Ep.2「黒嶺会」
1
土曜日の昼下がりの白鳥スカイタワービル。普段は行き交う社員達の姿があるが、今日は休日なためほとんど歩いていない。
建物の入り口前に、アルミの出前箱を2つ積んだ三輪自転車が停車し、運転していた女の子が降車する。
小柄な体系、茶髪のショートヘアーで濃い茶色の瞳、グレーのカーディガンの上から白いエプロンを身に着けている、大人しい風貌の少女。
少女の名は”佐藤 愛美”。この近くに古くからある個人経営の庶民的な食堂『みなとや』の現在の店主の娘で、まだ15歳だ。
白鳥スカイタワービルの中には、一応社員食堂はあるのだが、休日のため今日と明日は社員食堂は開いていない。この場合ここに出前に来るということは、大抵麗華達が出前を注文したということだ。
荷台にある出前箱を取り、ビルの中に入って受付の女性に声を掛ける。昔から何度も来ているとだけあってほぼ顔パスですぐに通してもらうことができ、エレベーターに乗ってビルの上階に向かう。
到着すると、真っ先に出迎えたのは麗華だった。
「いらっしゃい愛美ちゃん!さぁさぁ!早く早く!」と、何やらテンションが高い。
「はいはい、今お出ししますから…」
そう言って愛美は、出前箱から、白い皿に盛られラップで蓋をされたチャーハンを取り出した。
それを見た途端、麗華のテンションは更に上がって、目を輝かせた。
チャーハンとスプーンを受け取り、自分のデスクに、小さくスキップを踏みながら向かっていく。
「ふっふふ~ん♪ありがとうございますわ愛美ちゃん!」
「毎度どうも~」
真緒が苦笑いしながら財布を持ってくる。
「ごめんね~愛美ちゃん…うちの麗華が賑やかで…」
「いえ、いつものことですし」
愛美は他の料理を取り出してハンナや零達に渡し、真緒からお金を受け取って、「じゃ、夕方になったら食器回収しに来ますから、よろしく」と言い残して、エレベーターに乗って地上に降りていった。
麗華はデスクの上にチャーハンを置いてラップを剥がし、ふんわりと漂う香ばしい匂いに酔いしれた後、「いただきま~す♡」と言ってから、スプーンでチャーハンをすくって食べ始めた。
「ん~~、これですわこれ!脂っこすぎない程良い舌ざわり、濃すぎない優しい味付け…これこそ最高のチャーハンですわ!」
「気持ちは分かりますけど、静かに食べてくださいよ…社長令嬢がはしたない…」と言いながら、真緒はテーブルに置いた自分の麻婆豆腐丼のラップを剥がす。
ハンナはチャーシューメン、零は八宝菜丼を、美味しそうに食べ進めていく。
なお、松倉はここには居ない。
「それにしても、松倉くんには申し訳ないわねぇ~…彼の分でも用意してあげれば良かったかしら?」と、真緒はスプーンで具材をほぐしながら言う。
「別にいいんじゃねーの?どうせいつ帰ってくるか分かんねーし」と言った後、零は八宝菜を口にかきこむ。
同じ頃。横浜市のオフィス街にある、某牛丼チェーン店のとんかつ店併設店舗。
土曜日とあってあまり仕事休憩で寄っているであろう人は多くないが、それでも席は混んでいる。
そんな中、カウンター席で、特盛のカツカレーを食べている女性が居る。
銀髪のロングヘアー、前髪は片目隠れヘアーで右目を覆い、キレのある目と澄んだ黒い瞳、濃い灰色のパンツスーツ姿で、白いワイシャツの上から藍色のネクタイを締めている。
カレーのルーが染み込んだ白米をスプーンで口に運ばせていると、隣に松倉が座った。
「よっ、”霧乃ちゃん”!またカツカレー?」
そんな彼を横目で見ながら、彼女は言った。
「別にいいじゃないですか…「美味しい物を食べてこその人生だ」って、松倉さんが言ったんですよ?」
「そうだけどさぁ~…」
「それより、はい」と、霧乃は左手で自分の鞄から大判の封筒を取り出し、松倉に手渡した。
中を開くと、コリアンマフィアと日本のとある企業の裏取引のデータが記載されていた。
その日本の企業というのが…。
「”黒嶺会”、かぁ…また面倒なとこがおいでになったもんだ…」
「黒嶺会は、確か白鳥財団とはライバル関係でしたよね?」霧乃はそう言ってから、最後のとんかつの身を口に運んで咀嚼した。
「あぁ…先代と色々揉めていた、手強い相手だ…。この情報をどこで?」
「組対(組織犯罪対策課)のパソコンからこっそり」
「ははっ…大胆なことするなぁ。バレても擁護できないぞ~?」
「ご心配なさらず。それで…この件、どう処理します?」
「そうだなぁ…このデータが本物かどうか確かめるために、ちょっと身体張ってこようかな~」
「…黒嶺会に?」
「もちろん」
「…ま、私が言っても聞かないでしょうし、命大事に、行動してくださいね」
霧乃は完食してそう言ってから立ち上がり、トレーを返却口に置いてから、店を出ていった。
彼女は駐車場に停めていた黒色の日産・スカイライン V37型の覆面パトカーに乗って去っていった。
丁度その頃、松倉が注文したねぎだく牛丼が完成して注文番号がモニターに表示され、松倉は立ち上がった。
2
1週間と数日後。
神奈川区にある、黒のように濃いガラス張りの高層ビル。正面入り口にある石板には、筆書体風に「黒嶺会」と大きく刻まれている。ここは、黒嶺会の本社ビルだ。
中枢エリアの通路を歩いている男性、”西脇 卓朗”。藍色のスーツ姿で、赤いネクタイを締めている。黒縁の眼鏡を掛けていて、その雰囲気は”仕事のできる優秀なサラリーマン”に思える。
途中で、ドリンクやアイスの自販機がある休憩コーナーで見かけた同僚達と軽い世間話をしていると、助手である少女を連れて歩く、1人の高齢の男性が、通路を歩いてきた。
男性は色黒の肌に白髪のオールバックヘアーで、瞳は濁った鉛のような色で感情が読みにくい。黒のスリーピーススーツを着て、白いネクタイを締めている。高齢な顔だが背筋は真っ直ぐしており、強面の表情は皺は多くも威厳を衰えさせていない。
すぐ斜め後ろを歩く助手の少女は、彼とは対照的に病的なまでに白味が強い肌色で、ダークブラウンの三つ編みを右肩に垂らし、茶色がかった灰色の瞳はまるで生きている感じがしない。黒のゴシックメイド風ドレスに身を包んでおり、胸元には青色に輝く宝石のブローチを掛けている。
西脇も同僚達もそれに反応して、彼に向かって「おはようございます、”國正院社長”」と挨拶する。
國正院社長と呼ばれた男性は「うむ…」と小さく頷いてから、そのまま少女と共に素通りしていく。
西脇…いや、扮装した松倉は、二人の後ろ姿を見つめながら、二人の情報を脳内で整理した。
(”國正院 零次”…「黒嶺会」の社長…今年で57歳だっていうのに、あんなに足腰がしっかりしてるし、存在感も全く衰えていない…マジで恐ろしいな…。
後ろのあの子は…確か”氷川 翠”だったな…この3年以内でいつの間にか専属の助手になった謎の少女…どんなにデータを漁っても詳細が出てこない…ある意味一番厄介かもしない…)
すると、二人が向かった先に、1人の少女が居た。銀色のロングウェーブの髪に、氷の様に冷たい蒼い瞳をした、キレ目で凛々しい顔立ち。すらっとした身体は、タイトな黒いパンツスーツに包まれている。
少女は零次に会釈すると、小さく口を開いた。
「”お爺様”、おはようございます」
「うむ。どうだ?久しぶりの私用のベッドの寝心地は?」
「はい、十分眠れるくらいには安心できます」
その会話を聞いて、松倉は脳内の情報をフル回転で整理させ、少女の情報を見つけて、目を細めて少女を見つめる。
(”國正院 遥”…!國正院零次の実孫…大学に進学して、この会社には入社してないはずだが…いつの間に…!?)
困惑する松倉を尻目に、三人は上階にある社長室へと向かって歩き始めた。
(…これは、厄介なことになりそうだ)
…西脇に扮する松倉に気づかれぬよう、遥は零次にひっそりとあることを伝え始めた。
「お爺様、先程休憩室に居た眼鏡の男…覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ…西脇君だ。彼は優秀だよ。”ここ最近は”、な。1週間前から妙に営業成績が上がっている…まるで人が変わったようにな…」
「…やはり、お気づきでしたか」
「長年裏社会に生きているとな、勘で分かるのだよ…」
「…しばらく彼を張ります。よろしいですか?」
「構わん。好きにしなさい」
遥は軽く頭を下げてから、二人と別れてどこかへ向かっていった。
同じ頃。本物の西脇卓朗は、白鳥スカイタワービルの最上階にある大浴場に設置されたサウナに座って、汗を流していた。
「ふ~っ、良い心地だぜ」
麗華がサウナ室の前にやってきて、数回ノックして、西脇に声を掛ける。
「そろそろ出た方がよろしくてよ?サウナで長居は禁物ですわ」
「分かってますよ、白鳥のお嬢さん。
にしても、ありがたいねぇ。少しの間俺の身分を貸すだけでこんなに優遇してもらえるなんてよ」
「ふふっ…快い協力者にはそれなりの礼をさしあげないと」
「でも大丈夫かい?お嬢さんとこのあの兄ちゃん。黒嶺会、名前に恥じないとんでもない真っ黒なとこだぜ?」
「彼なら大丈夫ですわ。ご心配なく」
「それならいいんだが…もしあの兄ちゃんが失敗したら、俺はどうなる?」
「『本物の西脇を返してやる』って言って、メイクでボロボロの状態にして送ってあげますわ。その方がバレないでしょう?」
「なんだ…このまま財団に転職させてもらえるわけじゃないのか~…」
「あら?お父様達とちゃんと面接をすれば、考えてあげてもよろしいわよ?」
「ほぉ…?んじゃ、万が一のことがあったらそうさせてもらうわ」
「えぇ。では、お体に気をつけて」
麗華は大浴場を去っていった。
3
次の日の昼頃。
黒嶺会の社長室。ダークブラウンを基調としたモダンなデザインで、壁際の棚には綺麗に整頓された書類や記念品の飾り物が置かれ、マットブラックのワインセラーには、数多くの高級ワインが収められている。
中央にある黒木目のテーブルの左右には黒革のソファが置かれており、零次と、その向かいにある男性が座っている。
翠は零次の後ろにある机の上にあるコーヒーメーカーを使って、黙々とコーヒーを淹れている。まるで機械のように、静かで冷静、一切の無駄がないスムーズな様子だ。
零次の向かいに座っている男性は、とある大企業の幹部を務める”番井 鉄之助”59歳。来年で還暦を迎えるというのに、髪はまだ白に染まっておらず、全体的に皺も少ない。40代手前のような若々しさを感じる。
「__で、そういうわけで、我が社としても、未来を見据えて、黒嶺会様のお力添えになりたいというワケです」
番井の長話を冷静に聞き続けていた零次は、翠から淹れたてのブラックコーヒーが入ったコーヒーカップを受け取りつつ、番井の言葉に返答した。
「いいでしょう。私としても、貴殿らの生産能力は是非利用させてもらいたい。その上、生産成績も中々のものだ」
「そうでしょう?」と言いながら、番井も翠からコーヒーカップを受け取る。
「では、わが社との契約は、これにて締結ですな」
「いや~、國正院さんは話が早くて助かりますわ~」
「我々としても、白鳥財団に対抗するための戦力を確保したいのでね」
「白鳥財団、ですか…確かに黒嶺会とは長いライバル関係でいらっしゃいましたね…」と、番井はコーヒーを一口含んだ。味を堪能した途端、「美味い…」と呟き、翠に向かって「これはどこ産の豆だい?」と尋ねるが、翠は何も発さず黙々と片づけを行う。
番井は気を取り直して零次に向き直って言う。
「白鳥財団も、最近一大プロジェクトを発表して躍起になってますし、折角黒嶺会様との契約に取り付けたんですから、生産ラインを拡大しておきませんとな」
「えぇ…向こうの社長も、近い将来、実娘に社の権限を移すらしいしな。若者の力に追い越されぬよう、こちらも事業を拡大せねば」
「実娘…あぁ、白鳥麗華ですか。でもあの歳頃で大企業の社長など務まりますかねぇ…」
「あの家系を甘く見るでない。今は亡き先代”白鳥 康晴”も、現社長白鳥岳人も、上手い立ち回りと鋭い観察眼で世を制してきた。
特に、”聖翼団”…”ホーリー・アロゥ”の暗躍は財団に大きな利益を産んでいる」
「聖翼団、ですか…噂には聞いていますが…どんな組織です?聞いた話だと、武力行使をするとか…」
番井のその質問を聞いて、零次は少し口角を上げ、どこか楽しさを交えた口調で語り始める。
「…聖翼団は、”白鳥財団に不利益な行いを目論む邪鬼達を払うこと”を目的とした、いわば特殊部隊のようなモノだ。
リーダーは代々、財団の社長が務めているが、恐らく今は、実娘の白鳥麗華がリーダーを担っているだろう。
病弱だった母親を亡くしてから、父の後継のために精進して、今はあの様子だ。
華奢な身体と容貌に対して、優れた身体能力、根強い情報網、強力なリーダーシップ…正に強敵、我々のライバルに相応しい」
「…他にメンバーは?」
「把握してるだけであと2名…。
五十嵐真緒…現社長岳人が、どこかの国から拾ってきた孤児。今は麗華の助手をしつつ、聖翼団では麗華のバックアップとして暗躍している。
そして鷹野零…元航空自衛隊のエースで、岳人が財団専属のパイロットとしてスカウトした。小型ヘリから旅客機までなんでも操る才女だ」
…と、更に他にまだ2人聖翼団に所属しているが、黒嶺会はまだそのことに気づいていない。
「ほぉ…その孤児とやらはともかく、自衛隊の優秀なパイロットが居るとは…中々手強そうですな」
「実際我々も苦戦を強いられている。ほぼ互角だったが、今は向こうが勝ち越している…連中に勝ち逃げされる前に、我々も手を打っておかないとな…」
「…では、我が社も是非、そのお力に」
「あぁ、頼むよ」
零次と番井はそう言ってソファから立ち上がり、固い握手を交わした。
その会話を、黒木目のテーブルの裏側に隠した小型受信機を伝ってひっそりと聞いている者が居る。
ビルの屋上で缶コーヒーを飲んで休憩しているフリをしている、西脇に扮した松倉だ。耳に黒いイヤホンを付けている。
(ふむ…まだ俺とハンナのことは知られてない、か…もう少し動き回れるかなぁ~)
そう考えながら、缶コーヒーの底に残った液体を飲み込んだ。
更にそんな彼の様子を、屋上の出入口の鉄扉を小さく開けながら見つめている、遥の姿があった。
しかもその上、番井が帰った後、翠は黒木目のテーブルを清掃中、零次に注目してもらうために、彼にハンドサインを送り、零次が自分に視線を向けると、しゃがんでテーブルの裏側を指差した。そこには、松倉が仕掛けた受信機が貼り付けられていた。
松倉に気づかれぬよう、手話を使って話す。
「〈隠した男を調べましょうか?〉」
「…〈いや、見当はついている。安心しなさい。ひとまず君は、休憩に入りなさい〉」
翠は小さく首を横に振ったが、零次は小さく眉間に皺を寄せて「〈いいから休憩しなさい〉」と伝え、翠は小さく頭を下げてから、社長室を静かに立ち去った。
4
その日の夜。白鳥スカイタワービルの上階。
本物の西脇は、テーブルの上に置かれた、社員食堂の定食料理を堪能していた。ごく普通の見た目の料理ばかりだが、塩焼きのアジも、豆腐と油揚げとネギの味噌汁も、小鉢に入った漬物も、そして新潟県産コシヒカリの白米も、どれも味は一級品だ。
「うめぇ~~!白鳥の社員って仕事中これ食えんの!?」
麗華は向かいの席で、夕食の焼き鮭定食の鮭の骨を丁寧に取り除きながら微笑んで言う。
「お爺様が昔雇った元高級ホテルのシェフによる直伝のレシピで作られた、最高の料理ですわ!」
「すげー…マジで入社させてほしいわ…」
そんな話をしている横で、真緒は窓の前に立ち、横浜の夜景を見つめながら、どこか落ち着かない様子をしていた。
真緒の隣に、彼女の様子に気づいて、食べ終えたハンバーグ定食が置かれたトレーを持って歩いていた零が声を掛けてくる。
「どした真緒?腹空かないのか?早くしないと食堂閉まっちゃうぞ?」
「…松倉くんからの連絡が無い…何かあったのかしら…?」
「そう簡単におっ死ぬような奴じゃねーよ、アイツは。ただ…相手は黒嶺会だからな。万が一のことがあった時のために、ちょっと待機してるか…」
零はそう言い残し、エレベーターの近くにある、社員食堂直通の受け取り口にトレーを置いて、エレベーターに乗って屋上に向かった。
真緒はスマホを革ジャンの内ポケットから取り出し、画面を点ける。やはり松倉からのメッセージなどは無い。
「……普段は鬱陶しい人だけど、こうなると落ち着かないわね…」
少し経った頃。黒嶺会の上階にある資料室。
入り口は正規の社員証を電子ロックパネルに読み込ませないと入れないのだが、今の松倉は、本物の西脇の社員証を持っているため、出入りが容易だ。
ただし、誰かに気づかれぬよう、灯りは付けず、口に小型の懐中電灯を咥えて、資料を漁っている。
だが、例のコリアンマフィアに関する資料は流石に無いようだ。
(う~ん…やっぱ裏のことはこういう所には置かないか…とはいえ、表の方でも役立つ何かを…)
そう考えて、引き続き、各ファイルに収められた書類を一瞥していく。
すると、資料室のドアが勢いよく開かれ、西脇に扮した格好の松倉の背中に廊下の灯りが当たる。それに驚いて、咥えていた懐中電灯を床に落とした。
「っ__!?」
ドアを開けた主は、遥だった。
零次に負けない、恐ろしい形相をしながら、松倉に歩み寄る。
「西脇卓朗…何をしている?」
「えっ、いや、明日の営業のための資料を__」
「とぼけるな」
そう言って遥は、懐から即座に、拳銃を取り出して構えた。シルバーメッキのフレームに、黒いスライド、黒木目のパネルが付いたグリップをした、コルト・M1911だ。かなり使い込まれていて、小傷が点在している。
松倉は黙って、身体をゆっくり起こし、両手を上げて見せた。
「落ち着きなって、國正院のお孫さん…こんな所で撃ったら、会社の大事な資料に風穴が開いちゃうぞ?」
「心配ない。狙いは外さない」
そう言って、M1911の引き金に軽く力を込める。
「…そっか」
「貴様、何者だ?本物の西脇卓朗はどこにいる?」
「あれ?そのことまで気づいちゃってたのか~…西脇は俺のボスが監禁している。大事な社員を返してほしかったら、まずは銃を降ろしてもらおうか」
「監禁、ねぇ…」
(…やっべ、完全に疑ってる…こりゃ西脇はここには戻れねぇな…)
しばらく静寂が訪れる。
松倉は溜め息を吐いてから、口を開いた。
「…そんなに信用できないってんなら、うちのボスに電話してみようか?今頃西脇くんは、脱走できないように縄で縛られて高温の個室に閉じ込められてそうだけど」
「…敵に捕まるような部下など不要」
「えぇ…雇い主側の人間としてそれはどうなの__」
遥は引き金を引いた。45口径の弾丸はまっすぐ松倉に飛んで行くが、松倉は咄嗟にしゃがんで交わし、弾丸は壁に着弾する。
松倉は遥に向かってダッシュし、遥はまたM1911の引き金を引く。1発目の弾丸が落ちた懐中電灯に当たって懐中電灯を粉々に粉砕し、2発目の弾丸は松倉の掛けた眼鏡のフレームを掠り、レンズに亀裂が入った。
松倉は遥にタックルして、資料室を飛び出し、そのまま立ち上がって、地下の駐車場に向かった。
押し倒された遥は、倒れたまま横向きになって、M1911を走り去る松倉に向けて発砲した。松倉は時折スキップを踏んで弾丸を避け、弾丸は松倉の足元の床に着弾する。
「ヤバいヤバい…!」
廊下の角を曲がってエレベーターに乗ろうとしたが、上の表示を見ると、どんどんこちらの階に向かって上がっている。嫌な予感を感じた松倉は、そのまま立ち止まらずに、非常用階段に飛び込み、勢いよく下っていく。
案の定、エレベーターが到着して両開きの扉が開かれると、そこには銃を持った警備員達が居た。皆、同じグロック19を所持している。
遥が到着し、警備員達に伝える。
「奴は非常用階段を使っただろう。追え。それと、出入口を塞いでおけ。絶対逃がすな」
それを聞いた警備員達は、松倉の後を追う者と、下のフロアに居る警備員達に封鎖を促すため無線を使って呼び出し始めた。
その頃、白鳥スカイタワービルの上階では、真緒が麗華と共に、明日開催される会合のことについてチェックを行っていた。
「__ですので、スパイダー・ウェブの社長さんが来日した際には…」
丁寧に説明していると、真緒のスマホに着信が入り、取り出して画面を見ると、松倉からだった。
「松倉くん…!?」
「あら、無事かしら彼」
真緒はすぐに電話に出た。
「もしもし松倉くん__」
《あぁ真緒さん!!すみません、しくじりました!!》
「本当に?今どういう状況?」
《警備員達に追われてます!!連中、銃を持ってる_ガキィンッ_ひぇっ!!》という声と共に、金属に当たったような跳弾の音が聞こえてきた。
「っ…まだ黒嶺会のビルよね?」
《は、はい!!これから地下に降りて車で逃げますが…ちょっと応援を_ドドドドドッ_どひゃぁぁっ!!?あぶねーなバカヤロー!!》
「わかった…ハンナが今外に居るから、彼女に先に向かってもらうわ。なにかあった時のために、鷹野も出動させておく」
《頼みます_ビシュンビシュンッ_ぎゃああぁぁっ!!?殺す気かぁぁあぁっ__》
その絶叫の直後に、プツッと通話が切られた。
「急がないと…!」
真緒は振り返り、ソファの背もたれに掛けていた革ジャンを手に取って羽織り、ハンナに電話を掛ける。
その様子を見た麗華もソファから立ち上がり、すぐに出動の準備を始める。
5
松倉は地下の駐車場に降り立ち、乗ってきた車に乗り込む。色褪せ気味な水色の日産・マーチ K12型だ。本来は西脇本人の所有車のため、防弾などの装備は付いていない、ごく普通のコンパクトカーだ。
運転席に即座に乗り込みエンジンを掛けると、追って来た警備員達が到着し、グロック19や、人によってはH&K MP5を構えて発砲してくる。
弾丸がマーチのボディや窓に着弾し、穴や亀裂が生じていく。
「ひぇぇええぇっ!!」
松倉はすぐにマーチを発進させ、タイヤを鳴らしながら、出口に向かう。
警備員達のもとに、黒塗りのトヨタ・クラウン 180系2台が到着し、警備員達が乗り込み、2台はマーチの後を追い始める。
最後に遥が駐車場にやってくると、彼女は奥に駐車されている自身の愛車、メルセデスベンツ・SLRマクラーレンに乗り込んだ。磨き抜かれた鮮やかな銀色のボディから、5.4LのV8エンジンの甲高い轟音が鳴り響き、ホイールスピンをしながら勢いよく発進し追跡を始める。
松倉が運転するマーチは、出口に向かったが、警備員の車がバリケードとして停車されていた。
「っ…悪いね西脇くん!!」
松倉はアクセルを踏み込み、道を塞ぐ警備員の車のリアフェンダーに突っ込んで押しのけ、道路に飛び出し、みなとみらい方面へと曲がっていく。
大破した警備員の車を3台の車が通り過ぎていき、マーチを追い続ける。
その様子を、零次と翠は社長室の窓から静かに見下ろしていた。
「ふむ…やはり敵性だったか…上手くやりなさい、遥よ…」
2台のクラウンは、マーチの左右に並び、マーチに向かって体当たりをして挟み撃ちにする。激しい火花が3台の間に散る。
遥はハンドルを片手に、M1911の弾倉をリロードして装填し、窓を開け、片手でマーチのリアタイヤを狙う。3発の弾丸が発射されると、1発が左後輪に命中する。ランフラットではないマーチのタイヤは瞬く間にバーストして火花を上げ、マーチの速度はみるみる落ちていく。
すると、手前の交差点に、ハーレーに乗った見慣れた女性が現れた。赤いフルフェイスのヘルメットを被っているが、間違いなくハンナだ。
「居た!!マツくん!!」
4台が通り過ぎていくとハンナはUターンし、座面と尻の間に挟んでいた、ピストルグリップのレミントンM870を取り出し、両手をハンドルから離して構え、SLRマクラーレンに狙いを定める。
「っ__アイツの仲間か!?クソッ!!」
遥はハンナに気づいてハンドルを切り、その瞬間ハンナは引き金を引いた。放たれた散弾はマーチの右側を攻めていたクラウンのリアタイヤに命中し、態勢を崩したそのクラウンは路肩に逸れていき、路上駐車されていた車に乗り上げて盛大に横転し、ルーフから地面に叩きつけられた。
「ヨッシャーー!!ブラボーーっ!!」
ハンナはM870を片手に持ち、もう片方の手でハンドルを握って加速し、マーチの空いた右側に並ぶ。
「ハンナ!!」
「マツく~ん、こっち映った方がイイヨーー!!」
「分かってる…!!」
松倉はマーチの運転席から離れ、割れた窓から脱し、ハンナのハーレーに飛び移った。
運転手を失ったマーチはスピンし、後続のSLRマクラーレンの行く手を阻もうとした。遥は咄嗟に避け、すぐにまた松倉の後を追う。
一方、大破したクラウンから、4人の警備員達が脱した。死者は居ないようだ。
そして同じ頃、横浜の上空では、戦闘ヘリコプターを操縦している零、それに同乗している麗華と真緒が居る。
無線でハンナを呼び出す。
「ハンナ、今どこだ?」
《マツくんを回収して今反町辺りダヨ!!》
「分かった!」
ヘリコプターは反町を目指して旋回する。
ハンナと松倉は反町公園を通り過ぎて東横浜駅に迫っていたが、遥は今度は、ハンナのハーレーのリヤタイヤを狙って、M1911を発砲した。ハンナはそれに気づいて蛇行しながら弾を避けていく。
「おいおいおいハンナ!!頼むから揺らすな!!俺が落ちる!!」
「お黙りヨ!!」
ハンナはハーレーを更に加速していく。
すると遥は、一度弾倉を抜き、懐に入れていたある弾丸を取り出す。それは、黒色の尖った先端の45口径弾だ。
「覚悟しなさい…」
そう言ってその弾丸をM1911に装填させ、またハンナのハーレーのリアタイヤを狙い、引き金を引いた。
黒い弾丸はハーレーのリアタイヤに直撃し、防弾タイヤにも関わらずあっという間にバーストした。
「ひょえぇっ!?」
「嘘だろ防弾タイヤだろ!?」
そしてハーレーは態勢を崩して倒れ、ハンナと松倉はハーレーから飛び降り、受け身を取って着地した。無人になったバイクはそのままコンクリートの路面を滑っていき、交差点の信号機の下部に勢いよく当たって静止した。ガソリンタンクが破損してガソリンが漏れ出し、火花に引火して爆発する。
クラウンとSLRマクラーレンは、2人を囲うように停車し、遥や警備員達は降車して銃を構えた。
「大人しくしなさい」
遥はそう言いながら、M1911の銃口を、まずは松倉に向けて、ジワジワと歩み寄ってきた。
だがそこに、丁度零が操縦するヘリコプターが到着し、低空飛行を始めて、彼らに向かってきた。
開いた扉から、麗華と真緒がSCARを構えていた。その姿を見て、遥は驚愕する。
「白鳥の連中…!?この2人も聖翼団の一員か…!!」
麗華と真緒はSCARを遥達に向けて乱射し、遥や警備員達は風に煽られながら、その場を離れて物陰に隠れた。
ヘリコプターがクラウンに接近すると、ハンナと松倉はクラウンに向かって駆け出し、ジャンプしてクラウンのルーフに飛び乗り、クラウンをジャンプ台にして、ヘリコプターのスキッドを掴んで、それを確認した零はまた高く上がっていく。
麗華と真緒が2人を引き上げヘリコプターの中に入れる。
「ふ~~っ、助かったぁ…」
「死ぬかと思ったよレイカ~…」
麗華はとりあえず大丈夫そうな2人を見て優しく微笑んだ。
「ふふっ、お疲れ様」
白鳥スカイタワービルに向かっていくヘリコプターを、遥達は物陰から出て黙って見つめた。
もう追うことができない距離まで開くと、遥は強い舌打ちをした。
「…次は逃がさんぞ、聖翼団…!」
遠くからパトカーや消防車のサイレンが聞こえてくると、遥は警備員達に「撤退だ」と伝えて、SLRマクラーレンに乗り込み、黒嶺会のビルに向かっていった。
6
白鳥スカイタワービルの屋上にあるヘリポートに着地し、皆降り立っていつもの部屋に向かった。
そこでは、本物の西脇がソワソワした様子で待っていた。
「おぉ、帰ってきた…」
「お待たせしました西脇さん」
「それで…どうなった?」
松倉が前に出て、割れたレンズの眼鏡と、西脇に扮するためのウィッグを外しながら言う。
「社長の実孫の遥って子、アナタがここでリラックスしていることに勘づいてるし、「敵に捕まるような部下不要」って言ってたから…こりゃ黒嶺会には戻れないですよ…」
「あれま。まぁどうせあんなブラック企業、こっちから願い下げだけどな」
「あとそれと…アナタの車、潰しちゃいました…」
「あぁ、それは全然構わないよ。10万くらいで買ったポンコツだったしさ」
意外と平気そうに笑っている西脇を横目に、真緒は麗華にひっそりと声を掛ける。
「結局、彼はどうします?本当にうちで働かせるんですか?」
「まずは面接よ。もしお父様が落とせば、諦めてどこか別の就職先を探してもらいますわ」
「はぁ…」
そしてハンナは、自身のハーレーを失ったことで、テンションが降下したまま項垂れている。
「うぅ~~…マイ ハーレー…」
「まぁまぁ…松倉を救った優秀な子だったし辛いのは分かるけど、今はほら、顔上げな…」と零が優しくハンナの背中を撫でる。
麗華は先程の現場の様子と、今の皆の様子を見て、顎に指を置いて呟いた。
「ふむ…戦力、特に車両の強化が必要になりそうね…」
それを聞いて松倉が麗華の方を向く。
「あぁ…ハンナのハーレーのタイヤ、防弾なのにあっという間に破裂させられましたし…連中、規格外の弾丸をどこかで製造してるのかもしれませんね…」
「常日頃から、提携している各会社に特殊車両の開発を進めてもらっていますが…要望を追加しておかないと…」
そう言い終えると、麗華は西脇に歩み寄って微笑んだ。
「それでは西脇さん…この度はご協力、誠にありがとうございました。成果は、ちょっと残念な結果に終わり、西脇さんの今後に酷く影響してしまいましたが…」
「大丈夫大丈夫、いい思いさせてもらったしさ。んじゃ、ここでの就職の件、お願いしますね~」
西脇はそう言って、ここ最近使用している寝室に向かっていった。
麗華は溜め息を吐いてから、彼に聞こえないよう小声で言った。
「彼採用されると思う?」
「いや~どうでしょう…」と松倉は苦笑した。
黒嶺会の社長室では、帰還した遥が、革椅子に座ってワイングラスを傾けている零次に向かって、深々と頭を下げていた。翠はその後ろで静かに立っている。
「申し訳ありません、お爺様…」
「表を上げよ、遥。心配するな。相手は白鳥財団だったのだろう?手を焼くのも無理はないさ」
「しかし…っ!」
「私が何度、白鳥財団に勝ち、そして同時に敗れたと思ってる?そう簡単に手に負える相手ではないのだ。分かったら顔を上げて、落ち着いてきなさい」
「っ…かしこまりました」
遥は身体を起こし、少し力強い足取りで、社長室を出ていった。
遥が去った後、零次は胸ポケットから最新型の黒いスマホを取り出し、どこかに電話した。
長い受理待ちの末、相手は出た。
「…私だ。白鳥財団の現在の状況とメンバーを探ってくれ。報酬の半分は前金として明日渡す。よろしく頼むよ?」
そう言って零次は、不敵で不気味な笑みをゆっくりと浮かべた。




