31.料理人に出会った
膝枕事件から、一週間が経った。
リュコスさんの計略によって接近するかと思った私とライの距離は、特段進歩することもなく、そのままだった。
強いて挙げるとするなら、ライが「触れても本能のままにアイリに襲い掛かることはないみたいだ」と謎の自信を得たおかげで、ちょっと接触が多めになったことぐらいか。
私としても、ようやくこの生活にも慣れ、ついでにリグイ国建国記も無事に本編どころか外伝まで読み終えて、今はライが教えてくれた本を読んでいる。ライは私の読書のツボを心得ているのか、絶妙な選書をしてくれるのだ。読んだ本についてライに感想を話すと、よく聞いてくれるし話題にも困らない。聞き役ばかりさせて申し訳ない、とこぼしたら、私の感想を聞くと自分でもなかった発見があるから楽しい、と言われてしまったので、一応ライの方にも得るものがあると知ってホッとした。
最近では、ライの婚約者という立場も、落ち着いて考える時間があってか、受け入れてもいいと思えるようになってきた。
(貴族……侯爵の婚約者って、どんな知識が必要なんだろう。ライに聞いても、大丈夫としか言われないし)
むしろ、色々と課題を出してくれた方が楽なのだけど、一人で頑張って仕事をしているライに、これ以上の負担をかけるのも心苦しい。ライの年齢からして、実際に結婚するのは数年単位で後になるだろう。でも、それにしたって、早く知識なり教養なりを身に着けた方がいいはずなのに。
(職能貴族っていうことと、その特殊な仕事については触りだけ教わったけど、手伝えることはありそうにないし)
ライに「隣にいてくれるだけでいい」なんて言われると、反論もしにくかった。
「せめて体力だけでも落とさないようにしたいわよね……」
午前中は読書をして、午後は散歩をする。その日課だけは崩れない。何しろ娯楽も仕事もないから。
庭園は相変わらずバラばかりが植えてあって、咲いていたり、蔓だけだったりする。咲く時期が異なるものが植えられているのだと思っていたけれど、人からバラに変わったタイミングで、咲く時期が変わってくるらしい。詳しいことは分からないけれど、そのために常にどれかは咲いているのだそうだ。
「人が花に変わるのを見てから、なんとなく不気味に思えたけれど、慣れると結局、花でしかないのよね」
目の前で咲き誇るバラをじっと見つめても、そこに人だった残滓もなく、ただ花が咲いているだけにしか見えない。自分のことながら図太いものだと思うけれど、夜になるとどこからともなく湧いて出て、邸の敷地の周りをうろつく人たちに比べれば、全然かわいいものだった。
「だから菜園としっかり場所を分けているのかしら。混ざってたらちょっとご飯を食べるのを躊躇いそうだし」
裏庭に続く道を歩きながら、一人うんうんと頷いていると、菜園に人影を見つけた。
「……誰?」
短く刈り上げた茶色の髪に、冬空のような澄んだ青の瞳を持った大柄な男の人が、菜園のトマトをパチン、パチンと小さなハサミで収穫していた。
「こんにちは」
「……お嬢様。散歩か」
「それは、今日の夕食の材料ですか?」
「あぁ」
ということは、目の前の人が、毎食美味しい料理を作ってくれる料理人なのだろうか。
「いつも、あなたが料理を作っているんですか?」
「あぁ、この邸は人手が少ないから馬の世話と兼任している」
「えぇと、よければ下拵えの手伝いをさせてください」
「……お嬢様が?」
「正直、読書ぐらいしかすることなくて、時間とかいろいろ持て余しているので……」
何となく、自分が無駄飯食らいの居候な気がして、語尾は萎んでいってしまった。
「そうだな。ずっと家事をしていたところを取り上げられれば、手持無沙汰にもなるだろう」
「……え?」
私が叔母一家のところに厄介になっている間、食事の支度を含む家事のほとんどを手伝わされていたことを知っている?
「手伝うのは構わない。だが、主に止められれば、そこで終わりだ。それでいいか?」
「はい、よろしくお願いします!」
気になる発言はあったけれど、今は時間を有効活用できることの方が大事だ。収穫を終えた彼の後ろにくっついて、私は厨房へと足を踏み入れた。




