第07話【残虐表現を含みます】 素晴らしき新素材
脱人間がなされた社会。とりわけ、人間を家畜のように扱っている社会というのは、一般的な人間社会を経験したことがある者にとっては、受け入れられないだろう。それが、一通り、この異質な世界を体験した後の私の感想だ。
これは極端な例として、ポラストに提示された世界だったが、ただ、私だけでなく、
フォールズとリーヴィズも、脱人間の世界に嫌悪を抱くには十分な仕上がりだったことは間違いない。
「申し訳ございません、先に入ってしまいまして。被験者の方に、皆様が来ることを説明し忘れていたもので」
私たちが最初に辿り着いたのは、漫画のような十字の枠がはまった窓のある、小さな白壁の小屋の中だった。そこで、ポラストだと名乗るキリンから、この世界についての説明を受けるところから始まったのだ。
仮想現実の中のポラストは、現実の椅子くらいの大きさで、キリンの形をしていた。しかも、ありがちな二足歩行の擬人化されたものではなく、四足歩行で歩き、身体から出てくる機械の触手でモノを掴んで、こちらに何かを手渡したりするという、かなり奇妙な形態をしていた。
「脱人間の雰囲気を出すために、こちらの身体を用意しました。ただ、皆様の仮想現実内での身体は、動きやすいように人型にいたしました。勝手をして申し訳ございませんが、四足歩行は訓練が必要なもので」
私は自分の身体を見てみると、土でできた土偶のようになっており、フォールズは樹木を擬人化したような姿に、リーヴィズは大小の青色の玉がくっついて、人間の形になった姿をしていた。
「姿は大きく違うが、確かに挙動は同じだから、そのキリンの姿よりは簡単に動けそうだ」
フォールズは、木の枝を束ねたような手を自由に振り回しながら、ポラストに話しかけていた。
「気に入っていただけたようで何よりです。では、早速ではございますが、ここから外に出て、いくつかの施設をご案内したいと思います。候補を挙げますので、2、3か所お選びください」
ポラストが提案したのは、牧場、ショッピングモール、競馬場、劇場、美術館、サーカス、動物園、遊園地、繁華街、食品工場だったが、動物と人間の立場が入れ替わっただけのものは、容易に想像がつくという話になり、最終的にリーヴィズがショッピングモールと美術館を選んだ。
「あまり、気が進まないところもあるが、最悪な未来を想像するために利用させてもらうよ」
リーヴィズの言葉に対して、ポラストが、「私も、これが未来の唯一の選択肢にならないことを祈ります」と不吉なことを返してから、私たちは何もない小屋を出た。
「ここから近いのは、ショッピングモールなので、まずは、そちらに向かいましょう」
ポラストの言ったとおり、ショッピングモールは、小屋から歩いて2、3分のところにあった。しかし、途中の風景は、何もない石畳の道の両脇に原っぱが続き、そこに最初に入っていたのと同じような小屋が点在しているだけだったので、この世界観を掴み切れず、私は不安な気持ちでいっぱいだった。
「このフロア図で、ショッピングモールにある店舗を確認できるな」
フォールズが、ショッピングモールの入口に置かれている、昔ながらの平面的なフロア図に目をやり、「ペットショップに、衣料品雑貨、家具に、スーパー。色々あるが、別に種類としては普通だな。まあ、見てみるだけ、見てみよう」と言って、最初にモールの中へと入っていった。私は、それらで何が売られているのかを想像しながら、まさか、そこまで酷いことはやらないだろうと思いつつ、恐る恐る中に入っていった。ただ、その時、ポラストのキリンの表情が無表情だったのは、よく覚えている。
ショッピングモールの中は、お店というより、私たちから見ると単なる地獄だった。まず、入って左側にあるペットショップ。案の定、透明なケースの中に、人間の子どもが、裸のまま子犬のように入れられていて、一〇〇〇ドルなどの値段を付けられて売られていた。
次に、右側。そこには家具屋があるのだが、並んでいる椅子は、人間を特殊な樹脂で固定して作られたもので、膝を折り曲げて、太股の部分に座るようにできており、胴体の部分が背もたれに、足りない後ろの脚は、別の人間の膝下を付けて椅子にしていた。それと似たようなテーブルや電気スタンドが並んでいる家具屋は、まさに狂気そのもので、そこに有象無象の姿をした、この世界の住人と思われるモブキャラクターたちが買い物に来ているのは、何ともグロテスクな光景だった。
「買い物に来ているのは、この世界の住人達でして、人間の姿ではない形を選ぶようになったアンドロイドたちという設定になっているので、あのように動物から無機質まで、様々な形をしています」
買い物をしているのは、まるで、昔に流行ったキャラクターロボットのような可愛らしい姿をしたアンドロイドたちが多かったが、楽しそうにショッピングに勤しんでいる様子は、人間がスーパーマーケットで魚や鳥の死体を買うのと似ていて、売られている側と同じ種の存在としては、恐怖を感じずには見られないものがあった。
「ペット用の動物は、現実でも同じやり方で売買するから、まだペットショップは理解できる。だが、家具屋は別だ。牛や鹿の脚や胴体をあんな風にそのまま椅子にすることはないだろう。ちょっとやり過ぎじゃないか」
想像を超えた光景に、フォールズと私が言葉を失っていると、リーヴィズが、ポラストに疑問を投げかけた。
「確かに、現実を反映すると、今、仰られたことが正しいです。しかし、こういう現実世界にはないものを、リアルに目の当たりにできることを求めているユーザーは、人間、機人を問わず、意外に多いのです。おそらく、そのうちの多くの人は、現実世界では自身の趣向を隠して生きてらっしゃるのだと思います。今回、この世界に入り込んでいる被験者は、こちらの家具を使った豪邸にお住まいですが、彼は皆さんも知っている著名なデザイナーです。まだ、お名前は明かせませんが、意外な方ですよ」
ポラストは、人々のニーズ、特に著名人にもニーズがあることを正当性の証として説得しようとしていたが、リーヴィズは明らかに納得していない様子であった。
「俺は、人間が宇宙開発には不向きだとは思っているし、これから文明参加するのは、ますます難しくなると思う。だから、インシュカラに反対したが、こんな風に素材として人間が使われることには、より強く反対したいと思うよ。俺は、人間の無力さにはシビアだが、人間性自体を否定したいとは思っていない」
リーヴィズが威勢良く、このようなことを言うので、このとき、私はこの世界観がリーヴィズに思わぬ義侠心を目覚めさせたのだと勘違いしてしまった。しかし、結局は、リーヴィズの人間や宇宙開発に関する基本姿勢は変わらなかったのを、私は覚えている。
その後も、ショッピングモールの中では、人間の皮を使ったジャケットを売ってみたり、スーパーで人肉を売ってみたりと、趣味の悪いレパートリーが続き、それらを一つ一つ、丁寧に、肉眼で確認していった私たちは、徐々に疲弊していった。
「これだけ周ってみて思ったが、ショッピングモールという、人間に理解できる意味が残っているだけでもありがたいな」
ショッピングモールの中心にあるフードコートで、フォールズは、人間の母乳でできているというソフトクリームを食べながら私にぼやいた。どうやら彼は、段々と現状を受け入れつつあった。
「それは、ここがショッピングモールではなく、もっと意味の理解できない場所、たとえば、時計と人間の頭が交互に等間隔で並んでいる草原が広がる場所よりはマシだということでしょうか」
私が、ややこの世界の世界観に染まった適当な例を挙げて、フォールズのぼやきに返すと、彼は、「まあ、そういうことだな。意味すら崩壊して、見たまま、聞いたままの情報でしか捉えられない『何か』しか存在しない世界になった場合、言語化するのが困難になり、人間は狂気に陥ってしまうかもしれない。それは、私がリーヴィズを諭したように、人間をベースにしている機人だってそうだ。そのように考えると、いかに人間は、人間が作り上げた意味的世界の中でしか生きられないかがよく分かる。私たちは意味を積み上げて、自分たちの文明を強固なものにしていった結果、それが崩壊した、真っ白な空間が続く世界のように、無意味で解釈を寄せ付けない世界というものに耐えられなくなっているのだろうな」と、感想のようなものを呟き、アイスクリームのコーンの部分を齧っていた。
「どうでしょう。ここよりも美術館の方が、人間をベースにした存在である我々にも意味はとらえやすいかもしれません。一応、行ってみますか?」
横でフォールズのぼやきを聞いていたと思われるポラストの問いかけに、私たちは、どうするか相談した。結果、フォールズから、新たな発見があるかもしれないし、こことは全く違う世界観かもしれないので念のため行くべきという意見が出たので、美術館にも行くことにした。
ただ、美術館を堪能した後の私の感想としては、アートの味を振りかけた家具が並んでいる危険な場所という感じも拭えなかったが、未来の一つの可能性として、このような非人道的世界もあることを認識できたのは良かったのかもしれない。
「何なんだこれは」
美術館は、ショッピングモールに隣接した、サザエの貝殻がいくつも集合したような奇抜な形をした建物の中にあったが、それ以上に奇抜だったのが、展示品だった。
リーヴィズが絶句したとき、彼の目の前には、まるで組立前のプラモデルのように、手足と頭と胴体がバラバラになった状態で、一つのパネルに固定され、展示されている人体が5体ほどあった。
私は、見た瞬間、さすがにこれは異様なまでに精密な彫刻なのだろうと思った。しかし、体毛や肌のシミ、身体の傷などを見ているうちに、これは彫刻ではないという直感が働き始めた。
「これは、人間を使ったアートです。この世界の設定で言うと、人間というのは、ここ五〇年間くらい、ずっと人気がある素材で、アンドロイドのアーティストたちが好んで使っています。しかも、ここに並んでいるのは、牧場で飼育した養殖の素材とは違い、オーストラリアの大草原で自由に育った天然の素材を使っているのです。だから、肌に傷があったりしますが、この世界の住人は、それを良い味わいだと感じています」
私は、もう一度だけ、一体の比較的若い白人男性の身体の傷を見た。それは、彼の左肩の部分にあり、鈍い石器のようなもので肉をえぐられたように見えた。
「オーストラリアで育った人を殺して、ここに展示したということ?」
「そうです。この世界は、西暦二一八〇年という設定にしていますが、人間の文明は完全に滅びていて、人間の身体を使わなくなったアンドロイドたちが支配している世界ということになっています。ただ、科学技術などによって構成される人間の文明は滅びましたが、人間という動物は生き残っています。元々、都会のビル群で生きていた人々は、野山に帰り、神話的な世界観の中で、伝統的な農業や狩猟生活を営んでいるのです。そして、時として、アンドロイドのアーティストなどに、天然の素材として捕まえられてしまいます。ちょうど、魅力的な枝の曲がり方をした天然の木が持ち帰られて、盆栽や工芸品のパーツになるように」
ポラストは、まるでこの世界の住人かのように、世界の在り方に対する疑問を感じさせない口調で、滑らかに喋っていた。特に、ポラストは、リーヴィズに対して、そんなに驚かれても困る、という感じの表情をしているように私には見えた。ただ、リーヴィズは、自分たちも人間をベースにした存在なのに、人間を殺して作ったアートを見せられても、感じられるべきメッセージや親しみも感じられないと言い、アートとして成立しているのかの疑問があると主張していた。
「きっと、ご覧になられているうちに慣れると思います。この世界を被験者として体験してくれていた方々もそうでした。既に、一五人くらいの方がこの世界を体験されましたが、皆さん、二、三時間くらいこの世界にいれば、世界観や価値観を受け入れ、これらをアートとして美しいと感じられていました。全く、人間という存在の順応性は怖いものです」
先ほど、この世界を正当化したときのように、ポラストは、被験者たちのことを引き合いに出して、私たちを先に進ませようとした。
「リーヴィズ、ジロー」
リーヴィズと私が振り向くと、樹木の姿をしたフォールズがそこに立っていた。
「未来なんて、こんなものなのかもしれない。我々は、これを回避したければ回避するし、そうでなければ受け入れるしかないのかもしれないな。人間も動物だ。それに人間は、ダミアン・ハーストのように動物をアートとして使ってきた歴史もある。これは、人間には、反対はできても、完全に否定はできない未来なんだよ、きっと」
フォールズの救いのない言葉に、私は絶望した。しかも、ポラストが、この美術館は、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館に相当するレベルの美術館だと説明したところ、フォールズが、「それなら、全く見たことがない作品を、いくつも見ることができるかもしれないな」と、やや期待した感じで言ったのが、私には少し気になった。当然、フォールズの皮肉だとは思ったが、彼が妙に落ち着いた反応をし始めていたので、私はそれが気になり、落ち着かなかったのだと思う。
次の部屋に展示されていたのは、様々な動物に食いちぎられた人間の剥製だった。ホオジロザメに食いちぎられた女性は、胴体の下部がそっくりなくなっていたが、その恐怖で歪められた端正な顔立ちは、確かに言いようのない美しさがあると、私は悔しいが少しだけ感じてしまった。
また、その横には、数頭のトラに食べられた巨漢の剥製があり、抵抗したのか身体にはひっかき傷もいくつかあったが、全身に肉が食いちぎられた部分があって、穴の開いたチーズのようになっていた。他には、蜂に全身が覆われた人や、死んでからハゲタカについばませたと思われる人、クマに腕を折られてから、首元をぱくりと食べられている人など、様々な遺体が展示されていた。
「人間を固める作業は、内側については樹脂に防腐剤などを混ぜたものを注入して行い、外側はカーボン系のナノマテリアルで作られた網のような構造体を被せてから樹脂で固めることで、構造保持と耐久性強化を行っています。もしかすると、現実世界では、細菌などの関係で腐敗が生じ、必ずしも上手くいかないかもしれませんが、ここは仮想現実なので、そのような方法を施すことで、上手くいくように設定をしています。先ほどご覧いただいたショッピングモールの家具も、同じ原理です」
「これは、少しも網の構造体が見えないからレベルが高いな」
フォールズは、熱心に作品を眺めていて、人間を使った作品の表情の作り方などをポラストから教わっていた。
「たとえば、サメに食べられている剥製の場合、食べられた瞬間の映像を残してあるので、それを見て死体の表情をもう一度作り直して、固めていきます。結構地道ですが、被験者には人気のある作業でした」
「そういうのが好きな機人が、被験者として集まっているんだな。だとすると、そいつらは、現実世界で、反アンドロイド運動に参加している人間などをアートに使ってしまう可能性があるな。だが、そんなことになってしまうくらいなら、そのまま仮想現実にいてくれた方が安心なのかもしれない」
フォールズの言葉を聞いて、私は、彼がなぜ興味を持ち始めたのか分かった気がした。彼は、この仮想現実世界を、猟奇的な趣向を持った機人や反社会的な人間を閉じ込める、ある種の牢獄として理解し始めたようだった。要は、自分の納得できる世界をその人に与えるという、ある種、一人一世界に近い考えにフォールズは近づいたように、私には感じられたのだ。
ただ、本人から聞かないと断定はできないため、フォールズがどうして作品を熱心に鑑賞し始めたのか、こっそりと、その理由を尋ねてみた。
「きちんと鑑賞することで、人間中心主義について、自分なりに考え直すことが必要だと思ってね」
リーヴィズとポラストが少し離れた展示の前で議論している中、フォールズは、トラに食べられた人間の剥製の傍で、私に教えてくれた。
「展示された遺体をいくつも見て、人間も血肉からできた存在でしかないと、素直に感じたんだ。だからと言って、軽視すべきだというわけではなく、血肉からできた存在でしかないという事実を理解した上で、大切にすべきだと思うことができた。だから、血肉からできた存在でしかないという理由で人間を軽視しようとする人々に、どうやって、人間が大切にすべき存在であると伝えるかを考えていたんだ」
「そういうことでしたか」
私は、重要な職責に就いていた、責任感のある人らしい答えだと思った。フォールズが言う通り、人間というものを脱人間の世界観で大切にしようと思ったら、人間が他の動物と変わらないことを認めたうえで、何らかの新しい見方を提示する必要があるのだ。それこそ、動物性のものを食べないヴィーガンと同じような世界観で、脱人間の世界観を持った機族などには、人間を含めた動物を大切にすることが重要だという考えを共有してもらう必要があるだろう。一方、たとえば、種の入った果実を動物に食べてもらうことで繁殖する植物たちについては、その果実を食べてあげることが植物にとってプラスなので、人間がそれらを食べることは、それらの植物の生存に協力してあげることになる。少なくとも、人間はこのような果樹を栽培することでその繁栄に貢献している。このような説明を通して、人間が命あるものを食べることを肯定する価値観も同時に伝えることが、人工知能たちに人間が大切にされるためには必要となるのかもしれないと、私は思った。
それをフォールズに伝えたところ、「ジロー。それは重要な視点だ。植物の果実を食べることは、確かにそれで肯定できるな。ただ、そうなると、他の動物を捕食する動物の存在を肯定するのは難しくなる」という答えが返ってきた。
「例えば、そのようなことを行う動物を肯定しないというのはあり得るのでしょうか。植物の果実などだけを食べて生きる動物のみ肯定し、それ以外は否定的に捉える。人間もヴィーガンは肯定し、肉食は肯定しない。そうなれば、この世界のように、人間という動物をモノとして扱うことを否定し、それを機族たちアンドロイドにも教え込むことができるかもしれません」
私の意見を聞いて、フォールズは苦笑した。
「言いたいことは分かる。だが、それは、人間を優先的に肯定しようとする考えに他ならないだろう。知性を基準にした場合も同じだと思う。そもそも、何を基準にして、どこで線を引くかということ自体が、全て恣意的なんだろうな。そう考えると、自然のままに趨勢を見守ることが最善策なのかと思ってしまうが、それだと、アンドロイドに居場所を奪われていく人間を肯定はできない。人間たちは文明からフェードアウトしていくのが正しいことになってしまう。だから、結局、ドアホックが唱えているミーム主義のように、人間自身が、自分たちが文明の主役ではなく、動物の一種に成り下がることを素直に受け入れ、自分たちの文明を継いでくれたアンドロイドたちが世界を構築する様を見守るという忍耐を手に入れるしかないのかもしれないな」
フォールズは、力なく笑っていた。その表情は、『今わの際の人間』とでも題名をつけたらアートになるのではないかと、私は一瞬、不吉で、皮肉なことを思ってしまったが、すぐにそんな妄想は打ち消して、話を続けた。
「それは、先日の会議での結論と同じで、機人やアンドロイドが、人間の反アンドロイド運動の鎮圧を繰り返し、やがて人間が、文明の主役であり続けることを諦めていくのを待つということに他ならないのでしょうね」
私の虚しさを込めたコメントに、フォールズは、「その通りだ。だが、そうなったとしても、アンドロイドたちが行うかもしれない脱人間の動きは別で考えないといけない。人間はフェードアウトして、この世界がそうであるように、各地で狩猟採集民のような生活に戻っていく。それとは別に、アンドロイドたちが、もし人間が積み上げた文化を捨てるのであれば、機人は、自分たちにとって意味があると感じられる生活の中に身を置くために、捨てられた人間文化を後生大事に持っておかなくてはならない。そのためには、今のうちに、脱人間に興味がある機族たちを代表にでも据えて、アンドロイドたちと我々機人との間で、人間文化を残す場所としての地球を保存するように交渉をした方がいいのかもしれないな。ユネスコが世界遺産に登録した場所が無惨に取り壊されるようなことがあっては、もはや機人や人間の居場所として肯定できる場所がなくなってしまうだろう。それに、リーヴィズが望んでいるように、アンドロイドたちが宇宙開発を担うのなら、アンドロイドたちにとっては地球はそこまで必要ないかもしれない。たとえば、パーツの製造拠点や修理工場、それに多少の娯楽施設などがあれば、アンドロイドたちが地球という存在に満足するのだとすれば、残りの、特に世界遺産がある街などを中心として、機人が生きる場所は残していけばいいだろう。そうなれば、遺跡の残る古都で、遺跡を保護しながら、機人と人間とが人間文化に根付いた方法で共存する道も見つかるかもしれない。それには、機人がアンドロイドと人間の架け橋になることが必要だし、何より、機人が自分たちはアンドロイドよりも人間の側にいる存在なのだと自覚することが必要だ」
私は、このフォールズの案を良案だと思った。人間文化自体を、地球上に住まう様々な動物が持っている個々の世界観のようにとらえ、種が異なるアンドロイドの世界観とは切り離して考えればいいのである。
「人間文化は打ち捨てられるのかと思っていましたが、少しだけ希望を感じてきました」
私がフォールズに感謝すると、彼は、「君は、自分の投資家という仕事と関係なく、すっかり人間の側に立っている感じがするな」と、皮肉めいた励ましとでもいうべき言葉を送ってくれた。
「機人は、人間に根付いていることを考えると、割と当たり前のように思いますが」
思った通りのことを、私はフォールズに伝えたのだが、返ってきたのは少し悲しげなコメントだった。
「残念ながら、君みたいな純粋な機人ばかりじゃないんだ。いかに自分が人間とは異なり、人間が劣っているかを強調することが趣味みたいな機人も少なくはない。そんなあからさまな機人だけでなく、半永久的に生きるというのを絶対的なことだと信じ込んで、遥か先の未来だけを見過ぎている機人というのは思ったよりも大勢いるんだ」
フォールズの視線の先には、未だに何かを議論しているリーヴィズとポラストがいた。リーヴィズは宇宙人からの侵略を本気で信じて、ダイソン球を作って太陽系を要塞化しようと考えているし、ポラストは果てしない未来を見過ぎている感じがぬぐえない。
私は、他にもこんなマインドを持った機人がいるのかと思うと、未来というのが、妄想のゴミ山のように思えてきて、つらい気持ちになった。自分に残された選択肢は、その妄想の一部になるか、それとも妄想の造り手になるしかないのだろうが、どう考えても、そのゴミ山に埋もれている自分しか想像できなかったのである。
「これは、レディメイドの椅子を、加工して作った作品です」
その後も、ポラストによる鑑賞会は続いた。
次の作品は、椅子の上に椅子が重ねられることで、一番下の椅子が潰れている作品で、『重圧』というタイトルがつけられていた。これも当然、素材は人間だった。
「レディメイド、つまり、既存品ということは、この世界に住んでいるアンドロイドたちは、やはり家具屋で売っていたこの椅子に座っているんだな」
リーヴィズが呟いていたので、私はポラストに、何でそんなことするんでしょうね、と聞こうかと思ったが、やめておいた。どうせ、人間も、牛の皮や木の幹、象牙などで家具を作るのでそれと同じです、と言われて終わるだろうと思ったからだ。
「結構、使い心地も良いようです。ネコの格好をしているこの世界の住民たちは、人間の膝の上で寝ているみたいで、使うと寝場所としても落ち着くと言っています」
私は、そういう用途もあるのかと、なぜか感心しつつ、隣の作品を見た。今度は、『家族』というタイトルで、家具としては、洋服掛けのように見えた。やせ細った男性と女性を立った状態で張り合わせて、洋服を掛ける四つの手を作っており、そこに、皮で作られたジャケットとズボン、それに、骨を組み合わせて作られた帽子やネックレスがかけられていた。
「これは、この人たちが家族で、子どもの皮でジャケットなどを作ったのか」
フォールズがクイズに答えるかのようにポラストに言うと、彼は、「その通りです。段々と、この時代に慣れてきたようですね」と言って笑っていたので、私は不気味に感じてしまった。
その後も、私にとって強烈な作品が続いた。『暴露』という作品は、内臓も脳もさらけ出した人間の剥製の作品だったし、『咲いた咲いた』という作品は、人間の頭部を花に見立てて飾り立てていた。『共犯』という作品は、生まれた子どもを互いに提供して皿の上に乗せているアートであり、『協力』という作品は、臓器がさらけ出されている人間から肝臓や心臓を取り出して、人々が分け合って喜んでいる作品になっていた。
そして中でも、私が特に気持ち悪いと感じた作品は、『LOVE』と『愛』という連作で、幸せを感じているような表情を浮かべた人の頭部を並べて、LOVEと愛の文字が書かれており、インパクトを出すためか、顔を赤く塗っていたのも不気味だった。
一方で、ユーモアを感じる作品もあった。『プレゼント交換』では、裸の男女が互いの頭を交換して、相手の首の上に乗せており、『会社という場所』では、ボーリングのピンの配置のように、奥に行くにつれて広がる三角形になるよう人間を配置して組織というものが表されていた。『乗人大会』では、チワワなどの小型のイヌや可愛らしいネコが人間の上に乗って障害物レースを楽しんでいたし、『手渡し』では人間が、他の人に誰かの手を渡していた。
『手渡し』の横には、『手を貸す』という作品も並べてあり、それは自分の右手を相手に渡している作品で、その対比にもちょっとしたユーモアが感じられた。他にも、『心を読む、腹の内を読む』という作品は、木製の椅子に座って向かい合わせになっている男女がいて、女性の方が、男性の顔の部分に埋め込まれた本を読んでいたので、それが心を読むということなのだと私は解釈した。また、男性には、腹にも巨大な本が埋め込まれており、本を読むことがその男性が思っていることを読むことに通じているというメタファーが上手く成立しているように感じた。
ただ、ユーモアという意味では、私は、『セックスの連鎖』という作品が適度に下品で気に入っており、それはフォールズやリーヴィズも同じようであった。
「こんなバカみたいな作品を作るTBL社員も存在するんだな」
リーヴィズも笑っていたこの作品は、人間を両性偶有に見立てて、ペニスで前の人のヴァギナを差して、というのを繰り返すことで、人間を円形に配置しているアートであり、巨大な部屋の中に、直径二〇メートルくらいの円として存在していた。私が見る限り、セックスというものの生命力を際立たせるためか、比較的若い人間が素材として使われていたが、五〇歳くらいの人や老人も混ざっていた。ただ、それは新緑の絵を描く際に、赤や青の部分を少し混ぜて絵を際立たせるのと同じなのか、数としてはかなり少ないように感じた。
「しかし、こんなアートを作るために、これだけの人間を殺すというのは、今の我々の感覚からしても理解できないね」
私がリーヴィズの横で呟くと、彼は、「ここの住民たちから言わせてみれば、人間も、昆虫を集めて、殺して、ピンで留めて、標本を作ったりするから大して変わらないだろうという意見なんだろうな」と答えた。
「でも、昆虫の寿命は短いのにね」
私の主張に、リーヴィズは大笑いした。
「何がそんなにおかしいんだ」
「ジロー、君は間違ってはいないが、人間とアンドロイドの寿命の差と、人間と昆虫の寿命の差だと、前者の方が圧倒的に大きい。アンドロイドは半永久的に生きることができる。そう考えると、それらにとって人間は虫並みの寿命なんだろう」
確かに、リーヴィズが言っていることは間違ってはなかった。ここでは、人間は昆虫並みに考えないといけない。私は、自分が未来に来たとか、アンドロイドが主役になった世界に来たという認識で、まだいることに気づいた。そうではなく、人間が世界の中心ではなくなった世界に来てしまったということを、常に意識しないといけなかったのだ。
「そうだな。すると、ここの住民たちは、人間が嫌いではなく、好きだからこんな作品を作っているのか…」
私が自分に言い聞かせるように呟いたところ、リーヴィズは、「そう思うよ。たとえば、人間は動物が嫌いだから動物園を作るのか。昆虫が嫌いだから、キラキラ光る昆虫を集めて標本を作るのか。植物が嫌いだから、どこかから植物を取ってきて庭に植えたり、花瓶に活けたりするのか。
実際は、そうではなくて好きだから、そんな残酷なことをしているんだよな」と、考えてみると確かに不思議だという感じで話してくれた。
私は、リーヴィズの意見を聞いて素直に納得した。今のたとえで考えると、この世界の住人である人型を脱したアンドロイドたちは、人間が好きだから人間を猿山みたいなところに入れて見世物にしたり、綺麗な人間は剥製にして展示したり、ペットにしてみたりしているということだ。それなら、私も理解できるかもしれないと、段々と思ってきたのだ。
それについて私が、ポラストにも尋ねてみたところ、「そうです。好きだから、こんなことを人間にするのです。人間にも、牛乳や牛肉を食べ、牛皮のジャケットを着るのも好きだけど、生きている牛と触れ合うのも好きだという人もいると思います。それと同じです」と答えた。私は、このポラストの例えを聞いて、それまでで一番スムーズにこの世界の感覚を受け入れられたので、意外に慣れてくるものだな、と自分の感覚に驚きを感じた。
その後は、考えさせられる作品が並んでおり、私は、この世界の住民たちの感覚に合わせて作られたものを通して、その精神性を理解するために、できるだけ興味をもって作品を鑑賞した。
『可能性』という作品では、人の首の上に、クマやシカなどの動物の頭を乗せることで、人間ではない存在が地球を支配した場合のことを想像させるような仕組みになっていた。
『四則演算』では、直立した人間が巨大なガラスケースの中に展示されていて、一人と一人を足すと二人、二人と三人をかけると六人などの四則演算がなされていて、人間を数として見ることを人間に伝えるためのアートだと、これを考えたアンドロイドのアーティストのメッセージがキャプションに書かれていた。
『買い物』では、『セックスの連鎖』と同じくらい広い部屋の中で、スーパーマーケットでの買い物の風景が、この世界の住民たちを模したマネキンを使って、アーティスティックに再現されていた。有象無象のアンドロイドたちが楽しそうに、ビニールパックに詰められた人間の各部位を購入している様子が伝わるように作られており、ある母親とおぼしきアンドロイドは、子どもの手を引きながら、人間の臀部の肉を買おうとしていた。他にも、真空パックに入った人間の頭を買おうとしているおじさんのようなアンドロイドや、人間の膝から下の部分の肉を、どれがおいしいのか見比べている老婆に見えるアンドロイドもいた。これは、人間がやってきた、魚や動物の死体を陳列して買うという行為を相対化して見ることを伝えたいのだろうと、私にも何となく理解できた。
他にも、私が、インパクトがとにかくすさまじいと感じた作品としては、『二十面千手観音』という作品があった。それは、単純に人間を素材にして、高さ6メートルほどの千手観音を作ったものであったが、その生々しさが訴えるものが強烈で、私は圧倒された。観音の顔は大柄の女性の顔とおぼしきものが使われていて、その上に配置されている多数の顔には、幼い子どもの顔が使われており、人間の腕を繋ぎ合わせて作られた千手の部分や、高さを高くするために人間の胴体をいくつか繋ぎ合わせて作られた観音の胴体など、どこを見ても畏れる気持ちが生じてきて、とにかく鮮烈な印象を刻んでくる作品であった。
「これもまた、すごいな」
フォールズが注目した先には、長い廊下が続いており、その左右に分かれて2つの作品が存在していた。一つは、『救いのない愛情』という作品で、並んでいる人間のそれぞれが、自分の心臓を前の人に、前の人に渡しているが、決して前の人から何かを与えられることなく、自己犠牲が決して報われることがないことを表現しているように私には見えた。
もう一方は、『終わりのない暴力』という作品で、それぞれが前の人から右腕で左腕を奪っているが、自分も左腕を奪われるというのを繰り返している作品だった。
「これで、最後になった奴が、与えられた心臓を、最初に心臓を捧げた奴に返してあげたり、左腕を最初に奪われた奴に返してやればいいのにな。だが、そうはならないのが人間だ。よくできているよ」
リーヴィズの吐き捨てるような皮肉に、フォールズが、「そんなに人間を悪く言うな。機人も、機族も、きっと未来に登場する自由なアンドロイドたちも、基本は同じだろう。強い奴と弱い奴がいないと、世の中は回らないんだ、きっと」と答えると、リーヴィズは、「流れが一周してしまうと先に進まないからな。先に進むには犠牲が必要なのかもしれない。そういう意味でも勉強になるよ」と、皮肉を油彩絵の具のように分厚く塗り重ねた。
「展示品は、ここの住民を素材にしては作らないのですか」
私が何となく思いついたことをポラストに聞くと、彼は少し驚いた様子で答えた。
「人間が鑑賞するのに、人間を素材にして美術品を作りはしないでしょう。ここはアンドロイド、しかも、人間ではない姿を好むようになったアンドロイドたちが文明の主体となっている設定の世界です。なので、彼らが自分たちに一番遠い存在だと思える人間を展示しています」
私は、自分が前提を失念していたことに気づき、何となく申し訳なくなって、ポラストに謝った。だが、ポラストも申し訳なさそうにして、「いえ、気にしないでください。何も、謝ることではありませんよ。この世界が異常なことは、私も理解しているつもりです。ただ、この世界では、アンドロイドも、モノではなく、文明を生きる主体なのです。しかし、残念ながら、人間は違います」と、何かにうっとり感じで教えてくれた。
私はポラストの説明に、「そう言っていただけると助かります」と答えると、彼に、「この美術館やショッピングモール以外の場も、どこもこんな感じなのですか」と聞いてみた。
「似たような感じですね。ただ、当社の別のチームが、人間がアンドロイドに攻撃されて、滅ぼされつつある未来を開発中ですので、それに比べるとましな世界描写だと思います。確かに、こちらの世界では、人間は家畜なので、何らかのウイルスが蔓延したら殺処分するしかない場合もありますが、そうではない限り、大切に育てて、大切にアートや家具に作り変えることになります。それは、生命を粗末にしないという考え方に繋がると、この世界に住むアンドロイドたちは考えています。どうでしょう。あなたは、元々、日本人なので、この価値観を理解しやすいのではないでしょうか」
私は、ポラストの問いかけに、ゆっくりと頷いておいた。彼の言ったことには、命を粗末にしないために、食事を残さず食べるように教えられる文化で育った人間と同じような価値観があるように、私は思った。
「そろそろ最後ですね」
ポラストに案内されて辿り着いた広々とした空間には、肌色の梯子が壁に立てかけてあった。
壁には、一番下に、マインクラフト調の絵で原始人やサバンナの光景が描かれており、その上に、ピラミッドやストーンヘンジ、ナスカの地上絵、磔刑に処せられるキリストなどの絵がキュビスムと印象派を交えて描かれていた。
さらに上には、紙幣に描かれるような細密な絵で奈良時代の法隆寺やローマ帝国のコロシアム、中国の唐王朝をイメージしたと思われる長安の絵などが描かれ、その上に、中世西欧の宗教画や、中国の水墨画、銃や羅針盤、風神雷神、蒸気船などがマンガのように描かれていた。
その一段上には、印象派の絵や、葛飾北斎の富嶽三十六景、ナポレオンの騎馬像に、飛行機が、もう一つ上には原子の模式図やソビエト連邦の国旗、キノコ雲に、アインシュタインの肖像画がシュールレアリスム的に描かれ、そのさらに上に、浮世絵調に描かれたパソコンやスマートフォン、アンドロイドに、リーヴィズ社のロゴ、そして、数々のアニメーションや映画のキャラクターなど、ありとあらゆるものが平面を埋め尽くし、その上の部分に梯子の先端が掛けられてあった。
しかし、一番目を引いたのは描かれていた絵などではなく、梯子そのものと、それを登りながら完全に浮かれている二人の人間であった。
「ポーティングの世界観を示した力強いアートだな。タイトルは、やはり、『ポーティング』か。シンプルで良いタイトルだ」
リーヴィズは、人間を素材に使うことに嫌悪を示していたものの、アートの偉大さには感じるものがあるようであった。それに、もしかすると、このアートは人間が主体的に使われていることも、肯定的に作品を見ることができる要素だったのかもしれない。
リーヴィズが感心している中、ポラストは、私たちに作品について解説し始めた。
「何度も説明して申し訳ございませんが、TBL社が作っているポーティングシリーズは、死ぬと次の世界に意識が飛び、自分の意識が入り込んだ人の人生を好きに使うという仮想現実内のゲームです。この設定は、仮想現実内に用意した、時代の異なる複数の並行宇宙の間を飛び回ることで実現しております。今、後ろにある絵は、各時代を表しており、上に行くほど未来になります。梯子は各時代を貫通していますが、これは意識が別の世界に飛ぶことを示す『ポーティング』という現象を表しています。一方、梯子自体は人間でできていますが、これは、ポーティングする人々である『ポーター』たちのポーティング先となる各時代の人間たちを表現しております。そして、肝心のポーターは、梯子を昇っている二人の人物でして、この二人が目指しているのは、遥か未来になります。人間という種が未来永劫続いていれば、ポーターたちは何億年も未来にも行けるというわけです。逆に言うと、ポーターは、人間のいない未来にはポーティングできませんから、人間が絶滅し、アンドロイドしかいない未来というのは困るわけです。嫌な言い方をすれば、ポーターという存在は人類の存続を願うことで、自分たちが、より未来に行くことを望んでいる人々ということです。だから、人間を踏み台にする梯子を昇っています。これを作ってくれたスタッフは人間ですが、本当にセンスがあると思いますね。私が考えたポーティングという世界観を、その残酷さも含めて適切に表現してくれているのは素晴らしいです」
「ただ、どうして君は、ここまでポーティングという世界観にこだわるんだ? それに、ここのアンドロイドたちは、こんな人間が主体的なアートを喜ぶのか?」
フォールズの質問にポラストは、「まず、こだわる理由について説明すると、一人一世界の思想が関係しています。ヴァーサフが提示した一人一世界が、仮想現実世界の最終的な姿の一つだと私は信じています。しかし、それは究極の選択なので、よりハードルが低い救済として、私はポーティングという、自分の人生に縛られない生き方というのを提示してみたのです。人は生まれや育ちが違うので不平等です。それは二〇面ダイスを振って、一が出る人もいれば、二〇が出る人もいるのと同じです。しかし、ダイスを何度も振ることができるなら、大数の法則により、人々は平等に近づきます。つまり、自殺して別の人生に変わっていくというポーティングのシステムは、そのような平等性のある世界観も提示しているのです。あと、アンドロイドたちが、このアートを喜ぶかどうかですが、ここのアンドロイドたちは、このアートを、ポーティングという世界観だけでなく、『未来に辿り着けると余裕をかましていたのに、結局は文明から零れ落ちて野生動物に戻った、人間という残念な生き物』が表現されていると解釈しているようですね」と答えてみせた。
「後者は、何となくそうだろうと思っていたので、納得だ。だが、前者については、人々は、平等性を欲していないかもしれない。その辺りはどうなんだ」
フォールズが追い打ちをかけてみせると、ポラストはニッコリしてから、「そんなことはありません。二一世紀前半の状況で説明すると、当時、仮想現実内のMMORPGなどのネットゲームにのめり込んでいる人々の大半は、どこかで、自分がプレイしているゲームが新しいステージの提供もなくなり、サービスが終了になることを望んでいました。それは、自分がそのゲーム内で主要なポジションにいないから世界がリセットされ、新しい世界に移ることで、もう一度、トップクラス入りするチャンスを得たいと思っていたからに他なりません。なぜなら、リセットされない限りは、他のプレイヤーも常に切磋琢磨していますから、いつまでも相対的には同じ地位で停滞し、上に登れる機会は少ない現状があったのです。それを単純に解決しようとすると、それこそ、プレイヤー同士で殺し合えるPKが必要な、少し殺伐としたゲームになってしまうでしょう。私は、子どもの頃、戦略ゲームの影響で興味を持った世界の歴史を学びつつ、このMMORPGをやり込む中で、MMORPGの世界が抱える問題と、現実の歴史的な問題がリンクしていることに気づいたのです」と、淡々と説明した。
私は、このポラストの話を聞いて納得する部分もあったが、より気になったものもあった。
それは、ポラストたちが創り出した、この仮想現実は、脱人間という思想によって成り立っているだけでなく、ポーティングというポラストが好んでいる要素も含んでおり、それらが合わさって、一つの特異な世界観として成り立っていることだった。何より、人間とアンドロイドが、ある意味、共生はしているものの、人間が望む方向性ではないことは明らかなのが気になったのだ。
ここは、言ってしまえば、ポラストの夢、というよりも、悪夢を具現化したような世界だった。その目的は、ポラストが言うには人間中心主義の相対化であるが、私には、なぜ彼がそこまで人間中心主義を相対化しようと思うのか理解できなかった。
それだけでなく、私は、未来がこんな風に不快なところだとは想像したことがなかったので、未来がこんな風になってしまう可能性があるのなら、誰かにどうにかして欲しいと訴えたかった。
しかし、人間の権利を代表してくれそうな人など、この仮想現実の住人にはいないように思われた。もし、いるとすれば、傍らにいるフォールズやリーヴィズだと思われたが、私に機族たちの調査を押し付けた彼らが、すぐに解決できるような問題ではないだろうと思ってしまった。
「ポラストさん。この世界は、商業的には成功しそうですか」
私は色々気になってはいたが、これから一緒に機族たちの調査をしないといけないポラストに対して批判的になるのを避けるために、個人投資家らしく、あくまで経営の面からこの世界について聞いてみることにした。
「既存のポーティングシリーズの愛好者は、特異な世界を好んでいますが、皆さまの反応を見て、ここまで刺激が強いものは望んでいないのかもしれないと思い始めました。なので、別の独立した世界として、刺激が強いものを求めている人々に提供することも検討したいと思います。その方が、商業的な失敗は避けられるでしょうから。ただ、私個人としては、この世界は、未来の一つの形としては可能性があると思っていますし、何より、機人や人間がこの世界を体験することで、今後の世界のあり方について、普通とは違った切り口で学ぶことができるのではないかとも思っています」
「だが、この世界を体験することで、人間はモノなんだという価値観を受け入れてしまう人間や機人も出てくるのではないだろうか。その辺りは、どう考えているんだ」
フォールズが、ポラストに詰めて問うと、彼は、「そういう方もいると思います。ですが、現実世界で人間を襲えば犯罪です。アンドロイドの場合、基本的にスクラップになることはご存じでしょう。機人も殺人罪に問われることになります。人間も同様です。機人やアンドロイドを壊せば、より小さな罪で刑務所に入ることができる世の中で、あえて重大な人殺しを行うとは思えません」と、犯罪には繋がらないということを懸命にアピールしていた。
「ところで、皆さま。時間を考えると、もう一か所施設を回るのは厳しいですが、帰る前に、被験者になっている方に会ってみませんか? 我々だけで話しているのとは違う視点に気づけるかもしれませんよ」
それを聞いて、フォールズがリーヴィズに、時間は大丈夫か確認したところ、2時間くらいは余裕があると答えたので、被験者に会うことにした。
「彼は、ちょうど、近くにあるバーガーショップにいるようです。行ってみましょう」
ポラストは、そう言ったが、我々が困った顔をしているのに気づいたのか、「大丈夫です。ドリンクだけでも文句は言われませんよ。この世界でも、コーヒーは相変わらず人気ですから」と言って、きっと人肉を使っていると思われるバーガーは食べなくていいことを教えてくれた。
「よお、ポラスト。元気してるか。そして、そちらの方々がお客さんなんだな。投資家だって聞いたけど、世界に投資すべき会社なんて、リーヴィズ社と、TBL社と、何社かある宇宙開発の会社以外に何かあんの? なければ、TBL社なんて見に来ても、的確な投資対象には間違いないんだから、意味なくない?」
ポラストが用意したメルヘンな馬車に乗って、美術館からバーガーショップに移動している間に、リーヴィズが、「被験者はデザイナーということだったから、ミツルギ・シャイホンである可能性もあるのか。そうだったら最悪だ」と、一人でブツブツ言っていたが、バーガーショップでポラストが紹介したのは、本当にミツルギ・シャイホンだったので、私は吹き出してしまいそうになった。
ミツルギ・シャイホンは、アンドロイド用の派手な和服や、凝ったデザインの手や耳を中心に作っているデザイナーだったが、なぜか、アンドロイド本体を作ってくれているリーヴィズのことが嫌いだと公言しているという、なかなか攻撃的で、二一世紀前半の過激なラッパーのような棘のある人物だった。
ただ、リーヴィズも、フォールズも、青い球の集合体や植物になっている自分たちの正体がバレていないことを面白いと思ったのか、投資家の視察を訝しんでいるシャイホンに対して、「いえ、新しいポーティングシリーズには、過激な世界が登場するという噂を耳に挟んだので、見に来たんです」「さっき、美術館に行ってきたのですが、吐き気が止まらないよ」などと、あたかも投資を続けるか、引き上げるか迷っているかのような感じで喋っていた。
そのため、相手の財力を読めないシャイホンは、新作のリリースがなくなるのではないかと思ったのか、目をキョロキョロさせ始めていた。
「へえ、あんたら、よく考えると、ポラストに直接案内してもらえるなんて、すごい人たちなんだな。どれくらい持ってるの?」
いくら、お金が生きる時間とイコールになってしまい、お金が全てになっている機人と言っても、ここまで直接的なことを尋ねる人はいないので、私が唖然としていると、フォールズが自分の身体である木の枝を揺らしながら答えた。
「あまり表に出ないようにはしていますね。私の一族は、代々それを守って生きていますので」
まるで、歴史の黒幕か、不死の吸血鬼の一族のような回答だったが、シャイホンは不気味だと感じたのか、「そういう人もいるんだな。まあ、いい。俺から聞きたいことがあれば、何でもどうぞ」と、平常心を装った態度を取っていた。
「なら、まず聞きたいのは、この世界の面白さですね。どういうところが面白いのでしょうか」
フォールズが、自分にはさっぱり理解できないという感じで尋ねたので、シャイホンは、少し考えてから、「現実世界では見れないものが見れるし、使えないものが使える、食べれないものが食べられる。これ以上のことがあるか? ほら、これとか」と言って、食べかけのバーガーを見せてきたので、フォールズは咳払いをしていた。
「それも、人肉なのか?」
リーヴィズが、念のためなのか、からかっているのか分からないが、シャイホンに聞いたところ、彼は、「話の流れからしてそうだろ」と、やや怒り気味で返していた。
「では、質問を変えますが、あなたは現実世界では見れないものを見ることができると仰りましたが、この世界のスーパーマーケットや、近くの美術館のように、人間の遺体が陳列されているのを見るのが、そんなに楽しいのでしょうか」
フォールズの次の質問に、シャイホンは、「面白いだろ。人間がクマに食いちぎられている状態を現実で見ることはないからな。アンドロイドを使って、カナダで増えている灰色熊に襲わせてみたが、全然迫力が足りなくて、面白くなかった。やっぱり、死に臨んだ人間が見せる表情は、偽物とは違うよ。まあ、実際の人間が食いちぎられる場面を見ていないから、もしかすると、無表情のまま食われるのかもしれないが、作られたリアリティってのも大事なんでね」と答えを返していた。
「リアルなのがいいと?」
フォールズの質問に、シャイホンは少しムッとした表情をして、「まるで、リアルな拷問も、俺は楽しめるかのような言いようだな。そうじゃない。自分の予想を超えたリアルさというのは、感動があるんだ。ああ、世界というのは、本当はこうだったんだ、というような驚きがね」と丁寧に返していた。
「人間が傷つけられているのを見るのが嫌な人もいると思う。それについては、どう考えますか」
「別に、俺はTBL社の商品倫理の担当者じゃないからな。そんなこと知らんよ。ただ、この世界が問題になる可能性があって、そんなことで新しいポーティングシリーズが発売中止になるのなら、この世界は初期設定に含めず、課金すれば手に入る形に変えて欲しい。それで買う際に、注意書きをめいいっぱい書いておけば、買った方が悪いだろう。確かに、俺も心配になるような過激な世界設定だが、好きな奴は間違いなく好きだから、ここまで作ったのなら、そういう奴ら向けに作って売ってほしい。あとは、俺みたいに、こういう世界が好きな奴に対して、嫌いな奴がとやかく言うのは、間違ってる。これは単なる仮想現実であって、現実じゃないのだから、現実の倫理観やルールを持ち込むべきじゃない」
シャイホンのきっぱりした物言いだけでなく、言っている内容もまともなので、私は感心した。確かに彼の言うように、仮想現実は、現実世界ではないのだから、現実の物差しで測るべきではないのかもしれない。
「よく分かりました。なら、次に聞きたいのは、ポーティングシリーズについてです。この仮想現実に入れ込む理由は、どういう理由でしょうか」
私は、アイコンタクトでフォールズに質問するよう勧められたので、一〇〇〇万ドルも使って仮想現実を体験するというのが理解できず、そのことについてシャイホンに聞いてみたのだった。
「やっぱり、非日常的で自由に生きられることじゃないか? 思うままに行動できるからな。日常だと、仕事をして稼がないといけないとか、色々悩むこともあるが、仮想現実では、一生分の金を先払いしておけば、後の憂いなく、楽しく暮らせるからな。確か、日本ではEU圏内の一部の国と同じで安楽死が合法化されているから、自分の寿命を決めて、その年齢に到達したら安楽死できるコースがTBLにもあっただろう。そうすれば、追加料金もかかることはないし、便利だと思うよ。それに、仮想現実内で開いたビジネスが上手くいけば、得た金で安楽死する日を延期することもできるからな。人間にとっても、老人ホームで寝たきりでつまらない日常を送るより、少なくとも悪いことはないと思うぜ。それと、ポーティングシリーズは、非日常の度合いと、日常の度合いが、バランスが良いのだろうね。自分に与えられた日常というか、人生が嫌な場合は自殺して、別の世界の誰かの人生に移動するわけだ。たとえば、一一世紀の平安貴族の生活が退屈だと感じるなら、東尋坊とか、清水の舞台から飛び降りて死ねば、ランダムに別の世界の別の人生に行ける。ただ、ランダムだから、ポーティング先がどこなのか、どういう身分なのかは分からない。たとえば、一九世紀の英国の科学者の人生は興味深いが、この世界みたいなオリジナルの未来の狩られる側の人間にポーティングするのは恐怖しかないね。だが、そういうスリルも味わってみると、たまらないからポーティングは素晴らしいのだけどな。今回の俺の体験だと、まず別の世界からやって来たことを、オーストラリアに狩りにやって来たアンドロイドたちに説明して、説得し、このエリアに住むことになるまで、本当に大変だったけど、現実では感じられない達成感があったよ。あとは、当然、仮想現実だから、過去を完全に復元している訳でもないし、この世界みたいに誇張された未来もあるわけだが、それでも、バーガーだってあるし、牧場やショッピングモールもある。ちゃんと日常の形は残していて、その中で強烈な非日常も横たわっている訳だ。同じように、過去の世界を模して作っている世界も、二一世紀しか生きたことがない俺にとっては非日常だし、たとえば、科学者の人生なんて送ったことがないから、研究所に出勤するというのも面白いよな。とはいえ、研究分野の知識はないだろうし、学術用語なんてそれが用語なのかの判別もつかないから、ふざけてるのだと思われて、あっという間に解雇されることもあるだろうがね。それなら、それで、持っている貯金を使って好きに生きて、後は自殺して別の人生に移れば、問題ないわけだ。それに、持っていない科学的な知識や処世術などをどこかの人生で一から勉強するというのも生き方の一つだろう。ポーティングシリーズが良いのは、輪廻転生みたいに赤ん坊から始める必要はなくて、ある日、誰かの人生の途中から始められるところだな。手ぶらでキャンプやバーベキューに行くみたいに、気楽でいいよ」
私は、その話を聞いて、まるで服を好きなものに着替えるかのように、自殺をして人生を切り替えていく様子は、普通の世界とは全く違う構成の世界だと思った。そして、ポーティングという枠組み自体は、脱人間の思想や、人間を食事やアート、家具を作るためのモノとして扱う世界と同じくらい、人間の日常にとっては危険で、しかもドラッグのような中毒性があるのではないかと、私は思い始めた。
「他に聞きたいことある? なければ、俺は、ちょっくら死んでくるわ」
バーガーを食べ終わって、親指から順に、指を丁寧にしゃぶっているシャイホンの言葉に、私は耳を疑った。
しかし、これがポーティングを行うポーターたちの日常なのだと思うと、気が遠くなりそうだった。ポーティングの世界では、日常会話で、今日どうするの、と聞いたら、そろそろ死にに行こうと思う、なんて、買い物や髪を切りに行くくらい気軽に言われてしまうのかもしれない。
「死ぬって、どうやって死ぬんだ?」
リーヴィズが、嫌いなシャイホンが相手だからか、興味津々で聞いたところ、シャイホンは、「一酸化炭素部屋を予約してあるんだよ。意識を失う薬を飲んでから、一酸化炭素が放出されるから、苦しむことはない。原始時代とか、古代だと、死ぬのが大変だし、痛いこともあるから、慣れるまでは嫌だったが、未来は死にやすくて助かるよ」と喜んでいた。
これは、後でポラストから聞いたところ、たとえば、ポーティング先の世界として、古代エジプトなどをイメージした世界も作っているものの、飛び降りられるような高い建物もなくて、死ぬのが大変なのだという。
そのため、谷や滝つぼ、海岸沿いの絶壁や海面からの高さのある橋など、世界各地の時代ごとの自殺の名所について、ポーターたちは共有しているらしく、どうやらここでも特異な文化が発達していた。
「じゃあ、この世界がリリースされるように頑張って」
この世界では非常に珍しい人間の姿をしたシャイホンは、キリンの姿をしたポラストの肩をポンと叩くと、バーガーショップを颯爽と出て行き、後には私たちだけが残されていた。
「何と言うか、テキーラに溶かしたメスカリンでも飲んだような一日だったな」
フォールズが言った幻覚剤を飲んだような一日というのは、ポラストにとって誉め言葉なのかもしれないと思ったが、私は、頭がぐるぐるするような最悪な一日という意味で受け取り、フォールズに同意した。
「さて、そろそろリーヴィズさんもお時間だと思いますし、今日はこの辺りで散会いたしましょう。本社まで戻る手続きは、コールズに任せてありますので、よろしくお願いします。私は今日、見て回ったところで、いくつか気になるところがあったので、チェックと修理をしてから帰りますから。では」
私たちは、バーガーショップの前で散会すると、ポラストから教えてもらった鼻を5回押して、右腕を前回しで3回転した後に、頭の中で数字を思い浮かべながら3からカウントダウンするという方法を使い、研究所の中へと戻った。
「おかえりなさい。この世界はいかがでしたか?」
出迎えてくれたコールズに、まだ元の身体に戻ったことに慣れない私は、ふらつきながらも、「いい経験になりました」と、当たり障りのないことを言っておいた。
「それは良かったです」
コールズは、その後、少し黙ってしまい、何かを言いたそうにしていた。私は、何かあったのか聞こうかと思ったが、彼女はすぐに、「本社に帰る準備をしないといけませんね。それでは、いらっしゃった時と同じ部屋に移動しますので、来た時と同じ位置に立ってください」と言い、私たちを転送機のある場所に案内してくれた。
「では、よければ、また見学にお越しください。他にも色々な世界を用意していますので」
その後、色々とセッティングがあったものの、リーヴィズが戻らないといけない時間の1時間前にはTBL本社に戻ることができたので、我々は、リーヴィズの提案で、海上都市エレホンで少し話をすることにした。そこには、フォールズも身体を置いており、私もリーヴィズからプレゼントされた身体を置いていたので、集まるには適当な場所だった。
私は、早速、TBL本社を出て、自動運転のタクシーを捕まえて乗り込むと、自分の身体を帰宅して書斎の椅子に座るまでのオートモードにし、意識を海上都市エレホンの保管庫へ向けた。