波乱の幕開け
時間は少しだけ巻き戻る。
エレメント社代表取締役である月見里朝陽の下に工場が襲撃されたとの報告が入った。それ自体は予想していた通りであり、それに大して警備員も既に展開済みだ。新しく雇った者達もいるため、遠からず鎮圧出来るだろう。そう考えていた矢先に、客人が現れたのだ。
「良くいらして下さいました。私がエレメント社の代表、月見里朝陽ですわ」
よそ行きの仕草で目の前の人物を出迎える。人数は二人。共に日本人らしい黒髪の男女だ。二人をソファに座らせ、自分も対面に腰掛ける。
「こちらこそ、忙しい自分にわざわざ時間を作って頂き感謝致します。私は夜月在斗。僭越ながら、夜月を纏めさせて頂いている者でございます」
彼女の言葉に、へぇ、と内心息を吐いた。
日本人形のような美しさを持った女性だ。少し幼い顔立ちだが、全てを見通すような紫がかった瞳。膝までありそうな黒髪は昔のお姫様みたいだ。
だが感心したのはその美しさだけではない。意志の強さが全身から滲み出ているのだ。カリスマ性と言っても良いかもしれない。上に立つ者としての気概が、正しく感じられる。これほどまでの人物がいたとは、朝陽は驚いていたのだ。
そしてもう一人の人物へと視線を向ける。
「彼は?」
「お気になさらないで下さい。彼は私の世話役の権兵衛。私の前では言葉を出す事は許されない身の上なため、どうかご理解頂ければ」
ふむ、と納得したように頷いた。確かに彼はこの場に通されるまで一言も喋ってはいない。そのうえ出された茶にも手をつけずにいる。恐らく、夜月の当主である在斗の前では喋る事も何かを口に入れる事も許されていないのだろう。
彼女の申し出通り権兵衛の事は捨て置き、在斗へと尋ねた。
「それで、夜月様は何故私共の下へ? 現状を鑑みて、たった二人でこの地に来られるのはあまり得策とは言えないのではないでしょうか?」
若干棘のある言葉に、在斗はほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「……はい。エレメント社の敷地を荒らしているのが夜月である以上、確かに月見里様の仰る通りです。ですが、彼等は本来夜月とは契りを結んでいない者達なのです」
「それはどういった意味でしょうか?」
彼女の話は単純だった。夜月は今二つに分かれているのだと言う。夜月の直系である夜月在斗を頭とした御子派と、幹部クラスの老人たちによる新夜月派。現在エレメント社を襲っているのは、そのうちの新夜月派だ。彼等はとにかく人員を増やし、今ではただのチンピラ同然の者まで引き込んでいる。
「では、彼らが私共を襲っているのは……」
「恐らく、この地を足掛かりに夜月から私を追い出そうとしているのでしょう。彼等は何がなんでも夜月を手中に収めたがっているので」
「……お話は分かりました。ですが、彼等が夜月だと言うのもまた事実でしょう? それなのに関係ないようにお話されるのはどうかと思いますけれど?」
要はこの女性、今暴れている夜月は自分達とは無関係だと言いに来たのだろう。そうすれば御子派としては被害を被る事は無くなり、賠償せずに済む。そう言った腹積もりなのだろう。
つまらなそうに彼女を見て、自然と刺々しい態度になる。
「はい。月見里様が仰る事は最もです」
そんな言葉にも素直に頷いた在斗におや、と疑問の視線を向けた。
「では、認めるのですね? 彼等が夜月であると」
「ええ。如何に傍流が身勝手に引き込んだとはいえ、彼等も夜月の名を背負った以上最後まで面倒を見るのが当然。ここで見捨てる事は夜月の思想に反します。――ですので、月見里様への頼み事は一つです」
「……聞きましょう」
コクリと頷く朝陽。在斗は権兵衛に視線を向け、アタッシュケースを取り出した。
「頼み事とは今襲撃を行っている夜月の者を引き取らせて頂きたいのです。これは、その対価です」
「? そうは申しましても彼等は私共の敷地を荒らし……えッ!?」
初めは乗り気ではなかった朝陽。だが、ケースの中身を見て表情を一変させた。
「こ……れは……魔石!? それもこんな上等な物見た事がない!」
ゴロゴロと敷き詰められた鉱石。それはこの世界では見る事が無く、ディエ・アースですら希少な魔石だった。
朝陽はもちろんそれを知っている。それにどれだけ価値があるのかも。
「……手に取っても?」
「どうぞ」
飛び付きたい衝動を押さえつけ、朝陽は平静を繕って在斗に問う。了承を得てすぐに魔石を一つ手に乗せた。
「これは……輝きも、魔力の含有量も申し分ない。これ程の魔石、一体どこで……」
「残念ながらそれを話す事はできません。ただ、私共はこれを霊輝石と呼んでおります」
「霊輝石、ですか……なるほど」
呼び名がつく程度には夜月にとって当然の品と言う事だろう。だがそれでも希少である事には変わりなく、それをこうも簡単に出して来た。それだけ本気だと言う事だろうか。
(これほどの魔石……これだけで丸一年は……)
もしこの魔石が別の場所に流れたらどうなるか。彼等はもっと沢山の魔石を保有していると見て良いだろう。それが他に流れては、一気にエレメント社の優位性が崩れかねない。
「……分かりました。そちらの申し出を受けましょう」
「まあ、感謝致します。月見里様。快く引き受けて下さるとは思いもしませんでしたわ」
(よっく言う……ほとんど脅迫だったじゃない!)
美しい微笑みを向ける在斗だが、朝陽は内心で歯がみしていた。
「では、彼等はこちらで捕らえて引き渡すと、言う事でよろしいですか?」
「そこまでして頂く訳には参りませんわ。許可さえ頂ければ、私共の仲間が回収させて頂くのですが……」
「いえ、流石にそこまでは。エレメントの敷地ですので。それに……」
「本当に敵対しているのか分からない、ですものね」
言いたい事を先に言われ、少しつまらなそうに頷く。
「すみませんが、その通りです。確証もなく他者を入れるのは……」
その言葉はピピ、という電子音に遮られた。権兵衛の携帯端末からの音だったらしく、彼は恭しくそれを在斗へと手渡した。
「申し訳ありません。丁度月見里様に見て頂きたいものが御座いまして、失礼かと思いましたが電源を落とさずにおりました。よろしければ、拝見頂けますか?」
「……ええ。そこまで言うのでしたら」
もう何を言っても無駄だと感じ、おざなりに頷いた。携帯端末を開き、画面を呼び出す。そこには、荒らされた邸宅が映っていた。
『神御子様、ご報告いたします。夜月善十郎、他八名を捕縛致しました。また、彼等に従っていたものも既に制圧済みです。これで新夜月派は消滅したと考えてよろしいでしょう』
「ご苦労様です。後の事は貴方に一任します」
『ハッ』
画面に映る男がそう報告し、言葉少なに画面が切れた。
その様子を唖然としながら眺め、朝陽は憎らしそうに在斗を見る。
「なるほど、これであなた方の言う事も少しは信用できますか。……そうですね。こちらとしてもムダな労力は使いたくありませんので、後の事は夜月様にお任せ致しましょう。ただし」
「ええ、分かっております。余計な事はせず、夜月の者だけを回収させて頂きます」
「取りあえずそう言う訳だから。よろしくー」
クキへかけていた電話を切り、深く息を吐いた。
「夜月のお姫様、か……」
ニコリと微笑んだ彼女の表情。最初に見た時は儚げな微笑みだったのだが、この十数分でその印象はガラリと変わった。当然のように振る舞い、その実奥底すら読み取る知謀。ただの旧家のお姫様ではあり得ない笑みだ。
「なんにしても、これまで以上に夜月には警戒した方が良さそうね。今までとは全く別の方向性からの。……ナハトも呼び戻しておこうかしら」
こうして、夜月在斗は朝陽にとっての要注意人物の筆頭に名乗りを上げたのだった。
*
社長室から退出し、迎えの車に乗り込んだ夜月の二人。在斗は権兵衛に指示を任せ、疲れたように吐息した。
「……あれが月見里朝陽……エレメント社をここまで巨大な会社に仕立て上げたその手腕、確かに見事なものでした」
「お疲れ様です、在斗様。……やはり、私が共に行った方が良かったのでは……」
青髪の女性が上目遣いで在斗に声をかける。心配そうな声音に、柔らかな笑みを見せて首を横に振った。
「いいえ、あの場には私と彼だけで十分でした。……いえ、私達だけだったのが余計に良かったのかもしれません。少し油断してくれましたからね」
「そう、でしょうか……」
「ふふ、それとも貴女は彼の事が信頼できませんか?」
イタズラな光が在斗の瞳に宿り、女性はムッとして視線を泳がせる。
「信頼はしていません。が、信用はしています。遺憾ではありますが……ってこら! なに勝ち誇ったような顔をしているか!」
ニッ、と笑みを見せている権兵衛。殴ろうにも今は狭い車内だ。暴れて在斗に怪我をさせる訳にもいかず、歯がみしながら睨みつけるだけに留める。
「クッ……。ま、まあ確かに。今回の件でもおまえの読みが当たっていたのは確かだ。そこは認めてやろう。……って待て! なんだツンデレって!?」
話す事が許されていないからかノートに『ツンデレ? ツンデレ?』と書かれたものをパタパタと振っていた。
ジャレている二人を温かな眼差しで見つめながら、ふと窓の外を見上げる。
(新しき時代はこれから……それがどのような時代となるのか……。それは、この子達が導いていくのでしょう。そのためにも、今は……)
「二人とも。あなた達にはこれから調べて欲しいものがあります。よろしいですね?」
「ハッ。御身のためならば」
コクリと頷く二人。彼等に対し、在斗は厳かな言葉を口にした。
「ファーストファクトリー。彼等を洗い出しなさい。恐らく、鍵は全てそこにあります」
*
色々とあった遠足も終わり、既に一週間。元の日常に戻った天星叶は普段と変わらぬ学園生活を謳歌していた。
「で、で? どうなったんですのー!?」
「いや、だからその後結局起きなくて……そこで別れたってだけの話なんだけど……」
一週間経ってもこの女生徒は少しもブレないようである。いつの間にか友人となった千佳野加代にユクレステとの話をし、何事も無かったと念を押す。あれから一度も連絡は来ておらず、こちらとしてもローブは返したためこれ以上会う理由が無くなってしまった。どこに住んでいるのかも分からないし、連絡先も不明。恐らくこれ以上関わる事は無さそうである。
それを少しだけ寂しいとは思うが、結局彼等とは文字通り住む世界が違うのだ。もしかしたら異世界とやらに帰ってしまったのかもしれない。
そうこうしている内に朝のチャイムが鳴り響いた。
「ほ、ほら、チャイム鳴ったから。先生来るから席に着いた方が良いんじゃない?」
不承不承ながら自分の席に着く加代。ホッと一息いれ、叶はボーっと一つの席を盗み見る。今は空席で、そこに座っている人物もこの一週間見ていない。
(みこっち、どうしたんだろう?)
佐藤美子。遠足の途中から消え、今日まで出席していない。あわよくば昼食を奢ってもらえればなー、などと失礼な事を考えていたのだが。
そんな事を考えていた叶だが、ざわつき始めている教室内を眺め見た。まだ教師が来ないため、数名の生徒が遊び始めているのだ。
元の担任が産休を取り、さらに臨時担任の羽生真次郎がエレメント社の厚生施設に送られてしまったため、現在彼女のクラスに担任教師は存在しないのだ。今日まで数人の教師が代行していたのだが、今日は随分と遅い。特殊な学校のため教師の数が少ないため仕方ないのだろうが、このままずっと待たされると本格的に遊び出す者が出てきそうだ。
そんな事を考えていた時である。
「はーい、全員席に着けー。HR始めるぞー」
ガラリと前の扉が開き、ようやく教師が姿を現したようだ。ザワザワとうるさかった教室がピタリと静かになり、皆が前方を凝視する。だが、どうにも可笑しい。ピタリとその場で固まったような生徒もおり、窓の外を眺めていた叶は訝しげに教壇に立つ教師を見た。
「えー、少し遅れて申し訳ない。なにぶん初めての場所だったんでちょいと迷ってしまい……ゴホン。と、とにかく!」
下手な咳払いで強引に話を変える。初めて、と言っていたので新任の教員だろうか。もっと良く見るために叶は目を細めた。
ブラウンの髪に、それほど高くない身長。優しげな風貌に、何故か手に持つ長い杖。
「――えっ?」
思わず声が漏れる。横を向けば、加代がキラキラとした目でこちらを眺めていた。
停止する時間で、その教師は気にせず言う。
「本日より皆さんの担任になりました、ユクレステ・フォム・ダーゲシュテンです。短い間ですが、よろしくお願いします」
なにがどうなっているのか。聞きたい事は沢山ある。だがそれよりもとにかく、
「えぇえええー!?」
驚愕に叫ぶのが先だろうか。
絶句する叶を見つけ、ヒラヒラと手を振る異世界の魔法使いがそこにいた。
と言う訳で今回で一区切りとなります。
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