32.料理人は出会っていた
(そういえば、厨房は見たことなかったかも……)
覗いてみたいとジェインに言ったら、とんでもない、と却下されてしまったのだ。
厨房はきれいに掃除され、調理道具なんかもしっかり管理されているように見えた。ただ、並べられた材料に首を傾げた。明らかに少ないように見えるのだ。
「あの……これで、何人分ですか?」
「主とお嬢様の二人分だ」
「他の……たとえばリュコスさんやジェインの分は」
「……」
何故か彼はまじまじと私を見つめてきた。何かを探るような視線に、落ち着かずに身動ぎをする。
「使用人は各自でどうにかすることになっている。それぞれ好みが極端だから」
「あ、そうなんですね」
彼がトマトを湯剥きしている横で、私は人参の皮を剥き始めた。
「そうだ。私、あなたの名前をまだ聞いてなかったと」
「? 図書室で会ったときに伝えたと思ったが」
「図書室……?」
図書室でこの邸の使用人に会ったことがあっただろうか、と記憶を辿る。そもそも、この邸の使用人と言っても、私が知っているのは無表情メイドのジェイン、やたらと軽いライの側近のリュコスさん、そして全身甲冑のミーガンさんぐらい、で……
「え、ミーガンさん⁉」
「そうか。この姿では初めてだったな」
それは見覚えがないはずだ。内部の全く見えない全身甲冑の中身はこうなっていたのか、と私はミーガンさんを改めて確認する。大柄な人、としか認識していなかったけれど、シャツから覗く二の腕はしっかりと筋肉がついていて、エプロンで隠れた胸板も分厚い。あれだけの甲冑を着込んで動くだけでも、相当な体力、いや、筋力を必要とするだろうから、立派な体躯をしていることは納得だ。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです」
湯剥きを終えたミーガンさんが、私の真正面に陣取ってじゃがいもの皮を剥き始める。大きくて無骨な手だけれども、指は器用に動き、私なんかよりもするすると上手にじゃがいもを剥いていく。その手つきに、本当に料理人なんだと納得したところで、その傷跡に気が付いた。
「その、親指の傷……」
ナイフを持つ右手の親指の付け根から、まるで指を切り落としたんじゃないかと思うほど深く傷跡が走っている。よく無事に動いているもんだ、とまじまじと見てしまったところで、記憶の欠片が刺激された。
「お嬢様? 自分は何か怖がらせるようなことをしてしまったか?」
「ちが、違うの。そうじゃなくて、その傷……あれ?」
そうだ。記憶の中で、同じような傷を持った人がいた。あまりに痛々しかったので、本人は古傷だと言ってきかなかったが、寒い日は温めて血行をよくするようにと今更な忠告をしたのだった。思えばそんな忠告をしても、本人が一番よく分かっているだろうに。親切の押し付けみたいで今考えるとちょっと恥ずかしい。まぁ、私もその頃はまだ若かった……?
そこまで思い出したところで、私は目を見開いた。間違いない。こんな特徴的な傷を持つ人を間違えるものか。
「もしかして、私にあの額縁の作り方を教えてくれたお兄さん!?」
「……」
思わず上げてしまった大声に、ミーガンさんはじゃがいもの皮を剥く手を止めた。
「……人違いでは?」
「こんな目立つ傷、他にいません!」
ミーガンさんは、その青い瞳を躊躇うように揺らし、やがて大きく息を吐いた。
「人間の記憶力を甘く見ていたか。いや、この姿で遭遇することがそもそも予想外だったな」
だが甲冑姿で食事は作れないし、と独り言ちるミーガンさんは、天井を見て床を見て、もう一度天井を見上げた。
「不慮の事故、ということで主には納得してもらうしかないか」
「……そういうふうに言うってことは、やっぱりあれはミーガンさんだったんですね?」
記憶の中に朧気に残っている近所のお兄さん。両親を亡くし、叔母夫婦の元に引き取られてから、私は悲しむ間もなく雑用を色々と押し付けられ、体力的にも精神的にもすり減る日々を送っていた。その仕事量を異常だと指摘してくれたのが、他ならぬ近所のお兄さん――ミーガンさんだった。
『どういう経緯で引き取ってきたかは知らんが、あまりに疲れた様子であちこち使いに走っているのを見れば、子どもを随分と酷使していると噂が立つぞ?』
そんな感じで、叔母夫婦の評判が悪くなると脅し半分の注意をしたミーガンさんは、たまに私を労働力として借りるふりをしながら、休ませてくれたのだ。
「あのときはありがとうございました。おかげで大事なものを取り上げられずに済みました」
「礼を受ける立場ではない。あれは……いや、話してもよいのか? 主の指示であの村に一時滞在していただけだ」
「……ライが?」
私の頭の中が疑問符で満ちる。あれは両親が亡くなってから間もなくて、まだ私が子どもで、それじゃ、その頃のライの年齢って……幼児レベルじゃない?
「ま、待って、おかしいですよ。いくらなんでもライの年齢を考えたら、そんな指示が――――」
「そうだな。何も知らせずに守ろうとする主の意図を考えれば、あまりヒントを与えるべきではない。だが、自分は主のやり方では無理があると思っている」
「それは、どういうことですか?」
「あまり話し過ぎるのも主に対する裏切りになる。自分が言えることは、主の考えでは、とてもお嬢様を守り切れないだろう、ということだ。お嬢様には考えて、知った上で、主を支えて欲しい」
核心につながる部分を何も教えてもらってない、と追及しようとしたところで、厨房に第三者が乱入してきた。
「お嬢様、こんなところにいたのですね」
「ジェイン?」
「どうぞ、お部屋にお戻りください。下拵えなど、わたくしがいたしますので」
「え、でも……」
「どうぞ、お戻りください」
ジェインに力づくで厨房を追い出され、結局、私はミーガンさんに詳しい話を聞くことはできなかったのだった。




