67.犬猿の元主従
「あれ、暇なの? 駄犬」
「やっだなぁ、どこぞの仕事しないご当主サマのせいで、めちゃくちゃ忙しいよー? 跡取りの嫁にちょっかいかける暇があるなら、輸送の一つや二つやってくれてもいいでしょうにねぇ?」
何やらギスギスとした空気しか感じない。
(え? この二人って以前は主従関係だったんじゃないの?)
ちらりとミーガンさんの顔色を伺うと、心なしか呆れた色をしていらっしゃる。もしかして、これが日常茶飯事ってこと?
「聞いてよー、アイリちゃん。偉そーなこと言ってるこの人はね、奥さんを過保護に過保護で包んで、そりゃもう真綿に包んで監禁してた鬼畜なんだよー」
「……え゛」
「駄犬が何を知ったような口をきいてるんだい? 自分の伴侶を守るのは当然だろうに」
「だ・か・ら・ってー、仕事の話もしないで、花とドレスとスイーツの話しかしない秘密主義もどうかと思いますけどー?」
私はちらりとミーガンさんを見た。私と目が合ったミーガンさんは「諦めろ」と口だけで返してくる。
(というか、リュコスさんの話が本当なら、非常に面倒な人なんじゃないの?)
柔らかい口調に騙されそうになるけれど、やっぱり侯爵としてああいった仕事を長年受け持ってきた人は違う。そういうことなんだろう。うん、そういうことにしておいて欲しい。あの血がライに流れているとは、あまり考えたくない。
「だいたい、アイリちゃんにちょっかいかけるのだってー? 息子が嫁とうまくいくのが悔しいだけ、みたいなー?」
「駄犬、躾が足りてないようだねぇ?」
赤い瞳がぎらりと閃き、私の肌が総毛だった。これはまさかの物騒な暗示再びなのでは――――?
「はいはい、せんりゃくてきてったーい!」
戦慄した私の目の前で、軽い調子の声と共に、リュコスさんの姿消える。それはもう、文字通り消えた。
「え? え?」
「リュコス殿が逃げただけだ。気にするな」
「いや、でも、目の前で、……え?」
「それぐらいの身体能力があるということだ」
人狼(自称)の身体能力が恐ろし過ぎる!
(私、この人外魔境で暮らしていけるんだろうか……)
ちょっぴり心配になってしまった。
「まったく、駄犬は逃げ足だけは速いんだから」
「はぁ……」
リュコスさんの撤退判断は間違っていなかったと思うし、私も逃げたいということは口には出せない。
「それで? 改めて聞くけどさ、アデライードの隣に立つ覚悟があるの?」
リュコスさんが去ってしまったことで、テオさんの興味は私に戻ってきてしまった。
でも、ここはきっと踏ん張りどころだ。
「テオさんから見れば、覚悟は足りていないかもしれませんけど、少なくとも隣に立ちたいと思っています」
「意志だけはある、って?」
「そうですね。その意志がなければ、そもそもテオさんを引き留めていません」
「ふぅん? それなら好きにすれば?」
「……はい、好きにします」
私の答えは合格基準に達していたのか、テオさんはひらひらと手を振って、裏庭から去って行った。
「……疲れた」
「そうだな。自分もさすがに疲労を感じた」
「なんか、巻き込んでしまって、すみません」
「いや、自分もアイリ様の覚悟の程を知ることができた。アイリ様なら、主の隣に立つに相応しいと、そう思う」
「そんな……っ、私はテオさんに言われた通り、まだ覚悟も足りていなくて」
「主に守られるのではなく、隣に立とうとする意志は確認できた。……リュコス殿の正体も存じているようだし、主のことも知っているのだろう?」
「はい、聞いています」
すると、ミーガンさんは私の目の前で片膝をついた。
「み、ミーガンさん!?」
「主の隣に立つのであれば、自分の正体を明かすのもやぶさかではない。……どうか、お見知りおきを」
ぶわり、と木綿のシャツにズボンというラフな姿が霞のようにブレて見えたかと思うと、目の前には全身甲冑姿のミーガンさんが同じ姿勢でそこに居た。膝をついているというのに、視線の高さがちょっとしか変わらないあたり、大柄さが際立つ。
(っていうか、どういうこと? 早着替えとかそういうレベルじゃないんだけど!)
「不肖、首無し騎士のミーガン、未来の奥方であるアイリ様に真摯に尽くすと誓う」
「ふ……ぇっ」
ミーガンさんが私の手の甲に、兜の額部分を軽く押し当てる。ひんやりとした冷たい鉄の感触に、これが夢などではないと思い知らされた。
目の前で立ち上がったミーガンさんは、その正体が間違いないことを示すかのように、兜を取り、小脇に抱えた。もちろん、本来ならば人の顔があるはずの部分には、何もなかった。
(デュラハン……って、本当に、かぁ……)
「あ、りがとうございます、ミーガンさん。その信頼を裏切らないように、これからも頑張りたいと思います」
「うむ、では明日、解体の際にはお呼びいたす」
「はい、よろしくお願いします!」




