連絡は忘れずに
男は見るからに酔っ払い、といった風体だ。不精ひげに汚らしいコートに身を包み、赤ら顔で片手には空になった一升瓶が握られている。力いっぱいに開かれた扉にもたれ掛かり、今も何やら叫んでいた。
「ありゃ、見事に酔ってるわね。せっかくの料理が台無しじゃない」
朝陽は少し機嫌を悪くしたのか、眉をピクリと動かし男に声をかけた。
「ちょっとおじさん、飲みたいんならこっち来なさいよ。一杯だけなら奢ってあげるから」
「えっ、朝陽さん?」
「良いから良いから、ここはお姉さんに任せなさいって」
可愛らしくウィンクを残し、店員に酒の注文をしている。朝陽に呼ばれ、ふらふらとした足取りでやってきた酔っ払い男。遠慮も何も無しに、ドッカ、と椅子に座りこみ、据わった目でユクレステ達を睨みつける。
「おいクソガキ、テメェなに見てんだ、あぁ?」
「いきなり難癖付けられたんですけど……」
男は随分と悪酔いしているようだ。
「良いかぁ? 俺ぁパイロット様なんだぞ? ジャリ共のなりたい職業ナンバーワン、飛行機乗りだ! そこんとこ分かってんのか、あぁ!?」
「いやんな事言われても……ヒコウキってのが何かも良く分からないし」
「んだぁ? どこの田舎モンだテメェ!」
別世界からの田舎者です、とは流石に言えず。チラリと朝陽を見れば、んー、と考えるようにして口を開いた。
「要は空を飛ぶ乗り物の事。飛竜とかとは違って一度に沢山の人数を運ぶ事が出来るのよ」
「へぇ、そんな乗り物もあるんですね」
感心したように頷き、あれ、と首を傾げる。
そんな乗り物があると言う話を、今までに一度も聞いた事が無かったからだ。だがそんな疑問が浮かぶも、男の大声に遮られてしまう。
「自由な大空を飛び回っていた俺が、なんだってこんな地べたに這いつくばって生きにゃならねぇ!? 男、式条青也! こんなんじゃ死んだも同然じゃねぇか!」
「え、えぇ……」
そして今度はオイオイと泣き出してしまう。絡み酒に泣き上戸、ユクレステの苦手な酔い方をしている男の姿に、この場から逃げ出したい心境になる。そこへ朝陽が日本酒の入ったコップを手渡した。
「まあまあ、とりあえずここはグイッといきましょうよ。嫌な事は飲んで忘れるに限る!」
「てやんでいバカやろー!」
引っ手繰るようにコップを手に取り、グイ、と一気に飲み干す酔っ払い。
「――グゥ」
「って、えぇ? ちょ、大丈夫ですか!?」
そのまま糸の切れた人形のように倒れてしまった。床に転がる男を驚いたように見て、朝陽は店員に向かって声をかけた。
「すみませーん、この人急に寝ちゃったみたいなんですけどー。多分飲み過ぎたんでしょうねー。何とかして下さーい」
とてつもない棒読みであったが。
「アサヒさん、あなたもしかして……」
タラリと汗が額から流れ落ち、恐る恐る朝陽を見上げる。彼女の手の中に何かのビンが見えたのを、ユクレステは見逃さなかった。
「あはは、なんの事かなぁ? あさひ、わかんなーい」
「酔ってんですかあなたも!?」
何が起きたのかは、見ての通りだろうか。先ほど彼女の話に出て来た、騎士王をも睡眠の彼方に誘ったであろう薬品。彼女はそれを酒にでも混ぜ、男……式条青也に飲ませたのだ。ダークエルフでさえ効くような薬。大丈夫なのだろうかと視線で問う。
「大丈夫よ、ただの即効性の睡眠誘導剤だから。それにほら、ちゃんと薄めて使ったし」
「それ本当に大丈夫なんですか?」
訝しげな視線だけはどうしても拭えなかった。
結局男の処理は店側がやってくれた。何でも彼はこの居酒屋では常連であったらしく、店長とは知人以上の関係なのだそうだ。
「すまないねぇ、お嬢ちゃん方。あんなんでも悪い奴じゃねぇんだよ。許してやってくれ」
「それは良いんですけど……」
本当に命に別状は無いのか。それが問題である。
ペコペコと頭を下げ、店長は厨房へと戻って行った。
「……やれやれ」
「アサヒさん?」
小さく、しかし呆れたような吐息が目の前に座る女性からこぼれた。サービスだと言って置かれた料理に手を伸ばしながら、苦笑するように呟く。
「こっちの世界の人間は情けない、とか思ったかな。まあ、そう思われても仕方ないんだけど。ごめんね、つまらないもの見せちゃって。一応、この世界代表として謝っておくわ」
「いや、そんな事……」
突然、本当に突然生き甲斐を奪われたのだ。荒れてしまうのは理解出来る。そう言いかけるユクレステの言葉を遮るように、朝陽の言葉は続く。
「飛行機の数が激減したのが十五年前。世界落ちのあった日からだったわ。外国へ移動する事が不可能になったせいで飛行機の必要性が少なくなり、当然のように数が減った。……それでも国内線はギリギリながら運航していたんだけどね。本格的に全て廃止になったのは、おおよそ五年前の事」
「五年……それって。あ、おかわり下さい」
問いかける様な視線に、朝陽はすぐさま頷いた。
「まあ、そうよ。私がこっちに戻って来て、エレメント社を立ち上げた時。って言うか、飛行機廃止になったのって大体私が関係してるしね。私もお願ーい」
「アサヒさんが、ですか?」
「そ。まあ、それでも仕方ない事ではあるんだけどねー」
ダレるように椅子の背にもたれ掛かり、朝陽は遠い空を見上げるかのように店の天井を睨みつける。
何か思い出すかのような表情に口を出す事も出来ず、次の言葉を待つ。そしてようやく、その重い口が開かれた。
「……五年前まで、ここはもっと暮らし辛い世界だった。それは何度か話したから知ってるよね?」
「ええ。世界を賄うだけのエネルギーが無く、食糧事情も切迫していた。そのため、何万人もの餓死者が出たとか」
「挙句には、世界落ち後にも頻繁に空間地割れが起きたわ。まるで大地震の後の余震のようにね。それに呑み込まれ、何百人もの人が今でも行方不明」
未曾有の大災害だ。今こうして日本の形が残っている事自体、奇跡に近いのである。だが、本当はそれだけでは無かった。
「問題となったのは、空。さっきの男が言っていた、自由な大空が私達に牙を向いたの」
「牙? あ、おかわり頼みます?」
「なんたって、あらゆる世界をたゆたう存在になったこの世界だもの。空の境界線はありとあらゆる世界の空と繋がり、様々な異常気象をもたらした。五十度を超える熱波の日もあれば、マイナス三十度を超える極寒の日もあった。家が潰れる程の大雪や、山が崩れる程の大雨、さらにひどい時なんて空から炎が降って来た事もあった。マジで自由過ぎる空になったのよ。うん、もう一杯お願い!」
思い出すだけでも震えが止まらない。もちろんそんな日が毎日あった訳ではない。温厚な空が続く時だってあった。だが、長期の平穏も、短期の異常気象が起これば全て洗い流すかのように失われてしまう。
「だから、私が最初にやったのは天候を安定させる……もっと言えば、気候と天気を百パーとは言わないまでも、八割九割で操作出来るようにする事だった。天気が操作出来れば食糧も育て易いしね」
軽く言ってのける朝陽だが、ユクレステは話の壮大さについていけないでいた。
「いやまあ、世界と言っても限られた空間だし、ノウハウは割と教わってたから。それに、多分ユクレステ君だって知ってるはずよ? 天候すら掌握する絶対的な力を持つ存在を」
その言葉に思い当たる存在が数人いた。大雪を降らせるモノ、雷雲を呼び寄せるモノ、嵐を巻き起こすモノ。超常的な力を持った、彼の仲間達。確かに彼女達は天候すら従えていた。
だがそれも、精霊や高次元の魔物であったりと、人の身では届かない高みの存在だからに他ならない。ただの人間である朝陽には――。
(いや、違うか)
ふと、思い返した。確かに彼女は人間だ。しかし、ただの人間とはお世辞にも言えない。何故なら彼女は、そんな高位の存在の頂点に立つモノから認められた、聖霊使いなのだから。
「ま、ま、そんな大層なもんじゃないけどね、私。出来るとしたら精々ちびっ子やカップルに夢を見せるくらいだし」
「……俺、声に出してましたか?」
「聖霊使いにもなると他人の心が読める! ……と言いたい所だけど、ただの勘かな。なーに、百くらいの戦場を渡り歩けばユクレステ君も身につくスキルよ」
「そんな危険な事はノーサンキューで。真っ当な人生を謳歌したいので」
「ここに来てる時点で手遅れだとおねーさんは思うけど?」
朝陽は言い返せないような言葉をニコニコと言い、言葉につまるユクレステを楽しそうに眺めている。居心地悪そうに酒に手を伸ばした。それを真似するようにグラスを傾け、ほんのりと桜色に染まった頬のままポツリと呟いた。
「それに私……あーいや、ごめん、なんでもないや」
「いや、なんですかその中途半端。気になるんですけど」
「えー、でもちょっと愚痴っぽくなって恥ずかしいって言うか……ヤでしょ? 他人の愚痴を聞かされるのって」
まあ確かに、と普段の彼ならば言った所だろう。だが今のユクレステはかなり酔いが回っていた。話の途中途中で舌を湿らすためにアルコールを含んでいたのが原因だろう。と言うか、飲み屋でそれ以外の要因がある訳でも無し。既に真っ赤な顔のまま、ユクレステは朝陽に言った。
「別に嫌な訳無いじゃないですか。(聖霊使いとして)憧れの人(の話)となら、俺はいつまでも一緒にい(て聞け)ますよ」
とか、色々とぶっ飛んだ発言になっている。もちろん、酔っているユクレステが自分のとんでも無く恥ずかしい発言に気付くはずは無い。
「う、うははは。そんな風に言われたら照れちゃうんだけどなー。もー、ユクレステ君ってば仕方無いなー」
ちなみにこちらはまだまだイケる。ユクレステが酔っている事も分かっているため、真剣には受け止めずにいたが、彼女とて心は乙女。赤みがさらに増した顔で愚痴を口にした。
「ま、何て言うかさ。私、ああ言う大人って嫌いなのよね」
「さっきの男の人ですか?」
真面目な雰囲気に多少酔いが醒める。首を傾げた問いに、朝陽は小さく頷いた。
「こう言っちゃなんだけど、あの人だけじゃないのよ、突然大切な物を奪われたのって。それが物であったり、職であったり、夢であったり……家族友人であったりね。この世界は、私達から容赦なくそれらを奪い取って行く。でも、あの頃はそれが当たり前で、子供心に納得は出来なくても理解はしていた。……失ったなら、諦めなきゃいけないって。そうじゃなきゃ、前になんて進めないもの。そうやって私達は生きて来た。それなのに……」
一息。その一息には、失望と諦めの感情が込められていた。
「酒に逃げて、弱音を辺り構わず吐き出して、今を蔑ろにしている。どうにも、そういう大人は好きになれそうもないから」
嫌悪の感情は、確かにそこにはある。だが、それと同様に同情も。
「それじゃあ……いえ、なんでもないです」
「あはは、あれあれー? さっきと言ってる事違くない? 中途半端は逆に気になるんじゃなかったっけ?」
「あー、ダメです。酔っててなに言おうとしたのか忘れました。ってかヤバい、ギモヂワルイ……」
「顔あっお! はいはいユクレステ君、トイレはあっちだから急いでね」
「うぃー」
フラフラとした足取りでトイレへと駆け込むユクレステを眺めながら、朝陽は先ほどの言葉の続きを予想する。彼女曰く百の戦場を歩いて来た朝陽の勘は、こうではないかと言っている。
――それじゃあ、アサヒさんも同じような経験が?
「答えは……イエスだよ。来訪者くん」
空になったグラスを置き、次の一杯を注文するのだった。
*
「ユクレステさん。今何時ですか?」
「はい。十一時に御座います」
ユクレステは自宅のリビングで正座をしていた。正確には、させられている最中である。
なぜかと言えば、それはもちろんユクレステに問題があった。
現在の時刻は今しがたユクレステが答えた通り、十一時を回った所だ。もちろん、夜の十一時である。そしてその時間は、今日彼が帰宅した時刻とほぼ同じであった。今の今までアサヒと飲み明かしていたという訳である。
話は変わるが、ユクレステはとある少女に対してこう言っていた。
『遅くても七時くらいには帰るから』
そうして、その日の食事は鍋である。彼の仲間達はユクレステが帰宅するのを待ち、一緒にご飯を食べようと思っていたのだ。
だが、七時になっても八時になっても帰っては来ず、また連絡も一切無いときた。待ち切れず九時に遅い夕食を済ませ、さらに待つ事二時間。顔を真っ赤にしてベロンベロンに酔っぱらって帰宅したユクレステを見て、食事係に任命されている少女は何かがキレる音を聞いた。
「飲みに行くのは別に構いません。ユクレステさんにも付き合いがあるのは理解してますし。でも、それならばそうと連絡の一つくらい寄越すくらいできませんでしたか?」
目の前で仁王立ちしている銀髪の少女。普段やる気のないダウナー気味な瞳は、今や怒りの色を見せていた。目つきも鋭く、突き刺さるような視線は居心地の悪さを助長させる。
「はい。その通りです。すっかり忘れていました……ごめんなさい」
確かにいきなり連れて行かれはしたが、それでもその後連絡する手段はいくらでも持ち合せていたはずだ。それを忘れ、連絡を疎かにしたのは、ミス以外のなにものでもない。
素直に謝罪し、深々と頭を下げる。
周りには仲間達が事の成り行きを見守っていた。
「ま、まあまあ。落ち着きなってカナエっち。急なお呼ばれなんて良くある事だし、ちょっと忘れたのだって……」
「甘いです、ミコっち。ここで下手に出ると付け上がります」
「わお、意外にスパルタだね、カナエっち」
仲裁に入ろうとした美子を一睨みで撃退し、叶はさらに口を開く。
「あたしは別にどうでも良いんですよ。ユクレステさんといっしょにご飯が食べられようとなかろうと。でも、それを楽しみにしている子もいるんです。それを忘れないで下さい」
チラリと横目で一人の少女を見た。そこには眠たげに瞳をショボショボとさせ、膝に眠っている小ギツネを乗せたミュウがいる。普段ならばもう寝ている彼女だが、ユクレステが帰って来るのを待っていたのだろう。
そう考えると、堪らず罪悪感が圧し掛かって来る。
「……ゴメン。ミュウも、ゴメンな?」
「そ、そんな……わたしは、ご主人さまが無事に帰って来て下さるのなら、あふ……あ」
言葉の途中、眠気が我慢できず欠伸をしてしまった。恥ずかしそうに顔を伏せるミュウの姿に、クスリと周りから微笑みがこぼれる。
「ま、これくらいで良いんじゃないかな? そろそろミュウちゃんもおねむだし、私も眠たいし」
「む、もう寝るのか? これから、渡る世界は鬼神ばかりが始まるのに。結構面白いぞ」
「本気? 僕はあれ無理。胃もたれしそうな話は遠慮しとく」
マリン達魔物三人娘がテレビ周辺から声をかけて来る。
そんな彼女達と、ユクレステを交互に眺め、叶はようやく眦を戻した。
「はあ、まったく……とにかく、今度からはちゃんと連絡をする事。分かりましたね?」
「はい、了解であります」
「本当に分かってるんですかね、この人は」
そう言ってテキパキと台所を掃除していく叶。そんな彼女達を眺め、美子がポツリと呟いた。
「なーんか、旦那とお嫁さんって感じ。いーなー」
――ゴン!
台所から頭をぶつけたような音が聞こえて来た。
遅くなりましたー!!