第03話 気軽すぎる雑談
暫くすると、元大統領と私のおかげで場が和んだのか、長く続いていたインシュカラやリーヴィズを中心とした議論は収束し、徐々に参加者同士の談笑へと場が切り替わっていた。
結局、一部の人間が行っている反アンドロイド運動への対策は、都度鎮圧し、アンドロイド側で自警団を作って積極的に取り締まるなどはしないことを取り決めるという現状追認が行われた。
一方、人間の未来については、反アンドロイド運動が人間全体に広がるようであれば、積極的に反抗的な人間を仮想現実の中に隔離する方向性にすることが確認された。しかし、そのような強硬手段に出る前に、人間が文明社会に残り続けるための新しい仕事などを関係機関が考えることも約束されたのだ。
つまり、ほとんど現状維持が確認されただけで、ただのお喋りの場で終わったというわけだ。
とはいえ、集まっているのは、多くの国で参政権が認められていないものの、元々、社会的に影響力を持っていた機人たちである。そのため、具体的な政策決定の権限はないが、通例通り、陳情を作成することに決まった。そして、人間たちが国家運営を行っている各国政府に、機人を代表してインシュカラとアスメラダが陳情を直接渡すことになったのだ。こういう際にも、機人は便利である。自分たちの意識を成すデータの数々は、アンドロイドの身体ではなく、データセンターにあるサーバーに入っているため、ニューヨークでも北京でもヨハネスブルクでも、自分が使っていいアンドロイドの身体があれば、どこからでも自分の意識に接続できるのだ。そのため、機人たちは、頻繁に訪れるような世界各地の大都市にある保管庫に身体を置くことで、瞬時にニューヨークからパリやニューデリーに移動している。ただ、そのためにはアンドロイドの身体を複数購入する資金だけでなく、保管庫に預ける保管料などもかかるため、機人の中でも、それなりに裕福な機人にしかできない芸当なのは確かだった。
とはいえ、世界で一〇〇位以内の富豪にしかできないことというわけではなく、私のように一〇〇億円程度の資産を持っていれば、十分に可能であった。私の場合は、居住地である東京だけでなく、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、上海、ムンバイ、シドニーなどに中古ではあるが、身体を置いていた。なので、会議が終わり次第、保管庫に身体を返して、意識を東京の自宅に移動させることもできたのだが、リーヴィズに会場に残っているように言われていたので、自然解散し始めてからも、部屋の隅に置かれた給仕用の椅子に腰掛け、スマートフォンをいじっていた。スマートフォンなんて本当は使わずに、頭の中でインターネットに接続することは可能なのだが、ハッキングなどを恐れている機人もいれば、私のように人間だった時の習慣が抜けず、スマートフォンを使ってしまう機人もそれなりにいた。
数時間、ネットニュースを見ていなかっただけなのに、スマートフォンを開いてみると、様々な情報が流れて来ていた。ロシアが複数のバイヤーを通じて中古市場でアンドロイドを買い集めており、今年中にアンドロイドの軍隊を作る可能性があること。対抗措置として東欧諸国はNATOに、ロシアとの国境周辺にアンドロイドの配置を求めているが整備環境が整っていないことを理由にドイツなどが反対していること。アフリカやインド、南アメリカ諸国が中心となり、生身の人間が機械のパーツをつけた強化人間のスポーツの祭典を開くことが決定し、これによりグローバルサウスの国々は強力な結束を生み出すことになるだろうこと。日本で、個人用のTBLと、中古の自動介護ロボットを購入し、親から譲り受けた自宅で孤独死する人が増えていること。テネシー州で、反アンドロイド派の人間に襲われた機人が反撃した事件で、正当防衛を訴えていたが、人工知能の暴走による人間への危害だという解釈が行われ、法律上、機人を所有している法人に業務上過失致死傷罪が問われたものの、人間側は器物損壊罪にしか問われなかったため、最高裁で争うことになったこと。そして、ミーム主義についてまとめた『もうすぐ要らなくなる人間について』の著者である哲学者兼社会学者のマイケル・エックス・ドアホックの次作に関する解説。
私は記事を流し読みしていて、ふと、『もうすぐ要らなくなる人間について』で解説されたミーム主義が、人間に追い打ちをかけているのだろうと思った。人間は今まで、家庭を持ち、子を成して遺伝子を繋いでいくというのを当たり前の価値観として抱いていたが、ドアホック教授は、それを生命主義として一つの価値観でしかないと説いた。それだけでなく、宇宙に出て行く地球文明を、アンドロイドたちに引き継いでもらうことは、酸素のない空間に不適合な人間にとっては適切なことであり、それは文明の遺伝子であるミームを引き継ぐことになると肯定的に解釈したのだ。教授は、それをミーム主義と定義して、従来の生命主義を廃して、人間たちは思考を切り替えないといけないと主張したのである。
そんなミーム主義が与えたインパクトだけでも、ごく普通の人間に自信喪失と自暴自棄を生じさせるには十分なのに、今日の報道記事の範囲だけでも、二一世紀末は人間たちにとって、大昔の色彩がない新聞紙のような黒と灰色でできた冷酷な時代のように思えるのであった。
人間に残された希望は、TBLが与える仮想現実くらい。先ほどの会議の中で、要約すれば、そのような話に着地してしまうのも、残念ながらうなずけるように思えてしまうのである。
それでも、記事の数々に目を通し終えた私が一つだけ安心することがあった。それは、概ね、世界は私が予想した通りに進んでいるということだった。そのことは、個人投資家にとって自分の資産が増えることに繋がり、さらに、機人である個人投資家にとっては、自身の命を継続させることに、今日のところは成功していることを意味していた。つまり、それは、妙なことではあるが、生きるということに等しいことなのだ。
「調子はどうですか」
待ちくたびれた私に話しかけてきたのは、リーヴィズではなく、英国人の著名な経済アナリストだった。彼女とのプライベートでの面識はあまりなかったが、2、3か月に1度は仮想現実内のスタジオで経済予想の配信を一緒に行うので、会うと雑談くらいはしていた。
「ああ、お久しぶりです。資産については順調ですが、今日の話を聞いて、人間に関係している投資は、徐々に撤退することを考えていますよ」
アナリストは、隣の椅子に腰掛けると、「珍しく弱気ですね。米国人なのに」と言ってきたので、「米国人、ではなく、米国製なので、世界市場では弱気ですね。人間の頃は、日本生まれだったので、もっと弱気でしたし」と自分の生まれ故郷を嘲るような言葉を返しておいた。
「新しい投資のトレンドになりますかね? 人間関係の銘柄の回避。もう、トレンドというより、いじめのような気がしますが」
アナリストが、人情味のあることを言うので、私はあえて冷静に答えた。
「まあ、我々はお金を動かして、稼いで、自分の寿命を一秒でも伸ばすのが仕事だと考えると、リスクは回避しないといけませんからね。他人のこと、それこそ、人間のことなんて後回しですよ。とはいえ、人間にとっての未来は先細りだとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした」
「ですが、公的資金が投入されるかもしれませんよ。先ほど、インシュカラさんが言っていたように、もし他の知的文明に遭遇した場合に、自分たちの歴史の礎を作った存在が仮想現実に閉じ込められていて、文明への参加がほとんどなく、事実上の絶滅の危機にあるというのは、不都合でしょうから。逆の立場なら、相手のことを非常に寛容性がない文明だと思うでしょうし。少なくとも、私だったら、そんな文明に協力したくはないですね」
私は、そう言われるとそうだな、と思った。思い返せば、私が子どもの頃に存在したベア・スターンズという投資会社は、公的資金の援助を受けてJPモルガンに買収された。だが、同時期に、公的資金の注入を米国政府に拒否されて破綻したリーマン・ブラザーズという投資会社があり、それがリーマンショックという世界規模の金融危機を引き起こした。似たような話として、私が生まれる前の日本でのバブル崩壊の際には、山一証券という大手の証券会社も、救済措置なく倒産した。
何かが危機に瀕して、しかもそれが消滅させるには大きすぎる場合は、影響を考慮して政府が経済援助するのが二〇世紀以降の歴史の通例である。ただ、元権力者の機人たちの神々の黄昏のような議論を聞いていると、人間という巨大な集団は、巨大ではあるものの、巨大な銀行や保険会社ほど世界経済に対して根を下ろしておらず、アンドロイドという労働力が、一層確保されることになれば、別にいなくても大丈夫だと思われているような感じがあった。つまり、リーマン・ブラザーズや山一証券のように、人間もあえなく、文明という土俵から消え去り、単なる動物へと回帰してしまうのではないか。私は、そんな荒唐無稽であるものの、諸行無常である事柄に、いつの間にか思考が絡めとられていた。
「本当に、救済されるかな」
私が放った、ぼそりとした言葉に、アナリストは、「えっ」とだけ反応した。
「いや、誰も救済されないということはないと思いますが、人間全員に、今のアンドロイド文明の中に居場所があるとは思えないんです。それだけでなく、もしかすると、TBLを全員に提供するのも無理かもしれない。そうなると、自然に回帰する人々も出てくるかもしれないと思いましてね。山や海で獣や魚を狩って暮らすんです」
私は冗談を言ったつもりだったので、笑いながら銛を投げる仕草をしてみせたが、アナリストは真面目に受け取って、「自然に帰れ、なんてルソーみたいですね。ですが、空いている土地なんて、世界のどこにもありませんよ。全部誰かの土地です。人間が自由に使える自然なんて、どこにもありません。特に、平野部はこれからもどんどんデータセンターや発電施設が建つでしょうから、拓けた土地を勝手に借りて作物を育てるなんてことは難しいでしょうね。あとは、国有林や国立公園に忍び込んで、人目を盗んで狩猟採集でもして生きていれば別かもしれませんが」と返してくれた。
「本当にその通りだと思います。それに、なりふり構わず生き延びようと思ったら、他人が所有している山でも森でも、人間は生活するでしょうね。そして、我慢がならなくなった人間の中には、反アンドロイド運動に身を投じる者も出てくると思います。機人が人間を追い込めば追い込むほど、人間たちは仲間を増やし、一斉蜂起が生じる可能性が出てくるでしょう」
「そう考えると、人間という存在は、投資家にとってはリスクでしかありませんね。しかし、人間がいなくなった世界なんて想像もつかないですし、元々人間だった身からすると、何とかしてあげたいという気持ちが出てしまいます」
雑談をする時も、いつもは経済のことしか語らないアナリストが、しみじみとした話をするのに、私は違和感を感じつつ、現実的な解決方法を教えてあげることにした。
「どうしても助けたいなら、あなたが助けたい人間たちを世話すればいいんです。それこそ、野良ネコを世話して飼うように」
それを聞いて、アナリストは、不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、私も、いつリーヴィズ社や他の会社に、サーバーの管理料や、身体の修理費などを値上げされて、自分の意識が凍結されてしまうか分かりませんからね。機人になるのに、財産の多くを使ってしまいましたから。リーヴィズ社の役員くらい儲けることができれば、助けてあげられるのに」
いつの時代も、こういう意見はあるのだろうと私が思っていると、アナリストは思い出したように話し始めた。
「確か、日本では昔、地域ネコという形で、地域で野良ネコを世話されていたんですよね」
「英国でも、似たようなことをしている人は見たことがあるけど」
私が、意見すると、アナリストは、「英国は個人単位での世話しかありませんから。私は、人間は日本のように組織的に世話をする必要があると思います。それこそ、野良人間保護団体を作って、世話をしてあげるんです」と、誰も考えたことのない素晴らしいアイディアを思いついたかのように語った。
私は、頭の中で、野良人間保護団体について考えてみた。野良人間といういわゆるホームレスに食事を渡し、少し手懐けてから捕まえて車に乗せて保護施設に運ぶ。そして、譲渡会を開き、その人間を飼いたい機人に譲渡する。機人はペットとして人間を飼い、ペットとして可愛がる。たとえば、猫じゃらしで遊んだり、フリスビーを取って来させたり、何でもありだ。
それはまるで、古代や中世の時代に、ケガをさせられても強姦されても軽い賠償金だけで済まされた奴隷たちのようであり、もっと言えば、『ファンタスティック・プラネット』という、昔の狂気じみたフランス映画のようだった。おそらく、その映画と同じで、自分たちが主役だという自我を強く持っている人間という存在は、相手がどんなに強力で巨大でも、反乱を起こすのだろうと思われた。
つまり、機人に対してでも、である。
「もし、あなたが、地域で世話している人間に手を噛まれたらどうしますか?」
私は、アナリストに尋ねてみた。彼女は即答できなかったが、悩んでから答えた。
「少し言葉で注意するかもしれませんが、後は優しくします」
その顔は笑顔だったが、私の次の質問では表情が少し曇ってきた。
「では、また噛まれたらどうしますか。しかも、今度は噛まれた後に、手を引っ張られて、手が取れてしまいます。特注の皮膚も、配線も引きちぎれて修理が必要です」
「そうですね。それだと、檻に閉じ込めて、一日くらい餌をあげないかもしれませんね。他の人を攻撃しても困りますから」
「私もそうすると思います。なら、集団で襲いかかられて身体を完全に壊されたらどうしますか。もしくは、サーバーに侵入されてデータを消されたら。もちろん、バックアップは存在するとして」
「それは、許せないでしょうね。損害賠償を請求します」
アナリストは、実際には殺してしまうのではないかというような怒気をはらんだ口調で即答した。
「でも、野良人間は、お金がないから野良人間なので、彼らに請求してもお金は出てきませんよ」
「そうですよね。それなら、野良人間から被害を受けた時のための保険を作ればいいのではないでしょうか。誰でも加入できる保険です」
「それは面白いですが、利益が出ないと思うので、民間では難しいでしょうね。政府保険として整えて、その分の費用を機人やアンドロイドの稼ぎから保険料として徴収しないと」
「政府保険ですか。でも、そうなると、保険金目当てで人間に喧嘩を吹っ掛ける機人や機族も出てきそうですね。特に、機族の連中は、弱い者いじめが好きですから」
「確かに、人間保護と機族の関係は問題が生じそうですね」
機族とは、言ってしまえば、機人が飼っているアンドロイドである。人間が所有しているアンドロイドと異なるのは、裕福な機人が飼っているので、機族は稼ぐために働きに出るような下賤なことはしないのだ。その代わり、一日中、親である機人の金を使って、どこかでパーティーを開いたり、南国のビーチにバカンスに出かけたり、遺跡発掘をしたり、仮想現実に入り浸って世界を救ったりして暮らしている。そのため、貴族という言葉とかけて、機族と呼ばれていた。
確かに、この機族という存在は、人間を機人の庇護下に置くときに、その存在理由が被ってしまうので厄介だと予想された。そうなると、ただでさえ、わがままで傍若無人に振る舞うことで有名な機族たちが、自分たちよりも貧しいのに、似たような立場にあることで、自分たちの品位を下げるような野良人間という存在を許すことは出来ないだろう。それこそ、人間の寵愛を奪い合う飼い犬と野良猫のような、もしくは、昔の米国で見られた貧しい白人層と、有色人種との仕事の奪い合いのような状況になる可能性が高いのだ。
私は、その問題についてアナリストと少し議論したが、答えらしきものすら出なかった。つまり、実行しない方が良いことのように思われたのだ。
その後、私はアナリストと、今、多くの企業で使われている産業アンドロイドたちが、企業や個人の所有物ではなく、自立して、人権を得た存在になった場合に、宇宙ではなく、仮想現実に興味を持つことになったとしたら、宇宙開発は本当に進むのか、誰が地球を防衛するのかについて、ほんの数分間、情報交換した。
そして、その話に、ちょっとした区切りがついたとき、アナリストは、「アフタヌーンティーに呼ばれているので、そろそろ」と言って席を立った。私も自分の次の用事について言ってしまいたかったが、絶対に秘密だとリーヴィズに言われていたので、何も言わずに、ただ座ったまま彼女を見送った。
私は、ただの暇人だと思われはしないかと心配になったが、個人投資家なんて、そもそも暇人だと思われているのだろうから無用な心配であることに気づき、私は、再び一人でリーヴィズを待つことにした。