ほっとけない子
無事にスライム討伐を終えたユクレステは近くに群生していた指定の薬草を採取。あとは納品して報告すれば一先ずはクエスト達成である。街までそれほど離れてはいないとは言え、それでも十数分は歩かなければならない。陽も傾いてきたので、少し急ぎ足で街に向かっている。
そんな彼の後ろからは、
「ひっぐ……」
ズリズリ。
「ぐす……ぐすん……」
ズリズリ。
「うえぇええ……」
ズリズリ。
先ほどから泣き声と重たいものを引きずる音が聞こえていた。
流石に悪かったとは思っている。ちょうどいい囮になっていたので、ユゥミィごと魔法を使って一網打尽にしてしまったのだが、それが余程怖かったのか、先ほどまでの大人びた態度はすっかり鳴りを潜め、子供のように泣きじゃくっている。
ちなみに怪我は特になかったようだ。鎧の頑丈さも然ることながら、彼女自身の耐魔能力も高いのだろう。この辺りは流石ダークエルフと言ったところか。
「…………」
チラリと視線を向ける。重たい鎧をズリズリと引きずりながら鼻水を垂らす少女の姿が、より一層哀れさを誘う。全身びしょ濡れで、緑の髪から水滴がポタリと落ちる。
ユクレステはハンカチを取り出し、無言で彼女の顔を拭う。
「うぅ……ちーん!」
ズズ、と鼻を啜る音が木霊する。
「えーっと、鎧、持とうか?」
「ん……」
鎧の入った袋を差し出し、赤く充血した目に責められる。
「よ、っと……重たっ!?」
ずっしりとした感触が腕に伝わり、持ち上げようと試みるが数秒で地面に下ろしてしまった。結局、今までユゥミィがやっていたように引きずるような形になってしまった。
街に戻ったユクレステはクエストの報告をしていくらかの資金を得ることが出来た。その金で屋台で売っていた食べ物をいくつか購入し、再度街の外へと出て行った。街の近くにそびえる森に足を踏み入れ、彼女に声をかける。
「おーい、飯買ってきたぞー」
「ん、御苦労」
森の奥から現れたのはユゥミィだった。鎧はどこかに置いてきたのか持っておらず、今は軽装でこの場に立っていた。
「お、やっと泣き止んだのか?」
「泣いてなんかいない!」
ジロリと少し赤い目で睨み、ユゥミィは乱暴にユクレステから食べ物を受け取った。その拍子に紙の袋に入れられていた鳥肉の串焼きが袋から抜け出て落ちてしまう。
「あっ……!」
あっ、とそれを眼で追い、泣きそうな顔になる。
「ったく、ほら、まだあるからそんな顔するなって」
「う、うむ……ありがとう……」
消沈した表情のままもう一本の串焼きを取り出し、パクリと一口。しかし視線は今も落ちた串焼きに注がれており、とても残念そうだ。
「…………」
「拾って食うなよ?」
「なっ!? だ、だれが洗って食べるか!」
「洗って食べるつもりだったのか?」
呆れ声を上げるユクレステを悔しそうに睨みながらさらにパクリ。結局、買ってきたものを全部平らげるのに数分と掛からなかった。
現在彼らはコルオネイラ近郊の森にいた。ユゥミィの野営場所がここなのだそうだ。宿にでも泊まればいいのに、とは思ったが、よく考えれば彼女は一文無しなのだし、仕方ないか。一応、今日の分の報酬を一部渡しているのだが、ダークエルフにとって野宿はそこまで珍しいことでもないのかもしれない。
「んで、さっきの話に移るんだが……」
「さっきの話? なにか言ってたか?」
「いやだから、スライムとの戦闘の話で……って言うかさ、おまえ強いんじゃなかったのか? まさかスライムに負けるとは思わなかったぞ?」
なにせ上級魔法が使えるはずなのだ、彼女は。あの程度のスライム、中級魔法の一つでも使えば楽に倒せただろう。
「と言うか、弓はどうしたんだ? ダークエルフは弓が得意なはずだろう?」
「はは、なにを言っている。騎士は剣を使うものなのだろう? 必要ないものをいつまでも持っているわけないだろう」
「……はい?」
自身満々な顔で胸を張るユゥミィの姿に、なぜだろうか、すごく嫌な予感がした。
「うむ。以前大会のことを教えてくれた旅人がいたと話しただろう? その時に騎士は剣を使うということを聞いたのだが、その時はまだ剣を持っていなかったんだ。そしたらその旅人が私の持っていた弓とこの剣を交換してくれると言ってくれたのだ」
そう言って指を差した先にはボロボロの大剣が一つ。刃先はボロボロで、まともに斬れるような代物ではないだろう。
「ま、待って……。えっと、じゃあ今は弓は……」
「持っていない。いや、最初は少し悩んだのだが、どうやらこの剣は名剣らしくてな。特別に交換してくれるというので好意に甘えさせてもらったのだ」
口の端に付いたタレを指で拭いながら得意気に言う。
しかし、である。
「つ、つまりあれか。その旅人に有り金を全部渡して情報を買って、エルフ製の弓をそのボロ剣……もとい、大剣と交換したってことだな?」
「その通りだ」
えっへんと胸を張るユゥミィを見て思わず頭を押さえた。
エルフの作る弓は一般的にエルフィンアローと呼ばれ、威力、精度と共に凡庸な弓とは一線を画すほどの代物である。普通に市場に出回れば数十万エルではきかないだろう。最低でも百万エルは必要になるほどの物なのだ。
そもそも情報からして既に眉唾なものであったのに加え、この明らかに不良品にしか見えない剣をエルフィンアローと交換すると言う。よく考えなくても詐欺以外の何物でもないだろう。
いくら物の価値を知らないとは言え、こんな見え透いた嘘に騙されるとは。なんというか、本当にこの子を放ったらかしにしていいのか疑問を覚えてしまう。
「…………」
「ん? どうした?」
ジーっと彼女を見つめる。当の本人はユクレステの視線の意味を理解していないのか、至ってのほほんとした表情のままパンにかぶり付いている。
「えーっと、そうだ。少しお話をしようか。その、今後について。詳しく」
本当ならば聖霊使いのパーティーについて話を聞きたかったがどうにもそんな雰囲気でもない。出会って半日も経っていない間柄ではあるのだが、このまま放っておくと碌でもないことになるだろうと確信してしまう。
彼女と比較してしまえば、ミュウがどれほどしっかりした子なのかと。比較対象があれな気がしてならないが。
「むむむ! 私との契約について考えてくれたのだな!」
「……まあ、一応は。けど先に言っておくけど、俺は今回の大会、ミュウを……既に登録を済ませてある子を優先するつもりだ。今から登録を無効にしておまえを参加させようなんてことはしないからな」
策がどうこう言っていたからにはなにか考えがあるのだろうが、先に譲らない点は示しておく。後は彼女の言う策がどういったものなのかだが……。
「ふふん、まあ任せておけ」
結局ユクレステは、ユゥミィのその自身満々な笑みを胡散臭そうに眺めていた。
翌日、ミュウの剣の稽古を終えたユクレステは昨日ユゥミィと別れた森へと赴いていた。なんでも、策に必要な物を渡すと言うことなのだが……。
「……なに、これ?」
「ふふん、自信作だぞ? 凄いだろう」
手渡された物は仮面だった。縁日や祭りで売られているような安っぽい作りの物ではなく、まるで職人が手に掛けたような出来栄えの仮面だ。顔の半分を覆うような形の物で、見事な彫刻が彫られている。どこかの仮面舞踏会に着けて言っても違和感がないほどに素晴らしい出来だ。
「これ、ユゥミィが作ったのか? 一日……いや、半日くらいで?」
「いや、二時間くらいだったか? 昨日の夜、寝る前に作っておいたのだ。少し雑な仕上がりになってしまったのは申し訳ないがな」
いやいや、なにに使うのかは知らないが、美術品として見ればかなり上等な物だろう。それをたった二時間で作り上げてしまうとは驚きを禁じえない。恐らくこの少女、そっちの方の才能があるのだろう。これを売って金にすれば、と少し邪な考えが顔を覗かせた。
「ん? なんだ?」
「いや、別に」
思わず彼女を凝視してしまう。その真意は彼女には伝わらなかったようだ。
「で、これをどうするんだ?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれた! まずはだな――」
ユクレステの問いかけに胸を張って策とやらを説明し出した。果たしてそれは、とてもではないが策とも呼べないような代物で……。
「ふふふ、どんなものだ!?」
「あ、ありえない……」
結果から報告しておこう。彼女の策は見事に成功した。闘技場の受付に胡乱気な視線を受けながらも、出場者の名前にユゥミィという文字を刻み込むことに成功したのだ。しかしマスターについては、ユクレステという名前ではなかったが。
「はい、了承しました。ユーリィさんとユゥミィさんですね。では大会当日を楽しみにしています」
「は、はぁ……どうも」
「うむ、任せておくがよい!」
元気いっぱいに頷く全身鎧の少女と、そのマスターである木の仮面を被った謎の人物、ユーリィ・ダーゲン。もちろんその正体はユゥミィ・マクワイアとユクレステ・フォム・ダーゲシュテンである。
ユゥミィの考えた策とはつまり、偽名を使ってしまえばいい、という子供が考え付いたような策のことだ。もちろん顔を出したままではバレるだろうからと仮面を装着している訳だが、着ている服や声などは以前と全く変わっていないので、流石に気付かれるだろう。そう思ったのだが……。
「受付、出来ちゃったなぁ……」
この大会の運営、本当に大丈夫なのだろうかと心配になってくる。
主催者が主催者なだけ、納得してしまうような気もするのだが。
とにかく、こうして本当にエントリー出来てしまったということは、だ。
「おまえが大会にねぇ……大丈夫なのか?」
「ふふふ、もちろんじゃないか! 私のこの聖剣技を見せてやるとも!」
既に今まで一度も剣を振ったことがないのは確認済みである。
「っていうかそもそも、その剣振れるのか?」
「くくく、私にかかればどんな剣だろうと自分の腕のように扱えるさ!」
なお筋力に関してはそう強い方ではないようで、鎧を着て動くだけで精いっぱいの様子。唯一使いものになりそうなのは魔法だろうが、それも今の姿を見ていると不安になってくる。
とは言っても、今さら剣を教えるなんてことが出来るはずもなく。
「……まあ、一度負けてみるのも悪くない、かな?」
問題があるとすれば、ユクレステ自身が恥をかくということだろう。格好つけて仮面を被り、あっさりと敗北。考え得る中でも最悪に近いまでの負け方だ。周りの反応が予想出来るだけに、今から気が重い。胃の中に重たいものが落ちたような気分がした。
「本人がやる気あるのが唯一の救いなんだろうなー」
先ほどから喧しいまでの笑い声が隣から聞こえていた。
大会前日の七月期、二十と九日の午後である。ミュウの特訓の締めを終え、やっとこさ宿まで帰ってきたユクレステ。後の一日は特に予定もなく、英気を養ってもらうことにしていた。
気を失っていたミュウも目を覚まし、せっかくだから三人で食事を取ろうと個室のある食事処へと向かう途中であった。
「おお、我が主! そこにいたのか!」
「げっ……」
全身を鎧で覆った人物が手を上げて声を掛けてきたのだ。もちろんその人物はユゥミィ・マクワイアである。
「ふふん、奇遇だな、主。朝から探してようやく見つけたぞ!」
「いやいや、果たしてそれは奇遇って言うのか?」
少しの距離を詰めようとユゥミィが歩を進め……見事に足元の石につまずきヘッドスライディング。思わず足を上げて回避したユクレステは疲れたように息を吐いた。
『ねえマスター。知り合い?』
「んー、知り合いって言うかなんと言うか……」
「だ、大丈夫、ですか?」
恐々とユクレステの後ろから顔を覗かせ心配そうにしているミュウ。彼女の安否を気に掛けているのが彼女だけという事実。マリンは面白そうに口元を緩めていることだろう。
「くっ、この! なんのこれしき! 私は騎士になる者なのだぞ!」
必死に立ち上がろうとしているようだが、上手くいかずに結局少し動くだけに止まっている。通行人の目もあるので早いところ立ち上がって欲しいのだが……。
「……あの、立たせて下さいお願いします」
か細い声が聞こえてきたのは僅か数十秒後だった。もう少しガンバレと思ったり。
「はぁ……ミュウ、ちょっと起こしてあげてくれるか? 大丈夫、別に噛みついたりしないから」
「は、はい」
今までならばこの百キロを超える甲冑娘を立たせるのに四苦八苦していたユクレステだが、今の彼には最終兵器がある。任されたミュウがてて、とユゥミィに近づき、鎧の腰の辺りに手を掛ける。
「よいしょ、と」
「うわっ!?」
大して力を入れた様子もなく簡単に持ち上げた。一瞬身体が浮き、ビックリしたのかユゥミィの慌てた声が聞こえる。すぐに足で地面を確認し、たたらを踏みながらもなんとか直立した。
「おお、助かった。すまない」
「い、いえ……」
ミュウはペコリと頭を下げ、慌ててユクレステの影に隠れてしまった。その姿に、これが本当の人見知りだよなー、と考える。
『で、で? この子、マスターのなんなの?』
「ああ、こいつは……」
「な、なんだ!? 誰もいないところから声が聞こえたぞ? 具体的にはそこな少女の胸元くらいから!」
「ひゃう……!」
マリンの声が聞こえたのだろう、驚いたようにミュウを指差すユゥミィ。かなり小さな声だったにも関わらず、兜越しに聞こえるとは余程耳がいいのだろう。だてに耳が尖っている訳ではない。
「あー、うん。ここで話してても仕方ないか……。なあユゥミィ、俺たちこれから昼飯を食べに行くところなんだ。時間があるならおまえも一緒に行かないか?」
「あ、ああ。別に構わないが……」
「なら決定。取りあえずその鎧脱いで着替えてくれ。流石にそれ着たままって訳にはいかないから」
ユゥミィを鎧姿から冒険者風の服に変身させ、鎧をミュウに持ってもらいながらユクレステはふと思い出していた。
そう言えば、ミュウ達にこいつ(ユゥミィ)のことって話してなかったなー、と。
そこそこ割高な飲食店。そこの個室を取ったユクレステは適当に料理を頼むと椅子に座る人物たちを見た。ミーナ族の少女、ミュウ。人魚族のマリン、そしてダークエルフのユゥミィだ。人魚族は珍しいのだろうか、先ほどから店員の視線がチラチラと感じる。個室だからよかったものの、これで衆人の目に晒される場所だったらもっと面倒になったことだろう。
部屋の隅には鎧の入った袋が置かれ、それはこの中で一番力持ちのミュウが持ってきてくれた。あのままユゥミィに持たせていたらこうして食事にありつくのに倍以上の時間がかかっただろう。
「さて、とりあえず乾杯でもしとこうか。かんぱーい」
「カンパーイ!」
「か、かんぱい、です」
「う、うむ?」
持っていたグラスを軽く当て、飲み物を一息に呷る。中身は柑橘系のジュースで、流石にアルコールは入っていない。まだ昼間だし、明日の試合もあるので自重である。
「ぷっはー! いやー、このジュース美味しいね。私としてはアルコールの入ったブドウのジュースでも全然よかったんだけどなー?」
「子供の前でそんなこと言わない」
チラチラとなにか言いたげなマリンを叱りつけ、ユゥミィの方へと視線を向ける。グラスを弄りながら所在なさげに瞳を動かしている。目が合った。
「あ、主。その、この方たちは?」
自称人見知りがおどおどとユクレステに聞いてくる。乾杯も終え、そろそろ頃合いだろう。
「あー、と。二人とも、ちょっと聞いてくれるか?」
「ん、なーに?」
「は、はい」
片方はグラスを傾けながら、もう片方は膝に手を置いて行儀よく主の言葉を待つ。どちらがどちらかなのは、言うまでもないだろう。
二人の聞く姿勢が整ったのを確認し、ユクレステはユゥミィを指差しながら言った。
「ちょっと前に仲間ができました。はい、挨拶」
「む、ああ。えぇと、ダークエルフのユゥミィ・マクワイアだ。その、騎士を目指しているのだが……よ、よろしく頼む」
尻すぼみになっていく声をなんとか言い切り、頭を下げたまま固まってしまっている。力尽きたのだろう。
「ダークエルフ? 珍しい……んだけど、まあ陸に人魚がいる時点でね。でもいつ仲間にしたの?」
「正式にはまだだけど、口約束で一昨日くらいだったかなぁ。契約魔法を刻む前に二人に合わせたかったし」
「あ、まだ契約魔法かけてなかったんだ。じゃあ早いとこやっちゃえば?」
「契約魔法……これのこと、ですよね?」
ミュウが右手を机の上に出した。彼女の小さな手の甲には3㎝程度の紋章が刻まれている。
「ほう、これは……見事なものだな」
星と花びらの文様。それがユクレステの契約紋だ。どうやらユゥミィはその紋章を気に入ったらしく、わくわくとした表情で顔を向けている。さっきまでの態度が嘘のようだ。
「あ、あの……」
そんな彼女にミュウが声をかけた。
「な、なにかな?」
「あの、その……わ、私、ミュウって言います……。ミーナ族の、ミュウです」
「う、うむ。よ、よろしく頼む」
「あ、私はマリン。見ての通り人魚族だから。いつもはあの宝石の中にいるから。よろしくね」
自分から自己紹介をするミュウに驚きながらもマリンはにこやかに笑いかける。彼女も少しずつではあるが成長しているのだろう。姉貴分としては喜ばしい限りである。
「よしよし、よく出来たな。偉いぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
席を立ちミュウの頭をなでる。それから杖を持ち出し、ユゥミィに向かった。
「とりあえず契約魔法をかけとくか。大会に出るうえで必須らしいし。どこに描く」
契約魔法は基本的にどこにかけても発動する。マリンは胸、ミュウは右手の甲に描かれており、どこに刻むかは本人次第だ。大会に出る以上、出来れば分かりやすい場所の方が良いのだろうが、ユゥミィは全身を鎧で覆っているため見える場所というのが無い。
「一般的には手や足なんかだな。どっかの変人は胸とか尻とかにかけたりもするけど……」
「えへ」
「流石にこんな場所で裸になんかなりたくないだろ?」
人魚からふいと視線を外し、ため息を吐く。
ユゥミィはミュウの紋章を見つめながらじっと考え、
「ううむ、やはり無難に手にでもしてもらうか……主、一度契約の紋章を刻んだらずっと消えないのか?」
「ああいや、そういうことはないぞ? 俺の魔力だと半年くらいが限界だから、その頃にかけなおすから大体半年ごとに場所を変えることも出来る」
「そうなのか。ではやはり私も手に……」
ようやく決まったのかユゥミィはスッと右手を出す。ユクレステも頷き、いざ魔法を発動させようとして、
「やれやれ、果たしてそれで騎士になれるのかな?」
「……なんだと?」
悪魔が囁いた。
「ほら、契約魔法ってマスターとの繋がりを周囲に見せるっていうのが目的でしょ? それなのにそんな無難な場所じゃあ、騎士云々ってのは分からないんじゃないかなーって思ってさ」
「な、なに!?」
「お、おいおいマリンさん? なに言ってんですかい?」
少なくともそんな目的は……ない、とは言えないか。引っ込んだ右手にさっさと魔法をかけておけば良かったと後悔した。
「つまりさ、騎士ならマスターとの絆を大事な場所に刻んでもらうってこと。例えば私は胸だけど、これは心が通じ合えるようにって思ってここにしたんだ」
「嘘つけ」
「そ、そうなのか……!」
「信じるのかよ!?」
実際は恥ずかしがるユクレステを見たいがために体を張っただけなのだが、意外なことにユゥミィはその話を興味津々に聞いている。
「で、では私は一体どこに契約魔法を刻んでもらうべきなのだ!?」
「それはもちろん」
「もちろん……?」
緊張したようにゴクリ、とユゥミィの喉がなる。一拍の溜めを作り、マリンは声を張って彼女の問いかけに答えた。
「その可愛らしいヒップだよ!」
「なるほど!!」
迫力も相まってかすっかりその気になってしまっているユゥミィ。催眠術でもくらったかのようにグルグル目でユクレステを睨み付け、にじみ寄る。
「主、主! 私の尻に魔法をかけてくれ!」
「ちょ、なんか言ってること可笑しいぞ? まずそこに気づけ! ってかマリン! おまえミュウの時もそんなようなこと言ってただろ!?」
「そうか、まず先に脱がなければならないな、少し待っていろ!」
「そういうことは言ってねー!!」
言うが早いかユゥミィは腰のホックに手をかけ潔く穿いていたスカートを脱ぎ捨てる。白く眩い白い布がユクレステの視界のど真ん中に現れる。
「ちょ、マジで脱いでんな! 個室とは言えよそ様の店で脱ぐなー!」
「そうだよ、脱ぐならちゃんと下着も脱がないと!」
「はっ! そうか!?」
「そうか、じゃねー! マリンも余計なこと言うな!!」
下着に手をかけるユゥミィを羽交い絞めにしてなんとか押し止めるユクレステ。それを眺めながらケタケタと笑うマリンと、脱ぎ散らかされたスカートを拾いおろおろしているミュウ。軽いカオスがこの場を満たしていた。
そこに現れる救世主。
「お待たせしました、お食事の方を――」
個室のドアが開き、女性店員が現れ、ピタリと動きを止めた。突然人が入ってきたことによりユクレステたちも思わず硬直する。
「な、な、な……」
暴れていたせいで下着もずり落ち、かなり危険な様子のエルフ。
それをなぜか羽交い絞めにしている少年。
指差して笑う人魚。
スカートを握っておろおろしているミーナ族。
店員が混乱するのも当然である。
「なにをやっているんですかー!!」
でっかい雷が落ちたのは言うまでもない。
「ったく、マリン。おまえのせいで怒られちまったじゃねーか」
「あはは、大丈夫。私もタンコブ出来てるから! ……まさか本気で殴られるとは思わなかった……痛いよぅ……ミュウちゃんなでて」
「あ、えと……痛いの痛いの、飛んでけー」
かなり力の込められた拳骨をもらった二人は頭を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。ユクレステからすれば殴られたことに対して思うところもあるだろうが、騒がしくしてしまったのは事実なので仕方ないと割り切っておく。
で、当の本人であるユゥミィはと言うと。
「……でへへ~」
手鏡をもって自分の顔をだらしない表情で眺めていた。別にナルシストに目覚めたとかではない。彼女が見ているのは、右頬に刻まれた星と花びらの紋章だ。
「結局、ほっぺたかー。まあ、目立つことは目立つかな?」
「試合の時は兜被るから見えないだろうけどな」
それはそれで構わない。ユゥミィにとって、こうして繋がりを得られたことが嬉しいのだろう。これこそ、騎士になる第一歩なのだから。
「…………」
それを見つめ、自分の右手に視線を落とす少女がいたことに、彼らは気づかなかった。