伝説との邂逅
聖霊使いは何者か。そう問われて一言で説明できる者は多くはないだろう。とある伝説によれば百の主精霊を使役し万の魔物を支配下に置いたと言われている。他にも、海を割り大陸を一つ創り上げたと言うのは良く聞く話だ。
そんな偉業を成し遂げた存在を前に、ユクレステは気絶しそうなほどに混乱していた。
自分の伝説を聞いて曰わく。
「え? そんな沢山主精霊っているの?」
「いやいや、一万なんて仲間にしたって養えないよ。基本的に根無し草だったんだから」
「海くらいならだれでも割れない? 流石に大陸創った事はないけど」
一部は肯定しているが、大部分はないない、と首を横に振った。
今まで想像していた聖霊使い像に大きな亀裂が入る音を聞いたと言う。
「にしても、ミディに妹ねぇ。ちょいビックリー」
「いえまあ、一番驚いたのは自分かと。まあ、あの年中発情したような親を考えるとまるっきり不思議ではありませんが。失礼ですが幾つでしょう? え? 二十? ……まだ盛ってるんですかあの人達。そろそろ千代も半ばでしょうに」
「でも確かに、なんとなく似ているなー、とは思ってたんですよ。乗り物に弱いところとかそっくり」
「あーそうそう、ちょっと船に乗っただけでグロッキーだったもんね」
「最近は随分とマシになりましたから、その話は止めて頂けませんか?」
朗らかに談笑している生ける伝説達三名。それに対し、ユクレステは呆然とするばかりである。ついでにユゥミィも憧れの兄に会えた事によってこちらも行動不能状態である。
良く分かっていないミュウとディーラに任せるのも酷と言うものだろう。
そんな訳でパーティーの良心、マリンちゃんの登場である。
「えっとー、質問良いですかー? 魔物のお二人はまあ良いとして……聖霊使い様は一体今幾つなんでしょうか? もしかして人間じゃないとか?」
用意された特製の水槽から質問を投げかける。
「あ、そっか、そっちでは確か三百年経ってたんだっけ? 感慨深いなー、色々と」
「ふふ、マリンさん、アサヒ様は間違いなく人間ですよ。まあ、ワタシも多少疑った時期はありましたけど」
「シェル? それってどういうことかなー?」
にこやかに睨んでいる朝陽を無視し、ミデュアが答えた。
「時間の流れが違うのですよ。ここと、ディエ・アースでは。お話を聞く限り、そちらの世界では三百年が過ぎているようですが、私共が日本に来てから経った年月は……」
胸ポケットから手帳を取り出しパラパラと中身を確認する。
「……五年と半年、と言ったところですね」
「五年……そんなに、ズレていたんですか?」
おずおずと尋ねるミュウに、ミデュアは紳士的な笑みを浮かべた。
「時間の流れというのは不確定にして不明瞭、それが世界を跨ぐともなれば、余計に。……ですが、その問題も解決したと見るべきでしょうか? アサヒ様?」
「そうだね。あの扉から来たのが良い証拠。だれかは分からないけど、時間の誤差を直してくれた人がいたみたいだし、その人には感謝感激ね」
「ユリト……」
ようやく再起動を果たしたユクレステは、彼女達の会話から友人の姿を思い出していた。確かに彼は、扉を開く時にそんなような事を言っていた。
「あの……もし時間のズレがそのままでここに来ちゃってたらどうなってたんですか?」
「ん? そりゃー、私たちとおんなじさ。ちょっとのつもりが向こうでは何年、下手をしたら何百年と経っていたことになったかもね」
その言葉を聞き、今さらになって冷や汗が吹き出す。セイレーシアンが我慢強い子だとしても、流石に百年単位で待っていられないだろう。と言うか、まず死んでいる。
「や、分かんないよ? あの子の事だからどんな方法になってでも帰りを待つかもしれないね」
「へっ? そんな方法……」
「例えばほら、悪魔になって、とか。割といたよ? 人間から悪魔にジョブチェンジする奴」
そんなバカな、笑い飛ばそうとするも、不意に頭に浮かんだ悪魔の角を生やしたセイレーシアンに体を震わせてしまった。思い切った事をすると定評のある彼女だけに、素直に否定できなかったのだ。
「私がいた時はそれの最盛期だったんじゃない? ねえミディ」
「はい。人間の悪魔化は大戦中最も多く利用されていました。手軽で効率的な手段なため、人道を無視した西大陸の輩は良く使っていましたね」
懐かしそうに語るアサヒ達。大戦と言うのは聖霊使いの伝説に語られる戦争の事なのだろう。もっと詳しく聞きたいところだが、一先ず。
「あのっ! 聖霊使い様! ――サイン下さい!!」
「はえ?」
「あ、ついでに私も! 騎士王ミデュア様! お願いします!!」
どこから取り出したのか羊皮紙を突き出すユクレステとユゥミィであった。
サインを胸に抱えホクホク顔のユクレステとユゥミィ。それをディーラは呆れた眼差しで眺めていた。
「やれやれ、このご主人とおバカは……」
「あはは、サインとか初めて書いたよ」
「同じくです。と言うより、妹にサインを求められる兄の図というのも可笑しなものなのでは……」
クルクルとサインペンを回しながら笑う朝陽。一方でシェルはその様子を少し羨ましそうに見ていた。
「ワ、ワタシのとかは……」
「えっと……」
恐らくサインを求められたのが羨ましかったのだろう。彼女の言葉を拾ってしまったミュウが気まずそうに顔を逸らした。
「さて、貰うものは貰ったし……幾つか質問しても良ろしいでしょうか?」
大事そうに荷物にしまい込むと、ユクレステは一転した真面目な表情で朝陽達を見つめた。
「質問、ね。うん、良いよ。聞きたい事はなんでも聞くと良い。それが君たちをここに呼んだ理由だから」
「先人として、ですか?」
「いいえ。十五年振りのお客様に礼を尽くすのは、当然でしょう?」
ニヤリと笑みを見せる彼女の姿に、ユクレステは最初に会った時の威圧感のようなものを感じていた。
「十五年ですか……。ですが、あなたの仲間たちも客人なのでは?」
「まあ、この子たちも一応セントルイナ出身だけど……あ、クキは東域国だっけ。ん? ナハトは西域国だね。ま、いいや。どっちにしろ、この子達は私の家族だ。だから来訪じゃなくて、帰還なのよ」
優しげな声音にシェルーリア達だけでなくユクレステも頬を緩める。
「無粋でしたね、申し訳ありません」
「ん、良いよ。君は良く分かってくれてるみたいだから」
クスリと微笑み、先を促す様に見つめる。それに応えるように、ユクレステは問いかけた。
「では、まず一つ確認をさせて下さい。先ほど、ミデュアさんは、この世界、と仰いました。それは一体、どう言う事なのですか? 伝承では、聖霊使いが――つまりあなたがこの秘匿大陸を創り上げたと言う事になっているのですが」
「そうだね……質問を返す形になるけど、こっちから聞くよ? この世界……君たちで言うところの秘匿大陸、本当に私が創ったって思う?」
試すような物言いに、即座に首を横に振った。
「思いません。今までこの大陸の文化や技術を見て思いましたが、これは既に出来上がった物を持って来た。そう感じました。つまり」
一息入れる間に、アサヒが割り込んだ。
「そう、君たちに伝わっている大陸創造。本当はそれ、違うんだ。私がやったのは、一種の召喚魔法。ほら、悪魔を呼び出すような魔法があるでしょ? それをもっと大規模に、もっと強力なものとして、一つの世界をディエ・アースの側に召喚したのよ」
大陸と言う人の住める場所を創ったのではなく、人の住む世界を呼び出した。それが一体どれほどの規格外なことなのか、ユクレステであっても理解の範疇を超えていた。クラクラとする頭を支えながら、なんとか声を上げる。
「では、やはりここは日本と言う世界で……」
「君たちは世界という境界を超えて別の世界にやって来た、来訪者なのさ。星のカーテンは単なる魔法障壁じゃない。世界と世界を分ける、境界線なの」
それでは、確かに向かえないはずだ。船であろうと、空を飛ぼうと、そもそも世界が繋がっていない状態なのだから侵入する事など出来るはずがないのだ。だからこその扉なのである。
ただの空間転移ではなく、世界間転移魔法。厳重な封印が施されていたのも納得がいく。
「……? つまり、どういう訳なのだ?」
「……ユゥミィは考えなくて良いよ。どうせ言っても分からないだろうし。まったく、兄の顔が見て見たいね」
「えっと、それって私に言ってますか? 言ってますよね? 目がこっち向いてますもんね!?」
無表情ながらも新しいおもちゃを見つけてご満悦のディーラ。やはり兄妹のようで、弄りがいがあるのだとか。
それはさておき。
「ん、でもさ。そもそもどうしてそんなことを? いや、って言うか、聖霊使い様って元々はこっちの世界の人なんでしょ? それがどうしてディエ・アースに?」
「良い質問だね、人魚ちゃん。それについては少々込み入った話と、めんどくさい昔話があるんだよ。聞いてくれるかな?」
もちろん拒否などするはずがない。聖霊使いの始まりを聞けるのならば願ってもない話だ。頷く彼等の態度にニヤリと笑みを見せ、訥々(とつとつ)と語り出した。
そもそもの始まりは、十五年前。世界落ち(フォールアウト)が起きた事が最大の引き金だった。世界からこぼれ落ちた日本。そこに住む人々は、まるで切り取られた箱庭に押し込められるようにして暮らしていた。
朝陽もその一人だった。一日三食食べられれば良い方で、三日間の断食を余儀なくされることなどざらであった。
そんな世界で暮らしながら彼女が十六の誕生日の日に、朝陽は落ちた世界からさらに落とされてしまう。詳しくは覚えてはおらず、突然の事だったと思う。辿り着いたのは、セントルイナ大陸のとある小国。彼女はそこで、勇者として名を上げる事になる。
「その国の名前は確か……ルイーナだったかな? 質素で小さくて、王族がパンとスープだけで暮らしているような貧乏国。そこの小さな教会に眠っていたらしくてね。友達になったシスターがギョッとしたらしいよ。なんでも、色々はみ出していたとかで、神の御前でうんたらかんたらって説教受けた。今では随分大きな国になったんだね」
「ええ、ルイーナは北のリーンセラと並ぶ巨大国家ですよ」
「はぁー。あの子達も頑張ってたもんねー」
あの子、と言うのが三百年前の王族であろうことはなんとなく理解出来た。アランヤードがこの場にいれば面白かったかもしれない。
「んで、まーそれからなんとかして元の世界に戻ろうと世界中を旅したの。そのついでに魔王を退治したり救国の英雄とか呼ばれるようになったり。多分その頃かな、聖霊、ディエ・アースと出会ったのは」
「聖霊……」
「ディエは言ったわ。あなたが元の世界へ帰るよりも、元の世界をこの世界の近くへ移動させた方が容易だって」
これは日本が世界から捨てられたからこそ出来た事だった。根付いた世界ならばそんな事は不可能だったのだろうが、切り取られ、たゆたうだけの存在となり果てた彼女の世界だからこそ呼び寄せる事が出来たのだ。
そして呼び寄せた事によって解決した問題もあった。
「エネルギー資源の枯渇。それを解決するに当たって隣り合った世界にディエ・アースがあったのはとても幸いな事だったの。元の世界には魔力は微量にしか存在しなかったのだけど、ディエ・アースにはそれが膨大にある。だから私たちは、ディエ・アースからのお零れをもらっているのよ」
「魔力のおこぼれ?」
首を傾げるユクレステ。だがそれも仕方ないだろう。彼等にとって魔力とはあって当たり前のものなのだから。
それも含め、朝陽はゆっくりと説明する。
「星のカーテンや扉のある場所からは魔力が漏れ出しているの。多分、そこが日本とディエ・アースとの境界線だから。そこから魔力を集め、この音葉市で魔力を精錬して、万能エネルギーとして様々な場所へと送られる。灯りだったり、車が走るための燃料だったり。そしてその魔力をバッテリーに蓄えて魔法術として使えるようにしたのも、私たちエレメント社ってわけ」
自慢げに胸を張る朝陽。だがそれだけのことをやってのけたと言う自信があるのだ。そのおかげで死に瀕していた世界は甦り、不自由さは一気に解消した。今日の世界があるのは彼女たちの働きがあってのこと。
「じゃあ、この世界の魔法が違うのは……」
「正確には違う訳じゃない。ただ単に、進化をしただけ。幸い、この国の技術者はレベルが高かったから、科学的アプローチからの魔法発展が成功したの」
「たった五年と少しで、ですか……」
それはまた、恐れいる。こちらは三百年かかってもまだ彼等のように魔法を扱えてはいなかった。魔法を霊的なものとして見ている者が多かったからだろうか。最近になって魔法の研究は進んでいるが、それもまだ始まったばかりだ。
魔法使いとして呆れと尊敬の念をこの世界の魔法使い達へと向けた。
「そんな訳で、今君たちがどこにいるのか、分かった?」
「うん、なんとなく。取りあえずここが私たちの知ってる世界とは違うってのだけはなんとかね」
「ついでに、あなたが本物の聖霊使いと言う事も」
マリンとユゥミィが頷いた。と、そこへディーラが口を開いた。
「後一つ質問。こっちでは精霊の力って使えないの?」
彼女にとって両腕の刺青は己の力で勝ち取った証だ。それがないのは一抹の寂しさを感じてしまう。
ディーラの質問に答えたのはミデュアだった。
「残念ですが、この世界は星のカーテンの力によって外の世界にいる精霊の力は完全に遮断されているのです。ですので、恐らく不可能かと」
「そっか。……残念」
果たして彼女は一体なにを考えているのだろうか。なにが残念なのかは分からないが、とにかく魔法使い組にとっては手痛い現実である。
「……ま、それはともかく。後一個君たちに紹介したいのがあるんだよね」
「紹介、ですか?」
きょとんとした表情のユクレステ達。朝陽は頷きながら言った。
「生きて行く上ではお金が必要、そしてなによりお金を得るには労働が原則。と言う訳で、お仕事のお話さ」
そう言えば、この世界とディエ・アースは通貨が違っていたのだった。そうなると必然的に働かなくてはならない。
「……働きたくないんだけど」
「はいダメー。ディーラちゃん、どっかのお子様みたいなこと言わないで。あの子も日がな一日ゲームや漫画読み漁ってるニート君なんだから」
今頃寒空の下、クキが盛大にくしゃみをしていることだろう。
そんな事は気にもせずに言う。
「まあ聞きなよ。多分、退屈なことにはならないよ」
なぜだろうか。その笑みにどうしようもなく不安が掻き立てられるのだが。
「まず前提条件としてさ、君たちも色々と旅してきたみたいだし……それなりに戦えるんだろう?」
手元のリモコンを操作してニィ、と笑う朝陽。果たして彼女の言う仕事とはどんな事なのだろうか。
正直、嫌な予感しかしない。
模擬訓練の時間に、突然現れ去って行った謎の魔法術士。彼の知り合いっぽい天星叶はクラスの友人達に根掘り葉掘り聞かれ、とても疲れた様子で帰宅した。その時には既に彼の仲間たちもいなくなっており、テーブルの上に書き置きらしきものが置かれていた。それによると、理事長が彼女達をどこかへと連れて行ったようだ。
「これ、どうしよう……」
カバンの中からユクレステのローブを取り出し、なんとなしにハンガーへと掛ける。後で取りに来るような事を言っていたが、それならば洗った方が良いのだろうか。そもそも洗濯機で洗っていいものなのか。変な事で頭を悩ませる事になった。
とりあえず保留と言う事で部屋の隅にかけ、食事の準備に移る。ちょうどその時だった。
「……電話?」
ピピピ、と電話が鳴る音が聞こえて来た。コンロの火を止め、受話器を手に取る。
「はい、もしもし」
『おおっ! 本当に声が聞こえる!?』
「って、ユクレステさん!?」
受話器の向こうから聞こえて来る声に叶は思わず転びそうになった。
嬉しそうな声で電話をかけてきたのは、ローブの持ち主であるユクレステその人だ。ややテンションが高いのは初めての電話に浮かれているのだろう。
「あのっ、今どこにいるんですか!?」
『ん? なんかでっかい建物があるだろ? エレメントとかってビル。そこの社長室から』
「はっ? エレメント? 社長室?」
『あれ? 叶は知らないのか? おっかしいな、アサヒさん、だれでも知ってるって言ってたんだけど……』
「い、いえ、エレメント社は知ってますけど……」
チラリと窓の外から薄らと見える高層ビルを見つけ出す。この音葉市に住んでいる以上、エレメント社を知らない者などいないだろう。そして、そこの社長の話も良く耳にする。
名前は確か、月見里朝陽。彼の言うアサヒと言うのはひょっとして……。
「ほ、本当にエレメント社の社長さんと……?」
『どうかしたか?』
「い、いえなんでも……」
一体なにをしでかしてそんな場所にいるのだろうか。考えられるのは、彼が異世界から来たと言う事だが……まさか、
「ユ、ユクレステさん解剖とかされてませんよね!?」
『解剖? いや、別にそんな事はないけど……なんかすっごい勘違いしてない?』
一先ず人体実験の類を受けている訳ではないらしい。そんなことを考えてしまったのは先日借りて来た映画の見過ぎだろう。映画の登場人物は宇宙人だったが。
「と、とにかくなんともないんですね?」
『うんまあ、特には。社長さんが俺たちに理解のある人でさ、お仕事紹介してもらっただけだから。心配してくれてありがとな?』
ホッと一息吐き出し、落ち着きを取り戻して会話に戻る。
『そんな訳でしばらくこの世界の事とか教えて貰うから、そっちに行くの遅れそうなんだよ』
「えっ? じゃあ、あのローブはどうしますか? 良ければ洗濯しておきますけど」
『いや、気にしないでいいよ。その辺にほっぽっておいても構わないし』
「それは私が嫌なんです。手洗いの方がいいですか?」
『あー、うん。頑丈だからあの機械でも問題ないと思うよ』
旅をしていれば一月単位で洗う事のないローブには衛生面に関係した魔法が練り込まれていたりする。ユクレステのものも一級品ではないとは言え、それなりの値段がしたものだ。放っておいたところで大して気にはしない。
とは言え今そのローブはうら若き乙女の部屋にある訳で、綺麗好きな叶にとってはそれは許せない事なのである。どことなくセイレーシアンに似た圧力を感じたユクレステは素直にお願いすることにした。
「それじゃあ洗っておきますね? いつ取りに来ます?」
『えっと、確か二日後に叶達の学校って遠足でエレメントの魔力生成工場に来るだろ? 出来ればその日に持って来てもらいたいんだけど……ダメかな?』
「遠足の日に、ですか? あ、もしかしてお仕事ってそこ関係なんですか?」
『う……き、企業秘密らしいので、黙秘します』
言い辛そうに言葉を濁すユクレステだが、それでは言っているようなものだ。恐らく魔力工場勤務になるのだろう。それだけ分かれば十分だ。あまり深くは追求せず、叶は軽く頷いた。
「まあ、分かりました。なら当日に持って行きます」
『うん、悪いな。本当なら直接取りに行くべきなんだろうけど……ちょっと色々事情が、さ』
「分かってます。気にしませんから」
すまなそうな声が聞こえ、ユクレステの表情が容易に想像出来てしまう。クスクスと笑っていると受話器の奥から鈍い音が聞こえて来た。
『てぇ~! なにすんじゃわりゃあ!?』
『殴る許可はもらってるから。それそれ、これはマリンの分、これはユゥミィの分、これはご主人の分』
『ぶっ! ばっ! ごふぅ!? ちょっ、まてコラ、アサヒィ! この縄外しぃ!』
『はははっ、先に手を出したのはおまえなんだから諦めなって。大丈夫、魔力もなんの力も込めてないんだからクキなら平気でしょ?』
『この悪魔ならまだええけどなぁ!? そっちのちびっ子は――』
『御所望だってさ、ミュウ。レッツゴー』
『え、えと……すみません。一発だけですから』
『ゴッハアアァァァァ――!?』
特大級の轟音が響き、後ろの方から悲鳴のような声が徐々に遠ざかっていく。タラリと一筋の汗が額から流れ、叶は神妙に尋ねた。
「あの、ユクレステさん……今だれか落ちたんじゃ……」
『あ、あれ? 可笑しいなぁ? よく聞こえないぞぉ? でんぱしょーがいだなきっとこれは。うん! それじゃあ叶、また二日後に! 風邪ひかないように温かくして寝るんだぞ?』
「ちょっ、待って――」
ブツ、と無理やり電話を切った。
「……はぁ、まったくもう」
一体なにをしているのか、とても気にはなるのだが、それも含めてまた今度聞けばいい。どうやら、まだ繋がりは切れていないらしいのだから。
「……久し振りだな、こんなに楽しみなのは。遠足前に寝られないとか、小学生かっての」
一先ずやるべきは、彼の残したローブの洗濯だ。ハンガーごと手に持ち、叶は軽い足取りで洗濯機へと向かっていった。