我が国の法により、わたくしが側妃になるのは不可能でございます
「フランチェスカ・デ・シュヴァインベッカー。お前との婚約は破棄。いや……、お前をこの俺様の側妃とし、正妃はこの可憐なるソフィア・ド・カシオとする!」
貴族の令息や令嬢が通う学園の、とある教室。そこに、いきなり現れたのはヴィセンティーニ王国の第一王子、ジョルジョ。
そして、ジョルジョの右腕にしがみついている小柄な女性の名はソフィア。
まだ授業の最中で、教師は黒板に向かい問題の解説を板書していたし、生徒たちはその板書を熱心にノートに書き写していた。
一部の高位貴族の令息や令嬢は、自分でノートを書くのではなく、後ろの席に座っている従者や侍女にノートを取らせているのだが……、まあ、それはどうでもいい。
そんな授業の最中に、いきなりの婚約破棄宣言。
更に、悲劇のヒロインのように、目を涙で潤ませ、ソフィアが言った。
「ごめんなさい、フランチェスカ様。あたしとジョルジョは愛し合っているの……」
言葉では謝罪を述べたが、そのくりっとした瞳には、フランチェスカに対する勝ち誇ったような感情が浮かんでいた。
「で、でも! フランチェスカ様が今までジョルジョ様のために努力してきたことを無にするのは申し訳ないから……。だから、フランチェスカ様にはジョルジョ様の側妃になってもらって、国政とか外交とか、政務関係のことだけをしてもらえれば、お互いにいいと思うんです!」
ソフィアの言葉に満足そうに「うんうん」と頷くジョルジョ。
二人の様子に、フランチェスカは温い笑みを浮かべた。
「わたくしと、第一王子殿下の婚約破棄に関しては、承りました。破棄の書類はお持ちですか?」
ジョルジョが、もう半年も、婚約者であるフランチェスカを蔑ろにして、男爵令嬢に過ぎないソフィア・ド・カシオと懇意にしていることは、父であるシュヴァインベッカー侯爵にも報告済だ。
そして、娘大事な父は、フランチェスカとジョルジョの婚約を無くそうと、既に国王や議会に働きかけている。
残念なことに未だ国王の承諾は得られてはいない。そして、貴族の総意をまとめ、国王に奏上する機関である議会も意見は割れている。
正妃だの側妃だのには口を出す権利は、単なる侯爵令嬢であるフランチェスカにはない。
が、教師もいる授業中に婚約破棄などとジョルジョが宣ったのだ。
せっかくの機会だ、父の希望通りに婚約を破棄してしまうのも一興だろう。議会にはあとから承認を得られるよう手を回せば良い。
一応、クラスの皆に視線を流せば、議会の一員である父を持つ者たちが、理解を示すように頷いていた。
よし。
フランチェスカは、胸の中でほくそ笑んだ。
「あぁ? 書類? そんなものあるわけなかろう!」
「では、今ここで、わたくしが作成いたしますので、少々お待ちを」
フランチェスカは後ろの席に座っている侍女に目線を流す。
すると、侍女は便箋を手に、すっと立ち上がって、フランチェスカの傍までやってきた。
侍女から便箋を受け取ると、ペンで、そこにさらさらと婚約破棄に関する文言を書き出した。程なくして、ペンの音が停まり、そしてフランチェスカは立ち上がった。
「読み上げます。
『ヴィセンティーニ王国第一王子殿下、ジョルジョ・デ・ヴィセンティーニ様より、フランチェスカ・デ・シュヴァインベッカー侯爵令嬢に対し、婚約破棄の申し出があった。
フランチェスカ・デ・シュヴァインベッカーは、その婚約破棄を謹んで承る。
婚約破棄に関する諸手続きに関しては、議会に確認の上、ヴィセンティーニ王国の法に従い行うものとする』
こちらで相違なければ、サインをお願いいたします」
「うむ!」
フランチェスカからペンを受け取ったジョルジョは、同じ文言が書かれた三通の婚約破棄書類すべてに、自分の名を書いた。
そのジョルジョの名の下に、フランチェスカも名を書き、そして、教師へと顔を向けた。
「先生。申し訳ございませんが、この婚約破棄が、皆の前で行われた正当なものであることの証人として、お名前をお借りすることはできますでしょうか?」
教師は、快く頷いて、書類の下にサインをした。
教師がサインをしている最中に、青い髪の男子生徒がフランチェスカに向かい、挙手をした。
「シュヴァインベッカー侯爵令嬢。この場に居合わせた者の中では、隣国の者ではあるが、私が最も高位だと思われる。よかったら、私も証人として、書類に名を連ねるが」
「よろしいのですか?」
「ああ。これでも第三王子だからな。適任だろう」
挙手をしたノルベルト・フォン・ターナーは、隣国であるターナー王国からの留学生であり、また、ターナー王国の第三王子でもあった。
「わあ! 隣の国の王子様もあたしとジョルジョ様の結婚を認めてくれるのねー」
きゃあきゃあとソフィアは飛び上がって喜ぶが、ノルベルトは冷めた目でソフィアを見る。
婚約破棄に関することにだけは、書類に証人として名を連ねる。
だが、それと第一王子の結婚を求めるかどうかは別の話、なのだが。
はしゃぐソフィアに、指摘してやる者は皆無だった。
「さて、では取り急ぎ、この書類に関しては一通はヴィセンティーニ国王陛下にお届させていだたきます。もう一通に関しては、我が父、シュヴァインベッカー侯爵の手元に保管。三通目に関しては、証人である……」
「私が預かろう」
「ありがとうございます、ノルベルト殿下」
ノルベルトが一通を受け取った後、残りの二通を侍女に手渡した。
「大至急、お父様にお渡しして頂戴。国王陛下には、お父様からお渡しするよう伝えてね。急ぎだから、わたくしの馬車を使うことを許します」
「かしこまりました」
侍女はフランチェスカの護衛の一人と共に教室から去っていった。
半刻もしないうちに、父であるシュヴァインベッカー侯爵の手元に届く。そうすれば、後の処理は、問題なく進むだろう。
なにせ、阿呆な第一王子に、フランチェスカの人生を捧げさせたくはない……と、フランチェスカの父であるシュヴァインベッカー侯爵こそが、婚約破棄を強く望んでいたのだから。
娘など政略の駒に使えば良いのに。お父様は、わたくしに甘いわね……と、フランチェスカは思っていた。
だが、娘を愛してくれる父の気持ちは嬉しくもある。
フランチェスカはジョルジョに向かいにっこりと笑った。
「手紙が届けば、わたくしと第一王子殿下の婚約は破棄されることになるでしょう」
「ああ、これからはお前は、この俺様の側妃として、面倒な政務を片付け、そしてソフィアが楽しく暮らせるように心を配れ」
ジョルジョの言葉にフランチェスカは笑顔の層を厚くした。
「第一王子殿下、お言葉ですが、そちらのソフィア嬢を第一王子殿下の正妃とされた場合、わたくしを側妃にすることは不可能ですわ」
教室にいた教師も、それからフランチェスカのクラスメイト達も、フランチェスカの言葉に頷いた。
「は?」
「え?」
ジョルジョとソフィアだけが、きょとんとした顔になっていた。
「更に申し上げれば、婚約破棄をした以上、ありえない仮定ですが、わたくしが正妃となり、そちらのソフィア嬢を側妃としたい場合は、間にもう二人ほど側妃を用意せねばなりません」
「は?」
「え? どーしてぇ?」
間の抜けた声が、教室に響いた。
「我が国の法による規定でございます」
フランチェスカの端的な回答は、ジョルジョとソフィアには全く伝わらなかった。
「はあ⁉ フランチェスカ、貴様、何をわけが分からんことを言っているのだ!」
「そうよ! オカシナことを言い出して、ごまかすつもり?」
「ですから、我が国の婚姻法に、明確に記載されている事柄でございます」
ヴィセンティーニ王国の王族には、正妃だけではなく、側妃を娶ることが可能となっている。
ただし、側妃に関しては明確な規定がある。
一つ、第一側妃は正妃より爵位が一つ下でなければならない。
一つ、第二側妃は第一側妃より爵位が一つ下でなければならない。
つまり、男爵令嬢であるソフィアが正妃になった場合は、準男爵の令嬢から側妃を取るしかない。
準男爵とはつまり、名ばかりの貴族で実のところは平民。そんな階級の娘が王族として認められるわけはない。
この法がある以上、侯爵令嬢であるフランチェスカが正妃になった場合に、ソフィアが第一側妃になることもできない。
まず、伯爵位の令嬢を第一側妃にして、更に子爵位の令嬢を第二側妃にする。その上で男爵令嬢であるソフィアを第三側妃にするしかないのだ。
淡々と説明したフランチェスカに対して、ソフィアは顔を青くした。
「それじゃあ4番手の女になるじゃない! 冗談でしょう!」
「冗談ではなく、国法で定められている内容ですわ」
これは、数代前に、下級貴族の娘が正妃や第一側妃になったときに、序列に関してかなりの混乱があった末にできた法であるのだ。
当時の第一王子が、側妃である下級貴族の子。そして、第二王子が正妃の子であった。
故に、次代の王をどうするべきか。
派閥ができ、争いとなり……、更には内乱までも起こりかけた。
一部の家臣は、下級貴族の王子を次代の王にするわけにはいかないと主張し。
更にまた別の家臣は、最初に生まれた男子が王の後継となるべしと主張した。
側妃と王妃も日々争った。
どちらが産んだ子が次代の王になるか、のみならず、茶会での席や、ドレスを作るための金額。小さな争いが、大きな争いを呼んだ。
上が争えば、仕えている侍女や護衛たちも派閥に別れ、争うようになる。
一触即発。
そんな状況が数年、いや、数十年続いた。
なんとか収めたものの、今後は内乱など起こらないようにと、婚姻に関する序列以外にも、王族に対して様々な法が、議会を通じて制定されていった。
更に言うのなら、ヴィセンティーニ王国は王政の国ではあるが、この混乱により、議会の力を強めていったのだ。
今後は、王が、勝手に、身分の低い者を王妃としないように。
何事も、議会との協議の上、国の方針を決めるように……と。
故に、現王と言えども、この法は簡単には覆せない。
本気で法を改正しようとすれば、可能ではあるが、年月をかけて根回しをした上で、議会に法案を通さねばならない。
そんなことが、この短絡的なジョルジョにできるはずはない……と、フランチェスカは思っている。
「し、知らんぞ! 俺様はそんなことは知らん!」
「知らないも何も……、この国の貴族や王族であるのならば、知っていて当然の常識ですわ」
くすり……と、フランチェスカは笑った。いや、嗤った。
第一王子のクセに、自国の婚姻法すら理解していないとは……嘆かわしい。
「ということですので、わたくしが側妃になることは法律上無理でございます」
内心の嘲りをキレイに隠して、淡々とした告げたフランチェスカ。
ジョルジョは、しばらく唸っていた。
が、法であることを理解できたのか、しばらく唸ったのちに、言った。
「……仕方がない。フランチェスカを正妃にする。ソフィアは第三側妃で我慢しろ」
苦々しく告げたジョルジョに、ソフィアとフランチェスカの声が重なった。
「嫌よ! 第三側妃なんて、冗談じゃないわ! あたしが正妃になるのよ!」
「お断りしますわ。婚約は破棄されました。再婚約などは承れません」
「お、お前! フランチェスカ! この俺様が婚約を結び直してやると言っているんだぞ! ありがたく受けるべきだろ!」
不敬だと言わんばかりに、怒鳴るジョルジョ。
フランチェスカはあからさまに冷笑した。
「まあ! 第一王子殿下ともあろう方が! 婚約の破棄の宣言をした、その舌の根も乾かないうちに、婚約破棄を撤回するとは! 王族としての言葉の重みもご理解いただけないのかしら? 前言をすぐに翻す王子殿下を、支持する臣下はおりませんわよ」
フランチェスカに引き続き、ノルベルト・フォン・ターナーも笑いながら言った。
「ジョルジョ王子がもしも王となったら、朝令暮改を繰り返しそうだねぇ。そんな国とのお付き合いはごめん被りたいなあ」
クラスの生徒たち、それから教師も、ノルベルトに同意を示すように、頷いた。
「王族としての言葉の重みを理解せずに、ころころと意見を変えるのが、この国の第一王子なのですね。よく理解できました」
「な、なんだと、貴様……」
「第三王子とはいえ、隣国の王族に、貴様呼ばわりとは。第一王子殿下は、気分で意見を変えるだけのみならず、他国の王族に対する言葉遣いもお出来ではない。このことは我がターナー王国にも至急報告させていただこう」
ノルベルトが手をパンパンと叩けば、ノルベルトの侍従の一人が、恭しく頭を下げ、そして、教室から出て行った。
「言葉の重みも理解していない第一王子が、将来の王になれば。我が国との貿易協定も見直させていただこうかな? それとも、貿易自体を取りやめて、国交もなくした方がいいかな……」
わざとらしく思案顔でノルベルトは言った。
「ま、それは、万が一にでも、第一王子殿下が王となった後、我が国の王が考えることだな」
言って、嗤う。
ノルベルトのその笑いにつられたように、教室にいた大半の生徒たちも笑った。もちろんフランチェスカもだ。
クスクスとした笑いに、耐えきれず、ジョルジョは悪口雑言を振りまきながらも、教室から出て行った。ソフィアは、そのジョルジョの後を追いかける。
ひとしきり笑った後、フランチェスカはノルベルトに言った。
「大丈夫ですわ。仮に第一王子殿下が王位についたとしても、我が国は王の専横を是とはしておりませんから、ターナー王国との協定は、きちんと議会が守らせます」
「ああ、そうなの?」
「はい。国王陛下の望みを最大限叶えられますよう、議会による総意を持って国を支えておりますので」
最大限とフランチェスカは言った。
つまり、王の希望を全て叶えるものではない。
「ふーん。つまり、傀儡の国王の権限より、議会の権限のほうが強い? この国、議会民主制とかだったっけ?」
フランチェスカはゆったりとした笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「たとえば他国と戦争が起き、我が国が負けた時。そんな時に最終責任を取るために、国王というものが存在するのでございますわ」
他の生徒たちも、皆、フランチェスカに頷いている。
「……なるほど。そんなときには、国王の首を差し出しておけば、戦勝国も満足すると」
「最終責任者は必要でございますが、その最終責任者に大きな権を持たせなければいいだけのこと」
「議会がしっかりしていれば、形だけの王はサルにでもできると……」
なるほど……と、ノルベルトは頷いた。
「王妃もですわね」
「あれ? でも、そんな王妃に、フランチェスカ嬢はなる予定だったの? 婚約破棄も、予定通り?」
「一国の政に携わる者は、どちらに転んでもうまくいくようにするべきですわねえ」
「つまり?」
よくわからないとノルベルトは首を横に傾けた。
「わたくしの父は、わたくしと第一王子殿下の婚約を破棄し、わたくしを安全圏に逃がすのが第一希望でございましたわね」
「じゃあ、第二希望は?」
「わたくしが王妃となり、内部から、王族の権威を弱めさせる。そう……限りなく権力を持たない王による、立憲君主制……にでも移行させるために、わたくしが王妃となる……ということには、婚約を破棄した以上なりませんでしたけど。ただ、そうなった場合、わたくしの精神的負荷による不満が極大化し、うっかり第一王子殿下を縊り切ってしまったかもしれませんねえ」
クスクスと笑う、フランチェスカと生徒たち。
フランチェスカが本音を述べているのか、それとも冗談を言っているのか、ノルベルトには判断はつかなかった。
「人の数だけ意見があり、その最大公約数を持ってして国を支える。それが議会の働きですわ」
なるほどおもしろい……と、うっかりとノルベルトは思ってしまった。
そして、言った。
「ヴィセンティーニ王国の王族からは、この私が学ぶべきことは皆無だが。フランチェスカ嬢たちから学ぶことは多そうだな……」
「まあ、ありがとうございます」
微笑むフランチェスカを美しいとも思う。
だから、ノルベルトはフランチェスカに更に告げた。
「では、フランチェスカ嬢。両国の友好のために、この私、第三王子であるノルベルト・フォン・ターナーと、フランチェスカ・デ・シュヴァインベッカー侯爵令嬢の婚約を結ぶという第三の案はどうであろうか? 検討の余地はあるかな?」
フランチェスカは、少々驚いたが。
「わたくしの婚約もなくなったことですし、次回の議会にて、それが可能かどうか皆で検討させていただきますわ」と答えつつ、一国の王妃となるよりも、よほど有意義な人生を送れそうだと満足気な笑みを浮かべたのだった。
終わり
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