ダンジョン――山の四層目
ディーラの言葉に反応するように、男の笑みがさらに深まった。ギラギラと輝く赤い双眼がユクレステ達を射ぬき、ケタケタとした笑い声が響く。
「ケケ、その通りさぁ、オイラは悪魔。名無しの悪魔、じゃあつまらないからぁ、そうだな。ナイト……ナイト……ナイトーとでも呼んでくれよぉ?」
ダラリと舌を見せる悪魔に向かって炎が放たれるが、即座に反応し木の枝に飛び移った。
「フザケロ。オマエの正体に気がつかないとでも思ってるのか? ――ナイトメア」
こぼれ出す殺気を隠そうともせず、ディーラは淡々と声を繋げる。ユクレステを傷つけられて苛立っているだろう。感情と呼応するように赤い魔力が火の粉を発していた。
「ナイトメア……人に覚めぬ悪夢を見せ、生気を吸い取る悪魔。それだけではなく、幻術の使い手としても有名……。なるほど、ダンジョン化と言いこの山に入った瞬間からおまえの夢に絡め取られていたって訳か?」
「へぇぇえええ? そっちの悪魔っちゃんなら分かって当然だけど、人間のくせにオイラの事知ってるんだぁ。中々将来有望な魔法使いクンだな」
「ご主人、平気なの?」
先程までユクレステを貫いていた槍は既に消えており、痛みもウソのようになくなっている。若干違和感を覚えるが、それでも立ち上がる程度には問題ない。
「ああ、大丈夫っぽい。それよりも、だ。おいナイトメア。何で今サキを狙った?」
ピリピリとした空気を出しながらユクレステが睨みつける。
「あん? そりゃーほら、キミらのお手伝いしてあげただけっじゃーん? そいつ退治すんのがお仕事なんでしょー? 捕獲するよりもさっさとお亡くなりにした方が楽だしー」
「仕事内容は別に退治するだけじゃない。この子が人を受け入れて、俺達と一緒にいると望めばそれで終わった話だ。それこそ殺すよりもずっと楽じゃないのか?」
殺す、という言葉にビクリと身を震わせるサキ。ミュウはギュッと子ギツネを抱き締めて安心させようとする。
「あーはーん? なになに? 一緒にいる? 化け物がか弱い人間と一緒にいられる分けないでしょーに。分かるー? そのキツネ、妖怪だよ? 化け物。今はそんな弱っちぃナリしてっけどぉ、いずれ人を喰いものにするおっとろしぃ~化け物になるんだよーん? はい、そんな化け物を前に普通の人間ならどうするでしょー、か!? いち~、ぬっころすぅ~。にぃ~、たたっころすぅ~。さぁ~ん、くびりころすぅ~。さぁーて、どれでしょー?」
ケタケタ、ケタケタと不快になる笑いでユクレステの精神を逆撫でする。美子もディーラも、既に表情は無い。
「なに、こいつ。すんごいムカつくんだけど……」
「恥ずかしながら、悪魔なんて大なり小なりこんな感じ。……こいつは他よりも歪んでそうだけど」
二人の声など無視するように、舐める様な視線がユクレステを向く。鋭い視線で逆に睨まれ、ナイトメアはニィ、と深い笑みを形作り上を向き、吠えた。
「はいピンポンピンポーン! 答えに移りまーす! 正解は正解はなんと~、ジャカッジャン! 四番の、剥製にしてお家に飾って差し上げる、でしたぁ~! ヒューヒュードンドンパフパフ! 正解したアナタにはぁ~――剥製の子ギツネをクレテやるよ」
「ストーム・ウォール!」
ふざけた笑いが凶暴なそれに変化し、両手の平をダン、と地面に叩き付ける。すると地面が波のように歪み、ユクレステ達を襲った。
咄嗟に風の障壁を展開し、すぐにミュウへと視線を送る。
「剣気――地崩!」
意図を即座に理解したミュウが、大剣を大上段に振り被って風の障壁ごと地面に叩き付けた。怪力と超重量での一撃は地面を粉砕し、土砂が空へと舞った。
「おっとぉ、すんごいぱぅわぁ。オイラも顔面真っ青よん」
「なら次は真っ赤になれ――ブレイズ・エッジ」
「おおっ、悪魔っちゃんではないですか!」
飛翔し、空から焔の剣を携えて突貫したのはディーラだ。ナイトメアは炎を黒い腕と爪で弾き、ブーツで蹴りを放つ。靴底がディーラの腹を捉え、グン、と力任せに吹き飛ばされた。
「――っ、の!」
空中で姿勢を直し、木の枝を掴んで勢いを殺す。そのまま反動で空中へと飛び上がり、眼下へと視線を戻す。だが敵の姿はどこにも無かった。
「チッ、どこに――」
「こーこー」
「っ!?」
フゥ、と耳元に息を吹きかけられる。気持ちの悪さにゾゾ、と背筋が震えた。
「悪魔っちゃん、討ち取ったりぃ――あら?」
鋭い爪をディーラへと向けようとした。寸前、悪魔の眼前に何かが現れた。
「た、高い高ぁい……のじゃ!」
「はぁい」
金色の毛並みが美しい子ギツネ、サキだ。彼女の手には両手でしっかりと液体の入ったビンが握られており、ナイトメアと視線を合わせるとすぐにそれを放り投げた。瞬間、
「おおぅ」
魔法薬が発動し、雷の矢が出現した。
もちろん、悪魔であるナイトメアにはその程度が直撃した所で痛くも痒くもない攻撃だ。しかし一瞬気がそちらに向いてしまったのは確か。その一瞬でディーラは体勢を立て直し、その場を離脱する。
「そーれ、氷の礫ー!」
「あ、痛い痛い。これは地味に痛いぃ~なぁ~」
すると今度は下から拳大の氷の塊が襲い掛かった。堪らずマントを被りながら地面に着地した。
「ほい来たミュウ!」
「やっ――!」
降りてきた所へ的確にミュウの一撃が放たれる。横薙ぎに払われた大剣を胴にまともに喰らい、体をくの字に曲げて吹き飛んだ。止めとばかりにユクレステが風の砲撃を悪魔へと向けた。
「ストーム・カノン!」
「ゲポッ」
頭上に魔法が放たれる。タイミングはバッチリで、ナイトメアは可笑しな悲鳴を上げて空へと打ち上げられた。
だがすぐに空中で体を起こし、浮遊しながらゆっくりと地面に降りてくる。
「い、いぃっひっひっひ! 中々やるねぇ~。今のはかなり痛かったよん」
痛い、とは言ってはいるが堪えた様子はなさそうだ。精々が着ている服が汚れた程度か。
その様子にユクレステは警戒レベルを一気に引き上げた。
「ふざけてるけどこいつ、かなりやるぞ。みんな、気を付け……って、あれ?」
「へっ? どうしたの、センセ?」
困惑した表情の美子。彼女の瞳には、ユクレステが右手に持っているリューナの杖が見える。それが、こちらを向いている。
「ッ! まず――」
「え、キャア!?」
放たれたバレット・ストームの魔法。風の魔弾が美子を襲った。
「ちょ、センセどうしたの!?」
「悪い! って言うかまだやるっぽい!?」
「キャー!?」
さらに連続して魔法が吐き出される。必死に狙いを逸らしているためか彼女の足元に穴を穿つだけで済んでいるが、このままではマズイと判断したのか美子は慌ててユクレステから距離を取った。
離れた事で落ち着きを取り戻したのか、彼の姿を観察する。
「な、なに、あれ?」
右肩を中心に黒い煙が右腕を覆っていた。必死に抑えようと左手で右腕を掴んでいるが、杖の先からは今も魔弾が撃ち続けられている。
「ご主人さま!?」
「ナイトメア……チッ、面倒な事を」
「な、なんじゃアレ? 呪いか!?」
ミュウと空から戻って来たディーラとサキがユクレステの姿に目を丸くしている。
「つぅ……、あの悪魔め、なにしやがった?」
どうなっているのかが分からず、ユクレステは苦しそうに呻いた。だが原因は分かっている。つい先ほどナイトメアが放った黒い槍。その傷跡から魔力が肉体を侵し始めているのだ。体の自由が効かず、意思に反して腕が勝手に動く。
「なにを? なぁ~にをしたかってぇ~? ケケケ、そんなのすぐ分かるだろぉ~よ。……キミを操り人形にでもしてヤロウってね?」
「クッ、うぶ……」
「この――! ご主人さまを放せぇ!!」
ミュウが一足飛びに悪魔へと突貫し、大振りの一撃を振り抜く。しかし、それよりも早く黒い煙のような魔力がユクレステの全身を侵食してしまった。刹那、
「――ストーム・ランス」
「あ……」
横合いから風の槍が肉薄する。避ける事も出来ず、主からの攻撃に体が硬直した。
「っとに、仕方ないご主人さまだなぁ」
しかしそれを何事も無かったかのようにディーラが払った。風の槍は手の平で払われ、パシン、という軽い音と共にあらぬ方向へと飛んで行く。既にそちらには意識を向けず、ディーラは嘆息した表情のままユクレステへと向き直った。
「ご主人、一応聞いておくけど……意識はある?」
「……ストーム・カノン」
「うん、まあ無いよね。まったくもう、なんでご主人っていつもこうかな」
瞳から光の消えた主を前に、やれやれと愚痴の一つでもこぼしてしまう。氷の主精霊の際にも似たような事があったなぁ、と思考。簡単に言えば、ヒロイン体質、といったところだろうか。
「……しょうがない」
意識の光が消え、淀んだ眼差しがディーラへと向けられている。ため息交じりにミュウ達へと言葉を発した。
「ちょっと耐えてて。ご主人正気に戻すから」
「で、出来るんですか?」
驚きに声を上げるミュウ。隣では美子とサキも同じような表情をしている。そんな彼女達をチラリと一瞥し、ポソリと一言。
「さあ?」
思わぬ言葉にピタリと硬直する。その隙にディーラは一歩前に出た。
「要はあれでしょ? 叩けば治る。つまりはそう言う事。ちょっとドンパチる」
「で、でもちょっとは手加減するんでしょ?」
「手加減?」
グルグルと腕を回し、準備運動。視界で動く主を前に、翼を大きく広げてみせた。
「ムリムリ。仮にもご主人、僕に一度は勝ってるんだから。そんな隙、つくれるはずないよ」
言うディーラに風の槍が突き刺さる。いや、寸前で体を捻って回避したようだ。そのまま爪先が地面から離れたまま疾駆した。
「ブレイズ・エッジ」
「ストーム・エッジ! ……フリーズ・ブレス!」
ぶつかり合う風と炎の剣。ブン、と振り払いながら後方へと移動しつつ、ユクレステはもう片方の杖をディーラへと向け魔法を発動させた。冷気が急速に集まり、彼女の動きを阻害する。寒さに弱いディーラはブルリと背を震わせながら魔力を奮わせる。
「ブレイズ・フィールド!」
熱気と赤い火の粒が揺れる。その中心に位置しながら、ユクレステは冷静に魔法を紡いだ。
「ストーム・エッジ×2!」
二本の杖を掲げ、同属同種の魔法を並列に起動する。その瞬間、彼の周囲に満ちる熱気の空間が消え去った。
「同列魔法まで使いこなすんだ。元のご主人の力、そのままと見た方が良さそうかな?」
効果の消えた場所に陣取り、杖を地面に突き刺しているユクレステ。その姿を視界に収め、ディーラはペロリと唇を湿らせた。
「お~お~、本当にやり始めちゃったよ、あの悪魔ッ子。て~へんだね~。困ったもんだね~」
「大体全部! あんたのせいでしょ!?」
その様子を見てケタケタと笑い声をあげているナイトメア。苛立ちを隠そうともせずに美子は氷の塊を悪魔の頭上に展開する。
「ん~? そーだったけぇ~? ケラケラ」
「こ、殺す……!」
上を見もせずにヒョイと軽く避ける。極めつけに小バカにした様な笑い方。美子の怒りゲージも急上昇だ。
「リバーズ・エッジ! 行きます……!」
「来るかい? メイドちゃ~ん」
「はぁああ――!」
大剣を片手で持ち、もう片方の手には水の魔法剣を構えミュウが突貫した。大剣の一撃で氷の塊ごとナイトメアを打ち据え、さらに水の剣を胸元に突き立てる。
「手応えが……!」
しかし悪魔を討ち取ったにしては手応えが無さ過ぎる。驚いたように目を丸くしていると徐々にナイトメアの体が消えて行く。
「残念むね~ん、ケラケラケラケラ」
「上じゃ!」
サキの言葉にミュウが上を向く。そこには木の枝に腰掛けた悪魔が一匹。三人を見下ろしていた。
「ちょっとクソ悪魔、いつまで遊んでる気? 殺してあげるから降りて来い!」
「って言うか幻術は妾の専売特許じゃぞ! 勝手に使うなたわけぇ!」
美子は頭上にいるナイトメアに向かって口汚く罵っている。それもさして気にせず、悪魔はスッと指先をディーラ達へと向けた。
「くひひ、まあまあお嬢さん。今は面白い茶番の真っ最中だぜ? 見てやろぉ~ぜぇ~?」
空を飛ぶ事の出来るディーラだが、木々に囲まれているため上手くその利点を扱えないでいる。さらにユクレステが魔法術を駆使して彼女の行動を制限している。どちらが有利、とは未だ言えない状況なのだ。
「大体全部あんたのせいでしょうが!」
「ま~ぁねぇ~?」
悪びれも無く、どころか得意気に胸を張っている。さらに罵倒の言葉を吐き出そうとするが、悪魔の声がそれを遮った。
「ケラケラ、そんな怒るなよ~ぅ。オイラぁあの魔法使いクンにい~夢見せてやってんだからさぁ」
「いい夢、ですか?」
「そうさぁ。オイラはナイトメア、夢を操るナイスガイな悪魔さ。あの魔法使いクンの意識を夢に落としてあげてるんだ。今頃楽しぃ~夢に喜んでる頃だろうねぇ~」
警戒した瞳でナイトメアを睨みつけるミュウ。その時、ディーラ達が戦っている場所から濃密な魔力の気配を感じる。
「わきゃあ!? な、なに今の!」
美子の叫び声も轟音によって掻き消され、先ほどまでの砲撃魔法とは比べ物にならない威力の魔法が放たれていた。
「い、今の……上級魔法ですか? な、なんで……」
風の上級魔法。使用したのはもちらん、ユクレステ。だがこの世界には精霊がおらず、上級魔法は使えないはずだ。それなのに何故?
「くひ、気になるか~い? そうだろうね、そうだろうね」
答えたのは、やはり悪魔だった。
「ここはオイラの領域だ。精霊自体はいないかもしれないけど、過去の記憶を参照して再現する事が出来るのさぁ~。それもまた、夢のおかげぇ~」
「っ、ディーラさん……!」
いくらディーラと言えど、上級魔法を封じられた状態の彼女と全力のユクレステ。どちらに分があるのか、すぐに分かる。ミュウの瞳に焦りの色が浮かんだ。
「……って言うかさ、ちょっといい?」
「あ~ん?」
ジッと悪魔を睨みながら美子が訝しげに問う。
「なんかさっきからミュウっちにだけ変に優しい気がしない? なに? 惚れてるの?」
「えっ……?」
彼女の言葉に一瞬思考を停止し、ズザ、と勢い良く後ろに下がった。
「あ、あのあの、わ、わたしにはご主人さまが……!?」
「けひひぃ~、フラレちった。ざぁ~んねぇ~ん。でもまあ別にそう言うのじゃないけどね。ただちょっと」
チラリと視線が向けられる。寒気のするようなものではなく、どちらかと言えば温かみのあるものだ。
「気に入ってるだけだよぉ~ん」
「は、はぁ……」
ふざけたような口調に呆気に取られ、ミュウはホッと安心したように吐息する。彼女達を見下ろしながら、ナイトメアは木の枝から下りてきた。
「ほいじゃあちょっと遊んであげちゃいます。ほら、オイラ悪魔だから」
「悪魔との関係性が良く分からないけど、とにかくあんたをぶち殺せばいい訳でしょ? いくよ、ミュウっち! あとコンちゃん!」
「誰がコンちゃんじゃ! 妾の名は――」
ブーブーと喚くサキをしり目に、ミュウは困惑したまま大剣を構える。ディーラの事は心配だが、彼女
がそう簡単に負ける姿は想像できない。例えそれが、自分達の主を相手にしていたとしても。
「……いきます!」
剣を振りかぶり、ミュウは力を込めて一歩を踏み出した。
そんな事が起きている事など露知らず。
「……え? ここどこ?」
ユクレステの意識は暗い場所に一人佇んでいた。