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44.気遣いも ときには毒

「朝かぁ……」


 清々しい朝……ではない。空はどんより曇っている。足腰の違和感はなくなったけれど、まだ精神的な立て直しは終わってない。


(やっぱり恥ずかし過ぎるんだけど!)


 丸一日経って、冷静になってみれば、血を吸われた興奮?に浮かされたとはいえ、さすがにどうだろうという言動の数々に死にそうだった。


(いや、大丈夫。何でもないふりをすれば、うん)


 ワンピースに着替え、髪を整える。もちろん鏡は封印中のままだ。


「失礼します、お嬢様」

「ジェイン?」


 朝の支度最中に来ることが滅多にないので、私は驚いた声を上げてしまった。


「お嬢様の体調が心配だからとご主人様が」

「だ、大丈夫だから! 朝食の準備に入ってくれていいから!」

「かしこまりました」


 ぺこりと頭を下げて下がるジェインを見送り、私は思わず脱力してへたりこんだ。


(気遣いはありがたいけど、いたたまれないわ……!)


 ライの部屋へ向けて感謝と怨念を半々ぐらいで送ってから、私はようやく立ち上がった。落ち着け、と自分に言い聞かせて深呼吸を繰り返す。うっかり羞恥の海に沈まないためには、平静を装うことが一番のはず。


(よし!)


 気合を入れ、スカートの皺をチェックし、私は食堂へと向かった。

 平静に、平静に、と唱えていると、向こう側からライが歩いてくるのが見えた。成長したライの姿にはまだどうにも慣れない。私より背が小さかった少年が、すっかり大きくなってしまって、目を合わせようと思うと頭の角度まで上向きになるのだ。まだどうしても違和感が拭えない。


「あぁ、おはよう、アイリ。ジェインは来てないの?」

「体調は問題ないから、いつもの仕事に戻ってもらったの。あのね、本当に大丈夫だから」

「そうか? だけど、いつもと違うことがあったら言って欲しい。俺も……あー、ちょっと浮かれてたから」

「……」


 何も言えずにいると、さらりと手を取られて食堂までエスコートされてしまった。


(やっぱり恥ずかしいんですけど……!)


 何でもないふりをして歩いているけれど、もう心臓がばくばくとありえない大きさで鳴っている気がする。昨日の出来事を思い出すだけで恥ずかしいのに、すっかり大きくなった手の大きさとか、いやでも大人の男を感じさせるのがまた……!


「ねぇ、アイリ。朝食の後なんだけど――――」

「無理だから! 今日はゆっくり本を読む予定だから!」


 そういうお誘いかと思いこんだ私が悔い気味で拒否の姿勢を示すと、ライは目を丸くした。


「アイリ、俺はただちょっと話す時間が欲しかっただけだよ?」

「……」

「もしかして、俺、期待されてる?」

「違う! むしろ逆だから!」


 慌てる私を見て、ライはくつくつと笑い出した。そこでようやく揶揄(からか)われていたんだと気づく。


「ごめん、アイリが可愛かったからつい、いじわるした。アイリのおかげで俺も無事に成長できたから、これからのことを話す時間が欲しかっただけ」

「……話すだけ、よね?」

「アイリが許してくれるなら、その先も」

「ない! ないから!」


 揶揄われているのが分かっても、つい声を荒げてしまう。耐性がないと言われればそれまでなんだけど、どうしてライはこんなに動じることなく……?


「アイリ? 変なこと考えてない?」

「別に?」


 食堂へ到着したので、いったん話はうやむやになる。


(もしかして、ライは私が初めてじゃないってこと? ありえる! そもそも、どれだけあの少年の外見のまま過ごしていたかも確認してないし、実年齢だって知らないままだわ!)


 それならあの落ち着きも納得がいく。

 でも、そうだとしたら、ライの過去の女性って、どんな人だったんだろう……。

 ちくり、と胸が痛んだ気がした。



☆彡 ☆彡 ☆彡



「やっぱり、おかしいわよね?」

「おかしくない、おかしくない」


 朝食後、オススメの本があるからと図書室に同行して、寝る前にちょっとだけ話したいと言われて、ホイホイとライの部屋へ着いてきたら、何故か膝の上に座らされた。無防備な私が悪いと言われれば、申し開きもないのだけど。


「せっかくだから、くっついていた方が落ち着くからね」

「私は落ち着かないの! 重いでしょ? 隣でいいじゃない」

「だめ。隣だと俺が押し倒しそうだから」

「ひっ」


 首筋にかかる吐息に、ぞわりと痺れる感覚がする。お腹に手を回されて、背中にライの体温を感じ、包まれているようで温かいけれど、落ち着かないものは落ち着かない。


「これからのことなんだけどね」

「うん」

「俺は本格的に爵位継承のために動く。だけど、俺の父がそれをすんなりと受け入れるとは思えない。だから、アイリも気を付けて欲しい」

「……うん」


 実は、どうにも納得できていないことがあるけれど、なんとなく言い出しにくくて、尋ねられていないことがある。


「あ、でも、俺が爵位を継いでも、アイリの負担にはならないと思うから、そこは安心してくれていいから」

「え? そうなの?」


 私は思わず後ろを振り返った。


「だって、貴族の女性って社交界とかお茶会とかマナーとか教養とか……」

「そこは職能貴族の強みというか弱みというか……うん、うちの家は特殊だから」

「特殊?」

「あぁ。アイリの血を吸ってしまったから、もう全部話せるけど、重罪人に対する刑罰を請け負ってる家だから、一般的な貴族からは、忌避されてるんだ。まぁ、気味が悪いからね。人外の血を引いていることだし」


 そう語るライは、少し寂しげに見えた。

 淡々と話しているけれど、もしかして人外の血を引くことで、幼少期に友達ができなかったとか、白眼視されてたとか、そういうことなんだろうか。それなら、街でウマの合った私を想うのも分からないでもない。というか、そうでもなければ、容姿も中の上、これといった長所もない私が、ライに選ばれるわけもないからだ。


(もしかしたら、私の前の女の人は、もっと――――)


 私は目を伏せた。そんな存在がいたかどうかも分からないのに、勝手に嫉妬したりするのは間違っている。考えすぎはよくない。


(さすがに本人に直接は聞きにくいし、後でリュコスさんにでも探りを入れてみようかな……)



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