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王女と悪魔

―――――――――――此処は何処?         王宮の、最奥。


―――――――――――私は誰?           この国の、王女。


―――――――――――私の存在理由は?       理由は…………。



「……朝」


 光を感じ、私は目覚める。ぼんやりとした頭で、先程まで見ていた夢を思い出す。何時もと同じ、何も見えない暗闇の中、独り力なく座り込んでいる私。そんな私を取り巻く、沢山の声。


 片手を支えに上半身を起こしながら、夢を追い払うように頭を振る。


 寝台の端に移動し、ゆっくりと両足を降ろす。足の裏が床に着いたのを確認してから、立ち上がる。


 そのまま部屋の中にある、唯一外へと繋がる扉がある方へ歩いていく。手を伸ばして扉を確認してから、しゃがむ。


 ゆっくりと手を伸ばし、手に触れた柔らかい感触のものを掴む。その場に座り込み、掴んだものを口に運ぶ。


「…ん、美味しい」


 朝食であるサンドイッチを食べながら、私は呟く。それに答える声は無い。この部屋に、私の傍に来る人など誰もいない。この朝食も、扉に備え付けられている小さな窓のような場所から入れられている。


 サンドイッチを食べ終えた私は、お皿を扉の向こうに置いた。こうすれば、誰かが持っていってくれる。見た事は無いから、分からないけれど。大分昔に、侍女らしき人がそう言っていたから。


 次に、化粧台がある方に移動する。歩くのは慎重に、ゆっくりと。どうせ予定も何も無いから。この部屋の中でしか生きられない私には、時間は沢山あるから。有り過ぎて、困るのだけれど。


 化粧台に辿り着き、背もたれのない丸椅子に座る。化粧台には大きな鏡があるけれど、私には必要のないもの。


 髪を漉き、丸椅子から立ち上がる。


 次に向かうのはこの部屋唯一の窓。その窓は外へと突き出しているらしく、窓にもたれかかるようにすれば、座れる。


 私はそこに座り、窓に頭を預ける。


 私は、そこで一日の大半を過ごす。他にする事もないし、そこなら、時折その音が聞こえるから。木々のざわめきと、鳥のさえずり。雨の日は、雨音が。雨音は、音楽を聞いているみたいで好き。晴れの日は、暖かくて好き。つい、寝てしまうけれど。


 でも、他に時間を潰せる手段は無い。


 今日は、とても良い天気みたいだから、きっとお昼寝が出来る。夜になれば、寝るだけ。明日も、同じ事の繰り返し。 


 明日だけじゃなくて、明後日も、明々後日も、その次の日も、ずっと、ずっと――――――――――――――。


 そう思いながら、私は眠りに落ちた。










 何かの、音がする。高くて、澄んだ、綺麗な音。それと、足音…?


 近付いてくるそれに、私の意識が眠り底から引き上げられる。


「白い髪、ね。それでか」


「……?」


 間近で聞こえた声に、私の意識が覚醒する。感じたのは、香りと、温もり。


 爽やかな甘い香りと、頭を撫でる大きな温もり。暫くして、それが手だと分かった。


「誰?」


「お前は?」


「私は…この国の、王女」


 問えば、逆に問い返されてしまった。


 離れていった温もりを残念に思いながら、私は答える。


「名前は?」


「名前…」


 重ねて問われ、私は戸惑う。


 私に、名前なんてあっただろうか?いや、なかったはず。名前は、誰かに呼んでもらう為にある。誰にも呼ばれる事の無い私には、名前は必要ない。


 黙って首を振れば、声の主、たぶん、男の人、から困惑した雰囲気がした。


「ないのか?」


「必要、ないから」


 俯きながら言えば、男の人は溜め息を吐いた。そのまま、黙り込んでしまう。


 私は、何を言えば良いのか分からなくて、窓の外に顔を向ける。光がない。何時の間にか、夜になっていたらしい。低くて、長い泣き声が聞こえるから、もう皆寝静まっている時間だろう。また、お昼と夜のご飯を食べ損ねてしまった。


 特に、お腹は空いていないけれど。


「よし、決めた」


 ぼんやりとしていると、黙り込んでいた男の人が唐突に声をあげる。首を傾げながらそちらを向くと、男の人が私を指差す気配がした。


「お前は今からクリスティーナだ。面倒だからティーナって呼ぶが」


「ティー、ナ…?」


 ティーナ。クリスティーナ。…私の、名前。


 彼は、私の名前を呼んでくれるの?


 彼は、私の存在を認めてくれるの?


 誰にも呼ばれず、認められず。この外見だけで、人ならざる力があると思われて。皆から隔離され、怯えられて。


 私を害せば、この国に災いが降り掛かると思い込んでいるから、身の安全は保障されている。けれど、それだけ。誰も、私を見ようとしない。


「嫌か?」


 茫然としていると、彼が言った。僅かに失望を含んだ声に、私は急いで首を振る。


 嫌なはずがない。物心つく前までは、誰かが世話をしてくれた。最低限の教養を身に付けさせてくれた。


 そう、怯えた目をした誰かが。


 でも、前の前の彼からは、怯えも何も感じないから。怯えも、忌避も、嫌悪も、恐れも、侮蔑も。


「なら、良い」


 そう言って、彼が笑う。低い笑い声に、胸が鳴る。


 これは、何だろう?この感情は、何?


 知らない。こんな感情、誰も教えてくれなかった。


 でも、悪くない。いいえ、むしろ、とても心地良いわ。


「で、何で目を閉じてる?」


「…?」


 彼の不思議そうな声に、私は首を傾げる。目を、閉じる?


 何の事か分からなずに悩んでいる私に、彼は手を伸ばした。


「これだよ。これは、何で下りてる?」


 彼が、私に触れる。そこは、私が何時も光を感じている場所。何か薄いものを通して、外を感じられる場所。


 幼い頃から、その場所は何かを通してでしか光を見れないと言われた。決して、開く事はないのだ、と。


「そういうものじゃないの?」


「は?」


「だって、絶対に開かない、って」


 私が言えば、彼から驚愕の雰囲気がした。次いで、呆れ。


 暫くして、彼が大きな溜め息を吐いた。


「ここに力を入れてみろ」


「力を?」


「そうだ。上に上げるように、だ」


 私に触れたまま、彼は言う。言いつつ、彼は私に触れている指を上に滑らせる。


 私はそれに合わせて、力を入れる。彼が触れている部分にだけ、上に上げるように。


「…何だ、できるじゃねぇか」


 目の前の、彼が笑う。嬉しそうに、笑う。


 今まで白黒だった世界に、色がつく。


「もう片方も出来るだろ?」


 言って、彼はもう一方に触れる。


 その温もりに促されるように、私はもう一方も開く。


「これが、目を開くって事だよ。感想は?」


 手を私の頬に移しながら、目の前の、黒と紅を持つ彼が笑う。浅黒い肌を、黒の刺青が覆っている。


 間近に見える紅に、私の姿が映る。白と、紫。


 私は、彼に手を伸ばす。彼と同じ様に、彼の頬に触れる。


「綺麗、ね」


 触れた頬は、温かい。触れる手も、暖かい。


「…ねぇ、貴方は、誰?」


 彼を真っ直ぐに見上げて問えば、彼が笑う。口の端を吊り上げて、不敵に。


「悪魔だよ、ティーナ」

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