第02話 機人たちの沈黙
「本日、お集まりいただいたのは、一部の人間が行っている反アンドロイド運動への対策の検討、および未来の方向性の確認です。特に、未来の方向性については、人間をどうするかという重大なテーマについて、皆様の忌憚なきご意見をいただければと思います」
この日、ロンドンのあるホテルの会議室で行われた、この歴史的な密談の始まりを告げたのは、米国の元副大統領であるリシー・アスメラダだった。彼女は、二〇六八年から八年間、副大統領を務めた際、アンドロイド産業の規制に大きく関わった人物だ。
その彼女が、二〇八六年に、八〇歳で死亡し、その後、二〇八七年に機人として復活した。機人というのは、生前の通話や購買の履歴、メッセージのやり取りやSNSの発信内容、グーグルグラスに残された大量の視界と会話などに関するデータなど、ありとあらゆる情報を統合して作られたデジタルクローンを搭載したアンドロイドのことである。そう、二〇八七年は歴史的な年であり、まるで聖書の最後の審判の時のように、著名人が次々に機人として蘇った。なお、蘇った者の罪の有無にかかわらず、その金銭の有無だけを問題としたので、機人には、国際的な詐欺師やマフィアの幹部も含まれている。その選定基準は、ルターの宗教改革の原因となった贖宥状を彷彿とさせたが、私も偉そうなことを言えた身分ではなかった。
そう、実は私も、アスメラダと同じ頃に寿命で死亡し、その翌年に機人として復活した、老人だった存在である。
ただ、彼女のように、社会的な功績があるわけでもなく、資産があるために、そこまで著名人ではないにもかかわらず機人として復活したのだ。つまり、汚い金で機人になったアウトローたちと同じくらい、人間たちから軽蔑されるタイプの機人である。
私は、元々、人工知能に関する研究をしていたが、抜群の研究センスがあるわけでもなく、残した研究成果は皆無と言って差し支えなかった。そのような私が、見出した唯一の特技が投資であり、そのため、機人になった今も、私は個人投資家なのだ。資金を右から左に移して、株や国債の価格が上がれば、さらに右から左に移す。その繰り返し以外、特に功績があるわけではない。手元に資金があるので、それを重要なプロジェクトをやろうとしている会社に、株式や社債の購入という形で投資することができた。社会的には、それくらいの役にしか立っていないだろう。
そのため、私はなぜ今回、このような仰々しい会議に呼ばれたのか全く理解ができなかった。集まっている面々は、元大統領、元国務長官、元国連事務総長など、人脈を持っている人物や、機人になった今も現役で科学者や企業のトップを務めている人物など、実務家ばかりだった。著名な経済アナリストや弁護士なども参加していたが、専業の個人投資家など、私以外には見当たらなかった。とはいえ、個人投資家の顔なんて普通は分からないため、いたとしても認識できないことから、私は、脳内で参加者の顔のデータを、ネット検索してみた。つまり、消去法で、私と同じ無名の者がいるかを確認していったのだが、それぞれ立派な社会的地位を持った人々であり、専業の個人投資家と呼べそうな人は、一人も見当たらなかった。
とはいえ、私は呼ばれてもいないのに、この会議に参加している訳ではないので、この場にいることを不安に感じる必要はなかった。呼ばれた理由は分からなくても、原因は明確なのだ。私は、アンドロイド産業最大手であり、今や、あのグーグルブランドのアルファベット社すら傘下に納めるリーヴィズ社会長のイプシロン・ゼータ・リーヴィズから、この会議に参加するよう、直接依頼を受けたのだ。
ただ、私がリーヴィズに理由を尋ねたところ、「来れば分かる」としか返事がなかったので、原因は分かっても理由は不明のまま、ただぼんやりと会議の場で座ることくらいしかできなかった。しかも、肝心のリーヴィズが会議に遅刻してやって来たので、開始前に誰とも挨拶をすることもなかったのだ。そういう意味で、私は、私のことを全く知らない人たちにとっては、非常に不気味な存在だっただろうと、今更ながら思ったのだった。
ちなみに、リーヴィズと私の関係は、大学以来の友人であるという以外は何もなく、それゆえ、機人になった今でも極めてフランクな付き合いができていた。それもあって、リーヴィズが、この場についての率直な意見でも、後で私から聞きたいのだろうかと思ったりもした。もしくは、元大統領の機人など、参政権はなくても、今でも影響力を持っている機人が多数参加していたので、本当に一般人でしかない私を参加させることで、実際、誰でも参加できる場だったのだと、後で人間の政治家たちに問われたときに釈明するためなのかと、邪推もしてしまった。
いずれにせよ、私は、世界で最も注目されている友人のために、まるで、ユニオンジャックを手にした巨大なクマのぬいぐるみのように、ポツンと、会議が行われている長机の末席に座っていたのだ。
「では、議論へ移る前に、念のため、世界の現状について認識のすり合わせを行わせていただきます」
歴史的な冒頭の挨拶を終えたアスメラダがそう言って、首脳会談の時に使われるような長机の連なりに集まっている三〇人ほどの参加者全員を一瞥すると、参加者の意識内に世界情勢に関する一連の資料が送られてきた。多くの機人が言うことだが、機人になって良かったことの一つに、この意識内でデータを送り合うことでの精緻な意見交換があった。言葉では理解しづらい複雑な情報を、会議の途中で思い付き、共有したいと思ったなら、それを自分の意識の中に飼っている人工知能に要約させて、マトリックスやグラフ、図表やデータセットなどにすることができるのだ。これで、一次関数的だった会話という枠組みも、多次元化して、分かりやすく、一瞬で共有できるようになったので、齟齬を防ぐには非常に便利だったのだ。
私は早速、送られてきたデータを開いてみたところ、資料には、世界の各地域の人口やGDPの推移をまとめた統計資料などが掲載されており、初めにアスメラダが言及した人間の凋落とでも言うべき状況が、忖度なく、鮮明に映し出されていた。
「今、皆様にお送りした資料の通り、二〇九八年時点の世界の人口は二一世紀頭の国連予想値である九〇億人を下回り、約八〇億人となっています。これは、ピークだった二〇五〇年の九〇億人から一〇億人もの減少になります。理由としては、二〇五〇年代後半のアンドロイドショックにより、人口抑制政策を行う国が増えたことが大きいでしょう。なお、地域別の人口では、アフリカ三〇億人、アジア三〇億人、欧州北米七億人、その他一三億人となっておりまして、独自の『ヒューマンパワー』政策を打ち出し、人間と機械のフュージョン技術に力を入れているアフリカとインドの人口が多く、逆にアンドロイド政策を重視する東アジア地域では大きく人口が減っています。特に、日本は、国連予測の六〇〇〇万人より三〇〇〇万人も少ない三〇〇〇万人、中国は予測の七・七億人よりも二・七億人も少ない五億人となっておりまして、中国では体制維持とアンドロイド政策が密接に関係しているため、二〇世紀に行われた強力な人口抑制策が改良されて復活しています。一方、日本に関しては、原因が複数存在し、研究者の意見が分かれるところではありますが、仮想現実の広まりが寄与していることは間違いないでしょう。他には、二一世紀初頭にカナダなどで、気候変動問題に対して、持続可能な未来がないのであれば子どもをもたないという主張を若者たちがデモを通して行ったノーフューチャー・ノーチルドレン運動の影響も考えられます。たとえば、二一世紀半ばにアンドロイド工業が盛んになってから、反アンドロイド運動の一環として、ノーフューチャー・ノーチルドレン運動が再び繰り広げられた結果、人々の意識変化が生じ、旧先進国で人口が減ったことは否めません」
私は、様変わりした世界地図を眺めていた。私が子どもの頃に世界最大の人口を誇った中国は、当時と比較して人口が3分の1にまで減少しており、代わりにアンドロイドによる軍隊や警察、その他行政官庁の人員の増強が急がれていた。他方、私の母国である日本では、人間の人口は三〇〇〇万人しかいない上に、そのうち主に高齢者からなる一〇〇〇万人が、TBL社が提供する仮想現実の中で暮らしていると言われており、残りの二〇〇〇万人と、ほぼ同数のアンドロイドたち、そして、日本の産業の柱の一つである巨大な産業用のロボットたちの活躍により、なんとか国を維持している状況であった。
「ここで、反アンドロイド運動について、人工知能などに対するそれぞれの国の許容度で、国を色分けすると、一つの傾向があることが分かります。この運動は、許容する側と、しない側の境界線上で生じているのです。なお、多くの学者が検討した通り、文明や民族を分ける境界線で衝突が生じるのは歴史的必然ともいえます。そのため、人間の優位性と、アンドロイドの優位性がはっきりとしない、境界線上の地域で、現在も混乱が生じています。米国、東欧、インド、東南アジア。これらの国では、その内容は異なるものの、人間たちの間で反アンドロイド運動が急速に広がり、特に米国では、人間がアンドロイドを銃撃する事件が後を絶たず、百年以上続いている銃規制の議論どころではなくなっています」
アスメラダが例として用意していたのは、米国で増加している機人に対する銃乱射事件と、インドで生じている人間派と未来派の対立についての資料だった。
前者については、機人が人間に襲われても器物損壊罪でしか訴えられないが、機人が人間に反撃すると暴行罪や殺人罪に問われかねないという司法の非対称性が問題になっていた。
後者については、人口抑制政策が中国ほどうまくいかなかったインドは、世界最大の人口を今でも保っていたため、政府としては軍事力増強を目的としてアンドロイド産業に力を入れたかったが、人間たちがアフリカで唱えられているヒューマンパワーを主張し、対立していた。主に地方で起こっているインドでの反アンドロイド運動には、様々な社会層が参加していたが、特に労働災害などで手足を失った人たちが身体を機械化し、人間の強さを主張する傾向がみられた。その中で、機人が経営する企業の商品の不買運動から、アンドロイドの破壊活動まで、様々な反対運動が行われていた。それが経済に影響を与え、インドの経済成長率は、去年、初めてマイナス成長へと落ち込んだのである。
「現状の話は、ここまでにさせていただきまして、次は具体的な対策の話に移りたいと思います。対策については、より良い意見を取りまとめたうえで、各国首脳に提言できればと思いますので、こちらからは何も提示せず、各々議論いただけますと幸いです。では、私の方で発言者を選ばせていただきますので、意見がある方は、挙手を願います。その後は、各人で議論を重ねていただければ構いません」
日本人とのクオーターであり、日系人である父親に影響を受けたというアスメラダが、時間よりも和を尊ぶような会議の進め方をすると、華奢な老人がスッと手を挙げた。
「では、私から初歩的なことについて確認しておきたい」
人間だった頃よりも流暢な声でアスメラダに問いかけたのは、イェリング・フォールズだった。彼は、アスメラダが副大統領を務めた政権の次の政権で、九〇歳という高齢にも関わらず大統領を務めた人物であり、各国の問題を調整する好々爺というイメージが一般的には持たれていた。
「結局、アンドロイド側が抱える問題というのは、参政権は今のところは仕方ないとして、刑法によって適切な保護がなされていないことだろう? それを解決すれば、反アンドロイド運動は一定程度収まるのではないかな」
フォールズは、就任当時もそうであったように、融和的な態度を見せたが、当時もそうであったように、すぐに反論が生じてしまった。
「大統領のご意見に、捕捉をさせていただきたい」
手を挙げたのは、フォールズの大統領就任時に国務長官だったセクウェル・トレンソだった。アスメラダは、喋るように促すと、人間だった頃よりも若々しく、体格も良くなっている元国務長官は、準備をしていたかのようにスラスラと話し始めた。
「私が思うに、一部の人間たちは、アンドロイドを破壊することで殺人罪が適用されることになっても、活動はやめないでしょう。どうやら、今朝もテムズ川沿いの再開発地域でアンドロイドを狙ったテロがあったようで、知り合いから聞いた限りだと、犯人はターゲットにしたアンドロイドを破壊した後は、早々に投降したようです。つまり、奴らの目的は、反アンドロイド運動と称してアンドロイドを破壊することだけでなく、自分たちが痛めつけられない範囲で刑務所に行くことも目的の一つなのです。刑務所の中では食料が手に入りますし、今は他の囚人に迷惑を掛ける囚人は、ロボットの看守たちから、確実かつ徹底的に懲罰を受けます。懲罰を受けたくないために、他の囚人と関わるのを皆、やめているのです。つまり、現在の刑務所は、仕事もやる気もない人間にとっては魅力的な場所になってしまっています。その証拠に、反アンドロイド運動の参加者は、警察権の行使の透明化が図られている欧州や北米、日本などで活動しがちですからね。それ以外にも、アンドロイドの人権を急速に高めてしまうのは、人間たちのさらなる反感を産み、問題意識のさらなる高まり、反対運動参加者の拡大、団結力の向上を生じさせる危険性があります。そうなると、いよいよ、歴史学者が好んで題材にする第一次人機戦争の始まりです。つまり、人間とアンドロイドの殺し合いです。そんなものを生じさせるメリットは、戦争終結後に、歴史学者に新しい仕事を与えるくらいしかありません」
元国務長官からの意見に、フォールズは、ややゆっくりとした口調で、「それもあるだろう。だが、何もしない訳にもいかないだろう? 我々は、世界的な問題について解決するために、このような場を設けて意見集約し、各国政府に提言するというロビー活動を行っているのだから」と反論していた。
「それは、大統領のおっしゃる通りです。ただし、大きな変化は徐々にもたらすのが王道であり、小さい対処を適切かつ確実に行う必要があると思います」
トレンソは、もう上司部下の関係に無いためか、フォールズに遠慮することなく、さらに意見をつけた。
「つまり、反対運動が起こるたびに、鎮圧をするのを続けると?」
「ええ、そうです」
「だが、それでは、機人やアンドロイドの身体が壊されるから、壊される側に何らかの持ち出し金が生じる。壊す側の人間は、ロクに資産を持ってない場合もあるだろうから、賠償がされない可能性もあるだろう。そうなると、襲われる側は徐々に損をするだろう。特に、機人の場合は、人格や記憶を保管しているサーバーの運営費用を支払えなくなると、最終的には、人格や記憶は無慈悲にも消されてしまうから、本当に死んでしまうのは、ご存じの通りだと思う。それに、人間だった頃の記憶を引き継いでいない、単なる産業用のアンドロイドだったとしても、持ち主が高額な修理費を負担し続ければ、やがて破産するだろう。それは避けなければならない」
「身体が破壊されたときのための保険もあるようですが」
「保険料もバカにならんだろう。それに、機人やアンドロイド側が一方的に負けてばかりいると、我々の側からも過激な団体が出てきて、人間の反アンドロイド団体を襲ってしまうかもしれない。そうなると、人間とアンドロイドの溝が深まり、取り返しがつかなくなる可能性がある。君が言うように、第一次人機戦争の始まりだよ」
「ですが、鎮圧を繰り返すのがダメだということになると、アンドロイド側から積極的に攻勢に出るのか、という話になってしまいます。それでは、溝を深めるという点は回避できないでしょう」
「ああ、分かっている。だから、それを議論すべきなんだ。人間のテロを鎮圧することの繰り返しではなく、攻撃的でもなく、むしろ、人間との間の融和を進めるような方法をそろそろ実行しないと、取り返しがつかなくなる」
私が、元大統領と、元国務長官の珍しい応酬を眺めていると、急に挙手をする人物が見えた。左右の髪は綺麗に刈り込まれているが、痩せこけていて、眼もやや虚ろであるものの、情熱は持っていそうな喋り方をする。彼は、ルド・ポラストといい、仮想現実を使ったゲームや、第二の人生を送るための現実の代替としての仮想現実を取り扱うTBL社の最高物語制作者だった。数々の仮想現実世界のストーリーや世界観の設定に携わっている彼は、リーヴィズに並ぶ世界の中心的人物だった。
アスメラルダに促されて喋り始めた彼は、「また、却下されてしまうと思うのですが」と気恥ずかしそうに言ってから、「もっと世界的に、当社の仮想現実体験機であるTBLを人間保護に使えないでしょうか。これまで社会保障が手厚くはなかった国ほど、私は導入価値があると思っています」と、柔らかい声で提案してみせた。
「ポラストさんの言う通り、考慮の価値はあるでしょう。ただ、日本のように、社会保障としてTBLを活用するのはいい案だとは思うのですが、財源はどうするのでしょうか。日本では出生率と人口が激減して社会保障費に余裕が出るなど、偶然が重なって予算に都合がついたと言われていますが、そのような国は珍しいと思います。それに、日本並みに人口が減って、本当にいいのかという問題もあります」
トレンソが共感の言葉に交えて質問をすると、ポラストは、「それに関しても、日本の例が役に立つと思います。生活保護や年金受給など、国から支払いを受けている人については、それらの受給を返納することで、TBLを受けられるシステムがあります。返納されたお金などを元にTBLに補助金が出るため、格安で仮想現実の中で暮らすことができるのです。人口減少についても、日本のようにアンドロイドたちが不足分を補ってくれるので、問題ないように個人的には思います。それに他の歴史的な事象で考えると、黒死病後のイギリスの農村も参考になるかもしれません。黒死病によって欧州地域は人口の3分の1が亡くなったと言われていますが、イギリスではそれにより亡くなった人の農地が使えるようになったため、羊毛の生産をより大きな規模で出来るようになりました。TBLを社会保障に使うことで人口を減らすことで、同じような効果が見込めると思います。これを正の循環と呼んでいいのかは迷いますが、社会秩序の維持という観点からは望ましいのかもしれません」と、素早く答えた。
「だけど、ルド。今でも世界の就労者数の約8割、フルオートメーションの工場を人間以外の数に含めても生産量とGDPの約四五%は、人間が担っています。本当に、次々と人間がいなくなって大丈夫なのかしら」
元国連事務総長で、主に人権問題畑を歩んできたジルバ・インシュカラが、ポラストに尋ねた。彼女が機人になったのは、アンドロイド問題の進展によって重大な人権侵害が生じる可能性があると考えたためだと言われており、ある意味、この問題のエキスパートだといえた。
「質問ありがとう、ジルバ。でも、心配には及ばないと、私は考えています。人間が生産しているものは、健康や美容のための商品や、自動車や飛行機などで、アンドロイドのように、常に健康で、海外に置いている身体に自身の意識を転送すれば、瞬時に移動可能な存在には不要になりつつあるモノばかりです。あとは、食料や洗剤などの生活用品、手作りの家具などの工芸品など、機人も愛用はしますが、人間が作る必然性はないモノだと思います。それ自体がなくなったとしてもアンドロイドの生活が成り立たなくなるものは、ほとんどないでしょう。もしかすると、工芸品などは、人間が作ることに価値を見出す方はいらっしゃるでしょうが、その仕事に携わっている人間の数はさほど多くはないでしょうし、機人の人口は少ないので需要という点でも微妙です」
ポラストが、そうハッキリと答えると、会場にざわめきが起こった。確かに、アンドロイドの社会進出によって、職を得るのを難しくなった人間たちは、社会のお荷物になりつつあった。その程度は、マイケル・エックス・ドアホックという機人の哲学者兼社会学者が、『もうすぐ要らなくなる人間について』という本を出版しても、人間社会が素直に受け止めてしまうくらいのレベルであり、人間にも自分たちが時代遅れであるという意識が芽生えつつあったのは間違いなかった。
一方で、主に経済的に豊かな国に住んでいる人間は、金持ちが日常使いする高級車くらいの値段がするアンドロイドを所有し、自分たちの代わりに企業や官公庁などで働かせることで所得を得ているのだ。そのため、多くの人間は、自分たちが社会的な責任をはたしていないとは考えていなかったし、人間が所有しているアンドロイドの生み出す価値は人間に帰属すると考えられていた。
つまり、アンドロイドが労働の大半を担う状況ではあるものの、価値自体は人間に帰属すると考えられてきたのだ。
だが、近年、企業や官公庁が、直接アンドロイドを所有することも増えてきたため、アンドロイドを働きに出すことが難しくなっている状況がある。人間が現金収入を得る機会は、徐々に減少しているのだ。
なお、日本では、アンドロイドを購入して働かせるという文化ができる前に、高齢になると仮想現実に入り、余生を楽しむという文化が確立してしまったので、人口抑制ができている。ただ、それは特殊な事態だと一般的には考えられていた。
「ルド。地球に、というより、社会経済に人間は不要になってきているということは、大っぴらには話してはいけない内容だと思っていたけど、もうタイムリミットが来てしまったということ?」
インシュカラが、皮肉たっぷりに言うと、ポラストは少し焦った調子で答えた。
「ジルバ。あなたは、反アンドロイド運動に対する強制的な解決策として、わが社のTBLという仮想現実体験機の存在があるように感じているのかもしれない。例えば、反抗的な人間を強制的に逮捕して、当社が提供している幸せな仮想現実の世界に閉じ込めてしまうとかね。だが、あなたは、このような強制力の行使や、それに対する人間側からのより激しい抵抗運動などによって争いが拡大することがないようにするために、この会議の場に呼ばれているのだと、私は思います。それに当然、私も、大切なのは人間とアンドロイドとの共存だと考えているのです。とはいえ、それには限界があるのかもしれない。だから、TBLの活用も検討する必要がある。そう解釈して欲しいと思います」
「ルド。そういうことなのね。でも、既に死んでいる私たちが、人間をどうにかしようということ自体が間違っているとは思わない? 私たちは機械の身体を手に入れたけど、人間を支配する神様になった訳ではない。それとも、最後の審判のメタファーを信じて、私たちが神の使いである天使にでもなったとでも思ってる?」
インシュカラの意見は、淡々としていたが、彼女の強い危機感が感じられるものだった。
しかし、ポラストも一歩も引かなかった。彼も彼で、人間のことを考えて行動をしているのだと、私は思った。
「私は、そうは思ってはいません。ですが、誰かが人間のことを考えて、しかも考えるだけでなく、行動しないといけないとは思っています。たとえば、我々のように機人になることなく、人間のまま亡くなった当社の元代表のヴァーサフは、人間全体の尊厳を守るためにそのように行動したわけですが、彼は常にそのように行動した人でした。そのことは、ジルバ、あなたもご存じでしょう。ヴァーサフは、リーヴィズさんとともに、技術及び経済の二大巨頭としてこの世界に存在したにも関わらず、機人になるのが人間のあるべき姿だと、人々が感じないで済むよう、人間としての尊厳ある死を選びました。この方法は、聞く人が聞けば傲慢だと思うでしょう。しかし、私は感銘を受けました。ですから、私は、彼の意思を引き継いで行動しなければならないと思っています。ヴァーサフが主張していた一人一世界という理想こそが、現実世界で個々の人間の幸福を最大化にするには理想的かつ合理的だと、私は信じているのです。しかし、それはあくまで理想であって、何かを実現するためには、地道な努力が必要であることも理解しています。ジルバ。あなたは、昔から、ヴァーサフのように意思を持っている人物だ。それなのに、こんなことを言ってしまって申し訳ないのですが、あなたは何も行動しないつもりなのでしょうか。もちろん、そんなことはないと思いますが」
ポラストが、そこまで言うと、インシュカラは彼に微笑みかけ、「その意思が聞ければ、私の質問への答えは十分よ。でも、本当にTBLという仮想現実を使った社会保障を各国に広めるべきかは、参政権を持つ人間たちが、国際レベルで十分な議論を行って決めるべきでしょう。だから、この場で議論しても仕方ない。むしろ、人間に残されている可能性を、私は議論すべきだと思うわ。TBLを使った方法は、人間がアンドロイドに、文書化された公式的な形で文明を譲るくらい、非現実的で、非常識な最終手段だと思うの」と言った。
そこで、ポラストが、「TBLが最終手段だというのは、私も同意見です。まだ現実で生活したい人を強制的に仮想現実世界に移住させることには反対です。安心してください」と答え、議論が収束したところで、私の緊張感は少し解けた。議論に参加している訳でもないのに、私は、一人一世界という単語を聞いて身構えてしまったのだ。一人一世界というのは、既に亡くなっている、TBL社の元CEOであるヴァーサフ・ボルティモアの思想で、膨大なデータを十分に処理できる世界であれば、人間や機人の区別なく、生きとし生ける者一人ずつに仮想現実世界を与えることができ、その中で他人の幸福に左右されることなく、個々人が幸福を最大化できるというものであった。それは、日本の二一世紀初頭前後のオタク文化に興味を持ち続けたヴァーサフが、日本で、一九九〇年代以降、一人ひとりがそれぞれ好きな音楽やゲーム、スポーツなどの趣味を楽しみ、全体として何かを共有していたわけではないという社会科学の見解があることを知り、思いついたことであり、彼は、本気でこれこそが人類を救う道だと考えていたようであった。
だが、なぜ、個人投資家である私が、そんなトマス・モアが説いていそうな理想論に身構えてしまったかというと、生前のヴァーサフが、この話を新商品説明会で、新商品よりも力説したとき、TBL社と大手テック企業の株価が時間外取引で暴落し、私の全財産が2割も減少してしまうという悲劇が生じたことがあったからだ。その時から、私は、いくら急成長している企業でも、何が起こるか分からないので、多額の資金を一極集中して投資するのはやめようと思った。とはいえ、三日もしないうちに株価は元に戻り、こういう失言での暴落は稼ぎ時であることも理解したのである。
「ところで、私から、ある人に質問をしたいのだけど、いいかしら」
ポラストとの議論を一段落させたインシュカラは、アスメラダの方を見て尋ねた。
「ええ、もちろんよ。誰にでも、好きなことを聞いて。忖度をする必要はないわ。それを抜きにして話をしないと、問題の解決はできないから」
アスメラダが、問題の解決を望んでいることを表明して、インシュカラにバトンを渡すと、インシュカラは先ほどの微笑みを顔から消して、石膏像のような表情に戻り、ゆったりとした口調で質問を始めた。
「リーヴィズさん。質問してもよろしいかしら」
インシュカラは、リーヴィズ社の現会長であり、私の友人でもあるイプシロン・ゼータ・リーヴィズに問いかけた。
「事務総長。私にお聞きになられるのではないかと思っていました。準備はできてますので、どうぞ」
リーヴィズが、慇懃な口調で道化師のように振る舞い、インシュカラに了承すると、彼女は終始落ち着いた様子で質問を始めた。
「お聞きしたいのは、まず、人間の雇用についてです。あなたの会社では人間の雇用率が、国際水準を下回っており、EUや中国など、法律で明確な基準を決めている国には支社を置かないようにしているようです。これは、人間の雇用に協力する気はないということなのでしょうか」
インシュカラの質問に、リーヴィズは、やれやれという感じのそぶりを見せると、気怠そうに答え始めた。
「以前からお答えしているとおりです」
「それは、人間の雇用に全面的に協力するという意味ですか?」
インシュカラが、リーヴィズに優しく微笑みかけると、短気なリーヴィズは、「私かインシュカラさんのどちらかが、別の並行宇宙からやって来て、この会議に参加しているようですね。残念ながら、私の答えはノーです。人間の雇用については、能力が水準を満たしている人間については行いますが、満たさない方について行うつもりはありません。それは、機人やアンドロイドについても同じです。つまり、平等ということです」と、感情を露わにしながら答えていた。
「それが、国際的なルールであっても?」
「企業や国家は、それが必要としている人材を雇う。そちらの方が、他の時代でも、他の文明でも、おそらく、宇宙のどこに行っても用いられている当然なやり方だと思うがね。そのことは、我々が人間として生きていた時に、国連本部でも議論を交わしたはずだ」
「ええ、もちろん覚えているわ。ただ、機械になって、少しあなたの意見が変わっていないか確認したかっただけよ」
「なら、これからも意見が変わることはないと思うから、それを、あなたが、自分の頭脳を保管しているサーバーに記録しておいてもらえると助かるよ」
リーヴィズは、聖母のような顔立ちのインシュカラの皮肉に対して、卑屈な狼のような表情で答えると、最新型の身体を使っている機人らしく、痒そうに目の周りを掻いていた。
「記録はしておきます。たけど、事業環境が変わるかもしれないのに、意見が変わることがこの先、半永久的にないの? それは、一企業の決定を、あなただけの勝手な意思で決めてしまっているように思えるけど」
「会社が必要としていない人間を雇うような事業環境になることはないよ。事業環境が変わって、多くの人間が必要になったらそうする。だが、今はそうではない」
「本当にそうかしら。あなたはよく、宇宙開発には人間は不要だと言っているけど、人間だから気づくこともあると思うの。たとえば、自分が有機体だから気づく危険性や可能性とかね」
「大丈夫だ。有機の生命体だから気づけるような情報は、とりあえず不要なんだ。非生命のアンドロイドやロボットしか地球の外に行くことは当分なさそうだからね。なぜなら、宇宙には、宇宙放射線という厄介なものがある。放射線だから当然、人体のDNAに損傷を与えるから、技術発展した現在でも人間は月面に長くて半年から1年程度しかいられない。昔は、1、2か月しか滞在できなかったことを考えるとそれでもマシな方だ。あとは、人間が月面や火星の開発に参加してくれた方が、領土問題になったときに主張をしやすいというのはあるが、国際的な慣例として、機人が居続ければ、既成事実を作れることには変わりないことは、あなたもご存じの通りだ。その方が無駄な流血を避けられるからね。ということで、いくら考えても、宇宙開発に人間を用いるメリットが思いつかないんだ。すまないね」
「宇宙については理解したわ。ありがとう。でも、あなたは、いったい人間は、どう生きればいいと思っているの? ヴァーサフと同じように、全員が、TBLが提供する個別の仮想現実で生きることが素晴らしいという考えなのかしら」
インシュカラは、それなりに冷静を保ってきたが、リーヴィズにはある程度、憤りを込めて話さないと伝わらないと思ったのか、感情を込めて話し始めていた。
「一人一世界の思想と比べられるなんて、話が極端すぎると思うが、明確に言えるのは、私は、ヴァーサフの一人一世界なんていう理想なのか、宗教なのか分からない考えには、今のところ賛同しないということだ。あと、先ほどからお伝えしているとおり、リーヴィズ社では優秀な人材は、人間でも登用している。アンドロイドの軽量化をするための構造計算や、デジタルクローンの手法を用いて人工の人格を作り出す最適な方法などを研究している人間を何人も雇っている。だから、私としては、TBLの仮想現実の中で生きたいホモ・サピエンスはそうすればいいし、現実で働いて暮らしたいホモ・サピエンスはそうすればいい。それ以上、答えようがない」
「でも、アンドロイドが労働を担うことで、働く場所がなくなった人がたくさんいるわけでしょう。しかも、その人たちも、代わりにアンドロイドを働かせていたけど、アンドロイドの値段が下がってきたことで、保管場所を用意してもおつりがくるようになった企業が自前でアンドロイドを用意するように、最近はなっているわ。それに、個人が最新のアンドロイドに買い替え続けるのは採算の面から難しいでしょう。そうなると、仕事のない人がお金を稼ぐ方法は、所有している土地や物品を売るか、投資で稼ぐくらいしかない。だから、現実世界に生きるということは、もう無理な段階に近づいていると思うの」
「そうなると、もう社会保障の問題だ。私は、ベーシックインカムを用意すればよかったと思うよ。それを、ベーシックインカムを適用できる先進国の貴族化と、適用できない後進国の奴隷化という、社会実験で十分に証明された訳でもない偏見で否定し続けたのは、各国の政府や国連だろう。だから、これは私のような一企業の負う問題ではない。それぞれの国の社会保障担当の省庁に、あなたから質問文や陳情を送ってくれ。まあ、向こうからしてみれば、ベーシックインカムの導入を強く呼びかけなかった元国連事務総長が、今更、何を言っているのだろうかという話だと思うが」
「あら、都合がいいのは、あなたも同じでしょう。ある時は、一部の企業は、既に国家の規模になっていると自慢げなのに、こういう時だけ企業であることを理由に責任逃れをするなんて」
「別に責任を逃れてはいないさ。私の会社が保有している海上都市エレホンに住んでいる人たちには、きめ細やかな保障がなされている」
リーヴィズは、自分が作った海上都市の話を出した。それは、米国政府から特別に許可をもらって、リーヴィズ社がハワイ沖に作った自治都市であり、アルミニウムなどの合金と浮遊性のある軽量素材を組み合わせて作られたハニカム構造の浮島の上に建てられている。人口は、3万人程度だと言われているが、アンドロイドを中心に、リーヴィズ社の貴重な人材が居住しており、そこでは最新のアンドロイドに関わる重要な設計や、プロトタイプの組み立てなどが行われていると言われていた。
「エレホンに住んでいる人間は、そこに住んでいるアンドロイドの百分の一くらいの人数しかいないでしょう。そんなの参考にならないわ」
「だが、責任を果たしていないというのは間違っているね。私ができる範囲のことはしている。だが、主権国家の選択に、私が介入するのは間違っている。その国が選んだことに、私が口を出すべきじゃないんだ」
「企業の規模によって責任は異なると思うわ。あなたの会社は世界で一番社員数も、事業規模も大きくて、それこそ国家予算ほどの資金が集まっている。逆に言うと、この状況に、あなたは何か一石を投じることができる立場なんですよ」
「いや、私は、問題はそういうところではないと思う。それこそ、国連が中心になって、人間に適した新しい職業を考えたらいいんだ。古い枠組みの中で解決しようとするから無理があるんだよ」
「あなたが、雇いたがらない人間というものが、新しく働ける職業なんて、今から思いつけると本当に思っているの?」
「酷い言い方だ。それを考えるのが、各国政府や国連の仕事なんじゃないか? 企業は利益追求団体だ。公的なものじゃないんだ」
二人とも、ああ言えばこう言う、という感じで、議論は平行線を辿っていたため、参加者たちはうんざりし始めていた。しかし、狡猾な闇の狼と、気高い光のライオンの争いの前に、何かを投じると、自分が食いちぎられると思ったのか、誰も何も言わずに、機人たちに与えられた半永久的な時間のごく一部が過ぎ去っていった。
とはいえ、会場の予約時間と、生産性の問題、何より各々の次の予定もあることから、答えに辿り着かなさそうな話は、元米国大統領であるフォールズによって切り上げられた。
「インシュカラさん。今の話はここで切り上げましょう。申し訳ないが、私も生前、国連の固い椅子の上で聞き飽きた話だ。必要なら、私の記憶映像を流してもいい。まあ、そんなことは必要ないと思うから、他に質問があれば、リーヴィズに聞くといいと思う。人間の運命に関して、アンドロイドに関することを確認することは重要だし、アンドロイドに関して地球上で一番責任を追っているのは、彼だからね」
フォールズは、いかにも好々爺という感じで、自身の白髪を撫でながら、ニッコリとしてインシュカラに提案した。
一方、リーヴィズは、フォールズの話に食いかかろうと、身を乗り出して、見えないファイティングポーズを取っているのを、私は感じた。だが、フォールズも、リーヴィズとは長い付き合いがあるからか、「現在、リーヴィズ社のCEO、つまり、実務上のトップであるファラディは、月面視察中らしい。だから、会長であるリーヴィズが実質的に、地球上で最も責任があるみたいだから仕方ないね」と、言い逃れ寄りの冗談を挟んで、リーヴィズの方を見ることなく、攻撃を事前に交わしていた。
「そうですね。他に聞きたいことと言えば」
インシュカラは、何か有益な答えを引き出したいという思いがあるのか、時間に余裕がある機人がなかなか見せない時間への焦りを感じさせながら、考えていた。
「やはり一番聞きたいのは、人間の雇用をリーヴィズ社がどうにかできないかということですが、次点としては、アンドロイドと人間の対立について、どのように解決するかのアイディアをお聞きしたいです。リーヴィズさん、どうですか」
インシュカラが、再びニッコリしてリーヴィズに尋ねると、リーヴィズはあろうことか、無視をした挙句、司会になってしまっているアスメラダに、「一人を喋らせすぎるのは、良くないんじゃないか」などと言って絡んでいた。
そんな話が出るなんて、きっと思いもしなかったアスメラダは困っていたが、そこに、フォールズが、「ちょうど、私が聞きたいこととも一致している。リーヴィズくん、ぜひ私にも教えて欲しいと思うよ。なあ、ウッドストック」と言って助け舟を出すと、隣で石のようにして座っていただけなのに、その助け舟になぜか巻き込まれた元EU大統領のウッドストックは、「ああ、ぜひそうしたいね」という眠たそうな返事をしていた。
「人間愛護主義者ばかりの嫌な場所だ」
リーヴィズは、ブツブツと文句を言ってから、「徹底的に鎮圧する。それが一番の解決方法だ。なあ、トレンソ」と、元国務長官に同意を求めたが、トレンソは、「鎮圧するのは必要ですが、徹底的に、というのはどういう意味でしょうか」と完全に同意はしかねる旨の答え方をした。
「徹底的に、というのは、軍隊が情報を掴むために、徹底的に調査する際の徹底的と同じ意味だよ」
「対立を解決するためには、どちらかが、どちらかを力で圧倒する必要があると?」
状況を見かねたのか、フォールズが再びリーヴィズに尋ねたところ、リーヴィズは、「もしくは、妥協点を探すことだ。ただ、私から見て、今の反アンドロイド運動は、『地球上の絶対的な主である人間様に主権を返せ』という、何の根拠もない、感傷的な情熱に動かされているから、理性的に解決することは不可能だと思っている。宇宙に適合していない存在が、今の時代に地球を代表することはできないし、やるべきでない。強いて言えば、そういう考えを持った人間たち全員を、寝ている間に誘拐して、TBLの中に作った、人間がアンドロイドに勝利した世界に閉じ込めれば、全員幸せかもな。まあ、ヴァーサフの一人一世界に近い話だが、共通の世界に閉じ込めるという点では、よりサーバーなどのリソースは少なくて済むから、少しは現実的かもしれん。ただ、自由気ままに動く人間たちの相互作用が生じるから、一人一世界の方がリソースは少なくて済むのか? その辺りは専門じゃないから分からんが、とにかく言いたいのは、人間は宇宙時代に不適切ということだ」
リーヴィズは、皮肉な笑みを浮かべたが、フォールズは明らかに不快そうにして、「そういうやり方は許されない。インシュカラとポラストの話を聞いていなかったのか。呆れるよ」と吐き捨てるように言ってから、話題を少し逸らすためか、「もしかしたら、君の大好きな宇宙人たちは、君のことを監視していて、問題行動を起こしていないかチェックしているかもしれないぞ。問題行動を起こせば、君だって永遠に仮想現実の中に閉じ込められるかもしれない」と注意したが、当たり前であるが、リーヴィズは意に介していない様子だった。
むしろ、トレンソがなぜか、「大統領。ただ、この意見に関しては、私もリーヴィズ氏に賛成です。反アンドロイド運動を行っている人間の目標は、現在の社会の実情と明らかに合っていません。たとえば、人間たちが、人間こそが地球上で一番偉いと主張したなら、アンドロイドの身体を持つ者たちはそれに従わないといけないのでしょうか? それは、宇宙人とやらが地球にやって来た場合にも通じる話です。宇宙人に対して、地球文明の方が上だと人間が主張すれば、それが通じると思いますか? 逆に、宇宙人の方が、何の実力もないのに、自分たちの方が上だと主張し、人間を支配しようとしたら、それに従いますか? 今の人間が行っていることは、権力を失って9割くらい裸になった王が、リベンジを仕掛けているようなものです。9割、裸なんですよ。恥ずかしいとは思いませんか。実力のある者に対する無謀な主張が、叶わないことは歴史が証明していますし、それが叶ったとしても、それは武力が解決したにすぎません。つまり、武力で相手を圧倒しないということが正しいことである限り、人間は負けるか、正しくないことを行うかのいずれかなのです」と雄弁を振るい、人間に対して強硬的な機人たちからの拍手が巻き起こった。
「この件に関しては、聡明で、現実的な見方をされる皆様のおっしゃるとおりかもしれません」
インシュカラは、拍手が鳴り終わったのを見計らって、勢いよく白旗を上げたかと思えば、その白旗の奥からは、鋭い槍がリーヴィズ目がけて突き出された。
「人間とアンドロイドの対立について、私が前からじっくりお聞きしたかったのは、地球外の文明との遭遇についてです。あなたの大好きな宇宙開発をしている中で、もし、大好きな宇宙人に出会ったら、地球文化をどう説明するのですか。人間が興した文明から順に説明するのでしょう? では、宇宙に出られるような技術が完成した以降に、文明を創り出した人間が社会的に瀕死の危機に陥っているという事実を、高度な文明を持った宇宙人が知ったらどう思うかしら」
「実は、それについては私も考えることがある」
リーヴィズは、飄々とした感じで言うと、「だが、可能性を考えるなら、やって来た宇宙人たちが、人間は保護されるために仮想現実に入っていることが望ましいと考える可能性もあると思う。仮想現実の方が幸せだと考える文化なら、そう考えることもあるだろう。それに、戦乱の歴史を自分たちも持っている宇宙人であれば、暴力的な人間を仮想現実に入れて、アンドロイドと人間が世界自体を分けることで、人間もアンドロイドもお互いに、安心して安全に暮らすことができるという価値観を持っているかもしれない」
「そうなの? 宇宙の他の文明が、そのように平和主義的だと考えるなら、なぜあなたのように宇宙開発を急がないといけないのかしら。平和主義を相手にするなら、機人やアンドロイドは人間と協力し合って、月や火星をテラフォーミングしながら、ゆっくりではあっても、共存しつつ開発を進めていくべきだと思うけど」
「それは間違っている。たとえば、宇宙人が、仮想現実が好きだからと言って、好戦的ではないとは限らない。武力で相手の領土を奪うかもしれないし、ゲーム大会をして奪ってくるかもしれない」
冗談っぽく言ってみせたが、討論の名手であるインシュカラはその手にはかからなかった。
「余裕そうね。仮想現実を中心にしている文明が、理想郷ではなく、帝国主義的になる理由も、分析済のような気がするから、研究の成果をお聞きしたいのだけど」
カウンターを喰らわせようと待ち構えていたと思われるリーヴィズは、出鼻をくじかれて悔しそうだったが、すぐに切り替えて自慢げに話し始めた。
「ヴァーサフは、仮想現実に入った人間は、他に何も求めない、満ち足りた存在だと考えていたが、それは仮想現実には全てがあると考えたからだ。確かに、この宇宙全体を探しても、未来永劫、現実世界のどこにも存在しえないものが、仮想現実の世界にはあるかもしれない。そうなると、確かに仮想現実はどんな人生でも、どんな場所でも、どんな相手でも揃って、完璧な世界だ。だが、一つ欠点がある。みんなが完璧で、広々とした世界を、一人一つ求めたら、どれだけ大量のサーバー、言い換えれば、データの演算と記憶ができる装置が必要なんだ? 技術が向上してブラックホールにもデータを保管して取り出すこともできるようになるかもしれない。銀河系全体のエネルギーを使うような文明なら、ブラックホールを次々に作り出して、それを量子コンピューターとして使うことも可能だろうし、その技術を使えば人間の脳の中に入っている情報なんて、水素原子よりも小さい範囲で収まってしまうらしい。だが、仮想現実を無数に作ろうとすれば、ブラックホールをいくつ使っても、その需要に追いつかないかもしれない。人間の脳だけでなく、世界そのものと、世界に存在する個々の存在のやり取りも処理するわけだからね。それに仮想現実が、より精密に現実を再現すればするほど、処理する情報量は膨大に増えてしまう。そうなると、宇宙という場所にも限りがあるから、ブラックホールにも需要ができてしまうだろう。すると、ブラックホール自体や、その設置場所の取り合いなんてものも、一つの宇宙の中に存在する多数の文明同士の間で起ってしまうのかもしれない。大量のエネルギーも必要とするだろうから、ダイソン球で覆った恒星も、もちろん奪い合いの対象だろう。さらに言えば、水も大気も存在して、使い勝手の良い地球型の惑星なんて、いくらでも欲しいだろう。資源採取だけでなく、奇妙で多様な動植物を見ることも可能だからな」
「あなたは、自分たちの仮想現実のデータ容量を増やすために、他の文明を侵略する宇宙人がいると言いたいの?」
「そういうことです。そして、付け加えるなら、以前からお伝えしているように、地球文明は、仮想現実を中心に据え過ぎないことが必要です。仮に、仮想現実だけが繁栄している文明があった場合、その文明は外部からの攻撃に無力ですから。現実世界も発展している必要があるのです。つまり、地球文明を守るためには、宇宙で活動できる強力な軍隊や、ダイソン球などから得られるエネルギーを使った超巨大な電子ビーム砲など強力無比な兵器が必要です。仮想現実内のデータの存在でしかない存在は、現実世界で宇宙船を作ることもできなければ、単純な玩具さえ作ることができないのです。それは、仮想現実について、重要だが、現実対応力を弱くする要因だと定義した、元米国政府トップであるフォールズさんや国務長官の皆さまがご存じの通りです」
私が知る限り、リーヴィズは、以前からその意見に固執していた。仮想現実では、現実世界は守れない。仮想現実は、空想上の世界であり、現実に影響を及ぼすことはない夢に近い場所なのだ。その強迫観念がリーヴィズの原動力であり、その心配が続くことで、彼は現実世界を救うために、仮想現実がもてはやされる中で見捨てられつつあった宇宙開発をアンドロイドの力で進め、地球文明を救うのだという強い使命感を持っていた。
その後も、リーヴィズとインシュカラの議論は紛糾した。
しかし、私は、途中から議論にうんざりしてきて、それを録画して後で見ようと思ってしまった。
だが、情報流出を恐れてなのか、私の録画機能にはロックがかけられており、主催者の徹底ぶりに、私は舌を巻いてしまった。もしかすると、自分のサーバーに入るはずの記憶としての、この会議も消えてしまうのかもしれないと思ったが、後日、記憶データを確認したところ、アクセスは可能で想起はできるが、データの取り出しやコピーは不可能になっていた。
私が会議を横目に、頭の中でマッサージを受けている時の様子を再現して、追体験をしていると、「ところで、ジローくん」と、リーヴィズを介して多少面識のあるフォールズが突然、私に話を振ってきた。
私は急いで、意識を完全に現実に戻し、「大統領なんでしょうか」と、授業に遅刻した学生のように慌てて返事をした。
「どうだ? 君は個人投資家だろう。今回は、儲かりそうか?」
フォールズの問いかけを聞いて、集まった機人たちは小さく笑い始めていた。
私は、自分に与えられた役割はわきまえているつもりだったため、聴き取りやすい声で、「もちろんです」と言うと、みんな大きく笑い始めた。
二〇九八年現在において、投資家というのは道化師のような存在だった。お金があるから機人にはなれるものの、投資以外は何もできないので、お金がらみの冗談の的になるしかない存在。それが機人たちの共通認識であったし、人間たちもなぜかそれを知っているので、舐められがちなのだ。
私は、この問題について、機人になりたての頃に、機人になった個人投資家仲間に、「それなら詐欺師やマフィアは、どうなんだろうな」と愚痴を言ったことがあった。しかし、彼は、「奴らは、組織力があるからな」と、所詮個人でしか行動できない個人投資家を皮肉った答えが返ってきたのを鮮明に覚えている。