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24.膜の剥がれる音

(あれは……ない!)


 夕食のときの会話を反芻して、私は一人、部屋で悶えていた。セリフがいちいち愛情にまみれていて、その上、声に色気まで含んでいるときた。田舎育ちの平民が太刀打ちできるはずもない。……しんどい。


 どうやったら、うまく受け流せるんだろうと考えながら、私はよろよろとした足取りで窓辺に寄る。空には月が、まるで私の煩悩を嘲笑うかのように鎮座している。


(そういえば、ライは何歳なんだろう)


 外見で判断しているだけで、ちゃんと聞いていなかったことに今更気が付いた。年齢を聞いたところで、何かが変わるわけじゃないけど、ちゃんとライのことを知っていきたい、と前向きな気持ちになっている。


(前に話してもらった職能貴族についても詳しく知りたいけど、教えてもらえるかな)


 何となくだけれど、仕事に触れて欲しくないような雰囲気を感じた。でも、普通、嫁って家業を手伝うものよね?


(早めに教えてもらった方が、家に馴染みやすいと思うのだけれど、貴族はまた違う考えなのかな)


 貴族についての知識があまりにも乏しいので、何が正しいのかも分からないのがもどかしい。


(せめて、少しでも――――あれ、ライ?)


 庭園にライが立っているのが見える。背中を向けているから表情は分からないけれど、斜め後ろに付き従っているのはリュコスさんだろう。

 ライの真正面、彼と向かい合うように立っているのは、おそらく男性。こんな夜更けに何を、と目を凝らしたところで、私は目を疑った。


(あれ、邸の外で見た、すごく顔色の悪い人間のうちの一人じゃない?)


 顔は覚えていないけど、みんな一様に裾がボロボロの服を着ていたことを覚えている。そんな人がどうして庭園に?

 襲われたりしないだろうか? いや、待って、確かあの夜、彼らはライから逃げるような動きをしていなかったっけ?


(それなら、大丈夫なのかな。危険がないなら安心できるけど)


 ライが相手に向かって手のひらを向けるような動きをした。相手はただ棒立ちになっているだけだから、別に危険はないのに、どうして――――


(!!)


 私は思わず両手で口を押えた。そうでもしなければ、悲鳴を上げてしまうところだった。


(今の……何?)


 見間違いでなければ、あの男の人、が、バラに変わった?

 庭園を彩るバラの一部になったようにしか見えない。人間の輪郭が歪んで、薄れて、それから……

 心臓がバクバクと嫌な音を立てる。手のひらが冷たい汗でじっとりと滲んでいた。


(私、どうして……)


 まるで紗幕が取り払われるように、私はそのことに気が付いて愕然とした。

 どうして私は、あの顔色の悪い人たちのことを、一度もライに尋ねなかった?

 どう考えても、一番優先させるべきはそこだろう。あんな深夜に徘徊する顔色の悪い人なんて、どう考えてもおかしい。ライの一挙手一投足に心乱されている場合じゃない。


(それに、他にもおかしいことがある)


 どうして、私は自然にジェインに対して敬語を使っていないの?

 ジェインは見た目、私と同じか少し年上ぐらいに感じる。そもそも貴族のお邸で働いている人なんだから、平民の私よりも血筋はいいんじゃないか。仕事上、色々なことに精通していそうだし。

 そんな相手に、どうして私は平気で仕事を頼めているの? 給仕だって、してもらうのが当たり前、みたいに思っていなかった?


(何か、おかしい)


 誰かがおかしいんじゃない。おかしいのは私だ。私だった。誰かに認識を歪められていたような気持ち悪さを感じる。

 混乱のあまり涙が出そうになる。さっきまでの自分が自分じゃなかったみたいで、気持ち悪くて吐きそうだ。


(なんで、何が、どうして……)


 絶対におかしいのは分かる。でも、原因はさっぱり分からないし、そもそも、そんなことが起こりえるかどうかだって不確かだ。

 覚束ない足取りで、寝台に倒れ込む。浅い呼吸を繰り返しても、気持ち悪さが消えない。ねっとりと全身に何かが絡みついているような、そんな不快感。


(――――いつから?)


 私の行動が私らしくなくなったのはいつからだった? いや、そもそも「私らしくない行動」は、どこからどこまで?

 ぐるぐると考える。考え続けていないと、精神的にどうにかなりそうだった。

 きっと自分がおかしくなっていた、という認識は間違っていない。根拠は曖昧だけれど、そこは確信が持てる。

 本当にそんなことがあるのか分からない。でも、おかしかったことだけは確実。


(脱走……? でも、あのときはまだ、いつもの私だった、と思う)


 呼吸を何とか整えながら、記憶を辿っていく。あの「顔色の悪い人間」のことが思考の端に追いやられていたのはいつから? その前後には何があった?

 寝付くこともできず、ただひたすらに考え続ける。


(……まさか)


 夜明けを迎える頃、ようやく意識を失うように寝た私の胸には、その人に対する疑念が芽生えるどころかしっかり根を張っていた。



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