新しい同居人
「ん……」
佐藤美子改め、夜月美子が目を覚ますと辺りは既に真っ暗闇だった。見覚えのない布団からのそりと顔を出し、ボーっとする頭を無理やり再起動。
解熱剤を飲んだおかげか昼間よりも楽になった体を起こし、耳を澄ませる。部屋の外から何人かの話し声が聞こえてきた。女性の声だろうか。
見知らぬ廊下を歩き、ドアに手をかける。押すようにして扉を開いた。
「お?」
「あ」
「ん?」
初めに目に入ったのは褐色の肌に若草色の髪色をした少女だ。整った顔立ちに、ややツリ目。そして、耳がやけに長い。
その隣には赤い髪の少女。背中から翼を生やし、矢尻のような形をした尻尾がヒョロヒョロと動いていた。さらに向かい側には金髪のグラマーな美女がいる。その戦力足るや、ひそかにスタイルに自信のあった美子が気圧される程のパワーを有していた。
だが最大の特徴はそこではない。いやまあ、確かに最大パワーではあるのだが、視線はさらに下へと移る。
「え、え?」
人間でいう腰の辺りから下の部分が、美しい鱗に覆われていたのだ。子供向けの絵本で見た事があるその姿に、人魚と言う言葉が頭に浮かんだ。
熱のせいで変な夢でも見ているのだろうかと頬を抓ってみる。――思いのほか痛かった。
「あ、起きたんですね、ミコっち」
「え? あ、あれ? かなえっち?」
自分の名を呼ばれそちらに視線を向けると、そこには見知った顔の少女が心配そうな表情でこちらを見つめていた。同じ学校に通う、同じクラスの少女。天星叶だ。
「おはよーさん。よく眠れたか?」
「せ、センセ?」
驚いた表情で叶を見て、さらにその後ろにいたユクレステを視界に入れて余計混乱した。
もう一度思考を働かせ、眠りに落ちる前の事を鮮明に思い出す。そこでようやく謎が解けた。
「あ、そっか……あたし、センセのペットになったんだ……」
『ハァ――!?』
その代償として、別の場所で誤解が生じてしまったようだ。
美子のペット宣言でその場が荒れたのは言うまでもない事である。まずマリンがズルイズルイと若干可笑しな怒り方をし、叶から極寒の視線が送られる。どういう意味か分かっていないミュウとユゥミィはさておいて、ディーラはなぜか、やっぱり、と呟いていた。
どうにも彼女の中のユクレステは変態と言う認識らしい。自然と流れる涙を拭く事も忘れ、とにかく誤解を解くために奮闘することになった。
「だから、さっきも言っただろ!? 俺がミコの面倒を見る事になったんだってば! そうだろ!? 頼むからおまえからも何とか言ってやって下さい!」
「え、あの……センセ、今私の事名前で呼びました? 呼びましたよね?」
「そこかよ!? 今そこ重要な所じゃないから!」
ちなみになぜ名前で呼ぶようになったのかと言うと、どうせ同じ屋根の下で住むんだから堅苦しいのは抜きで、との事らしい。そのせいで余計に混乱させてしまったのは予想外だったが。
「マスターの観賞用熱帯魚に私もなるー!!」
「あーもう!? そこの人魚は一度黙れ!」
とりあえず、騒ぐ人魚姫を軽く叩いておいた。
ようやく場が落ち着き、お腹を鳴らした美子のために叶がお粥を用意してくれた。その間にユクレステは自分達の正体を説明する事にした。
「は、はあ……星のカーテンの向こう側? 異世界ディエ・アース? えっと……それってマジで言ってるんですか?」
「ホントホント。ほら、こっちの世界にこんなかわいい人魚ちゃんいないでしょー?」
目の前にはビッタンビッタンと尾ひれを動かしているマリンの姿がある。確かにこんな光景、見た事もない。それに隣の少女達も少々普通の人間とは違った体をしている。
信じられない、ともう一人の地球の少女に視線を送った。
「ウソじゃないと思いますよ。最初あたしと会った時、知らない言葉で話してましたから」
ふぁ、とはしたなく大口を開けて欠伸をする叶。そろそろ時刻は十時を回る。眠くなる頃合いなのだろう。
「それじゃあユクレステさん、あたしもう帰りますね?」
「ん、分かった。悪いな、なんか引き止めちゃった形で。ごはん美味しかったよ」
「あはは、それなら良かったです。それじゃあまた明日」
「バイバーイ」
マリンが大きく手を振り、ミュウ達も同じようにして見送った。
そして味方を失った美子はもう一度話の内容を思い出す。
「えっと、異世界人って、ホントに?」
「そそ。まあ、すぐには信じられないかもしれないけど。……もしかして、嫌だったか? 俺の家で暮らすの? なんならカナエに頼んでそっちで……」
「あ、いえ。そっちは別にいいんです。むしろセンセと一緒じゃないとヤ」
「そ、そうか?」
少しだけ思考が停止してしまったが、良く良く考えればそれがどうした、である。別段、彼が異世界人だろうと宇宙人だろうと、美子が惚れた男は目の前のユクレステ・フォム・ダーゲシュテンだ。ちょっとした要素がついただけで、別に拒絶する必要はないのだ。
そう。むしろ問題は別の所にある。
ジロリ。
「え、えと……?」
気弱な純情ロリメイド。
ジロリ。
「む? なにやら熱い視線を感じるぞ!」
天然ドジっ子褐色エルフ娘。
ジロリ。
「くーくー」
取り扱い要注意、戦闘狂な悪魔ッ娘。
ジロリ。
「ん? なになにー?」
パツキン巨乳腹黒マーメイド。
「……ライバル多いなぁ」
ざっと見ただけでも敵はこれだけいるのだ。ついでに学校にはダウナー系女子高生がいる。軽く数えただけでも五人。叶が聞けば否定しそうだとは考えないでおくとして。
どうにもこの異世界人な先生の周りにはチョロチョロと女の影が見え隠れしている。真実の愛とやらに目覚めた美子には看過できない事態なのだ。
(いっそブチ〇しちゃう? ああでもそんな事したらセンセが嫌がるかもしれないし)
「んにゃ? 今何か心地良い殺気を感じたような……気のせい?」
物騒な事を考えている美子の殺気を目聡く感知し、ディーラはキョロキョロと辺りを見回している。ユクレステも、何となく変な事を考えているんだろうな、とは気付いている。面倒なので放置しているが。
そんな中で唯一マリンだけがニヤリと楽しげに笑った。
「うわ、マリン顔悪い」
「ユゥミィちゃんそれはおかしい! 別に私の顔は悪くないよ!?」
「似たようなもんだろうに。あ、俺風呂入って来るから」
ガーンとショックを受けているマリンにさらりと毒を吐き、ユクレステは部屋から出て行く。不満顔のマリンだが、すぐに不敵な笑いに変えてズズイと美子へと近寄った。
「ねね、ミコちゃんだっけ? 私マリン、よろしくー」
「うん、よろしくーマリン。で、なにか用かな?」
警戒の色を見せる美子の姿に、マリンは余計に口元を綻ばせる。
ちなみにこの時ミュウは食器の片付けに、ユゥミィとディーラはドラマが始まると言ってテレビにくぎ付けになっていた。
そんな訳で、現在美子はユクレステパーティーで一番の要注意人物と対峙しているのだった。
「いやいや、ちょっと私の乙女センサーがビンビンに反応しちゃってさー。ズバリ美子ちゃん、マスターの事をLOVEしてるね!?」
「え、なにその古臭い言い方。……まあ、その通りだけどさ」
なぜかテンションがハイになっているマリンの勢いに気圧され、素直に頷いてしまう。その言葉にピクリとディーラが反応している。
「だよねー。ちなみに私達もマスターの事大好きなんだ。やったね、ライバル登場!」
「つまり、これって宣戦布告って事? それならそれで、あたしも負けるつもりはないからね。どんな事をしても奪い取ってやるから」
マリンのニヤニヤ笑いを鬱陶しく思ったのか、素っ気なく吐き捨てる。
「いやいや、そう言う訳じゃないって。むしろ私としては望む所だし」
「望む所?」
クスクスと妖艶に微笑み、チョイチョイと手招きをしてきた。少し怪しい感じがするが、美子は誘われるまま彼女の側へと近寄る。
「オスってさ、沢山のメスを侍らせてなんぼだと思わない?」
妖しい瞳のままに口にした言葉は、意外にもすんなりと美子の胸の内に侵入してきた。
風呂上がりに牛乳を飲みほし、ユクレステは濡れたブラウンの髪をタオルで拭きながらリビングへと戻って来た。食器を洗い終え、ソファに座ってうつらうつらと船を漕いでいるミュウが見える。
「ミュウ? もう寝てもいいんだぞ?」
「ふぁ……あ、ご主人さま? す、すみません、ご主人さまがお風呂から上がられるまで待っていたかったので……。その、お休みなさい」
ペコリと頭を下げ、フラフラと自分の部屋へと戻って行った。
彼女の後姿を眺めながら、良い子だなぁと再確認。視線を別の方へと向ける。
「あはは、そっかそっか。やるねぇミコちゃん!」
「ふふふ、そう? ありがと、マリっち」
そこには仲良さそうに談笑しているマリンと美子の姿があった。この十分足らずで意気投合してしまったらしい。一体何があったのかと尋ねるも、
『なーいしょ』
と声を揃えるだけで教えてくれない。んー? と首を傾げるユクレステ。
「……まあ、仲が良いなら別にいっか。そんな事より早く寝ろよ? ミコはまだ風邪が治り切ってないんだから」
「はーい」
「分かってるって、マスター。おやすみなさーい」
ヒラヒラと手を振る二人。テレビの前で突っ伏して眠っているユゥミィを抱き上げ、部屋を後にする。
「ご主人」
「ん? ディーラももう寝るのか?」
一緒に部屋を出たディーラがジ、とユクレステを見つめていた。どうしたのかと首を傾げると、なぜか憐れむような瞳が向けられる。
「ご主人も大変だね」
「へ? なにが?」
「分からないなら分からない方がいいと思う。ん、お休み」
ユクレステからユゥミィを受け取り、引きずりながら二人は寝室へと消えて行った。
「え、え? だからなんの話?」
*
「そうだよね、男たるもの度量も女の数も多い方がいいに決まってるよね!」
「そうそう! 分かってるじゃんミコちゃんってば! もう人間にしておくのが惜しいくらいだよ!」
何と言う事はない。ただ、マリンの話す魔物的男女間の話にいたく共感したと言うだけの話なのだから。
結果彼に降りかかる女難が加速するのだが、今のユクレステには与り知らぬ話である。