番外編 ダークエルフのアルバイト
「いらっしゃいませー」
気だるげな少女の声が店の奥から聞こえて来る。扉を開けるのと同時に香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、腹の虫が刺激された。数人の団体客を見つけ、フリフリの服を着たウェイトレスが駆け寄ってきた。
「喫茶ノーブルにようこそ。何名様でしょうか?」
三人だと伝えると、彼女は奥の机をチラリと眺めながら言った。
「テーブル席でよろしいでしょうか? こちらへどうぞ――」
「わぎゃん!?」
その途中、何かの悲鳴が言葉を遮る。犬か猫か、流石にそれは飲食店には相応しくないだろうか。みればウェイトレスの少女は呆れたように吐息していた。
「またか……申し訳ありません、いつもの事なので気にしないで下さい」
若干引きつった表情のまま、彼女は店の奥に消えて行く。
そのすぐ後に聞こえてきたのは……。
『ちょっとユゥミィ! 今度は何をやったの!?」
女の怒鳴り声だった。
*
それは冬にしては温かい陽気のとある昼下がりであった。
「あー、暇だ……。主達はいないし、ディーラは寝てるし……やる事と言ったら散歩くらい。兄さまはあれ以来相手してくれないし……」
褐色の肌と長い耳。そんな特徴的な身体を持つユクレステパーティーの一人、ダークエルフのユゥミィはブラブラと住宅街を歩いていた。服装はこちらの世界で一般的なもので、肌の色と耳の長さを別にすればどこも不審なものはない。だがやはりダークエルフとしての特徴は日本では目に留まるらしく、彼女を二度見する人は多かった。
とは言え、人の視線には疎いユゥミィはそんな事気にも留めず、気の向くままに歩を進めていた。
主は今日もエレメント社に呼び出されており、ミュウとマリンはそれについていっている。ディーラとカラアゲはいつものように日向ぼっこをしていて、起きそうにない。結果、彼女一人暇を持て余していると言う訳である。いっその事主についていけばよかったのかもしれないが、ものの見事に寝坊してしまったユゥミィには後の祭りである。
「いや、私は悪くない。てれびが全部悪いのだ」
新居に念願のテレビが届き、嬉しさのあまりディーラと共に夜更かししてしまったのが最大の原因である事は間違いない。多分、ディーラが熟睡しているのもそれが原因だろう。
程々にしろよー、と言っていた主の声が思い出された。
「なにか面白い事はないものか……」
こちらの世界に来て既に数日。文化の違いに驚かされ続けである。毎日のように新しい発見があり、その度に反応していて疲れてしまったくらいだ。今ではもう道路を走る自動車だって恐くはない。
ただし乗るのは勘弁だが。
「うん? なにやら良い匂いが……」
そんなユゥミィが歩いていると、どこからか甘い、美味しそうな匂いが漂って来た。住宅街と言うこともあり、どこかの家でお菓子でも焼いているのだろうかとキョロキョロ辺りを見渡した。
「あれは……」
路地に入った場所に、他の家とはどこか違った雰囲気の建物を発見する。洒落た外観に、可愛らしい丸文字で店の名前が書かれている。
「えーっと、きっさノーブル? お菓子屋さんかな? ……お金、確かもらってたはず……」
主から教えられている日本語が初めて役に立った瞬間であった。ゴソゴソと財布を引っ張り出し中身を確認する。
小腹が空いていた事もあり、フラフラと店に吸い込まれて行った。
「頼もう! 取りあえずこれで買えるだけ頼む!!」
この後、無駄遣いをしたという事でご主人さまからお説教を受ける事になるのだが、それはそれである。
「……ねえユゥミィ。やっぱりメイド服よりもチャイナ服の方が良いのかしら? それともやっぱり騎士っぽい格好の方が珍しい?」
「いや、良く分からないが喫茶店なんだから普通の服で良いのではないか?」
そもそもどうして彼女が働く事になったのかと言えば、それはきっと店長の嗅覚が反応してしまったからだろう。
喫茶ノーブルの店長、百白恭子。趣味はアニメ観賞、コスプレ。自分でマンガやアニメのキャラクター衣装を作成する、生粋のコスプレイヤーである。そんな彼女が、ユゥミィと出会ったのはまさに運命と呼ぶに相応しかった。
その日も徹夜でコスプレ衣装を作り終え、ボーっとしながら店番をしている時。バカみたいな事を大声で叫びながら入店してきた一人の少女。恭子は彼女を見て電流が走ったのだった。
(なっ、褐色肌……そしてあの耳は、まさか伝説のエルフ耳!? い、いや待つのよ百白恭子! あれはきっとダークエルフ! コスプレにしてはリアル過ぎない? ま、まさか本物?)
「いらっしゃいませー。お一人様でしょうか?」
「うん、そうだ。ここはケーキ屋さんか?」
「ええと……はい、お料理だけでなくお菓子も提供させて頂いています」
「む、ならば良し」
内心の驚愕を必死に隠しつつ、営業スマイルを崩すことなく細かに観察していく。着ている服はどこにでもあるような代物だが、その耳と若草色の髪、浅黒い肌はとても目立つ。キリッとつり上がった瞳と、話し方が騎士っぽい。
というより、彼女の雰囲気が先日やったゲームのキャラに良く似ているのだ。
(こ、これはまさにエルフ騎士、ディーダリアちゃん! あっちは普通のエルフだったけど、似てる……もしかしてこれ、夢?)
ちなみにそのゲームとは、『気高きエルフ騎士の闘い ~クッ、触手なんかに絶対負けない!~』
完全無欠に十八禁のゲームであった。
そのキャラに似ていると思われて光栄なのかどうかは分からないが、彼女を見ているとドンドン創作意欲が湧いて来る。すぐにでも店を閉めて製作に取り掛かりたくなるほどだ。
(いえ、待つのよ恭子! ここで帰らせたらもう会えないかもしれないのよ? あんな希少な存在、逃がす手は無い!)
ならばどうするか。コンマ一秒にも満たない時間で作戦を決め、営業スマイルのまま少女へと詰め寄った。
「突然で申し訳ないのですけど、アルバイトに興味はありませんか?」
アルバイトとして雇えば、雇用主権限で色々な制服を着せることも出来る。
相場の二倍までならば出しても良い。その覚悟での説得は、意外にも簡単に成功を見せたのだった。
ユゥミィのおかげで未だ尽きぬアイディアは凄まじい勢いで形になっていく。さらに以前から働いている店員も恭子のお眼鏡に敵った程の美少女だ。自分が作ったコスプレ衣装を着た少女達を思い浮かべ、ハァハァと荒く吐息しながら言葉が漏れ出る。
「クフフ……これなら年末のイベントは頂きよ! 大観衆の視線を独り占め……いいえ、三人占めも可能よー!」
「んな事は良いから仕事して下さい店長!」
「げふぅ」
夢の世界にトリップしていた恭子をゴン、と強い衝撃が襲う。丸いトレイで頭を強かに殴られたようだ。ハッと意識を取り戻し、殴った少女へと視線を向ける。
「な、なにをするのよ店員A! 私の妄想を邪魔するなんて重罪よ、重罪!」
「知りません。いいから手を動かして下さい店長。Aセット二つとカルボナーラ一つです」
冷めた視線で見られ、背中にゾクゾクとしたものが走る。そんなに嫌ではないというのが問題だろう。
「む、どうした店長。そんな恍惚とした顔をして。あ、それとお皿が一人でに割れてしまったのだが。い、いや、私は何もしていないぞ?」
真っ二つに割れた皿を胸の前に持つユゥミィ。吹けもしない口笛を吹きながら視線を逸らしている。
「……はぁ。もう怒る気力もない……って言うか、なんでユゥミィがここに?」
もう一人の店員が疲れたように溜め息を吐き出し、銀色の髪をかき上げた。
ユゥミィの同僚であり、喫茶ノーブルのもう一人の店員。日本では珍し銀髪と、ダウナーな性格。容姿は満点で、恭子がユゥミィ同様、コスプレさせたいがためにアルバイトに誘った少女が彼女だ。名は、
「ふふん、私だって勤労に励むのだぞ! 日がな一日寝て過ごしているディーラと違って! どうだ、見直したか? カナエ」
「ん、んー。まあ、労働に勤しんでいる以上ニートよりはマシ、かな? 失敗ばっかだけどね、このドジっ娘騎士は」
天星叶といった。
学費や最低限の生活費は魔法術学校に通っているため、国から支給されているのだが、叶だって女の子である。美味しい物も食べたいし、色々と入り用なのだ。そのためバイトを探していた彼女は、街中で偶然恭子と出会い、賄いと一般よりも高額なバイト料に目が眩み彼女の下で働いているのである。
「ドジっ娘騎士、だと? ……ふ、ふふふ……さらに創作意欲ががが」
「はいはい、良いから働いて下さい店長」
今では恭子の悪癖も慣れたものだ。あちらの世界に旅立ってしまった彼女に容赦なくツッコミを入れ、ユゥミィを引き連れて仕事へと戻って行く。
「あ、そうそう。ちょっと二人とも、今夜時間ある? ちょっと手伝って欲しい事があるんだけど」
そんな二人の背中に声をかけ、恭子はニコリと怪しげな笑みを見せながら近付いた。なにかを感じ取ったのか叶は若干引き気味だ。
「な、なんですか? また夏みたいな事をさせるつもりじゃないですよね?」
思い出されるは真夏に起きたイベントの事である。デッカイサイトで行われた、マンガやアニメの祭典。そこで叶は恭子が制作した衣装を着せられた事があったのだ。普段の給料の倍を出すと言われ、誘われるままについて行ってしまったのが運のツキ。暑いいわ臭いわ、変な熱気に頭がクラクラしたのは忘れようにも忘れられない。
ゲッソリと顔を青くさせ、警戒の眼差しを向ける叶。恭子はそんな彼女を安心させるように、ニコニコと微笑みかけた。
「大丈夫よー。今回はちょっと手伝って欲しいだけだから。……ちょっと今とある服を作ってるんだけど、この調子だと期限までに間に合いそうもないからそのお手伝いをお願いしたいのよ。叶は手先器用だしね。意外にもユゥミィも」
「ふふん、当然だ」
「いやいやユゥミィ、バカにされてるんだって、それ。――って、それだけですか? 本当に?」
「いやぁね、本当に決まってるでしょ。……今回は、ね」
ポソリと怪しげな言葉が呟かれたが、幸い叶の耳には届かなかったようだ。
叶は探る様な眼差しで恭子を見つめる。
「一応、時間外労働って事でバイト料は五割増……」
「もちろんやります!」
金銭関係の言葉ならばどれだけ小さな声でも聞き分ける事が出来そうである。
「む? だが私達のごはん……」
「後でユゥミィの好きなの何でも作ってあげるから!」
「そ、そうか? な、なら分かった」
血走った眼に気圧され、結局ユゥミィも了承してしまった。二人がOKを出した事により、恭子はもはや妖しい笑みを隠そうともしない。
「フッフッフッ、これでどうにか間に合いそうかしらねぇ~」
ユゥミィの胸元に提げられたアクアマリンの中でその話を聞いていたマリンは、一つの確信をもって溜め息を吐き出す。
(――今夜の夕食は遅くなりそうだなぁ)
事実、その日叶達が開放されたのは十ニ時を過ぎていた。
その後、ユゥミィがレイヤーとして一世を風靡することになるのだが、それはまた別のお話である。