第06話 心の準備
英国での会議から三日後の午前9時。私は、前に何をしに来たのか思い出せないくらい久しぶりに秋葉原を訪れていた。
TBLの代表で、既に人間として天寿を全うして、この世を去ったヴァーサフが秋葉原を好んだのは、彼が二〇〇〇年代生まれのオタクだからである。
二〇二〇年代には、ゲームやアニメ文化の中心地は中国に移っていたのに、ヴァーサフは事業が軌道に乗り始めた二〇五三年に、秋葉原駅前の家電量販店が入っていたビルの跡地を買い取り、巨大ロボットと、その他様々なキャラクターたちが組み合っている形をした、謎の高層ビルを建ててしまったのだった。
文化を再生するには、ランドマークが必要だ。
ヴァーサフは、TBLの社員に向けてそんな言葉を残したようだが、私には、ランドマークというより、日本のサブカル文化の墓場のように見えた。
しかし、その建築物と秋葉原一帯は、まるで京都のように、九〇年ほど前の古き良き文化を知るための場所として保存されることとなり、ヴァーサフの目的は一応達成されたようであった。
無人タクシーを降りた私は、そのヴァーサフお手製の文化の墓標を目指して歩き始めたのだが、身体が軋んで、耳から滑り落ちてしまうような眼鏡を掛け続けているような気持ち悪さを感じていた。私は東京にはメインの身体以外は置いていないため、わざわざメンテナンスが行き届いているとは言い難いメインの身体で、自宅から物理的に移動する羽目に陥っていたのだ。
しかし、今更、修理を受けに行くわけにもいかず、先日、無駄に近所を散策したことを後悔しながら、観光名所と化しているTBL本社ビルへと向かった。
「ようこそ、TBL社へ」
世界中のアニメやゲームのキャラクターたちが展示されている以外には、何もないエントランスで私に話しかけてきたのは、警棒を持ち、群青色と黄色で塗装された警備用のロボットだった。しかし、その声は、ポラストそのもので、彼がこのロボットを通して話しかけてきているようであった。
「よろしくお願いいたします、ポラストさん。残りの二人も既に来ていますか」
「いや、まだお越しになってはいませんね。お二人は、この建物の地下の保管庫にある身体に直接、意識転送して来るはずなので、時間ギリギリになると思います」
私は、TBL本社の地下に身体の保管庫があるのを知らなかったので、少し驚いてしまった。それに気づいたのか、ポラストが説明してくれたところによると、最近、反アンドロイド運動を行っている人間による保管庫監視の問題が出てきていることから、彼らが監視できない保管庫として、東京ではTBL社の地下を提供することになったのだという。
「名だたる方々の身体を保管するのは、リスクが伴いますが、残念なことにリターンは少ないです。よろしければ、ジローさんの身体もお預かりしますよ。意外にリーズナブルなので、驚いていただけると思いますし」
ポラストは、苦笑いしているようであったが、TBL社がそのような仕事を抱えないといけないのは、高名な機人同士の付き合いがあるので仕方ないことなのだろうと想像された。
「もうすぐ、お二人も来られると思うので、先に転送機のところにご案内いたします」
警備ロボットの案内に従い、私は、エレベーターに乗ると、研究所への転送機があるという地下に向かった。
「こちらが転送機になります。私、もしくは、権限が与えられている担当役員と主任研究員以外は、転送を行うことができません。さらに、照会をかけるので、身体および意識が入っているサーバーがアンドロイド協会のデータベースに登録されていないと、転送できないように設定がなされています」
転送機は、ごく普通の保管庫にあるアンドロイドの身体を固定して保管するための、縦に置いた棺のような形状の機械と特に変わりなく、何か珍しいと感じるようなものではなかった。
「普通に訪れる際も、厳重にチェックをされているのですか」
「物理的に直接、研究所に訪問する場合、ということですよね。研究所には、基本的に入口はございません。ただ、研究に用いる機械などの物品搬入はあるため、地下に何重にもロックされた物品搬送用の巨大なゲートはあります。あと、人間の研究者もいるため、一応、搬入ロ以外に人間用の入口を用意していますが、そこは生体認証を何重にもかけているので、登録されている人間の研究員以外は出入りできないようになっています」
「そうすると、この転送機から研究所に入った私たちも、簡単には出られない?」
「仰る通りです。アンドロイド協会のロックシステムを使い、アクセスを許可された意識は、その後の意識転送が制限されます。具体的には、研究所内にある転送機を使って、このTBL本社に戻るように手続きをしない限り、別の場所に意識転送できないようになっているのです。少々強引かもしれませんが、新製品などの機密情報を扱っているため、やむを得ない措置だと思っています」
私は、閉じ込められる可能性がある場所に向かうのは気が進まなかったが、元米国大統領と、現役のリーヴィズ社の会長がいれば、閉じ込められても誰かが気づくだろうと思い、気を落ち着かせることにした。
しばらくすると、フォールズとリーヴィズが現れた。二人とも、先日の会議の時と同じフォーマルな身体で、まるで晩餐会に出席するような恰好をして部屋に入ってくると、「早速、行こうか」と、転送機のことは気にすることもなく、準備に取り掛かっていた。
「以前にも、研究所に行ったことが?」
私が尋ねると、リーヴィズが、二人とも似たようなアクセス方法をリーヴィズ社の研究所で使ったことがあると教えてくれた。
「午後5時までに会社に戻ることにしてある。それを少しでも過ぎたら、リーヴィズ社の警護ロボットが直接、研究所に、俺を探しに来ることになっているから、時間厳守で頼むよ」
リーヴィズが笑顔でポラストに伝えると、彼は、「私の予定としては大丈夫ですが、お見せする世界をどう感じられるかで、必要な時間は変わってくるかもしれません」と、少し申し訳なさそうな口調で答えていた。
私は、部屋まで案内してくれた警備ロボットに誘導されて、転送機の中に入ると、セッティングも全てロボットが行ってくれ、後は研究所に転送されるのを待つだけとなった。
「向こうに着いたら、主任研究員のメリッサ・コールズがいます。彼女の案内に従って、今回見学いただく仮想現実に接続できる場所まで向かってください」
ポラストの説明が終わると、転送機の扉が閉じ、ロックがかかったので、外からは無防備な身体をいじることはできない状態となった。そして、自身に接続されたシステムから転送の可否を問うメッセージが発されたので、特に迷うことなく、可を選ぶと、私の意識は眠りに落ちたように収束していき、一瞬で、水色とピンク色で塗り分けられた壁が見える奇妙な場所へと、意識が移動したのだった。
「ようこそ、TBL社の可能性研究所へ。私が、主任研究員のメリッサ・コールズです」
見学用に用意されていたアンドロイドの身体に対する、自身のシンクロ度が9割を超えたあたりで、コールズと名乗る女性が私たちに話しかけてきた。彼女は、驚いたことに人間だった。人間にしては整えられた肌をしていたが、アンドロイドの染み一つない肌と比べると、人間らしい見た目をしていると言わざるを得なかった。
「機人の皆様が登場して以降、人間の研究職は珍しくなってきているかもしれませんが、この研究所に在籍している研究者の半数が人間です。物語に関するアイディアの部分では、まだまだ人間はアンドロイドに負けていないですし、仮想現実の中に建物やキャラクターを実際に作るプロセスは人工知能の補助があるので、差が生まれにくくなっています。残念ながら、今後は、どうなるか分かりませんが」
コールズの話は、まるで、アンドロイド産業の中心に鎮座するリーヴィズに訴えかけるようなものがあったが、リーヴィズは意に介すことなく、「ポラストがいないようだが」と、話題をずらすようなことを聞いていた。
「ポラストさんは、先に目的の仮想現実に入られています。向こうで調整をされているようです」
「入る前には説明があるだろうと思って聞いていなかったが、今回入る仮想現実は、具体的には、どのような世界なんだ? そんなに、調整が必要な世界なのかね」
ポラストがいないことに多少の不信感を感じたのか、フォールズが少し厳しい口調でコールズに尋ねたところ、彼女は、「大変申し訳ございません。ポラストさんから説明があったものだと思っていました。これから体験していただく世界は、今から約八〇年後の西暦二一八〇年の世界を想定したものになっておりまして、人間が、現在でいう家畜動物と同じ扱いになった世界を想定して作っています」と、慌てて説明した。
「なぜ、そのような世界設定を作ったんだ?」
フォールズが、自分には理解できないという感じで尋ねたところ、コールズからは、「新しいポーティングシリーズが、ユーザーに衝撃を与えることを重視しているからです。自殺することで、ある世界から、別の世界へ意識が移動することを我々は、ポーティングすると呼び、ポーティングするユーザーたちのことをポーターと呼んでいますが、ポーティングして色々な世界を楽しんでいるユーザーたちが楽しめる世界だけでなく、ショックを受けたり、困難に直面したりする世界も用意することで、様々なニーズに応えるとともに、飽きないようにしました。たとえば、ポーターのことを、自分たちの世界を歪める外敵と捉えて、逮捕する世界なども作っています。人生が自殺を通してゲームのように移り変わるという世界観で、移動してくるユーザーたちをどのような文化で迎え入れるのかという視点も新たに取り入れているのです。ポラストさんは、このポーティングという設定を使って、新しい世界観、というより、新しい世界の枠組みを打ち出したいと考えているのかもしれません」と、自分たちのスタンスの説明があった。
「世界を自由に飛び回るのは魅力的なのかもしれないが、人間が家畜として扱われている世界に人気が出るとは思えないが」
フォールズは、自身の価値観との相違に悩んでいるようであったが、コールズは、「今までにないものを作ろうとすると、どうしても過激になりがちです。それでも今回は、ユーザーの反応が不安だという研究者の声も多かったので、プロト版を体験する、全くTBL社とは関係のない被験者を二〇名ほど募って、今も実際に体験してもらっています。今までの秘密主義から考えると、あり得ない対応ですが、基本的に被験者たちの評価は良いので、募集してよかったと思っています」と言って、好む人たちもいることを伝えようとしていた。
「それが、噂になっていた話なのか。普通、ボランティアか、時給ベースで被験者を募ることが多いのに、TBL社で、被験者になるために一〇〇〇万ドルも払わないといけないという無茶苦茶な企画があると聞いた覚えがある」
リーヴィズが納得したように話をすると、コールズは嬉しそうな調子で、「それです。そして、ちょうどその被験者のうち、1人がこれから入っていただく世界を体験しているところだったことに先ほど気づき、ポラストさんは見学が来ることを事前に知らせに行きました。被験者とはいえ、それだけ多額の寄付をいただいているので、お客さんとして扱わざるをえませんから」と言っていた。
その後、私たちは、コールズに連れられて、仮想現実の世界へと入っていった。仮想現実に入るための機械であるTBLは、黒いメタリックな素材でできており、流線型で、長めの鳥のくちばしのような形で、大人が横たわれるほどの大きさがあった。
「人間であれば、ここに入ると、仮想現実を見るためのゴーグルを着け、触覚を体験するための薄いスーツを着ますが、皆様はプラグで直接、入っていただく形になります」
それは一般的なTBLの使用方法と同じだったが、古典的なプラグを使って通信しないといけないのは、懐かしい感じがした。コールズが言うには、ハッキングを完全に防ぐために、ポーティングシリーズの新作を動かしているサーバーは研究所に併設されている巨大なデータセンターで運用されており、新作の世界と繋がっているネットワークは、今回用意された来客用のプラグと、別の離れた部屋に用意されている被験者用や工事用のプラグしかなく、無線は一切使用していないという徹底ぶりだった。
「それだけ、許可していない人には見て欲しくない空間というわけか」
リーヴィズがぼやいていたが、コールズはそれには反応せず、「さあ、皆様、プラグへの接続を各自お願いいたします。ポラストさんのところに向かいましょう」と言った。
私は、この後、仮想現実世界の中で嫌なものを目にするたび、コールズが、「ポラストさんのところに」という、世界そのものを表現しない言い回しを用いたことを思い出した。
ただ、別に私は、彼女を批判したい訳ではなく、彼女にとってもこの世界は筆舌しがたいものなのだという共感の意味を込めて思い出したのだと思う。機人になったとはいえ、まだ人間の心を捨てていないと思っている私には、彼女の気持ちは理解できるものだった。
それは、逆に言えば、この世界を作ったポラストのことが、それだけ理解できなくなってしまったことも意味していた。