家庭訪問
「失礼します」
別に大丈夫なのに、と言うユクレステを涙目で黙殺し、叶は保健室の前までやって来た。おざなりにノックをし、取っ手に手をかける。と、その瞬間、
「グハァ!?」
「ちょっ、ユクレステさん!?」
叶のすぐ隣にある扉が内側から凄い勢いで吹き飛んだ。ちょうどそこへ立っていたユクレステが顔面をドアにぶつけ、鼻血を出しながら仰向けに倒れてしまった。
一体何事かと保健室の中を覗き込むと、イスが転がっている。恐らくこれが扉を吹き飛ばしたのだろう。なぜそんな事が分かるのかと言えば、
「あーもう! 何度も何度も、言わせんなアホー!」
「ひぃ!? お、落ち着いて下さい美子嬢!」
熱で休んでいるはずの美子がイスを振り回しながら何事かを叫んでいたからだ。
朝に見た時よりもさらに悪化した表情で、二人の男に対して凶器を振り回している。彼女達以外にいないところを見るに、保険の先生は逃げたのだろう。
この状況を見れば逃げたくなるのは分からなくもないが。
「あ、そうだ。ユクレステさん! だ、大丈夫ですか?」
「うあー。鼻が痛い……」
鼻を強かにぶつけてしまったため涙目になっている。ユクレステはふらふらと立ち上がり、保健室の中に入って行った。
「ちょ、ユクレステさん!?」
とっさに制止する叶だが、それよりも早くイスを振り回す少女に接近し、彼女の手を取った。
「はい、ストップ。なにがあったのかは知らないけど、とりあえず落ち着け。学校の備品壊されちゃ堪ったもんじゃないんだから」
その勇者のような行動に、美子に追われていた二人の男が驚愕に動きを止めた。
長い付き合いから彼女が癇癪を起した場合、嵐が過ぎるのを待つのが得策なのだ。その恐い者知らずとも言えるような行動に、ゴクリと息をのんだ。
「うるさい! 放、せ……? えっ?」
苛立ち交じりにユクレステへとイスを振るう。だが、途中でなにかに気付いたのか声を上げた。
「うおっと、あんまり危ない事はしない方が良いぞ? 俺だから良かったけど、他の子が怪我したら大変だろ?」
別に後ろの二人組はどうでもいいけど、とは流石に言わないでおく。別にこの学校の関係者と言う訳でもなさそうなので、彼からすれば管轄外なのだ。
空振りしたイスを取り上げ、隅に寄せる。それから、キョロキョロと見渡して一言。
「で、あなた達はどちら様ですか? 不法侵入だとしたら警察に突き出さざるを得ないんですが」
「い、いやいや! おいら達は美子嬢をお迎えに――」
「あー!?」
詰問していると叶がしどろもどろに言葉を続ける男達を指差した。
「あんた達! この前あたしを襲った奴!?」
「はっ? なに言ってんだこのお嬢ちゃん……って、あれ?」
「ほらユクレステさん! あたし達が初めて会った時、こいつらから助けてくれたじゃないですか!」
「……あー、そう言われれば、そんな気も?」
「あん? って事はこいつあん時の外人!?」
ユクレステも叶の言葉に薄らと思い出す。だがその時は暗かった事もあって良く覚えていないのだ。
「あれ? って事はこいつら、夜月?」
「分かりましたよ! こいつら、ミコっちを誘拐しに来たんです!?」
「なるほど!」
「いやいや!? 待って下さいよ! オレっち達は単に迎えに来ただけで……美子嬢からもなんとか言ってやって下さいよ!」
納得し杖を構え出したユクレステの姿に、男達の脳裏にいつだか吹き飛ばされた記憶が甦る。何とかこの場の誤解を解こうと美子へと振り向いた。
「…………え? なに!?」
しかし彼女は顔を真っ赤にし、ボーっとユクレステを見つめていた。上の空の彼女に再度説明する。
「いや、だから……オレっち達の無実を……」
「ああ、うん。そうだった。えっと、この人達は」
そこでふと思考し、即座に言った。
「私が寝ている所を無理やり車に押し込もうとしてキマシタ」
「おじょー!?」
「やっぱり誘拐じゃないですか!?」
聞く者が聞けば棒読みだと気付くのだろうが、生憎とそれが分かる人物はこの場にいなかったらしい。目つきが鋭くなったユクレステ達に睨まれ、涙目で美子を見る。
「さっきも、私の意識が戻らない間に私の制服を奪われて、さらに至近距離で臭いまで嗅がれて……うぅ」
「さらに変態!? さいってー!」
「ちょっ、違う違う! 汗で気持ち悪いとか言うから受け取っただけで……」
実際今の彼女はワイシャツ姿だ。じっとりと汗が滲んでいるのか、下着が透けて見える。
そんな彼女をひたすらにクンカクンカ。なるほど、有罪。
「叶! 窓!」
「了解!!」
「えっ? えっ?」
まるで十年来の相棒のように息の合った動作で叶が窓を開き、戸惑っている男達へユクレステが杖を突き付ける。
「ストーム・カノン!」
「いやぁあああー!?」
風の砲撃を叩きつけ、男達は開け放たれた窓から吹き飛んで行った。
「よっし、完全勝利!」
「変態は死すべし、ですね!」
勝利のハイタッチを交わすユクレステと叶。美子はそれを眺めながらそそくさと制服を着直した。流石に、下着が見える様な姿でいるのは恥ずかしいのだろう。
「……まさか、こんな所で会えるなんて……」
しかもそれが、仄かに芽生えた恋心のお相手ともなれば、余計に。
彼女がユクレステに対して知られぬ思いを覚えたのは、一週間程前の事だった。遠足に襲撃してきた夜月と、それを画策した羽生真次郎。彼女はその際にユクレステと真次郎の戦いを隠れながら見ていたのだ。
その時に、やられてしまった。圧倒的不利な状況にもかかわらず立ち向かう彼の姿に、初めての鼓動の高鳴りを覚えたのだ。
まあ、夜月の方は美子も幾らか噛んでいるのだが、取りあえず置いておくとして。
この一週間、彼の事だけをずっと考えていた。寝ても覚めても、トイレもお風呂も、食事も夜のおかずも。いっそ病的と言って良いほどに。彼女の体調不良の原因は風邪だと言われているが、実際はユクレステを想い過ぎて知恵熱が出たと言われた方がしっくり来る。
「次にいつ会えるのかも分からないんだし、ここで一気に既成事実を……」
「あ、そうだった。ユクレステさん、紹介しますね? この子は佐藤美子。一応、私達のクラスの一人です」
「あー、そう言えば今日は一人授業休んでたんだっけ?」
「へっ? せん、せー?」
なにやら良からぬ事を企んでいた彼女の下へ、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた気がした。ポカンとした表情で叶に説明を求める。
「あ、うん。今朝はミコっち、さっさと保健室行っちゃったから伝えられなかったけど、この人が今日新しく来たうちの先生。ユクレステ……なんでしたっけ?」
「忘れられてる!? ……えっと、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンだ。よろしくな、サトウ」
「……ハイ? ヨロシクオネガイシマス?」
思わぬ事態に片言になってしまった。自分が寝ている間に一体なにがあったし、とグルグルと回る思考でツッコミ。と言うか、そもそも具合悪いのは本物なので――。
(あ、ダメだ……)
頭がボーっとする中、力が一気に抜け落ちるの感じていた。目の前に迫る床と、驚いたような叶の声。そして、温もりに包まれる。
「っと、大丈夫か?」
「あ、う、え……?」
彼の腕の中だと気付き、美子は倒れるようにして意識を失った。
「えっ? ちょ、おーい! ……これ、どうすれば良いと思う?」
「えーっと、保険の先生探してきます」
彼女が目を覚ましたのは五限目が始まってからだった。
目の前にはとても厳つい門と大きな屋敷がそびえている。木製で出来た、故郷の龍が住んでいそうな屋敷だ。異郷の地と言うにも関わらず懐かしさを覚えた。
「ほら、着いたぞ? 起きてるか?」
「う~ん、幸せすぎて死んじゃいそう……」
「ダメだこりゃ」
だが懐かしいと思うのも束の間、今はユクレステの背中に負ぶさった少女の事が第一である。
あの後、結局昼食を取る事も出来ず彼女の面倒を見ていた。いや、あれは面倒事を押し付けられただけだろう。引きつった笑みの養護教諭の顔を思い浮かべ、ため息一つ。
強面の連中が押し寄せて、美子は大暴れ。確かに投げ出したくなるのも分からなくは無いのだが、教師生活の初日にこうして生徒の家まで送りに行かされるのは納得がいかない。クラス委員長からの呆れた顔が思い出される。
叶が取り成してくれたので二代目不真面目教師の汚名は回避されたが。
「しっかし、デカイなぁ。それに、この表札。薄々気づいてはいたんだけど、この子ってやっぱり……」
チラリと背中で涎を垂らしている少女を横目で眺める。下ろし立ての背広なのでやめて頂きたいのだが、病人を無理に起こすのも躊躇われた。どの道、今日が終わったらすぐにしまわれる運命ではあるのだろうが。授業の関係上、ユクレステはジャージを着て過ごせそうなので。
美子を見ていた視線を表札へと向け、その名を心の中で読み上げる。
――夜月、と。
「名字はサトウじゃなかったのか? って言うか、夜月って事はさっきの連中、本当に迎えに来ただけだったりして」
美子嬢とか言っていたし、それなりの身分の子なのだろう。その彼女を迎えに来た。そう考えれば彼等があの場所にいたのも自然だ。つまりユクレステは、彼女の身内を問答無用でぶっ飛ばしてしまったらしい。
「……ま、いっか」
やってしまったものは仕方ないので考えないようにしたらしい。美子が嫌がっていたのは確かなので、後で彼女に説明してもらおう。
「うぅん……あれ? 着いてるぅ?」
「ああ、着きましたよ、お姫様。とにかく今日は早く寝て体を治しなさい」
「うぇえ……? センセ、帰っちゃうの?」
ムギュ、とさらに体を密着させてくる美子。色々と当たっているため、ドギマギしながら平静に声を出す。
「ぁ、ああ、そうだな。流石にいきなり来られたら親御さんも困るだろうし、家庭訪問はまたの機会って事で」
若干上擦ってしまったが、幸い彼女には気付かれなかったらしい。熱のせいで気付けなかったのかもしれない。
「そんな事、言わないでさ。せっかく送ってくれたんだからお茶くらい出させてよ。ちょっと汚れてるんだけどねー」
背中から下りた美子が弱々しく言った。
「いや、でもな」
「……あー、ホント言うとね? 今あんまり家に帰りたくないんだよねー」
えへへ、と誤魔化す様に笑う。
「今さぁ、ちょ~っとごたついててさ。そのせいもあってか、かなり居辛いんだよね。私」
「だから一人だと帰り辛いって事か? もしかしてさっきの連中も……」
「そ。多分、おとーさんに言われて来たんだと思うなー。熱出してたってのはあったけど、半ば監禁してたくさいし」
「随分と物騒だな」
「それが夜月って家らしいからねー」
そう言って笑う彼女の姿を見てしまっては、気にするなと言う方が無理だ。好奇心が疼いた、と言うのもあるが、少し前に朝陽から聞いた話から美子の言うゴタゴタが何なのか、分かってしまったからだ。
加えて、この屋敷の状態である。あちこちがボロボロで、銃痕やら焼けた跡が見えるのだ。恐らく、武装した集団に襲われたのだろう。
指導者によって本来の夜月に戻った、と言うのが朝陽の話だ。その指導者という人物については詳しく効いていないが、その手腕は朝陽に迫るのだとか。エレメント社の保護下にいるユクレステには接触する事も難しいかもしれないが、万に一つと言うこともある。もしかしたら、聖霊についての情報を得られるかもしれない。
「……しょうがないか。それじゃあ、少しだけお邪魔させて貰いますよ」
「ホント!? やたっ! ちょっと待っててね、センセ! すぐに準備してくるから」
ユクレステの答えに喜色満面の表情を浮かべ、病人とは思えないような動きで屋敷の中へ入って行った。
「お、おい、あんまり無理するなよ!?」
声をかけるが既にいない。中からドシャンガシャンと言う音と男達の悲鳴が聞こえる。大丈夫かと心配になるが、勝手に侵入する訳にはいかない。結局、ユクレステは彼女が戻って来るまで大人しく待っているのだった。
美子の部屋に通され、目の前に広がる光景に思わず絶句してしまった。
「あはは、ごめんねセンセ。ちょこ~っと汚れてて」
「いやいや、ちょっとってレベルじゃないだろ。これは」
襖はビリビリに破れ、壁には弾痕や刀傷が無数に刻まれている。襲撃にあったと聞いていたのだが、どうやらこの部屋でも仁義なき戦いが繰り広げられたのだろう。
部屋の隅に置かれた冷蔵庫からペットボトルのお茶を手渡し、美子は畳まれた布団にダイブ。チラリとスカートの中が見えたが、紳士的に目を逸らしておいた。
「随分と手酷くやられたみたいだな」
「んー、そうみたい。私はほら、その日遠足楽しんでたし? なんにもシテマセンヨ?」
「さいですか」
どこかウソ臭い言葉だ。もし問い質したら、一人の純情な少年を諭してあげただけだと言うのだろう。もっとも、ユクレステには気になることでもないのだが。
「大体さー。あたしは前々からちゃんと忠告しておいてあげたんだよ? あの女には気をつけろって。それなのに侮って油断して、大切な所で大コケ。まったく、娘として恥ずかしいよねー」
思考がまともに働いていないのか、ケラケラと笑い声をあげている。悲しんでいる様子は無い。親の失敗を心から喜んでいるようだった。
「なんて言うか、夜月ってのは良く分からないんだよ。てっきりただのチンピラ集団かと思ってたんだけど、他の子達から聞いた話とは全然違う。一体どっちが本当の顔なんだ?」
常々考えていた疑問に首を傾げた。ユクレステがこれまでに何度か接してきたのは、見るからにチンピラヤクザな面々だ。だが一方で、ディーラ達が出会った者達は騎士隊のように統率された集団だったと言う。
さらにそれらの指導者である女性は朝陽の上を行く知謀の持ち主。組織が一枚岩ではないのは知っているが、幾らなんでもちぐはぐ過ぎる。
「それもまあ、理由があるんだよね。理由が」
「ふーん。まあ、それはまた今度聞くよ。今は風邪を治すのが先決」
「あー、うー」
ユクレステと話せるのが嬉しいのか、にへら~、と笑みを作りながら赤い顔を見せている。流石にこれ以上彼女に無理をさせるのも悪いと思い、話を切って彼女の乗る布団を引っ張り出した。
「と、着替えはあるのか? 俺出てるから、ちゃんと寝巻に着替えろよ?」
「うぇえ~? もうちょっと見てっても構わないんだけど? って言うかドンと来い!」
「アホ、女の子がはしたない事を口走らない」
「えへへー。……うん?」
ペシンと美子の頭を叩き、部屋から出ようと立ち上がる。それを残念そうな表情で見送る美子。
だが、ドスンドスンと廊下を歩く足音に顔を顰めた。
「はぁ……また来た」
「へっ?」
ポソリと呟かれた言葉に振り返る。その答えは、別の場所から現れた。
「美子ぉー! 遅い! いつまで待たせるんだ!?」
「がふっ!?」
襖を蹴破って何者かが侵入してきた。ちょうど部屋から出ようとしていたユクレステは襖の下敷きになり、さらにその上に野太い男の声が乗る。あまりの重量に一瞬息が止まった。
「いつまでも何も、学校だったんだからしょうがないじゃん」
「何度も言っとるだろうが! オマエはもう学校なんぞ行かんでいい!!」
美子の父親と思しき男性がユクレステを踏みながら吠えている。
「あーもううるさい! こっちこそ何度も言わせんな! あたしは好きでもない男と結婚なんてする気は無い!!」
「黙れ黙れ! オレらのシマが無くなるかもしれんのだぞ!?」
「それこそ知ったこっちゃないっての! 失敗して損したのはおまえ達だ、あたしが清算してやる気はさらさら無いっての!」
「親の言う事に逆らうつもりか!」
「だれが親だ! あたしはおまえの都合の良い道具じゃない!?」
「この――!」
さらにヒートアップしていく親子喧嘩だが、流石に我慢の限界である。この親父、言葉を発しながらダンダンと地団駄を踏むのだ。それが見事に腹にダメージを与えて来る。
「い、い、か、ら――そこを退けぇええ!」
「うおっ!? なんだぁ!」
力任せに襖を押し退け、その上に立っていた美子の父親もろとも吹き飛ばした。
「うげっ!!」
壁に激突した男はカエルのような呻き声を上げてのた打ち回っている。マズイ、と思った時には既に遅い。
「く、組長!」
「また敵襲か!?」
一瞬にして周りをチンピラ風味の連中に取り囲まれてしまった。
「ヤバっ、流石にぶっ飛ばしたのはやり過ぎか?」
「んーん、あれくらいやってくれて私的にはスッキリしたよー」
「良いのか? 一応父親なんだろ?」
「……血の繋がりだけだよ」
不機嫌そうにフン、と鼻を鳴らし、美子は周りにいた連中に声をかける。
「その人は私の先生だよ。傷一つでも付けたら……殺すから」
『ひぃ!?』
濃厚な殺気に思わず後ずさるチンピラ達。その渦中にいるユクレステは呆れたように苦笑した。
「な、なにをビビっているこの腰抜け共! そんな小娘相手に――」
「あら? それってもしかしてあたしの事かしら?」
怒声を上げる美子の父親。だが、それを遮るようにして幼いながらも凛とした声が聞こえてきた。
「なに――っ!? お、オマエは……!」
振り返り、その声の主を視認する。見た目的には十代中頃の少女だろうか。艶やかな黒髪をツインテールにした、何て事のないタダの少女だ。その人物を見て、美子の父親は顔を真っ青に染めた。
美子はつられるようにその少女を視界にいれ、意外そうな声を上げる。
「あれ? 来たんだ――要斗」
「ハロー。遊びに、それでもって処遇を伝えに来てやったわよ。地面に頭擦りつけて感謝しなさい、佐藤……いえ、夜月美子」
二人は仲の良い人物に交わすような軽い挨拶をするのだった。
遅くなりました! 少し立て込んでいまして、次回も少々遅くなるかもしれません。申し訳ありません!