先ほど破壊された一本と対角線にあったその柱を巻き込み、吹き飛ばすほどの一撃がヒュウへと繰り出されたのだ。
「……あ、はぁ……」
呼吸を忘れていたのか、慌てて空気を吸い込む。それだけ緊張していたのだろう、安堵と共に新鮮な空気が肺に流れていく。
「……風?」
流れる涼やかな風と共に。
「ミュウ! 上だ!」
「っ!?」
ユクレステの声にハッと頭上を見上げる。残された二本の柱。その片方に、ヒュウは器用に立っていた。
「あの程度で倒せたとでも思ったか?」
「あ、ぅ……」
向かいからウォルフの声が聞こえる。その声にビクリと反応し、肩を強張らせた。
「なかなかだ。だが、あの程度では俺の仲間は潰せない」
「あの、程度……?」
「ああ、あの程度だ」
今のは自分の全力だったはずだ。まともに喰らえば、それこそヒュウにだって通用すると思っていた。
「俺とヒュウが出会った場所……あそこでは貴様程度の奴なんて掃いて捨てる程にいた。その全てをヒュウは無傷で勝ってきた。この程度、防げて当然だろう?」
「う、ぅ……」
だがそれすら容易くへし折られ、ミュウはようやく理解した。いかに異常種だろうと、自分がどれだけ弱かったのかを。
当然だ。いくら怪力であろうと、才能があろうと、彼女はあくまでミーナ族。魔物最弱とまで言われた種族の異常種。ある程度強かろうと、本当に強い相手には手も足もでないのだ。
戦意が折られ、腕から力が抜ける。このまま剣を手放してしまえば、きっと楽になる……。
「そいつは、どうかな?」
「えっ……?」
だがそれに反論する者がいた。
「確かに、さっきのを無傷ってのは凄いと思う。でもそれは、その子らが驚異的な防御力を持っているからとかじゃあないんだろう?」
あれだけの力の差を見せつけられたにも関わらず、笑みを貫く少年。ふてぶてしいまでの笑みに、こちらまでつられてしまいそうになる。
「ちょっとした特殊な能力、それが異常種の特徴。そういうことだろう?」
「……なんのことだ?」
「とぼけるなよ。その子の……ヒュウの能力のことさ。惜しかったよな、それさえなければ、今のでミュウの勝ちだった」
自信満々な勝利宣言をする。
己の魔物を信じたその笑み。
自分を受け入れたあの笑み。
その笑みだけで折れた心が繋がった気がした。
ユクレステ・フォム・ダーゲシュテン。
私の、ご主人様
じんわりと瞳が揺れる。ミュウは急いで服の袖で涙を拭い、ユクレステへと顔を向ける。
「ご主人様、今のって……」
「ふふん、簡単なことだよミュウくん」
気取った態度に思わず笑ってしまった。ユクレステは気にせずヒュウへと指を突きつけた。
「あのワン公は風を操るのは既に知っての通りだけど、風ってのは何も流れるものだけでもないんだ。事象と事象が起こるその隙間に起こることを風と称することもあるわけ」
「え、えっと……」
「んー、分かりやすく言うとだな……今ミュウが攻撃しようと剣気を使っただろう? その剣気を使用するということに干渉してきたのが、ヒュウ達の『風』ってことさ。今回はその剣気を極力逸らすように風を起こしたってとこかな?」
チラ、と視線はウォルフに向いている。正解か不正解か。それは彼の顔を見れば分かることだろう。
「……まさか、あれだけで分かるとはな。正直、貴様のことは見くびり過ぎていたようだな」
「ま、俺が少し風に対して得意ってだけだけどな」
ニヤリと笑い、再度ミュウを見る。
「大丈夫、勝ち目はある。だから、諦めるな。俺が、マリンが……おまえの今までを知る俺たちが、おまえを見ているから」
笑った、それでも真剣な表情で励ます。
それに対して、こちらも笑って返そう。
「……はい!」
どうやら彼女に戦意が戻ったようだ。それならば、とヒュウは己の主へと視線を向ける。それを受け、彼は間髪入れずに頷いている。どうやらウォルフも勝負を決めにきたのだろう。
「――ォオオオン!!」
仕切り直しの合図。それにより場の緊張はさらに増し、ミュウの視線は鋭いものに変化する。それは、彼女と共にいた時には考えられないほどに光り、また、澄んでいた。
初めて彼女と出会った時、ヒュウ達は少し舞い上がっていた。自分たちとは違う種族ではあるが、異常種という最大の共通点があった。そのせいか、仲間意識はウォルフより先に出来上がっていただろう。けれど、それもすぐに断ち切られる。
彼らが見たのは、戦う意思も、生きる意思もない瞳。
それが意味することは、自分たちにも理解できた。ヒュウ達ですら、その身を三つに分け別な人格として傷を舐め合わなければ孤独に殺されていただろう。だから彼女がなにに絶望しているかは理解できる。そして、こうなってはもう共にいられることなどないと言うことも、理解していた。
ウォルフ達は強さに執着し、強くなるために強力な敵がいる場所を渡り歩いていた。そんな旅にミュウを連れて行けばどうなるか、考えなくても分かる。だからこそウォルフ達はミュウを森に捨てた。森ならばミーナ族として生きていけるかもしれないと思って。
きっとウォルフはそう思っていたのだろう。けれど三匹の風狼はそうは思っていなかった。助かるとは、そもそも考えていなかったのだ。
絶望した彼女は、きっと消えてしまうのだろうと思っていた。神殿を作り、精霊となって消える。それは、異常種としての性と思えるほどに、ヒュウ達の考えとしてスッと胸に表れていた。
だからこうしてまた出会えたことが奇跡に近い。あの生きる希望を見つけた瞳も、力強い彼女の姿にも、心惹かれるものがある。
「ォオオオ――!!」
こうしてぶつかり合えることに、異常種が互いに力を出し合える日が来ることに感謝した。
柱を蹴り、一気に空へと駆け出した。踏み出した衝撃によって柱が瓦解し、ガラガラと耳障りな音が響いた。だがそれに気を止めることをせず、ミュウはジッと空を見上げていた。
そこには空を疾駆する魔物がいた。三頭を油断なくこちらに向け、低く唸りながら空中を蹴って駆ける。風を意のままに操ることが出来る種族ならではの飛行方法だ。
「…………」
ただ駆けるだけではない。徐々に彼らの纏う空気が集まり、厚みを増していく。こちらから撃って出ようにも空を飛ばれては手の出しようがない。
どうにもならない事態に焦りを覚え、いっそ突撃でもしてみようかと考える。それをユクレステの声が止めた。
「ミュウ、一旦深呼吸しよう」
「ご主人さま?」
「チャンスは来る。多分、あれは準備が整えばこっちに突撃してくる。だから今は我慢だ!」
一度見た……いや、その攻撃がどれだけの威力を持っているのかを予想してユクレステは言った。初めて彼らと出会った時の、あのクレーター。それはまるで、頭上から押し潰されたような攻撃だった。
「……はい! 分かりました」
彼の言わんとすることは理解した。だが、ではどうやってそれほどまでの力と対抗すれば良いのだろうか。まともに攻撃しようにも、先ほどのように『風』を起こされてはまともな一撃を喰らわせることも難しい。
『風』と言う事象を操る、まさしく異常という存在。自分は然して特別なことは出来ないかもしれない。
「それでも、きっと……」
ミュウが剣を引く。構えることをせず、切っ先を下に向け、勢いよく地面に突き刺した。
「わたしにも、出来ることは……ある!」
剣が中ほどまで埋まり、これではまともに振るうことも出来ない。なにをしているのか分からず、観客たちは頭に疑問を浮かべている。
「なるほど、そう来るか」
彼女の思惑をいち早く理解し、ユクレステは感心したように吐息した。
『どゆこと?』
「風が吹くのは空気中だってこと。あれなら余計な邪魔はできない」
風によって介入されるのならば、風の届かない場所を起点にすればいい。それがミュウが見つけた彼らの風の穴。
ミュウはそのまま腰を落とし、剣を逆手に構えながら集中して剣気を地中の刃に纏わせる。徐々にだが、地面がボウ、と光を発し出した。
「いいだろう、貴様が俺たちに届くのかどうか、見届けてやる。ヒュウ!」
「――ォオオオオン!!」
ウォルフの声にヒュウが呼応するかのように雄叫びを上げる。同時に分厚い風の壁が彼らの周囲を竜巻のように渦巻きながらミュウを見下ろした。
六つの瞳が爛々なにかを語りかけるように輝いている。
コクリと、少女が頷いた。
「はい……。行きます!!」
ミュウの視線が鋭く頭上のヒュウを捉え、剣を持つ手に力が込められる。
瞬間、風が動いた。
「――――――――!!」
巨大な風の塊が猛スピードで落ちて来る。風の如く、本当に一瞬でミュウを押し潰すだろう。だがミュウはそれを見てなお怯えない。
剣を引き抜く。そこには眩しいほどに光を放つ剣気が今か今かと解き放たれるのを待っている。ミュウはその声に応え、振り上げるようにして剣戟を放った。
「や、ぁああああ――!!」
風と剣気がぶつかり合い、別種の暴風がコロッセオ中に吹き荒れる。せめぎ合う二つの力、だが少しずつお互いの距離が縮まって行く。体格の差は歴然、このままでは危険と判断したのかミュウは逆手の剣を順手に持ち替えさらに力を込める。
「――っ! はぁあああ!!」
迸る剣気が視界を焼き、目の前がなにも見えない。同時に、両腕に激突の衝撃が走り――
暴風は最高潮に達した。
『激突ー! さあ勝負の行方はどうなったのか! こちらからでは確認できませーん!』
大荒れの会場では未だ彼女たちの姿が見えなかった。ぶつかり合って数瞬。二人がぶつかり合った場所には竜巻が巻き起こり、結果を確認することは困難だ。
『ミュウちゃん……』
「…………」
マリンの心配する声がユクレステの耳に入る。だが彼もまた心配でそちらにまで意識が行っていないようだ。ゴクリと喉を鳴らし、注意深くステージを睨みつけている。
やがて、徐々に風が止んで行く。
『あ……』
初めに見えたのは巨体であるヒュウ。白銀の毛並みが汚れ、灰色に見える。
そして……。
『お、お、おーっと! 倒れているのは……ミュウ選手だー!!」
放り出されたように横向きに倒れている、ミュウの姿。手放した剣が横たわり、気を失っているのか手足はダラリと力なく垂れている。
『ということは……この勝負! ヒュウ選手の勝利だー!」
高らかに宣言される勝者の名。
「…………っ」
ユクレステは奥歯を噛みしめ、急ぎステージ上の彼女の元へと駆け寄った。
「ミュウ!」
『ミュウちゃん!』
二人の声に、ミュウの意識が僅かに覚醒する。顔を上げ、頭を振って体を起こす。
「あ……ご主人さま……マリンさん? わたし、あの……勝負、は……」
少し混乱しているのだろう。キョロキョロと辺りを見回し、ユクレステを見る。彼はミュウに笑いかけ、手を取った。
「お疲れ様。負けはしたけど、いい戦いだったよ」
「わたし……負け、たんですね?」
段々と思い出してきたのか、ステージの真ん中に立つヒュウを見る。あの時、互いにぶつかり合ったが今一歩力が足りず、剣を弾かれ吹き飛ばされてしまった。
完全に敗北したのだ。
「……っ、うぅ……」
そう理解したら余計に涙が溢れてきた。
悔しい。勝ちたかったのだ。自分でも驚くほどに、そう思って戦って、そうして負けた。それがこんなにも悔しいなんて思いもしなかった。
思えば思うほどに涙が止まらない。
「ごめ、なさ……わたし、勝て、なくて……」
自分を拾ってくれた、受け入れてくれたマスターをバカにされた。それを覆すためも勝ちたかったのに。
「……それでもいいさ」
泣いている彼女の声が聞こえた気がした。だからユクレステはそんなミュウに優しく笑いかける。よしよしと、子供をあやすように頭を撫でながら。
「ごしゅじ、さま……?」
「ミュウがここまで頑張って戦ってくれた。それだけで実は満足してるんだ。あれだけ必死に剣を振って、あれだけ強くなったって示してくれた。それはきっと、あいつにだって届いてるよ」
そう言ってウォルフへと指を向けた。ヒュウの側で、こちらを見ながらフンと鼻を鳴らす。
「……まあまあだな。昔よりは、良い目をしていた」
ふいと顔を逸らし、それだけを言う。若干照れていたようにも見えたが、既に影になっているため真相は分からない。
だが彼の言葉はハッキリと聞こえた。
「な? あれは一応認めてくれたんじゃないか?」
「そう、なのでしょうか……」
『そうだよ。あの子も素直じゃないだけで根は良い子みたいだからね。ミュウちゃんが変わってくれたのが嬉しかったんじゃないかな?』
本当にそうなのだろうか。そうであるならば、ミュウは彼に言うべき言葉がある。
「ん」
ユクレステの手に支えられ、ミュウは立ちあがった。それから不安そうにマスターの顔を窺い、意を決したように駆け出した。
行き先は、以前のご主人さま。
「ウォルフ、さま」
「なんだ」
素っ気ない言葉にビクリと身体を震わせる。だが負けじと深呼吸し、勢いよく頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
顔は見えない。それでも、言いたかった。
「わたしは、あなたに会えてよかったと、思います」
「……そうか」
「はい……!」
たった一言に嬉しそうに顔を綻ばせるミュウを見て、ついにウォルフは観念した。
「ふぅ……。まったく、認めてやるしかないようだな。貴様の、マスターは、ただのバカでも雑魚でもなかったようだ」
「あ……。はい! わたしのご主人様は、とても素敵な方ですから」
失礼します、と頭を下げて去って行くミュウを見ながら、ユクレステを少し羨ましいと思ってしまった。
「クゥン……」
「ふん、心配するな。あいつにはあいつの、俺には俺のやり方があって、それについて来る奴もいる。おまえ達のようにな。これからも頼むぞ? ヒュウ、フウ、ロウ」
『ワォン!』
三匹の風狼に戻った相棒たちに笑みを向けた。
そこへ、手を打つ音が響き渡った。
ウォルフが上を見れば、すっかり忘れていた主催者が顔を出し拍手をしているところだった。
見ればユクレステが嫌な顔をしてロイヤードを眺め、会場から観客がステージの周りに押し寄せて来ていた。
無論、彼らは観客などではないのだろう。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ少年たちよ! まさに血わき肉躍る! いや華麗なダンスを見ているようだった! 実に素晴らしい!」
大事なことなので三回言いました。
ロイヤードの気取った声が降りかかる。
「そんなお前たちには褒美をやらなければならない。そろが王族である者の義務だからな」
「褒美、ですか。それは一体?」
「ふっふっふっ、決まっておる」
ユクレステの質問に勿体ぶった調子で腕をあげ、指を鳴らす。すると周りにいた人たちが一歩近づいた。
「ご、ご主人様……」
怯えたように身を縮こませるミュウを抱き寄せ、ため息を吐く。
ああ、やっぱりこうなったか。
「この大会を勝ち抜いたそこの二匹の魔物をわしのコレクションに加えてやろう! これほど名誉なことはないぞ? ありがたく思うがよい!」
なんとなく察していた事態に、ユクレステは目眩がするのを感じた。