ごく普通に結婚し、ごく普通に家庭を持つ
結婚したい。 夫が欲しい。 子供が欲しい。 家庭を持ちたい。 幸せに……なりたい。
最近本当にそう思う。
スーパーに買い物に行って、そこで家族連れとすれ違ったときに……
実家の母から早く結婚して子供産んだ方がいいわよと電話が来るたびに……
職場で誰それが結婚したという噂を聞くたびに……
幸せに……なりたい。
そうぼんやりと思っているうちに眺めていた時計の針が頂点を超えて今年の誕生日が来た。
2035年9月11日午前0時、今日私は30歳になった。
◆ ◆ ◆
『まだお前30だろう結婚なんて早……痛いな、母さん何するんだ』
『代わってお父さん、いいから代わりなさい。いい美佐子、結婚は早くすべきよ絶対。絵里ちゃん覚えてる? 近所に住んでたあんたの2つ年上の娘だけどさ色々やっても結婚できなくて大変だそうよ。早く結婚した方がいいわよ』
そんな両親の……特に母親の言葉に背中を押され結婚を決意した畑中美佐子30歳独身。
彼氏いない歴=年齢の美佐子は思った。結婚したいけどどうすればいいのか分からないと。
そこで彼女はいつも会社に通勤するとき目に入っていた駅前にある結婚相談所ウエディング・ベルを利用しようと考えた。
ネットで調べてみると評判も良いようだった。
『素晴らしい女性を紹介してもらえました、今幸せです』
『厳しい現実を教えられましたけど結婚コンサルタントの方が親身になって応援してくれて結婚できました。ありがとうごさいます』
『収入がないなら女性だとしても入会できないと言われました、男女差別的な最悪な場所です』
最後のは悪く言っているが会社に勤めて年400万円もらってる私には関係ないと考えて予約を入れることを決めた。
入会前でも一度だけ無料で相談をしてくれるらしく、ウエディング・ベルのサイトに自分の情報を入力しながら彼女はどんな男性と結婚したいかを夢想していた。
年収は800万ぐらいでイケメンで背が高くて、高学歴で気が利く人で……
そんな、ありきたりな夢想を抱えながら日がたちついに予約の日が来た彼女はウエディング・ベルの事務所へと足を踏み入れた。
「畑中美佐子さんですねお待ちしておりました。畑中さんの担当をさせてもらいます馬場です、よろしくお願いします」
清潔感のある受付には私より10歳ぐらい上だろうか。落ち着いた大人の女性というモノを感じさせてくれる人だった。
「それではこちらにどうぞ」
小さな相談室に促された美佐子は自分の希望を語った。年収は800万ぐらいでイケメンで背が高くて、高学歴で気が利く人でなら誰でもいいですと。
馬場は思った。
うん、これは婚活市場の現状を知らないタイプだな……と。
けど、ちゃんと社会に出て30歳で年収400万円を貰える人なので論理的な思考はできるはずだから、ちゃんと知ればまず間違いなく結婚まで持っていけれるだろう。
「畑中さん落ち着いてください。これから畑中さんはこれまで経験のない分野で活動することになります。そういう人は大きなミスをしやすいと思いませんか?」
「それは……確かに」
「ええ、ですからまずは結婚市場の近況を知るところから始めましょう、ですがこれからお見せする情報は婚活を始めようという方には少々ショッキングで特に女性にとっては不都合な事実が含まれます、そのことを覚悟してください」
脅しを入れながら馬場は一枚の紙を美佐子に差し出した。
「それではこちらのグラフをご覧ください」
差し出された紙には青と赤二つの折れ線グラフが描かれていた。
折れ線グラフの縦軸は%で横軸は年代で1950年から2030年まで。
二つのグラフはどちらも1990年ぐらいまでは5%ぐらいの横ばいなのだが、そこから青いグラフは急増して2000年には約10%、2010年は約20%、2020年は約30%、そして2030年は約40%になっている。
赤いグラフは青いグラフよりも遅れて上がっていて2010年に約10%、2020年に約20%、そして2030年に30%になっている。
「このグラフが何を示しているものか分かりますか?」
「………………」
美佐子は嫌な予感がした、青と赤で結婚に関係があるのだから青は男性の何かの%、赤は女性の何かの%なのだろう。
だが何かは分からない……分からないというよりも分かってはいけないような忌避感があった
「いえ、結婚に関連する何かだろうなとしか……」
「このグラフは生涯未婚率のグラフです。青が男性の生涯未婚率、赤は女性の生涯未婚率です」
「生涯未婚率つまり……30%の、女性のうち3人に1は結婚できないのですか?」
「そうなります」
正直なところ結婚に対する心構えは男女間で大きな開きがある。
男性はいい女性がいるなら結婚したい、結婚できないならそれはそれで別にいい位の姿勢。
対して女性は結婚して子供ができなければ自分は絶対に幸せには成れないというぐらいに真剣な姿勢。
もちろん個人差はあるが馬場の肌感覚ではそれぐらいだ。馬場も結婚した10年前はそれぐらいの姿勢でいた。
「さらにこのグラフからは女性にとって大きな問題が読み取れます……男性の方が未婚率が大きいということです」
「……すいません、それがどう女性にとって問題なのかが分からないのですが」
「ええ、分かりづらいですよね。ですので裏に分かりやすく書いています」
裏返された紙にはこう書いてあった。
女性の生涯未婚率30%=30%の女性は結婚しない=70%の女性は結婚したい。
男性の生涯未婚率40%=40%の男性は結婚しない=60%の男性は結婚したい。
70%ー60%=10%
「え! あれ? え……」
「直感に反しますよね、ですがデータではこうなっているんです」
「これ……女性は全員は結婚できない……」
女性の70%が結婚したくとも、男性が60%しか結婚したくないなら当然だが結婚できる女性は60%の人数まで。
結婚したい女性は10%分余ってしまうのだ。
「正確をきしますと離婚した男性と結婚することによって全ての女性が結婚することはできます、できはしますが条件は厳しいものになってしまいがちです。意外かもしれませんが現代の婚活市場というのは男性が有利で女性が不利な場所なのです」
昭和的な感覚だと男性が女性を得るために努力しなければならないのだが、その時代は遥か昔に終わっている。
令和の現代においては女性側が努力しなければ結婚はできないのだ。
「さて色々と脅かすようなことを語りましたが畑中さん。ご存じかもしれませんが私共の結婚相談所ではまず入会時に手付金として10万円、そして相談所から紹介の方と結婚すると決めて退会されるときに100万円をいただくようになっております。基本的に私共の相談所は成功報酬で成り立っているということです」
「それはつまり……」
「はい、つまり私共は畑中さんなら結婚ができると考えているんです。これまで何千件も結婚を成功に導いてきた我々が自信をもってそう考えているんです」
はっきりと何一つ忖度なく考えれば畑中美佐子の婚活市場での価値は高い側だ。
それでも彼女はだれでも選べる立場とは言えない。
「ただし、それはあくまで畑中さんが私共のアドバイスを素直に聞いていただけるならばです。条件的に不利だということを理解せず高望みをしすぎて結婚ができない……そういう女性の話はこの業界にいると残念ながらよく聞きます」
「そういう女性は……どうなるんですか?」
「……幸せな結果になったという話を聞いたことがないとだけ言わせてもらいましょう」
沈痛な結婚コンサルタントの表情にそうはなりたくないと美佐子は心底思ったのだった。
◆ ◆ ◆
畑中美佐子はその後ウエディング・ベルから紹介された年収600万円の男性と半年間の交際後に結婚、共働きしながら2児をもうけることになる。
◆ ◆ ◆
「うい~す、帰ってきましたよ。馬場さんなにか変わった事あった?」
この結婚相談所の所長である石井が若い女性や年収の高い男性の登録を集める営業から帰ってきてそう聞いた。
「特には、予約されていた畑中さんも常識的な方でしたし上手く結婚までこぎつけれると思います」
「そう、畑中さんって30歳だっけ。あと5年早くここ来てたら年収1000万のイケメンぐらい紹介できたよね」
婚活市場というのは市場というだけあって当然なのだが市場原理がはたらく。
希少で皆が求めるモノの価値は高くなり、ありふれたモノの価値は低くなり、誰も求めないモノには価値はつかない。
男性が婚活市場で求めるモノは大よそは子供だ。言い換えれば子供を産めるチャンスが多い女性=若い女性と言える。
本来人間の女性は15歳で初めて妊娠して35歳から40歳ぐらいまでに5人から10人ほどの子供を産むように造られている。ほんの100年前まではそれが当然の世界だったのがこの100年で別物といっていいぐらいに大きく文化が変わった。
30歳というのは現代なら若いと言われる年齢だが本来ならそろそろ子供を産まなくなる年齢で、たった5歳取っただけの35歳での出産は医学的には高齢出産に分類され様々なリスクが上がりそもそも妊娠できない可能性が大きく上がる。
そのことを男性は本能的に知っているのか、あるいは結婚する一環として勉強するのか、男性は大よそは20代の女性を結婚相手に求める。
結果として婚活市場で最も価値が高い女性は、男性がほぼ全員求める20代の女性ということになる。
「うちの娘ももうすぐ15だからさ……この業界居ると女性の幸せって早く結婚することだよなって思っちゃうよね」
「……あまり認めたくはないですね」
「けどさあ、40になるまで働きづめの女性にあなたより年収やらなんやら格が落ちる男性しか紹介できませんって現実を言うことって辛くない? 男なら40歳でも30ぐらいのの若い奥さん捕まえて十分幸せになれるけど女性はさ……」
言って石井は自分のデスクに置いてあるアメを一つ、自分の口に放り込むと即座にかみ砕き始めた。
ガリゴリと硬いものを砕く音が事務所に少しの間響く。
アメをかみ砕き終えた石井はさらに言葉をつづけた。
「まあ、それでも畑中さんは幸せになれるよね。普通に結婚して普通の家庭を持てる。今の世の中は女性の3人に1人はそれができないんだから」
40歳、無職、介護が必要な親あり。そんなどう考えても結婚は無理だと言わざるおえない女性もこの業界よく見るのだ。