落ちた世界での出会い
耳元で電子音がけたたましく鳴り響いている。昨晩セットした目覚ましを探すように手を這わせ、ようやく見つけてアラームを切った。
「んぁ……」
だらしなく空いた口元には涎が垂れており、身を起こしながら手の甲で拭う。ショボショボとした目蓋をこじ開けながら、カーテンを開いた。
「朝、かぁ。準備、しないと……」
ふあ、と欠伸を噛み殺しながら、少女は銀髪を揺らして洗面所へと向かって行った。
フライパンからスクランブルエッグを皿へと移し、トーストを口に加えながら小さなテーブルに持って行く。流れる動作でリモコンのスイッチを入れてテレビを点けた。
「今日の天気は、っと。良かった、今日は晴れの日だ。ちょうどお米も無くなっちゃったから買いに行くつもりだったんだよね」
寝ぼけ眼でニュース番組を見ている少女は、天星叶。十五歳。現役の高校生だ。
「あ、そろそろ時間だ」
チラリと時計を見て、そろそろ登校時間だと立ち上がる。洗い物は後でやるとして、手早くカバンを持って家の外へと出た。集合住宅の三階一番奥が彼女の部屋だ。
「……行って来ます」
扉を閉め、小さく呟くと叶は手すりに手をかけた。反対の手でポーチから一つの機械を取り出し、画面に指を滑らせる。
「MMC起動。効果範囲設定。──上昇気流。発動、と」
機械の画面が点滅し、次の瞬間眼下から突風が吹き出した。下方から上方へ、人の落下を抑える程の風だ。叶はその風が発生したのを確認すると、すぐに跳躍して手すりを乗り越えた。風に支えられるようにゆっくりと落下し、無事に地面へと降り立つ。それと同時に風が消え去った。
「あっ……」
「…………」
そして、目の前の人物と目が合い、ヤバ、と漏らした。
「お、おはようございます! 大家さん!」
「ああおはよう……じゃない! 何度言ったら分かるんだい! 横着して魔法使ってんじゃないよ!?」
先ほどのことを誤魔化すように元気いっぱいに挨拶をする。だがその程度では誤魔化されてくれないようで、三十路に差し掛かった妙齢の女性は青筋を立てて大きな声を上げた。
キーンとする耳を押さえながら、でもでも、と反論する。
「だってあたしの部屋からだと階段遠いんだもん!」
「若いんだからちょっとくらい歩きな! あんた達はすぐにそうなんだから! 魔法なんかに頼らないで自分の足で歩くんだよ、その足は飾りかい!?」
「わ、分かりましたよぅ! ごめんなさい! だから遅刻しちゃうんで今日はこの辺で勘弁して下さい!」
「あっ、こら天星!?」
言うが早いか脱兎の如く駆け出した。慌てて声をかけるも、既に彼女の姿はない。
「ったく……それだけ早いんだからわざわざ飛びおりるなっての。最近の子はみんなあんな感じなのかねぇ」
それを言うには少し早いような気もするが、仕方ないという気もあった。大家達と叶達。年齢差は十五歳。十五の年月は、世界が一変するのに十分な時間なのだから。
ふぅ、と息を吐きつつ、空を見上げる。太陽は出ている。しかし、どこかくぐもった空がそこにはあった。曇りガラス越しの空は、叶達には当然の空であり、大家からすれば憎らしいものなのだ。
「あの子達は本物の空を、知らないんだもんね……」
もう見る事のない澄み切った青空を思い出し、一人寂しげに瞳を閉じた。
私立音葉魔法術特化高等学校。
設立したのは僅か三年前の事だった。魔法と言う力があるのだと広まり、それを学ぶための場として三つの名家が出資して無事開校と相成った。当初は魔法と言う眉唾ものな技術に不信感を抱いていた人達も、この頃にはその有用性に気付き積極的に取り込もうと躍起になっていた。そこへこの魔法学校の設立。全国から大勢の入学希望者が殺到したのである。
だがそもそも、なぜこのような技術が必要となったのか。それを語るには、この国の――日本と言う、かつての極東の国になにが起こったのかを、知る必要がある。
「…………ねむぅ」
と言うような事を語っている、教壇の前に立つ人物。まだ若い男性で、整った顔立ちをしている。ただその瞳はやる気無く濁っており、それが少々マイナス点だろうか。今も眠たげな教員の心からの言葉に、生徒一同ため息を吐いた。
「先生、今は授業中ですよ? ちゃんと授業して下さい」
「んー? 別に良いじゃねぇか。眠いもんは眠いんだ。それにほら、昼飯後の授業ってやる気でないだろ?」
確かに、と窓際に座る叶が頷いた。真面目で通る彼女も、お腹がいっぱいの現状既に睡魔が肩を叩ける距離まで近づいている。必死に意識を繋ぎ止めていなければ今にも眠ってしまいそうだ。
「そうですね。ですが羽生先生がちゃんと授業しているのを見た事なんて一度もないですけどね」
入学して、かれこれ八ヶ月。その間この教員は毎日のように眠いダルいとボヤいていた。
そこを突かれては痛いとばかりに苦笑いして、歴史教師、羽生真次郎は教科書を開く。
「たはは……コホン。それじゃあ授業を続けるぞー」
心底めんどくさいと言わんばかりに声を上げ、黒板へと向かうのだった。
彼等の住むこの国は、日本と言う名称である。土地自体はそれほど広くはないが、技術に優れ、世界の中でも上位に入る程の経済大国であった。
重要なのは、それが既に過去の話であると言う事。別に、落ちぶれたとか他の国に追い越されたとか、そう言った事実はなかった。本当に単純で簡単な事が、一つ起きただけなのだ。
叶がチラリと教科書の最初のページを眺め、一つの単語を拾い上げる。
(世界落ち)
十五年と九カ月前。その日、なんの前触れもなく、唐突に、突然に、突如としてそれは起こった。空は曇りガラスを嵌められたように天井が創られ、日本の排他的経済水域に現れた星のカーテンと呼ばれる防壁によって外部との交流が完全に断たれてしまった。たったの一日、一時間にも満たない時間で世界の様子は一変したのだ。外部へはどのようにしても出られず、電波も遮断されて救援を呼ぶ事も出来ない。完全な孤立が、彼らを襲った。
世界に捨てられ、放り出された日。それが今日、世界落ちと呼ばれる出来事だ。
そしてその後も苦難の連続だった。
世界的に経済大国と言われていた日本だが、食糧やエネルギー事情の大半は他国に頼り切っていた。そのため、食糧危機、エネルギー資源の枯渇による危機的状況。それらが恐慌状態を陥らせ、当時はだれもが絶望に座り込んでいた。それでも、政府は必死に対策を取り続けた。いくつもの町や市を 強引に農場へと変え、食糧事情を必死に改善する。その強引さに反対をする者達もいたが、それでも代案も思いつかず、人々は愚痴を吐きながら働いた。
ある程度の余裕を得る事が出来れば、次はエネルギー問題だ。だがこちらは食料問題よりも厄介で、そのほとんどを輸入に頼っていた彼等には頭を抱えたくなるような問題だった。どれだけの犠牲と失敗を繰り返しながらも歩みは続けた。それでも、いつか限界は訪れる。これ以上の国の存続は不可能だと、だれもが匙を投げた。
ちょうど、そんな時だ。魔法と言うモノが広がったのは。
切っ掛けは一人の少女。彼女が提唱した新しい技術。それは、マンガやアニメの世界で使われる、魔法。そしてその源である、魔力。この魔力と言うものが、新たなエネルギーとして浸透する事になった。
魔法とは魔力によって擬似的に発動される現象であり、魔力とは現象を起こすための力。何にでもなり、何にでも染まる無色のエネルギー。
これが広まる事により、今までのエネルギー問題は一気に解消へと向かったのだった。
「えー、そのエネルギー問題の解決策として、この音葉市と隣の八都市、それから山農市は魔力生成の一大プラント地域となった訳だ。今度行く遠足ではその一部を見せて貰う事になっている。これはどれだけ金を払っても見る事は出来ない、特別な場所だ。見れるのは政府の中でも極一部、それと俺たちみたいな魔法術学校の教職員並びに生徒だけだ。ありがたがれよー」
そのブラントを取り仕切るのがエレメントと呼ばれる会社だ。魔法を広めたのがこの会社であり、現在の日本で一、二の力を持つ企業である。
そことは別にもう三つ程がプラントの維持を買って出ており、この四社が今の日本を支えていると言っても過言ではないだろう。
魔力の重要性は取りあえずこれまでにして、魔法技術について話は移って行った。本来、彼の教える科目ではないのだが、今の子はむしろ歴史よりもこちらの方が食いつきは良いようだ。今まで寝ていた学生達が目を輝かせて黒板を見ている。
ハァ、とため息を吐きながら胸ポケットから四角いなにかを取り出した。
「こいつはおまえ達も持ってるだろ? 魔法発動用のデバイス、Mirror Magic full Call。投影魔術呼応機、通称MMC。こいつはだれにでも配られる訳じゃない、魔法術を使う事を認められた者しか手にする事は出来ない。そもそも、魔法術自体だれでも使える訳じゃねぇからな」
魔法術――魔法は、先天的な才能が必須なのだ。魔法を起動するにも、操作するのにも、特別な能力が必要とされる。それが、魔力を浸透させてデバイス――MMCを発動させる才能だ。ある程度ならば魔力も外付けで扱う事が出来るため、特に重要なのはこの魔法発動能力である。
「えぇと、伊藤。一般人との処理速度の違いはどれくらいだ?」
「およそ十倍から百倍が一般的です」
話続けていたので疲れたのか、先ほど羽生に文句を言っていた女生徒へと質問する。少女は、はい、と立ち上がり答えを言った。
一般の処理速度が10秒であれば、魔法術士は1~0,1秒で魔法が発動出来るのである。
ここにいる者達は、大体がその処理速度を持っている。もちろん、例外も存在するのだが。
「…………」
クスクスと笑われている気がする。自意識過剰だとは自分でも思うのだが、叶は自分の評価が他人からどう思われているのかを知っているために自然とムッとした表情になった。
それに気付かず、羽生は気だるげに言う。
「最近は魔法術での犯罪も増えているけど、そう言うのには出来るだけ近付かないようにな。おまえ達は確かに他とは違う力があるが、ただ散漫に振るうのはただの暴力と変わらん。使い方を熟考し、さらなる技術発展を願っています」
「……先生、それはもうちょっとやる気出して言って下さいよ」
「やだよ、めんどくさい。大体これも校長が言えって言うから仕方なく……お、チャイムだ」
言葉の途中でチャイムの音が鳴り響き、この日一番の笑顔で片づけをする真次郎。呆れたような生徒の視線を無視し、廊下へと出て行った――と思ったら戻って来た。
「ああそうだ、おまえ達、あんまり繁華街に行くんじゃないぞ? 今なんか夜月が面倒だって話を聞くから、あいつらのシマに行くのは割と危険だ。じゃ、そう言う事で」
それだけを言って今度こそ帰って行く。
そのまま今日は下校となった。
「げっ……」
「あ~ら? なんですかしら、そのげっ、と言うのは? 天星さん?」
帰ろうと校門を潜った所で三人の女性に囲まれ嫌そうに顔を歪めた。やたらとキラキラとしたラメが散りばめられた学校指定のカバンを持ったリーダー格の少女。それにつき従う友人二名。随分と古典的な三人を前に、叶は逃げ出せるように逃げ道を探す。
「こ、こんにちは痴漢さん」
「だれが痴漢ですかしら!? 千佳野ですわ!」
「ああそうでした、痴漢かよさん」
「千佳野加代ですわー!!」
ハンカチを噛みながらそんな事を言うものだから、ちょっと悪戯心がくすぐられる。
二人の友人に宥められてようやく落ち着きを取り戻し、荒い息を吐きながらジロリと叶を睨みつける。
「天星さん、あなた最近調子に乗ってないかしら? この私に対してその態度、生意気ですわよ!?」
「え、まさかー。あたしみたいな平平凡凡な(美)少女が千佳野さんみたいな(残念な)美人さんにひどい事なんて言えませんってー」
にへらと笑っているが、心の中ではかなりの毒を吐いていた。そんな事を知るよしもない加代は、ふふんと胸を張っている。
「ま、まあとーぜんですわね!」
ちょろいなぁ、と生温かい眼差しで彼女を眺めた。
「で、なにかようですか? あたしこれからお米買いに行きたいんですけど」
「あ、あらそうなんですかしら? それじゃあ……って、違うですのよ! そうではなく!」
一人大袈裟に体を動かしている加代。両隣りの二人も呆れ顔だ。
「あなた、最近試験を落としたそうじゃないですか? そんな事でこの魔法術学校にいられると思っているのかしら? このままでは留年、下手をすれば退学だそうですけど、どうお考えなのかしら?」
「うっ」
彼女の質問にぐ、と呻く。正直とても耳に痛い話題が飛んで来た。それをバカにするような感じではないのが、余計にキツイ。
「……あっ、スーパーのタイムセールが始まっちゃう! ごめんなさい痴漢さん、また今度!」
「ちょっ、待ちなさい! って言うか、私は千佳野ですわよー!」
逃げるように去って行く叶の背中に、加代の悲痛な叫びが向けられる。
「ああもう、なんでこうわざわざこっち来るかなぁ」
彼女はあれでも上位の実力者、それに対して、自分はと言えば……。
「きゃあ!?」
思考に気を取られていたからか、叶は足元に現れたものに気付かずに倒れ込んでしまった。
「あてて……な、なによぅ、もー」
アスファルトが隆起したように現れ、それに躓いたのだろう。もちろん、こんな事は自然には起こらない。
「あれれー? どうしたの天星ちゃん?」
クスクスとバカにしたように笑う男女。手には魔法術起動デバイスが握られている。こいつらがやったのだとすぐに分かった。
「……なにかようですか? 美濃先輩、佐藤さん」
美濃孝明と佐藤美子。女生徒の方は同じクラスだと言う事以外接点はなく、男の方は割と見た顔だ。
「いやぁ、別にぃ? なんだか色気もない下着を晒してる子がいたからちょっとバカにしたくてね」
「ああそうですか。じゃあ退いてもらって良いですか? これからスーパーのタイムセールなので」
「まあまあ、そう言わずに、さあ!」
「っ!?」
彼の指がMMCの画面を滑り、同時に魔力が流れる。流れは叶の頭上に固定され、不可視のエネルギーが形を持った。
現れたのは、水。空気中の水分を魔力によって圧縮し、彼女の頭上からバケツをひっくり返したような水が降り注いだ。
「っ、けほっ!」
「ハハハ! どうしたんだいMMCを持って。もしかして対抗しようとした? ムリムリ! 君の処理速度で僕に追いつけるはずがないだろう!」
ポーチから取り出したまでは良かった。対抗魔法も選択済みだ。けれど、発動に至るまでいかなかったのは、彼と叶とで処理速度に大きな差があるからだ。
美濃孝明は先輩と言う事もあって魔法に一年長く触れている。対して、叶はまだ未熟なことに加え、
「もう、たかっちってばこの子にそんな事言っちゃ可哀そうでしょ? だってこの子、落ちこぼれなんだから」
「……っ!」
「あん、こわぁい。ねっ、もう行こ?」
「そうだな。こんなとこで油売ってるほど暇じゃないしな。良いよなぁ、落ちこぼれさんは。だれにも期待されて無くってさ」
ギリ、と睨みつけるが素気無く躱される。びしょ濡れになった叶を見て満足したのか、勝手な事を言いながら去って行った。
「落ちこぼれ、か」
湿ったハンカチをポケットから取り出し、水滴を拭っていく。その間も、彼等の言っていた言葉が胸に刺さる。
通常、魔法術士ならば一秒未満の処理速度。だが、叶の処理速度は、平均三秒。一般人に比べればもちろん早いが、それでも魔法術士の平均には達していない。それが、彼女が落ちこぼれと呼ばれる所以だ。一般的な才能は速度の高速化を見て考えられる。だから、落ちこぼれ。
そんな事は分かっていた事だが、現実に突き付けられるとかなりキツイものがあった。
このままでは留年、下手をすれば退学。実力主義の魔法学校ならば当然の采配だ。加代に言われるまでもなく、叶だって悩んでいるのだ。ただ、答えが見つからないというだけの話。
「……一旦、帰って着替えないと」
びしょ濡れの体を見下ろし、小さくため息を吐いた。
昔は良かったと大人は毎度の事のように言う。口を揃えて、バカの一つ覚えみたいに今の若い世代に向かって語る。別にそれ自体に不満はない。過去を懐かしむ事は今を生きる者達に与えられた権利だ。だが、それを前提に若い者達へ憐れみの視線を向けるのは、違うのではないだろうか。
確かに、叶たち若い世代は澄み切った空と言うものを見た事が無い。海外旅行と言うものを体験した事はない。だがそれを可哀そうと見るのは、経験した事のある者から見た勝手な感想だ。この暗がりの空に育ち、箱に押し込まれたような生活を強いられていた者からすればこれが彼女達の普通なのである。
時刻は五時過ぎ。曇りガラスの空はこの時間になれば嫌でも闇を届けてしまい、夏と言えど六時にもなれば辺りは真っ暗になってしまう。幼い頃からの週間で、暗くなると外に出ようと思わなくなってしまう叶だが、今日ばかりは違った。お米の他に味噌や塩が切れていたのだ。育ち盛りの少女からすればそれは死活問題であり、気だるい体を押して外へと出る理由には十分だろう。
「はぁ、向こうのスーパーが閉まってるとは……」
ぶつくさと文句を言いながら重たい袋を引きずって帰路に着く。普段通っている近くのスーパーが閉まっていたため、もう一つ奥まった場所まで向かったのだ。その帰り道は、いつも以上に不気味な闇が満たしていた。
「やだなぁ。あっちは変な人多いし」
道を横に逸れれば、そこは昼に真次郎が言っていた繁華街に繋がっている。柄の悪い連中が出入りしているらしく、うら若き乙女である叶には出来れば近寄りたくない場所であった。
「……早く帰ろ」
気持ち足早に歩を進める。そんな彼女が、曲がり角に差し掛かった時だった。
「うお!」
「きゃっ」
曲がり角から出て来た人物にぶつかってしまった。ぶつかった拍子に持っていた袋は夜の道路に投げ出され、叶は慌てて立ち上がる。
「おうこら嬢ちゃん! ちゃんと前見て歩け!」
「ご、ごめんなさい! って、あぁ!」
勢い良く立ち上がったためか腰のポーチからMMCがこぼれ落ちてしまった。慌てて拾おうと身を屈め、その瞬間、ぶつかった男が掠め取った。
「あん? こいつは……へぇ、嬢ちゃん、魔法術士か?」
「ちょっ、返して下さい!」
MMCは基本的に学校側からの貸与という形で与えられる物だ。壊れれば交換してくれるのだが、もし奪われたともなれば果たしてどのような罰則が与えられるだろうか。以前に失くした生徒は校舎中のトイレを一人で掃除させられていた。少なく見積もってもそれ以上の罰は受けるだろう。
MMCを取り戻すと急ぎポーチへと戻す。それを見ていたリーゼントの男がニヤニヤとしながら話しかけた。
「なあ嬢ちゃん、お兄さん達ちょぉっと君にお願いしたい事があるんだけどさぁ?」
「……お兄さんって面? な、なんでしょうか?」
「なぁに、悪い事じゃねぇからよぅ。ちょっと一緒に来てくれないかなぁ?」
四人の男が同じようにニタリと笑い、ゾッとして一歩後ずさる。叶の逃げ道を塞ぐように男達が囲い、ジリ、と近付いた。
「や、やめて下さい! いざとなったら、魔法だって使えるんですよ? 怪我をしたくなければ退いて下さい!」
自衛と言う手段ならば一般人への魔法の行使も認められている。後で学校側から叱られはするだろうが、正当防衛ならば理解は得られるはずだ。
とはいえ、叶にこの状況を打破できるかと問われれば疑問ではあるのだが。他の魔法術士ならば素早く魔法を発動し、無力化できるかもしれない。けれど、叶は発動までに数秒の無抵抗な時間が発生する。その間に攻められれば、容易く組み伏せられるだろう。
だからこそ、虚勢を張りながら男達が去るのを待つしかないのだ。
だが彼女の願いも虚しく、男は少しもたじろがない。
「ハハ、元気な娘さんだな。だけどよぉ、良いのか? 俺たちは、夜月だぜ?」
「えっ?」
「もし俺たちに危害を加えれば、お嬢ちゃんはこの町で暮らせなくなるかもしれねぇなぁ?」
「そ、そんなっ!」
夜月。この音葉市全域を管理していると言われる、名家の一つだ。特にそこの構成員はヤのつく職業と同じように柄は悪く、市民からは暴力団と同じように見られている。そして夜月は相当な資産家で、魔法学校に多額の寄付金を出資していると聞く。
もしそんな相手に怪我を負わせてしまえば、魔法術士ではあっても一市民である叶にどうにか出来るとは思えない。
「まあそう怯えんなって。まずは、俺たちの事務所に来てもらおうかねぇ」
「い、いやぁああー!?」
ダッと地を蹴り男達の隙間を狙って逃げ出す。だがすぐに反応され、転がされる。
「おいおい。こっちは誠意をもっておもてなしをしてやるって言ってんだぜ? ちっとはこっちの顔を立ててくれねぇか?」
サングラスをした男が口角をつり上げてドスの効いた声を上げた。強面からのその低い声に、男に囲まれている事もあってか叶は恐怖で頭が真っ白になる。
男の伸ばされた手が近付き、目を瞑ることも忘れて硬直した。
そして、手が触れる――
「サンダー」
寸前に、それは現れた。
「キーック!!」
「あん? ――グハァアアー!?」
見開かれた視界に入って来たのは、白いローブに身を包み、右手に魔法使いが持っているような杖を持ち、真横に姿勢を正した人物だった。合わされた両脚でサングラスの男の頭を蹴り飛ばし、男はゴリ、と嫌な音を立てて地面に倒れ伏す。
頼りない街灯の明かりがローブの人物を照らす。まだ若い、少年のような顔立ちに、優しそうな双眸をしている。少年はスタ、と着地をして叶の前に立ち男を指差しながら声を上げた。
「ちょっと待つデス。悪人共!」
どこか間の抜けた日本語を話す少年。もしかしたら外人なのかもしれない。それでも随分と下手くそな日本語だ。だがなにを言いたいのかは分かった。
(もしかして、助けてくれるの?)
混乱の頭でそれだけを考え、縋る様に少年を見上げる。細いのに、なぜだか頼ってしまいたくなるような大きな背中だ。
「あんじゃテメェ!? いきなり蹴りぶっかますたぁどういう了見じゃい!? ぶっ殺すぞわりゃあ?」
「ほうじゃほうじゃ! 兄貴の仇じゃあ!!」
気を取り直した男達が刃物を取り出して少年へと切りかかる。
危ない、そう思ったのも一瞬で、少年はナイフを簡単に避け、男の足を杖で掬い上げ転ばした。先ほど転ばされた身としては、ざまぁ見ろ、である。
容赦なく頭を踏み潰している少年は怒鳴り散らす男の言葉に首を傾げ、なにかを呟いていた。その言葉は今まで一度も効いた事のない言葉で、なんと言っているのかは分からない。そこでようやく気を取り直し、叶は声を上げる。
「あ、あの……! 逃げて下さい! その人達、夜月なんです!?」
ここまでやっておいて今さらではあるが、元々彼らが狙ったのは叶だ。見ず知らずの外人さんに迷惑をかけたくはなかった。
「ヤーゲツ?」
しかし言った言葉を分かっているのかいないのか。首を傾げ、男達の言葉に聞き入っている。これから自分がなにをされるのかも分からず、叶は顔を青くする。それでも、この人だけはなんとか逃がさなければと隙を伺っていた。左手は隠しながらポーチへと伸ばしており、いざとなればこの少年だけでも逃げられる隙を作るつもりだ。
男がナイフを持って少年を挑発している。やるならば、今だ。
「――起動、一陣の……えっ?」
だが魔法は発動する事はなかった。
少年は先ほどの言葉など知った事かと固く握られた拳で男を殴り飛ばしていのだ。
「全然理解ムリです!」
苛立った声で吐き出された言葉。リーゼントはすぐにナイフを持って突撃する。
少年はそれを見据えながら、杖を持ち上げた。
「えっ? もしかしてあれ、MMCなの!?」
MMC。投影魔法呼応機。魔法を発動させるための機械で、そこに登録している魔法を瞬時に展開するデバイスだ。だがそれはなにも叶の持つ物のように携帯端末型である必要はない。形などはいくらでも変えられるし、以前には杖型のデバイスだって使用されていた。魔法が広まった当初はそもそもMMCと呼ばれてすらいなかった。
「ストーム・カノン!」
魔力発動体。それが当初の名前。魔力媒体を内に秘めた、紛れもない魔法使いの杖。それこそがMMCの前身だ。
「…………(ぱくぱく)」
吹き飛ばされた男には目もくれず、叶は呆然とその少年を見上げていた。その魔法の使い方が、とても綺麗だと思ったからだ。少しの淀みもなく、少しの歪みもない。魔力がスッと流れる様は、感じた事のないほどに衝撃的だった。
「あ……」
少年の瞳と目が合い、無意識のうちに体が震えた。胸を駆ける不可思議な気持ちに、思わず視線を落としてしまう。
その様子を不安と取ったのか、少年は精一杯優しげに微笑みながら、拙い日本語で語りかける。
「はジめまシて、こんニちは」
そんな少年を見ていると、変に構えていた自分がバカみたいだ。叶はすぐに顔を上げ、元気に笑って言葉を返す。
「……は、はじめまして! でも今はこんばんは、ですよ?」
最後の言葉は、余計だったかもしれないけれど。
今回は説明回になってしまいました。まだ説明の足らない個所もありますが、取りあえずはこの辺で。
ちなみに作者は英語が不自由です。生温かく見守って頂ければ幸いです。