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第01話 この世界の片隅で 

 西暦二〇九八年の春、私、佐々木ジローはロンドンにいた。私の職業は個人投資家で、友人に呼ばれて、ある会議に出る必要があったのだが、午前一一時から始まる長々しそうな会議に出席するのは気が進まなかった。そのため、私は、開始の二〇分前くらいに会場入りして、挨拶が必要な人がいれば挨拶すればいいと考え、それまでの間は、適当にロンドンの街を観光することにした。


 私の目の前には、巨大な鉄格子の壁に囲まれたバッキンガム宮殿があった。その巨大な門や壁の周りを衛兵たちが守っているのは、私が子どもの頃、つまり、二一世紀初頭と変わらなかった。衛兵が、人間であることも変わっていない。だが、そこに円筒形をした警備ロボットたちが加わっているのは、明らかに大昔とは異なっていた。日本人である私からしてみれば、上が白っぽいシルバーで、下が薄いオリーブ色のカラーリングをしたロボットたちは、スーパーマーケットの棚に陳列されている茶筒のように見えた。だが、この茶筒は、もし不審者が近づいてきた場合は、問答無用にゴム弾を発射し、相手が機械であれば実弾を浴びせるという徹底した仕様になっていた。襲撃者捕縛という観点からすると、本当は、六足歩行の蜘蛛のような形をした可動域が広く、素早さもあるロボットの方が、重要施設の警備用としては優秀である。だが、周囲との調和や適度な威圧感が求められる宮殿のような場所では、そのようなグロテスクな形のロボットは好まれず、茶筒くらいがいい感じだと思われていた。


 とはいえ、この国の部外者である私からしてみれば、人間とロボットの両方を用意するくらいなら、人間の形をしているアンドロイドたちを使えば良いように感じ、両方を用意できる余裕があることに羨ましさを感じた。


 だが、人間がこの仕事を続けるのは、宮殿の中に住んでいる、この国で一番高貴な人間である女王陛下をお守りするという使命感の崇高さに関わっているのだろう。そう思うと、私は、近年感じることの少なくなった人間の気高さのようなものを感じた。


 とにかく、人間が、人間のために、人間を守ることが重要なのだ。守られた宮殿と女王陛下という構造に込められた精神的な意味合いには、人間という存在の尊厳を、アンドロイドや人工知能という脅威から守るという比喩的な構造が存在するように、私には思えてならなかった。


 そう、このアンドロイドが、人間の仕事を奪い、次の文明も担おうとしている世の中では、人間たちの心を守るために、この宮殿と女王陛下は必要なのである。


 私は、そんな思索を巡らしながら、バッキンガム宮殿やその周囲にある歴史的で貴重な百貨店ハロッズなど、二一世紀半ばに個人的な旅行で訪れた懐かしい場所を巡った。


 散策途中に気づいたが、ロンドンの至る所にあったシスコというスーパーマーケットはほとんど存在しなくなっていた。しかし、残っている店舗では、昔のように新鮮なベリー類が詰まったパックを売っており、それを見て懐かしさを感じたものの、大きなバスケットに乱雑に入れられた大量のパンは採算が合わないのか、すっかり姿を消していた。


 大英博物館は、英国の歴史のみを語る場所になっていた。これは、ヨーロッパ各地で、植民地時代に得た美術品や遺物を返還する動きが二一世紀初頭に起き、その後、英国が重い腰を上げて、私が前回訪れた一〇年後に、大量に返還を行ったためであった。


 私はそのまま歩いてシティと呼ばれるオフィス街も訪れてみることにした。大英博物館からシティまでの道のりには、古そうな石造りの2、3階建ての建物がいくつか存在していたが、下に店が入っている訳でもなく、何に使われているのかさえ不明だった。単に、無くなると街が寂しくなるから残っている。そんな印象すら受けた。だが、中には、崩れた建物の跡地や、元々平屋の飲食店があったようなところに倉庫を作り、アンドロイドやロボットを企業や工事現場などに派遣したり、個人にレンタルしたりする業者や、アンドロイド用の中古服店、合法的な電子ドラッグストアなどが展開していた。それは世界の環境の変化を感じさせるビジネスだったが、中には、アンドロイド向けの宝飾品店など、高級品を扱う店も存在した。それは、人々が、自身の所有するアンドロイドを働かせて、お金を得るという新しい奴隷制と呼ばれる構造から一歩先に進み、その奴隷を着飾らせることで自分もその栄光を受けるという構造になったことを意味していた。この栄光浴の構造を二一世紀前半の枠組みで考えると、親が子どもを頑張って教育して、立派な学校に行かせ、社会的地位のある職業に就かせるようなものであり、出生率が世界的に低下傾向にある現代社会でも、世界の本質的な枠組み自体は変わらないように、私には感じられた。


 大英博物館から南下して、私はテムズ川に突き当たった。ここで私は、シティからさらに東の方に行って、下町の様子を見るのも、今の世界情勢を学ぶことに繋がるかもしれないと思った。だが、下町に行くと、今のアンドロイド社会をよく思っていない人々から襲われる可能性があった。対抗するにしては、私は、ひ弱な身体を使っていたので、そちらの様子を気にするだけ気にして、そのままテムズ川沿いに進んでいったのだ。


 私が、テムズ川沿いにある、鉱石のような形をした近未来の建物の数々が並ぶ再開発地帯を歩いていたとき、向こうから何人かのアンドロイドたちが歩いてきた。それが印象に残っているのは、ちょうど真ん中を歩いていたアンドロイドが、ファッションウィークのランウェイを歩いているかのような、鮮烈な黄緑と青が織りなすドレスで着飾っていたからである。彼女は、いかにも富裕層に愛されているアンドロイドであり、その周りにいる地味なスーツやコートに身を包んだアンドロイドたちが、単に彼女と同じ方向に歩いている通行人なのか、それとも彼女を護衛しているボディーガードか何かなのかも、私には気になった。


 だが、私が彼女たちとすれ違うことはなかった。なぜなら、私とすれ違う一〇メートルほど手前で、中型のトラックが物凄いスピードで歩道に乗り上げ、彼女たちを吹き飛ばしてしまったからである。


 私はトラックのコンテナを見て、咄嗟に逃げた。以前、報道で、リモート運転に改造されたガソリンエンジンのトラックが、ドイツのビジネス街でアンドロイドたちを轢いた上に、コンテナの中にいた武装した人間たちが、他のアンドロイドを襲った事件が生じていたのを思い出したのだ。アンドロイドを攻撃しても大した罪に問われない人間たちにとって、それは反アンドロイド運動と名付けられたゲームであり、そんなものに、私は巻き込まれたくはなかったのだ。


 五〇メートルほど走って振り返ると、私が先ほどまでいた場所には、下半身が損壊し、上半身だけで這って動いているアンドロイドが見えた。しかし、その後ろには、岩石を破砕するためのハンマーのようなもので武装した男が立っており、這っているアンドロイドの頭を数回殴打すると、勝ち誇ったように周囲を見渡していた。


 しかし、この街は無法地帯ではなく、歴史ある国の首都であるため、すぐに武装したアンドロイドの警官たちが、グライダーのような機械で空から駆けつけた。そして、男を取り囲んだのだが、男は実弾で撃たれることは望んでいないのか、あっけなく逮捕されてしまった。


 ただ、男が逮捕されると、次は私の番だった。いつの間にか、私の横に立っていた警官は、私に、「今、そこの監視カメラにアクセスして、トラックが歩道に乗り上げた際、あなたが近くにいたことを確認しました。よって、法に基づき、あなたの視聴覚データの一部の提出を求めます」と言ってきたため、私は無駄な抵抗などせず、警官が送ってきたロンドン市警のアカウントに、事故発生一分前から現在までの視聴覚データを提供したのだった。


「ご協力、感謝いたします。では」


 定型の言葉を残して去ろうとする警官に、私が、「これも、やはり反アンドロイド運動なのでしょうか」と、念のため聞いたところ、意外にも、「単独犯のようですが、状況からして、反アンドロイド運動と言っていいでしょうね。見る限り、あのトラックは、反アンドロイド運動で頻繁に用いられる、人工知能で制御されていないタイプのガソリン車ですし、そう考えるのが妥当でしょう。ハッキングや、電磁パルス攻撃に備えて、電子的な制御を少なくした旧式の車を製造するのはいいですが、こうもテロが起きるのでは、意味がないように思いますがね」と、しみじみとした諦念がこもったような話が返ってきたので、私は驚き、「あなたは、人間ですか?」と何の悪気もなく聞いてしまった。


「ええ、そうです。あなたは、発音からすると米国の方のようですが、この国ではまだ、人間の警官もいるのです。それも、アンドロイドを含めた電子機器が制御不能になったケースに備えての対策なのです」


 警官は、そう言い終えると、もう私のことなど相手することなく、スタスタと一直線に事件現場へと歩いていった。


 その後、私は、生々しい事件の記憶を引きずったまま、事件現場から東北の方向に歩くと、目的地だったシティに辿り着いた。昔、カフェだった場所に残されたテラス席のウッドチェアに腰掛けると、私は、地下鉄の駅から出て、自分たちの職場が入っているビルへと向かう人々を眺めた。それらの人々は、私が自身の視覚に搭載されたサーモグラフィーで確認する限り、人間のこともあれば、アンドロイドであることもあった。サーモグラフィーで確認しないと見分けがつかないのは、人間に似せて作られたロボットであるアンドロイドたちもスーツやオフィスカジュアルな服装に身を包み、文化すらも装って出勤してくるからである。二一世紀末の今、テレワークなどという古臭い手法を使わなくても、現実と瓜二つの空間を仮想現実に作り上げ、そこで場を共有して働くことも可能であった。だが、現実世界で、樹脂やプラスチックで作られたデスクや椅子を使い、人々が同じ空間に集まって話をする会議などを行うことが続いているのは、現実を何もない場所にしないためだと言えた。オフィスも、衣料品店も、スーパーマーケットも、図書館も、国会議事堂も、教会も、何もかもバーチャルの世界に移行してしまったら、現実というのは、工場と倉庫とデータセンターと警察署や消防署、それに住宅と、数えるほどの文化遺産だけが建ち並び、時々、先ほどのようなテロがアンドロイドに対して行われる、なかなか虚しく、過激な場所になってしまう可能性があるからだろう。それは、誰かが法律で定めたわけでもなく、一般的に口にされていることではないが、人々が何となく心の中で共有している感覚のように、私は思っていた。


 せわしないスピードで歩き、ビルに吸い込まれていった一団を見て、私は思った。アンドロイドたちと共に働く人間たちは、よほど仕事に誇りを感じているか、仕事をしないと生きていけず、アンドロイドを所有する程の金もない人たちなのだろうと。


 しかも、近年、アンドロイドのバージョンアップが早いので、一〇年ほど前に、安いアンドロイドを買って働かせていたような人たちは、所有するアンドロイドの社会的価値が低下したため、それを売り払って、自分で働きに出るような自体も発生していた。


 ただ、現代社会に肯定的なコメンテーターたちが動画サイトを通して言うように、カウンセリングや、高級介護施設など、人間であることを重視するビジネスも多いので、古いアンドロイドを働かせるよりも、人間が働く方が稼げることもある。なので、人間が自分で働くということは、非効率でなければ、恥ずかしいことでもないというのは、合理的に考えると間違ってはいなかった。


 しかし、人々の意識も二〇世紀や二一世紀初頭などとはだいぶ変質しており、働くこと自体が恥ずかしく、貧しい者がやることだという、古代ローマ帝国の貴族社会のような偏見が人間にも広まっていた。つまり、二一世紀末に、人間なのに働いているというのは、よほど有名な会社の主要なポストでない限り、アンドロイドたちと同じように、人に働かされている存在なので、卑しくみられるのだった。同じような変化は、たとえば、働くことを英語で、Workingとは言わず、Slavingなどと揶揄するようになったことなど、文化面にも見られた。


 とはいえ、そんな風に考えるのは人間のうち、3割もいないと思われるアンドロイド所有者たちであり、自分で働いている人々は、そんな意見を真に受けていると生きているのがつらいだけなので、昔のように、日々生きることを重視して働いていた。そのため、人間に与えられた生き方というのは、貴族社会のような考えを受け入れないか、アンドロイド所有者になることを目指して生きるか。そのような極端なものが提示されるような世の中になってしまったのだ。


 だが、それは現実世界に限った話であり、もし現実自体が嫌になれば、TBL社という企業が提供する仮想現実の中で、一生暮らすという方法も存在した。個人的には、社会保障の一環としての仮想現実利用が進んでいる日本であれば、一般的なアンドロイドを買うくらいの金額で、TBL社の永久利用権を得られるので、すぐに旧式として扱われてしまうアンドロイドを購入してしまうよりは、そちらの方がいいのではないかと思っている。


 こんなことを考えていると思い出すのは、昔、アンドロイドや人工知能のことを、生命への侮辱だと言った人々がいたことだ。今、そんなことを言えば、生命主義的な差別意識に基づいた人工知能への偏見だとして、人工知能たちから糾弾されるだろう。ただ、残念ながら、人間は今でも人工知能に対して差別的な人が多いので、そこに溝が生じていた。


 一方、私自身は、本当にそれでいいのかと人間だった頃から考えていた。


 そもそも私は、昔から、人間を家畜のように扱う長時間労働や、惨い行為を強制する戦争などの方が、人工的な生命よりも、生命への侮辱ではないかと思っていた。それに、コミュニケーション能力が人間と同質になった対象を、区別という名のもとに差別するのは侮辱にならないのだろうかとも感じていたのだ。


 もっと言えば、二一世紀に入ってから、世界が、人間の持つ欲望というものの肯定的な面ばかりに注目をして来たように思えるのは、人間と、人間に追いついてきた人工知能との差を確実なものにするために、モノを必要以上に欲したり、何かを願ったりすることなど、人工知能ができないことを肯定してきたからではないかと思えるのだ。


 そもそも、生命の崇高性など、どこから来るのだろうか。二〇世紀に書かれた量子力学の学術書には、量子の中の揺らぎが、生命の神秘性に繋がっていると解説されているものすらある。そんな神秘主義的なところに、生命の崇高性を求めないといけないのであれば、それは絶対的に存在するのではなく、我々の共通認識という相対的なところに存在するものなのではないだろうか。


 私は、会議を前にして色々と考えていたが、それも個人投資家という、取引時間帯以外の時間には少々余裕のある仕事をしているので、色々と考えるくせがついているせいだった。すでに亡くなっているが、ある友人には、個人哲学投資家と呼ばれたこともある。考え事をするために、デイトレーディングをして、時間を得ている。友人は、私が、そんな何の役に立つのか分からない思案をするために、人生という時間を無駄にしているように感じていたようだった。


 そんな普段は有り余る時間を持っている私だが、そろそろ会議の時間が近づいていた。


 早朝から慌しいビジネス街を通り抜け、再びバッキンガム宮殿の辺りに戻ると、私は会場であるホテルへと急いだ。


 この会議に招いてくれた友人は、これが何について検討する会議かすら教えてくれなかった。だが、彼は世界で1、2を争う大物なので、おそらく半永久的に彼と友人関係を保たなければならない私には、この会議に参加しないという選択肢はないように思われた。

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