19.心臓に悪い
「綺麗……」
月明かりに照らされた大輪の白いバラを前に、私はそんな陳腐な言葉しか出てこなかった。
「アイリの方が綺麗だよ。ずっとな」
「……それ、本心から言ってる?」
「もちろん」
ライの繰り出す甘い言葉には、どうにも慣れることができそうにない。どくどくと暴れ出す心臓を押さえながら、私はライをちらりと見る。
「そんなに褒められた容姿じゃないと思うんだけど」
「容姿だけなら、確かに上の中ぐらいかもしれないけど、アイリの良さはそういうところじゃないから」
上の中でも贔屓目が過ぎるんじゃないだろうか、という反論を、私はぐっと飲み込んだ。口答えしようものなら、十倍以上の賛辞の言葉が返ってきそうな予感がしたからだ。それは恥ずかしくて死ねる。
「アイリの良さは、まず生命力だろ」
「……それは、もしかして、私が図太いと言ってるの?」
「違うよ。アイリのその瞳は、生命力が凝縮して輝いているんだ。だから、その深海の瞳に俺なんかが囚われる」
「い、言い過ぎよ……」
歯の浮くようなセリフに、思わず否定してしまう。すると、ライの手が私の頬を撫でるように触れてきた。
「嘘でもお世辞でもない。アイリはもっと自覚した方がいいと思うよ。アイリは美人だし、何よりこの瞳に虜になるやつは多い。俺みたいにね」
「そ、そんな言葉、どこで覚えてくるの?」
「覚えて? 違う。アイリを目の前にすると自然と口をついて出てくるんだ」
「~~~~~っっ!」
とうとう耐え切れなくなって、私は両手で顔を隠してしゃがみこんだ。
(無理無理無理! おかしいでしょう! どうしてこんな美少年にまっすぐに口説かれてるの私! こんな美少年に会ったことがあったら、絶対忘れないはずなのに、私の残念な頭はどうしちゃったの!)
ひとしきり悶えたところで、おそるおそる顔を上げると、「気は済んだ?」とライが笑いかける。これは、自分のセリフと外見の破壊力を知っている表情だ。そうに違いない。
(ライの外見からすると、会ったことがあるとしても、せいぜいここ四年の間よね。さすがに幼児の頃とは思えない。でも、四年前にはもう村に住んでいたし、こんな綺麗な子が来たら、絶対に騒ぎになって記憶にも残ってるはず……)
それとも何か、とんでもない思い違いをしているのだろうか。
「アイリ?」
「……うぅん、もう大丈夫。あの、あまり直球で褒められると、困るから」
「そう? でも、アイリを前にすると、自然とそういう言葉が出るんだから、仕方がないよね?」
「す、少し抑えてもらえると助かるわ!」
必死な私のお願いに、くすりと笑ったライは「善処する」とだけ答えた。それは抑える気がない、ということと一緒じゃないだろうか。
「え、えぇと、そう! 昨日は菜園があるっていう裏を見せてもらえなかったのだけど!」
明らかに話題を無理やりに変える発言だったにもかかわらず、ライは「そうなんだ? それなら見てみる?」と乗ってくれた。この気遣い。本当に外見通りの年齢なのかと疑ってしまいたくなる。
「菜園と言っても、そんな広いスペースをとってるわけじゃない。ただいくつかの野菜とハーブを育ててるだけだよ」
「野菜とハーブ……って、健康のため、とか? それとも節約?」
「うーん、どちらかと言うと健康のためかな」
私は目を丸くした。まさかこんな変声期前から健康のことを考えているなんて!
「健康のためって言うなら、昼夜逆転生活をどうにかした方がいいと思うの!」
「……ぷっ」
私の正論は、なぜか笑われてしまった
「私、そんなに変なこと言った?」
「いや、普通だと思うよ? 心配してくれてありがとう、アイリ。でも、仕事を片付ける上で、昼夜逆転の方がいろいろと都合がいいんだ」
「……それなら、私も合わせた方がいい?」
私もライと同じように昼夜逆転生活をした方が、もっと時間を作れるんじゃないかと考えての発言だった。初日からこの邸を逃げ出そうとした私が、どの面を下げて……と思われるかもしれないけど。
(うん、せめてライが誰なのか、思い出したい)
「ありがとう」
ライは見ている私が悶絶するような綺麗な笑みを浮かべ、私をぎゅっと抱きしめた。
「……! いや、別に、そこまで喜ばれることじゃないというか……っていうか、あの、離して欲しいのだけど」
「あぁ、ごめん。あまりにアイリが健気な提案をしてくれるから、感激して」
ゆっくり私の体を離してくれたライは、まだ蕩けるような笑みを浮かべたままだ。
「でも、また夜に無茶をされると困るから、今のままでいい」
「……そう?」
「あんまり可愛らしいことを言うなよ。襲いたくなるから」
「お、襲うって」
「冗談。ほら、行こう。菜園を見たいんだろ?」
「う、うん、ありがとう」
再び手を繋いで、私はライの隣で高鳴る鼓動を必死に抑えながら歩きだした。
(相手は少年! 犯罪! もはや犯罪だから!)
残念ながら、ドキドキと騒がしい心臓は、なかなか静まる気配はなかった。




