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39.かがみよ かがみ

「……とりあえず、朝の件は保留でお願いシマス」

「わかった。でも、あまり急かしたくないから、早めに決めてもらえると助かる」

「それは、急かしてるよね!?」


 そんな感じで始まった夕食は、いつも通りに過ぎていった。今日は下拵えの手伝いができなかったなぁ、とマッシュポテトをもぐもぐしていたところで、はた、と気付く。


(もしかして、ライが人間でないなら、ミーガンさんやリュコスさんも人間じゃないのでは?)


 そうなると、今隣で給仕してくれているジェインだって同じわけで……。ちらり、と様子を伺うも、いつもと変わりない無表情だった。昼間、一度も部屋に戻らなかったことを何か言われるかもしれない、と思っていたけど、それすらなかった。


「アイリ? 何か嫌いなものでもあった?」

「ないわよ。そもそも、食べ物の好き嫌いはないから」

「そう? 昔はパセリやホウレンソウが嫌いじゃなかった?」

「昔はね。今は何でも美味しく食べられるわ。というか、好き嫌いを言える環境でもなかったもの」


 今になってみれば分かる。好き嫌いは甘えだ。食べるものがそれしかない状況で、好き嫌いだのゴネることなんてないだろう。そういうことだ。食べると蕁麻疹が出るとかなら話は違うけれど、少なくとも、私は食の好みを口にできる――それを許容してもらえる環境になかった。


「ねぇ、アイリが望むなら、あの村滅ぼすけど?」

「別に望まないわ。鬱陶しい思いはさせられたけど、恨みはないから」

「あんな扱いを受けていたのに?」

「……そもそも、どうしてライが私の受けていた扱いを知ってるの?」

「……」


 何か、後ろ暗い手段だったのだろうか。ライは視線を逸らして沈黙した。


「ライ?」

「たまに様子を見ていただけだ」

「そもそも、村の人は私がそういう扱いを受けていたことは知らないわ。あれは他の目のない、家の中だけのことだもの。……それで、どうして知っているの?」


 ライは失敗した、とでも言いたげに、大きく息を吐いた。


「ちょっと、覗き見をする手段があっただけ」

「その詳しい手段を聞きたいわ」


 ライがこんなふうに言い淀むだなんて、珍しい。つまり、それだけ後ろ暗い何かがあるんじゃないかと勘繰れる。


「できれば内緒にしたい」

「内緒にしたい理由は? 家の中まで見られる方法があるなんて、この邸でも覗き見が横行してると考えちゃうんだけど?」

「……」


 再び沈黙したライを睨む。


「話したくないなら、別にいいわ」


 デザートが残っていたけれど、私は立ち上がった。別に秘密をすべて暴きたいわけじゃないし、そのうちに話してくれることもあるかもしれない。ここへ来てから、ライがアデルだったことを知るまでだって、それなりに時間がかかっているから、それを考えればこの件も長期戦でいいんだろう、と思ってのことだった。


「待って、アイリ!」


 気づけば焦った表情のライが私の手を引いていた。


「知られたら、少し――いや、かなり? 怒られるかもしれないと思って。でも、やましいことは本当にないから!」

「怒られるようなことなの?」

「……たぶん?」


 ライは「ちょっと時間くれる?」と私の手を引いて食堂を出た。向かう先は執務室……ではなく、ライの部屋だ。


「その、本来は仕事に使うべき能力(ちから)なんだけど」


 ライが引き出しから取り出したのは、大きめの手鏡だった。鏡に手をかざして何か呟いたかと思ったら、鏡に映る像が歪んで、まったく別のものを映し出した。


「これ……おばさま?」

「そう」


 鏡面に映し出されたのは、不機嫌そうな叔母の顔だった。だけど、背景は私の知るあの家ではない。叔母の向こうには寝転がったまま何か言っているのか、口を動かしている叔父の姿があった。


「鏡を通して、別の鏡の映すものを見ることができる。これを使ってたまにアイリの様子を確認してた」

「……どんな鏡でも?」

「だいたいの鏡の先は見られるよ」


 ライが手を翳すと、今度はマリーの姿が大きく映し出された。丁寧に髪をとかしながら、何かを言っているようだ。


「一家揃って、あの村を出たんだよ。あの閉鎖的な村で、村長を蔑ろにしたんだから、それは居られなくなるだろうね」

「蔑ろに……?」

「アイリのことだよ。村長の息子との結婚を控えていただろ? 家には貴族仕様の馬車で乗り付けたんだから、目立たないはずはない。より高く買ってくれるところにアイリを売り渡した、そういう噂になったらしくてね。まぁ、村長からの持参金も盛大に使い切った後だったし、うちからの準備金を持って夜逃げしたようだよ」

「夜逃げ……」


 マリーなんかは、あの村に居続けるのは嫌だ、もっと流行の先端の街に行きたいとぼやいていたから渡りに船だろう。けれど、叔父は村での仕事に近所付き合いに、と色々あったはずだ。生まれ育った場所なのだから。それを捨てさせたということなのだろうか。


「新しい仕事はまだ決まってないみたいだし、手持ちのお金が有限だと気づいているのは、アイリの叔母だけみたいだね」


 そうまとめたライは、手鏡の映像を元に戻してしまった。そこで、改めてその手鏡の恐ろしさに気が付く。


「まさか、着替えも覗かれてたってこと!?」

「それは誤解だ! 俺は何にも見てない!」


 動揺して否定するあたりがかえって怪しい。でも、悪気はなさそうだから、そこは許してもいいかもしれない。け、ど。


「あのね、ライ」

「なんだ」

「率直に言って、気持ち悪い」

「ぐ」

「考えてみて。知らずに私生活を覗かれるって、かなり気持ち悪い」


 心配してくれたのは分かるけれど、さすがに気持ちが重いというか、それ以前にやっぱり、うん、気色悪い。

 がっくりと肩を落としたライを置いて、私は部屋を出たのだった。



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